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<幻影学園奇譚・学園祭パーティノベル>


繋ぐ、手と手

 初めは、他愛ない話だったのに。
「ところでさ、藤井。今俺達の部も参加してお化け屋敷やってんだけどさ」
「お化け屋敷?」
 ぎくん、と身体が反応したのに気付いたのだろうか、演劇部に入っている同級生がにやぁりと笑い。
「怖いのは駄目か。それじゃしょうがないな」
 からかいながら言った言葉に、止せばいいのに藤井蘭が反応した。
 すなわち、
「こ、怖くなんか無いよっ」
 と。

*****

「あーあ、何やってんだよ蘭」
「葛…う、ううん、何でもないよ、何でも」
「ばぁか。何言ってんだ?ちゃんと聞いてたぞ」
 こつんと軽く頭を拳で叩かれ、うぅ、と蘭が恨めしげに同じクラスの藤井葛を見る。苗字も年も住んでいる所も同じとあっては双子だろうと思われているのだが、表向きはそう言う事にしているものの血のつながりは無い。尤も、本当の所を説明しようとしても面倒でとても葛にはする気になれないのだが。
「行くんだろ?お化け屋敷。俺が付いていってやるからさ、そんな顔するなって。…あっ、小夜子。お前もどうだ?」
「お化け屋敷?」
 静かに聞き返したのは、蘭達と同じクラスに居る女生徒、武田小夜子。ほんの少し考える素振りを見せてから2人に目を合わせ、
「いいわよ、一緒に入ってあげても。でも幽霊なんてほとんどはただ立ってるだけで無害なものよ。外見がちょっとアレだけど、見慣れたら気にならないし」
「う、うぅぅぅぅ…」
「よし、じゃあ決まりだな。って泣くなよ蘭〜」
 既に潤んでいる目の蘭をよしよし、と撫でた葛が、よぉーっし、と勢いを付けてがらっとクラスの扉を開けた。
 廊下は様々な人で賑わっている。ほとんど生徒だけなのだが、イベント用にコスプレしている者もあり、制服にアレンジを加えた者もいたりでなかなかにカラフルな世界が渦巻いていた。喫茶店もいくつか見える。
「…おや。蘭さんではありませんか。葛さんも…お2人でお出かけですか?」
「おう、シオン先輩じゃないか。これからお化け屋敷さ。蘭が誘われちゃってね」
 ぴくっ、と柔和な笑みを湛えていたシオン・レ・ハイの顔が引きつった。その後ろから、隣のクラスの三春風太、そしてその後ろで何処へ行こうか考えていたらしい綾和泉汐耶の顔も見える。
「大丈夫だよ!優しいお化けさんや楽しいお化けさんだっていると思うし、楽しいよ〜」
「あの、風太さん、まさか行くなんて…」
「行くっ!だから行こうよシオンもー」
 ねーねー、とくいくいブレザーを引張られて苦笑いしながら、
「わ、わかった、分かりました」
 妙に脹らんだ両ポケットを押えつつ、大きく頷く。
「汐耶も行かないか?皆で行けば蘭もきっと怖くないと思うんだ」
「葛っ、僕そんなに怖がってないってばっ」
「なーに言ってるんだよ。さっきあんな顔してた癖にさ」
「そうそう。皆で行けばきっと楽しいよ〜」
 風太が呑気に後押しし、声を掛けられた汐耶がきょとんとした顔をして、「え?」と聞き返す。
「お化け屋敷だよ、ほらあのやたら凝ってるって言う噂の。いくつかの部が力入れて作ったらしくてさ」
 …どうやら葛は最初から行く気満々だったようだ。事前にこの情報を手に入れていたのだろう。
「――何処に行こうか迷ってたの。いいわ、行きましょう」
 こくん、と頷いた汐耶を含めて6人のグループとなった皆が、蘭と葛を先頭に歩き出す。
「楽しみだねー」
 風太のうきうきした顔と、蘭、それにシオンのどこか沈んだ顔。汐耶と小夜子はほとんど変わる事無く…いや、小夜子は唇に薄らと笑みを浮かべながら居て。先頭に立つ葛はそれらに気付く事無く、ずんずんと先に歩んでいる。
「あら?どうしたの、そんな団体さんで」
「ホント。何かこの時間に始まるイベントでもあったかしら?」
 そんな皆に声を掛けたのは、もう既にいくつかの店を回ったと思しき2年の2人だった。
「これからお化け屋敷に行くんだ。最初2人のつもりが誘ったらどんどん増えて行ってるんだ。…で、来るか?先輩も」
「そうねー。あんたはどうする?」
「私…うぅん。作り物のお化けってちょっと苦手なのよね…」
 少し渋い顔をしているのは、光月羽澄。その顔を見て小夜子がわが意を得たりとばかりに頷き、
「そうよね。わざわざ死んだ者の振りまでして何が楽しいのか、不思議だわ。…実際のあれの方が素のままでいいのに」
 そんな事を言って、蘭とシオンの顔を引きつらせている。…抜けようにも蘭は葛に、シオンは風太に手を取られていて動きようが無いのだが、この状態は拷問にも等しいものだった。
「まあまあ、面白そうじゃないの。行ってみましょうよ。一緒に行って上げるから、ね」
 そんな様子を見て、シュライン・エマがくすっと笑いながらも悪戯や悪意の無い声と表情で羽澄に言い、
「そこまで言うなら…行ってもいいわ。でも後で喫茶店付き合ってね」
「分かってるって。と言うわけで私達も参加よ。また増えたわね」
「…何だかもっと増えるような気がするよ」
 ぽつんと呟いた蘭の言葉は、すぐに証明される事になる。
「あ、先輩…」
「セレスティさんとモーリスさんですね」
 いかにも最上級生、なたたずまいを見せる2人の3年の姿を見て、何故かシオンがほぅ、と息を吐く。
「どうしたの?」
 目ざとく見つけたシュラインに、いえいえ、と訳が分からないままに手を振って見せ、
「同じ年なのに随分大人っぽいなと思いまして」
「そうねえ」
 それには羽澄もうんうん、と頷く。
「でもあの2人は先輩の風格というよりは…もっともっと年上。理事長先生並みって感じがしないー?」
 うんうんうん。
 意図せずして、全員の首が縦に振られた。
「どうしたんですか?そんな所で同じ首振り運動なんて。もしかして今流行ってるとか?」
 にこりと人当たりの良い笑みを浮かべたモーリス・ラジアルが、隣で話をしていたセレスティ・カーニンガムから目を離してかつかつと近寄って来る。
「そう言う訳じゃ無いんですけどね。実は蘭さんがお化け屋敷に誘われてましてね、皆で一緒に行く途中なんです」
 行きたくない、と言う表情をありありと漂わせているのは蘭1人。説明に回ったシオンは、説明している間は怖い事を考えなくて済むからか普段の表情に戻っていて。
「そうですか、蘭君…駄目ですよ。せっかく皆がアトラクションを用意して待っていてくれているんですし、行かないと」
 ――どう考えても悪戯っぽい目で言われては、蘭が躊躇するのも尤もかと思われたが、
「大丈夫ですよ。私も一緒に行ってあげますから」
 蘭の怯えように、救いの手を差し伸べたのはセレスティの方だった。
「私は怯えさせるつもりで言ったわけではないのですけどねぇ」
「分かっていますよ。…では、本当に同行するのは如何です?面白いかもしれませんよ」
「そうですね…うん。それじゃあ参加させてもらうとしましょうか」
 何か考えたらしいモーリスが微笑んだのを皮切りに、総勢10名に膨れ上がった一同がぞろぞろと移動する。
「それにしても多いねえ。さぞや遣り甲斐があるに違いないね」
「うん、きっとね。もしかしたらたっぷりお化けサービスしてくれるかもしれないよ〜♪」
 悪気は無いのかもしれないが。
 セレスティと葛に挟まれた蘭、風太と一緒にいるシオン、そして不安なのかシュラインと手を繋いでいる羽澄の3人の背中が少々緊張したように堅くなった。

 一方、その頃。
「駄目だよ?羽目を外し過ぎて法律違反までしちゃぁ」
 ふっ、と煙の出ないエアガンに息を吹きかけながら、白い詰襟の学生服姿でニヒルに微笑む――男子生徒。その腕には『風紀委員』と筆で書かれた腕章が見える。
「あ…あうあう…」
「ん〜?どうしたのかなぁ?」
 ちゃき、と銃を突きつける男、城田京一に、校舎裏で隠れてタバコを吸っていた生徒数人が火の消えたタバコを投げ捨て、あたふたと逃げ出して行く。それは仕方ないことだろう。何しろ、京一が撃ったのはタバコそのもの――それぞれ一発ずつで、火の付いた部分だけを弾き落としてしまったのだから。
「ふぅ。まいったね、こんなに違反者が多いとなると。タバコしかり、カツあげしかり、不純異性交遊しかり…当日の見回りを申し出たはいいけど、これじゃ遊ぶ時間も無さそうだ」
 そうは言いながらも何処か嬉々として見えるのは何故だろう。コスプレに見えなくも無い白い学生服も、何故だかこの生徒には良く似合っていた。
「さーあて、次っと」
 火の消えたタバコと捨てられた箱を残らず回収し、学生服の内側にエアガンを仕舞い込むと…外から違和感無くエアガンが収納された所を見ると、単に内ポケットに入れたのとは違うらしい…今度は様々なイベント会場付近を見回る事にした。
「――ん?」
 その途中で、どこか覚束なげな足取りで歩いている女生徒と出会った。向こうも京一の事は気付いているのだろうが、特に視線を向ける事無く、目的を持たない足で心の赴くままに進んでいる。
 途中で囲みナンパをしている生徒達を先ほどとは別のエアガンで撃退しながらも、京一は彼女からどういうわけか目を離せずに居た。
 やがて、何か導かれるように2人が道場へとたどり着く。
「…お化け屋敷」
 でかでかと書かれた渾身の筆遣い。道場前に立てかけられた看板を一言で読み上げると、その少女はまたふらぁと中へ入って行く。
 そして――
「あら、あんた…城田君じゃない」
 なにやら団体となった一団と出会ったのだった。

「うぅ、やっぱり入らないと駄目?」
「ここまで来て何言うんだ?行くったら行くんだよ、ほら」
「ああああ、待って下さい、前の人が入ったばかりですから、えーと、1分。ね、1分待てば入れますからっ」
 受付兼使いっぱしり、と顔に書かれていそうな小柄な一年生が、半べそをかいた蘭を入り口に押し込もうとした葛を慌てて止める。
「……くす」
 京一と一緒に来た…と言うか京一が後から付いて来た少女…ノワ・ルーナが、そこで初めて楽しそうに笑い、
「ああ、すまない。何だか楽しそうだな。一緒に行ってもいいか?」
 蘭達へと話し掛けた。
「いいけど、2人?えーと、京一と…」
「ああ。自己紹介もまだだったな。ルーナと言う。よろしく」
「こっちこそ、よろしく〜」
 ぱたぱたと風太が手を振って、楽しげににっこりと笑いかけた。
「私もキミ達と一緒って事だね?」
 いつの間にか頭数に入れられている京一が、入っちゃったんだから仕方ないよな〜、と何か非常に楽しげな顔をして大きく囲われている暗幕の壁を見つめた。

*****

「うわ…凝ってるな」
 葛の出した第一声が、この声だった。
 外は、ベニヤに暗幕を被せた物、のように見えたのだが…一歩中に入ってみると、それはがらりと様変わりしていた。
 洋館をイメージしたのだろうか、両脇は綺麗に整えられた暗幕。通路にはずらりと絵画が並べられ、両脇の壁からは蝋燭に模した明かりが付けられた台が、かろうじて通路の闇を消す程度に付けられている。ちらちらと瞬きを見せる明かりにはくもの巣のつもりか、伸ばした綿が被さっていて、真っ直ぐに伸びた通路の奥にも飾られた絵画の中に薄らと浮かんでいる肖像画が招いているように見えた。
「行ってらっしゃい。――まさか12人の団体で来るとは思わなかったけど大丈夫かな…」
 案内の生徒の声と共に、ふぁさ、と暗幕が閉じてしまうと、蝋燭様の明かりのみがその通路の明るさとなり、その時点でもう何人かがぶるっ、と震えたのが見えた。…顔の判別が付き難い状況であり、誰が誰なのか分からなかったけれど。
「前に居る人はどんどん先に進んで頂戴。これ、少し間を開けたほうがいいわ」
 暗くてはっきり見えはしなかったが、何人かが組んだように見え、そこからぞろぞろと進み出す。
「ひっ」
 止せばいいのに、きょろきょろと周囲を見回していた蘭が小さく悲鳴を上げた。
「どうした?」
「め、目が…絵の目が、動いた…」
「――やだ…」
 羽澄の声が中ほどから聞こえ、「大丈夫よ、ほら」とシュラインが言う声が続けて聞こえる。
「…ありきたりね。30点てとこかしら」
「えー。ボクはもっと上げてもいいと思うよ。頑張ってるんだしさ」
「そう言う問題じゃないと思いますけど…」
 そんな事を言いつつ、一歩先へ進んだ、その時。
『ヒィィィィィイィィッィ!!!!!』
「きゃああああああああ!!!!!」
 突如上から上がった悲鳴と共に、血まみれの、ずたずたに破れた西欧風のドレスを着た、髪を乱した女性が天井からぶら下ってきた――誰かの目の前に。
 上がった悲鳴はその生徒からだっただろう。それとほぼ同時に、壁とばかり思っていた通路からにゅっと白い腕が飛び出して通路を行く誰かの腕を掴む。
「うあああん、やっぱりいやだぁぁぁ!!」
「あっ、ちょっと待って蘭、走って行っちゃ危ないだろっ」
 ばたばたと――数人の乱れた足音が先に行く。
「えーと。こんにちはー。ボク達のことずっと待ってたの?頑張ってね〜」
『…………』
 にぎにぎ。
 掴まれた白い腕の手を探って握り返した風太には返事は無かったが。
 何処と無く困った雰囲気が感じ取れたのは1人だけではなかっただろう。
「くすくす」
 お化けなのか、それとも生徒のものなのか分からない笑い声が、ひっそりとその場に広がっていった。

*****

「蘭、蘭ってば!おい、あんまり先に行くなと…!」
 蘭と思われる、泣きながら走って行った気配を追いかけて来た葛が、ぴたりと足を止める。
 気が付けば、辺りに人の気配はほとんど無い。無い…のだが、ひたひた、と後ろを付けて来る足音だけは聞こえて来る。
 先に走って行った筈の蘭の姿は何処にも見えなかった。
「脅かし要員か?そんなのに怖がる俺じゃ無いぞ」
 その挑発に乗ったのか、すぐ後ろまで追いかけてきていた『誰か』が、のし、と葛の背に圧し掛かる。
「何をする!?それじゃセクハラだろうが…っ」
 無作法な相手にむかぁっ、と来た葛が、相手の腕を取って床へ叩きつけようと力を込め――るも、ぐいぐいと動じずに葛を押さえつけるその重さは変わらず、いや変わらずどころかどんどん重くなり…仕舞いには床の上に押し付けられたまま身動きが取れなくなってしまった。
「く、こ、こら、いい加減に…っ」
 ぐ、ぐぐ…、と、まるで床の下に押し込む場所があるような正確さで、上から圧迫されてじたばたもがく葛。
 おかしい、と気付いたのはその時だった。
 …腕は俺が取ってる。じゃあ…どうやってコレは圧し続けてるんだ?と。
 背にかかる圧力が均等なのも、今考えて見ればおかしなことで。
「は、離せ……っっ!!」
 じわじわと染み込んで来る、これは――恐怖だろうか。
 相手の息遣いも聞こえず、ただ闇だけが押し潰してくるこれを、怖い、と言えばいいのだろうか。
 次第に思考そのものが麻痺して来る。
 何も――考えられなく…なって……行く……

*****

「困りましたね。何だかばらばらになってしまったようです」
「うん。そうだねー」
 あまり困った様子ではない風太と、落ちつかなげに周囲を見回すシオン。
 意図的に人数をばらけさせるためにあのような事をしたのだろうか、と…最初の恐怖を思い出し、ぶるっとシオンが身震いした。
「あ、あっちから明かりが見えるよ」
「あっ、ちょっと待って下さい風太さん…」
 ぱたぱたと何か珍しい物でも見つけたのか、風太が近寄って行った先には…真赤な照明の中、うつ伏せで倒れている人影があった。…おそらく動くのだろうと思わせる、その人物は、赤い照明もあってか血に染められた部屋を連想させる。
「わーっ♪」
「ど、どうしたんですか………わああああああっ!!」
 完全なミスリードだった。何故なら…楽しげな風太の声に釣られて向いたすぐ目の前に、これでもかと言う血まみれ特殊メイクを施した人物がぬぼぅと立っていたからで。
 風太は風太で喜んで、特殊メイクらしきその風体を眺めたり、ぽむぽむ、と触って人間だと言う事を確かめてみたりするのに忙しい。
「…あのー。驚かないのはいいんですが、あんまり弄られるとメイク落ちちゃうんで…」
 暫くして、そんな情けない声が立ったままの人物から漏れ聞こえて来た。
 話を少し聞いてみると、どうやら壁と見えるあちこちに通り抜け用の道が隠されているのだそうで、そこから今の『彼』も抜けて現れて来たらしい。…ぼうっと立っていたのは演出ではなく、現れた途端に風太に捕まってしまったからだったようだ。本当なら、突如現れたお化けに驚く人を追いかける…そう言う役目だったと、照れた声で少年が言う。
「あ、もしかして君って隣のクラスの?」
「多分そうだと思うよ。こっちも暗いしメイクのせいで顔良く見えないけど、声には聞き覚えあるし」
 なんだか和んでしまった2人。シオンが困ったようにあのー、と声をかける。
「いけない。戻って次の人を脅かさないと。ごめんね、話ならまた今度」
「うん。またねー」
「それと…驚いてくれてありがとう。少し自信付きました」
「はあ…それなら、こちらとしても驚いた甲斐がありました…」
 それ以上何が言えただろうか。手を振り合って別れる2人を見て、次の場所へと向かう。
 ――風太は最後までこの調子だった。本気で楽しんでいるようなのだが、作り物を興味深く見つめ、しまいにはノリの良い怪人と一緒になって他の生徒まで脅かしに行く始末。
 シオンの方は、お化けの仕掛けや生徒扮するお化け達が出るたび驚いていたせいで、出口をくぐる頃にはすっかり疲れ切っていた。

*****

「――これは作り物かしらね」
「でも、見え見えよこれじゃ。…45点」
 最初の混乱から立ち直ってみれば、周囲に人の姿は無く。汐耶と小夜子の2人が、ごく静かに屋敷内の仕掛けを評しつつ進んでいる。
「最初のあれはどうだったの?随分怖かったみたいだけど」
「恥ずかしながら、突発的なものに弱くてね。急に顔が目の前に来た物だから、つい悲鳴を上げちゃったってわけ」
「そうなの…まあ、確かにあれは驚いたわ。少なくとも、本物はあまりあんな事はしないし」
「そうかもしれないわね」
 薄暗い通路を、とことこ歩いて行く2人。急ぎもしないし、ことさらゆっくり歩いている訳でもない。
「おぉぉぉぉっっ」
 突如、通り過ぎた通路の後ろから、くぐもった悲鳴と共に身体にナイフを突き立てた姿の男が走りこんでくる。
「きゃ…っ」
 小さく悲鳴を上げて息を呑む、汐耶。すぐ近くにいる小夜子に思わず手を伸ばし、じりじりと後ずさる。
「――惜しいわ」
 逃げる風を装いながら、小夜子が呟いた。「え?」とちらちら後ろを眺めながら汐耶が聞き返す。先程の恐怖が後を引いているのだろう、今回もまた怯えつつ先へ進み。
「すぐ後ろにそっくりの人がいたのに、特殊メイクの方が派手過ぎたの。あれでもう少し薄かったら、かなりぞっとしたでしょうに」
「目の前の人に気を取られてて、気付かなかったわ」
「大丈夫よ、気付いていなくても。同じような格好に引かれて来ていただけだったから害は無いわ」
 悪意があれば、何らかの対処を行わなければいけなかったのだろうけど、あれはただ見ていただけだったし、と小夜子が続けて、
「でもちょっと怖かったわね。動いてる人が追いかけてくるって、普通でも怖いもの」
 そう言って汐耶に笑いかけた。
「そうかもしれないわ。――あら?」
 汐耶も落ち着きを取り戻し、また通路をてくてくと歩いて行く――と。
 その向こうに、通路の上にうつ伏せて倒れている人影が見えた。…長袖のブラウスにベスト。スカートを見ても女生徒なのには間違いない。
 おまけに…2人が近寄っても動く気配は無い。これが脅かす人員だとしたら、触れた途端にがばと跳ね上がったりするのだろうが。
「……」
 慎重に、そっと肩を叩く…ぴく、とその動きに反応したものの、起き上がろうとする意思は見えず。また、タイミングを狙っている気配も無い。
「大丈夫?…どうしたの?」
 ゆさゆさと揺さぶりをかけて、ようやくびくんっ、とうつ伏せていた生徒の身体が跳ねた。
「ん…」
「あなた――葛さん?」
 先に、蘭を追いかけて行った筈の少女が…こんなところで倒れていたとは。
「あ…え、俺、なんでこんなトコに…」
 ――倒れてはいたものの、葛の身体に大きな怪我は無かった。ちょっとした擦り傷と、手足が少し汚れた程度。起き上がらせてぱたぱたと服の汚れを払い、乱れを直してやる。
「…あなた。どうしたの?なんだか…妙な気まで纏ってるわ」
「どうしたもこうしたも…蘭を追いかけていたらよ、ヘンなのがおぶさってきて潰されたんだ。すげー苦しかったぜ」
 思い出すと苦しさが甦るのか、首の辺りを手で押えてうえー、と変な声を出す。
「そのまま気を失っちまったけど…」
「他の人も何人か先に行ったみたいだけど…って、今まで気を失ってたのなら気付かないわね」
 汐耶の言葉に、こっくりと大人しく頷く葛。
「葛さん。ちょっと後ろ向いてくれる?」
「お?いいけど…何すんだ?」
 振り返らせて、目を細めた小夜子が平手を振り上げ。
 ――バシッ、バシ、バシッッ
「いっ、痛っ、何するんだよっ」
「あなた、彼女を押えてて。あと少しだから」
「分かったわ」
 声の調子に単なる叩きではないと気付いたか、振り返ろうとする葛の手を取って、「もうちょっとだけ我慢して」と告げる。
「何だよぉ。お前も小夜子の仲間かよぉ…」
 そしてまた数回、今度は軽くぱしぱしと叩いた後で「もういいわ」と小夜子がすっと身体を離した。
「あーいててて…何したんだ、一体」
「――邪気を払っただけ。何かに潰されたって言ってたでしょ?あれの残滓がたっぷり残ってたのよ、背中にね。…軽くなったんじゃない?」
「…本当だ。おお、凄いな小夜子は」
 1人増えて3人になり、再び歩き出す一向。
「随分『目』がいいのね」
「良すぎて困る事もあるけどね。――普通にされてたら、見分けがまるで付かないもの」
 それもそうか、と小夜子の言葉に汐耶と葛の2人が納得する。
「おっ、出口みたいだぞ。なんだ…随分出口際で倒れてたんだな俺は。あー、ほとんどの仕掛け見れなかった。悔しいなー」
 後ろを振り向いてぷぅっと頬を膨らませる葛を見て、汐耶と小夜子が目を合わせ…互いにほんの少しだが笑みを浮かべた。
 そして…それなりに、結構怖かったらしい。
 出口外で待っていたシュライン達に、ふらふらっと近寄った汐耶はそのまま暫くしがみ付いていた。

*****

「――皆、急ぎ足なのだな」
「私は急げませんしね…貴女さえ良ければ、ゆっくり移動してもらえると助かります」
「何、気にすることは無い。各自の足で進めれば良いだけのこと」
 恐らく最後尾らしい、ルーナとセレスティの2人が、早足では進めないセレスティの足運びに合わせてゆっくりと進んで行く。
「セレスティ…と言ったな。身体が弱いのか?」
「…弱い…と、言うのでしょうね。少なくとも、真夏の太陽の下で元気良く動ける訳ではありませんから」
 今日の催しも、外でやるのだったらきっと参加しなかっただろうと、そんな事を続けながら静かに足を運ぶセレスティ。
 ついさっきも、相手が逃げる事を想定して飛び出して来た活きの良いお化けが、ゆっくりゆっくり進むセレスティ達の速度に合わせるのに途中で飽きたか、ふと振り返ると居なくなっていた。
「歩くお化け屋敷には向いていなかったかもしれませんね」
 そんな事を言いながら、セレスティが前方をまっすぐ見る。
「…視力も良くはありませんしね」
 仕掛けが動いているのはどうにか捉えられても、それが何を模しているのか分からないのだ、とセレスティが言うのを聞いたルーナが不思議そうに首をかしげ、
「では…何故参加したのだ?」
 至極尤もな質問を向けた。くす、っと笑ったセレスティが、そうですね、と見えない割にはしっかした足で先へ進みながら、
「蘭さんが怖がっていたからと言うのもそうですし…皆がこうして楽しめるイベントなんてなかなか無かったからですよ。少なくとも、先に進んだ幾人かは怖がりながら楽しんでいましたし、ね」
 声の調子でそんな所まで判るのだろうか。不思議そうにそんなセレスティを見たルーナが、ふと…前方へと目を凝らした。
「どうかしましたか?」
「…いや。何か居たような気がしたが、気のせいだったようだ」
 通路のどこかからは、此方を窺う人の気配がある。…だが、どうやら移動速度の遅さが伝えられたらしく、追いかける行動は無しにしたらしい。
 その代わり…音と、光の使う頻度がやたらと増えた。人為的に無機質なお化けの数も増やしたか、通路の目の前を異様なスピードで這って歩く人影や、天井付近を走りまわる足音、誰かが付いて来ているような立体的な音…それらを駆使しているのが分かる。
「人によって使う品を変えているらしいな。面白い」
「ええ。力の入れようが分かりますね。随分と人手も使っているようですし」
 2人はさして現れるお化けに驚きはしないものの、この雰囲気は気にいったらしく、まるで天気の良い散歩道を歩くように穏やかに語り合いながらどんどん先へと進んでいた。
「――――」
 不意に。
 ルーナがつと立ち止まって、前方を睨みつける。
「誰か…いますね」
 それも、明らかな悪意を感じずにはおれない…そんな、危険な気配。
「セレスティは下がっていろ。これは…私の問題だ」
 そう言い、ルーナがすっと前に出る。
 通路の向こうで、手に何かを持ち、じ…と2人を見る青ざめた顔の男へと、躊躇う事無くルーナが近寄っていき。
「…なんだ。こんな所にいたのか。探したぞ」
『…………』
 言葉は、男にではなかった。男の手に持つ、銀の色持つ矢の無い弓…梓弓と呼ばれるそれに対してのもの。その後、視線を真っ直ぐ男へと向け、
「それは、かつて私が持っていたものだ。…返してはもらえないだろうか」
 強制さを感じさせない、比較的穏やかな声で語りかけた。
『………』
 男は、ルーナへと視線を当てたまま動こうとしない。
「――もう一度言う。その梓弓、返してもらえないだろうか?それを、ずっと探していたのだ」
 なるべく、無理強いはしたくない。
 その言葉を言外に篭めて、そっと、願いを告げる。
『ルー……ナ』
 ぼそりと、深い闇色の声を吐き出すと…男は弓をルーナの目の前へ差し出した。
「ありがたい」
『…………』
 ルーナが弓を受け取ったのを見つつも、尚も手を離さないままにぼそぼそと何か告げる。彼女の表情はセレスティからは窺い知る事は出来なかったが、男の持つ雰囲気は、ルーナに話す事で昇華されて行っているのか、次第に負の感覚そのものが薄れて行くのが分かった。
「…大丈夫ですか」
 男の気配も、姿もすっかり消え去った後で、弓を大事に腕に抱えるルーナへと近寄っていったセレスティが声をかける。
「――ああ。大丈夫だ」
 ほんの少しだけ、彼女からの返答が遅れたが…セレスティからはそれ以上聞く事は無く。そこから先は再び穏やかに、お化け屋敷の様々な仕掛けを楽しみながら、出口までのんびりと歩いていった。

*****

「さっきつまづいたみたいだったけど、足は大丈夫?」
「ええ。こんな場所で躓くなんて、なんだか悔しいわ」
 入り口付近で腕を掴まれた――という所までは覚えているのだが、その後悲鳴を上げてばたばたと走り回ってからはどの辺りまで来たのか良く分からない。…教室の中で作られるようなお化け屋敷なら、もうとうに外に出てもおかしくないのだが、ここは特別製のお化け屋敷、そう易々とはゴールにたどり着けないようだ。
「ああ…やっぱり、作り物は苦手…」
 ついさっきも再び天井から吊り下げられた仕掛けにパニックを起こしたばかりの羽澄が、一緒に手を引いて連れて来たシュラインの前で顔に手を当てる。
「普通の生徒なら、かなり怖がるレベルよ、ここのは。完全に機械化されていない分、タイミングが人それぞればっちり合わせてあるのね」
「――それなら寧ろ機械の方がいいわ」
 はーっ、と溜息を吐く羽澄。くすっと笑ったシュラインだったが、すぐに「ごめんなさいね」と続ける。
「怖がってたのを誘ったのは私なのに、笑ったりして」
「…シュラインは怖いもの無いの?」
「あるわよ。でも、そうね。…怖がっている人がいたりすると、私は逆に落ち着いてしまうのかもしれないわ」
「羨ましいわ、それ…」
 手を握るどころか、シュラインの腕にしっかと絡みついた状態でいる羽澄に、
「いっそ目を閉じてみたら?」
 と、シュラインが提案する。
「駄目ー。じつはさっきこっそりやってみたの。でもね、感覚が鋭くなっちゃって逆効果だったのよ」
「ああ…そうかもしれないわね」
 見えない分、研ぎ澄まされるものもある。それが余計に想像力をかき立ててしまうのなら、羽澄が言うように怖くても目を開けているほうがずっとましと言う事だろう。
「蘭君、無事に出口へ行けたかしら…きゃっ」
 かたかたと笑う骸骨に驚きながら、羽澄が呟き。
「着いていなければ、途中で出会ってたと思うわよ。これでも結構進んだと思うから」
 羽澄の驚きでワンクッション置くために、それほど怖い思いをせずに済んでいるシュラインが言う。
「それもそうね」
 でも今どの辺なのかしら、そう言いながら角を曲がり、さっきよりも尚暗い通路を恐る恐る進んで行く――。
 その目の前を、さあっと白い物が通り抜けた。
 と、同時に背後に人の気配があり、ばっと2人で振り返る。――人は、いなかった。だが、すぐ近くの天井から、マネキンの無機質で白い腕がだらん、とぶら下ったのが見え…その上へ視線を向けると、丁度2人を見下ろすような位置で頭を固定した無表情な白い顔と目が合った。
 2人で、思わず握り合った手に力を込める。
「…人形よね」
「人形よ…そうよ」
 睨んでも、人形はぴくりとも動かない。先程感じた人の気配が錯覚だったのではないかと思われるくらい、何も無く、
「さ、先に行きましょ」
 急かす様に、2人で言い合って歩き出す。
 その、くるりと背を向けた瞬間。
 さわ……っ、と、何かの柔らかな手がシュラインの毛先に触れた。
 一瞬の事だったが全身が泡立つ。
「きゃああああっっっ!!!!!」
「いや、な、なにっっ!?あ、シュライン、置いてっちゃいやああああ〜〜〜〜」
 盛大な悲鳴、そしてわき目も振らず駆け出していく2人。
「手を離さないでよぉ」
「ご、ごめん…」
 走りながら、バトンを渡すように手を繋ぎ直し、そして…。
「うがあああああ…あ?」
 突如目の前に立ち塞がった包帯だらけのミイラ男が、シュライン達の勢いにあっけに取られた所を、一瞬だけ手を離した羽澄の体術連続コンボ攻撃にあってあっさりと気を失った。
「あ…あら。ごめんねー。でも手加減はしたのよ♪」
 全ての動作を終えてから相手が一般生徒だったと気付いたらしく、気を失ったままの生徒…らしきミイラ男を通路の邪魔にならない位置へずるずると移動し、
「さっ、行きましょうか」
「…いいの?」
「死んでないから大丈夫よ」
 実際、無意識のうちにかなり手加減はしたような気がするし、と主張する羽澄の言葉を信じる事にして、2人仲良く出口の暗幕をくぐったのだった。
「…あら?何で誰も来てないのかしら」
「どこかでショートカットしちゃったとか…?」
 何故か最初に出口に来てしまった不思議を思いながら。

*****

「少し蒸し暑いですねぇ」
「そうだなあ。でも、この暗さも湿度もそうたいした物ではないよ」
 ぱたぱた、と持参の扇子で顔を煽ぐモーリスと、きっちり着込んでいるのに汗ひとつかいていない京一の、ちぐはぐなペアがここにあった。
「それにしても、どうしてあんなに女の子もいたのに、男同士で組まないといけないんでしょうね」
「そりゃあキミ。――全員が分散する時に、白い服だからブラウスとでも思って私の学生服を掴んだからだろう?」
「……そんな事もあったかもしれませんね…」
 ぱたぱた。
 明後日の方向を見つつ扇子の煽ぐスピードを上げるモーリス。
「まあ良いか。私の方は付いて来る相手が女子の場合、付いて来る事が出来そうにないしね」
 しゃきん、と学生服の内側からエアガンと、カートリッジを取り出す京一に、モーリスが不思議そうな顔をする。
「まさか…撃つんですか?それで、生徒を」
「大丈夫。プラスチック弾を真面目に仕事に取り組んでいる生徒には向けたりしないよ。それは校則や法律に反している生徒のみが対象なのだからね」
 じゃきん、と引っ張り出したカートリッジを振るとからからと音がする。
「で、こっちが特別製の弾。本来ならカラーペイントを入れる所なんだが、今回はそれも下手に汚すと拙いかと思って無色透明の水弾を作っておいたんだよ。気が利くだろう?」
「…つまり…最初からこう言う場に来るつもりで用意していたと言う事でしょうか」
「平たく言えばそうなるかもしれないな」
 しれっとして、京一がエアガンに弾を詰め直す。
「平たくも何も無いと思いますが…」
 ぼそっと呟いたモーリスに、にっこりと笑いかけ、
「さあ行こうか、お化け退治に!」
 声高らかに、そう宣言した。
「ぐああああっっっ」
 ばったり。
「…これで3匹目、と…」
 ふぅっ、と銃に息を吹きかけている京一に、その側をさりげなく通り抜けながら、モーリスが涼しい目を京一へ向ける。
「何か、趣旨が変わっているような気がしますが…気のせいでしょうか?」
「うーん。どうだろう?何となく、係員もノッてるように見えるしねえ」
「…確かに」
 プラスチック弾のように後に残らないし、ペイント弾でもなく水の弾。ただし、直撃すればそれなりの痛みはあるため、柔らかい場所は狙わない…京一のように腕が確かなら、こういった遊びもアリかもしれない。
「なんだか逆に私達が脅かしているみたいですが」
 ひらひらと扇子で煽ぎつつ、そんな事を呟くモーリス。
「いいんじゃないかな?一日中脅かす側では飽きてしまうかもしれないよ?」
 そこっ、と不意に現れた白い影に数発打ち込む京一。だが、それは全てその人物をすり抜けて壁にぺしゃぺしゃと当たっていった。
 うけけけけ。
 外れたのを確認したその白い影が、楽しそうな笑い声を上げて…2人の目の前ですっと消える。
「……本物も参戦して来たみたいですね」
「それはまいったね。とてもじゃないが銀弾までは用意してないよ」
 すたたたた、と小走りに走りながら、壁を背にどんどんと先へ行く京一。サバイバル訓練でもしているのか、その動きにはソツが無く。
 そのままするっと次の角を曲がった途端。
「うあああああああっっ!??!?」
 京一…のものではない悲鳴と、なにやら盛大な音が聞こえてモーリスも急いで後を追った。
 そこには、お化けの扮装のまま腰を抜かしている生徒が1人。これは被り物だったらしく、外れた首がそこに転がっていた。
「…お化けと思われたらしいよ」
 ちょっとだけ、ばつが悪そうに京一が呟く。…客を脅かすために用意してきた目の前に突如白い影が映ったら…それは確かに驚くかもしれない。
 僅かな光もこの場合悪く働いた。京一の白い学生服が光を集め、ゆらめく白い影に見えたのだと、腰を抜かしたままの生徒が告げ。
「駄目ですねえ。彼は普通の人間ですよ。――でもその後ろに居るのは…」
「ひぃっ!?」
 ばッ、と首をねじ切る勢いで後ろを振り向く生徒。
「こらこら。からかっちゃ駄目じゃないか」
「お返しです。散々人を脅かしてきたんでしょうからね」
 にっこりと笑いかけるモーリスに、抜けた腰が戻らなくなったか、生徒が虚ろな笑いを浮かべ…這いずるようにして暗幕の奥へと消えていった。
「…残念。もう出口ですか…可愛いお化けがいたなら、お持ち帰りも企画していたんですが」
 明るい外からの光を見つつ、モーリスが軽口を叩く。
「キミの場合、お化けじゃなくても持ち帰ってしまいそうで心配だよ。風紀委員としてそれはしかるべき処置をさせてもらうけどね」
「――風紀委員がお化け屋敷で生徒に発砲した、と言う告げ口をされても良いのでしょうか」
 明後日の方向を見つつ、扇子で口を隠したモーリスからぽそぽそとそんな声が漏れ。
「互いの了承があれば多少の事は目をつぶってもいいかもしれないな」
 目と目を見交わして、笑みを交わす。
 裏取引めいた交流が結ばれた一瞬だった。

*****

「ふぅ、ひぃ、はぁ…」
 必死で駆けて、駆けて、ここまでやって来た蘭が、息を付いた。…何となくなのだが、曲がり角も何も無かったような気がしてならない。終わりの無い道をずっと走り続けてきたような…。
 そんな事、無い、無いっ。
 ぶるぶると首を振って、周囲を見回す。
 ――風景だけは変わっていた。いくつかの箇所を通り過ぎたか、今は和風のたたずまいで、両脇には竹林を模した世界が広がっていた。その途中には段差の無い縁側と障子があり、行き止まりなのを見ると開けて抜けろと言うことらしい。
「…開けなきゃ、先に進めないよね…」
 こくり、と喉を鳴らし、後続の皆が追いついて来ないか、暫く迷いながら待つ。…どのくらい経ったのか、人が来る様子も無く、仕方なしにからりと障子を開いた。
「――――」
 うぅ。
 口をきゅっ、と結んで――畳の部屋を、横を見ないよう、見ないよう気をつけながら進んで行く。
 足元に見えるのは布団。その中には人が横になっているらしく…だが、その顔は白布が被さっていて見えない。
 布団の向こうには逆さに立てられた屏風が置いてあり、どこからか低い読経の声と木魚を打つ音が聞こえて来る。
 ――起き上がるんだろうな、きっと起き上がって来るんだろうな。
 じっと寝たままの布団…怖いと分かっていてもそんな事ばかりが頭の中をぐるぐると回る。
 は、早くこの部屋を出なきゃ――。
 向こうに見える障子を開こうと手を掛けた時、そのタイミングを計っていたようにむくりと白布をつけたままの人影が起き上がった。
「わあぁぁ、いやだぁぁぁ」
 相手が立ち上がる隙も見せず、障子をばすんっ、と勢い良く開けて外へ飛び出す。
「きゃっ」
「うわぁっ」
 どすん、と――誰かにぶつかったのはその時だった。
「あ…ご、ごめん。大丈夫?」
 その声から女の子と判断した蘭が慌てて起き上がり、勢いでぺたんと座り込んでいる誰かに声をかける。
「え、ええ…」
 俯いたままの女生徒の声を聞けば、お化け屋敷に入った時の一団に居た声では無さそうで、先に入ったと言う生徒だろうか、と首を傾げつつ手を差し出した。
「その、ごめん、怖かったもので…飛び出してきちゃって」
 ちらと中を見ると、外まで追いかけては来ないのか、だらりと下げた両手を前に持ったままの姿勢の誰かが和室の中をうろうろしている。
「こっちこそ…ごめんなさい。私はここから入ればいいんだと思っていたの」
 震える声は、泣いているのだろうか…ばさりと掛かった黒髪でその表情は見えなかったが、
「ううん。いいよ、僕も悪かったし。あ、じゃあ、出口まで一緒に行かない?その、1人だと心細いでしょ?」
 本当は自分もそうなのだが、その辺は言わないままで言葉をかける。と、ようやく俯いたままの少女がゆっくりと顔を上げた。
 ――涙目の、黒々とした瞳の少女が、潤んだ目のまま蘭を見上げている。
「一緒に…行ってくれるの?」
「うん。何だったら、せっかくの学園祭なんだから、皆で喫茶店でも行こうよ。大勢の方が楽しいよ、きっと」
「――うん」
 こく、と小さく頷いたその女生徒が、蘭の手を取ってゆっくりと立ち上がる。見た感じ怪我をしている様子は無かった。
「…じゃあ、迷ってたの?」
「良く…分からないの。何時頃ここに入ったんだろう、とか、誰かと一緒に来たような気もしたんだけど…」
 ずっと、これだけほとんど闇の世界に居れば、時間の感覚も分からなくなって当然かもしれない。途中で誰かとはぐれたようだが、そうなってからぐるぐると巡り歩いて、どちらが入り口なのか出口なのかが分からなくなってしまったのだと言われ、蘭がどんと自分の胸を叩いた。
「大丈夫。こっちが出口の方向だよ。――さあ、行こう?」
 ぎゅっ、と。
 少女の白い、少しひやりとする手を取って、蘭は歩き出した。出口と思える方向へ向かって。
 ――気付けば、また両脇の飾りが変わっている。今度は、両脇一面にぽかりと虚ろに開いた眼窩と、中途半端に歪んだ笑い顔の、面――それが、横に一直線にではなく、まるでその面それぞれに身長が設定されているかのように、設置する高さがばらばらに置かれていた。
 ――ひそひそひそ
 ――ざわざわざわ
 気のせいか…面が、話をしているような気がしてならない。
 まさか、お化け屋敷で本物が出るなんて事は無いと思うけど…。
 蘭の不安を感じたのか、それとも自分でも怖いと思ったのか、蘭の手を握る力が強くなった。
 ざわざわと言う、声なのか、効果音なのかが分からない音がずっと耳に付いて離れない。聞いたことがあるような無いような、そんな不安感を呼び覚ます『声』に、2人の足取りが次第に早くなっていく。
「――きゃ…っ」
 ぐぃっ、と、進行が止まったのはそんな時だった。
「どうしたの?」
 振り返った蘭の目に――手が。腕が。
 壁から伸ばされたいくつもの腕が、少女の空いている腕を掴んでいるのが見えた。
「いや…いや――あそこは、いや……」
 必死にその腕を振り解こうとする少女だが、その腕はずるずると確実に少女を暗幕の中へと引き入れようとして――それは、きっと彼女1人だけだったならば、抵抗空しくあの壁の中へと入っていったかもしれない。
 だが。
「僕も手伝うから!大丈夫だよ、出口へ行くんだ!」
 少女相手にはあれだけ強気だった腕達も、どう言うわけか蘭の手には弱かったようで、蘭がぐいと引張るだけ少女が蘭の近くへと戻って行く。
「女の子相手になんてことするんだ!」
 これも、脅かす側のやる事かと半ば腹を立てながら、尚も伸びてくる腕をぺしぺしと軽く叩いてから、少女の手をしっかりと掴んで走り出した。
 ――おぉ……おおおぉぉ…
 行くな……おのれぇぇぇ……
 これ以上効果的な音があるだろうか。
 恨みの篭った声が、耳にびんびんと響いてくる。後ろをちらと振り返れば、笑い顔だったお面の顔までが叫んでいるように見える。ひらひらと伸ばされた腕は、テープのように細く、もう人の手ではなく作り物なのだろうな、と思いながらぱたぱたと足を進めた。
「――出口だ!」
「ああ…」
 隣で手を繋いでいた少女から、ようやく安堵の息が漏れた。
「良かったね、外に出られるよ」
「うん」
 そう言って嬉しそうににっこりと笑いかける少女に、蘭が一瞬ぽーっとなり、それからこほんと咳払いを1つして、テレビの映画で見たような恭しいお辞儀をしてみせた。
「どうぞー。先に行ってよ。僕が最後見張っててあげるから」
「――ありがとう…これで、ようやく外に出れるわ…」
 また彼女を引張ろうとする力があれば、ここで押えないと…そう思ってくるりと背を向けた蘭へ、そんな声がかかり。そして、ふわ…と、暗幕がめくられた事で動いた風が蘭の後頭部を優しく撫でて行った。
 ――うん。大丈夫。
 こく、と安全を確認して、自分も続けて暗幕の外へと出――そして、きょとんと目を真ん丸くした。
「あれ?…どうして皆ここにいるの?」
 そこには、自分の後に付いて来ていた筈の11人が、最後の1人になってしまった蘭を待っていたのだった。
「どうしてじゃないだろ。何で蘭が一番最後なんだよ?」
 葛が、顔を顰めながらずいっと蘭に詰め寄って来る。
「ここにいる筈の蘭さんが居ませんでしたし、動く事も出来なくて皆さん待っていたんですよ」
 シオンが、ぐったりと壁にもたれかかりながらそんな事を言う。
「うん――ごめん。でも僕、誰にも追い越されなかったんだけどなぁ。…あっ、そうだ。僕の前に誰か出てこなかった?」
「いいえ。誰も出て来なかったわよ」
 途中から一緒に歩いて来た筈の少女。だが、誰も出てこなかったとシュラインが言い、その言葉を聞いた何人かがちらと目混ぜし合ったが、何も言わなかった。
「…何だったんだろ。そう言えば最後のお面とか、引張る腕とかしつこかったし…気持ち悪かったな、あれ」
「「「「え?」」」」
 数人が、蘭の呟きに不思議そうな声で返す。
「…あったよね?木彫りのお面。にたにたーって笑ってるやつ」
「えー、そんなのあったの?いいなぁ、見たかったなぁ」
「何でしょうね――私もそれは見ませんでしたが。ちょっと、バランスが崩れている箇所はあったようですけど…」
 その他にも、見なくて良かった、会わなくて良かった…そんな呟きが漏れ、え、え、え、とわたわた慌てふためいた蘭が手をぱたぱた動かしながら必死で説明する。
 …結果、蘭が通って来たルートは他の者達と違う、という事が決定付けられた。
「そ、それじゃ…お化け屋敷って」
「本物だったみたいね。いいじゃない、楽しめたんでしょう?」
 小夜子の容赦ないフォローに、だーーーーっと堪えてきた涙が溢れ出す蘭。
「まーまー。甘い物でもどうです?落ち着きますよ」
「そうそう。待っている間に飲み物も買って来たから…喉渇いたでしょう?」
 シオンと羽澄それぞれが差し出した甘いキャンディを頬張り、こくこくとジュースを飲み干しながらえぐえぐと半泣き状態のままでいる蘭。
「ふう」
 困りましたね、と慰めようとでもしているのか、蘭の頭をゆっくりと撫でていたセレスティが、
「このままここで解散するのもなんですし…どこかに移動しませんか?静かな喫茶店にでも」
 そう、提案した。
「――それは良いな」
 ルーナが、静かに、だがゆっくりと笑みを浮かべつつ賛成し、
「そう言う事ならお任せしてくれないかな?風紀委員をやって来ているだけあって、何処の店がどんな内装をしているのか全てチェックしてあるんだ」
 そう言うと、学生服の内側から、何処にこんな大きさの物がと思うような学校の詳細地図を取り出して広げて見せた。
「お。ここなんかいいんじゃないか?」
「いいんじゃない?席も多そうだし」
「そうね、それにスペースもきちんと取られてるわ。少し疲れたから足を伸ばしたいの」
「メニューもなかなか良いものを扱っているようですね」
「そうですね。…風太さん風太さん。ここ、別テーブルで作りたてのお菓子も売ってるみたいですよ。テーブルで食べられます、って」
「それいいー!そこ行こう、そこにけってーい」
 大分落ち着いてきた蘭を他所に、わいわい集まって決めている皆。
「と言うわけでこの喫茶店へ移動しましょうか。蘭君は功労者と言う事で、奢りますよ」
「功労者…って?」
「――女の子を外に連れ出して差し上げたんでしょう?」
 あの、迷宮の中から。
「――うんっっ」
 大きく頷く蘭。
 そして、わいわい言いながら…そのほとんどは、今体験してきたばかりの、お化け屋敷の話と、それにまつわる怪談話。
 恐怖話が好きな人と苦手な人、そして動じない人の3種に分かれ…道場を出る時、何人かがちら、と道場の中へ目を向けた。

 …出してくれて、ありがとう。

 そんな声が、聞こえた気がして。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / クラス】

【2163/藤井・蘭        /男性/1-B】

【0086/シュライン・エマ    /女性/2-A】
【1282/光月・羽澄       /女性/2-A】
【1312/藤井・葛        /女性/1-B】
【1449/綾和泉・汐耶      /女性/1-C】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/3-A】
【2164/三春・風太       /男性/1-C】
【2318/モーリス・ラジアル   /男性/3-A】
【2585/城田・京一       /男性/2-B】
【2716/武田・小夜子      /女性/1-B】
【3356/シオン・レ・ハイ    /男性/3-C】
【3890/ノワ・ルーナ      /女性/3-A】


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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。パーティノベルをお届けします。
…ええと、今回は随分文章量が多くなってしまいましたが、まさかパーティ上限一杯まで参加して来られる方が居たとは思わず、最終的に人数を確認した時には、自業自得ですが気が遠くなってしまいました(笑)
1人になったり、集まったり、他はペアを組ませたりしましたが、他意はありません。

今回はいつも間垣が使っている登場人物の並びとは違い、パーティノベルの主催…一応主人公と見立て、藤井蘭PCだけトップに置かせていただいています。これだけ人数が多いと主催が誰か分からなくなりそうですし。
そして、武田小夜子PL様と城田京一PL様のお2人は、学年とクラスが分からないままでしたのでこちらで付けさせていただきました。ご了承下さい。

舞台がお化け屋敷と言う事もあり、巨大なおもちゃ箱のような扱いで書かせていただきました。
そして沢山の参加、本当にありがとうございました。
またの出会いを心からお待ちしています。
間垣久実