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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


水妖の夢

【壱】

「お願いします!」
 唐突に云われて編集部宛の品物を手に向坂嵐はその場に立ち尽くした。これから外へ出て行くつもりだったのか、すっかり身支度を整えた三下忠雄がまっすぐに嵐を見ている。懇願するような真摯な眼差しに、手にした品物の存在を半ば忘れかけながら嵐は問う。
「……何すか突然?」
 声が震えたのは、現実がどこか遠くに感じられたせいだろう。一瞬にして自分が今ここに何をしにきたのかわからなくなるには十分の唐突さだったのだ。ドアを開けた途端にお願いされることなど未だかつてなかった。しかも肝心の何を頼みたいのかがわからないのだから、余計に頭は混乱する。
「お話しを聞いてもらえますか?」
 縋るような声を無下に断ることもできなくて、曖昧な返事をすると三下はしめたとばかりの俊敏さで嵐を編集部内に設えられた応接セットに促した。届けるべき品物を迅速に受け取り、編集長のデスクに届けて嵐の向かいに腰を落ち着けた三下はしどろもどろになりながら依頼したい内容を言葉にした。
 湖で発生した行方不明事件。原因は不明。狙われるのは常に男性だけ。その被害者に編集部の関係者が含まれていることが発端で調査するに至ったのだと三下は説明する。三下はその事実にすっかり怯えきっているようだったが、嵐は本当にそこまで怯える必要があるのだろうかと思った。男性ばかりが行方不明になる。その裏には何がしかののっぴきならない事情が隠されているのではないかと思ったのだ。水神様の祟りという言葉が気になったせいかもしれない。近隣の住人も近づくことのない湖。近づけば水神様の祟りがあるというのである。しかし悪しき者だけが人に害を及ぼすわけではないような気がする。守りたいもの、守らなければならないものがあるのだとしたら人が悪だと断罪してもそれが本当に罪だとは誰が断言できるだろう。それに男性ばかりが失踪するというのも気にかかった。もしかしたら男性に何がしかを求めているのかもしれない。それが恋人なのか父親なのか、それとも兄弟なのかはわからないけれど、わけもなく男性だけを失踪させるということはないだろう。
 一通り三下が説明を終えると、自然と二人の間に沈黙が落ちる。どこか居心地が悪いと感じるのは、きっと三下が怯えた様子を隠さないからだろう。怯えているにも程がある。
「それで、俺は何をすればいいんだよ」
 とりあえず何か話さなければならないと思って振り絞るように言葉を綴ると、三下は調査してほしいのだと答える。
「調査って云ったって、原因不明ならどうしようもないじゃないんすか?第一、警察じゃあるまいし、俺じゃ、何の役にもたたないと思うんすけど?」
「警察のほうでもお手上げ状態らしいんです。何せ原因不明ですから……。関係者の周辺を洗ってみても、どうやら失踪する必要があったような人はいなかったようで、失踪したうちの関係者だって失踪する理由なんてありません」
 一生懸命に事のあらましを説明する三下に次第に妙な同情のようなものが生まれてくるのはどうしてだろうか。おどおどした態度に苛立ちのようなものを覚えているという自覚はあるというのに、そうした態度が余計に同情を煽り立てているような気がする。しかも仕事の途中の人間を捕まって、原因不明の調査をしてほしいだなんて非常識にもほどがあるのではないかと思ってもいるのである。それでも放置することができない。できることなら何かしてやりたいと思ってしまう。
「えっと……とりあえず、今日は仕事が残ってるんで、後日改めてというようにしてもらいたいんすけど?」
 このままでは何時間でも拘束されかねないどころか、このまま調査に行きませんかと誘われるかもしれないと思った嵐がそう云うと三下はすっかり引き受けてもらえるつもりになったのか妙に明るい表情で、はい、と答えた。その姿があまりにも嬉しそうなものだから、嵐はきっと明日になっても明後日になってもこの依頼を断るようなことはしない、きっとできないだろうと確信に近い強さで予感した。

【弐】

 平日の図書館は静かだった。それでも閑散としているわけではなく、浪人生らしき若者らが閲覧席を占有して黙々とノートに向かっている。ソファーには初老の男性の姿があり、暇そうに新聞や本を広げている。
 それらを横目に嵐は三下と共に新聞専用の閲覧席に腰を下ろしていた。
 結局依頼を断ることができなかった嵐は、なんとなくすぐに現場に赴く気にもなれずにとりあえず下調べをしてみないかと三下を図書館に誘ったのである。最初はすぐにでも現場に嵐を引っ張って行きたがっていた三下だったが、もしかすると過去に何か事件があってそのせいかもしれないと云うその場を取り繕うように云った嵐の言葉に納得したのか、それとも今ここで嵐の機嫌を損ねて逃すのは惜しいと思ったのか黙ってついてきた。別に一緒に来なくてもいいのにと思ったのは本当だったが、三下の怯えたような雰囲気が嵐に同行を断ることをさせなかった。
「ちょっとコピーしてきますね」
 云って去っていく三下を見送る。過去の新聞を眺めるでもなく手慰みに捲り続けて、煙草が吸いたいと思った。引き受けた限りは真剣に調べなければならないだろうと思いながらも、ヘビースモーカーで煙草の煙に慣れ親しんだ躰は我慢という言葉を知らない。このまま全部投げ出して、煙草を吸いに外に出て行きたかった。不幸にも図書館内は禁煙である。煙草を吸うには玄関の外に設えられた灰皿を求めて外へ出て行かなければならない。喫煙家の性かいつでも、どこでもつい灰皿の場所をチェックしてしまうくせは抜けない。
 数か月分の新聞を捲り続けて黒ずんだ指先を眺め、もう限界だと思った嵐は席を立ち、コピー機の前に立っていた三下に声をかけた。
「ちょっと煙草吸ってきていいっすか?」
 真剣にコピー機に向かっていた三下が弾かれたように顔を上げて、はい、と答える。そして何かを思い出したように積み上げていた紙の束を手に取ると、
「これ読んでみて下さい。現場に近い場所であった事故なんですけど、もしかしたら何か関係があるかもしれないんで」
と云った。
 その言葉に三下は自分が手慰みに新聞を捲り続けていた間も真面目に手がかりになる記事を探していたことを知る。そしてなんだか申し訳ないような気分になって、差し出されたそれをつき返すことができなくなってしまった。大した枚数ではないコピーされた記事を手に外へ出て、灰皿の傍で煙草を咥えて火を点ける。じんわりと脳髄に染み渡るぼんやりとした感覚に心地良さを感じながら、手近な壁に寄りかかるようにして座り込むととりあえず目を通すだけでもと思って三下がコピーしたばかりの記事に視線を落とした。
 メジャーな三紙からコピーされた記事であるらしい。どれも似たようなことを書いていて、一つの事故を伝えるものだということがわかる。現場は予め三下に聞いていたあの湖だ。コピーをした後に三下が書き加えたものなのか、少し乱れた文字で同じ日付が記されている。報道された日かもしれないと思いながら、一つ一つ丁寧に読み進めていくとそれはあまりに残酷な不注意と偶然が引き起こした事故だった。
 三下のメモした日付が五月だということは、春の穏やかな日のことだったろう。新聞の見出しは父の不注意、女児水死というような文字が記されている父子は今、嵐と三下が現場と呼んでいる湖にドライブがてら訪れたのだという。到着した時には娘は眠っていたそうで、ふと父親が車を離れた隙に車が湖に転落したというような内容が感情を含まない簡潔な言葉で記されている。サイドブレーキが充分に引かれていなかったのが直接的な原因だそうだった。当時はたいして大きく報道されなかったのだろう。どの新聞の扱いも小さい。
 嵐は深く吸い込んだ煙を溜息と共に勢いよく吐き出しながら、厭な事故だと思った。もう少し注意していれば娘を死なせることはなかっただろう。娘が眠っていたというのは理由にはならない。眠ったままの娘を車内に放置する親のほうにこそ問題があると思った。
 もしかすると娘のほうはまだ自分が死んだことにも気付いていないのかもしれない。心霊スポットを紹介するような番組でよく云われるように、自分が死んだことにも気付かない者がいるという。そうだとするなら娘は自分が死んだことにも気付かないまま一人今もあの湖にとどまったまま、父親が迎えに来てくれることを待ち続けているのかもしれないのだ。置き去りにされてしまったと思っているかもしれない。もし本当にそうだとしたらやりきれない。できれば触れたくないと思った。けれど同時に嵐は新しい煙草に火を点けながら現場に赴くことになるだろうと思う。
 コピーされた紙の束を手に、仰け反るような格好で壁に後頭部を押し付けて、誰を責めればいいのかもわからないが胸くそ悪い事故だということは明らかだと思った。車内に眠った娘を置き去りにした父親を責めたところで死んだ娘は戻ってこない。父親も自分を責めなかったわけではないだろう。責めたところで戻ってこない現実に打ちひしがれていたかもしれない。不注意で自分の娘を殺してしまった父親が世間からどんな目で見られることになるのか、当事者ではなくともだいたいの予想はつく。
 新聞に記されていた父親の名前を頭の中で繰り返しながら、できれば父親を連れて行ってやりたいと思ったが幾ら自分の娘といえど殺してしまったという自責の念を持つ父親を連れ出すことはできないだろうと思った。それも自分は赤の他人。連れ出すにも娘の霊が呼んでいると云って信じてもらえるとは思えない
 目を背けたい過去を掘り返そうとする赤の他人に、父親が協力してくれるとは到底思えなかった。

【参】

 あの日、図書館での記事を元に考えたことを無理も承知で嵐が三下に話すと、必ず父親を探してきますからと云って妙なやる気を見せた。それは無理だろうと思ったが敢えて言葉にしなかったのは、もしかすると自分が三下にいいように引きずり込まれたように、父親という人も上手い具合に引きずり込まれてくるかもしれないと思ったからだ。
 とりあえず一週間後に現地集合という約束を交わしてその日は別れ、特にすることもない嵐は約束の日までの一週間を掛け持ちのバイトに忙殺されて過ごした。疲れ果てた週末に三下から確認の電話が入らなかったら忘れていたかもしれない。それくらいに一週間は忙しく、瞬く間に過ぎていった。
 愛車であるHONDA、CB1300SFを走らせて現場に向かったその日は秋晴れの良い天気で、向かう先が湖でなければ心地良い気分で走ることができたことだろう。しかしこれから向かう先があまりに残酷な事故の現場であることと、もしかするとその当事者である父親に会わなければならなくなるかもしれないという現実が嵐の胸を重くする。できることなら三下が父親を連れてこなければいいと切に願ってしまったほどである。
 しかしそうした願望は見事に打ち砕かれ、どこから見ても仕事などできそうにない三下はこんなときに限って真っ当に仕事をする。そんなものだ。思いながらもやはり気持ちは重たい。湖から少し離れた場所に愛車を止めて、先に現場についていた三下の傍に近づいていくと、明らかに窶れた一人の男性が立っている。四十代後半だろうか。否、もっと老けて見える。きっとこけた頬や白髪の多い髪のせいだろう。
「どうも」
 云って小さく頭を下げると、至極恐縮といったような体で三下の隣に立つ男性が深々と頭を下げる。
「大まかな事情は説明してあるんで」
 三下は妙な自信をみなぎらせて云う。父親を連れて来られたことに満足しているのだろう。しかし嵐は、連れてこなくても良かったのだと腹の中で思った。
 広がる湖の青さや、周辺の美しさが父親にどんな思いをさせているかを考えると、今すぐにでも逃げ出してしまいたくなる。
 こうなったらさっさと仕事を済ませて帰って酒でも飲もうと思って、二人を他所につかつかと水辺に近づく。割り切っても足が重たいのはしょうがないことだ。幼い少女が死んでいるのである。それも自分が死んだことさえもわかっていないかもしれないのだ。気軽に近づけるものではない。
 近づくにつれてこめかみに鈍い痛みを感じる。辺りは暖かいのに寒気がする。湖との距離が縮まるにつれて不快感ばかりが増していく。いい加減にしてもらいたいと思いながら水際で足を止めると、幼い泣き声を聞いたような気がした。しかし辺りに嵐を含む三人の他に人の姿はない。遠く、深い場所から響いてくる声は鼓膜を直接震わせているような、どこかくぐもったような声だ。背後に立つ二人を振り返る。しかし二人にその声が聞こえている様子はない。父親は肩を落としたまま、俯いて湖のほうを見ようともしない。
 ―――……さん。
 不意に呼ばれたような気がして、湖の向こうへ視線を向ける。
 しかし何もない。
 ―――……お…と……うさん。
 切れ切れに響く声。
 ふとズボンを引かれたような気がして視線を落とすと、幼い少女が片手で眠たそうに目蓋を擦りながら嵐を見上げていた。縋るような、置いていかないでほしと懇願するような目に触れて、ついどうしたのかと問うてしまう。
 ―――お父さんを捜してるの。見つからないの……。ずっとずっと待ってるのに、お父さんは来てくれなくて、知らない人ばっかりなの……。
 今にも泣き出しそうな双眸で少女が云う。
 薄ぼんやりとした少女の輪郭が少女が生きていないことを伝えている。
 やっぱり。
 思って遠くに立ったまま湖を見ようともしない父親に声を呼ぶ。父親は顔を上げはしたが、嵐の足元に佇む少女の姿が見えないせいか困惑気味だ。
「あんたの娘がここにいるんだよ。どうにかしてやれよ」
 嵐の言葉にそんなことはないと云うように父親が頸を振る。その姿を見とめたのか、少女が嗚咽を漏らす。
「てめぇが不注意で殺したんだろうが!」
 少女の泣き顔があまりに冷たく、淋しげに響いたせいでつい叫んでしまっていた。その言葉がどれだけ深く父親の胸を抉るかはわかっていたが止められなかった。理性が飛んでいたのかもしれない。けれど言葉は溢れて、残酷に父親が今まで長い時間をかけて蓋をした現実を直視させるような言葉を音にする。
「後悔してんならちゃんと受け止めてやれよ。傷ついてんのはあんただけじゃねぇんだってことちゃんと見ろっつうの。あんたの娘はここであんたのことずっと待ってたんだよ」
 心無い言葉だということは充分承知だ。三下が父親の隣で慌てている。
「あんたには見えねぇのかもしんねぇけど、ここにちゃんといるんだよ。あんたが殺してからずっとここであんたが迎えに来てくれるのを待ってたんだ」
 云って少女に視線を落とすと、幼い双眸はまっすぐに父親を見ている。
「後悔すんなら最後くらいちゃんとしてやれよ!」
 嵐の言葉に父親はきつい視線を投げてよこす。そして掴みかかるような勢いで嵐の傍に近づくと、殴りかからんばかりの勢いで胸倉を掴んだ。
「君に何がわかるんだっ!」
「わかんねーよ!でもあんたの娘がここにいるのはわかるんだよ!ずっと待ってたんだ。あんたがこの場所を拒否して、誤魔化そうとしていた間も、あんたの娘はずっとここであんたが来てくれるのを待ってたんだよ」
 父親が言葉を失うのがわかる。見る間に潤む瞳から涙が溢れ、胸倉を掴みあげていた手から力が抜け、その場に崩れるように座り込んだ。
 ―――お父さん……?
 少女が云う。幼い手が父親の肩に触れるが、触れた感触がわからないのか少女が不思議な顔をして嵐を仰ぎ見る。その純粋な疑問を湛えた双眸に、嵐は居た堪れなさを覚えた。
「名前、呼んでやれよ」
 云う嵐に父親が顔をくしゃくしゃにしたまま縋るような視線を向ける。
「ここにいんだよ。あんたのすぐ傍で、あんたに触ろうとしてんだよ。でも触れねぇから、どうしたらいいかわかんねぇでいるんだ。あんたに見えないなら、せめて名前くらい呼んでやれよ」
 父親はその言葉に僅かな疑念を滲ませながらも、少女の姿を探すように視線を彷徨わせて、掠れた声で名前を呼んだ。
 ―――一緒に帰ろう?
 少女が云う。
「帰れねぇよ……」
 搾り出すような声で云う嵐を少女が見上げる。
「おまえはもう死んだんだよ」
 小首を傾げる仕草があまりに痛々しくて、視線を逸らして云う言葉に少女がぽつりと呟いた。
 ―――知ってたよ。でもね、会いたかったんだ。最後にもう一回だけ、会いたかったんだ。
 父親は謝罪の言葉を繰り返している。少女は嵐を見上げて、何かを吹っ切るように笑った。
 ―――お父さんに伝えて。あたしはもう大丈夫だよって。もう泣かないよって。
 頷いて頬に感じた熱に自分が柄にも無く泣いていることに気付いた。
 それを隠すように強引に目元を拭って嵐は云った。
「大丈夫だってよ。もう泣かないって……あんたの娘が云ってる」
 悲痛な叫び声が辺りに響いた。
 過去についた傷。ようやく塞がったそれに張り付くかさぶたを無理矢理引き剥がして、現実を突きつけることに意味があるかどうかはわからない。けれど少女は静かに消えていた。最後は満足そうに微笑んでいた。正しいことなど誰にもわからないと思った。そして少なくとも今は、こうするほかなかったのだと自己弁護をすることでしかこのやりきれなさを払拭することはできないと。
 少女が空気に溶けるように消えていく。そしてその姿がすっかり消えてしまうと、それまでひと気のなかった辺りにざわめきが訪れる。行方不明になってきた人々が戻ってきたのだろう。三下が慌てているのがわかる。父親はその場で泣き崩れたままだ。
 終わったのだと思った。
 総てが、やっと終わったのだと。
 見上げた空は青く澄んで、それは本当の弔いの儀式の後のような清々しさで辺りを包んでいた。



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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2380/向坂嵐/19歳/男性/バイク便ライダー】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
このようなどこか物悲しい結末になってしまいましたが、少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。