コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

 満月は白く輪郭をぼかし、半ば青空に溶けた風情だ。
 十桐朔羅は頤を上げて白い喉を晒し、存在感の薄いそれをぼんやりと眺める。
 待つ、事に苦痛を覚える性質ではない。
 傍から見てどうであれ、思考の材料は幾らでもある。
 思いに沈めば思わぬ程に時間が過ぎているものだが、今日の朔羅は思考に集中出来ずに居た。
 幾度目か知れぬ溜息が、月と同じ白に色を変わる。
「お待たせしたかな」
その服務規程は改めた方がいい、と目にする度に思う『IO2』関係者…指示を下す様を見るにどうやら地位はあると思われるが、奇妙なまでその雰囲気を持たない西尾蔵人は、朔羅の眼差しに肩を軽く竦めて見せた。
「中間管理職はどうにもツライね」
ぼやいてみせて、蔵人は何気ない動作で道の向こうを示す。
「対象は公園内のほぼ中央、芝生の広場に居るから」
直球な要件に、朔羅はその指の先に視線を転じる。
「どうも態と情報を流してきたふしがあるね。自信があると同時に、実地を試すつもりらしい」
感情の抑揚を欠いた説明は、けれどぼんやりとした月のようで冷たさはない。
「彼はもう、彼でないと思うよ」
けれど辛辣だ。
 心霊テロ組織『虚無の境界』、そしてそれに対する超国家的組織『IO2』とひょんな縁が出来たのは、一人の青年の存在に因る。
 ピュン・フーと名乗った黒衣の、異形。
 昨今、世を騒がせる事件の中核を担う『虚無の境界』、其処に属する彼が気に掛り、その動向に関する情報を労働報酬に求めたのはスポーツ選手ばかりを狙った連続猟奇殺人事件の折の事である。
 以来、『IO2』から音沙汰と呼べるのは休暇に一人を持てあましたブロンド美女からの遊びの誘い程度であったが、突然の呼び出しに都内有数の規模を誇る公園へ出向いた朔羅を待ち受けたのは、蟻のそれを彷彿とさせてわらわらと動き回る黒服の一群だった。
 目的地についた旨、携帯で連絡を入れれば黒服の没個性に紛れきった蔵人が姿を見せた次第だ。
 その間にも着々と、敷地内へ人が入り込まぬよう手配が為され、出入り口には『只今整備中』の文字がチェーンと共に張られた。
「正直」
髭の浮く頬のあたりを掻き、蔵人は視線を宙に向ける。
「我々は、あまり君に期待はしていないんだよ」
 それが何に対しての言かを、朔羅は既に承知していた。
 先にあった蔵人自身からの連絡は、ピュン・フーの処分、に関しての短い決定を通達するのみの物だったのだが、其処をねじ込んで場所を聞き出したのは、朔羅にすれば珍しい行動であると言えた。
 同時に申し出たのは、ピュン・フーの捕獲である。
 決定的な驚異に成り得る前の処断ならば、事前に思いとどまらせる事が出来れば、あるいはテロ行為を阻止出来れば、決を覆す事も出来るだろう、と強引な押しようを、ならばと承けたのは蔵人の独断であったのは容易に知れた……組織という物は大意の決定を容易に覆しては立ち行かない。
 其処を推して、部外者である自分を陣に銜えた西尾の尽力には頭が下がる。
「そして、君の身の安全を保証出来もしない……それでも行くかい」
語尾が上がらなかったのは、朔羅の瞳を一度見て、そこの決意を読み取った蔵人の過たぬ見解を音にした為である。
「そうそう、義理のお母さんと中で合流出来る手筈になっているからね……くれぐれも、気をつけて。朔羅クン」
言って、蔵人は張られたばかりにチェーンを外し、朔羅を中へと促した。
「無事に戻ったら、西尾スペシャルをご馳走するからね……僕と、奥さんをがっかりさせないで欲しいかな」
ふと、問う視線を向けた朔羅に蔵人はもう一度肩を竦めて見せた。
「奥さんとの合作でね。それは美味しいロールキャベツなんだ……楽しみにしてるよ」
言って延べられた片腕の先。
 冬の早い落陽の傾きに、長い影が伸びた。


 濃い夕闇が満ち始めた、視界の広い空間でも尚、目を引くほどにその立ち姿は黒かった。
 影を落とさぬ程に確としすぎた輪郭は、闇色に穿たれた空虚のようで、ひたすらに禍々しい。
 それがただ立つ、人の形をして其処に在ると言う事が、奇妙な哀しさを内包していた。
 異形。
 人の姿で、それからはほど遠い何かを抱えた、それは痛みであるように思えてならない。
 歩を進めれば、目を閉じた横顔がそれでなくとも色に乏しい肌色から血の気が失せているのが見て取れた。
 既知のその名で呼び掛ける。
「ピュン・フー」
呼びかけの声が重なり、朔羅は立ちつくす青年の向こうに本家の主の姿を見る。
「なんだ、居たのか」
不敵な笑みで肩に負った妖刀を示してみせる、それに少なからぬ安堵を覚えて、朔羅は強張っていた肩の力を抜いた。
「そんな顔をしてると、知らない人に攫われるぞ」
何に、とは言わない忠告は人一人を隔てた距離に遠いが、揶揄を感じ取って朔羅は眉を顰めた。
「からかうな」
言いながらも、常と変わらぬ語調とやりとりがのし掛かる圧力を軽減させる…自らが担えない重さを認め切れずに、潰れてしまわないで済む。
 間に挟まれる形で立つ、ピュン・フーに動きはない……眠りの質でなく表情を欠いた横顔に、朔羅は自らの喉に手を添えた。
 力を持ち、言霊を紡ぎ、働きかける、声。
「ピュン・フー」
もう一度、彼が望む名で呼び掛ける。
 その声で、その名を…呼んで、と強請った笑みを思い出しながら。
「……あれ?」
ふ、と開いた目に宿った赤が、紅に焦点を結んだ。
「ママに……にーちゃんじゃん。お揃いで、どしたの」
眠りからの不意の覚醒に、現状を把握出来ていない風情で、ピュン・フーは幾度か目を瞬かせた。
「ピュン・フー……」
ほ、と息を吐く朔羅に、ピュン・フーは口の端を上げて笑みを見せた。
「にーちゃん、その顔すっげそそるケド乱用してたら攫われるぜ?」
誰に、とは言わないあたり、義理の母と奇妙によく似ている。
「それは俺の二番煎じだ、ピュン・フー」
何かを警戒するような固い声音に、ピュン・フーは僅かに肩を揺らして笑った。
「そいつは失敬……そんなトコも似るモンなのかね、家族ってば」
その両の手首を繋いだ、手錠の鎖が擦れてシャラと鳴る。
 ハ、と短い息が笑いに似た音で吐き出された。
「何度も逃げろって言ってんに……聞き分けねぇなぁ」
会話の流れに脈絡のない発言を訝しむ間もなく、振り下ろされた手刀を朔羅に止める間は与えられなかった。
「阿呆、聞き分けがないのはお前だ」
スパカーン、と小気味のいい衝撃に前につんのめるピュン・フーに主張が続く。
「一体何から逃げろと? 散々振り回してくれて、今更その台詞は水臭いじゃないか」
一拍の呼吸、この間を逃しては自分の意見を述べる機会がなくなる、と朔羅は慌ててその後を続けた。
「ただ黙って人の指図を受けられる程、私は素直な人間ではない」
一息を吐いて、慣れぬ主張に懸命に言葉を綴る。
「待っているだけでは貴方は何も話そうとしない。ならば、追いかけるしかないだろう? 貴方が何を抱えているのか、それを知りたくてここに居る……自己満足、でしかないが」
ちらとピュン・フーの向こうの相手を見れば、いつもの自信に満ちた笑みがある。
「それに、この内気な兄が一途に弟を追う姿は実に感動だ……ママが思わず妬いてしまうくらいにな」
両側からお叱りをくらった当人は片手を首筋にあてて左右に傾ける。
「うわー……、なんか、ステレオで来られるとクるわ……」
「反論が正論なら、承ってやるが?」
間髪を入れない展開は、朔羅にはとても真似出来ない。
「ん、なんか愛されてるってカンジ?」
てらいのなさにいっそ感心する…より先に、芝生を踏んで近付きつつある人影に気付き、朔羅は警戒の眼をそちらに向けた。
「驚きましたね……まだ、意識を保っているのですか? 往生際の悪い」
冷静、と呼ぶより冷徹な声はピュン・フーへ向けて。
 盲目を示して白い杖を芝生に突き、神に仕えるテロリスト、ヒュー・エリクソンの姿が其処にあった。
「主よ、今日この出逢いに感謝を捧げます……御心は誠に貴く、人の心に息づいています」
胸の前で十字を切り、ヒューは穏やかな笑みを順に二人に向けた…焦点を結ばない湖水の蒼を湛えた瞳は、その動きに視線を錯覚させる。
「朔羅さん、その切はお手間を取らせてしまいましたね」
心からの謝意は、本心から発せられて濁りがない。
 信仰を旨として非道を為す、その心持ちから信じられぬ程に。
「ヒューとか言ったな、主には申し訳ないが、俺は俺の意志でここにいる」
だが、朔羅の主には全く以て通用していない…傲岸不遜、天上天下唯我独尊を地で行く彼ならではの自信を、賞賛したいような錯覚を覚える瞬間である。
「ヒュー」
神父の名をピュン・フーが呼び掛けた。
 だが、汚らわしいとでも言うように、神父は僅か眉を寄せて答えない。
「ママとにーちゃん、連れてってくんねぇ?」
「何の打算があっての、命乞いですか」
固い声音に口の端を上げて、ピュン・フーは瞼を伏せた。
「ママなら俺を殺せるだろうし、にーちゃんなら殺させてくれそうだから。どっちもヒューの、得じゃねぇだろ」
言ってピュン・フーはゆっくりと膝を落とした。
 頭を緩く項垂れて、それは祈りの仕草のようである。
「神の意を損得で量ろうとは……つくづく愚かですねお前は」
態とらしく長い溜息を吐いて、ヒューは顔を上げた。
「ならばお二方に問いましょう……貴男方は、生きてこの場を去る事をお望みですか?」
向けられた問いは、それぞれ、自身の進退を問うてのもの……だが、朔羅はそれを承知で即座に答えた。
「ピュン・フ−には、生きて自らで幸せを見つけてもらたい」
焦点を自分達に置くのでなく、飽くまでも焦点はピュン・フーに。
「だ、そうだ」
そして朔羅に迎合する形だが、本家の長の言葉には明確な意志があった。
 そしてヒューが否定を発するより先に畳み掛けるように問いを重ねる。
「ヒュー、貴方は知っているのだろう? ピュン・フ−の事も怨霊機の事も」
礼を欠いた朔羅の、それだけに必死である心情を汲んでか、ヒューの先を促すような沈黙に、肩に入りすぎた力を自覚する。
「……レギオン、という言葉をご存知でしょうか」
ヒューはそう、口火を切った。
「霊鬼兵、というものは人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
溜息混じりで紡がれる言葉に、朔羅は息すら殺して耳を澄ます。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を…免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
「怨霊機を止めるにはピュン・フ−の心臓を止めねばならぬのか…?」
死を意味するそれに朔羅は奥歯を噛み締め、胸の位置の併せを掴む。
 そうと聞いただけで痛みを覚えるような冷たさが、胸に去来した。
「ヒュー、他に鎮める方法……救う方法はないのだろうか? あるならば教えて欲しい。やはり薬が必要なのか? 他に私に出来る事があるなら何だって厭わない……」
矢継ぎ早に落ち着きのない質問で答えを乞う、朔羅の必死さをヒューは沈黙で受け止める……問いに答えが存在しない事を示すかのように。
「……かつて神の子は、六千の悪霊に憑かれて苦しむ男に救いを与えられました」
そうほんのりと、笑んでヒューは目を開いた。
 夢見るような湖水の如き蒼を湛えた瞳は視線を持たぬが故に澄み、聖性を錯覚させた。
「貴方にもそれが可能でしょうか?」
そして高みから見下ろす位置で、まるで神のように問う。
 望んだ問いに答えはない……それを暗に示して。
 朔羅が信じたくない意を解すると同時に、不意に強く名を呼ばれた。
「朔羅!」
思考に割り込む強さで放たれた声は緊張を孕み、本家の長は眦も険しく手にした日本刀の鞘を払った。
「……離れてろ。俺の領分だ」
踞るように膝をついた、ピュン・フーが片手で胸を掴むようにして息を詰めた。
「……ツ、ゥ……ッ!」
痛みを示したそれに咄嗟、手を差し延べようとしたが半身で遮るように前に立ったヒューに阻まれ、後退する動きにつられて足が下がる。
「ピュン・フー!」
 名を強く呼ぶ、それに赤い瞳が視線を上げて朔羅を捉えた…確かに、視線が交わった。いつもの、笑みを湛えた口元が小さく何か、言葉を紡いだような気がした。
 僅かな安堵に、朔羅がもう一度呼び掛けようとしたその時、みしり、と丸めた背が軋む音を立てた。
 ベキバキと骨格が黒革のコートの背を迫り上げて突き破り、成長に追いつかずに裂けた肌から流れる血に塗れて艶を増した漆黒がふわりと痛みを無視して。
 まるで何かが羽化、するように、常の倍以上はある、一対の皮翼が拡がった。
 だが、飛ぶ目的のそれではない…骨の間に滑らかな天鵞絨を思わせる質感の皮膜が禍めいて形を変え続ける模様に波打つ…それは、現世に届かぬ怨嗟を叫び続ける、死霊。
『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ…!』
怨念が渦を巻く。
 きつく、閉じられていたピュン・フーの目が開く…其処には瞳も何もなく、血を流し込んだようにただ、均一に湛えられて意思を計らせない紅色が顕わになった。
 その瞬間に、ピュン・フーの表情から苦痛が消える。
 それに因って完全に表情を欠落させたピュン・フーは、ゆるりと首を巡らせて至近の……白刃を手に立つ、本家の長を見た。
 地について体重を支えていた五指の爪は既に金属の光沢で以て鋭利に伸び、殺意ですらない殺意の存在を示している。
 長もまた、慣れた動きでそれを自然に請けて刀を構える……伝家の妖刀は既にその封じを解かれ、渦巻く妖気が示す闘いの高揚に鍔鳴りが聞こえるようだ。
 ピュン・フーが立ち上がる……皮翼の重さを無視した動きに僅か均衡を崩しかけたがそれのみで、真っ直ぐに対峙する。
 構える動きに角度を変えた白刃の輝きが、朔羅の目を射た。
 咄嗟、朔羅はヒューの脇を抜け、両者に向かって走り出していた。
「朔羅さん!」
ヒューの声が背を追ったが、足を止める力にはならない。
「命あってこその幸せ……決して死なせはしない」
心中を、自らに呟く。
 力持つこの声が、祈りのような言葉が、適わない筈はないと自らの言い聞かせるようにして、両者の間に割り込む。
「何をしている!」
一触即発に張り詰めた緊張に割り込んだ朔羅に対し、叱責の強さで長が詰る、だが、朔羅は自らの決意を覆すつもりはなかった。
「やめろピュン・フー!」
 ぎこちない、傀儡の動きでピュン・フーが動きを止める……名を呼ぶ事でピュン・フーの意志が保てるのならば何度でも。喉が潰れようが、血を吐こうがその名を呼び続けると。
 ピュン・フーが、真紅に染まった瞳を閉じた。
 安堵を滲ませ、再度名を、呼ぼうと一歩足を踏み出した朔羅の喉を、瞬時に延ばされた腕が掴む。
「……ピュ、フー……ッ!」
ぎり、と喉を締め上げられて声が封じられる……痛みと苦しさに手を離そうと掴むが力で到底適わず、足先が地面から離れて履き物が落ちた。
「……阿呆!」
叱責に重なる、重い音。
 途端、縛めが解かれて地に落ち、朔羅は狭まった気道と酸素を求める肺との折り合いに強く咳込んだ。
「この……阿呆……!」
そして頭上、苦々しい声と共にぽつりと滴りが頬に落ちた。
 触れればぬるりと生暖かく、指に赤い……見上げた額に、刃に伝う赤がまた滴る。
 長の手に握られた刀は真っ直ぐに伸び、その切っ先は深く過たずピュン・フーに……その左胸に沈み込んでいた。