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<幻影学園奇譚・学園ノベル>


また笑った


 ――プロローグ


 また朝がきて、また学園へ行くことになる。
 また校門が閉まっていて、また慌てて言い訳をすることになる。
 また授業で眠ってしまって、また隣の子に揺り起こされた。
 また授業をサボってたあいつが、また先生に捕まってくどくど文句を言われている。

 学校は楽しくて、皆がきっと楽しくて、あの席の少し近付き難い顔をしているあいつだって、食事の時間になると購買部の焼きソバパンを求めて生徒をかき分ける。変な感じ。授業なんか誰が聞いてるのか誰も聞いていないのかどうでもいい感じで、明日の日本史と今日の日本史が入れ替わっても分かる人は少ないかもしれないと思う。
 大切なのは学校という場所、それから皆といる時間。
 「ねえ」と声をかければ「なあに」と返ってくる普通さ。
 昨日のテレビの話しをしていたあの子が、急に真剣な顔でクラスの男子が遊んでいるのを見つめてしまう切なさ。
 恋と友達とそれからたくさんの遊びと、足りないぐらいの時間が待っている。

 明日天気になあれ、と靴を飛ばしたら前の男子に当たって彼は「いてぇ」と言いながら「星がよくみえるぜ」と言った。
 星を見たのはきっと靴が当たった衝撃でだろう。なんてナンセンス、ユーモアたっぷりかもね。

 また学校へ行って、また笑った。
 それって、とても楽しいことだと思う。
 
 
 ――エピソード
 
 白い朝の光を受けながら、神聖都学園高等部夏服姿の露樹・故は登校していた。回りに生徒の人影はない。開いたばかりの校門の回りにも人影はなく、故は誰もいない校内へゆっくりと足を踏み入れた。
 朝の真っ直ぐな日差しがモノクルに反射する。校舎内は静まり返っていた。
 下駄箱を開けて革靴を押し込み、上履きに履き替えて階段をのぼる。
 一日なにをするつもりで来ているわけでもないので、鞄の中身はからっぽだ。教室へ向かう廊下を素通りして、屋上へ続く少し狭くなった階段をあがっていた。屋上への扉はいつも故が開ける。故は自称マジシャンの魔術師なので、鍵を開けるのには手間取らない。何度かけても外れるように細工がしてある。
 時間になれば教師が開けてくれるだろう鍵を開けっ放しにするのが故の日課だった。
 安っぽい造りの観音開きのドアを開けて、高い分強く感じる日の光に目を上げる。空は残暑ではなく秋を映し出していて、高く澄んでいた。もう冬の気配を感じそうになる。
 欄干に寄りかかって故は広い校庭を見渡した。それから、道路にポツリポツリと現れた制服の生徒を見つけて、腕時計を見た。アナログの時計はまだ八時を回っていない。
「今日も一日がはじまりますね」
 校門の近くにいつも見る風紀委員の女の子が立った。
 そろそろ生徒が集まる時間だった。
 
 
「おはよう」
 風紀委員の神宮寺・夕日は校門に寄りかかって立っていた。まだ取締りの時間ではないので、暇なのだ。腕には風紀委員と書かれた腕章をつけている。少し伸びた髪を、彼女は後ろで無理矢理結んでいた。
「おはよう、シュライン」
 夕日が顔をあげると、いつもは単車で通学してくるシュライン・エマが徒歩で現れたところだった。シュラインは肩に下げる小ぶりな鞄を持っていて、その鞄はいっぱいだった。きっと彼女のことだから、毎日教科書とノートを持ち歩いているに違いない。みんな、学校に置きっぱなしで帰ってしまうのに。
「今日はまだ来ないの?」
「まあね、日によりけりなのよ、あいつは」
 あまりにも自然にシュラインが聞いたので、夕日もなにごともなかったかのように応じた。応じてから、はっとして我に返る。
「だ、誰が来ないって?」
「え? ええ、まあ、いいわ」
 意味ありえげな微笑をつくり、シュラインは校庭の脇を通って校舎内へ消えて行った。
 夕日はその後姿を見送りながら、さっきの会話を再生してみる。私はただ、風紀委員として、毎朝のチェックをしているだけなのだ。自分に言い聞かせて、ちょうど目の前を通った雪森・雛太を呼び止めた。
「あ、おはよう、雛太くん」
「よぉーっす」
 雛太は片手になにか大きな物を持っている。近付いて行ってみると、パンの耳だということがわかった。
「なにそれ」
「エサ。ニワトリのエサ。あと、寝太郎のエサ」
 寝太郎と学年共通で呼ばれているのは、深町・加門である。一年生でも三年生でも誰も彼の本名を知る生徒はいない……というほど、彼のこのあだ名は一人歩きをしていた。
「分けてやろうか」
 ニヤリと雛太が笑ったので、夕日はハイハイと背の小さな彼の頭を叩いた。
「いらないいらない、……あ、零ちゃん、おはよう」
「おはようございます、夕日さん」
「おー、持ってきたぞー」
 零は夕日に向かってひょこりと礼をして、雛太の元へ駆け寄った。嬉しそうにパンの耳を眺めてから、手を広げて笑う。
「こんなにいっぱい、食べ切れません」
「お前が食うわけじゃねえだろ」
 二人はそんな会話を交わしながら校庭の方へ歩いて行った。
 がっつり青春って感じよね。夕日は一年生二人の後姿を見送りながら、寝太郎となんとかああやって仲良く話すことぐらいできないかしら? と画策する。ここは一つ、雛太からパンの耳をもらっておけば……それでは完璧な餌付けになってしまうか。
 そうしている間にも登校生徒の人数はピークを迎えようとしていた。つまり、そろそろ校門を閉める時間なのだ。自転車が何台も滑り込んできて、あと三分、さすがに駆けてくる生徒が増えてきてあと二分、間に合うつもりのなかった生徒が驚きながら校門を通ってあと一分。夕日はもう一人の風紀委員と一緒に校門をぐいぐい押して閉め始める。
 もちろんその間に登校する生徒も後を断たない。
「危ないからもう入ってこないで」
 そこへ猛スピードで一人の男子が駆けてきた。彼は自分の背丈ほどある校門の上へ手をかけ、ひょいと校門を飛び越えて校門の中に着地した。
「十点満点」
 彼が寝太郎こと深町・加門である。
「十点満点じゃないわよ、なによそのぐしゃぐしゃの髪は」
 夕日は加門を見つけた早々、小言モードに入った。加門はめんどくさそうに夕日を振り返る。
「ネクタイすんならちゃんとしなさいよ。っていうか、なんであんたアスコットタイつけてるわけ? 規定のネクタイはどうしたのよ。それにボタンもちゃんとはめ……」
 その間に校門をよじ登る生徒が続出する。これも一応毎朝の日課だった。


 久良木・アゲハは校門へ走るのをストップさせて、道路と校庭を分けている塀に手をかけた。勢いよく飛んで塀の上に乗り、ピョンと中へ飛び降りる。巧くいったと思っている矢先、スカートの裾を近くの木の枝に引っかけてしまい、スカートが微妙に破けてしまった。
「あたた、やっちゃった……」
 裾の方が少し破けただけとは言い難い。破れ目を片手で持って、アゲハは下駄箱へ走る。チャイムが鳴って、下駄箱のあちこちでは最後の猛ダッシュがみられた。負けてはいられない。ローファーを靴箱に突っ込んだアゲハも、かかとを踏んだままの上履きで四階へとひた走る。赤い階段と青い階段と緑の階段があり、アゲハは校舎中央の青い階段をのぼっていた。一年C組へ辿り着くと、後ろの出入り口で雪森・雛太と草間・零が話しをしていた。
「おはよう、雪森くん、零ちゃん」
 アゲハは少しだけ息を弾ませて教室へ入った。
「アゲハさん、おはようございます」
「はよー……どうしたんだ、お前」
 雛太がアゲハの握っているスカートに気が付いて首をかしげた。アゲハは笑って右手を振り、机の脇にかけてあるジャージの袋をおもむろに取り出して、まずスパッツの上から下のジャージを穿き、ブラウスの上から上のジャージも着た。いくら夏は去ったとはいえ、まだジャージ姿は暑かったが、まさか体育着姿でいるのも気が引ける。
 そうこうしているうちに、担任の教師がやってきて雛太が隣の席についた。
「塀飛び越えたら枝に引っかけちゃった」
 雛太にスカートの破れ目を見せて言うと、雛太はすぐに
「へー」
 と言った。しばらくの沈黙の後、出席をとる教師の声をバックにアゲハはきょとんと聞き返す。
「もしかして、今のダジャレ?」
 雛太は不機嫌そうにそっぽを向いていて、答えようとしない。
 彼はたまに勢いよく滑る。まあ、ごくたまのことなのだが。
 雛太が窓の方向を向いていたので、アゲハもそちらを見ていた。外は晴れていて気持ちがよさそうだ。今日は体育の授業があったかどうか考えて時間割表をみると、残念ながらないようだった。
 こういう日に体育があればいいのに。
 思い切り体を動かすのは気持ちがいいと思う。
 
 
 一時限目、三年C組、古文。
 シオン・レ・ハイは早弁にいそしんでいた。がっつり食べてがっつり寝よう計画第三弾である。ガツガツ食べている前で、ガクラン姿のベーがしいしいとつまよう枝を使っていた。
「ベーさん、まさかもう食べ終わったんじゃ」
「シオンお前なあ、早弁つーのは授業の前にするもんだ」
 ベーは猿ヅラをにいと笑わせて、カラッポの弁当箱をシオンに見せる。シオンは自分の日の丸弁当と空の弁当箱を見比べる。きれいに空だった。それこそご飯粒一つ残っていない。
「さすがベーさんですねえ」
「因みに、人の弁当を食べるのが当たり前だ」
「ええ、自分のお弁当ではだめなのですか!」
 そこへ古文の教師が走りこんできて、血走った目でこう言った。
「だ、誰だ、先生の弁当を盗んだ奴は!」
 シオンがベーをじいと見る。ベーはからから笑っていた。
 それから何事もなかったかのように授業がはじまったので、弁当のことはうやむやになってしまった。先生のお弁当、ベーさんの腹の中にきれいに納まってしまった先生の(おそらく)愛妻弁当よ。シオンはウンウンとそんなことを思いつつ、古語辞典の端に先生のお弁当が盗まれる話第四弾のパラパラ漫画を描き込んでいた。因みに第一弾から第三弾までは今後こうご期待である。
 先生のお弁当を愛妻さん(仮名)が作り終え、先生の鞄に納まってサルがそれを盗んだところまで描くと、ベーの隣の女子が立ち上がって言った。
「先生、授業中に銃の掃除するのやめさせてください」
「先生、隣のシオンくんがウンウン唸っててうるさいんですけど」
 次いでシオンの隣の女子も立ち上がってシオンを指す。
 ついガーンとなっていると、なぜか自分の机の上に空のお弁当箱が置き去りになっていてダブルパンチ。先生がツカツカとべーとシオンの前にやってきて、先生はベーの拳銃の解体現場を見る前に、シオンの机の上の弁当箱に気が付いて
「ああ! シオン・レ・ハイお前が俺の弁当を!」
 見事に罪をなすりつけられる。
「ああ、たしかにこれは先生のお弁当箱ですが、空にしたのは私ではないのです」
「遠回しに言い訳をしても無駄だ」
 そうしている間に銃の手入れが終わったらしいベーがシオンの方を向いて、
「先生、こういう場合はこうして」
 シオンの眉間に銃口を突きつけた。頭に血が昇っていた古典の教師も、さすがにそれはまずいと思ったのか、
「そういう危険物を学校に持ってくるのは……」
 次の瞬間にベーは引き金を引いていて、銃口からはパーンと花が咲いた。
「なーんつって」
「……むっちゃっくっちゃ、びっくりしまくりました、私、今!」
 心臓がバクバクいっていて、目とか鼻とか耳とかあちらこちらから色々な物を吹き出させながら、シオンは両手を上げたまま言った。ベーはなんだか満足気に笑っている。
「驚いた? 驚いたろ」
 ベーはおもむろに銃口から花を抜いて、シオンの隣にいる女子に手渡すと、続いてまたパーンと破裂音をさせた。今度は旗が舞い、先生の眉間に旗の先っぽがくっつく。先生の眉間と銃口の間に、旗がはためく。
「なーんつって」
「ベーさん、ゲンジツテキなモンダイとして、先生にジュウコウを向けるのはナシだと思います」
「あははは、お前なんか難しいこと言うとカタカナになんのな」
 ベーはいたってマイペースに銃口から旗を引き抜いて、シオンの方を向いたまま上に銃口を向けて言った。
「仕上げに実弾」
 腹を立てた先生が銃を取り上げようと手を伸ばした瞬間に、ドーンと爆音がして実弾が天井に向けて発射された。先生の指の爪を一ミリ削り取りながら、弾丸は天井に納まっている。
「……私は関係ナイです」
「シオン、ベー……お前等、廊下に立ってろ!」
「ですから、私は関係ないんですってばぁっ」
 先生は恐怖と怒りにフルフル震えながら、背の高い男子生徒二人を問答無用で立たせ、バケツに水を汲ませて廊下へ追い出した。
 廊下に立たされた状態で、べーが一個バケツを廊下に置き、よっと額に片方のバケツを載せる。ユラユラと揺れていたバケツがぴたっと止まってベーの額の上に置かれる。
「な?」
 言われて、シオンも同じ技に挑戦することになった。同じように片方のバケツを廊下に置いて、額の上にバケツを載せ、両手を放し……。
 ガツン、バシャ! ガツンカツンカツン!
 もちろん成功する筈もなく、シオンは上からしたまでびしょ濡れになった。そのままのポーズでベーが腕組をしてからから笑っているところへ、先生が廊下へ顔を出して後ろからベーの頭を叩いた。
「こら! 遊んでるんじゃない」
 次の瞬間、やはりベーのバケツも見事に落ち、ついでに足をバケツに引っかけて廊下には四つ分のバケツの水がぶちまけられた。
「この、お前等何を考えとるんだ!」
 濡れ鼠のシオンとベーが先生を見上げる。神聖都学園三年の二人組は、特になにも考えていない方に三万点。


 休み時間、二年A組。
 一二時限目は女子は調理実習男子は体育だったので、シュライン・エマは五階から体育の授業風景を眺めていた。さっきまでエンジンがかかっていない様子だった草間・武彦と深町・加門も、一時限目が終えようとしている今、ようやくやる気になったようだ。
 陸上の授業は坦々と進んでいるようだったが、二人が同じスタートラインに立った百メートルハードルの空気は緊迫しているように見えた。
「夕日ちゃん、寝太郎くん走るわよ」
 一応神宮時・夕日を呼ぶと、イカをさばいていた彼女は手を拭かずに窓際までやってきた。
「どうせやる気がないんでしょ」
 夕日はそんなことをつぶやきながら、窓から顔を出す。
 草間と加門、どちらも体育の授業で本気で走っているところをほとんどみない。草間はスタンス的に走らないと決めているようだし、加門にいたってはただ眠いが先行しているようだ。
「でも、チョコと寝太郎くんが一緒にいるから……」
 どちらもやる気がない男だが、どちらも無駄に勝負にこだわる男だった。
 パン、と小さな破裂音がして一斉に四人の生徒が走り出した。
 最初に頭一個前に出たのは金髪の草間で、しかしその差はすぐに縮まって、加門が草間を追い抜こうとする。どちらも譲る気はないらしい。
「……あ、という間ね」
 どちらが勝ったのか遠目ではわからなかった。
「あんな真面目な顔の寝太郎はじめてみたかも」
「去年の体育祭以来かもね」
 表情までは見えなかったが、草間だって同じだ。だがどうも、体育祭の記憶が曖昧のような気がしてならない。なんだかこの神宮寺・夕日だって、こないだまで一緒にいたようなまったく関係がなかったような気がしてくる。
 この、まるで現実ではないような感覚はなんだろう。


 二時限目、二年C組、世界史。
 世界史なんてまるっきり頭に入っている授業をなんで受けてるんだろうか。冠城・琉人はぼんやりと考えていた。金髪の頭をかいて、窓の外を見ると、学校の有名人認定を受けている草間・武彦がハードル走を走っていた。隣からぐいぐい追い上げているのは、深町・加門こと寝太郎だった。
 始終寝ているので寝太郎、名付けたのはたしか自分だったような……。
 教師に当てられたので、ヴァスコ・ダ・ガマについてペラペラとしゃべったら、「もういいから座ってなさい」と言われた。若干理不尽のような気がする。
 加門は四時間目に必ず授業をふける習性がある。たまには彼の顔を見て過ごすのも悪くはないかもしれないと、ハードルを片付けはじめた加門の似合わない体育着姿にそんなことを思った。
 
 
 二時限目、一年C組、生物。
 雪森・雛太は顕微鏡をしまったあと、久良木・アゲハと連れ立って外へ出た。高校生にもなって、校庭の花壇にヘチマを植えて観察しているというのは、なんだか恥ずかしいような気がする。それなのにアゲハときたら少し嬉しそうに、観察日記を雛太にみせた。
 その観察日記のリアルな画風は、雛太を驚かせた。ノートの端っこに書いてある「屁すいません」などという意味不明な走り書きが笑いを誘う。なにが、「屁」で「すいません」なのだろう。しかし聞くにすると、ちょっと不躾な内容だったので、雛太は一人でひとしきり笑って、大人しくアゲハにノートを返した。
「なにがそんなにおかしかったんです?」
 大きな目をくるくるさせてアゲハが問う。雛太は適当に「絵が面白かった」などと言って誤魔化した。
 外に出ると日差しはまるで夏のようにするどかった。
「いいお天気ですねえ」
 アゲハが能天気に言う。
「お前、日差し平気なの?」
 彼女があまり丈夫ではないと知っている雛太が訊くと、アゲハはまるでなんともない顔で笑顔を作った。
「苦手ですけど、好きですよ」
 ゾロゾロと外へ出た一年C組は、そのまま校庭と校舎を隔てる花壇へ移動した。
「お、体育やってんじゃん」
 校庭の外周を走ることになっているのか、男子生徒が雛太達とは反対側に固まっている。生物の授業も教師が声を張り上げる。しかしほぼ全員が体育の授業を見学している状態だった。
 よーい、ドンで走り出した彼等の足並みは揃って遅かったが、例外が二人いた。いきなりエンジン全開の、草間・武彦と深町・加門である。二人を見て、ようやく二年生のクラスだとわかった。
 二人とも似合わぬ体育着姿で、猛ダッシュなのだから笑ってしまう。
 声をかけようにも雰囲気が異様すぎて、しばらく野次も飛ばさずにいた。この時間丸々外周回りらしく、さすがに三十分すると他の生徒と外周五周以上は差をつけている草間と加門も、ノロノロペースになっていた。
「このあとヘチマは、タワシにしたり……」
 教師の声を無視してヘタっている二人に声をかける。
「草間せんぱーい、寝太郎ー」
「……おー、雛っちなんだなんの授業だお前ら」
 加門がピタリと立ち止まって答える。勝負を投げたのか、草間も立ち止まって雛太の方へ歩いてきた。
「雛っちってぇ、やめろよ」
「なんだお前相変わらず小せえなあ」
 草間が雛太の頭をぐりぐり撫でる。
「その似合わねえ体育着脱いでから言え」
「うるせぇ、お互いさまだろ」
 草間は言って自分の体育着を見た。ついつられて加門も自分の体育着を見る。二人とも驚くほど似合っていない。雛太が冷笑したのを見て、加門が雛太の頭にヘッドロックをかける。真面目にかけてはいないのだろうが、痛いものは痛い。
「いててて、いててて、やめろ」
「ちくしょう、お前ばっかり楽な授業に出やがって」
「意味わかんねえし、やめろ寝太郎」
 草間はそれを満足気に眺めながら言った。
「つーか制服似合ってる時点でお前俺達の敵決定だし」
「はぁ? 言いがかりつけんなよ」
 ヘッドロックの合間に雛太が声をあげる。
「なんだそれ、草間俺の制服にもケチつけようってのか」
「似合ってるつもりだったのか、お前」
 その拍子にギュウっと力が入ったので、雛太はバタバタと暴れた。加門が慌てて手を離す。
「わりぃわりぃ」
 遠くから体育教師の怒声が聞こえる。
「やばっ、俺ふける」
 草間がめんどくさそうに投げ出して走り出したのを、加門と雛太は見送っていた。
「雪森!」
 今度は生物教師の怒気が飛ぶ。
「ヤバ、じゃあな寝太郎」
「ああ、じゃあな」
 加門は堂々と外周回りへ戻っていった。
 アゲハが観察日記を片手に寄ってくる。
「いーなあ、男の子同士で楽しそうで」
「むさっくるしーけど、仲間に入る?」
 雛太はまっ白なノートを片手にアゲハへ苦笑をしてみせた。アゲハは言葉のまま受け取って嬉しそうに笑っている。
「入る入る」
「つーか気が使えないベストみたいなメンツだけどな」
 雛太は自分で言いながら我ながら巧いことを言ったと思った。
 アゲハは聞こえていない様子で、ヘチマがなんとかして食べられないかどうか真剣に悩んでいるようだ。


 休み時間、一年A組。
 黒・冥月は若干困っている。草間・零の次の授業の日本史の予習に付き合っていたのだが、どうやら零の認識の歴史と教科書の歴史と冥月の知っている歴史とは微妙に異なるらしい。育ってきた環境が違うのだから当たり前か、とは思うのだが、歴史とはそんなに違うものだろうか。
 ともかく慣れるのが一番だ。この教科書を与えられたのだから、ここでの最優先順位は教科書の歴史が一番になる。
「日本は、負けたんでしょうか」
 目下草間・零の関心はここにある。
 こればかりは冥月も知っている。日本はたしかに負けた筈だった。
「日本は、負けたんでしょうか」
「ああ、負けたな」
「そんな」
「完膚なきまでに負けたぞ」
 零は本気でショックを受けているようで、二人の間になんとも言えない空気が立ち込めた。これ以上負けたを連呼させられるのは嫌だ。黒・冥月はそう考え、ソロリソロリと席を立った。


 休み時間、三年C組。
 シオンは二時限目に描いた傑作な落書きをベーにみせて、普通の顔でスルーされたので、ショックを受けていた。ベーがやったことと言えば、今回も化学教師の弁当を盗み食いしただけなのにだ。
「芸術的だと思うのですが」
「俺にゃわかんねえよ」
「そうですか……」
 ガーンガーンガーンと頭の中で鐘が鳴る。まさしく芸術的な落書きをかいたつもりだったのだ。
「まあ、あれだ、そうだいいこと教えてやるよ」
「なんです?」
 ベーがシオンへ顔を寄せる。シオンはぴくりっと顔を引き締めて、耳を差し出した。
「俺、つむじ押されると笑っちゃうんだ」
「ええ!」
 さっぱり意味がわからないが、恐ろしいことを聞いた気がする。聞いたあと、ついベーの後ろに回って、短髪の頭の中央につむじを発見した。ゴクリと唾を飲み込んでから、手を伸ばしてつむじを押す。
「うはははははは」
「……!」
 ほ、本当に笑った!
「ベーさん新しいおもちゃみたいです」
 ついつい連続で押してしまうと、ベーは大爆笑をした。クラスの視線が二人に集まっていた。


 休み時間、二年A組。
 似合わぬジャージ姿のまま、ベターと机に引っ付いて動こうとしない深町・加門の隣の席に、神宮寺・夕日は座っていた。
 半数の男子が体育着の姿のままだった。運動部の連中はこのまま放課後に持ち越してしまおうという考えだろう。
 夕日の片手には調理実習で作ったマフィンが握られている。マフィンはあちこちの男子生徒の頭の上を通過して、あちこちにばらまかれているようだった。
 当の夕日はと言えば、実を言うと前日も前々日も家でマフィンの猛特訓をしたほど、この日の調理実習に賭けていた。調理実習と言えば、誰かにおすそ分けができるチャンスだ。この時を逃して、隣の男子になにかをあげるチャンスがあるだろうか。
 緊張すると大きな声になる癖があるので、自分の制服の裾を引っぱって気をつけながら、なるべく小さな声で、だが相手に聞こえるように声をあげた。
「寝太郎」
 言うと、ピクリと反応した加門が眠たそうな顔で夕日を見た。
「あんた、お腹減ったでしょ、体育のあとだし」
「ああ」
「マ、マフィン、食べたかったらあげるわよ」
 加門は首をかたむけながら身体を起こして、ガリガリと頭をかいた。グシャグシャだった髪がよりいっそうかき混ぜられる。それから彼は手を差し出した。
「はい」
「サンキュー」
 加門はビニールの袋に入ったマフィンを取り出している。夕日は見ていられなくなって立ち上がった。後ろの扉からシュラインが廊下を覗いている。
「どうしたの、シュライン」
「んー、なんでもない」
「……わかった、草間くんでしょ」
 夕日はクスと笑って人差し指を立て
「待ってて、探してきてあげるわ」
「いいの、まあ、どうせきっとそのうち帰ってくるから」
 シュラインは自分の携帯を指して言った。
「切ってあるの、雲隠れしたいってわけ」
「ああ、そう」
 シュラインは教室を振り返って、加門を見てから夕日を見た。
「あげられたの?」
「へ? あれ? ああ、タマタマほら、あげる相手がいなか……」
 夕日は引きつって笑ったが、シュラインが思った以上に大人の微笑を浮かべていたので、すぐに下を向いてしまった。
「ジュース買いに行こうか」
 おそらく教室に居づらいであろう夕日の気持ちを察して、シュラインは言った。
 
 
 三時限目、一年C組、数学。
 数学の授業中、雛太は爆睡していた。隣のアゲハがハラハラするほどの寝っぷりだった。あまりにも堂々と寝ていたので、つんつんと腕でつついただけでは起きない。先生は雛太を見ている。アゲハはあちゃあと頭を抱えた。
「三番、雪森やってみせろ」
「二十六.四二三です」
 寝ぼけ眼で立ち上がり、雛太はどんぴしゃで答えを言って、再び眠りへと落ちて行った。
 アゲハがまたもあちゃあと頭を抱えた。先生はがっつり雛太を睨んで怒っていた。
 
 
 三時限目、屋上。
 露樹・故は屋上から体育の様子を眺めていた。さっきまで、威勢のいい二年生が猛ダッシュで競争しているのがおかしかったし、今度の一年生の……たぶんA組の黒髪の女の子――名前は、草間・零だ――は、斜め懸垂をする為に鉄棒にぶら下がって、鉄棒を曲げてしまっている。彼女はどういった力の持ち主なのだろう。魔術でもなければ、鉄棒を曲げるなんて考えられない。
 故がクスクス笑っていると、一人の少女が屋上へ現れた。彼女は瞬時に金網を通り越して、金網の外に腰を下ろした。
 故は不可思議なものを見たような気がして、じっと彼女を見ていた。
 
 
 黒・冥月はぼんやりと空を眺めていた。学校へは通いなれている筈なのに、どうもそうでない気がしてならない。自分は今までそんな生活をしてきたんだろうかと考えてしまう。
 屋上には先客が一人いたが、その一人は気ままに屋上生活を楽しんでいるだけらしく、彼女に近付いてはこなかった。冥月は生徒とその影に埋め尽くされている校庭を見ながら、一つ溜め息をついた。
「よぉ、サボりか」
 金網越しに声をかけられて振り返ると、そこには草間・武彦が立っていた。きょろりと辺りを見回して、奥にいる男子生徒を見て
「あいついつもいるんだぜ、どうやって単位とってんだろ」
 一人で言って一人で笑った。
「お前もか」
 冥月は金網に背をもたれさせたまま言った。
「なにが」
「サボりだ、サボり」
「ああ、お前今が昼休みだって思ってるわけじゃねえだろ」
 草間はカラカラ笑って、屋上にある花壇の淵に腰をかけた。冥月は少しだけ振り返って、草間を窺い見る。
「能天気なもんだな、ココは」
 彼女が口を滑らせると、草間はいっそう可笑しそうに笑った。
「お前ばっかり能天気じゃねえみたいだな」
「うるさい」
「つーか深刻そうな顔をしてんのはお前だけじゃねえって」
 草間はくわえているシガレットチョコをビリビリ破いて、口に放り込んだ。彼は特に何も思っていないらしく、すぐにコンクリートの上に腰を下ろし花壇に背をもたれさせて上を向いた。
「つっかれたー、眠てぇ」
 いかにも能天気に草間は言って目を閉じた。しばらくの沈黙のあと、冥月が草間を振り返って声をかける。
「寝たのか?」
「……なんだよ」
「いや、お前ココが好きか」
 安直に訊き返すと、草間が一応頭をあげた。彼はぼんやりと耳を小指でかいていたが、首をかたむけて答えた。
「好き嫌いで通う場所か? そもそも学校って」
「じゃあ質問を変えよう。ここは居心地がいいか?」
「ますますわかんねえよ」
 草間が苦笑いをする。少しくすぐったそうなその表情は、あまり学校を嫌ってそうには見えない。
「呑気すぎないか? なんだか」
「そうかあ? 学校が呑気でなきゃどこが呑気でいいんだ? ドリフのコントか」
「……言ってる意味がわからない」
「お前こそわからねえよ」
 草間がにべもなく切って捨てる。そう言われると、そのような気がしてくるから不思議だ。
「学校の勉強はわかる。座学は嫌というほどやったことがあるんだ。例えば……相対性理論を一から説明できるし、内臓や神経の位置は全て把握してる。十カ国語は話せるし、スポーツも大抵こなせる。大陸の歴史を全て言えるし、第九さえ唄える」
 草間は可笑しそうに笑ってあぐらをかいた。
「へえ、それで?」
 いかにもだからなんだと言う視線を冥月に送っている。
「私は――別人格になる為の教育は受けてきたが、こういった学校生活には馴染んでこなかったような気がしてな」
「じゃあ、馴染まなけりゃいいじゃん」
 草間はバカバカしいとばかりに手を振った。
「お前何考えてんだ? どこへ行ったってお前はお前だろ。別人格ってなんだよ、よくわかんねえ。つーかそんなに凄い奴なら学校くんなよ」
 彼は手持ち無沙汰にくしゃりと髪をかき回した。
 冥月は困ってしまって、正直に白状した。
「私は暗殺者だった。だから、別人格が必要だったし、それに倣ってきた」
「うちの学校も大概変なのが多いからなあ」
 本気で捉えているのかいないのか、わからない口調で草間が言う。冥月は一瞬で草間の隣に並んでみせた。草間はそれこそ呑気に、少しびっくりしたような顔で冥月を見ていた。
「なに思いつめてんだ? 学校生活ぐらいで」
 草間が笑うと、いつの間に時間が経っていたのかチャイムが鳴った。
 

 休み時間、廊下。
 暗い顔をしている冥月の片腕を引っぱって校舎内へ戻った草間は、彼女をどこか賑やかなところに放り出してやろうと歩いていた。場所は四階の渡り廊下だった。すると前から夕日が歩いてきた。両手いっぱいに教材らしき物を抱えて、よろよろと歩いている。普通に重たそうな物だけならば手を出す気にはならないのだが、夕日は背丈ほどある筒状の物を持っていた。
 仕方なく手を出したところへ、ちょうど深町・加門がきょろきょろと辺りを見回して、草間と夕日の方へ寄ってきた。
「なにやってんだ、寝太郎」
「俺? 俺はさ化学の課題取りに来た」
 加門はヒラヒラとプリントを振ってみせた。加門はやがて夕日に並んで、ひょいと筒を彼女から取り上げた。それから手に持っている大きな紙の束を受け取る。
「なにこれ」
 加門が訊くと、夕日が彼を見ずに答えた。
「世界史の資料、先生が部活の顧問で頼まれたから……」
 夕日の声は尻すぼみに小さくなっていく。
「ほいで、お前らなにしてんの」
「なにって、なんだろ。わかんねえ」
「なんじゃそら」
 夕日が気が付いたように草間に声をかける。
「あ、さっきシュライン探してたわよ」
「あー、マジ? わかった」
 それから黒・冥月へ困った笑顔で話しかける。
「黒さん、草間くんにたかられた? 平気?」
「誰が一年にたかるか!」
「さっきだって、雛太くんいじめてたじゃない」
 草間は地団駄を踏むように片足を床に打ちつけてから、口を尖らせて抗議した。
「さっきやってたのは寝太郎だ」
「なに言ってんだ、言いがかりはよせ」
 加門が教材を持って歩き出す。夕日もそれに続いたので、草間は二人に構わず歩き出した。渡り廊下から見える非常階段の踊り場の、「いつもの場所」を四階から見下ろすと、そこにシュラインが単語帳を手に座っていたので、草間は彼女に向かって言った。
「次の時間は出る」
「ラジャ、ホントに出なさいよ」
 シュラインは草間の方をチラリと見て、少しだけ微笑んだ。
 
 
 休み時間、飼育小屋。
 ジャージ姿の草間・零と、半袖シャツにネクタイをたらしている雪森・雛太は飼育小屋の前に座り込んでいた。
 金網の隙間からパンの耳を差し込むと、ニワトリがコッコッコッコと寄ってきてそれを突く。
「よっしゃ、大好物じゃん!」
 雛太が小さくガッツポーズをした。零は任されたパンの耳を持って、目をぱちくりさせていた。
「さー、お前もやってみろ」
「私も食べてみていいですか」
「え、ニワトリを?」
 零はきょとんとして雛太を見る。短い間を挟んで、零はフルフルと頭を横に振った。
「えーと、まずはこのパンの耳を……」
「いや、まずって!」
 雛太は零を手招きして呼び寄せて、頭をポンポンと叩いてから、一本パンの耳を取って食べてみせた。零はじいっと雛太の口許を見つめている。雛太がパンの耳を渡すと、コクリとうなずいて彼女はパンの耳を食べた。
「まずくはない」
「おいしくもないです」
「……ともかく、これはニワトリにやるんだ」
 二人は顔を見合わせてうなずいた。
 そこへ草間・武彦と黒・冥月がやってくる。
「うお、草間先輩。つーか、なんでそのコンビ」
「うるせぇ、お前こそ人の妹捕まえて何もしてねえだろうな」
「何も!?」
 ガタンとニワトリの小屋に雛太が激突する。草間は怪しいと顎に手を当ててから、
「まー、人間じゃどうにもできねえかこいつじゃ」
 元も子もないことを言った。

 下駄箱へ戻ると、そこには次が体育らしいシオンがジャージ姿で立っていた。
「草間さーん」
「お、シオン」
 シオンの前にも背の高い男がいる。シオンと同じクラスのベーだ。彼は何故か片手に春雨スープを持っていた。
「次は苦手な体育です」
「見りゃわかる」
「がんばります」
「行くぞ、シオン」
 両手で握りこぶしを作ったシオンを下駄箱を抜けたベーが呼んだ。慌ててシオンはベーの方へ駆けて行く。
 草間は冥月を振り返って言った。
「な?」
「……なにが、「な?」なんだ、なにが」
「いいんじゃねえか、前がどんなでも。今笑えてりゃあ上等さ」
 草間がヘラリと笑う。聞き慣れない文句に、冥月が反応して草間を殴り飛ばした。
 そこへ零がタッとやってきた。零は冥月に突進してきて、彼女にぶつかった。それからワタワタと謝る。
「すいません、急いでました」
「どうしたんだ、零」
 冥月が訊くと、零は顔をあげてほっとした表情になった。
「冥月さん、一緒に四階へ帰ろうと思いました」
 すると冥月も温和な顔になり、二人は下駄箱で揃って靴を脱いで中へ入って行った。
 
 
 四時限目、三年C組、体育。
 ベーの持参した春雨スープは、さすがに授業中はなぜか校庭のど真ん中に置かれていた。外周十周を言い渡された三年C組男子は、ヒィヒィ言いながらそれをこなしている。シオンもへばっている組だった。だが、ベーは違った。まるで十周など屁でもないような顔をして、ほぼ全速力でそれを走り切ってしまい、彼は悠々自適な顔で校庭の真ん中ですぐに春雨スープを食べはじめた。
 シオン・レ・ハイは外周の途中にある校長の像に登ってナチュラルにヒゲと鼻の穴を黒く塗ってから、外周回りに戻った。そしてようやくその苦難を乗り越え、シオンはとっくに終わっているベーの頭を叩く。
「うははははは」
「あ」
 終わったというだけで、つむじを叩いて笑わせるつもりがなかったシオンがベーの顔を見ると、ベーは鼻から春雨スープを出していた。
 女子がベーを指差して先生に言う。
「先生、授業中にベーくんが春雨スープ鼻から出してます」
 体育教師が顔をしかめてベーの元へやってくる。
「なんだベー、さっさと拭け」
「いや、紙がないっす」
「……しょうがないな、誰か保健室へ連れてってやれ」
 そういうわけでシオンがベーを保健室まで連れて行くことになった。途中のトイレでベーは鼻をかみ、一応春雨は鼻から取り除かれた。
「春雨スープが鼻から出たので休ませてください」
 ちょうどいいので休んでいこうと思ったらしいベーが言うと、シオンが「帰れと言われるだろう、オバカさんめ」と思っているのと裏腹に、保健の先生はこう言った。
「それは大変ね、一時間寝て行きなさい」
 ベーが笑ってピースをする。
 シオンはそれぐらいで一時間眠れるなら、今度春雨スープを鼻から出してみようと決意するのであった。


 四時限目、一年C組、現国。
 再び雪森・雛太は爆睡中だった。アゲハは困った顔で彼の顔をみることしかできない。
 あまりの寝具合に、先生方も無視はできないらしく、必ず雛太の名前が呼ばれることになっていた。
「雪森、どうしてだかわかるか」
「だいたいなあ、あんたの好きな本のプリント回されて、それにそって授業やらされる俺達って案外こーなんつーか、使われてるつーの? 誰が好んで教科書以外の題材をやらなくちゃならねえんだよ。個人的な思考もここまでくれば立派つーか、身勝手つーか大体こんなくだらねえ授業出てられねえよ」
 立ち上がった雛太は半分寝ぼけ眼でそう言った。
 好きな本のプリントを配っていた国語教師は赤い顔をしている。雛太は目をしょぼしょぼさせながら座ろうとしたが、教師がそれを許さなかった。
「お前は廊下に立ってろ」
 雛太はポカンと我に返って、アゲハに
「今俺なんか言った?」
 と訊ねた。アゲハは苦笑すらできず、困ってしまって固まってしまっていた。
 
 
 四時限目、屋上。
 露樹・故は非常に愉快に体育の授業を観察していた。面々からすると、自分のクラスの体育の授業である。相変わらず早いのがラジオ体操同好会でアチコチの部活にヘルプをかけられまくっている運動神経だけの塊、ベーだった。彼は春雨スープを持って登場し、走り終わったあとそれを食べようとしているところ、思いっきりつむじを叩かれて笑い出し、鼻から春雨を出してしまったようだった。
 鼻から春雨って、出るものなのか。
 故はくだらないことに大笑いをしていた。
 
 
 深町・加門は屋上の目立つところで寝っ転がっていた。風が冷たくて心地よい、午後の屋上だった。今日は午前中に体育があったので、いつも以上に眠たいような気がする。あれしきの運動でひいひい言う加門ではないのだが……。
 それでもともかく眠たくて陽だまりで眠りに落ちていると、屋上へ上がってくる影があった。ふいに目をあげると、そこには冠城・琉人が立っていた。琉人は知った顔である。加門はよっこらせと身体をもたげ、琉人へ向かって片手を振ってみせた。
 すると琉人は片方の手に持っていたペットボトルを加門へ投げた。加門はそれを受け取る。ペットボトルはどうやらお茶らしい。
「お一つ、いかがですか」
 琉人がふっと口許を笑わせる。加門も口許だけニヤリと笑って、彼はペットボトルの蓋を開けた。
「いやあ、空が高いですね、秋だなあ」
「学園祭も近いことだしな」
 爽やかな風が吹いて、琉人の金髪の髪をさらっていく。加門はぐしゃりと頭をかいてから、ペットボトルのお茶を飲んだ。
「いい季節になったものです」
「まったくだ」
 琉人はおもいきり空を見上げてそっくり返った。空は本当に青く澄んでいて、白い雲に眩しさはない。夏が終わり、新しい季節がきたのだと実感する。とても居心地のいい秋の季節は、同時に少し寂しくさせるが、この平和な学校生活ではそんなものほんのちょっとでしかない。
「このままの日々が続くとよいですね」
「このままきっと冬だよ」
 座って笑っている加門の横顔を琉人が見る。加門はくすぐったそうに笑ってから
「なんだ、違うってのか?」
 そう訊いた。琉人は複雑そうな顔をして
「そうだとよいのですが」
 と皮肉っぽい笑みを浮かべた。加門が「なんじゃそら」と言ってカラカラ笑う。
「しかし授業に面白みがないですよ」
「俺授業中起きてねえからわかんねえ」
「……加門さんあなた、いつ起きてるんです?」
「昼飯時?」
 二人はそんな話題に笑って、平和そのものの学園生活を楽しんでいるようだった。
 
 
 昼休み 一年C組。
 草間・武彦とシュライン・エマはA組へ行く前にC組のクラスの前を通り、立たされている雛太を発見した。
「やだ、またやったの?」
 シュラインが呆れて言うと、雛太は半分寝ている顔をなんとか現世に引き戻して
「またやった」
 正直に白状した。
「呆れた」
「先輩、零になんか用?」
「ああ、弁当が……」
「ああ、弁当なら俺が食べるから、あんた購買のメロンパンでも食ってなよ」
 一時の沈黙。それから草間が雛太の胸倉を掴んでガクガク揺さぶる。
「今なんつった」
 雛太は一応黙秘権を行使している。
「いーまーなんていったんでーしょうー」
「チョコ、いいじゃない、人の恋路を邪魔する奴は馬になんとやらって言うでしょ。いいわよ、お弁当ぐらい分けてあげるし、食堂行きましょ」
 しかし草間は怒り足りない様子で、シュラインに片耳を引っぱられながら、雛太を指差して
「てめぇ、覚えてろよ」
 そう言いながら去って行った。
 
 雛太は安堵してA組へ行き、零に弁当の旨を伝えて彼女と共に屋上で弁当を食べることになった。……はいいが、なぜか冥月が一緒に食べることになった。さっきのシュラインの台詞を聞かせてやりたい心境だ。
 屋上には加門がゴロゴロしていて、隣に冠城・琉人がいた。二人は雛太にまったく気付く様子はなく、ポツリポツリと何か言っては、少し笑ったりしていた。
「弁当弁当、いただきまーす」
「いただきます」
 雛太は色とりどりの弁当に口をつける。いきなり取ったベーコンのアスパラ巻きがクリティカルヒット。これはおいしい。こりゃあなんとか、毎日あの兄貴にはメロンパン生活を送ってもらうしか手はねえな、と考えているところへ、後ろから加門に襲われた。
「タコさんウインナーゲット」
「ああー、てめ、寝太郎なにしやがる」
「ほいしかった(おいしかった)、じゃあな」
 加門は琉人を引き連れて屋上から去って行った。
「弁当うめぇ、これ零一人で作ってるのか」
「はい」
「すげぇ、感動、カッコイイー」
「今度雛太さんの分も作ってきますね」
 小脇で小さくガッツポーズ。しかし次の瞬間になんとなく目の前が暗転した。
「冥月さんの分も作りましょうか」
「私は自分で作れるから安心しろ」
 うーん、別に誰にでも作ってあげちゃうのね、零の場合。と雛太はなんとなく切なくなった。
 突然三人の後ろから箸がにょきっと出る。雛太は驚いてお弁当を死守した。するとお箸は零の弁当箱へ向かい、彼女の弁当の中からシュウマイをゲットする。
「誰だ!」
「誰だと言われたら名乗らないわけがない、怪盗! シオン参上!」
「……シオン先輩……なにやってるんっすか」
「お願いプリーズ、お弁当分けてください作戦です」
 仕方がなさそうに冥月が煮物を差し出すと、シオンは嬉しそうに椎茸とニンジンを食べて、次の現場へと去って行った。


 昼休み、いつもの場所。
 シュラインと草間は購買部へ寄ったあと、いつもの場所である非常階段の踊り場に座っていた。一方はパンをくわえていて、一方はお弁当を広げている。それから傍らに置いたバックの中から、今日出た課題のプリントを渡された。
「これ、どうしろつうの」
「やって提出するの。こっちは私のプリント」
 シュラインの答えの書かれたプリントを受け取る。午後の授業中に写してしまえばいいか、と考える。
「それでねぇ」
 シュラインは手帳を取り出してパラパラとめくり、
「やばいのは家庭科と美術かも。朝二時間の家庭科と美術がダントツで出席日数が少ないわ」
「ほうほう」
 言われた通り草間はメロンパンを食べている。
 草間はシュラインの細かいメモを見て、すぐに見るのをやめた。細かすぎてわけが分からなかったのだ。それからシュラインのお弁当に手を伸ばして、唐揚げを一つ口に放り込む。
「だから月曜と金曜は絶対朝からサボらないでよ」
「りょーかい」
「全然わかったように聞こえないわよ」
 もうっとシュラインは草間の耳を引っぱる。草間はイタタタとその手を押さえて
「わかったって、わかったから」
 そう言ってメロンパンを齧った。
 その後ろからガバッといきなりシオンが登場する。
「お弁当がある限り、私は永遠に不滅です!」
「……びっくりした。お弁当またなくなっちゃったの?」
 シュラインが自分の弁当箱を差し出すと、シオンはありがたそうに拝んでからごぼう巻きを一本失敬して、口の中へ放り込んだ。
「おいしいー! では私は次の任務がありますので!」
 シュタタタタ、とシオンは階段をのぼって去って行った。
「何曜日だったか覚えてる?」
「えーと火曜と金曜」
「月曜と金曜よ。一番気の抜けてる両日ね」
 二人はそれから、チュルチュルとパックのコーヒー牛乳を飲んだ。
 
 
 昼休み、二年A組。
 アゲハと零と冥月がポンポンとバレーボールをはじめたので、人が徐々に集まって、円陣を組んで女子はトスをあげあっていた。
 日差しはまだ強い。気持ちのよい風が時折通り過ぎていく。
 加門は四つのパンを食べても尚腹がすいているような気がしていたので、この際もう寝てしまうことにした。窓を開けっ放しにするとクラスメイトが怒るのだが、こんなにいい風なのだから許されるだろうと窓を開けたまま、机の上でコックリコックリと転寝をする。

 夕日は加門の隣の席から動くことができず、困りきっていた。バレーボールに混じりたいような、それでもこの席にいていつも通りの寝太郎の寝顔を眺めていたいような……。この際だから、もう今日はずっと眺めていることにしようとか、そんなことを考える。
 そのうち昼休みはすぐに終わってしまい、午後の授業が始まった。
 
 
 五時限目、三年C組。
 シオンとベーは相変わらずの調子で廊下に立たされている。二人とも疲れていたのか、目を開けたままバケツを持って眠っていた。これ幸いと、クラスメイトが廊下に来てはいたずら書きをし、廊下に来てはいたずら書きをし……というわけで、五時限目が終わる頃には、二人の姿は泥棒さんも真っ青なほど、驚きの顔になっていた。
 ベーの眉毛は繋がって目の回りが黒くパンダになっていた上、両頬に三本のヒゲが書かれていたし、シオンの口の周りは丸く囲まれてつい目を閉じてしまったまぶたには、新たなキラキラのつぶらな瞳が書き込まれていた。
 もちろん、油性マジックでである。
 
 
 放課後、あちこちで。
 帰宅部の深町が空手の胴衣を着て歩いている。それを見つけた雛太が珍しそうに口笛を吹いた。
「なんだ、雛っちか」
「だからその呼び方やめろよ」
「お前も仮にも先輩が相手なんだから、タメ口やめろ」
 加門はふわぁと欠伸をした。
 雛太の隣には草間がいる。草間も眠たそうな顔をしていた。
「これからゲーセン行くんだけど」
「ゲーセンって、あれだろ、細々したボタン押すやつだろ」
「……なんだよそれ」
「俺パス、全身使えるような運動じゃねえと頭が腐る」
 加門が言うと、草間はゲラゲラと笑った。
「要するに体力バカつーことだ」
「お前よりマシだ、この金髪バカ」
「なんだと、てめ、一度サシでケリつけようとこっちも踏んでたんだよ」
 この二人はいつもこんな感じなので、雛太もあまり心配ではない。二人がやり合ってどっちかが勝つところなど想像もできないし、おそらくそうなることもないだろう。別にお互いに興味なんかないのだ。
 そこへ草間の携帯電話が鳴った。
「おお、お前も帰る? 単車は。今日は歩きか、じゃあ、お前もゲーセン寄ってく?」
 草間が電話を切った。
「エマが図書館寄ってから来るって」
「あーあ、じゃあ俺先帰るわ、シーユー」
 雛太が人の恋路を……の件を思い出して制服姿で歩き出した。同じタイミングで加門が道場へ歩き出す。
「俺、助っ人頼まれてっから」
「えー、ゲーセンは?」
「二人で行って来い」
 冷たく言い放たれて、少し寂しそうに草間は立ち尽くしていた。
 
 
 放課後、図書館。
 たしかに論文や批評、特に言葉に関するものは大好きだけれど、やはりシュラインは物語りも好きだ。全てのことが織り交ぜられている丁寧な縫い物みたいな物語は、いつも彼女の胸を熱くさせるし、とても心地のよい瞬間を作ってくれる。
 中学時代はもっぱら海外文学を読んでいた彼女だったけれど、最近は丁寧な日本語で書かれた素敵な本を愛している。そんな彼女にとって図書館は理想の場所だったし、とても素敵な場所だった。
 なんでもわかるというほどの本の量はないけれど、シュラインは卒業するまでのここいっぱいの本を読破することができるだろうか。できたら、物語以外の多くの言葉に関する文献や、科学や数学に関する本なども読んでみたい。そこに文字があれば可能性は開ける一方で、狭まることはないのだ。
 シュラインは迷いに迷って三冊の本を選び、カウンターの史書さんに本とカードを手渡して手続きをした。


 放課後、校庭より反れて。
 神宮寺夕日は体育着に着替えて校庭にいる。……が、道場に深町・加門が入ったのを聞きつけて、道場を覗いていた。加門の型はしっかりと安定しているものだったから、見ている側としては安心して見ていられる。空手部でもない加門が練習に入ることは少ない。空手部は今年の一年が不作で、団体戦には結局今年も加門を突っ込む気でいるらしい。
 それにしても、惚れ惚れするような動きだ。
 覗き見る小数の女子生徒に混じって眺めながら、夕日はつくづくそう思った。
 それから他の女子生徒が誰目当てで見ているのか気になって、訊いてみようと思った瞬間に後ろからどやされた。
「おい、神宮寺! やる気がないのか!」
「はいっ」
 夕日は顧問の声に慌てて校庭へ引き返した。
 空手部を見ている女子生徒が羨ましい。
 
 
 放課後、家庭科部、調理室。
 調理室では、シオンが謎の形のクッキーを焼いていた。部員も真剣な表情で、クッキー作りにいそしんでいる。シオン以外男子のいない部だった。誰もが翌日の男子にあげるわよ大作戦中である。それなので、割りといい男のシオンにも関わらず、家庭科部の彼女達はシオンが眼中にない。その理由は、あまりの天然ボケだからといったところだろうか。
 数時間後にシオンのウサギシャンやハートのクッキーは焼き終わり、コーティングセットでクッキーをビニールにしまったシオンは、あちらやこちらのよくお世話になりっぱなしな方々の机の中にクッキーを蒔いて歩いた。
 そのクッキーを食べた者は少ないだろう。なにせ、出所不明のクッキーなのだから。
 その合間に、隣の家庭科資料室で、シオンは怪盗トリッキーズの新作衣装をオーダーメイド(要は自分で作っていた)していた。……できはまずまず。ベーさんやダウトさんに見せてみようと彼は思っていた。


 放課後、一年C組。
 アゲハは転寝をしてしまっていたので、気が付いたときにはクラスに誰もいなかった。
 びっくりして飛び起きると、外はもう西日に差し掛かっている。お昼に外ではしゃいで遊びすぎたせいだ、と反省しながら、アゲハは破れたスカートの入ったジャージ袋を持って、慌てて青階段をおりた。玄関まで行くと、練習を終えた神宮寺・夕日と会った。
「あれ? 今日は遅いわね」
「寝過ごしちゃいました、おつかれさまです」
「うん、おつかれ。また明日ね、アゲハちゃん」
 下駄箱のローファーに足を通し、玄関前で背伸びをしていると、今度は空手の胴衣姿の加門がさっぱりした顔でやってきた。
「よお、今帰りか」
「はい」
「またな」
 アゲハはニッコリと笑って
「また明日です」
 そう言って駆け出した。
 

 放課後、屋上。
 最後の生徒が帰るのを、露樹・故はぼんやりと眺めていた。外の空気はしっとりと湿っていて、夜気を含んでいる。青い空気はとても清潔そうだった。
 故は一日にあった様々なできごとを頭に描きながら、階段をカツリカツリと音を立ててくだった。四階と三階と二階で立ち止まり、なんとなく教室のある廊下を眺めてみる。昼間の喧騒が予想でき、故はクスリと笑った。
「今日も一日終わりましたねえ」
 また階段をおりて一階までくると、彼はしまった革靴と上履きを取り替えて履き替え、玄関口を開けて外へ出た。もう閉まっている校門を軽く飛び越えて、月を見上げる。月光がモノクルに反射した。
 明日もまた一日がやってくる。
 
 
 ――end
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女子/2−A】
【0604/露樹・故 (つゆき・ゆえ)/男子/3−C】
【2209/冠城・琉人(かぶらぎ・りゅうと)/男子/2−C】
【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男子/1−C】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンフェ)/女子/1−A】
【3356/シオン・レ・ハイ/男子/3−C】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女子/2−A】
【3806/久良木・アゲハ(くらき・あげは)女子/1−C】

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■         ライター通信          ■
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「また笑った」にご参加くださいまして、ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
今回は日常系ということで、ぬるいドタバタあり色恋あり、と盛りだくさんにお送りしました。プレイングは(おそらく)全て遂行できていると思います。
少しでもお気に召せば幸いです。
またお会いできることを祈っております。

文ふやか