コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬

 眠る為の街ではないせいか、深夜にも関わらず街灯は煌々とした輝きを惜しむ事なく、無人の街路を照らしていた。
 深夜のオフィス街で人の存在を示すのはビル群にぽつぽつと灯った窓の灯りのみ、この刻であれば終電を逃した人間か、自家用車で通勤をしている者だろうが、どちらにせよご苦労な話である。
 そして多分に彼等が街路を通る可能性はないだろう。
 それでも街が道の灯を逸せずに居るのは、在るべきでない人の姿を暴くのを目的としてか……そうであればその目的を充分に果たしていると言えた。
 街灯が歩道に作る光の領域、昼のそれには程遠く白い光が円を連ねた重なりに影を薄めた人の姿を捉えていた。
「……現在地? それが解らないから連絡しているんだよ」
穏やかに、そして身勝手なまでの明確さに、電話の向こうがしばし沈黙した。
 それに苛立つ風はなく、久我義雅は沈黙を楽しむ風情で微笑みに次の反応を待つ。
 耳元の無音は詰めた息。不満を呑み込む為の一呼吸は、お小言を食らわすにも眼前でなければ意味がないを察してである…最も、目の前にしてみた所で効果の半分も期待できはしまいが。
 それを十二分過ぎる程に理解してか、けれども押さえた声音に若さを滲ませて、携帯で現在地を確認するよう指示が下される。
「そんな事もできるんだねぇ」
携帯各社が相争うに、結果、目覚ましいまでの機能の躍進に、義雅は感心の声でモードを切り替えた…通話中にも関わらず。
「おや?」
当然の摂理で途切れたホットラインに、義雅が首を傾げた束の間。
 車道を介して向こう側の歩道の街路樹を乗り越え、電柱の一本に轟音けたたましく車が突っ込んだ。
「おやおや」
軽く眉を上げ、あっさりとした感嘆詞に心情を表現すると、義雅はじっと手の中の携帯を見下ろした。
 果たして、携帯で119番通報は可能だったろうか。その場合の市外局番の有無が判ぜられず、義雅は再び先の通話先を呼び出そうと…正確には自らも不明な現在地へ救急車、パトカーを手配させようという無茶を相手に強いようとしたが、先も義雅にかけ直そうとしてか、通話中である。
 義雅の思惑が不発に終ったは、先には僥倖以外の何でもなかったろう。
 携帯に気を取られていた間の事故で、明確に目撃した訳ではないが、丈夫さに定評のある外車のバンパーが支柱にめり込む衝撃は然る可きである。
 乗員の安否を気遣いと怖いモノ見たさ、心情の比重の傾きはこの際に脇へ除けて置くとして、義雅は慌てる様子は微塵もなく、気のない横目でなり現状を把握しようと視線を動かしてもう一度、感歎の声を発した。
「おや」
ひしゃげた車両の下からごそごそと、這い出す人影に目を止める。
 顔に乗った真円のサングラスも、黒革のコートも以前出会った時の見覚えそのまま、違いといえるのは、コートの質感が街灯の光に照り映えて夜目に一層暗い事か。
 既知である青年…名をピュン・フーと知る彼との思いも寄らぬ再会であったが、義雅は声をかける事はせずに見守る事しばし。
 義雅の注視の内にあるを知らずしてか、相手は肘だけで器用に狭い隙間から上体を出すと、地面についた両手を突っ張って一息に身体を引き抜こうとしたが、何かクンと引く動きにそれ以上の行動を阻まれて止まる。
「アレ?」
身体を左右に捻ってどうにか、進行を阻む原因を確かめようとするが適わず、ぺしゃりとコンクリートに懐く様は何処かコミカルで失笑を誘う。
 ふて腐れてついた頬杖で思案のリズムに指を打つ、そこでようやく足を進めた義雅はその表情を見下ろす位置に立った。
「やぁ、ピュン・フー。元気なようだね」
「アレ、義雅じゃん。何してんのこんなトコで。今幸せ?」
交通事故の現場で、目撃者と当事者が交わすにしては呑気な挨拶の応酬である。
「日々の楽しみが多い事は確かだね」
言って義雅は懐から紙片を取り出し、ピュン・フーに差し出した。
「新しい名刺が出来たよ」
路面についた肘で上体を支え、長さ一杯に片腕を伸ばしてピュン・フーは名刺を受け取り、しげしげと眺める。
「新しいって。前貰ったのと変わってねーじゃん」
ちょいと指でサングラスをずらして、赤い瞳を見せながらの異論に、義雅はその瞳を覗き込むようにしてにこりと笑った。
「ホームページを作ってね。是がそこのURL」
「マジ!? ……ってブログじゃん」
記載されたURLからのピュン・フーの判じに、義雅は首を傾げた。
「おや、おかしいな。甲斐にはサイトを構築するように言ったんだけれど」
義雅も名刺を眺めるが、URLを見ても自分では判断がつかないらしい。
「ホームページじゃなかったのか……よく言っておかないといけないね。作り直すように指示するよ」
そしてサイトとブログの区別のついてない義雅に、ピュン・フーはヒラヒラと名刺を振って見せた。
「どっちがどっちでも大して変わりねーよ。ブログのが手軽で楽じゃん? それとも義雅がどうしてもFTPでのデータ転送がしてえとか、やり出すと止まんねー魔性のスクリプトを弄りたいとかってなら止めねぇけどな」
「……もう一度言って貰えるかな?」
理解に難な専門用語、けれど嗜みのある者にとっては初歩中の初歩である単語に再度の発言を求められてピュン・フーは軽く口をへの字に曲げた。
「義雅、悪いこた言わねーからブログにしとけ。携帯で記事も写真もアップ出来て便利でいーじゃん、な?」
息子よりも下の年齢の青年に言い含めるような諭しに、義雅は何処か楽しげな解意を示す。
「君がそう言うなら……そういえば君との写真を載せたんだ。よければ見てくれるかな」
つけ足しの如く言われた言葉に、ピュン・フーは今度は明確に口をへの字に曲げた。
「個人で楽しむ目的以外に使わないでくれよなー。使うなら組織通して貰わなきゃだし、面倒なんだよ」
「事務所ではないのかな?」
業界筋のような発言に義雅が確認の問いを向ければ、ピュン・フーは「そ」と短い返答に肘で身体を支えたまま器用に肩を竦めて見せた。
「組織。聞いた事ねぇ? 『虚無の境界』っての」
所属を明かしてピュン・フーは悪戯っ子の表情で義雅を見上げた。
「虚無の境界……?」
「動くな裏切り者!」
義雅の独言に被さる形で発せられた声は、電柱にめり込んだままの車から出て来た人物からだ。
 ピュン・フーに倣うかの如く見事なまでの黒尽くめの男は、多少よろめきながら、手にした銃口を地面に、ピュン・フーに向けた。
「因みに活動の内容は……」
「黙れテロリスト!」
銃口の存在に全く動じず、ピュン・フーの義雅への説明を黒服の男が遮るが、結果、それは最も端的な説明を果たしていた。


 銃の重みを持った金属質の輝きが、緊迫した空気で周囲を支配する。
 深夜の交通事故現場で偶然知人に出会したはいいものの、知人はテロリスト、そして武力を盾に行動の制限を求める黒尽くめの男の出現に、治安国家の名の返上を余儀なくされるような事態の畳み掛けに、義雅はしばし保っていた沈黙を破った。
「……で」
だが、義雅の声はさしたる動揺も見せずに落ち着いた物だった。
「君はいつまでそうしているのかな?」
「コートがどっか引っかかったみてえで、取れねんだよ」
憮然と頬杖をついてのピュン・フーの返答に、義雅はおやおやと呟いて眉を上げた。
「諦めたらどうだい? コートにかまけて命を落としたら元も子もないだろう」
一応、険しき事態である認識はあるらしい義雅の言い分に、ピュン・フーは盛大な渋面を作る。
「ヤだ。そんな腕と肩出したまんまじゃ、恥ずかしくて外なんか歩けねーじゃん」
「店が開いたら新しいのを買ってあげよう」
宥める口調での義雅の申し出に、ピュン・フーが返答するよりも先、忘れかけられていた黒服がまたもや会話に割って入った。
「お前も『虚無の境界』のメンバーか?!」
警戒に糾す語調の強さと共に敵意を叩き付けられるが、義雅は柳に風とばかりに飄々と受け流す。
「違うよ」
穏やかな否定をピュン・フーが後押しする。
「そうそう、こないだ一緒にお茶した仲なだけー」
「一般の能力者か……ならば早く行け。この場を無かった事にすれば、今後の生活に支障はない」
銃口を動かして退出を示す、黒服が放つぴりぴりと余裕のない空気に、義雅は此見よがしに嘆息して見せる。
「やれやれ。まるで子を持った猫だ」
しみじみとした義雅の感想に、ピュン・フーが短い笑いを吐き出した。
「あっは、言えてら」
そのまま片腕立ての要領でアスファルトに手をつき、ピュン・フーは義雅を見上げて目元で少し笑う。
「俺、アイツとちょっと遊んでくからさ。義雅もう帰った方かいいぜ?」
腕を張る、動きに然したる力を込めた様子もないのに、黒光りする車体の重厚さに充分な重量を想定させる外車が、肩に支えられて浮き上がる。
「おや。私と遊んではくれないのかな?」
ぎしと音を立てる車体に、視線を徐々に上に移しながらの義雅が問えば、肩で支えて車を斜めに持ち上げながらもいきむ様子は全くない声音でピュン・フーはあっさりと答えた。
「義雅がもう死にてぇってんなら、仲間に入れてやってもいいケド」
「二人だけで遊ぶという選択肢を加えるのはダメかな?」
ねじ込む義雅に、ピュン・フーは笑いに僅か、苦みを加えた。
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺。くれっておねだりしてる最中だから、面子から省くのは却下」
おねだりの方法は、最中に事故を誘発した現状に想像が容易だ。
「ほう」
感心とも取れる声を上げて、義雅は微笑んだ。
「懐かしいね、鬼ごっこか。どんな薬なのかな?」
「こーアタッシュケースに入った……って、鬼ごっこって何か違うくねえ?」
義雅は笑みを深めて、解せない様子のピュン・フーと黒服とを見比べて歌うように言う。
「鬼さんこちら手の鳴る方へ……私を捕まえられるかな?」
途端、義雅の姿が淡い光に解けた。
 輪郭をぼかした義雅は、瞬く間に別の姿を構築する……尾羽を長く引く、白い光の粒子を散らした一羽の鳥へと。
 義雅が変じた鳥は強い羽ばたきに、傾いだ車に一直線に突っ込んだ。
 だが、無様にぶつかる事はなく、突き抜ける勢いで金属の塊をすり抜けた鳥影は、如何なる業で以てかその嘴に銀のアタッシュケースを銜えて天空高く舞い上がる。
 呆気に取られた黒服の視線と、ピュン・フーの軽い口笛に送られて一度、頭上で輪を描くと、鳥は光の緒を引いてビルの間を飛び去った。


「やあ、遅かったね」
ビルの谷間手ささやかな憩いの緑を提供する小さな公園で、義雅は待ち人をゆったりとした笑顔で迎える。
 義雅が変じた鳥…式神が術者の元へ戻った経路を辿ってか、背に負う一対の皮翼で以て空から降り立ったピュン・フーは、天鵞絨を張ったように独特の光沢を持ちながら確かな闇の、皮翼をばさりと動かした。
「足止めに、ちょっとだけ遊んで来たから」
「ちょっと?」
ふと、ちょっとの度合いが気になった義雅の意を正しく汲み、ピュン・フーは肩を竦めた。
「足止め。追っかけられたらうっとうしいじゃん?」
しっかり遊んだ場合の深度は想像に易いが、現状に関係はないとばかりに思考の流れの彼方に追いやって、義雅は手にしたアタッシュケースを水平に掌手支えると、ピュン・フーに向ける形で蓋を開いた。
「この薬でよかったのかな?」
ケースの中、緩衝剤の中に並ぶ小さな筒状の注射器は、赤く透明な薬剤の色に紅玉を並べたようだ。
「あぁ、コレコレ。手間かけちまって悪……」
ピュン・フーの手が、ひとつを取り上げたと同時、義雅はケースの蓋をパタンと閉じた。
「これが欲しいならお願いがあるんだが、聞いてくれるかな?」
きょとん、とピュン・フーは一瞬虚を突かれた表情を浮かべたが、直ぐに「あぁ」とばかりに片掌に片拳を打ち付けた。
「なんだ義雅、そんな交換条件出さなくてもちゃんと……」
「違うよ」
やんわりとだが、言葉を遮っての確かな否定に、それでも最後まで言いたかったらしいピュン・フーは「殺してやるのに」と小声で付け足す。
「そうじゃなくて。私に射たせてくれないかな」
義雅が再度の否定に続けて提示した要望に、ピュン・フーは呆れの口調で確認する。
「薬を? 射ちてーの? 俺に? 今?」
一語ずつ、疑問で上がる語尾に律儀に義雅は律儀に頷き、ダメ押しの許可を求めながら、ケースを小脇にしっかりと抱えた。
「ダメかな?」
不可の場合は渡すつもりはない、というこの上なく確かな、そして大人気の無さ過ぎる主張に、ピュン・フーは思わず天を仰ぐ。
「ダメも何も、ヤだっつったら薬渡さねーつもりなんだろ?」
「打つ所を見せて貰うだけでも構わないけれど」
義雅の譲歩に返された大仰な溜息が、そのまま返答であった
「一応のトコ説明しとくとさ……ジーン・キャリアっつって、バケモンの遺伝子を後天的に組み込んで爪生えたり皮翼生えたりすんだけど、定期的にこの薬がねーと吸血鬼遺伝子が身体ん中でおいたを始めるんで命がヤバいワケ」
ピュン・フーは言いながらコートの片袖から左の腕を抜いた。
「肩と腕が見えているけどいいのかい?」
そうでなくとも、ノースリーブは時節柄寒々しい。
 肩から腕を晒す素肌に、義雅が先の「恥ずかしい」発言を受けて問うが、ピュン・フーは憮然とした口調で返す。
「だって、革が固くて袖捲れねんだもん」
言って、街灯の光の向きに腕の内側を向けた…変色した針痕が、癒えるより先に幾つも刻まれた肌は痛々しい。
「これは……何処に刺したらいいのかな?」
注射針を保護するケースを外しながら、義雅が確認をするのにピュン・フーは気のない風で答える。
「ここら辺、静脈だったら何処でもいいよ。それよか血管破るなよ、神経つつくなよ」
指先で箇所を示し、厳重注意を加えながら、手近な花壇の縁石に腰を下ろす。
 背中の皮翼が植え込みに埋まっても、膝の上に肘を置いて腕が動かぬように固定するを重視するあたり、義雅に刺される方が余程の重要事なのは当然か。
「気を付けるよ」
ピュン・フーの前に膝を付き、針が極力水平になるように気を使いながら慎重に、義雅はその皮下に針を埋める。
「そこでストップ」
見守るピュン・フーの指示に、注射器の後ろ、プランジャーをゆっくりと押し込む…透明な真紅を血管に注ぎ込む間、詰めていたピュン・フーの息が吐き出されて義雅はそっと針を引き抜いた。
 肌に刻まれた新たに鮮やかな一点の赤が、ぷつりと血の珠を結んで作る滴りを、義雅は何気なく指で拭おうとしたが、ピュン・フーの空いた片手がその部位を無造作に掴む。
「……うー……効いてきた……」
腿に両肘をついて前のめりに、堪える息に噛み締めた歯の間から声が漏れる。
 そして変化は不意に。
 ピュン・フーの背の皮翼がボロリと形を崩して灰の如く、微細な粒子となってあるかなしかの風に散る。
「成る程、特有の遺伝情報を持つ細胞を自死に追い込むのか」
得心に満足した義雅は、ピュン・フーを見遣った…が、青年はまだ何かを堪える強さで自らの腕を掴む。
「……ピュン・フー?」
名を呼ぶが、僅かに首を左右に振る、動きで返答が適わない事を示した。
「直ぐに迎えの車を呼ぼう……もう少しだけ我慢しなさい」
「……だい、じょぶ」
携帯を取り出しかけた義雅の動きを、絞るようなピュン・フーの声が制止する。
「……そんなキツくねーのに薬使ったから、熱かっただけ」
顔を上げたピュン・フーは、照れこそ含んでいるがいつもの調子で、義雅は紅い瞳に視線を併せた。
「……それなら、構わないけれど」
「んでも車が来るなら乗っけてって欲しーな♪」
ちゃっかりとした申し出を穏やかに受けつつ、注射器の針に再び保護ケースを被せる義雅を、首筋の汗を掌で拭いながらピュン・フーが見咎める。
「義雅、何してんの?」
「記念に持って帰ろうと思ってね」
ポケットから取り出した大判のハンカチで、注射器を大切そうにくるむ。
「注射をするなんて初めての経験でね」
要求があまりに自然に為された為、よもや注射初体験だとは露とも思わずにいたピュン・フーは義雅のあまりに嬉しげな様子に、薬の効果と別の所で覚えた眩暈でくらりと視界を揺るがせた。