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<PCシナリオノベル(シングル)>


味方していない者は敵対している

 素足を乗せた板張りの床は、静謐に包まれる社の舞殿を思い出させ、日常との接点に安堵を見出す。
 だが、肩に強張る力を抜く質ではなく、その道を極む場が持つ独特の緊張を改めて意識して、気を引き締めた。
 彼は今、氷川笑也ではない……低迷する杖術の復興を担う新鋭、としてマスコミに大々的に取り上げられた人物という役柄を与えられ、生来に赤い瞳をカラーコンタクトに頬の疵痕をメイクに隠し、護りの遺髪も懐内にしまい込んで、目立つ特徴を消している。
 willies症候群がなりを潜めたかと思えば、今度は連続殺人事件が世間の関心事である。
 20代前後の若い世代、大なり小なりの記録を残したスポーツ選手が被害者である話題性、その身体の一部を持ち去られる猟奇性とに、怨恨か復讐か逆恨みかとマスコミがこぞって取り上げるのに警察もようやく重い腰を上げ、該当すると思しき者に警備が配される事となり…その水面下でどのような手が配されたかは常人に知る由も知る必要もないが、実際の警護にあたるは通称『IO2』、常識的に考えられない、有り得ないとされる超常現象を、一般人にとって有り得ないものとする為の超国家的組織だ。
 一連の事件に心霊テロ組織『虚無の境界』が絡むと践んだ『IO2』は、犯人の捕縛に乗り出すにあたり、骨格から身長、体格が類似し、且つ超常の力に対して護身の可能な人材を囮とする為に選出した。
 その要請を請けて笑也は此処に居る…が、その心中は複雑である。
 囮、という意図に自らの身を危険に晒すに否やない。
 ただその捕縛の対象となる組織が『虚無の境界』であり、その名に想起される黒い姿が重く思考を沈ませる為だ。
 まさかの再会を期待しては居ない…それどころかいっそ会いたくないという気持ちが強い。
 あの、ピュン・フーという青年に。
 そもそも、『虚無の境界』の所業としても、ピュン・フーが犯人である可能性は低い、と前もって『IO2』からの説明もあったのだが、もしやという思いが期待のようで、笑也は緩く首を振って思考を払おうとする…その仕草も果たして幾度めか。
「フォローはちゃんとするかラ、安心してネ」
傍ら、『IO2』の構成員がその黒々とした姿で添って立つ……嘗てはピュン・フーが所属したのだという組織は色彩を交えぬを服務規程とするに、着衣は一律、黒一色であるのだが、笑也の護身についた女性、ステラ・R・西尾は実に華やかである。
 その名が示す通り西洋人である彼女、組織の面々に倣って身を包むのは黒一色のスーツであるが、その色彩のなさはモデルばりのプロポーションを際立たせ、金髪翠眼という色彩に更に華やいだ印象を与える結果となっている。
 元よりの無口に輪がかかり、更なる沈黙を守る笑也の緊張を肌で感じてか、西洋の麗人は何気ない動作で彼の頬に手を伸ばした……が、笑也は顔を背けるようにその手から逃れた。
 常人ならば、其処に拒絶を感じて引くだろうが、悲しいかな、相手はステラ・R・西尾である。
 彼女は一瞬、手の動きを止めこそしたが、背けられた分だけ手を伸ばした上、踏み込んで距離を詰め、強引に笑也の顔を両手で包み込んで自分の方に向けた。
「安心して、ネ?」
全開の笑顔の中にステラは凄味を混じらせて返答を求める……底知れぬ何かを感じ取った本能が、笑也の意とは別の場所にある保身に首を縦に振らせるのに、ステラは満足の笑みを無邪気に見せた。
「私のファンデーション、リキッドだから合わなくないかしラ? 痒くなったラ言ってネ? ま、お肌ツルツル。若いっていいワネー♪」
笑也の右頬に走る疵痕、化粧品でカモフラージュしたそれを気遣っての行動が直ぐさま自分の興味へと移るのは更に誰かを彷彿とさせるのに窮し、女性にしては長身のステラと顔の位置が近く、見事な稜線を描く胸にともすれば触れてしまいそうな困惑に、と、笑也の思考は質の違う戸惑いを行ったり来たりする。
「氷川クンをあまり困らせるんじゃないよ」
窘めの口調で、体重の移行をあまり感じさせない動きで、黒い姿が脇に立つ。
「ア、ダーリン♪」
語尾を嬉しげに浮かせて、ステラは距離を置こうとした笑也を引き止める目的で掴んでいた腕を強く引く。
 思わぬ引きに均衡を失って転けそうになった笑也を、ステラは豊満な胸をクッションに受け止めた。
「ちゃんと笑也とナカヨクしてるカラ、心配要らないワヨ♪」
仲良く、の主張を強調するように胸に笑也の頭を抱く腕に力が籠もる。
「仲善き事は美しき哉……とはいうけれどねぇ、ステラ」
傍らに立ったはステラの夫君である所の中年男性、西尾蔵人はのんびりとした語調にそれでも諌めの気配を漂わせた。
「君が彼の側に居るのは、ターゲットの違いを誤魔化す為……じゃなかったかな?」
笑也の護衛こそが主の目的であるが、ステラの存在自体が持つ華やかさに、囮という存在の質から出る違和感を払拭するという目的もあったようだ。
「標的より先に、息の根を止めてしまうよ、それじゃ」
酸欠かはたまた違う意味でか、胸の谷間に埋める形で固定された顔を真っ赤にし、笑也はひたすら沈黙に耐えていた。
「アラ?」
言われて漸く気付いたステラが腕の力を緩めれば、膝を落としてずるりと身体が傾ぐ。
「それに、僕も少し妬けてしまうよ奥サン」
仕事と家庭のけじめに呼称を変えて、無精髭の浮く顎を擦った蔵人にステラが頬を赤らめた。
「いやァン、ダーリンってばもう♪」
嬉し恥ずかしく突き出された掌底は蔵人の鳩尾にクリーンヒットして、ステラはその足下に男二人を倒す結果となった。


 平常心、を心中に飽きるほど唱えて笑也は再び道場に立った。
 身の丈を越して長い樫の杖、それを持つも様になるのは、凛と張った背に和装に慣れた者の裾捌き、そして(必死に取り繕った)静けさ、であろう。
 笑也はターゲットの生活を踏襲する必要性から、本人に付け焼き刃ながら杖術を教わる機会を得ている……実際に会って見れば、背丈や体格の類似は確かにあるが、漂う雰囲気に共感めいた物を感じた。
「杖術なんて古くささが却って新しくて。マスコミが面白がって取り上げただけだし」
指導の合間、純和風が過ぎるのかどこか印象に薄い顔立ちの少年は困ったように頭を掻いた。
 迷惑しているのか、と問えばそれには首を振った。
「どうせまたすぐに飽きて次の話題に移るよ、きっと。でももしも誰か、杖術を知らなかった人が興味を持って、始めてくれたらいいな、と思うんだ……そして、強くなってくれたらいい」
そしてその相手と手合いたい。
 真っ直ぐに前を向いた彼の、凛と張った背がそう語る。マイナーなだけに世界としては狭いのだろう……限られた中で飽かずに強さを求める、その共通項めいた物が『IO2』が自分を選出した理由かと、思考の片隅で納得する。
 道場の中央、組み手の相手は黒一色の同義に身を包んでいる……門下生に扮した『IO2』の構成員だ。
 さしものステラも、笑也の相手まで努めるのは不自然だったようで、壁際に一人立ち、笑也の様子を見ている……こちらが気を払ったのに気付いてすかさず手を振るあたりは流石か。
 だが、こちらにリアクションがないと見るや、投げキッスを飛ばすあたりは大人げない……果たして、手を振り返すまでは投げキッスの嵐が続きそうで、笑也は気が乗らないまでも片手を上げかけて不意の変化に気付いた。
 さ…と、低きに流れる水の動きでひたりと、足首から下を霧が埋める。
 そして。
「あんた今、幸せ?」
聞き慣れた声が、耳に慣れた言葉を放って寄越した。


「アレ? 笑也じゃん」
道場の上がり口から靴のまま、板張りの床に足を乗せたピュン・フーは意外の響きで振り返った笑也の名を呼んだ。
 黒革のロング・コートの存在感が輪郭を強める姿と、顔の乗せた真円のサングラスも相変わらず…如何なる方法を以てしてか、道場内に在った人の姿は霧がたゆたうと同時に消失している。
 奇妙な事に、その気配だけが影の形で霧の狭間に沈んで動いていた。
「どしたの、こんなトコで」
偶然を楽しむ風で、理由を問われて言葉に詰まる。
 敵として立っているのだと、自ら告げるのが何故か憚られた。
「あー……もしかして『IO2』? って事はナニ笑也、やっぱり俺に殺されてェの?」
笑也の思考を読んだのではなかろう……現状から鑑みるに、当然の思考の帰結に、ピュン・フーは肩を竦めて笑った。
「そっち側についたってのは。そういうこったろ?」
迷いなく惑い無く。
 問いの形でありながらの確信は、罪を悪と感じる事すらない無邪気さで、ある意味最終通告を笑也に突きつける。
 即ち、笑也を殺すと、度々に示唆したそれを実行に遷すのだと。
「……貴方が選んだのが、その道をでなければ」
笑也は握り込んだ杖を掴む手に力を込める。
「共に歩めたかもしれなかったのに」
感情を押し殺した声は、自分でも意外な程に静かで、不意に身体の中の空虚を自覚させた。
 その残響の最後の韻に重ねるように、ピュン・フーは笑也の決別と同じ……否、それ以上の静けさと、確かさで、そして笑って問い掛ける。
「笑也、今、幸せ?」
笑也の選んだ、道。
 兄は家業から離れて違う道を行き、妹は幼いながらも懸命に行くべき道を探り、そして、同じように強さを欲している…そうと感じた少年は、存在を踏み越えるでなく伸びやかな向上を求めている。
 起伏もあろう、時に壁もあろう……けれどそれを乗り越え進む、道程は振り返れば確かに遠く、過去からその背まで確かに続いているだろう。
 ……笑也が選んだのは、魑魅を廃する力のみを、闇の淘汰のみを求めて生きる道。
 闇雲に前だけを。
 目の前の闇と影だけを見てそれを祓うにのみ、自らの存在を認めてきた自分の道は、母を亡くしたあの瞬間にぷつりと途切れ、後には光も闇も残らない、ただの空虚があるのみだろう……ふとした気付きが、笑也を揺るがせる。
 笑也は浅く息を吐いた。
 幸せであるかと問われても答えられない……その答えを。笑也は知らない。
 故に問う。
「……幸せだと答えれば、貴方は同じ道を歩みますか?」
「そりゃ無理だ」
あっけらかんと即答して肩を竦め、ピュン・フーは真円のサングラスを引き抜いた。
 笑いを含んで細められた目元は、変わらずに不吉に紅い月の色。
「同じ道に行ったとしてもさ。俺は多分、笑也と違うモン見るから」
笑也の瞳と質は違えど同じ赤。だが映る風景は、捉える思いは違うのだとやんわりとした否定でピュン・フーは革靴の踵をコツと鳴らして笑也の前に立った。
 笑也の手には変わらず杖がある……付け焼き刃で決定打とはいかないまでも、攻撃の手段を持つ相手に晒す無防備さは、侮りとも自信とも取れた。実際、ピュン・フーの人間を凌駕した速度を前に、舞も符術も有効となる前に阻まれるだろう。
 冷静に考えて、打つ手はない。
 この、青年に何を以てすれば……何かを遺す事が出来るだろうか。
 足を止めた死を前に、真っ直ぐにその瞳を見れば、ピュン・フーはふ、と笑いを零した。
「捨てられた犬じゃねんだから。そんなしょんぼりすんな、な?」
そのまま伸ばした手で笑也の髪をわしゃわしゃとかき混ぜて、ピュン・フーは少し困ったような笑いに犬歯を見せた。
「折角会えたのに物足りねーけど、今日はお開きにしとこーぜ。今度はちゃんと遊ぼうな♪」
言って髪に触れた手が離れる。
 指先が、隠した筈の笑也の疵痕をなぞるよにう触れる動きの間に、立ち上った霧がピュン・フーの姿を覆い尽くして攫っていった。