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<PCシナリオノベル(シングル)>


暗い夜

●序

 瑞穂は今日も帰ってこなかった。
 瑞穂の母親はその事実に大きな溜息をつく。霧里学園に生えている木の下に靴を残したまま、瑞穂の行方は全く分からなくなってしまったのだ。
(自殺なら……)
 そのような考え自体も恐ろしく、本来ならば考えたくも無いものであったが、それはないと母親は考える。
(瑞穂の体くらい、見つかる筈だわ。絶対に、違う)
 母親は時計とカレンダーを見比べる。既に瑞穂の行方が分からなくなってから、三日が過ぎていた。視線を外し、ベッドで寝ている夫に向ける。夫はこちらに背を向けて横になっていたが、きっと寝てはいないだろう事を母親は知っていた。一人娘で、目に入れても痛くないほど可愛がってきた瑞穂が消えた日から、彼は一睡も出来てはいなかった。会社には休暇願を提出し、朝から晩まで瑞穂を探す為に奔走しているのだ。体は恐らく疲労の頂点に達しているのであろう。しかしながら、夫が寝ている様子は全く無かった。
(私を気遣い、自分も寝ているのだから私にも寝なさいと言ってくれているのね……)
 夫は優しい性格の持ち主であった。自らを犠牲にし、母親や瑞穂を護ろうとするほど。その優しさが今は、酷く嬉しく……辛かった。
 ガタ。
 玄関の方から音がし、母親は大きく目を見開いて立ち上がり、父親は寝ていた体をがばっと起こした。互いに顔を見合わせ、半ば駆け出す勢いで玄関へと向かった。
「瑞穂?」
 玄関に声をかけながら、母親はそっと玄関の鍵を開けた。瑞穂には鍵を持たせてはいたが、もしかしたら持っていないのかもしれないと思い。がちゃりと音が響き、ドアを開けた先には瑞穂が立っていた。目が虚ろで、黒かった髪は真っ白に成り代わっていた。だが、瑞穂は瑞穂に間違いなかった。母親も父親も、瑞穂を抱き締める。
「良く帰ってきたわね」
「瑞穂、無事でよかった……!」
 両親は瑞穂を抱き締める。強く強く抱き締める。抱き締められた瑞穂は、虚ろな目のまま何も言わない。
「ともかく、休みなさい。一緒にいるからね」
 両親はそう言い、瑞穂を部屋へと連れて行く。髪が白くなってしまったのは、きっと何かがあったからだろうと二人は考えていた。明るかった彼女が虚ろな目のまま何も言葉を発しないのも。今はともかく、休ませる事が一番だと感じたのだ。
 瑞穂をパジャマに着替えさせ、両親は瑞穂のベッドに寄り添って微笑んだ。大事な娘の帰還に、存在に。瑞穂は、一度は眠りにつき……そしてむっくりと起き上がった。
「どうしたの?瑞穂。何か欲しいの?」
「何か持ってこようか?」
 心配と労わりの眼差しで見つめる両親に、瑞穂はかぶりついた。まずは母親に、次に父親に。何も考える暇など、二人には無かった。ただただ目の前が赤く赤く染まっていく事だけが鮮明に焼き付けられ、そうして全てが闇に落ちていくだけであった。
 瑞穂は虚ろな目のまま、口元を真っ赤に染め上げ、吼えた。吼えた時に、白の髪がぱさりと揺れて額を露にする。そこには、両の目以外の、もう一つの目が存在していた。その目はぎろりと辺りの様子を窺うと、目を細めた。
 赤く染め上げられた様子に、満足感を覚えたかのように。


●明るき朝

 何度求め、何度挫折した事だろうか。既にそれすらも思い出せぬ。覚えているのは、繰り返された思いだけ。ただただ……それだけだ。

 ぱらぱらと資料を捲って一通り目を通し終えると、セレスティ・カーニンガムは軽くウェーブのかかった銀の髪をかきあげ、青の目を悲しく歪ませた。
「このようなことが、起こっているとは……」
 小さく溜息をも漏らし、セレスティは吐き出すように呟く。
「出来事が出来事だけに、マスコミ公表も避けているようなのだよ。僕にこのような依頼をしてくるほど、切羽詰っていると言ってもいいだろうしね」
 資料提供者である月宮・豹(つきみや ひょう)はそう言い、にやりと笑った。退魔の重鎮であり、能力・才能・人格等のあらゆる面においてのカリスマと言われている。草間はあまり、好ましくは思っていないようなのだが。
「で、どうしてあんたの所に来た依頼を、俺の所に持ってくるんだ?自分で解決すりゃいいじゃないか」
 草間が煙草に火を付けながら言うと、豹はくすくすと笑う。
「僕一人でやってもいいのだが……このような事件だ。君の大事な調査員を借り、一刻も早く解決したいのだよ」
 豹は「大事な」という所に力を入れて話す。草間は、聞こえないように小さく舌打ちする。
「で、セレスティはどうなんだ?別にいいのか?」
「ええ。……放ってはおけません」
 セレスティは口元に笑みを携え、更にぎゅっと拳を握り締める。一度見てしまったからには、一刻も早くこのような事態を終わらせたいという思いが募ってしまって仕方が無い。
「精神錯乱と言う事は、ありえますか?」
 セレスティが豹に尋ねる。極限状況に追い込まれた場合、正気を失う事は珍しい事ではないのだ。だが、豹は首を横に振ってから苦笑する。
「精神云々の話ではないのだよ。……皆、人ではなくなっていると聞いたらどうだね?」
「人ではない、ですか?」
「そう。帰ってきた者には、第三の目が植え付けられてあったそうだよ。人為か怪異かは分からないがね」
「第三の目……一体何処に?」
「額に、前髪に隠れるようにして植え付けられているらしい。司法解剖し、原因やらをつきとめようとしたのだが、無駄だったようだね」
 セレスティは考え込む。資料を読んだだけでは、失踪事件と人喰い事件は関係があるかどうかは決定できないと考えていた。だが、第三の目という話が出てきたのだ。
(一体、何を見る事ができるのでしょうか?)
 セレスティはふと、額を抑える。脳に近い部分に植え付けられたという目は、どういう役割をするのだろうかと。
「力を貸してはくれないかね?」
 豹はそう言い、じっとセレスティを見つめた。草間の方は見向きもしない。
「分かりました」
 セレスティは頷き、ちらりと草間を見る。草間も諦めたようにこっくりと頷く。その回答に満足したように豹は微笑む。
「手がかりとなるかどうかは分からないが……一つだけ。学院には楡の木の怪談というものが伝わっているそうだよ」
「楡の木の怪談というと……?」
「僕も詳しい話はよく分からないがね、そういうものがあるという噂だけは聞いたんだ。……上が気付く頃には手遅れになるよ。必ずね」
 豹はそれだけ言うと、すっと立ち上がって興信所を去って行った。後に残されたセレスティに、草間はぽんと肩を叩く。
「こんな時に巡り会うなんて、災難だったな」
「いえ……これも一種の幸運だと思うべきかもしれませんよ」
 セレスティはそう言い、資料を纏めて懐に収める。
「長い年月の中、不思議な事件に出会うことは偶然が生み出す長物かもしれませんから」
 セレスティの言葉に、草間は煙草の煙を吐き出しながら苦笑する。
「難儀だね、あんたも」
「草間さんには負けますよ」
 セレスティはそう言い、杖を手にしてその場を去った。最後にぽつんと取り残された草間は、一瞬乾いた笑いをし、大きな溜息を煙とともに吐き出すのであった。


●薄曇りし昼

 この世の全てがそのままの形でいられると誰が思うだろうか。一か零かなのだというのならば、いっその事全てを無くしてしまう方が綺麗なのではないだろうか。このような思いは尽きぬのだから。

 セレスティは車を使い、すぐに霧里学院へと向かった。リンスター財閥の総帥である事を告げると、快く霧里学院は学校の訪問を承諾してくれた。
(このようなところで、役に立つとは思いませんでしたね)
 セレスティは苦笑する。今後、学校を設立した時の為の参考にするという理由を、すんなりと学院側が受け入れてくれたのだ。学校同士のネットワークを大事にしようとしているのかもしれない。
(まあ、全くの嘘ではないですし)
 実際、セレスティは学校に寄付を行ったりもしている。完全な嘘というわけでもないし、今回は事件が事件だけに、大目に見てもらえると勝手に判断する。
 まず、セレスティは学院内にある図書室に赴いた。豹の言っていた、学院に伝わっているという楡の木の怪談を探す為だ。
(学院の歴史……ああ、これにありそうですね)
 セレスティは一冊の資料を手にし、静かに図書館内に座って目を通し始める。遠くから、ひそひそという声が聞こえてきたが、あえて気にはしなかった。
 普段学院にいるはずの無いような、綺麗な男性が図書館にいるのである。噂にならない筈も無い。
「誰、あの人。凄く綺麗」
「いいなぁ……知り合いになりたいわぁ」
「話し掛けてみてよ、ねぇ」
「無理だって!私、英語できないし……」
「一体誰なのかしら?この学院の人じゃないわよねぇ」
 ひそひそと囁かれる少女達の声。その中でただ一人だけ、そっと物陰からセレスティを見つめている少女がいた。その少女はじっとセレスティを見つめ、何かを思ったのかどこかに走って行ってしまった。
「……楡の木……これですね」
 楡の木の伝説を見つけたセレスティは、そのことに気付く事は無かった。


『楡の木の伝説は、生徒達の間で流行ったおまじないです。凄く効き目がありますが、なるべく運命は自分の手で掴み取る方が良いですよ』
 学院の歴史にある、生徒の作った一ページ。
『楡の木にビー球を括りつけた釘を刺して、靴を脱いでぴょんと飛び込む仕種をします。すると、たちまち願いは叶うというものなんです。実際、たくさんの人が願いを叶える事が出来ました。ただ、かなりの危険を伴うので気をつけましょう』
(危険だと、知っているというのですね……)
 占い師であるセレスティには、このおまじないが単なるおまじないでない事がぼんやりと感じ取る事が出来た。ただのおまじないにしては、契約行為のような動作が多すぎるのだ。
『どうしても危なくなってしまったら、秘密の呪文を唱えます』
「……これは……」
 セレスティは目を疑った。そこにある言葉は『王子の願いを聞き届け羽を空へと帰します』であった。
「これこそ、契約の言葉ではないですか……!」
 セレスティは手で口元を押さえる。契約行為に、契約の言葉。これを行えば、願いを叶える代わりに代償を差し出すという意味になるだろう。代償は勿論、命。
(飛び込む仕種は自らの命を捧げる行為、空へと帰す言葉は命を還すと言う事……)
 セレスティは大きく溜息をつき、杖を手にして立ち上がった。
「人が行方不明となるのは、木に呼ばれてのことでしょう。目は……」
 セレスティは呟き、再び杖を持っていないほうの手で口元を押さえる。
(有機物なのか人工物なのかは分かりませんが……ともかく、楡の木に行ってみますか)
 学院の歴史という本を元の位置に戻し、セレスティは歩き始めた。楡の木の状況を知り得る為に。


 楡の木に行く途中に、何人かの生徒や教師におまじないの事を尋ねた。だが、返って来るのはどれも否定的なものでしかなかった。
「あー……あれは別にいいんだって」
「何も関係ありません」
「どうだっていいじゃん、そんなの」
 返って来るのはそういった類のものばかりで、中には冷笑を含ませながらする者までいたのだ。
(前途多難ですね)
 セレスティは仕方なく、校舎をぐるりと一周することにした。楡の木は、学院の歴史という本に載るくらいなのだから、余程の年数を経ている筈である。ならば、校舎周りのどこかに植えられていると考えるのが普通である。そうして考え、校舎裏に差し掛かったときだった。
「ちょっと、何とか言いなさいよ!」
(おや?)
 セレスティは反射的に身を隠して様子を窺う。そこにいたのは、少女達の集団であった。一人の少女を壁際に追い詰め、他の少女たちが周りを囲っているのだ。
(これはいけませんね)
 セレスティは杖をぎゅっと握り締め、ゆっくりと少女達に近付く。まず初めに気付いたのは、追い詰められていた少女だった。助けを求めるような目で、じっとセレスティを見つめていた。セレスティはそれに応えるように微笑みながら頷く。
「こんにちは。……皆さんは、ここの生徒さん達ですよね?」
 綺麗に笑うセレスティに、少女達は思わず見惚れたようだった。と同時に、一歩後ろへと下がる。少女を囲っていたという事実が、後ろめたい事なのだとわかっているからであろう。
「私は、調査をしているセレスティ・カーニンガムと申します。……少し、お話ししたい事があるのですが……」
 セレスティが足を一歩踏み出すと、少女達は走りながら去っていってしまった。セレスティの言う「お話し」が自分達に分が悪い事なのだと思ったのであろう。セレスティは苦笑し、少女に向かって微笑みかける。
「余計なお世話でしたでしょうか?」
「いいえ……いいえ!有難う御座います」
 少女は何度も頭を下げた。何処にでもいそうな、至極普通の少女。
「そうだ、折角だから教えていただけませんか?楡の木が何処にあるのか」
「楡の木……ですか?」
 少女の表情が一瞬強張った。
「すいません。話しにくければ、いいのですが……」
 少女は一瞬考え、首を振ってそっと口を開く。
「いいえ。……楡の木は、あっちの方に。案内しましょうか?」
「それは助かります。有難う御座います」
 セレスティが丁寧に頭を下げると、少女は不意に涙をほろりと流した。セレスティはそっとハンカチを取り出し「どうしましたか?」と優しく尋ねた。
「私……セレスティさんとお話し出来るなんて思ってなくて。役に立てそうだからもっと嬉しくて……その……」
 ハンカチを受け取り、少女はたどたどしく喋った。セレスティは彼女を落ち着かせるようにそっと背を叩き、優しく話し掛ける。
「お名前は、何と仰るのですか?」
 セレスティの言葉に、少女はハンカチを握り締めたまま口をそっと開く。
「畑中・美佳(はたなか みか)って言います」
「では、美佳さん。案内していただけますか?」
 丁寧にお願いをするセレスティに、美佳は小さく微笑みながら頷く。そうして、楡の木のほうに進んでいくのだった。


●染まりし夕暮

 大きな腕は抱くが為に。大きな足は伸ばすが為に。大きな志は目指さんが為に。全てが全ての目的の為に存在し、やがて訪れる零を出迎える。

 楡の木は、無数の穴が開いたままひっそりと存在していた。が、楡の木が持つ存在感は重く圧し掛かってくるかのようだった。
「これが、件の楡の木ですか……」
「おまじないを、調査に来られたんですか?」
「ええ」
「……あの、私……やってみましょうか?」
 美佳は恐る恐る言い出す。おまじないを調査に来たのならば、実際にやって見せるのが一番だと考えたのだ。
「いけません」
 セレスティはきっぱりと言い放つ。探し当てた資料によるおまじないの詳細は、余りにも危険であったからだ。
「でも……」
 美佳は何かを言いかけて止める。じっと見つめるセレスティの目が、厳しく美佳を見ていたからだ。美佳はそっとポケットに入っている、ビー球がくくりつけられた釘を握り締める。
「私、あまり良い事なくて……家も、友達も、良い事なくて……やっと、役に立てられるから……」
「いけません。絶対に、いけません」
 セレスティは再びきっぱりと言い放ち、楡の木の周りを歩き始めた。美佳は感じる。このまま、調査が終了すればセレスティは帰っていってしまうのだと。
「そうしたら……また、一人」
 ぽつりと呟く声は、セレスティに届かない。
「私はもう……もう、嫌なの」
 ぎゅっと握り締められる、ビー球のついた釘。いつでもおまじないをできるように、どうしても叶えたい願いが出来たらやってみようと思って、ずっと持ち歩いていた。
「今が、一番の願いどころだわ……」
 美佳は釘をそっと取り出し、楡の木に刺す。
「たかがおまじないだもの。たかが……」
 美佳はそう呟きながら思い出す。おまじないをしたクラスメイト達は、次々と変貌していった事を。その代わり、突如失踪していたりもしていたが。
「呪文を知らなかっただけだもの。……私は、知っているから大丈夫」
 自らを励ますように美佳は呟き、そっと靴を脱ぐ。
「セレスティさんの役に、ずっとずっと立てますように」
 美佳は呟き、ぴょんと飛び込む仕種をする。知っていたが、実際にするのは初めてだった。どきどきと胸が大きく鼓動したが、何も起こらない。
「何だ、大丈夫……」
 美佳はそう言い、セレスティを呼ぼうとした。が、それは木の根元がぱっくりと開いた事によって阻まれてしまった。ぱっくりと開いた根元から、無数の枝がずるずると音をさせながら美佳の足を掴んだのだ。
「いやぁ……!」
「美佳さん?」
 美佳の悲鳴に、セレスティは慌てて美佳の元に向かう。そこで見たものは、打ち付けられたビー球のついた釘と、揃えられた靴と、木の根元で枝に絡みとられた美佳の姿であった。セレスティは慌てて木に流れる水を支配下におこうとする。木に流れる水を制御すれば、美佳の足に絡みつく枝を振りほどく事も可能だろうと判断したからだ。だが、それは叶わぬまま、美佳はずるずると木の中に入っていってしまった。
「美佳さん!」
 セレスティはぱっくりと開いた木の根元に向かって叫ぶ。そして一つ息をし、中に入っていった。
「……帰します……」
 美佳の声がし、セレスティははっとする。危険になった時に唱えるようになっていた呪文があった。だが、それこそが一番唱えてはいけない言葉なのだ。
「いけません、美佳さん!それは……」
「王子の願いを聞き届け……」
「その呪文はいけませんん!」
「羽を空へと……帰します……!」
「美佳さん!」
 セレスティが必死に叫び、辿り着いたのは木の中とは思えぬ広い空間。何もない……否、少女たちがたくさん張りつけにされた空間だった。
「これは……行方不明者ですね」
 セレスティは少女達を助けようと、手を伸ばす。すると、少女達の額から目が現れ、ぎろりとセレスティを睨みつけた。両の目は閉じたままなのに、第三の目だけがセレスティを睨みつけているのだ。
「邪魔をするな」
「お断りします。……こうして、脳に近い場所に目を植え付け、操って人を襲わせているのでしょうから」
「それが何だというのだ?」
「才能を得られるのだ」
「欲しいものは何でも手に入る」
「干渉すべきは我ではなく、世界ではないのか?」
 セレスティは首を傾げる。突如現れた、世界という言葉に。
「……つまり、これは単なるおまじないでも呪いでも儀式でも何でもないのですね。ただ単に人を襲うという、それだけではないのですね。後ろ盾があっての……」
「……なかなか、頭が切れるようで困ったよ」
 セレスティの言葉を遮り、張りつけられた少女達の後ろから、豹が姿を現した。
「あなたが、後ろ盾ですか?」
「後ろ盾、というのも少し違うんだがね。……もっと鈍感な奴にすればよかったと、今心から後悔しているよ」
 豹は大袈裟に溜息をつく。
「おかしいと思っていました。あなたが、興信所に調査員を貸して欲しいといらっしゃった時から。ご自分でできるだけの力があると言うのに」
「おや、僕の言葉は何処か変だったかな?」
「ええ。一刻も早く解決したいと仰る割に、私と協力する意志も態度も見えませんでしたから」
 セレスティがきっぱりと言い放つと、豹はくつくつと笑いながら小さく「ブラヴォ」と呟き、ぱちぱちと手を叩く。
「あなたは分かっていたのですね。あのまま放っておけば、学院の方から正式に興信所に依頼が行く事を。そうすれば、このように私一人ではなく、大人数で確実にこのような事態が二度と起こらぬようにしますからね。そうなったら面倒だと思い、先手を打ったのでしょう?」
「草間興信所は本当に厄介なものなのだ。たくさんの腕利きが揃っているからね。大々的に出てこられるよりかは、調査員が向かったけれど帰ってこなかった……という方が、二度と手を出さないと思わないかね?」
 豹はくつくつと笑う。
「草間という男は、調査員を大事にしているからね。勝てない博打はしないだろう」
「今回はあなたがいると言う事で、彼は博打に出たとでも?」
「違うのかね?」
 セレスティの言葉に、豹はにやりと笑う。張り付けられた少女たちがぎろりとセレスティを睨みつけている。
(一旦ここは退いた方が懸命ですね。そして、すぐに彼女達の救助をしましょう)
 様々な能力を持った存在の集う、草間興信所。再び帰って態勢を整えれば、何とかなる筈だ。セレスティは、じり、と後ろに下がる。
「君はここで行方不明になるのだよ?」
 豹がにやりと笑う。手に大きな剣を携えながら。


●訪れし夜

 力が必要だ。大いなる力が必要だ。莫大な力が必要だ。貯蓄し、いつしか訪れる零の時の為にも、大きく莫大な力が必要なのだ。

 豹は剣を構え、同時に雷を放つ。それを寸前で避けつつ、セレスティは木の内部を流れる水を用いて豹を捕らえようとする。
「そんなものかね?そんなものなのかね?」
 豹はくつくつと笑いながら、それを軽く避けていく。セレスティの作り上げた水の塊はは、豹の放つ雷や振り下ろされる剣によって相殺されていく。
「世界はこのままだと少しずつ腐っていくにしかすぎないのだよ……!ならば、零の時を迎えて新たなる世界を創造する方がよっぽど有意義とは思わないかね?」
「そのために、少女達を……」
「力だよ、君。木は力を蓄積し、根を伸ばし、やがては零の時を導くのだよ!」
「零の時……?」
「そう!この木は昔からの力を蓄積しているのだよ。訪れる零の時を出迎える為のね!」
(このままでは、埒があきませんね)
 セレスティはぐっと意識を集中させ、豹の体内を流れる血を支配下におこうとする。が、それも豹の攻撃によって意識が乱されてしまうのだ。セレスティはじりじりと後ろへと下がっていき、ついには木の外に出てしまった。
「……木の根元での変死体でも、話題性は充分だね」
 くつくつと豹は笑う。セレスティはぐっと拳を握り締め、振り下ろされる剣を杖で受け止めようと身構えた。
「……あ」
 だが杖に衝撃は走らず、代わりに赤の液体があたりに飛び散った。振り下ろされた剣はセレスティに届く事なく、美佳の体を貫いていた。
「美佳さん!」
「セレスティさん……私、役に……役に……た……立てた、かなぁ?」
「まだ意識が残っていたのか……養分が……!」
 ぐぐ、と豹は力を入れ、剣を美佳の体から抜こうとした。が、全く動かない。
「私……願いを……役に立ちたいって……そ、そうしたら……」
「美佳さん、あまり喋っては……」
 セレスティの制止も聞かず、美佳は微笑む。
「痛くない……し……力も……」
「この……!」
 豹は剣を抜こうとぎりぎりと動かす。そのたびに美佳の体から鮮血が迸った。セレスティは彼女の血を支配下におき、最小限の出血に留めようと尽力したが、それ以上に失血が多すぎた。
「くそっ!」
 豹はようやく剣を抜き取り、剣についた血を忌々しそうに見つめ、その場から立ち去ってしまった。
「セレスティさん……私……役に、立てたかなぁ……?」
 再び、美佳がセレスティに問うた。セレスティは真面目なかのまま、そっと頷く。美佳は満足そうに微笑む。
「初めて……図書館で見てから……ずっと、話を……」
 美佳の言葉は、そこで途絶えてしまった。セレスティはそっと美佳の額を見る。そこには開きかけた目が存在していた。セレスティはそれを冷たく睨みつけ、手をかざして目の水分を全て氷に変える。美佳は美佳のまま、このままいられるように。
「零の時など……」
 セレスティは小さく呟き、ぎゅっと拳を握り締める。既に辺りが暗くなっていた。血まみれとなってしまった美佳の体を、闇で覆い尽くしてしまうかのように。
「……ああ、もう夜なのですね……」
 セレスティは呟いた。暗い暗い、夜が訪れてしまっていた。


●輝かしき夜明け

 零の時は訪れる。必ず。力の蓄積を止めることは最早逃れようのない最重要事項であり、この世における必須事項でも在るのだから。

 次の日、事件の発端である楡の木はリンスター財団の手によって引き受けられる事となった。誰も近づけないように作業し、それをセレスティと草間が見守っていた。表向きは楡の木が気に入ったので。本当はこれ以上何も起こらないように。
「どうするんだ?これを」
「浄化します。……皆さんの力をお借りするかもしれませんが……」
「おう、そういうのならどんと来いだ。調査員割引をしてやるぞ」
「あくまで、割引なんですね」
 セレスティは思わず苦笑する。草間は悪戯っぽく笑う。
「……零の時、か」
 草間が呟く。セレスティはただそれに小さく頷くだけだった。
 楡の木の根元を引き上げても、死体一つ、骨一つ出てくることは無かった。あの木の根元にぱっくりと開いていた空間は、別の異空間に繋がっていたのかもしれない。
「どんなに暗い夜がきても、必ず明けるのです」
 セレスティは呟く。あの暗い夜の中、光が差し込んでいく様を思い出しながら。


 豹は冷たい目で、学院の屋上から楡の木が掘り出されていく様子を見ていた。
「まあいい……力の蓄積など、一通りしかない訳ではないのだから」
 ポケットに手を突っ込み、豹は何かを取り出した。それは、一粒の種だった。赤い色をした、一粒の木の種。
「零の時は訪れる。零の時は誘われる。これは決まりきった、必然なのだよ」
 豹はくつくつと笑い、屋上を蹴って姿を消した。一度だけ掘り出された楡の木を見、ひらひらと手を振って。

<暗い夜もいつしか明け・了>