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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


殺人遊戯


00 オープニング/2004年10月9日午前/水上彰人

『何が何でも捕まえろ。手段は選ぶな。ただし絶対生かしておけ』。
 何とも横暴な要求だった。
 寝起きの朦朧とした頭で読み返したメールから、それ以外の結論は汲み取れそうになかった。
「またあの人は……何を言い出すのかと思えば……」
 水上彰人は鈍く痛む頭を抑え、呻くようにつぶやいた。昨日無理やり飲まされたアルコールだけが頭痛の原因ではあるまい。
 メールには、以下の内容が簡潔な文章で書かれている。
 ――ある人物とどうしてもコンタクトを取りたい。真っ向から挑んで勝てる相手ではないことはわかっている。何らかの手段を講じてその人物を「捕まえて」ほしい――。
 問題は、と水上はぼんやり紅茶を淹れながら考える、その「捕まえてほしい人物」というのが、殺人事件の被疑者であるということだ。それも時効が一週間後に迫った殺人事件の。
「『国立大生連続殺人事件』……僕が中学生の頃の事件だな……」
 ポストから新聞を抜き取り、それらしい記事を探す。すぐに見つかった。一面の下段に、『時効迫る』と打ち出されている。
 一見センセーショナルな事件だ。が、同時期に起こった連続殺人事件のほうが遥かに話題性に富んでおり、その影に潜んでしまった感がある。言わば、知られざるもう一つの猟奇事件といったところだ。
「『俺には犯人がわかっている』、ね……」
 水上は寝室に戻り、ノートPCの画面に表示されたままのメールへ再び目をやった。
 差出人は彼の大学での先輩にあたる火村義一。大学に戻り、犯罪心理学を研究している人物だ。
 僕の手には負えそうにないな、と、水上は溜息をついた。
 火村義一が言いたいのはこういうことだろう。
 ――誰か物騒な立ち回りに向いてる奴を連れてこい、と。
 与えられた期間は一週間。
 ターゲットは過去の連続殺人事件の被疑者。
 報酬はそちらの言い値で、か……。
「つまりそれは、今日中に協力者を探してこいってことなんですね、火村先輩」
 まったく、仲介も楽じゃない。


01 ファースト・コンタクト/2004年10月9日午前/志賀哲生

 この街は死で溢れている。故に生は安定しない。
 砂地の上に立つ一本の枝切れのようなものだ。極めて危うい。
 確固たるものは死だけだ。各々がその身に死を纏っている。あるいは内包している。――それを、志賀哲生は嗅ぎ取ることができた。
 たった今すれ違った男の『匂い』は、蟻が大群をなしているような雑踏の中にあってさえ、それと認識できるほど強烈だった。志賀は顔をしかめ、肩越しに男を振り返った。小柄な男は彼の視線には気づかず、スーツの背中を丸めるようにしてとぼとぼと歩いていく。駅の方向へ向かっているようだった。
「おいおい……大丈夫か、ありゃぁ」
 思わずそんなつぶやきを漏らしていた。
 道の真ん中に立ち尽くしている志賀を、忙しなく行き交う人々が迷惑そうに避けていく。長身でがたいの良い彼には、立っているだけで周囲を威圧するような雰囲気があった。胡散臭いと言われても仕方ないような不精髭まみれの顔に、よれよれのシャツ、といった出で立ちもさることながら、『匂い』を嗅ぎ取ったことで彼の目つきは現役時代のそれに戻っていた。現役――刑事時代の。
「…………」
 常人には感じ取れない、あれは強烈な――『死の匂い』だ。
 単に身体の組織がバクテリアに破壊されて、腐敗臭がするというのではない。彼にしか嗅ぎ取れない特殊な匂いである。
(奴さん、先は長くないな。それとも……たった今人を殺して帰ってきた後、か)
 歩行者用信号が赤に変わり、横断歩道の真ん中に突っ立っていた志賀は、方々からクラクションを見舞われた。
 志賀は駅の方向に方向転換した。足早に人ごみをすり抜けて、男を追う。
 週末ということもあってか、東京の街はどこから沸いてきたのかという人・人・人でごった返していた。辛うじて遠くに見えていた男の背中を完全に見失うまで、さほど時間はかからなかった。鼻についていた匂いも消えてしまい、志賀は途方に暮れて辺りを見回した。
 どこへ向かうとも知れぬ人々が、各々の目的地を目指して機械的に歩行運動を繰り返している。あの男ほど強烈ではないものの、微かな死の匂いはそこら中に蔓延していた。
 薄っすらと、しかし確実に。
 東京という街にこれほど多くの『死』が存在していることを、果たしてどれだけの人間が感知しているだろうか。
 人が集まる場所に都市ができ、拡大し、新たな人間を取り込んでいく。飽和状態の人口は軋轢を生み、資本主義の名の下に互いが互いを食い合って生きるようになる。共同体には階級が生まれ、下層に生きる者は死と隣り合わせの日々を送り、
 犯罪は絶えない。争いも絶えることはない。
 まったく。この街は、素晴らしいほど甘美な死で満ち溢れているのだ。
(あれほど強烈な死を纏った人間は、そう多くないがな……)
 志賀哲生は、皮肉げに口元を歪めた。
 見失ってしまったのは口惜しい。が、探そうと思えばいくらでも探せるだろう。死の縁ぎりぎりに立った人間などは、いくらでも。
 志賀はもと来た道を引き返そうと、踵を返した。――と。
「うわっ」
 ひょろりとした男と真正面からぶつかり、志賀は数歩よろめいた。向こうは思い切り弾かれて尻餅をついていた。こちらとの体重差を考えれば仕方なかったかもしれない。
「大丈夫か? すまんな」
「あ、いえ……こちらこそ。ぼんやりしてて」
 眠そうな顔つきをした男は、よろよろと立ち上がった。横幅はないが、目線は志賀とさほど変わらない長身の青年だった。どことなく神経質そうな容貌がやや気になったが、それだけだ。特に変わったところはない。
 そのまますれ違おうとしたが、
「――ちょっと待て」
 直感的に不穏な気配を男から感じ取って、志賀は彼を呼び止めていた。長身の男は立ち止まり、無言で志賀を見返す。
 死臭がするというのでは、なかった。刑事の勘とでも呼べば良いだろうか。漠然と、この男は何か妙な問題を抱えている、と感じたのだ。
「なんですか」
 神経質そうな翳りを持った男は、淡々とした声で言った。
「不躾かもしれんが、おまえさん……何か妙な事件にかかずらってないか?」
 男は片目を細めた。
「だとしたら、何なんですか」
「これでも一応、私立探偵ってのを開業しててな」志賀はシャツのポケットを探った。「っと、悪い、名刺切らしてるみたいだ」
「私立探偵、ね。浮気調査の類いが主だとは聞くけど」探偵という言葉を聞くと大抵相手は身構えるものだが、男は何でもないように志賀の言葉を繰り返しただけだった。「殺人事件も管轄ですか」
 殺人事件。
 その言葉に、心臓がどくんと脈打った。
 深刻な素振りもなく、さらりと口にされた言葉だけに、妙な現実感があった。
「殺人事件、だって?」
 逸る胸の内を悟られぬよう、冷静を装って志賀は訊き返す。考えようによっては、殺人などという物騒な単語を聞いて冷静でいるほうが不自然かもしれない。
「興味があるなら話します。どうせ一週間後に時効になる事件だし、守秘義務なんてものも僕は持ち合わせてない」
「一週間後に時効――『国立大生連続殺人事件』か?」
「そんな名前がついてましたね、確か」
「……あったな、そんなヤマも」
 ワイドショーで面白半分に騒ぎ立てていたのを思い出した。新聞の一面にも大々的に打ち出されていた記事だ。
 時効が迫っている、すなわち連続殺人を犯した頭のおかしい人間が一週間後に法の拘束から解き放たれるということだが……、既に終わった事件を真剣に気にかけている人間はいないだろうし、誰も、たったの一週間で十五年前の事件の犯人が捕まるとは思っていないだろう。今頃悔しげに地団太を踏んでいるのは、遺族か警察の人間くらいのものではないか。
 志賀も、元刑事だったとはいえ、現役時代に関わった事件ではない。一週間後に迫った時効にさほど強い興味を抱いていたわけではなかった。
 ――そんな『もう終わってしまった事件』と、この何を考えているかわからない男に、一体どんな関わりがあるというのだろうか。
「そうだな……お聞かせ願おうか」
 志賀がそう答えると、男は頷いた。「それじゃ、簡潔に言います。――僕の知り合いが犯人を捕まえようとしている。それに協力して下さい」
「……は?」
 簡潔も簡潔。簡潔すぎてむしろ要領を得なかった。
「……その知り合いって、警察の関係者か何かか?」
「その被害者が出た大学の、院生です。犯罪心理学専攻の」
「何のバックアップもなしに、捕まえようってのか?」
「そのバックアップをお願いしたいってことです」
 額を押さえた。この男は、本気で言っているのか。からかわれているんじゃないかと、志賀は思う。
「簡単に言ってくれるけどな……警察が十五年がかりで捕まえられなかった犯人を、犯罪心理学をちょいと齧っただけの素人が捕まえられると思ってんのか? 警察の捜査力を舐めてもらっちゃ困るぜ」
「僕は思いませんけどね。――警察の武器は組織力と犯人逮捕のメソッドだ。それを熟知した上で巧妙に逃れてるっていうなら、向こうが思いつかないような方法で対抗すれば良いわけでしょう」
「向こうが思いつかないような方法? 例えば?」
「せこい能力を行使するとか」
 その物言いで確信した。この男、同類だ。
「なるほど。――あの男を追いかけてるうちにおまえさんと会ったのは、何かの縁かもしれないな」
 志賀は皮肉っぽく言った。
「あの男?」
「こっちの話だ」志賀はにやりと不敵な笑みを浮かべた。「いいぜ、その話。乗ってやろうじゃないか」
「それじゃ、今すぐK大の火村義一という人物に会いにいって下さい。水上彰人の紹介だと言えばすぐに通るはずです」
「火村義一に――」
 水上彰人。
 字面を頭の中に思い浮かべて、志賀は噴き出した。「火と水か。覚えやすいな」
 男――水上彰人は、唇の端を持ち上げて微かな笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします、ええと……」
「志賀哲生」
「志賀さん」
 社交辞令で差し出された右手を、志賀は握り返した。
 こうして、契約が成立した。


02 殺人遊戯の序幕/2004年10月9日午後/火村義一

 右手の親指で弾いたコインは、空中で回転し、火村義一の計算した通りの場所に落下してきた。しかしコインの裏表までは計算できない。
「表」
 小さくつぶやき、コインの表面を覆っていた左手をどけると――、裏だった。火村義一は顔をしかめて舌打ちをする。またハズレか。
 当たりがつづく可能性は低いが、外れがつづく可能性も極めて低い。珍しい確率ではあったが、予想をことごとく裏切られているという事実に何ら変わりはなかった。
 これが最後だ、と火村はコインを弾いた。
「裏に賭けましょう」
 耳慣れない声に、火村は顔を上げた。金髪に翡翠色の瞳という、明らかに異国の血を引いた男が立っていた。
「それじゃ俺は表に賭けざるを得ないじゃないか」
 火村は言って、コインの表面に目を落とした。裏だった。
「私の勝ちですね」
 異邦人は隙のない微笑を浮かべる。
「俺も裏に賭けるつもりだったんだよ」
 火村はぴんと男に向かってコインを弾いた。男は難なく空中でキャッチする。
「ではこのコインは私の取り分ということで」
 火村はふんと鼻を鳴らした。
 ――国立K大学の、法学部講義棟。
 この大学では、社会学部や心理学部ではなく、法学部に犯罪心理学科が属している。火村はもともと心理学畑ではなく法律学畑の人間だ。当然法学部を出ている。そのため、K大法学部の講義室は彼にとって馴染み深い場所だった。
 協力者に対する待ち合わせ場所として、研究室ではなく空きの講義室を指定したのは、院生達に動向を知られるのが好ましくなかったためだが――、おかげで定刻を僅かに回っていた。部外者はここに辿り着くだけでも苦労することだろう。
「あんた、もしかしなくても水上が寄越した奴だな」
「モーリス・ラジアルと申します。貴方が火村義一氏ですね」
「ああ。水上もまたけったいなのを寄越したな。日本語わかるのか?」
「今こうして会話しているではありませんか」
 火村は肩を竦めた。「ミスター・ラジアル、悪いがあんたが最初の到着なんであとの二人が揃うまで少し待っててくれ」
「モーリスで構いませんよ。――他にも協力者がおられるんですね。出がけに一人捕まえたと、水上さんはおっしゃっていましたが」
「水上のツテがあんたと、もう一人。後はさっき知り合いの高校生がな、一人中学生が行くだろうと電話してきたよ」
「おや、中学生ですか」
「中学生にも驚いたが、外人にも驚いた」
 意識して『外人』と差別っぽく口にしたつもりだが、モーリスは特に気分を害する風でもなかった。飄々とした態度のままである。一筋縄ではいかなそうな人物だ、と火村は思った。
「今度は私がコインを投げましょうか」
「裏」と火村は投げる前に予想を口にした。
「では私は表ということで」
 モーリスはコインを弾いた。垂直に上昇し、ある地点から回転しつつ落下していく――
「俺も表な」
 第三者の声が広い講義室に響いた。モーリスはコインを右手の甲に受け止め、声のした方向を振り返った。火村も階段教室の上を振り仰ぐ。
 背の高い、がっしりした体格の男が立っていた。よれよれのスーツにネクタイ、無精髭が目立つ顔立ち。いかにもやる気なさげだが、堅気の人間ではないと感じさせる何かがある。男はポケットに両手を突っ込み、だらだらと階段を降りてきた。
「水上さんの紹介で来た」
「二人目が揃ったようだな」
「自己紹介は後で。とりあえず、賭けの結果を教えてくれ」
「負けたほうが奢るということでどうです?」とモーリス。
「俺は構わねぇぜ」無精髭の男が同意する。
 火村は唇を曲げた。「つまり俺が負けたら二人分奢るってことじゃないか。フェアじゃないだろ、それ」
「火村さんが勝ったら私達二人が奢らせていただきますよ」
「最後の一人が揃ってからにしようぜ。二、二でさ」
「それもフェアじゃないですね。ボクには表か裏か選ぶ権利がないってことでしょう」
 新たな声。三人揃って顔を向けると――
「……驚いた。マジで中学生だ」
 眼鏡をかけた小柄な少年が立っていた。背は低いが、きつい眼差しのせいで妙に迫力がある。顔立ちからしてどこか違うアジア圏の出身ではないかと思われた。
「まあ、いい。裏に賭けます」
 少年の口調は淡々としたものだ。扉を後ろ手に閉め、歩いてくる。賢そうな少年だった。
「オーケイ、では結果を」
 モーリスは左手をすっと横へずらした。
 表。
 火村と眼鏡の少年は、揃って溜息をついた。
「今日ついてないのかな、俺」
「たまにはこんな日もありますよ、火村さん。中学生に奢らせるのでは面目が立ちませんから、火村さん、よろしくお願いしますね」
「はん、どうせそうなると思ったよ。依頼が成功したにせよ失敗したにせよ、飯は奢らにゃならんってことな」
 火村は一週間後の出費を考えて、憂鬱な気分になった。まったく、水上彰人の人脈に頼るとろくなことがない。しかし頼れるのが水上しかいないのも事実だ。
「労働に見合うだけの報酬はいただきませんと。何でも危険な仕事だそうですからね」
 火村は否定しなかった。それなりの覚悟で臨んでもらわなければ痛手を負いかねない。
「――それじゃ、改めて自己紹介を頼むよ。全員初対面なんでね。――俺は火村。ここの院生だ。つまり学者の肩書きは持ってない」
 簡潔に自己紹介を済ませ、火村はモーリスに次、と顎をしゃくる。モーリスはにこりと微笑んだ。
「モーリス・ラジアルと申します。この手の事件に関わるのは初めてではありませんから、よほどのことがない限りは任務を遂行してみせましょう」
 火村はモーリスの隣りに立つ無精髭の男を、学生に向かってやるのと同じノリで次、とポイントした。火村のこの癖を、嫌がる人間は嫌がるのだが、男もモーリスと同様に何も感じていないようだった。
「志賀哲生だ。元刑事で、今は探偵紛いのことをやってる。警察のツテがあるからせいぜい利用してくれ」
 一見胡散臭い外観をした男はそう名乗った。火村とさほど年は変わらないだろう。
 最後に小柄な少年。彼だけは、火村に対して露骨に不愉快そうな態度を取っていた。攻撃的な目つきなのはデフォルトなのかもしれない。
「梅黒龍。一応――荒事には慣れている。中学生だからといって庇ってもらう必要はないから、そのつもりで」
「メイ・ヘイロン? 中国人か?」火村は不躾に訊いた。
「両親は台湾人です」少年は仏頂面で答える。
「にしてもちっちゃいな、おまえ。本当に中学生?」
 火村は黒龍の頭をぽんぽんと叩いた。黒龍はもともと良いとは言えない目つきをさらにきつくして、火村を睨み上げる。
「貴様……自分が物凄く不躾だという自覚はあるか……?」
 お、地が出たな。生きが良くて結構だ。
「すまんすまん。身長はともかくナショナリティについてはどうでもいい。多国籍チームみたいなんでな」
 黒龍は口を開きかけたが、結局我慢することにしたようだ。
 見様によっては拗ねているように見えなくもない黒龍少年をまあまあとたしなめながら、
「――まずは、事件について詳しくお話し願えませんか?」
 モーリスは先を促す。
「ここのところテレビや週刊誌で何かと取り沙汰にされているが……犯人を捕まえろなんて無茶なことを言うくらいだから、何か有力な情報があるんだろうな、火村さんよ」
 志賀はだるそうに言って教卓に寄りかかる。目つきは鋭かった。
 元刑事か。なぜ『元』なのだろうかと、疑問に思った。
「一度裁判にかけられ、冤罪として釈放された男に関係はあるんですか?」
 黒龍はコピー紙の束を火村に突きつける。おそらく火村の知り合いの高校生――寺沢辰彦から受け取ったものだろう。東京高裁の判決文だ。
「ふむ、それについても話さなきゃならんが……順を追っていこう」
 火村は学生に講義をするときの発声に切り替えて、はじめに、と説明を始めた、
「事件の概要だ。『国立大生連続殺人事件』なんていう呼称で知られている。
 殺人事件の時効が十五年ってことは知ってるな。つまり事件発生は今から十五年前の一九八九年。ちょうど平成に変わった年だな。その一年間で、実に四人分もの死体が発見された。いずれも国立K大学――つまりこの大学――の学生のものだった。死因は窒息死。紐状のもので絞殺したという所見だ。ここまでは良い。――で、凶器と死因、それからK大の学生であるという共通項の他に、もう一つ妙な関連性があった」
「バラバラ死体だったんだろ」と志賀が何気ない口調で言った。
「そう。四体ともバラされていた」火村は愉快そうに口元を歪める。「大学生を殺してその死体を解体するって作業を、一年のうちに四回もやったんだから、犯人も相当な物好きだよな」
「被害者の性別は?」と黒龍。
「全員女だ。被害者に接点らしき接点はない」
「通り魔的な犯行ということでしょうか?」
「あるいは一人目は何かやむにやまれぬ事情があったのかもしれんな」
「二人目以降は趣味で、か?」
 志賀の台詞を、火村はにやにや笑いで肯定した。
「ま、真の動機は本人に吐かせればいいさ」捕まることが前提だからな。「それはさておき。――黒龍少年の言った通り、ある男が重要参考人として捜査線上に浮かび上がっていた。男の名は吉川智宏。当事二十三歳の院生だ。吉川が、被害者四人のうち三人と顔見知りであったこと、死体遺棄現場に残されていたタイヤ痕、犯行時刻のアリバイ、等々を根拠に逮捕・起訴された。が――」
「冤罪だったんですね」とモーリス。「火村さんは彼が真犯人だとお考えで?」
「いや」火村は首を振った。「奴は犯人じゃない」
「なぜそう言い切れるんですか?」
 火村はその質問には答えなかった。
「とにかく、だ――俺が捕まえてほしいのはこいつだ」
 教卓に置いてあったフォルダから写真のコピーを取り出し、火村は全員に一枚ずつ手渡した。
「本間啓一郎、三十歳。聖ヶ丘って私立高校知ってるかな。あそこの物理教師だ」
「――え?」黒龍はコピーから顔を上げ、眉を顰めた。「なんて言いましたか? 三十歳……?」
「そう」火村はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。「事件当時、中学生だった。おまえさんと同じだ、黒龍少年」


03 捜査/2004年10月10日午前/モーリス・ラジアル/志賀哲生

 その日は朝からどんよりとした曇り空だった。
 今にも一雨来そうな気配だが、かれこれ数時間は、小雨が降ったり止んだりを繰り返す程度に留まっている。
 はっきりしない灰色の空――まるで自分達が今直面している状況のようだ、とモーリスは思った。
「昨日警察に掛け合って手に入った情報はこんなもんだな」
 志賀哲生は、テーブルの上に分厚い資料をばさっと放り出した。
 向かいに座るモーリス・ラジアルは、紙束を取り上げて一枚ずつ繰る。
「ふむ……さすが元刑事だけありますね。当時の捜査記録ですか」
「さすがに物的証拠までは持ってこれなかったけどな。死体の写真ならコピーを取ってきたが」
 見るか? と志賀は茶封筒を目の高さに掲げた。
「拝見しましょう」
 モーリスはさらりと言って、志賀の手から封筒を受け取った。封筒の中身を検めようとすると、
「……僕はあんまり見たくないので、席を外させてもらいます」
 モーリスの隣りに座っていた水上彰人が、がたんと椅子を鳴らして立ち上がった。
「まあ、そう言わずに」モーリスは水上のスーツの袖を引っ張って、無理やり腰を落ち着けさせた。「乗りかかった船でしょう? 水上さんにも付き合っていただきましょう」
「乗ってないよ。僕はただの仲介屋だし……」モーリスが封筒から抜き出した写真をちらりと見て、水上はげっそりとした顔になった。「だいたいなんで、殺人事件とか、物騒な話をここでするのかな」
 ここ――すなわち、東京都心からやや離れた表通りに位置するジャズバー、Escherである。何でも昨日、志賀がこの雑居ビルの前で水上彰人と正面衝突したとかで――調査報告し合うのにどこか良い場所はないかと考えたときに、彼の意識に上ったのがEscherだった、というわけだ。
「まあ、ほんの一週間だ。正確にはあと六日だな。我慢してくれや」
「僕は荒事には関わりたくな――」
「どう思いますか?」
 関わりたくない、という言葉を遮って、モーリスは水上に死体の写真を渡した。水上は、
「バラバラだね」
 と見た通りを口にした。物凄く迷惑そうだ。
「遺体を切断したのに何か理由があると思いますか?」
 モーリスは志賀に意見を仰ぐ。さぁな、と志賀は溜息をついて椅子の背もたれに身体を預けた。
「バラせば鞄に詰め込めるぜ」
「なるほど。それなら犯人が自動車免許を持っていなければならない必要性もありませんね」
「鞄に詰めて持っていったってこと? 無理があると思うよ。バラしたって重さは変わらないだろう。人間一人分の重さの鞄を持って、殺害現場から死体遺棄現場まで移動するなんてナンセンスじゃないかな。トランクに詰め込んで転がすんじゃ目立ちすぎるし」
「それは確かに、な。死体を解体するのにも労力がいる。ガキにはちと荷の重い作業だが――」
「ガキ?」
「火村さんが私達に『捕獲』を指示した人物ですよ。現在三十歳です」
「それじゃ事件のとき、中学生じゃないか」
「ええ、そうなりますね。だから十五歳の子供、です」
 水上は釈然としない面持ちで黙り込む。
「殺害現場が特定できていないようですが?」
「吉川はいずれも死体遺棄現場の近くで――大学の雑木林とか――殺害したと供述したようだが、それじゃ解体はどこでやったんだという話になる。目撃されずに絞殺するのは可能かもしれんが、バラすとなると、リスクが高いな」
「どちらにしろ吉川智宏は冤罪だったのでしょう」
「吉川の『自白』は警察による誘導尋問だろう。奴らの常套手段さ」志賀は吐き捨てるように言った。「吉川の自白には矛盾点が多い。一審の判決は、その矛盾だらけの自白調書に基づいて下されたものだった」
「物的証拠は残っていないでしょうが、当時の記録を見る限りでも吉川智宏の無罪は確かなもののようですね」
「あのさ、提案なんだけど」水上が口を挟む。「犯人の顔はわかってるんだよね。それならとっとと捕まえて、火村先輩のところへ連れていったらどうかな。事件の真相がどうであれ、それで貴方達の仕事は終わりだ」
「それでは面白くないでしょう?」モーリスはあっさりと言い切った。「それに危険です。犯人の居場所は特定できていますが――十分な下調べなしに捕獲に臨んで、万一にも失敗したら、時効成立前に捕まえる手立てがなくなってしまいますからね」
「念には念をってことだ。それに」志賀は眼光を鋭くする。「火村さんは、俺達に必要最低限の情報しか渡していない。端的に言うとだな、火村さんそのものが『怪しい』んだ」
「まあ、そうですね」
 水上は無感動に同意した。自分の先輩を怪しい呼ばわりされようが何だろうが、自分の知ったことではないという様子だった。
「火村さんを信用していないわけではありませんが、私達は私達で独自に捜査を進めようと、そういうわけですよ」
「ご苦労様」投げやりな口調でコメントする。
 寝不足のせいで不機嫌なのか、付き合わされているせいで不機嫌なのか判然としない水上はさておき、二人は再び資料を一から当たることにする。
「そっちはどうだった、あー……なんて呼べばいいかな」
「モーリス、で結構ですよ、志賀さん」モーリスは軽く微笑んだ。「――ゴシップ系の掲示板などを当たってみましたが、はかばかしい成果は得られませんでしたね。代わりに、被害者の線を洗っていたら意外な共通項が見えてきました」
「同じ大学の学生だったってこと以外にか?」
「ええ。――被害者全員、家庭教師派遣会社に登録していたようです」
「まさか全員、本間啓一郎を受け持っていたなんて、言わないよな?」
「そのまさかです」
 モーリスの返事に、志賀は額を押さえた。「当事の警察は何をやってたんだ……」
「しかしそのうちの三人は、一度や二度、代理で受け持った程度ですよ。長期契約をしていたのは一人目の被害者だけです」
「それだけでも十分有力じゃないか。少なくとも被害者と本間に面識はあったことになる」
「でもやっぱり、中学生が大学生を殺してその死体をバラすなんて、無理があると思うけど……」水上は退屈そうに欠伸をした。「――その犯人Xの名前、なんて言いました? 本間?」
「本間啓一郎だ」
「聖ヶ丘の教師?」
「なぜご存知なんですか?」
「僕の知り合いで、僕の教え子の教師だから」
 水上が何気なく漏らした言葉に、志賀とモーリスはえ、と目を見開いて一瞬の間硬直した。
「――なんだと?」
 志賀は水上を睨む。水上は志賀の形相など物ともせず、大きな欠伸を漏らした。
「僕は顔を知ってる程度です。火村先輩だったら、幼馴染っていっても良いんじゃないかな」
 二人は思わず顔を見合わせていた。

    *

 傘を持ってこなかったのは失敗だったかもしれない。
 モーリスは手の平を天に向け、ぽつぽつとアスファルトに染みを作っている雨だれを受け止める。
 空気は多分に湿気を含んでいた。雨の日は嗅覚が鈍るんだよな、と忌々しげに志賀がつぶやいた。
「事件に対する嗅覚――、という意味ですか?」
「いや。文字通りの意味だ」志賀は同じように手の平を上へ向けて、雨の具合を確かめた。「昔から異様にな――、鼻が良いんだ」
「それは便利そうですね。死臭も嗅ぎ取れるんですか?」
「ああ。『死の匂い』は強烈だぜ――」
 ふと、志賀は一点に視線を留めた。。
「……どうしましたか?」
 志賀の顔つきが変化したのを、モーリスは見逃さなかった。眉根に皺を寄せ、志賀は僅かに身体を緊張させている。
「あの男」志賀は声を潜める。「昨日駅の近くですれ違った奴だ」
「あの男性が何か――」
 モーリスは志賀の視線を追った。
道の反対側を歩く男を注視している。やや猫背気味の、小柄な男だ。一旦人ごみに紛れてしまったら見つけ出すのは困難だろうという、目立たない容姿の人物だった。が。
「――あれは……、吉川智宏では……?」
「何?」
「私の記憶に間違いがなければ、ですが」
 インターネットや紙媒体のメディアで、現在の吉川智宏の容姿を知ることはできない。モーリスは十五年前の記憶を掘り起こしてきて、男の横顔と比較してみた。十五年前――ブラウン管の中で見た男の顔と。
「どういうことだ?」志賀の表情は険しい。「吉川は犯人じゃない。火村さんはそう言ったよな……」
「言いましたね」
「じゃあ、あの男の『死臭』は何なんだ……?」
 独り言のようにつぶやくと、志賀はモーリスの先に立って歩き始めた。
「尾行する気ですか?」
「どうもおかしい。あの『匂い』は尋常じゃないぜ」
 男の姿は雑踏に紛れ込んでいく。
「この間と同じパターンだ。東京って街は死臭が立ち込めててな。油断すると見失いそうになる」
 不意に、それまで降っているかいないか程度だった雨が、ざぁっと音を立てて地面を叩き始めた。
「くそっ――これじゃ尾行もままならねぇな」
 志賀は毒づいた。
 雑踏に傘の花が開いていく。それでますます視界が悪くなり、背の低いその姿は完全に人ごみに埋没してしまった。
 車道を走る車が、派手に泥水を跳ね上げていった。モーリスはひらりと避けたが、志賀はズボンの裾を濡らしてしまった。
「乱暴な運転ですね」
 モーリスは呆れ顔で溜息を漏らした。
「ついてないな……」
 水を引っかけられたのも、このタイミングで雨が降り始めたのも。
 雨は東京の街を灰色から黒に染め、二人から、容赦なく体温を奪っていった――。


04 急転/ 2004年10月11日/火村義一

 事件は誰もが予想しなかった方向に展開した。
 翌朝の朝刊を見て、火村義一は愕然とした。
「……冗談だろう。まだ期限前だぜ」
 新聞の一面を飾り立てている見出しはこう読める。
『時効目前に解決か』。
 目を細めて記事をざっと読んだ。してやられた。火村は舌打ちした。怒りにかられて壁に拳を叩き込む。
「あの野郎。時効まで大人しくしてりゃいいものを……!」
 そうしたら問答無用で捕まえてやったのに。
 火村は依頼請負人達に電話をかけ、一時間後にこの間の講義室へ集合しろという旨を簡潔に伝えた。早朝だったが、誰も文句を言わなかった。
 きっちり一時間後、全員が一堂に介した。それまで無人だった講義室はひやりとしており、さながら霊安室のようだった。
「呼び出した理由は言うまでもないな」火村は全員を見回した。「してやられた。一歩遅かったみたいだぜ」
 火村は教卓の上に、朝刊をばしっと叩きつけるようにして置いた。三人は、それぞれ複雑そうに記事へ目を落とす。
 改めて火村が説明するまでもなかった。
 今朝からどこへ行ってもこの話題で持ち切りだ。マスコミがこぞって、『時効直前に解決見込み』の連続殺人事件について報道している……。
 ――曰く、冤罪と判決を下された吉川智宏が、遺書を遺して首吊り自殺をした。遺書には事件の真相について詳細に記されており、その終わりは、罪の意識に耐えかねた、死んで償う、と結ばれていたという。
 当然この件で矢面に立たされるのは日本の法曹界だろう。無罪の人間から長い歳月を奪うに足らず、有罪の人間を社会に送り出したとあれば、「犯罪には無縁の」善良な一般市民が腹を立てるのも無理からぬことだ。
 真実がどうであれマスコミはあることないことを吹聴するに違いなく(十五年前と同じように、だ)、火村の本間犯人説がますます立証しにくいものになるであろうことは想像に難くなかった。
 死者は語らない。遺書に記したこと以上のことは、何も。
「死臭がしたのはそのためか……」志賀は苦り切った様子で吐き捨てた。「くそ――あのとき雨が降り出してさえいなけりゃ……」
「まさかあの後自殺するとは思いませんでしたからね」
 モーリスも同様に、端正な顔を曇らせている。
「どういうことだ」説明しろ、と火村。
「昨日な……昼前だったか。ふらふらっと歩いている吉川智宏を見かけたんだよ。尾行しようとしたんだが、雨が降り出してな……あえなく見失っちまった」
「警察の捜査は吉川の遺書を裏付ける方向へと向かうでしょう。どうなさるおつもりですか? 火村さん」
「中身を読んだわけじゃないからわからないが、遺書には犯人しか知り得ないようなことが書かれていたんだろう? 火村さんの言う本間啓一郎犯人説は、無理がないか?」
 火村はいらいらと教卓を指先で叩く。
「吉川は本間に殺されたんだろう。最初から計算済みだったんだろうな」
「学校には黒龍君が潜り込んでいたんですよ」
 黒龍に全員の視線が集まった。黒龍は冷静にその視線を受け止めると、口を開いた。
「姿を見たのは朝と放課後だけです。お二人が吉川を目撃したのは昼前でしょう。昼から夕方にかけての時間に殺害したとは考えられませんか」
「黒龍君は本間犯人説を指示なさるんですか?」
「はい」黒龍は迷わず頷いた。「火村さんがどうして本間が犯人だなんて結論に辿り着いたのかは知らない。――だが、あの男が何らかの形で事件に関わっているのは間違いないと思います」
「なぜそう思うのですか?」
「根拠はありません。直感とか、本能とか、そういうものです」
 沈黙が落ちる。各々が思考に沈んでいた。
 壁時計の秒針が刻一刻と過ぎる時を刻む。急かすように、焦らすように、嘲笑うように。耳障りだった。時間はこちらに味方していない。
「――火村さん。いい加減に、なぜあんたが本間に行き着いたのか、教えてもらえないか」
 志賀が沈黙を破った。
 火村は鬱陶しそうに前髪をかきあげる。
「わかるんだよ。昔から」
 不可解な回答を、しかし志賀は理解したようだった。
「サイコメトリーみたいなものかもしれん。だが俺の能力は殺人者に限定されているようでな」火村は腕を組み、顔を俯けた。「――本間が俺を訪ねてきたのは、ほんの二、三日前のことだった。どこかで俺が大学に戻ったのを聞きつけたらしい。犯罪心理を研究しているなら、この事件に興味はないかと持ちかけてきた。――違う中学に行っちまったんでそれから会ってなかったが、奴とは気心の知れた仲だったんでな」
「まるで自分が犯人であることを示したがっているような行為ですね」
「ああ、そのつもりだったんだろう。本間は何も言わなかったが、俺は――わかってしまった。一週間の期限つきで鬼ごっこをやろうって誘いだったのさ」
「七日間で本間が犯人であることを立証できるかという、挑戦だったわけですね」
「ああ。だが俺はこの通り過激な性格なんでな」
火村は喉の奥でくっくと笑った。
「手段を選ばずに、問答無用で『捕まえる』ことにしたわけか」
「ああ。奴が吉川を殺すとしたら時効直前だと思ったんだが、俺があんた達を使って力技に訴えようとしたのを察したのかもしれんな」
「大胆と言うべきか無謀と言うべきか、良くわからない人物ですね。吉川智宏を真犯人に仕立てることに成功すればそれで終わりですが、上手くいかなければ、また十五年間警察の影に怯えなければならないということでしょう?」
「面白がってんだろう。昔からそういう奴だった」とにかく、だ。「もう、何でもいい。腹が立った。『何が何でも捕まえろ。手段は選ぶな。ただし絶対生かしておけ』だ。殺さなきゃ何をやっても構わん。今すぐに、」
 ――奴を捕まえて俺んとこに引き摺ってこい、と火村は命令口調で言い渡した。
 ラウンド2の開始だ。


05 捕獲/2004年10月11日/志賀哲生

「さて、――どう動きますか?」
 聖ヶ丘高校から二キロほど離れた公道に停車した乗用車の、車上。
 モーリスは、運転席で暇そうにしている志賀に向かって言った。
 数時間前。本間啓一郎が四限から出張で不在であることを、聖ヶ丘在校生の寺沢辰彦が連絡してきた。向こうも真面目に『逃げる』気になったのか、それとも真っ当な出張なのかはわからない。黒龍が聖ヶ丘で本間の監視に当たっている。学校を出たら携帯電話で連絡してくる手筈だった。
「黒龍の話を聞いた限りでは、俺達二人で取り押さえられないという気はしないな」
 志賀はハンドルに持たれかかり、通りがかる人間達を観察している。刑事の目つきだ。
「相手が抵抗してこないとも限りませんよ」
「武器を所持しているとか、か?」
「冷静で知的な人間ではあるようですが、徹底抗戦するとなれば、あるいは何の躊躇もなく一般人を巻き添えにするかもしれません」
「……有り得るな」
 それは避けたい。火村の『手段は選ぶな』という発言には『何を犠牲にしても構わない』というニュアンスが含まれていた。が、敢えて事後処理などの厄介事を増やす必要性もないだろう。穏便に事が済めばそれに越したことはない。
 モーリスの携帯電話が振動した。通話ボタンを押して、モーリスは話し始める。
「何か動きはありましたか? ――わかりました。私達も動きましょう。本間の行き先はわかりますか?」ふとモーリスは形の良い眉を顰めた。「もしもし? 黒龍君? どうしましたか?」
 モーリスが何か訴えかけるようにこちらを見た。志賀は不穏な気配を感じ取ってハンドルから上体を起こす。
「どうした?」
 モーリスは通話が切れてしまったらしい携帯を耳から離すと、
「わかりません。切れてしまいました。何か芳しくない状況であることだけは確かです」
 急ぎましょう、と促した。志賀はギアをドライブに入れて、乱暴に車を発進させた。
「本間の車のナンバは?」と志賀。
「グレイのセダン、多摩の14XXです」
「――あれか! 気が早いぜ!」
 数百メートル先に見える聖ヶ丘高校の裏門から、グレイの乗用車が飛び出してきたところだった。あっという間に距離が離れてしまう。志賀に負けず乱暴な運転だった。
「志賀さん、一旦降ろしていただけませんか? 黒龍君が気になります」
「わかった。俺は本間を追う」
「どうにかして合流します。何か動きがあったら連絡して下さい」
「了解」
 志賀はハンドルを切って路肩に車を寄せる。モーリスはドアを開けて飛び降りた。

 扉が閉まったのをろくに確認もせず、志賀はアクセルを踏み込んで急発進させた。タイヤが耳障りな音を立てる。
 本間のセダンは、志賀の視界の中であっという間に小さくなっていった。
(ありゃ――どう考えても俺から逃げてるんじゃねぇか!)
 なんだってこう、毎回尾行する羽目になるのか。
 だが、今回は撒かれてはやらない。
「ったく――カーチェイスなんて、強盗殺人犯を追いかけたとき以来だぜ!」
 赤信号に変わりかけの交差点でハンドルを大きく切りかえす。メーターはあっという間に百キロを振り切った。高速道路ならともかく、一般道で時速百二十キロも出すとかなりのスピード感がある。
 二台の暴走車は、つかず離れずの距離を保って都内を疾走する。
 脳の奥を痺れさせている高揚感は、
 スピードがもたらすものか、
 猟奇殺人犯に迫っているという意識がもたらすものか、
 あるいはその両方か。
 汗ばむ手でハンドルを握り直し、舌なめずりする。獲物を追いかける獣のように。だが向こうはただ捕食されるだけの草食動物ではない。下手したらこっちが喰われるかもしれないという、肉食獣だ。尚更――追いかけ甲斐があるってもんじゃないか。
 逃がすものか。絶対に追い詰めてやる。これは命を賭けたタグ・ゲームだ。
 なぁ、これはおまえにとって至高の『遊び』なんだろう? 本間啓一郎。
 本間の運転する車はそのまま高速の入り口へ入る。本間はETCレーンを通過した。志賀は、警察だ、と叫んで料金所を突破した。もちろん嘘だ。もう彼は国家の犬ではない。
 車はさほど多くなく、カーチェイスをするには最適だった。本間は巧みな運転で車を数台抜き去り、どんどん距離を離していく。
(そういう器用なことは――得意じゃないんだがな!)
 このスピードで他の車に衝突したら大事故になりかねない。対向車がいないだけマシか。
 しかし冴えないセダンの分際で、なんなんだ、あの無茶な運転は。こちらも冴えない大衆車であることには変わりないが。本物のカーチェイスなんてそんなもんだろう、なぁ? 絵的ではないがスリルは十分だ。何しろ画面の中ではなく、自分が運転席している。
 本間の運転する車は千葉の方向へ向かう。予定通り出張へ向かうってこともないだろうが――成田? まさか高飛びしようってわけじゃないよな。
 志賀の不安をよそに、本間は乱暴にハンドルを切っていきなり高速を降りた。
「おいおいおい! 引き返せねぇって――」
 無茶を承知で、九十度の角を曲がった。速度は殺さずに。車体がスピンするのを無茶苦茶なハンドル捌きでならし、狂ったようなクラクション攻撃を受けながら、乗用車やトラックの間を逆走する。
 志賀はなんとか高速を降りた。今ので寿命が十年分くらいは縮まった気がした。
(どこまで行く気だ――)
 灰色の乗用車は街を抜け、海岸沿いへ出る。
 ぽつぽつとフロントグラスに水滴が落ちてきた。
「よりにもよってこんなときに雨かよ!」
 初日のコイン投げを思い出した。あのときは勝ったが、今同じ勝負をしたら確実に俺が負けるだろうな、と思う。ついていない。一度目は雑踏に、二度目は雨に撒かれ、三度目は――三度目は、ない。逃すもんか!
 見覚えのある通りに出た。志賀は記憶を頼りに細い枝道に入る。上手くいけば横っ面に体当たりしてやれるはずだ。
 降り出した雨は路面を濡らし、一気に視界を悪くする。ブレーキの利きが鈍くなり、タイヤが何度もスリップした。本間の車が見えた。志賀はアクセルに全体重を載せた。
 衝撃。
 志賀は息を詰まらせる。ちゃんと作動してくれたエアバックに感謝しつつ、志賀は運転席から飛び出した。
 同様に車から降りる男。強運が味方についているらしい。今ので、運の悪い奴は死ぬだろう。
「追い詰めたぜ、本間ァ!」
 本間啓一郎は身を翻すと、走り出した。まだ逃げる気か。
 元刑事と物理教師の追いかけっこなら、こちらに分があるはずだ。が、どうしてなかなか、本間も侮れない。本間は走りながら懐に手を入れた。まさかとは思ったが、反射的に身を伏せた。ぱん、と半端な銃声が鳴り響き、壁に穴が穿たれる。
(どこの世界に射撃訓練を受けた高校教師がいるんだよ、あぁ!?)
 ――ここにいる。
 忌々しげに舌打ちし、志賀は身体に似合わず軽いフットワークで立ち上がった。
 志賀は本間の姿を視界の中央に捉えると、『鎖』を頭の中にイメージした。一瞬後、手の中に手錠が現れる。それはタナトスの鎖だ。捕らえられないものは存在しない鎖。
 自分の腕に一方、本間の腕の一方を嵌め、
 猛犬の首を絞めるように、ぐっと引っ張った。
「――!」
 思わぬ強い力に、志賀は引き摺られそうになる。
(こいつ……!)
 それは物理的な力の差ではない。
 タナトスの大きさか。
 心の闇の深さか。
 相手はとんでもなく――、ヤバい奴らしい。
「――どなたも卑怯な手を使うのがお好きなようで」
 志賀に捕らえられた本間は、逃げるのをやめ、諦観の笑みを浮かべた。
「腕が引き千切られるかと思いましたよ。いっそ腕の一本程度犠牲にして逃げても良かったんですが、この手錠、外れそうにもありませんでしたので」
 本間は自分の手首を持ち上げてみせた。
「善良な一般市民に貴方方のような人間をあてがうとは、火村君も意地が悪い」
「おまえのどこが善良だよ、あぁ?」志賀は皮肉っぽく笑った。「やっと捕まえたぜ。てこずらせてくれたな、本間啓一郎」
 本間は、志賀に向き直った。
 二人の男が対峙する。
 死を振り翳す者と、死に魅入られた者とか。
 本間啓一郎は――、火村に渡された写真とまったく同一の、人殺しなどをする人間とはとても思えない、穏やかな表情をした青年だった。だが……、
「――おまえ、死臭が酷いぜ。何しろ昨日もう一人殺ったばかりだもんな? なァ、兄弟」
 本間は口元に冷たい微笑を浮かべた。
「火村君も荒っぽいですね。正直、吉川を殺害した翌日に動き出すとは思いませんでしたよ。死体でも良いから持ち帰れと言われているんですか?」
「残念ながら、生きたまま連れ帰らなきゃならねぇんだ」
「それで、僕が大人しく応じるとでも?」
「どうかな。どうしても逃げるってんなら、その素晴らしい腕前の射撃で、もう一人殺るか?」
 志賀はとんと親指で自分の胸を指差す。
 本間はただじっと、志賀の前に立っていた。
 雨はアスファルトを打ち、二人を取り囲む灰色の雑居ビルを薄汚く塗り潰し、凶暴な音楽を奏でている。
「なんで、殺した?」
 低く発した問いに、本間はなぜそんなことを訊くのかと言いたげな目をした。
「なぜ、ですか? てっきり貴方は私の同類だと思いましたが。答える必要がありますか?」
「…………」
 志賀は黙る。
「世間では、そうですね。僕のような人間を『異常』と分類して終わりでしょう。正常な方々は理解するのを拒否してそんな枠を作ったのでしょう? 貴方が僕とは『違う』と言うなら、どちらにしろ理解していただけない理屈になりますが。説明をお望みですか?」
 志賀は答えない。否、答えられない。
 あと一歩のところで、志賀は、そう――
 理解するのを拒んでいるのだから。
「あるいは貴方は、まだこちら側に踏み込んではいないのですか? 正常や異常などといった学問上の分類は極めて曖昧です。あるいは融合しているかもしれません。ですから、――こちら側へ来るのは、意外と簡単ですよ」
 片腕に嵌った鎖が、何か、鉛のように重い。
 力の流れが、本間啓一郎に向かっている。
 引き摺られる、と感じる。足下に広がる闇を見下ろしたら、自分はそこに落ち込んでいくだろう。一度『そこ』に堕ちてしまったら、這い上がることは不可能だ。この男は、本間啓一郎は、自分も引き連れていくつもりなのだろうか。
「おまえは……その善人面で、何人殺ったんだ?」
「吉川さんも含めて五人です。本当は四人目で辞めたはずだったんですが」
 犯罪者には、外向的なタイプと内向的なタイプとがいるという。
 一方は社会に対して己をひた隠しにし、
 一方は社会に何食わぬ顔で適合している。
 本間は後者であろう。
 極めて順応力の高い犯罪者。
 異常と正常の融点に存在する、殺人鬼だ。
「僕の負う『役目』を貴方に譲っても良いのですが――」本間は笑った。「僕はまだ、ゲームに負けたつもりはありません。貴方が火村君のところへ僕を連れていくまで、この遊戯は続行するのでしょう?」
 笑って、懐に手を差し入れた。まずい、と志賀は思った。思ったが、動けなかった。
「事件についてお話しするのは、終幕まで待っていただくということで、いかがでしょうか」
 もっとも、と本間が笑顔で言った。――貴方がそれまで生きていたらの話ですが。
 小さな衝撃があった。
 なんだろう、と思った。
 この痛みは。
 志賀は自分の胸を見下ろす。
 指先で触れると、ぬるりとした感触があった。
 シャツが血に染まっている。
 本間の手には、小さな銃。
 銃口から細い煙が立ち昇っている。
 何かの匂いが鼻腔をくすぐる。
 甘美な匂いだ。酔っ払ってしまいそうになる。
 この匂いは何だ。
 ああ、そうか。
 俺の『死臭』か――

 志賀の身体はゆっくりと傾ぎ、水溜りの上に倒れた。
 虚ろな双眸に、曇天が映り込んでいる。
 まったく、嫌な天気だぜ。空があんなに黒いじゃないか。


06 エピローグ/2004年10月16日午前/本間啓一郎

「まずは、良くやってくれた、ありがとう、と言うべきか」
 火村義一は、非常にありがたくなさそうなふてぶてしい面構えで、三人の依頼請負人に向かって言った。
 都内某所。
 学生や子連れで賑わうファミリーレストランの一角。
 積み上げられていく皿は伝票の枚数に比例しており、
 ――火村の財布の中身とは反比例している。
「そのお言葉、ありがたく頂戴致します」
 モーリスは上品に珈琲を味わってから、微笑を零した(ファミリーレストランの珈琲をここまで優雅に飲める人物を、火村は他に知らない)。
「私は存分に楽しませていただきましたが、お二人はそれなりに痛い思いをされましたので」
 痛い思いをしたはずの二人――梅黒龍と志賀哲生は、どこが怪我人なのかと問いたくなるような勢いで夕飯をかき込んでいる。もちろん火村の奢りで。
「……銃で撃たれたって本当か?」
「本当です」と黒龍。「モーリスさんのおかげだ」
「俺なんて死線を彷徨ったぜ。報酬が足りないくらいだ」
 火村は両手を上げた。
「わかった。食ってくれ。好きなだけ。胃がはちきれるまで食ってくれ」
 そしてそのまま逝ってくれ。伝票は見ないことにしよう。
「ま、撃たれたにせよ何にせよ、結果だけ見りゃ上出来だったと言わざるを得ない。本間は黙秘をつづけているが、俺の面談にだけは応じている。俺が勝ったんだから、当然と言えば当然だな。奴には話す義務がある」
 火村はポケットからレコーダーを取り出すと、机の上に置いた。
「飯の席で何だが、聞くか? 愉快な話ではないぜ」
「私達にとっては、事件は未だに不透明なままです。皆さんに差し支えがなければ」
 黒龍と志賀は、構わないと頷いた。
「知らなくても良いと思うんだけどな、こんなこと……」
 火村は短く溜息をつくと、再生ボタンを押した。
 本間の声が語り始める。

『――こんにちは、火村君。どうですか、世間の動きは? 皆、驚いているでしょう? 僕の教え子達はどうしているんでしょうね――まぁ、そんなことはどうでも良いです。事件について聞きにきたんでしょう? 繰り返しになりますが。ああ、それ、録音するんですね。どうぞ、火村君の研究にお役立て下さい。
 ――ええ、そうですよ。四人とも僕が殺害しました。吉川さんも、そうです。
 一人目は、彼女ですね。覚えておりますとも。彼女のおかげで今の僕があるようなものですから。きっかけは、なんてことはありませんでしたよ。家庭教師とその教え子として知り合ったんです。
 僕の母親は世間一般的で言うところの教育ママというやつでしてね、物心ついたときから家庭教師をつけられていたんです。彼女は、確か三人目でしたか……K大の学生でした。頭の良い、綺麗な女性でしたね。初恋の人でしたよ。まあ僕も概して可愛げのない子供で、変に大人びておりましたので――比較的早い段階で、彼女と交際を持つようになりました。もちろん親には内緒ですとも。こそこそと隠れて付き合っておりまして、ある日、魔が差したんでしょうか……、親が留守の日に関係を持ちまして、ふざけている最中に首を絞めて殺してしまったんですよ。ありそうな話でしょう?
 参ったなと思いましたね。死体を抱えて歩き回るわけにもいかないし、親が帰宅するまで何時間もないしで。これでは部屋から彼女の遺体を持ち出すことすらできません。それでふと思いついたんです。小分けにして持って出たらどうかなと。いっそのことバラして窓から放り出せば良い。それで、庭の物置からビニールシートと鋸を持ち出してきてですね、部屋で解体したんです。え? あ、はい、そうですよ。一階には親がいました。まぁ、入るなと釘を刺しておけば入ってこない律儀な両親でしたから。
 解体には一晩かかりましたよ。予想はしていましたが、人間の身体ってそう簡単には切れないんですね。簡単に死ぬ癖に。
 さすがに泣きたくなりましたが、ともかくも解体作業は終えたので、後はどこかに埋めるだけです。複数のゴミ袋に分けて死体を窓から放り出し、夜中に埋めにいこうとして、――バラしても重いのは同じだったんですよねぇ。何度か往復することも考えたのですが、不在の間に残りの死体が見つかったらまずいですし。それで、近所に住んでいた大学生の吉川さんに電話を入れたんです。『家の前の通りで犬が轢かれていた。可哀想だから埋めてやりたいんだが、手伝ってもらえないだろうか』って。――ほら、K大の外れの雑木林に、猫墓があるでしょう? 大学で繁殖した猫の死体を、学生が埋めている場所です。吉川さんがあそこに埋めてやったら良いんじゃないかというので、そうすることにしました。死体はまとめて黒いゴミ袋に入れ、ガムテープでぐるぐる巻きにしました。厳重に梱包――というのも何か変な言い方ですけど――して、酷い状態の死体だったと言えば、誰も開けて中を見ようとは思わないでしょう? よほどの物好きでない限り。随分でかい犬だったんだなって吉川さんは驚いていましたが、まさか中身が女性の死体だとは思わなかったようですね。
 そうして吉川さんの車で雑木林に乗り入れて、袋ごと死体を埋めたんです。吉川さんの車は大きいオフロード車でしてね、タイヤ痕が証拠の一つになってしまったのはそのためですね。あそこに動物を埋める学生は多かったそうですから、誰も不審には思いませんでした。以上が一人目ですね。
 二人目は『行方不明』になってしまった彼女の代わりに、親が雇った学生です。やはりK大生でしたね。テスト前だけ勉強を見てもらう契約でした。契約期間中に殺すとバレますから、しばらく経ってからお礼をしたいと家に呼び出して、そのときに殺害しました。
 前回の経験で、既になんとなく、自分は殺すことに快感を覚えるらしいと悟っていました。どうも僕には女性を安心させることに関して、天性の才能があるようで――、結構楽に殺せるんですよね。さすがに親がいない時間を狙ってやりましたが。ええ、素晴らしい経験でしたよ。火村君も試してみたらどうですか? 嫌だな、そんな怖い顔をしないで下さいよ……。――死体の解体と遺棄に関しては一人目と同様です。今度は家で飼っていた猫が死んでしまったと言いました。四匹飼っていましたので。さすがに二度目ともなると嫌がられるかと思いましたが、吉川さんも人が良く……今度は河川敷の高架下に埋めました。飼っていた猫ですか? ええ、その後十年も生きて寿命で死にましたよ。動物を殺すことに興味はありませんし、猫は生きているほうが可愛いですから。
 三人目、四人目に関しても似たようなものです。違ったのは死体遺棄の方法くらいですかね。さすがに三回目ともなると怪しまれるでしょうし、困ったことにちょうどその頃、K大に埋めた遺体が見つかってしまったのです。吉川さんはもう頼れませんので、――ああ、思い出しました? 一緒に自転車で埋めにいったでしょう? 知らないうちに人間の死体を運ばされていたんですよ、火村君。
 四人目は、これで最後にしようと決めて殺しました。さすがに捜査が自分に及ぶのではないかと心配でしたしね。最後は、もう面倒くさいので、ゴミ捨て場に捨てましたよ。我ながら投げやりでしたね。……え? 僕らしくない、ですか? まあ、そうですね。冷静さに欠けていました。もちろん、指紋がつかないように考慮はしていましたよ。それで、重いゴミ袋を引き摺るように歩いていたらですね、偶然吉川さんが通りがかって、運ぶのを手伝ってくれたんです。夜中だったので、僕が薄いゴム手袋をしているのには気づかなかったようですね。そんなわけで吉川さんの指紋だけがべったりついてしまったんですよ――お気の毒ですね。
 まあそんなこんなで僕はそれっきり人殺しをやめてしまったんですが、死体が発見されてしまいましてね、吉川さんはどうも僕が怪しいと感づいたようなんです。ですが僕は善良で真面目な学生で通っていましたからね――十五歳の少年が女を四人殺して埋めたなんて言っても、誰も信じないでしょう? 今だったら、わかりませんが。そうこうしているうちに吉川さん自身が逮捕されてしまったんです。後のことはご存知ですね。奇跡的にも吉川さんは自分が無罪であると主張するのに、僕の名前を出したりはしませんでした。まぁなんとか、二審で無罪判決が下りましたので、それに関しては目を瞑って下さい。
 正直なところ、そのまま時効成立を迎えてしまうとは思っていなかったんですよ。一応法律というものは存在しますし、彼女達には申し訳ないと思っていましたからね――後悔はしていませんが――、それなりに覚悟は決めていました。それがいつまで経っても僕に捜査が及ばないんだもの。いつの間にか自分が人殺しをしたことなんて忘れていましたよ。それが最近になって急に騒がれ始めたので……、誰か気づいてくれないかな、と。悪いことをしたのに誰からも咎め立てを受けなくて、途方に暮れている子供のようなものというか。ありませんか? そういう経験。
 どうせだったら盛り上げてやろうと、吉川さんを犯人に仕立てることにしました。探偵役に火村君を選んで。ちょっとしたミステリ小説の実演ですよ。もう十五年も前に『終わってしまった事件』ではありましたが、小道具を工夫すればそれなりに面白い幕になるものなんですね――
 後悔? さっきも言いましたが、していませんよ。
 他に何か訊きたいことがありますか? ないというなら、僕はこれで口を噤もうと思いますが。火村君が話したいと願うなら、いつでも応じましょう。
 さて、これからどうやって時間を使いましょうかね。火村君がよろしければ、ですが、また何か違う遊びを考えてみましょうか?
 ――おっと、時間切れですね。それじゃ、さようなら。僕はしばらく休むことにしますよ――。』







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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■志賀・哲生
 整理番号:2151 性別:男 年齢:30歳 職業:私立探偵(元・刑事)

■モーリス・ラジアル
 整理番号:2318 性別:男 年齢:527歳 職業:ガードナー・医師・調和者

■梅・黒龍
 整理番号:3506 性別:男 年齢:15歳 職業:中学生


【NPC】

■火村 義一
 性別:男 年齢:29歳 職業:大学院生

■水上 彰人
 性別:男 年齢:28歳 職業:予備校講師


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■         ライター通信          ■
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 はじめまして&こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
 長々ーーーーとお付き合いいただきありがとうございました。あまりの増量加減に途中から前後編に分けようかと真剣に悩んでしまったのですが、なんとか書き上がったので一本でお届けします。まだまだ未熟なもので、書き切れていない部分などたくさんあると思いますが……、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 個別パートの占める割合が多くなっておりますので、お暇でしたら他のPCさんの作品も読んでみて下さい。伏線やエピソードが散らばっていたりします。
 エセサイコサスペンスものっぽくなってしまった本シナリオですが、サイコサスペンスといえばレクター博士です(笑)。皆さんのご尽力でとっ捕まった本間啓一郎は、今後もお決まりの『犯罪者』役として法廷・サスペンス系統のシナリオに登場する予定です。

志賀哲生様
 猟奇犯罪ものにはうってつけの設定で、ラストの対立シーンはとても面白く描かせていただきました。本来だったら本間VS火村となるところを、志賀さんに担当してもらっております。志賀さんがいかに生還(?)したのかは、他のPCさんのパートを読んでいただければわかると思います。不透明な部分が多くて申し訳ございません(汗)。

 それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ。