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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

 濃くはない空の色に紛れて、輪郭の曖昧な満月に沙倉唯為はひとつ、鼻を鳴らした。
 待たせるのは平気だが、待たされるのは真っ平御免、何か暇つぶしがあればいいが妖刀『緋櫻』を手に立ちんぼうでは潰す暇さえありはしない。
 苛立ちの吐息が大気に白く散る。
 まるで結界の如く、周囲を彷徨く黒服達は一定の距離以上を詰めようとせず、唯為の気晴らしにもならない。
 それだけあからさまな不機嫌を周囲に発散する唯為の背に、明るい声が掛けられた。
「Hi,唯為♪」
「遅い!」
心境、現況、その他諸々が籠めて吐き捨てるような一言に、魅惑の人妻、ステラ・R・西尾は小さく舌を出して両手を併せ、謝罪の意を軽いウィンクに乗せた。
「ゴメンなさい、支度に手間どっちゃッテ」
「そんなモノは旦那との逢い引きの時だけにしろ」
だが唯為は動じず、上目遣いに見上げる翠色の瞳の間を指で弾いた。
「ンもぅ、レディに手を上げるなんて失礼ヨ」
「上げたのは手じゃない、指だ」
さくさくと交わされる応酬に、周囲から賞賛の拍手が上がる。
「仕事しろ、お前等」
部外者の最もな指示に、『IO2』構成員達は公園出入り口に『只今整備中』のプレートをチェーンと共に張り、封鎖作業を続行する…黒いコートの下に作業服を着たカモフラージュ要員がバラバラと散るに、準備が整いつつある事が知れた。
「ネ、唯為。本気で行くツモリ? そんな格好じゃ危ないワヨ」
豊満なボディラインをぴったりと包んだボディスーツは、彼女の戦闘服らしい…対する唯為はいつもの黒スーツだが、果たしてどちらがより安全であるのかを問われれば困る。
「子育てを途中で放棄する程俺は無責任な人間じゃない」
ツッコミを堪えて唯為は片手の『緋櫻』を肩に担いだ。
 心霊テロ組織『虚無の境界』、そしてそれに対する超国家的組織『IO2』とひょんな縁が出来たのは、一人の青年…唯為曰く所の義理の愚息の存在に因る。
 ピュン・フーと名乗った黒衣の、異形。
 昨今、世を騒がせる事件の中核を担う『虚無の境界』、其処に属する不肖の義息が気に掛り、その動向に関する情報を労働報酬に求めたのはスポーツ選手ばかりを狙った連続猟奇殺人事件の折の事である。
 以来、まともな情報は流れて来ず、たまの連絡は髭面のおっさんからの飲みの誘いだったりしたのだが。
「正直……」
ステラは組んだ腕に無駄に胸の谷間を強調して、頬に片手をあて悩ましい息を吐く。
「今更、どうしようもないんだケド……決定は、決定ダシ」
漸くの連絡は、ピュン・フーの処分、に関しての短い決定の通達。
 電話口で事務的な連絡に、唯為は責任者を出せとねじ込んでステラの夫君である所の西尾蔵人を引っ張り出し、詳細を聞き出したのである。
「何、そちらの手を患わせるつもりはない」
胸を張って唯為は、スーツに合わせて黒いコートの襟に手をかけた…姿だけなら、唯為も十二分に『IO2』の構成員を張れる。
「家庭内の些事だ。一発ぶん殴ってやれば愚息の目も醒めるだろう」
背後に拡がるのは都内で有数の敷地面積を誇る公園、其処でピュン・フーが関わるテロが為されるという連絡に阻止を申し出たのは唯為である。
「安全は保証出来なくてヨ?」
ステラは胸に押しつけられたコートを抱えて念を押す。
「笑止」
言いながら笑って唯為は敷地に足を踏み入れた。
「もう一人の息子サンも、もう着いてる筈ダカラ……無事に戻ったら、西尾ラヴラヴ☆アタックをご馳走するワネ」
「何の罰ゲームだ」
無事を祝って何の技を食らわねばならないのか。呆れを含んだ唯為の言に、ステラはうふんと笑う。
「とっても美味しいロール・キャベツ。旦那サマとの合作なんだカラ」
「……遠慮したい」
唯為の正直な感想は何処吹く風で、ステラは彼の長い影を踏みながら大きく手を振った。


 濃い夕闇が満ち始めた、視界の広い空間でも尚、目を引くほどにその立ち姿は黒かった。
 影を落とさぬ程に確としすぎた輪郭は、闇色に穿たれた空虚のようで、ひたすらに禍々しい。
 それがただ立つ、人の形をして其処に在ると言う事が、奇妙な感覚さえあった。
 異形。
 ならば人を模すな。それらしい姿で一目で恐れを想起させるならばまだ潔い。
 歩を進めれば、目を閉じた横顔がそれでなくとも色に乏しい肌色から血の気が失せているのが見て取れた。
 既知のその名を口の端に乗せる。
「ピュン・フー」
呼びかけの声が重なり、唯為は立ちつくす青年の向こうに分家の後継の姿を見る。
「なんだ、居たのか」
解って居ながらニヤリと笑い、唯為は肩に担いだ『緋櫻』を示してみせればほんの一瞬だけだが、あからさまにホッとした顔を表情を浮かべるのに笑みが深まる。
「そんな顔をしてると、知らない人に攫われるぞ」
半ば以上の本気を揶揄の口調に混ぜれば、思った通り相手は秀眉を潜めて不機嫌な顔を作った。
「からかうな」
頑迷なまでの、この青年の真っ直ぐさが今は唯為の救いである…でなければ、目の前の闇を切って捨てる、安易な終決に逃げてしまいそうだ。
 言葉数の少なさはいつもの事、短い主張にピュン・フーへ視線を据えた彼が軽く和装の袖を捌いてその白い喉に手をやるのを見守る。
 声帯の震えを殊更丁寧に、確認するような手の下、力在る声が黒衣の青年の名を紡いだ。
「ピュン・フー」
呼び掛けられた、ピュン・フーに如実な変化はない。
 闇の質はそのままに、気配だけが漣の如く揺らいだ。
「……あれ?」
ふ、と開いた目に宿った赤が、紅に焦点を結んだ。
「ママに……にーちゃんじゃん。お揃いで、どしたの」
眠りからの不意の覚醒に、現状を把握出来ていない風情で、ピュン・フーは幾度か目を瞬かせた。
「ピュン・フー……」
安堵の息を吐いた朔羅に、ピュン・フーは語調に笑みを混ぜる。
「にーちゃん、その顔すっげそそるケド乱用してたら攫われるぜ?」
既に自分が言った台詞であるが、人が忠告しているのを見ると微妙に腹立たしい。
「それは俺の二番煎じだ、ピュン・フー」
不機嫌にそう釘を刺せば、ピュン・フーは僅かに肩を揺らして笑った。
「そいつは失敬……そんなトコも似るモンなのかね、家族ってば」
その両の手首を繋いだ、手錠の鎖が擦れてシャラと鳴る。
 ハ、と短い息が笑いに似た音で吐き出された。
「何度も逃げろって言ってんに……聞き分けねぇなぁ」
会話の流れに脈絡のない発言を訝しむ、より先に唯為は手刀をピュン・フーの頭に振り下ろした。
「阿呆、聞き分けがないのはお前だ」
スパカーン、と小気味のいい衝撃に前につんのめるピュン・フーに唯為は畳み掛ける。
「一体何から逃げろと? 散々振り回してくれて、今更その台詞は水臭いじゃないか」
一呼吸を置いて、反応を見る……ピュン・フーは存外に痛かったのか、撲たれた箇所を押さえて前傾になった間を縫って意見が続く。
「ただ黙って人の指図を受けられる程、私は素直な人間ではない」
そうおいそれと、我を出す事のない相手が口を挟むに感心し、唯為は感心して先を譲る。
「待っているだけでは貴方は何も話そうとしない。ならば、追いかけるしかないだろう? 貴方が何を抱えているのか、それを知りたくてここに居る……自己満足、でしかないが」
それでも自嘲、が混じっているあたりはらしいと言えるか。
「それに、この内気な兄が一途に弟を追う姿は実に感動だ……ママが思わず妬いてしまうくらいにな」
軽口に混ぜた本音に、両側からお叱りをくらった当人はこきこきと首を左右に傾けた。
「うわー……、なんか、ステレオで来られるとクるわ……」
「反論が正論なら、承ってやるが?」
唯為がすかさず意見を乞えば、ピュン・フーは紅い眼元を緩めた。
「ん、なんか愛されてるってカンジ?」
返された軽口は唯為が予想していた範疇の半歩外、返答に悩んだ間隙を突いて不意の声が割り込んだ。
「驚きましたね……まだ、意識を保っているのですか? 往生際の悪い」
冷静、と呼ぶより冷徹な声はピュン・フーへ向けて。
 芝生に盲目を示して白い杖を突き、神に仕えるテロリスト、ヒュー・エリクソンの姿が其処にあった。
「主よ、今日この出逢いに感謝を捧げます……御心は誠に貴く、人の心に息づいています」
胸の前で十字を切り、ヒューは穏やかな笑みを順に二人に向けた…焦点を結ばない湖水の蒼を湛えた瞳は、その動きに視線を錯覚させる。
「唯為さん、またお会いできて心から嬉しく思います」
丁寧な挨拶に、悪意は欠片も感じられない。
 だが、唯為はそれを鼻先で一蹴した。
「ヒューとか言ったな、主には申し訳ないが、俺は俺の意志でここにいる」
信仰を旨とする人間が捧げた祈り、あっさりとその至上を覆して唯為は胸を張った。
 傲岸不遜、天上天下唯我独尊を地で行く唯為ならではの自信である。
「ヒュー」
神父の名をピュン・フーが呼び掛けた。
 だが、汚らわしいとでも言うように、神父は僅か眉を寄せて答えない。
「ママとにーちゃん、連れてってくんねぇ?」
「何の打算があっての、命乞いですか」
固い声音に口の端を上げて、ピュン・フーは瞼を伏せた。
「ママなら俺を殺せるだろうし、にーちゃんなら殺させてくれそうだから……ヒュー、得じゃねぇだろ」
ピュン・フーはゆっくりと膝を落とした。
 頭を緩く項垂れて、それは祈りの仕草のようである。
「神の意を損得で量ろうとは……つくづく愚かですねお前は」
態とらしく長い溜息を吐いて、ヒューは顔を上げた。
「ならばお二方に問いましょう……貴男方は、生きてこの場を去る事をお望みですか?」
向けられた問いは、それぞれ、自身の進退を問うてのもの……唯為にとっては、問われる事自体が無意味で答えるつもりはない。が、律儀な後継は必死の表情で即答する。
「ピュン・フーに、生きて自らで幸せを見つけてもらたい」
元よりの意志に沿うを代弁されてこれ以上、唯為に言葉は必要ない。
「だ、そうだ」
右に倣った形の唯為の主張にちらと視線が向けられるのに軽く眉を上げてやれば、安堵を得てか、眼差しはヒューに戻された。
「ヒュー、貴方は知っているのだろう? ピュン・フ−の事も怨霊機の事も」
押せば引くように常、自らの主張を誇示する事のない彼が、こうも堅固に答えを求めるのは稀だ。
 それ等は全て、浅い息に肩を揺らす義理の息子に由来して、唯為は僅かな笑みを口元に刻む。
「……ピュン・フ−、お前はどうしたい? お前が望むようにしてやる」
耳の端でヒューの能書を聞きながら、唯為はピュン・フーに問うた……答えはない。最早外からの情報は届かないのか、若しくは答える力が残されていないのか。
「楽になりたいならその通りに、生にしがみ付くなら、取り敢えず今日のところはその死霊共の引き剥がしを手伝うが」
それでも問い掛けを重ね、唯為は見下ろして黒い姿に僅か、哀れを覚える……幸せを問うばかりで自らの答えを持たぬ……否、持たぬからこそ問うのか。
 自分にない何かを、他者に求める気持ちは解らないでもない。
 欠落の所在を知らずに闇雲に求めるのみでない、そればかりは感心の域だなと、唯為はヒューの説く妄信的な思想とピュン・フーの思考を多少の親の欲目を対比させながら、唯為はただ待っていた。
 ピュン・フーの救いを求めるのは既に分家の後継が担っている。いじらしいまでの真剣さはとても真似出来たものでなく、ならばいつもの自分の立ち位置に終始すべきだろう……妖を狩る、使命と称される生業に。
 唯為は左手の中に沈黙する妖刀『緋櫻』を意識した。
 切り捨てる事は簡単だ……嘗てのように、いつものように自分なら躊躇なく、ピュン・フーを滅する事が出来る。
 けれども、種を違えた救いのどちらを選ぶかは、ピュン・フー自身に委ねなければならない。
 死を差し出す唯為の手でなくもう一方、生を望んで懸命な白い手を。
 選んでやって欲しいと柄にない願いが胸中に飛来し、唯為は誰に咎められたでもないのに渋面になった。
「……ただし、兄にかすり傷一つでも付けようものなら、俺の独断で前者を実行する」
あまり関係のない不機嫌な宣告を下した……唯為の思考に倣ってか、『緋櫻』が、カタ、と震えた。
 否、それは歓喜の。喰らうべき妖が居る、その血を啜る喜びに『緋櫻』が鍔鳴りを起こすに唯為は鞘を払うと同時、分家の後継の名を疾呼した。
「……離れてろ。俺の領分だ」
踞るように膝をついた、ピュン・フーが片手で胸を掴むようにして息を詰めた。
「……ツ、ゥ……ッ!」
苦痛の息の咄嗟、手を伸ばそうとした彼をどうした理由か、ヒューが背に庇うように共に後進するのに息を延べる。
「ピュン・フー!」
それでも諦めない呼び掛けに痛ましさを覚える…が、ピュン・フーの微かな変化を見出して、唯為は『緋櫻』の封じを解く手を止めた。
 顔を上げてそちらを見た口元が小さく動く……言葉の意味を読んで、唯為は奥歯をきつく噛んだ。
 ベキバキと骨格が黒革のコートの背を迫り上げて突き破り、成長に追いつかずに裂けた肌から流れる血に塗れて艶を増した漆黒がふわりと痛みを無視して。
 まるで何かが羽化、するように、常の倍以上はある、一対の皮翼が拡がった。
 だが、飛ぶ目的のそれではない…骨の間に滑らかな天鵞絨を思わせる質感の皮膜が禍めいて形を変え続ける模様に波打つ…それは、現世に届かぬ怨嗟を叫び続ける、死霊。
『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ…!』
怨念が渦を巻く。
 きつく、閉じられていたピュン・フーの目が開く……其処には瞳も何もなく、血を流し込んだようにただ、均一に湛えられて意思を計らせない紅色が顕わになった。
 その瞬間に、ピュン・フーの表情から苦痛が消える。
「櫻、唯為の名に於いて、汝の戒めを解き放つ」
苦渋の声が、妖刀の封縛を解く……担い手の意に関係なく、存在を命を屠り啜る、その事だけに依るある意味静なる狂気が、裡に宿した妖気を解放の期待に波立たせる。
「目覚めよ、緋櫻」
瞬時、解き放たれた妖気が空気の質を変える。息をするのが困難な程に圧力を増した空気に、唯為はそれでも笑みを深める……妖刀の悦びが柄から流れ込むようだ。
 ピュン・フーが立ち上がった。
 皮翼の重さを無視した動きに僅か均衡を崩しかけたがそれのみで、真っ直ぐに向き合えば、鋭利な爪で抉る形で裂けたシャツと皮膚……血を滲ませた傷以上の痛々しさで心臓の位置を斜めに過ぎって走る疵痕が顕わになっていた。
「もう一度、言っておくぞ……朔羅に傷一つつければ俺はお前を殺す。例え怨霊に操られた末の行動だとしても、な」
だが、そうでなければ腕の一本や二本、切り落としてでも止めるつもりでいた。
 意志なき瞳で怨霊を宿すのみに堕とされた姿など、見たくもない…それ以上、過保護であると言われようが、疑似家族残る一名に見せたくないというのが大半でもあった。
 が、眼前の動きに集中していた其処に割り込む形で銀の髪を見るに、叱責が喉を突く。
「何をしている!」
立ち合いの場に割り入る、そんな無謀を為す者でないという無意識の認識が唯為の行動を鈍らせた。
「やめろピュン・フー!」
制止が力持つ声で放たれる。
 それが抑止力となってか、ピュン・フーが動きを鈍らせた……僅かだが確かな変化に、遮って前に立つ背が安堵に肩の力を抜くが、油断とも言えるそれに注意を促す間はなく、鋭利な爪を持つ指が細い首を掴んだ。
 片手でそのまま重くはないが軽くもないだろう身体を吊り上げる。
「……ピュ、フー……ッ!」
苦しい息の下、それでも名を呼ぶ声に世界から音が消える。
 自分の脈動、手の中の熱、『緋櫻』の歓喜の声。
「……阿呆!」
口をついて出たののしりは果たして誰に向けてか。
 白刃の切っ先は狙いに違わず急所に吸い込まれる……胸に走る疵痕の中央、事態の原因であるという……怨霊機を組み込まれた心臓を貫いて。
「この……阿呆……!」
苦さに発した声に、力はなかった。
 唯為に延べた腕、その爪の先は寸前で止まっている……刃に伝う血の赤が、白銀を際立たせて彩るそれを、楽しげに見て。
 真紅い瞳が微かに笑った。