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<PCシナリオノベル(シングル)>


秋刀魚の空 〜ゆびきり〜

「いってきま〜す♪」
 元気な声が秋の青天井に昇っていく。母特製の買い物カゴを手に、颯爽と玄関を飛び出したのはまだ年端もいかない少女、瑞花。鼻歌混じりにスキップすると、クルリと振り返った。
「かってくるのはサンマだよね?」
「そうじゃ、ちゃんと人数分買ってくるんだよ」
 少し腰を屈めて手を振ってくれる母の笑顔。いつも妖力節約のためと称し、少女の姿でいる母だったけれど、瑞花はどちらも好きだった。喜びが零れ落ちるみたいな雪結晶の花びらを散らして踵を返した。
「うん! だいじょうぶだもん。瑞花、がんばるもんね」
 ちょっとまだ大きめのカゴを肩に引き上げる。足音を響かせ、瑞花は通りに出た。
 今日は初めてのおつかい。いつも母と一緒に通う道。「あら? 瑞花ちゃんお買い物?」などと、近所のおばさんに声を掛けられると、ひとりなんだという実感が湧いて胸がワクワクしてきた。紐つきの財布は揺れているし、道は母が地図を書いてくれたし、家で大好きな父が自分の買ってくるサンマの帰りを待っているかと思うと、体が弾むのだった。

 氷女杜家――北陸の旧家、雪女郎の血脈を受け継ぐ一族。その中にあって、最年少でありながら次期当主候補とまで謳われる少女が瑞花だ。両親とは血が繋がっていないが、深い愛情で結ばれ、特に父親には溺愛されて日々を過ごしていた。だからなのか、何んにでも興味を持ち、とても素直。まっすぐに前を見つめて歩く女の子だった。
 銀の長い髪。耳のすぐ横を少しだけ三つ編みにしてもらっている。赤い瞳はまるで夕日がそこにあるみたいに輝いて、白いブラウスとライラック色のワンピースに映えていた。
 以前からずっと母親にお願いしていたひとりでのおつかい。自分は大人になったんだと自覚できる恰好の冒険タイム。瑞花はまだまだ高い太陽を見上げて、アスファルトの影で遊びつつ先を急いだ。
 大好きな親戚のお姉さん、冬華が営んでいるフルーツパーラーの前を通り過ぎ、商店街へと繋がる路地の角を曲がった。
「さぁ! 安いよ。安いよ〜! 今が旬の秋刀魚だ。お買い得だよ!!」
「これいくら? おまけしてくれるの?」
「へいへい、奥さん目が高いなぁ…うーん、こいつをおまけにつけとくぜ」
「ちょっと、コッチのお勘定お願い」
 途端に威勢のいい声の嵐。魚屋のおじさんが白い長靴とビニール製の前掛けで店内を歩き回っている。瑞花はこのおじさんが好きだった。買い物にいくとやさしく頭をグリグリしてくれるからだ。
 周辺にはたくさんの店が連なり、それだけでも瑞花の心は好奇心でいっぱいになった。でも今日はいつもとは違う。ひとりなのだ。瑞花は深呼吸をひとつしておじさんを見つめた。そうなのだ。賑わっている店の外で喜んでいる場合ではないのだ。これから一大行事が待っているんだから。
 小さな桜色のてのひらを握り締め、瑞花はおじさんの前に立った。視線を棚の方へと向けると、太陽の光にキラキラと輝いている美味しそうな秋刀魚の姿が目に入った。緑のザルの上に綺麗に並んだ4匹。
「ええと、1ぴきはおとーさまにあげればいいから、あれかおう!」
 気合。小さな拳に力が入る。瑞花はおじさんに声をかけた。
「こ、これちょうだい!」
「おっ? 瑞花ちゃんじゃないかい。今日はひとりでおつかいかぁ〜えらいなぁ」
「えへへへ♪」
 鼻の下を得意げに擦っている間に、おじさんは秋刀魚を油紙に包んでくれた。
「ほらよ、ご希望の秋刀魚だ。油のってっから、美味いぞぉ〜」
「ありがとう! おじちゃん」
 首から下げた財布からお金を抜いてもらい、カゴにすっぽりと収まった秋刀魚を嬉しそうに見つめた。ずっしりと重くなったカゴが、母との約束を守れた証のようで嬉しくなった。お釣りをもらい軽やかに体を反転させる。他のお客の相手をし始めたおじさんに手を振って、瑞花はもと来た道を歩き出した。
「ふふ〜ん♪ ふっふ〜ん♪」
 鼻歌を歌いながら歩く道。アスファルトに映る影は家を出た時よりも長くなっていた。現代に生きる雪女郎といはいえ、まだ幼い瑞花は暑さに弱い。こうして涼しげな様子で歩いているのは、常に周囲に冷気の幕を作っているからだった。それをさりげなく、しかも日常的にやってのけるということは、やはり瑞花の雪女郎としての能力の高さを覗えるだろう。
 瑞花はご機嫌で歩き続けた。

 そして、もうすぐ家――というところで、突然買い物カゴが激しく動き始めた。
「ふぇ〜! ……な、なんでうごくのぉ!?」
 思わずカゴを取り落とした。アスファルトの上でもカゴの動きは止まらない。瑞花は驚きの感情はすぐに消えて、興味深々の目でじっと見つめた。中に秋刀魚しかいないはず。ということは――?
「あっ! サンマさん!!」
 すっとんきょうな声が秋空に響いた。それは世にも奇妙な光景。もちろん、瑞花は見たことがない。
 青空を買ったばかりの秋刀魚が飛んでいた。カゴからすり抜け、キレイに4匹並んで上空を西へと向かっている。瑞花は呆けた顔でぼんやりと眺めていたが、ますます遠ざかっていく秋刀魚に我に返った。
「ま、まって! ……おとーさまがたのしみにしてるんだよぉ」
 慌てて追いかけた。秋刀魚の青い体が光を受けてキラキラと反射している。眩しさに片目を瞑りつつ、やけに暢気に飛び去っていく魚達を追っていく。
「はぁ…はぁ…ま、まってぇ……」
 速度は比較的遅いのだけれど、何せ相手は空を飛んでいるのだ。しかも、瑞花はまだ7歳程度の身体でしかない。精一杯広げた歩幅でも、追いつくのはやっと。見上げながら走っているので、いつ転んでもおかしくないほど危うい。
 けれど、見失うわけにはいかなかった。だって、初めてのおつかい――家で瑞花のこの初体験の達成を心待ちにしている両親がいるのだから。息が切れて、心臓が痛い。がんばって走る瑞花を笑うように、すぐに手が届きそうな位置をふらふらと秋刀魚は飛んでいた。
「あっダメ! そっちにいったら、ダメだよ!」
 浮遊する秋刀魚が急に向きを変えた。どんどんと川の方へと向かっていってしまう。幅の狭い川だが、橋が掛かっている場所は秋刀魚の位置からは遠い。橋を通ったら、確実に見失ってしまうだろう。
「サンマさん、瑞花のカゴにもどって…はぁ…はぁ…。まけないもん、おとーさまとおかーさまにおいしいおサカナたべてもらうんだから」
 瑞花は懸命に走った。頭の中に、たくさんの笑顔が浮かんでは消えた。自分を誉めてくれるはずだった暖かい腕のぬくもり。このまま捕まえられないのではないかとの予感がよぎる。それでもカゴだけは離さずに小さな足を繰りだした。
 途端――!

 ドテン!

 追いつこうと力を入れた拍子だった。石に足を取られて転んでしまった。うつ伏せのまま、瑞花の体は動かない。熱いアスファルトに顔をつけたまま、涙がこぼれた。
「……まってよぉ…。サンマさん……ぐすっ…うぅ」
 堪えていた涙が一気に潤んだ瞳からこぼれ出す。辺りはあっと言う間に白い結晶でいっぱいになった。光を受け、あるモノは溶け、あるモノは輝き、まるで別世界。でも、瑞花にはそんなことどうでもよかった。残念そうにする両親の顔が頭を占めていた。
「おいっ! なんでこんなところで寝転がってるんだ!?」
「…こら、びっくりするだろ。お嬢ちゃん、どうしたの? 転んだの?」
 閉じた瞼に影が落ちた。顔を上げると、12歳くらい少年が2人しゃがみ込んで瑞花を見ていた。
「だれ? あの、あのね……サンマさん、おそらにとんでにげちゃったの…おとーさまたのしみにしてたのに、だから…」
「そんなに一辺に言わなくていいよ。ほら、立って」
 優しく声を掛けてくれた方の少年が瑞花を軽々と持ち上げて立たせてくれた。
「でさ、サンマ…って魚の秋刀魚のこと?」
 こくりと頷く瑞花。少年はそっと砂埃だらけになったスカートを払ってくれた。瑞花は改めてふたりの少年を見つめた。
 双子だろうか? 2人の顔はとても良く似ていた。黒髪に琥珀色の瞳。いかにも学校帰りという風な白いシャツと黒の半ズボンを履いている。違うと言えば、砂埃を払ってくれた少年にだけ目元にホクロがあるくらいだ。しかし、似過ぎている外見とは反対に、2人から受ける印象が激しく違っていた。
 瑞花の目線に下りて話を聞いてくれている少年。その後で、もう1人の少年は口をヘの字に曲げていた。
「おい、霜! 俺達、急いでんだろう。こいつなんか放っておいて、行こうぜ」
 いかめしい顔で腕組みしていた彼は、霜(そう)と呼ばれた少年の腕を引っ張った。腕を掴まれた霜はそれを柔らかく振り払って眉を上げた。
「……烈…お前、女の子には優しくしろって母さんから教わっただろ」
「ケッ…そんなの関係ないね! それより、早くしろよ」
「でも、この子の秋刀魚が逃げたって――」
「そんなの夢に決まってるだろ! 死んだ魚が逃げるかよ」
 瑞花はオロオロと2人の顔を交互に見ていたが、
「ま、まって! ゴメン…なさい……。瑞花のせいでケンカしないで。瑞花、ひとりでだいじょうぶだから」
 ピョコンと頭を下げた。言い争っていた2人が顔を見合わせた。烈は霜と視線が合うと、小さく舌打ちしてそっぽを向いてしまった。霜が苦笑しながらそっと瑞花の肩に手を置いた。
「ね…秋刀魚ってどこに逃げたの? 一緒に追いかけてあげるよ」
「……ほんとに? いいの?」
 瑞花は霜の背後で横を向いたままの烈を覗った。それに気づいた霜は肩をすくめて囁いた。
「あいつはね…照れてるだけだから…ね」
「……そう…なの? じゃ、サンマさん今どこにいるか見える?」
 言われて、霜が辺りを見回した。視界の端に煌くものが浮遊している。
「まだ近くにいるよ。……ほんとに、空に浮かんでるんだね、追いかけよう」
 優しく手を繋いでくれた。暖かな手に瑞花の胸には安堵の気持ちが広がり、さきほどまでの哀しさがどこかへ飛んでいってしまった。嬉しそうに目を細めて、一緒に歩き始めた。
 その後ろをつまらなそうに烈が追ってくる。両手を頭の後ろにあてがい、やっぱり舌打ちしている。微かに溢す言葉が瑞花の耳に入った。
「…ちぇっ、親父がいいもん食わしてくれるって言うから急いでんのによぉ……。霜のフェミニスト馬鹿」
 意味はよく分からなかったけれど、烈の機嫌が悪いことだけは瑞花にもよ〜く分かった。

                         +

「なぁ〜いつまで追いかけるつもりなんだよ」
「烈……可哀相だろう。初めて1人で買い物に来たんだ。瑞花ちゃんだって、ちゃんと家に秋刀魚を持って帰りたいじゃないか」
「…………」
「何? 何か言いたそうだね」
 烈が憮然とした顔で閉口している。ジロリと瑞花を見た後、吐き溢すように呟いた。
「腹…減った……」
「え?」
「――もぉ〜このぉ! 腹減ったって言ってんの!! 俺達なんの為に急いでたんだよ!」
 今更思い出したかのように、霜は薄く笑って言った。
「ダ・メ・だ! 僕等は男なんだし、父さんとの約束は夕方だろ? 少しくらいお腹が鳴っても平気だよ」
「くぉ〜なんでだよ! こいつの秋刀魚なんて俺の腹ん中に詰め込んでやるぅ!!」
 歯に噛みする烈を尻目に、霜はポカンと2人のやり取りを見ていた瑞花の横にしゃがみ込んだ。追いかけていた秋刀魚は川向こうで見つけたけれど、移動速度が早まってきたようで距離がずいぶんと広がってしまっていた。霜は瑞花に背を向けると、ポンポンと背中を叩いてみせた。
「ほら、おぶってあげるよ。もっと早く走らなきゃ追いつかなくなる」
「うん!!」
 瑞花の足がもう前に動かなくなっているのに気づいてくれた霜の優しさ。それに瑞花は手を握ってもらうため、体を熱から守る冷気を放つのを止めていたので、疲れはピークに達していたのだった。心遣いが嬉しくて瑞花が跳ねるように霜の背に飛び乗ろうとした。ら、烈がいきなり霜の頭を小突いた。
「いたっ……何するんだよ、烈」
「うるせぇ、これは俺の仕事だ。お前は秋刀魚の位置でも確認してろ」
 そう言うが早いか、強引に霜を立ち上がらせ瑞花の前に座った。背中に手を廻して乗ってくるのを待っているようだ。
「烈ぅ? ……いいの? 瑞花がのっても?」
「知らね。気が変わらない内に乗れよ」
「あい♪ ありがとう! ほんとはやさしいんだね、烈って……ふふっ」
 礼を言われたのが不本意だったのか、照れているのか――烈は瑞花を振り向いていた顔を前に向けた。霜にも見えない方向に。でも、瑞花が気づかないわけがない。

 ――うふふ…烈のみみ、まっかになってるんだよねぇ〜♪

 これが照れでなくて何だというのだろう。大好きな冬華お姉ちゃんが誰かさんの前で、真っ赤になっている時と同じ耳をしているんだから。心の中で笑っていると、霜が指差した。
「あれ……秋刀魚が増えてるんじゃないか!? ……うわっ、コッチからも来てるよ」
「……まさか」
 烈が霜に目配せをして、グルリと周囲を見た。
「なぁ…親父の言ってた約束の時間ってそろそろか?」
「んあ? …あ、ああ、そうだけど…今はそれどころじゃ――」
 霜は烈を見つめた。そんな霜の不思議な顔色の変化に瑞花は首をかしげた。互見して霜が頷いた途端、烈の背中が急に動き始めた。
「ひゃぅ〜、おっこっちゃうよぉ!」
「しっかり掴まってろ。走るからしゃべんな!」
「ごめんね、瑞花ちゃん。どうにも走らなきゃいけないみたいだ」
 自分を背負って重いだろうに、烈は信じられないような速さで走った。隣を走っている霜の必死な顔でそれが分かる。瑞花は激しく揺れる肩に懸命にしがみついた。烈の急激に上がった体温が胸に染み込んできて熱い。でも、嫌じゃなかった。それは瑞花のために発せられた熱だから。放っておいてもよかったことなのに、何か用事があったはずなのに、出会ったばかりの自分のわがままを聞いてくれた二人の暖かさだったから。

 ――おっ…おっこちないんだから。だって、がんばるってきめたんもん!!

 これ以上迷惑をかけちゃいけない。幼い瑞花ではあるけれどちゃんと分かっている。今自分がすることは、落ちないようにしがみついていることだけ。そして――。
「あっ! あれぇ!! 烈、霜見てぇ!!」
 そう、しっかり景色を見て秋刀魚を見つけること。それが今、絶対にしなきゃいけないこと。瑞花は揺らぐ視界の中に、鱗を光らせた秋刀魚を見つけた。あれは瑞花の買ったモノ。4匹きれいに並んで、たくさん空を泳いでいる他の秋刀魚たちと一緒にひとつの方向へと飛んでいた。
「あれが瑞花のだよ! おとーさまのサンマさん!」
「…………烈! やっぱり」
「ああ、クソっ親父の奴」
 ふたりは瑞花の声に反応して、更に速度を上げた。空を飾る秋刀魚の行進が一ヵ所に集約されていく。周囲の大人達はそんな大異変に気づいた様子もなく、路地を雑談しつつ歩いている。空飛ぶ秋刀魚は子供にしか見えないのだろうか?
 人の往来が激しい大通り過ぎ、どんどんと集まっていく魚の群れを追いかけて、瑞花と双子は山麓の小さな空き地までやってきた。

「はぁっ…はぁっ…………ク、クソ、親父ぃ!! 出て来い――――!!」
 空き地の入り口に立つと、烈は瑞花をおぶったまま大声で叫んだ。肩が激しく上下して息が荒い。気持ちを落ち付けるように1度だけ深呼吸して霜と目を合わせた。空き地の奥には古びた用具入れがあり、人の姿はない。古タイヤで作ったジャングルジムと、コンクリートのトンネル。砂場。ありふれた街の公園。どこにでもある場所。
 ただひとつ違っていたのは、周囲から集まってくる秋刀魚たち。そのすべてが一番奥に配置されたコンクリートのトンネルへと吸い込まれていたことだった。まさに非日常的光景が展開されている。
 霜は額を人差し指で軽く押さえて言った。
「まったく世話の焼ける人だよ……」
「ケッ! 久々にヤル気出したかと思えば、他人の横取りかよ。やってらんねぇ」
「サンマさん、ここにきてたんだね……。でも、ここにふたりのおとーさまもいるの?」
 瑞花の問いに、霜が眉を寄せて苦笑いした。
「残念ながら、そうらしい……ほんとに困った人だから」
 肩をすくめた霜。烈は苛立った横顔に反比例する優しい仕草で瑞花を背中から降ろすと、振り向かずにもう一度叫んだ。瑞花が背負われて聞いたさっきよりも、心臓がびっくりするほどの大声で。
「こぉらぁ〜〜〜〜!! 知ってるんだぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!! 出て来――い!!!」
「うきゃぁ!」
 瑞花は思わず耳を塞いだ。尻餅をついてしまった体を霜がすかさず、抱き起こしてくれる。荒れ狂う烈。霜は静かな面持ちで、反応を待っている様子。と、トンネルの中から誰かが出てきた。
 いや、何かが――――。

「……ネコ…さん?」
 瑞花は思わず声を溢した。トンネルから出てきたのは、2本足で歩く猫だった。藤色と白の斑模様。口には見事な秋刀魚をくわえている。それをポトリと落して、猫は「ニャー」と一声鳴いた。
「……バレてないとでも思ってんのか!」
 眉間に青スジを立てて、烈が拳を握った。瑞花はポテポテと走って烈の背に隠れた。猫の行動を見守りながら、必死になって考えた。さっき、ふたりはここに父親がいると言っていた。そして、烈が言っていた独り言。

『親父がいいもん食わしてくれるって言うから急いでんのによぉ……』

 もしかして、もしかして――!!
 瑞花が自分の考えに目を丸くした瞬間、猫は舌を出すとクルリと体を空転させた。その地面を蹴った足が着地した時、それは猫のそれではなく人のそれになっていた。着流し風の浴衣に下駄。不精ヒゲを蓄えた大人の姿。ふたりの方にニヤニヤとした視線を投げては笑っている。
「やっぱり……、どうしてマトモに働かねぇんだよ!」
「だって、秋刀魚が美味しそうだったんですよ〜。さっ♪ 今から七輪用意するぞぉ〜、霜来い」
 掴み掛からんばかりの勢いで迫った烈を気楽に払うと、霜を呼んだ。そして、烈の後ろにいる瑞花に気づいた。口の端を上げた。まるで面白いオモチャを見つけた子供の如く。ちょいちょいと手招きをしてくる。瑞花は呼ばれるままに足を踏み出した。
「バカッ! 行くな。親父になんか構わねぇ方がいいんだ!」
 烈が慌てて瑞花の体を押さえた。
「どうして? 烈のおとーさまでしょ? 瑞花、サンマさんかえしてねっていわなきゃ」
「…………お前…まっすぐだなぁ…。そんなの俺が言うから、そこにいろよ」
「でも――」
「でもじゃない! アイツはな、飄々としてて掴み所がないんだ。きっと何か企んでるに決まってる」
 瑞花は反論しようと口を開くと、霜が横から割って入った。
「烈の言う通りだよ。大丈夫、烈と僕で瑞花ちゃんの秋刀魚を取り返してあげるからね」
 3人のやり取りを猫から変化した男性が微笑ましいモノを見る目で眺めていた。それに気づいて、烈が睨んだ。
「聞こえただろ、コイツの魚返せよ。親父!」
「……いいですよ。でも条件があるんですよね。せっかく念力で手に入れた秋刀魚なんだから」
「チッ…相変わらずタヌキ思考だぜ」
「ふふふふ、猫ですよ。キミもね」
 気づいてますよね? とでも言いたげな目で父親は瑞花を見た。だから、口にしてしまう。
「――ね。烈も霜も、ネコ…さん……なの?」
 バツの悪そうな顔をして烈が瑞花を見た。瑞花の頬を軽くつねると大きな溜息をついた。
「ご名答…当り」
「ごめんね、僕達猫なんだ。人化能力……そういう能力をなぜか受け継いじゃったんだよね」
「そう…なんだ」
 瑞花は予想通りの答えに、ただびっくりしていた。自分が雪女郎だということも言った方がいいのかな? との想いが湧きあがる。けれど、ふたりに出会った時、季節には早い雪がちらついていたのを2人とも指摘しなかったことを思えば、瑞花が雪女郎であると察しがついていたのかもしれない。
「――で、でも! 俺はお前と何も変わらないんだからな…命あるもの同士って言うか……」
 烈は初めて困った顔で口篭もった。本当は知られたくなかったのだろう。瑞花にはそう思えた。

 パン!

「うわぁ! なんだよ」
 突然鳴る拍手。3人の視線が注がれたのを確認して、父親がもう一度拍手を打った。今にも噴き出しそうな表情で「条件は聞かなくていいのか」と尋ねてきた。
 ふたりは黙り込んでしばらく考えた後、烈が言った。
「条件にもよる…っていうか、小せぇ子のモノ取って恥ずかしくないのかよ……ただで返せ!」
「まぁまぁ、烈。聞くだけ聞いてみよ。父さんだって、こんな可愛い子を泣かせたくないと思うしね」
 霜にウィンクされて、瑞花はドギマギして俯いた。俯いた頭上を父親の声が通り過ぎていく。はっきりと聞き取れない。どうやら、2人に耳打ちしているようだった。顔を上げると、
「なんだ、そんなことか。だったら僕がするよ」
「――――ぎぃぃ…、てめぇ俺をからかってるんだろ!」
「それ以外は譲れませんね。あ、霜だけじゃダメだよ。ふたりでね♪ だって、なかなか見物でしょうし、せっかく集めた秋刀魚を返す条件としては、それほど悪くないでしょう?」
 父親の言葉に安堵の表情を浮かべる霜。それに比べて真っ赤になって声を荒げている烈。その赤い顔は怒りによってではなく、照れているようにも見えた。
「? …どうしたの?」
 瑞花がきょとんとした目で問うと、烈は更に耳まで朱に染めて身を屈めた。しゃがみ込んで霜と瑞花の顔色と覗っている。霜が「観念しなよ」と肩をすくめた。
 秋刀魚を返してもらえる条件は何だったのだろうと、瑞花が烈の行動に頭を疑問符でいっぱいにした瞬間、ふたりが瑞花を挟んで真横に立った。
「えええ? はにゃ…」
 それは玉響。
 両方の頬に熱い接触。2人が同時に瑞花の頬にキスをしたのだった。それに気づいて瞳が零れ落ちんばかりに目を見開いた。音を立てて血が頭に昇る。一気に冷気を放って体を冷やさなければならないほど顔が熱い。冷たい両手で頬を覆って、目を白黒させた。
「どどど…ど、どうして」
「ごめん、これが父さんの条件だったんだ」
 真っ赤になってしまった瑞花の頭を霜が撫でてくれる。烈の方を見ると、さっきよりも顔を濃い紅に染めてそっぽを向いていた。瑞花はさっきの烈の行動の意味がようやくわかったのだった。

                      +

 手を振った。また逢えることを祈って。
 カゴはずっしりと重くなり、瑞花は家の近くまで送ってくれた2人を振り返った。
「バイバイ――――!! また、遊ぼうね」
 もう声が聞こえないほど遠い。瑞花はにっこりと微笑むと前を向いた。すっかり夕暮れてしまった街を歩いていく。瑞花の帰りを両親ときっと心配しているから。
 角を曲がる瞬間、2人を探すと小さな影がふたつだけ。
 尻尾を振って、軽やかに遠ざかる後ろ姿。長く長く伸びた小さな影がふたつだけ。短かったけれど、たっぷりの冒険を思い出し、瑞花はまた「おつかい」に行こうと思った。
 視線を前方に向けると、玄関に母の姿を見つけた。頬が緩んで瑞花は元気に走り出した。
「ただいま〜! サンマかってきたよぉ!!」


□END□

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 こんにちは。ライターの杜野天音です。
 初めてのシナリオノベルでした。発注して下さってありがとうございます!!
 値段設定を高くしたので、その分文字数で頑張らせていただきました。瑞花ちゃんを書くのは初めてですが、氷女杜家の方をたくさん書かせて頂いているので、表現しやすかったです♪
 この物語で登場する烈と霜は猫です(笑) すでにラストはシナリオを登録された方が決定されていたのですが、それだけでは楽しくないし、やっぱり一緒に行動してくれる子がいるといいかなぁと思い、双子を登場させました。如何でしたでしょうか?
 気に入って下さるようならいいのですが。

 「いってきます」で始まり、「ただいま」で終わる。それこそ、小さな冒険ですよね。双子も可愛い瑞花ちゃん遊べて嬉しかったと思います(*^-^*)
 それでは、今回は本当にありがとうございました♪
 きっと帰宅したら、心配していた両親に抱きしめられ、そして喜ばれることでしょう。やったね、瑞花ちゃん!