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<東京怪談ノベル(シングル)>


我が魂の名において


 ソレはいつどこに現れるとも知れない、厳正なる占いの館。
『全てを識るもの』と噂される『灰色の魔女』――レイシュナの領域に今宵踏み込んできたのは、名も知れぬひとりの男だった。
「ようやく……ようやく見つけたぞ!」
 装飾もほとんどなく、黒のベルベッドに四方を覆われた薄暗い部屋の中。悠久の夜を表す世界で、くたびれたスーツに身を包んだその男は、水晶と向かい合う彼女をまっすぐに指差した。
「俺はお前を知っている!お前は災いを告げるものだ」
 病んだ気配を纏い、どこまでも己の正義を信じる事の出来る傲慢さで以って、館の主を睨みつける。
 全身を覆う怒りの炎。
 レイシュナは閉じた双眸でその全てを見、そして全てを彼から読み取ることが出来た。彼の過去から現在、未来に至るまでの情報が、まるで一瞬で終わるインストールのように自分の中に流れ込んでくる。
「俺はお前が」
「貴方は……私がかつてここで占った女性の愛したヒト……かつてここで愛とは何かを問い、罪とは何かを問い、死を望み、そうして破滅へ赴いてしまった彼女が最も恐れたヒト……」
 相手を視認しないままに淡々と事実を確認するレイシュナに遮られ、ぴくりと男の顔が引き攣る。
 言い当てられたことへの驚嘆。言うべきことを先取りされ、行き場を失った言葉がむなしい空気になって口から洩れた。
 僅かな沈黙。
 ギリギリと握り締める音が聞こえそうなほど強く、男は拳にチカラを込める。呼吸が浅く速い。だがどうにかそれを落ち着け、深呼吸に無理矢理変える。
「そ、そうか……そうか、知っているか……調べたのか?いや、そうなるように仕向けたのか……そうだな……アイツを死に追いやったのは貴様なんだからな……」
 薄闇の空間。静寂こそが唯一のBGMであるかのような深い黒の世界で、糾弾者は震える声で自分なりの回答を見つけた。
「貴様が告げた占いのせいで、アイツは俺から逃げようとした。貴様のせいで、貴様のせいで貴様の―――」
「わたくしは彼女の問いに答えただけです。彼女は貴方と共に犯し続ける罪に耐えられなかったのです……」
 再び感情が昂り始めた彼を緩やかに受け止めて、レイシュナは自身の中に残る彼女の記憶をなぞる。
「血の繋がりに彼女は苦しんだ……いつ訪れるとも知れない終わりの瞬間に怯え、逃れられない情念に怯え、姉である自分に怯え、弟である貴方の激しさに怯え……」
「黙れ!黙れ黙れ黙れっ!知ったような口を利くな!」
「わたくしは全てを識るもの……知識ではなく世界そのものを共有するものなのです……そう、逃れる道を選んだ彼女の想いも、そんな彼女を許せずに自らの手に掛けてしまった貴方の想いも、わたくしはわたくしの中で感じられる……彼女を埋める場所に薔薇の下を選んだ理由も……」
 どこか物悲しく告げられた告発は、男の中の何かを壊した。
 それまで辛うじて優位であろうとしていた彼の表情から色が消える。
「……呪われし異形め……アイツと俺を詮索しやがる。ふたりしか知らないことを何故知っている!?」
 慄きと共に発したのは、自身から相手へ転化された怒りだった。
「なら、お前はお前自身を占え!お前はナニモノだ?お前はダレだ?全てを識るというのなら、その水晶でお前の正体を映してみせろ」
 それは超能力者を手品だと評し、その種明かしを嘲りと共に糾弾するものに似ていた。ただし、そこにあのモノたちのような余裕はない。
 レイシュナは突然の訪問者に動じることなく、ただ静かに男を見つめ返し、
「分かりました。ソレがあなたの望みならば、わたくしはそれに応えましょう」
 そうしてゆっくりと肯定の意思を頷きで示した。
 相手が何を望むのか、何を企んでいるのか、その全てを見透かしているかのように。
 ヒトならざるもの。
 この世ならざる存在。
 血の通わぬ灰色の肌を、しんとした雪景色のように凍えて深く沈む紅の瞳で彩り、右の手に破壊を、左の手に再生を司るもの。
 意思を持ったその瞬間から、レイシュナは変わらず在り続けてきた。
 そして請われるままに、真実、あるいは本質に繋がる道を水晶に示し続けてきた。
 自分には占いの結果は見えない。けれど、相手は自分に答えを見る。そうして答えを見た相手の思いで以って自分も自分自身が映すものを識る。
 そうして果てしなく繰り返してきた。
 だが、いまだかつて一度として、今の男のような問いを彼女に向けて発したものはいない。
 誰もが自分をそのように指差したりしなかった。
 だから、自身もそこに疑問を抱いたりしなかった。
 レイシュナはナニモノであるのか。
 正体と呼ぶべきものはなんであるのか。
 テーブルの上の水晶へ両の手の平を翳し、彼女は緩やかにチカラを解放する。
 冷たく艶のある唇から零れ出るのは、いずこともしれない異界の言葉。
 呼応するように彼女の瞳は光を宿し、露出した肌に異形の紋様が浮かんでゆるやかに明滅し始める。
 レイシュナから紡がれる旋律はそれまでの静寂にそっと浸透し、反響し、空気を震わせて何かを作り変えていく。
 どこからともなくふつりふつりと浮かび上がっては舞う蛍のごとき光の粒子が、優しくやわらかな闇を仄明るい冷光で照らす。
 どこまでもどこまでも深く沈みこみ、引き込まれる異空間で、男はただ息を詰め、恐れと嘲りと好奇をないまぜにして彼女を罵倒できる一瞬の隙を窺い続ける。
「……占いの結果が出ました」
 どれほどの時が流れたのか。
 透明な旋律がふわりと消えて、代わりに赤い瞳が水晶ではなく男を見つめていた。
「な……」
 呪縛から解かれて我に返った彼は、水晶の乗るテーブルを押し倒すように手をついた。
 何があるのか、何が映っているのか、好奇心が恐怖を超えて男にそんな行動を取らせたのかもしれない。
 だが、
「何も映っていないじゃないか!やはりインチキか!」
 水晶玉はただぐにゃりと歪んだ自分の顔を映しているだけに過ぎない。
「貴様は何も占えないんだな!自分すらも分からんインチキだ!何も分からない、何も知らないくせに、何が何が何が―――このっ!」
「いえ、映っておりますとも……」
 勢いづいて喋り倒す男の目の前で、レイシュナはゆったりと微笑んで見せた。
「ここに、今まさに」
 言葉と共に、身体が空に溶け出す。
 手袋に覆われた指先、頬、肩、腕……紡がれ行く異音と共に、浮かび上がった紋様から再び光が洩れ、輪郭が細かい霧のような粒子となって分解していく。
「な、なにを始める気だ……?」
 これが何らかのトリックであってくれたらと願いながら、そうではないのだと男ははっきり理解していた。
 旋律は続く。
 脳へ直接響くように、全身を侵していくように、音が全ての正常な感覚を奪い、呑み込んでいく。
「何を……何…を……」
 目を逸らすことも、身体が小刻みに震えるのを止めることも出来ない。
 何が起こるのか、何をしているのか、自分が見ているのは、これから見ようとしているものは一体――
「……っ!?」
 完全に原型をなくして空に融け出した彼女の体が、問いを投げ掛けた男の目の前で鮮赤の光を伴いながら『真実』という名のカタチに再構成されていく。
 ソレは、ありえるはずのない光景。
 あってはならない光景。
 かつて『彼女』だった霧は渦を巻き、凝集し、そうしてのったりと蠢き、緩慢な動作で伸縮を繰り返すものへと変貌を遂げた。
 そこにあるのは――男の、いや、人間が持っているだろう知ってはいけない本質的な恐怖を体現せしもの。
 深い闇。
 取り込まれる混沌。
 美しく哀しくおぞましい、赤黒い色彩。
 血液のように蠱惑的で、甘くきつくどろりと身体も精神も冒して纏わりつく液体。
 無数の手。
 いや、無数の触手。
 目。
 自分を見つめる無数の目。
 口。声。言葉をなさず、幾重にも重なる音の洪水。
 呑まれる。
 闇ではなく、混沌。寄る辺なき不安。
 知らない。自分はこんな光景は知らない。何が起きた、何を見ている、これは一体なんなんだ。
 禁断の呪に触れて、声にならない悲鳴が男の喉から迸る。
 自身の中から沸きあがり、内側から皮膚を突き破りそうな激しい狂気に駆られて、ただひたすらに恐れた。
 彼女を、自分を、ありとあらゆるものを。
 壊れてしまう。
 粉々に砕かれてしまう。
 それほどの恐怖に叩きのめされる。
 自我崩壊を起こしかけ、男は足をもつれさせて部屋の角に身体をぶつけながらも、必死の形相で闇から逃れようと駆け出した。

 そして、占いの館には再び水晶台の前に腰掛ける、ドレス姿のレイシュナだけが残された。

 彼女は自身のカタチを取り戻し、男が消えた扉の向こうを静かに見つめた。
 水晶が映したものを、この身体は具現化し、問いを投げ掛けたものの前に映し出す。
 男が何を見たのか、自分は知らない。
 けれど。
 けれど、あの男が感じた、自己の防衛本能が絶叫するほどの恐怖は確かに感じた。
 蠢くもの。這いずる混沌。あの暗黒の世界に息づく異形の神々に連なるかのごとき、自身の本質とはどこにあるのか。
「果たして、わたくしは何者なのでしょうか」
 誰もが自分に向けることのなかった自身への問いかけ。
 しかし、レイシュナはふと顔を上げ、
「ああ……もう間もなく次のお客様がいらっしゃいますね……」
 それを心の奥底に沈めて、館に辿り着いたその客が目の前の扉を開くまでの時間を静かにカウントダウンし始めた。

 自分は何者であるのか―――投げ掛けられた言葉の欠片が、それまで存在理由を考える事のなかった彼女の内側でひっそりと息衝く。




END