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<東京怪談・PCゲームノベル>


リッキー・ホラー・ショウ 〜Tokyo Nightmare〜



 かつて東京二十三区の境界であったラインが、今では《悪夢の領域》と外界を隔てる国境となっている。《東京》の空はいつでも暗く、あえて、この境界を踏み越えようとするものはいなかった。
 その、闇の版図を監視するように見下ろす小高い丘に、ひとりの少女が、足元に旅行鞄を置いてたたずんでいる。見下ろすのは廃墟の街なみ。長い銀の髪と、プリンセス・コートの襟元を飾るファーが風に揺れた。
「戻ってきたのか…………羽澄」
 うしろから声がかかった。陰気な顔をした小柄な男が近付いてくる。
「ちょっと東京を離れているあいだにこんなことになっていたのね。あれは何なの……」
 振り返りもせずに訊ねる。
「リッキー2世の城さ」
「ふうん」
「気のなさそうなことを言うな……。今の東京の支配者は、リッキー2世なんだぞ」
「だからあなたも――軍門に下ったの?」
 羽澄、と呼ばれた少女が振り向くのと、背後の男が鋭い牙を剥いて彼女の首筋に噛み付こうとしていたのとは、ほぼ同時だった。
 ひゅん――、と、風を切る音。
 悲鳴をあげて、男は後ずさった。顔面をおさえた手の指のあいだから血がしたたる。
「ひさしぶりに会って、悪いけれど……私があげられるお土産は、あなたの安息の眠りだけみたい」
 さらに一撃、羽澄の手の中の、革の鞭が唸った。
「浄化の炎、メギドの過ち、天の車輪の軋みとともに、第七天より降り来れ」
 澄んだ声が、歌うかのように呪文を囁く。男を束縛した鞭の上を、炎が走った。一瞬で、敵が火柱になるのを見届けると、羽澄は、もうそれには興味をなくしたとばかりに、再び、遠く廃墟の都市へと視線を投げる。
「…………」
 ふと、彼女はなにかを耳にしたようだ。小首を傾げて耳を澄ますと、丘を駆け降りてゆく。それは少女そのものの気紛れさを表しているようだった。

 さて、その羽澄が耳にした音の正体は――
 悪魔の姿をかたどった生ける彫像、ガーゴイルの群れが粉々に砕け散る音であった。
「かようなデク人形などよこしおって!」
 天地を揺るがす大音声。燃えるような真っ赤な髪を逆立てた、若い男が、砕けた怪物のかけらを踏みにじりながら吐き捨てた。
「……」
 金の瞳が、きろり、と、周囲の様子をうかがう。
「小娘。わしは見せ物ではないぞ」
 くすくす――、と、妖精めいた笑い声。がれきの山の上に、羽澄が腰掛けて、面白そうに男を眺めていたのだ。
「わしは女に――いや、人間になぞ見下ろされるのは好かん」
「それはどうも」
 ふわり、と、重力がないかのように、羽澄はがれきを飛び降り、男の前に着地した。
「……あなたのこと知ってるわ。噂で聞いた。六つの頭を持つ赤い竜が、いつのころからか東京に棲みついているって。この街はもう人間の街じゃないのね。あのリッキー2世もしかり……」
「その名を口にするな、胸くそ悪い。あんな鬱陶しいやつと一緒にされては困る。わしは羅火じゃ!」
 羅火は憤るように声高に言った。ただ今こそは人の姿はしておれど……羽澄には、その正体の気配を感じることができた。彼は竜だ。常に怒りの炎に身を焦がす、六つ頭の巨大な竜――人造六面王・羅火なのだ。
「仲は良くないみたいね。彼と。……でも、私、彼のことを聞きたくてきたの」
 羽澄が言うのは、もちろん、リッキー2世のことだ。怒れる竜は、不機嫌そうな唸り声で応えた。

 悪夢の勢力に支配された《東京》にも、いまだに人の暮らしは営まれている。
 以前の平穏さなど望むべくもないが、それでも、人間はどこででも生きてゆけるものである。そこには人々の日常があり、生活があった。
 その街は、かつては渋谷と呼ばれたのではなかったか。
 往時のおもかげはない、朽ちかけた建物が暗い空を背景に建ち並ぶ。それでも、店の軒には灯がともり、食べ物の匂いと音楽が流れ出してきていた。
 今、ストリートを、スケートボードに乗って颯爽と疾駆してきたのは、雪森雛太だ。
 まだ二十代のはじめとおぼしき、少年のおもかげさえ残す青年である。世が世なら、平凡な学生か、フリーターでもあったのだろうが、現在の東京では、たとえ一般市民であっても、安穏な暮らしは許されていなかった。
 半地下の階段を、リズミカルに降りてゆく。雛太の手にはたった今仕入れてきたらしい食糧の包みがある。
「みんなお待た――せ……」
 ドアの向こうには、彼の仲間が――ともにこのストリートに生きるものたちが待っているはずだった。雛太の調達してきた食糧で、皆で揃って食卓につくはずだったのだ。……だが、それはかなわなかったようだ。かわりに雛太が見たものは、一足先に食事にありついている別のものの姿であった。……すなわち、雛太の仲間であったものの残骸を噛み砕いているグールたちである。
「う……うああああ……っ」
 雛太はさほど臆病というわけではない。だが、さすがに、突然、眼前に広がった酸鼻をきわめる光景に、腰が砕ける。モンスターたちは、新たな獲物の出現に色めきたち、血で汚れた鋭い爪を武器に襲いかかってくる。
「ち、畜生――ッ!」
 間一髪、その一撃を避けた雛太は、外へと転がり出るように逃げ出す。グールの爪に含まれる麻痺毒のことが、彼の頭をよぎった。
(どうする……逃げ切れるか……考えろ――雛太!)
 自身を内心で叱咤する。のろのろと、地下から這い出してくるグールたち。一見、動きは鈍い。これならば――、と雛太が思ったそのとき、グールの一体が、意外な跳躍を見せた。
「し、しまっ――」
 雛太を地面に押し倒し、馬乗りになる。毒を秘めたその爪が、首筋に突き立てられて――
「…………!」
 だが、次の瞬間、怪物の身体はもはや雛太の上にはない。
「え――」
 強い風でも吹いたように……グールたちがばたばたと倒されてゆく。ただ倒れただけではない、一様に、その頭部が、無理矢理ひきちぎられ、えぐられたように破壊されているのである。赤黒い血がどくどくと、地面に広がっていった。
「怪我はないですか」
 低い声が問うた。
「え……あ、ああ、ええと、平気……です」
「それはよかった」
 長身を、黒い礼服――いささか時代錯誤にさえ感じられるような、クラシックないでたちだった――に包んだ、長い黒髪が目を引く、壮年の男だった。
(あの剣は……)
 そしてなによりも異様なのは、彼の持つ剣である。ほとんど男自身の身長ほどもあり、形状は剣というよりは、なにか得体の知れぬ生物の一部といってもいい、独特の、歪んだような形をしていた。
(聞いたことがある。異様な大剣を使う……凄腕のモンスター・ハンターがいるって……)
 雪森雛太と、シオン・レ・ハイの、それが出会いだった。

(パパ……ねえ、パパ……どこにいるの)
 東京は、悪夢の世界になったという。
 そう、そのとおりだ。夏目怜司の悪夢は、終ることがない。
(ここだ。ここにいる――)
(寒い……寒いよ、パパ……)
(そうだな……伯爵様の呼んだ闇の帳が、街中を覆っているから)
(みんな凍えてる)
(…………)
(もうみんなと遊べない?)
 なんと答えればよかったのだろう。なにをすべきだったろう。怜司はあれから何度も何度も自問を繰り返している。――その目は未来を視るはずではなかったのか。そうだ、彼は東京の終末を視た。だから――なにもできなかったのだ。それが、彼自身の絶望に繋がっていたとしても。
(パパ! パパ……!)
(ま、まて! 俺が悪かった。息子にだけは――ま、待ってくれ、頼む――)
(パパ――――――――ッ!)
 そしてまた今日も、何度繰り替えしたか知れぬ悪夢から、怜司は目覚めるのである。
「…………」
 脂汗をぬぐう。窓からは――いやおうなしに、城の輪郭が目に入る。だが、今日だけは、怜司の表情がかすかに違った。覚醒の瞬間に、いつもと異なるヴィジョンを視たからだ。
(なにかが起ころうとしている)
 窓辺に立ち、じっと、遠く、暗い空をにらみつける。
「いいだろう。…………俺は、運命を変える」



 一頭の、鋼鉄の馬が往く。
 東京郊外の、廃墟の中の通りを、オートバイが疾走しているのだ。跨がっているのは、風に髪がなびいているのを見れば、女とわかる。
 ――と、そのオートバイを追うように、曇天に鳥の影がさした。女は、ちらり、と、空のほうを気にすると、アクセルを吹かしてスピードを上げる。すると、それを逃がすまいとばかりに、空からそれが滑空してくる。……鳥ではなかった。黒い、蝙蝠の翼を持った――しかし、おぞましいことに、人間の女の頭を持つ怪物だ!
 女妖の、怪鳥のような鋭い叫び。その体当たりに、ライダーはバイクから振り落とされる。だが、ただでは転ばないとばかりに、その手はしっかりと襲撃者の翼を掴んでいた。悲鳴とも、威嚇ともつかぬ声をあげて、敵も地面に叩きつけられた。
「あああああ、ひどい! わたしの!わたしの綺麗な顔に傷が!」
 いつのまにか、そこにいるのは、肌もあらわなうすものをまとった肉感的な容姿の女だ。
「よく言うわ」
 ライダースーツの埃を払いながら、バイクの女は立ち上がった。猛スピードのバイクから落ちたというのに、怪我はないようだった。女が遮光ゴーグルをはずすと、青い瞳をおさめた切れ長の目があらわれる。
「《不死者の花嫁》のひとりね。やり方が強引よ。……そんな傷などすぐに治るでしょうに」
 その言葉どおり、女の顔の擦り傷はみるみるうちにふさがってゆく。ふふふ、とあやしい笑いがこぼれた。女の紅い唇からは牙がのぞいている。
「聞きしにまさる乱暴さね、シュライン・エマ。女だてらにオートバイなど乗り回して、ハンターをきどるつもり?」
「そんなことを言いにきただけなら、まさしく私の獲物はたった今からあなただわ」
「おお怖い。私はメッセージを伝えにきただけよ」
「メッセージ?」
 シュライン、と呼ばれた女は眉をひそめた。
「……わが君、リッキー伯爵が、貴女を夜会にご招待差し上げたい、と」
 ぞっとするような声で、女は笑うのだった。

「待って! 待ってよ!」
 雛太の声にハイが振り向く。
「ハイさんでしょ、モンスター・ハンターの! リッキー城へ行くんだね? 俺も連れて行ってよ!」
「戻りなさい」
 ハイが静かに言った。
「雛太くんと言いましたね。……あの城には、さっきのグールなど足元には及ばないモンスターたちがうようよいるのですよ」
「さ、さっきは油断しただけさ! 俺だって伊達に東京で暮らしてないよ。モンスターども、このパチンコをお見舞いしてやる」
 なるほど、彼の手の中のパチンコは、一見は何の変哲もないが、仔細に観察すれば強化ゴムで鋼鉄の弾を発射する対モンスター用の特別製だ。
 だが、ハイは無言でかぶりを振る。
「足手まといになんかならないから! …………俺、仲間もみんなやられちゃってさ……もうヤなんだよ、みんな吸血鬼のこと怖がって逃げ回ってばかりだけど……やっぱり闘わなきゃだめだって思ったんだ。だから――」
 深いため息が、ハイの口から漏れた。
「本当に……身の安全は保証できないんですよ」
「平気さ!」
 ハイが譲歩しはじめたのを見て、雛太の顔が輝く。
 そのときだった。爆音と砂埃をあげて、オートバイがかれらの傍を通り過ぎていったのは。すこし、行き過ぎてからバイクは停まる。
 乗っていた女が――むろんそれはシュラインだった――声をかけてきた。
「リッキー城へはこっちでいいのかしら」
「そうですが……、まさか、あなた」
「お姉さんもハンターなの!?」
「え……。そうねぇ、そういうことになるのかしら」
「じゃあ一緒に行こう。味方は多いほうがいいもんね。俺は雪森雛太、こっちはシオン・レ・ハイさん。モンスター・ハンターさ」
 ハイは、やれやれ、と肩をすくめた。
 そして……夜を映したような瞳で遠くを見遣る。三人の行手に――それがそびえ建っていた。闇そのものを固めてつくったかのように黒い材質でつくられた、異形の城である。かつての大都会の名残りをとどめる摩天楼群よりも高く、それはあやしい大樹のように、暗い空へと尖塔を突き刺しているのだった。

 人造六面王・羅火の心の中には、人間への憎悪が渦巻いている。
 一対一であれば、獰猛な竜である羅火が人などに遅れを取ろうはずもないが、人間たちは数が多く、そして狡猾なのだった。
 かつて……人によってなされた仕打ちを、羅火が忘れることはない。
 忘れようにも、首の鎖と、手首に嵌る不可視の手錠が、文字通り、羅火の肉体に刻まれた刻印のように彼を戒めているのだ。
 その羅火が、それでも、東京を離れることなくとどまっているのは、ひとえに、人間と一口に言ってもさまざまである、ということに、ようやく気がつきはじめたからに他ならない。不信と怨嗟が消えたわけではない。しかしたったひとりの人間の出現が、この孤独な竜を変え始めたことも、確かなのである――。
 その成果のひとつが、まさしく、今の羅火の姿である。
 すなわち、羽澄を先導するようにとてとてと歩く、一匹の猫だ。……猫とはいっても、豹柄に虎縞の、奇妙な猫であった。
「いつまで着いてくるのじゃ」
 猫の口が、羅火の声で喋った。
「どこまでだって行くわ。伯爵に会いにいくんでしょう?」
「茶を飲みにゆくのではないぞ。今日こそ決着をつけにゆくのだ。……あやつめ、わしがやつらに加担せぬと知ると、姑息な嫌がらせばかりをしてきおる」
 猫は、不機嫌そうに言う。
「自ら来るようならば相手をしてやってもよいが、先程のような小物を送り込んでくるゆえ始末が悪い。迷惑千万もいいところじゃ。今日は…………であったというに」
「え? なに。何っていったの?」
「なんでもないわい!」
 羅火には先約があったのだ。それを台なしにされたことを、竜は烈火のごとく怒り狂っているのだし、一方また、そのようなことで怒り狂っていることを知られることを厭うているのだった。
「それより用心せい。もう彼奴の結界の内に入っておるぞ」
 なにげなく他愛のない会話をかわしながらだが、かれらが歩いているのは断崖をめぐる絶壁であった。そして、そこから、黒い石造りの城壁が世界の果てのように高くそびえ立っている。
「まずは中に入らないとね」
 羽澄は、ひょい、と、猫を抱き上げた。
「こら、何をするか!」
「静かにしてて」
 鈴が鳴るような不思議な音とともに、羽澄の背にうすい透明な翼があらわれた。きらきらと輝きながら、それは羽澄と、その腕の中の羅火を、上空へと運んでゆくのだった。



 天井の高い、石造りの回廊には、黴臭く湿った空気が充満していた。灯りは壁のところどころに暗く燃える灯火だけ。
「変だわ。見張りもいないし。まったく生き物の気配がない」
 押し殺した声で、囁くようにシュラインが言った。
「ハイさんたちが来ることを知って逃げ出したのかも」
「まさか」
 ハイを先頭に、シュライン、雛太と続く。三人の影が、灯火に照らされて、石の壁にゆらゆらと落ちる。それは巨大にひきのばされ、どこか化け物じみていた。
「だって、こっちは凄腕のモンスター・ハンターが三人も揃ってるんだ。モンスターでも何でも出てこいって――」
 言いながら、壁際に並ぶ怪物の彫像の頭をごつん、と殴った。
「――!」
 刹那、ただ寡黙に歩みを進めていたハイが、はじかれたように振り向く。鬼気迫る表情だった。
「な、なに――」
「危ない!」
 雛太が触れた悪魔の像の眼があやしく輝くのと、ハイが彼に飛びかかったのはほぼ同時だった。だがそのときすでに、石の床はぱっくりと奈落への口を開け、ふたりを飲み込んでいる。
「ちょ、ちょっと……!」
 悲鳴が、長く尾を引いて、闇の中へと消えてゆく。
 ただひとり残されたシュラインが、呆然と、真っ暗な陥穽の淵に立ち尽くしていた。
「!」
 だが、そのシュラインも、新たな不穏な気配に振り向く。ひたひたと、何者かの足音が近付いてきているのである。
(お待ち申し上げておりました)
 声にならぬ声が、いんいんと響いた。
 あやしい霧のような、人影のような、亡霊じみたもやが、彼女を取り巻いていた。

「……っつ」
 身を起こそうとすると、前身が軋むように痛んで、雛太は呻きをあげた。だが、深刻な負傷には至っていないようだった。とっさに自らを庇えたせいか、幸運か、それとも…………。
「ハ、ハイさん」
 冷たい水の流れる地下水路に、かれらはいるようだった。ダストシュートのような穴を滑落してきたことは覚えている。傍に、意識のないハイの姿があった。とりあえず水から引き上げなければ、水の冷たさで体力が失われてしまう。
「ハイさん。しっかりして」
 小さく呻きながらも、壮年のハンターが目を開くのを見て、雛太は安堵の息をついた。
「ここは……?」
「城の地下みたい。……ごめん。結局、俺が迷惑かけちゃったね」
 それには応えず、ハイは起き上がると、装備を点検する。不足がないとわかれば、軽く頷き、
「行きましょう」
 とだけ言った。
「シュラインさんをひとり、残して来てしまった」
「う、うん……」
「雛太くん」
「あ……、は、はい」
「前を見ましょう。――悪夢の時代を生きる私たちには、それだけが最善のやり方です」
「ハイさん……」
 ハイは、黙っていれば厳めしい顔つきに、うっすらと笑みを浮かべた。
「雛太くんはハンターになりたいのですか」
「……どうだろう。ハンターなんか必要のない世の中になってほしいとは思うけど」
「今まで、何人ものハンターを、私は見てきました。雛太くんのような青年も……シュラインさんのような女の人もいました。……みんな、死んでしまいましたけどね」
「…………」
「ハンターは、なにかに気をとられたときに命を落とします。恐怖や、慢心、自分の欲望などです」
「ハイさんは……」
「私はだから、何もないからこそ、生きていられるのだと思います」
「何も……」
「私には何もない。信じるものも、守るべきものも……ただ空虚な人生を、闘いだけで過ごしている……」
「そんな――こと……」
「……しっ」
 言いかけた雛太の言葉を制して、ハイのおもてが厳しくひきしまった。
「悠長にお話してもいられないようですね」
 言いも果てず――
 黒々と、かれらの足元のよこたわっていた水路から、汚水を跳ね散らかして、それらが次々に躍り出てくる。かッと開いた口には細かい牙がならび、水かきのある手には鋭い爪――まばたきせぬ不気味な丸い眼で騎士たちをとらえるや、前身を鱗におおわれた生物たちは襲いかかってくるのだった。
「魚人どもか!」
 びゅん、と、ハイの剣が唸った。それは半人半魚の怪物の一匹を、斬るというより、ほとんど潰すように薙ぎ払って、水路へ叩き落す。その後もばさり、ばさり、と次から次へと敵を斬り伏せるハイ。だが、敵は多勢。まして水中から神出鬼没にあらわれる魚人たちが相手であった。今まさに、ひとりの魚人が隙をつき、ハイの背後へと回り込む――
「ぐぎゃっ」
 悲鳴。ハイが一瞥をくれると、鋼鉄のパチンコ弾に撃たれた魚人が倒れるところだった。
「後ろはまかせて」
 ハイの背中に、ぴたり、と雛太がつける。にやり、と、笑みをかわして、ふたりはそれぞれの敵に向かい合った。

 開いている窓から、それこそ猫のように羽澄が滑り込む。
 城内はしんとしていた。哀れな生贄などをのぞけば魔物や不死のものしか受け入れたことのない魔界の城は、薄暗く、よどんな空気だけが堆積している。
 ――と、
「来たね」
 ふいに掛けられた声に、羽澄が身をこわばらせる。腕の中の猫が、ふうっ、と威嚇の声をあげた。
「待て。俺は敵じゃない」
 物陰からあらわれたのは、長身に細身の優男だった。不思議な金色の瞳が輝く。
「きみたちが来るのはわかっていた。《視た》からね」
「…………」
「俺は夏目怜司という。伯爵に会いにいくなら、俺が案内できると思う」
「伯爵の眷属?」
「……そうじゃない。少なくとも………………今は」
「ふうん」
 少女の緑の瞳が、値踏みするように怜司を見つめた。
「ま、いきなり信用しろといっても難しいことは認める」
 苦笑しながら、怜司は肩をすくめた。
「だったら、これならどうかな――!」
 振り向きざま、背後に忍び寄っていた敵を殴り倒す。
 それが合図だったとでもいうように、武装したゴブリン兵の一団が、そこかしこから沸いて出るようにあらわれ、かれらを取り囲む。
「よくもこの城に戻ってこれたものだな」
 ゴブリンのひとりが言った。
「この裏――」
 だが、言い終えることはできなかった。怜司の左手がその顔面をがっしりと掴む。怜司の目が鮮紅色にかッと輝いたと同時に、ゴブリンの身体は塵のようにぼろぼろと崩れ去っていくではないか。
 なぁん、と、羽澄の腕の中で羅火が鳴いた。
「闘いたい?」
「雑兵相手に……くだらん」
 だが猫は、あくびをひとつ、しただけだった。
 ほどなく、ゴブリン兵たちは独り残らず、文字通り灰燼となり果てる。
 ぱちぱち――羽澄が拍手で、怜司を迎えた。
「あなたがこの城へ歓迎されていないことはわかったけれど」
「一年前まで、俺はこの城でやつに仕えていた」
 観念したように、怜司は話し始める。
「だが、俺は反対だったんだ……人の世界を侵略し、なにもかもを悪夢の版図に変えてしまうなんて……だから俺は人間の抵抗勢力と通じた。だがそのことがもとで、俺は追放された……」
 目を伏せる。
「そのときに……見せしめに俺の息子は殺されたんだ……」
「モンスターからも人望のない伯爵というわけね」
 羽澄は、猫の喉を撫でながら言った。
「それはつまり、あなたはこの城に詳しくて、私たちを伯爵のところへ案内できるってことよね?」
「そのとおりだ。……あんたたちだけじゃない。今、この城には何人かのハンターが侵入している。運命が変わろうとしているんだ――」

 骸骨のピアニストが、骨で出来た鍵盤を弾く。その傍では同じく死人の楽団が、骨からつくった楽器を奏でているのだった。死者のオーケストラが、大広間を冒涜的な音楽で充たすとき、死人の舞踏会が始まるのである。
 豪奢なシャンデリアにはちろちろと鬼火が灯り、屍体の給仕たちが腐汁のしたたる料理を配膳してゆく。そしてフロアに踊るのは、一様に青白い肌をし、とがった犬歯を持つ男女たち。
 今まさに吸血鬼たちの饗宴が幕を開けようとしているのだ。
 この場で、生きているものはたった一人。上座の壇上にある、豪華に椅子に坐らされているシュラインだけだった。その衣裳は、中世風のドレスになっている。そしてその傍には、例の、空からシュラインを襲った女吸血鬼が、夜会服をまとって控えているのだった。
「ごらんなさい」
 その囁きはどこまでも甘い。
「もうすぐ、これが日常になる。地上はすべて死者たちのものになるのよ。城主様の、闇の帝国が完成すればね。……シュライン・エマ。あなたにとっても、これはユートピアたりえるのではないかしら。あなたは美しく、頭もいい。あなたのような人間こそ、わたしたちの王国にはふさわしいわ。わたしたち、きっといいお友達になれてよ」
「願い下げね。……死者の舞踏会とは、茶番にも程があるわ」
「……まだ自分の立場が分かっていないようね」
 女のなまめかしい紅い唇から、鋭い牙がのぞいた。
「いいこと。これは伯爵様の最後の恩情なのよ。この期に及んでまだそんな態度をとるなら、あなたなんか――」
 きっ、と、シュラインの切れ長の目が女吸血鬼をねめつける。
「…………随分、余裕があるな」
 ――と、そこへ掛かった声に、シュラインのみならず、女吸血鬼も顔をこわばらせた。
「伯爵様」
 シュラインは周囲の温度が急激に下がったような感覚にとらわれる。黒い礼服の、やせた背の高い男が、悠然とそこに立っていた。
「リッキー2世」
「ようこそ。わが城へ。……何年ぶり……いや、何百年ぶりかな」
「……」
 シュラインの瞳が、氷の厳しさで吸血鬼の王を見据えた。



 低い地鳴りが轟く。
「なんでしょうか……なにかが起こっている……?」
 ハイたちが駆け登っているのは、階段上の回廊である。回廊はゆっくりと螺旋を描きながら、上へと登っている。城の上層へと続いているのだ。
「なんだろう。なにかとても悪い予感がする」
 雛太が言った。
「急ごう。シュラインさんも心配だ」
 だがそのとき!
「……何!?」
 螺旋の回廊の一方は、吹き抜けである。今、そこから鼻づらをのぞかせ、燃える吐息を吐かんとしているのは、牛ほどもある大きなトカゲ……いや、見れば足が八本もある化物トカゲなのだ。
「伯爵め、こんなものまで飼っているのか」
「雛太くん、気をつけて。これはバジリスクです。あの吐息を浴びては――」
「来る!」
 ごう、と、青白い炎の息、城内の空気を焦がした。それが触れたところが見る間に風化して、ぼろぼろと砂と崩れてゆくではないか。
 なおかつ、その鈎爪が、吹き抜けから階段の上に巨体を這い登らせるにあたって、石の階段をがらがらと崩していく。
「人間が浴びては石にされてしまいます」
 剣を構えながらにじりよるが、さすがのハイも慎重にならざるを得ない。
「どうしよう、まともに闘わないほうが得策だな……」
 雛太は、呟いた。目まぐるしく頭が回転し、視線が、手がかりをもとめて周囲をさまよう。バジリスクの死の吐息を避けながら、ハイはせめて一矢報いようと魔物に接近してゆくが……。
「ハイさん……こっち!」
 雛太は叫んだ。どこからか取り出し、彼の手の中にあるのは一本のロープである。
「えーーい」
 ロープの端にパチンコ弾をくくりつけ、吹き抜けの上方を狙って射出する。ロープが、吹き抜けをわたって反対側の回廊に到達した。ロープを引き、それが柱にひっかかったのを確かめる。
「二人、持ちこたえられるかどうかは祈って!」
 間一髪、バシリスクの息がかれらのいた場所に浴びせかけられる。
 だが、そのとき、空中ブランコのように、雛太と、彼につかまったハイの身体は宙を舞っていた。
「ぃやったぁ――っ!」
 雛太の歓声。背後では、獲物を逃がした魔物の咆哮が轟いていた。

「……そう、その目だ。氷よりも冷たい、不死者の目だ。――これを見たまえ」
 伯爵の合図とともに、広間の壁の一画が地鳴りとともに開きはじめた。
「あ、あれは……!」
 そこに据え付けられている、巨大で、得体の知れない機械を見て、シュラインが息を呑んだ。
「左様。この城は単なる居城ではない。……あれを作動させることができれば、悪夢の次元の扉が開く。文字通り、この世と魔界が地続きになるのだ。……わかるね。一気に闇の軍勢がこの世界になだれこみ……世界のすべてを制圧するのに七日と要しないだろう」
「そんなことを目論んでいたのね」
「どうだ、シュライン。わが闇の帝国の完成したあかつきには、おまえにその半分をやってもいいのだぞ」
「……いかなあなたでも、あの装置を動かすだけの魔力をそう簡単に得られるはずがないと思うけれど」
「どこまでも察しのよい。まったく大した女だな、シュラインよ」
「ね、伯爵様。この女を生かしたままにしておくのは危険だわ。ねえ、このひと、わたくしに下さいな。構わないでしょう? わたしがこの手で八つ裂きに――」
 口を挟んだ女吸血鬼を、しかし、伯爵は無言で殴った。いや……、かるくその手が触れたとしか見えなかったのに、女は血を噴いて数メートルも吹き飛んだのだ。
「こらえしょうのない女は好かない。……どこまで話したかな。おおそうだ。あの装置を動かす算段ならすっかり出来ているのだ。あとは、最後の部品が届くのを待つだけ」
 シュラインの目が、はっと見開かれる。
「まさか――」
「……そう、あるいはもう到着しているというべきか」
 まるでその言葉がなにかの合図ででもあったというように――
 ざっ、と、一糸乱れぬ動きで、ワルツを踊っていた吸血鬼たちが、さぁ……っと、広間の中を開ける。シュラインと伯爵のいる壇上からまっすぐに、広間の入口を見据えたところに、一組の男女だけが立ち尽くしていた。
「あら、見つかっちゃった」
 そうは言いながらも、さほど焦った様子もなく、羽澄は言った。腕の中で、猫がにゃあんとひと鳴き。怜司は、あいかわらず静かにたたずんでいるだけ。そんなふたり(と一匹)を、優に百人は越そうかという吸血鬼たちが、目を紅く輝かせて見つめている。
 貴族めいた華美な衣服に身を包み、紳士淑女然としていたにせよ。敵――いや、その時点ではかれらの認識としては獲物――を前にすると、どの吸血鬼も、本能を剥き出しにして、かッと牙のはえた口を開き、掴み掛かってくる。そのさまはおよそ貴族などとは呼べぬ、獣のふるまいに他ならなかった。
 皮切りに、双方向から襲い掛かってきた男と女の吸血鬼を、怜司の拳がとらえた。その一瞬で、さきほどのゴブリン兵らと同じく、吸血鬼は全身を灰に変えて果てている。
 怜司は、遠く壇上に立つ黒衣の伯爵をねめつけた。
「待ってろよ」
 瞬間、脳裏を横切る遠い記憶――
(ああなることはわかっていたのに…………あの時の俺はなにも出来なかった――)
 ぐったりと、血の気のない、幼いちいさな身体の感触。いくら強く抱き締めても、それはもう、もとのように温まることもなければ、笑ってくれることもなかった。
「だが、今度は違う!」
 立ちはだかる敵をかたっぱしからはねつけながら、怜司はまっすぐに前を目指した。
 だが、吸血鬼の王は、にやりと不敵な笑みを浮かべるばかりなのである。
「もう遅い」
 ゴゴゴ……と、また低いとどろきとともに、広間の天井がゆっくりと開いてゆく。星ほひとつない漆黒の夜空がそこに広がった。
「闇の帳よ、しばし退け。今宵は美しい満月であるゆえに」
 呪文めいた囁きとともに、夜空はまたたく間に晴れていった。ちょうど、城の真上――中天に、不吉なほど巨大な満月が顔を見せる。
 にゃあん!
 羽澄の腕の中から、するり――、と抜け出した猫は……たてがみのように赤い髪を逆立てた青年へと姿を変えている。
「来てやったぞ、リッキー2世。今日がぬしの最後と知れ!!」
 羅火が――吠えた。
「いけない、今ここでその力を今使っては!」
 シュラインの叫びが彼に届いたかどうか。
「!?」
 満月の光を浴びて、羅火の身体が、着衣をはじきとばして膨れ上がり、一瞬にしてその肌は赤い鱗に覆われ……そこに立っていたのはヒトではない、竜だった。それも、腕や肩や背など、身体のそこかしこに、余分の頭を――その称号どおり、六つの頭を持つ竜だったのだ。
 竜は、咆哮とともに、駆けた。赤い疾風のように、敵を真直ぐに目指した。その手を戒めている手錠も、なんら支障にはならないようだった。行手を阻んだ吸血鬼は、ほんの一瞬、その赤い風に触れただけでただの肉塊になりはてていたから。
「バカめ。愚かなケダモノが」
 だが。そんな羅火を迎えたのは、伯爵の冷ややかな嘲笑だった。
「……ッ!」
 ばさり――、と、伯爵の外套が翻ったかに見えた次の瞬間、かれもまた巨大な蝙蝠と人の中間の姿に変わっていたのだ。ごう、と、風を切って滑空する。凄まじい勢いで正面衝突した二体の魔物は、もつれあいながら、空へと舞い上がる。――そのまま羅火の身体を、伯爵は高笑いとともに、例の、得体の知れない機械の頂きへと運び去る。そこには、あつらえたように羅火の身体を拘束する椅子があった。それは処刑台の電気椅子にも似ていた。
「おまえが来るのを待っていたのだよ!」
 悪魔的な翼が、マントに戻った。
「魔物でありながら、太陽のごとき凄まじき光と炎の力をその肉体に持つおまえが! おまえがいれば、人界と魔界の境界をゆるがす力を得られるのだ!」



「そういう――ことだったのか……!」
 怜司が叫んだ。
「悪魔め……!」
「あれを――」
 はじかれたように振り向くと、いつのまにか、怜司のすぐ後ろにひとりの女が立っている。シュライン・エマであった。
「あれを破壊しなければ。人界と魔界は、隔てられていてこそ、両立する意味があるものよ……」
「あなたは……」
「でも、私たちでは駄目。私やあなたでは、あの装置に取り込まれてしまう。あれは魔に属するものの生命を力に変えるわ」
 怜司の目が見開かれた。
「わかるでしょう。人間の力が必要なのよ」

 鉄骨を無造作に組み上げただけのようなあやしい機械が、ばちばちと放電をはじめる。頂点の椅子に拘束された羅火が吠え声をあげた。
「見よ。闇への扉が開く。悪夢の世界が現実となり、今この世界は滅びるのだ」
 不吉な託宣を告げるかのような、伯爵の声。
 嵐のような強い風が、夜空に唸りはじめる。そこにも、あやしい稲妻がなにかの先触れのように走りはじめる。
「羅火……!」
 羽澄は走った。邪魔だてする吸血鬼は、彼女の鞭に打ち据えられて火柱に変わった。
 あと一歩――、装置の足元にたどりつこうとしたとき、彼女の眼前に黒い影が舞い降りてきた。
「お嬢さん。ここより先は立入り禁止です」
「リッキー2世!」
 鋭い蹴り。さすがの羽澄も避け損ねた。
 悲鳴とともに吹き飛ばされた彼女の身体を――受け止めたものがある。
「平気ですか?」
 シオン・レ・ハイだった。
 羽澄を立たせると、背負っていた大剣を抜く。
「なんだあれ……。なにが起こってるんだ……」
 雛太が、装置を見上げて呟く。
「あれを……あれを、壊さなきゃ……」
 苦痛に耐えながら羽澄の絞り出した言葉だけで、かれらには充分だった。
 まがまがしい剣を武器に、ハイが、吸血鬼の王へと突進してゆく。狂おしい哄笑が彼を迎えた。
 ぶん、と振るわれた一撃を難なくかわす。と、いうより、空気に溶け込むようにするりとその場を逃れる。ハイの口から、怒号とも苛立ちともとれぬ雄叫びが迸る。
「ハイさんッ!」
 雛太がパチンコを放った。だが、次の瞬間、雛太の目の前10センチの場所に、伯爵が立っているのだ。
「あ――」
 闇の貴族の、凄絶な笑み。その眼光が紅く輝いて――
「雛太くん! 奴の目を見てはいけないッ!」
 ハイが突っ込んできた。
 今度こそ、袈裟がけに振り降ろされた剣が、敵の首魁をとらえたかに、見えたのだ、が。
「人間の分際で!」
 片手だ。あの重い、鉄の塊のような剣を片手で取り上げ、頭上でくるりと回転させると、伯爵は逆の方向へと刃を送り出す。
「このわたしに楯突こうなどと!!」
「――……ッ!」
 声にならない悲鳴とともに、ハイの口から血があふれた。
「ハ、ハイさ――――――――ん!!!!」
 幾多の吸血鬼を屠ってきた刃が、ハイ自身の身体を貫き通していた。背中から突き出た刃が、さらに床に刺さる。おびただしい血が、あふれるように流れた。
「……く……そ……」
「これがその報いだ」
 不死者の王は囁いた。
「ふ……ふふ」
 しかし、ハイは血まみれの顔に微笑を浮かべる。
「その執着が……あなたの足元をすくうのですよ……」
 吸血鬼は、振り返った。羽澄がいない。
 ……ィィン――。かろやかな鈴の音。ガラスの翼をはばたかせ、少女はすでに、羅火のとらわれた装置にたどりついていた。
「油断したわね。リッキー2世」
「この隙をつくるために――わたしを引き付けたというのかッ!」
 だが、怒りをぶつけるべき相手は――すでに絶命していた。
 天を仰ぎ、おのれの剣につらぬかれたまま、両の手を広げたそのさまは、十字架のようにも見えた。

「羅火!」
「うおおおおおぉおぉぉぉおおお!!」
 羽澄が装置のスイッチを解除するやいなや、解放された竜は、まっしぐらに怨敵に向っていった。
「リッキー2世ッ! どこまでも気に食わんやつじゃッ!」
「おのれ…………人間どもめ、定命の身のぶんざいで…………わたしの、何百年もかけて練り上げた計画を……」
 竜は、黒衣の伯爵につかみかかる。
「ふん、暴れることしか知らぬケダモノが。その手錠の封印がある限りに、貴様はわたしを殺すことなど――」
「ならばこれではどうかの!」
 竜は……自分の左肘に喰らいついた。そしてそのまま一息に、自分の腕を噛み千切った!
 ぶちぶちと肉のちぎれる音とともに、大量の血があふれるのも構わず、竜は、おのれの力を制限する手錠を、腕ごとむしり取ってしまったのだ。
 残った右腕が、渾身の力で、伯爵を殴り飛ばした。
 ただの人間ならば、その一撃で四散していたかもしれない。不死者の王なればこそ、数メートルもはじきとばされ、ほとんど半身が砕けてさえいても、動くことができた。
「甘くみたわね。リッキー2世」
「シュライン――」
「あなたが百年かけて立てた計画とやらは、ほんの一瞬、あなたが我を忘れて人間を殺すことに気をとられただけで、瓦解していこうとしているのよ。わかる……?」
「シュライン……わたしと手を組もう。おまえを、この東京の女王にしてやることだって……」
 シュライン・エマは、静かにかぶりを振った。
「まだわからないの? これが人間というものよ。いつだって、ほんのすこしのことから、運命を変えていってしまう。それがあなたの負ける理由。そして私が……この世界を魔物のものだけにしたくない理由」
「リッキー2世」
 怜司だった。
「生命なきものの王《ノーライフキング》と呼ばれたおまえにも終焉の時が来たようだな」
「れ、怜司か……」
 半身を起こしながら、伯爵は怜司に、すがるように手を伸ばした。
「も、もういちど……わたしの城へ帰れ……過去の裏切りはもう……不問にしてやる」
 ふっ、と、片頬に笑みを浮かべ、怜司はそっと伯爵の手を取った。
「俺が今さらそんな誘いに応じると本気で思っているわけじゃあるまいな」
 鮮紅色に輝く瞳。熱いものに触れたように、伯爵が声をあげた。
「き、貴様……!」
「これでもう再生はできんぞ。今、おまえの体内では急速に癌細胞が増殖しつつある。……いや、そんなものを待つまでもない、か――」
 地響きのような足音。
 とどめをさそうと、怒れる竜がこちらへ向ってきている。
(リ……ィィン……)
 鈴の音だ。羽澄が、夜風の中を、舞うように飛ぶたびに、鈴の音が鳴る。
 生き残りの吸血鬼や魔物たちが、その音から逃れようと右往左往するが、結局、どこへも逃げることができず、内側から発火して炎に包まれる。
 浄化の火は、ゆっくりと、呪われた城の全体へと広がっていった。
 羅火が、伯爵の首をひきちぎるのを下方に見下ろしながら、羽澄は夜空にただよう。
(悪趣味よ。なにもかも……。ヴァンパイアってもうすこしスタイリッシュなものかと思っていたけれど――)
 雲が取り払われて、月だけでなく、星の光も、東京の空に戻ってきたようだった。
(まるで悪い夢……。そんなものは――終わらせなくちゃ……ね)

エピローグ

 シオン・レ・ハイは、ゆっくりと目を開ける。
 徐々に身体の感覚が戻ってきて、同時に記憶もはっきりしてくる。そうだ。たしかに、自分は死んだはずだった。
「まだ……かりそめの命を、ひととき与えたに過ぎないわ」
 傍らに人の気配。そちらを見ずとも、声でシュラインだとわかった。
 ハイは、自分の首筋に手をやり、そこにふたつの、ちいさな傷痕があるのを知った。ヴァンパイアの咬み痕――。
「もし……あなたがそれを選ぶなら、このまま生きることができる」
 シュラインが問いかけた。
 ハイのおもてに、ふっ、とやさしい笑みが浮かんだ。
「その選択を、私にゆだねるというのですか」
「…………」
「あなたがそんなやさしさを持っていたとしても……人はあなたをヴァンパイアとして恐れるでしょう。ゆえなく人を咬まずに生きるヴァンパイア・ロードがいることを、人々は知らない」
「ええ、そうよ。そして私と来ることを選べば、あなたもその仲間入りをすることになるけれど」
「光栄ですね。……ですが、申し訳ありませんがレディ、私はお仕えすることはできません。……もう充分なのです。からっぽだった私の生があのとき、なんらかの意味を持ち得た……それでもう充分だったのです。お気持ちは感謝します……」
「そう。……だったら……お眠りなさいな……」
 シュラインの手が、そっと、ハイのまぶたに触れた。
「雛太くんに…………よろしく伝えて下さい」
 そして再び、彼は深い死の眠りへと落ちてゆくのだった。

「では、お大事に」
 最後の患者を送り出して、怜司はほぅ、と一息をついた。
 徐々に復興しつつある東京の片隅に、『夏目診療所』とプレートのかかった、ちいさなクリニックがあった。
「ちょっと窓を開けましょうか。いい天気ですよ。……ああ、いい風だ」
 助手の看護師が、窓から吹き込んでくるやわらかな風と、まぶしい陽光に目を細めた。
「なんだか、こうしていると、あんなことがあったなんて、全部夢だったみたいですね」
「夢……そうかもしれないね」
 怜司は呟くように言った。
「みんな、この東京そのものが見た、悪い夢だった――か。けれど、そのために、闘ったたくさんのひとがいた」
「もちろん、それは忘れちゃいませんよ」
 看護師の青年は、そう言ってふりむき、やさしく笑うのだった。
「ところで、今日のごはん、どうします。俺、そろそろ買い出しに行きますけど」
「そうだなぁ……。まかせるよ、雛太くんに」

 風に唄が乗る。
 澄んだ歌声が、風に流れてただよってゆく。
 東京を見下ろす小高い丘の上に立った樹の枝に腰掛けて、羽澄は、再び人間の手に奪還された都市を眺めながら、歌うのだ。
 だがこの街では、以前とは違う日常が営まれてゆくだろう。
 それは、人と人でないものたちが、ともに暮らすという日常だ――。
 木陰では、羅火が草の上に大の字に寝転がり、いびきをかいていた。
 空は晴天。
 やさしい風が、悪夢の時代の終わりを告げている。

(完)

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■   C A S T               ■
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バイク乗りのハンター(実は…)、シュライン
……【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】

ガラスの羽の美少女ハンター、羽澄
……【1282/光月・羽澄/女/18歳/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】

怒れる赤い竜、羅火
……【1538/人造六面王・羅火/男/428歳/何でも屋兼用心棒】

元・伯爵の眷属の反逆者、怜司
……【1553/夏目・怜司/男/27歳/開業医】

東京の住人、雛太
……【2254/雪森・雛太/男/23歳/大学生】

大剣使いのハンター、ハイ
……【3356/シオン・レ・ハイ/男/42歳/びんぼーにん(食住)+α】

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■         ライター通信          ■
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大変、お待たせいたしました。
『リッキー・ホラー・ショウ 〜Tokyo Nightmare〜』をお届けします。
まあ、なんといいましょうか、とにかく、あんまり頭は使わず(笑)
ノリと勢いだけでつっぱしってみました。
今回、二組に分けてのお届けになっていますが、こちらはわりと『裏』というか、
ちょっとトリッキーなキャラの構成や組み立てになったかなと思っております。

>シュライン・エマさま
「別居中の妻」という案に笑いました。コウモリを呼ぶシーンは入れられませんでしたが……ライダースーツ+ゴーグルの勇姿が今回の見どころです!

>光月羽澄さま
ちょっと魔女っ娘系というか、美少女戦士系というか、もっと月に代わっておしおきする感じ(笑)にしようかとも思ったのですけど。微妙に小悪魔入ってるかも……。

>人造六面王・羅火さま
思いきり大暴れしていただこうということで。一方でちま猫ヴァージョンも書くことができ、WRとしてはかなり満足です(あんたが満足してどうする)。

>夏目・怜司さま
はじめまして! クール&ちょっとダークな二枚目路線をお願いすることになりました今作、イメージに沿うものだったでしょうか?

>雪森・雛太さま
こちらのPCさまでははじめましてですね。一般人としての参加ということで、超人級バトルのあいまでのドラマを演出してみたつもりです。

>シオン・レ・ハイさま
うーん、いつものシオンさまとはもはや別人(笑)。せっかくなので(?)普段はできない劇的な死のシーンを演じていただきました。

それではまた、機会があればお会いできればさいわいです。
ご参加どうもありがとうございました。