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バイバイ・ベイビー【後編】
ランプの灯った手術室の前に、如月・麗子が現れた。
「満身創痍ってところね」
ジャスの血だらけの格好を見て、麗子は呟いた。ジャスは麗子を見上げて、困ったように笑う。
「全部カモンの血だよ」
「らしいわね」
「ゴーゴリーは倒せてないし」
麗子は灰皿に近寄り、メンソールの煙草に火をつけた。赤いマニキュアがかすかに光った。
「目的はあんたの賞金だったなんてね。裏じゃあんたの賞金、『生死は問わず』になってるわよ。賞金稼ぎの追ってこない中立国に逃げた方がいいわね」
ジャスは寂しそうにうんとうなずいた。
煙草の煙を静かに立ち昇らせながら、麗子はランプを見上げる。
「メイリンのことは私がケリをつけるわ」
「ケリ?」
「情報が少なくてね、やっぱり現地情報に頼ろうと思うの」
「現地って」
「彼女のいた孤児院と、チャイニーズマフィアを洗ってくるわ。きな臭い匂いがしてたまらないもの」
ジャスはますます困った顔で、麗子に訊いた。
「一人で平気かい」
麗子はジャスの元まで歩いて行って、横からそっとジャスの頭を抱き締めた。
「一人じゃいかないわ、誰か連れて行くから」
ゆっくり手を離しながら、彼女は笑顔を作った。
「あんたは逃亡ができるようにしておきなさい。ゴーゴリーとケリをつけてね」
「わかってる」
ジャスはランプを見上げながら、静かな声で言った。
「僕だって、仲間を殺されたら怒るんだよ」
「あんたにしちゃあ悲観的な台詞ね」
病院の廊下はどこまでも長く、その長さはすべての不安を増長させる。
――エピソード2
「中国へはすぐ飛ぶのかい」
混濁した意識の中へ、突然そんな言葉が飛び込んできた。それから女性の声が
「容態を確認したらね」
短く答える。
容態? 誰の容態だろうか、CASLL・TOは考えた。CASLLの意識の中では、誰も怪我をしていない。強いてあげれば自分だろうか。
ただ聞こえた言葉は果たして本当に聞こえたことなのかどうか、わからなかった。耳は膜がかかったように音を正確に伝えなかったし、頭の中も色々な音が反響している。遠くで聞こえる爆音、すぐ目の前の銃声、短い破裂音の連射。なにが現実だったのか、よくわからない。だから、今聞こえた二つの声も、本当かどうかわからない。
次の瞬間に身体にそっと両手が触れて、誰かが自分の名を呼んだのだけは、本当だったと思う。静かで落ち着いているのに、悲鳴みたいな響きの声が、ひどく切迫した調子で自分の名前を呼んでいた。
もしかして、死ぬのか。
ゆっくりと流れる意識の中で、ぼんやりと感じた。次に思ったのは、まさかあの加門よりも先に自分が死ぬとは思わなかった、ということだ。我ながらおかしくなって、少し笑おうと思ったのに身体はいうことを利かなかった。
目を開けて、触れてきていたのが麗子だとわかったから、手を握り返そうと思ったのに両手が動かない。
彼女は目をしっかり開けて、CASLLのことを見つめていた。
応えるようにCASLLは一度、瞬きをした。
死なない、自分はまだ死なない。目を開けずに独りぼっちでいたら、もしかしたら引きずりこまれていたかもしれない。
他の誰かに意識を向ける前に、CASLLの記憶は飛んだ。
まず手術室から出てきたのはCASLLだった。その場にいたのは、ソファーにジャスと雛太が座っており麗子とシュラインが壁際に立っていた。リオンは手術室から離れ窓から外を見ている。窓からは、朝日が差し込んでいる。ガラガラと車輪の音と共に、CASLLの巨体が手術室から出てきた。リオン以外の全員が、さっと彼に駆け寄った。
「ICUに入ります」
看護婦に告げられる。
ジャスはCASLLの顔を見て、少し安堵の表情をみせた。
「彼は大丈夫」
「……なんでだよ」
隣の雛太が怪訝な顔でジャスを見上げる。ジャスは、かすかに笑った。
「死相は見慣れてるからね」
「げ」
CASLLには麗子が付き添っていく。
ジャスが後姿を見送っていると、リオンも移動するベットに視線を投げていた。彼は片手に煙草を持っている。
なぜか加門とダブってみえたので、ジャスはリオンへ近づいて行った。
「助かりそうですね」
リオンが早々に言う。
「君もそう思う?」
「ええ、まあ」
リオンは窓の外に煙草を突き出して灰を捨てた。
「灰皿はあっち」
「ああ、はい」
そこへトイレへ行っていたメイリンと夕日が戻ってくる。メイリンは場の空気を読んでか、あまりしゃべらない。ジャスは哀しそうに彼女を見た。メイリンはまるで気付いていない顔で、ニッコリと笑ってみせる。
突然、手術室のドアが開いた。
リオン以外の全員がまたベットへ駆け寄った。
ジャスは加門の片腕に手を置いた。
「ねえ、目ぇ開けてよ」
深町・加門に死相が出ているのは毎度のことだったが、入院まで持ち越すことは少ない。手術が必要な怪我でも、彼は大抵翌日にはピンピンして動いている。怪我をしている間も、平気そうな顔で煙草をくわえ、ジャスのことをバカ扱いする。
だが加門が目を開けることはなかった。
途中で振り落とされたジャスは、追っていく夕日の姿を見つめていた。
今度はリオンがジャスの隣まで来て、静かに言った。
「死相出てましたね」
「……冗談はやめてよ」
冗談ではない。
雛太が頭をかきながら、眉間にシワを寄せた。
「お前等医者じゃねえんだから、そういう勝手な推測すんな」
雛太もポケットから煙草を取り出している。リオンが片手にライターを取り出すと、そちらへ顔を向けた。
「当たるんだよ、案外。ねえ?」
リオンがジャスを窺い見たが、ジャスはそれを無視した。シュラインがツカツカと歩いてきて
「どうして男連中っていうのはこんなときでも悠長なのかしら」
怒ったように言って、ICUへ歩いて行く。
「カリカリしてんなあ、姉御」
煙草の煙を吸い込みながら、雛太が困った顔をした。
カリカリしたくもなる。そうすれば解決するんなら、誰でもそうするだろう。加門はいつも通りの顔で、眠っているだけに見えた。いつも通り、そのまま二度と目を開けないだろうと思わせる顔だ。
あの男には死相が出ている、昔から。
ICUの回りは喫煙だったし、中に入るには全身の消毒が必要だということだったから、誰も中へは入らなかった。
シュラインは喫茶室へ向かいながら言った。
「麗子さんについて行こうと思うの、通訳にもなるし」
「あ、俺も」
雛太が声をあげる。
ジャスは心配そうにICUを振り返った。
「そんなに手荒なことはないと思うから」
「ならいいけれど」
シュラインは苦笑をした。ジャスは彼女につられて少し笑った。
「麗子がああ言っているならそれが一番正しいもの。荒っぽいことがあるんなら、それの相応相棒を選ぶからね、彼女は。特に考えてないなら、きっと安全なんだよ」
メイリンがジャスの片手を握っている。リオンは注意深くそれを見つめていた。
玄関近くの喫茶室の前で、どこから調達してきたのか新しい着物に着替えた左京とすれ違った。
「よお、賞金首」
ジャスを見て、左京はニカリと笑い片手をあげた。
「賞金首はよしてよぉ」
困った顔でジャスが両手をぶんぶん振る。左京はさほど気にする様子もなく、喫茶室の中を覗いた。
「よお、冠城」
続いて全員が中に入ると、冠城・琉人が中で静かにお茶を飲んでいた。いつもの黒い帽子黒装束姿で、行儀よくメニューにはなさそうな緑茶を嗜んでいる。
「いやあ、皆さんおつかれさまでした。あちこち汚れてらっしゃいますよ。ささ、お茶でも飲んで沈静してください」
全員はなんとなく笑って、琉人の言うとおり席に座った。
どこから出したのか机には人数分のお湯のみと急須が置いてあり、琉人は手際よくお茶を淹れた。
「こういった場所ですから大したお茶じゃありませんが」
笑顔で配る。
「麗子さんと神宮寺さんはどうしました?」
「あの二人は、怪我人二人に付き添ってるよ」
雛太がお茶をずずとすする。
「麗子さんが帰ってき次第、一度家に帰って着替えたいわね」
シュラインは自分の汚れた格好をみて、はあと一つ嘆息した。その隣の雛太が、肩を落として同じく溜め息をつく。
「俺んち、半壊だ。ついでに車も」
「そう……ねえ」
「なに言ってんだ、俺なんかトラックが炎上だぜ」
左京がお茶を一口口に含んでから言った。シュラインが冷静に突っ込む。
「あれは人の物でしょうが」
「拾い主だから一割は俺のもんだな」
左京はまるでこりていない顔をしている。
「んな無茶苦茶な」
リオンは呟きながら胸から煙草を一本取り出した。それを見て、左京が持っていたビニール袋の中から一カートンの煙草を取り出した。
「これ、加門の全快祝い」
「はぇえなおい」
雛太が落ち込みから突っ込みに変わる。
「さっきちょっと出たとき、ふらふらーとパチンコに寄ったら案外出やがった」
「そういうときは声をかけろよ」
「雛太くん、……左京さんじゃないんだから、場所と状況を考えてちょうだい」
シュラインがこめかみをトントン叩きながら言う。左京はその台詞を受けて
「俺? 俺が場所と状況を考えない奴か?」
と、隣のリオンと琉人に聞いている。
「全快祝いとは縁起がいいですよ」
琉人は質問を無視してそう答えた。ちょうどいいので、リオンも同じように
「縁起はいい、たしかに」
そういうことにしておいた。
雛太の携帯電話が鳴る。病院内でのことに肩身が狭くなったように肩をすくめて雛太は電話に出た。
それから、ぴんっと雛太は背筋を伸ばした。
「いいこと考えた。なんで気が付かなかったんだ、俺。おい、お前すぐT病院まで来い。至急だ、至急」
じろりとメイリンが雛太の横顔を見つめていた。
麗子と夕日が並んでICUをガラス越しに眺めている。カーテンの開いた二つのベットには、加門とCASLLが眠っていた。
部屋に置いてある機材を確認しにきた看護婦が、加門のベットの回りをうろうろとしてから、顔を上げて夕日を見た。目が合ってしまったので、夕日はぎこちなく微笑んだ。すると若い看護婦も微笑んで、仕事をすませてから廊下へ出てきた。
「奥さん、気をしっかり持ってくださいね」
「へ? お、おくさ……」
夕日がすっかり狼狽していると、その看護婦と同じように機材の確認をしていた看護士が慌てて出てきた。そして看護婦の肩を叩き、CASLLの方を指差す。すると看護婦の顔色が変わった。
「え?」
麗子が驚きの声をあげる。
「どうしたんですか」
二人の病院関係者は麗子を見て、ペコリと頭を下げてそそくさとICUの中へ戻って行った。他にも二人の看護婦が呼ばれ、カーテンは閉められた。しばらくすると、CASLLがベットごとICUから出てくる。そのCASLLの顔には、白い布がかけられていた。
「CASLLさん!」
ガラガラと運ばれてくるベットに麗子が飛びついた。あまりのことに、夕日は反応さえできずにいる。
「なんで、さっきまで、意識だってあったでしょう」
悲鳴のように麗子が叫ぶと、看護婦がCASLLを揺する手を止めた。
「落ち着いてください、奥さん」
「落ち着けないわよ、いやよ、私を置いていかないで」
夕日は呆然としていた。CASLLが死んだ? まさか。悪い冗談だ。
麗子が髪を振り乱してCASLLにしがみついている。それを必死で看護婦が宥めている。
「目を開けて……」
そう言ってベットに手をかけたまま、麗子は座り込んでしまった。夕日はようやく動き出して、麗子の隣へ行って背を撫でる。
「違うんです、奥さん。ICUには心臓病の患者さんもいらっしゃいますので……隔離病棟へ」
「……え」
夕日が訝しげに看護婦を見上げる。
「検査の段階で何か重大な大病がみつかったんですか」
「……いえ……顔が、その恐ろしいので」
顔が、恐ろしい? 夕日は眉根を寄せた。
看護婦はほとほと困った顔で茫然自失の麗子と考え込んでいる夕日を交互に見ている。夕日は頭の中をざっと整理した。顔が怖いから、心臓病の患者さんのいないところへ隔離だから、白い布で顔を隠している……つまり、顔が怖いから。
「――もしかして、ただ顔が怖いってだけですか」
「もしかしなくてもそうなんですが」
「へ?」
麗子はベットに残してきた手を下ろした。ガラガラとベットがゆっくりと移動を始める。
「麗子さん、CASLLさんの顔のせいで誰かがショック死しない為に、ああいうことらしいですよ」
夕日が説明をすると、麗子は後ろにいる夕日を見上げた。
「え?」
まったく理不尽な理由があったものである。
麗子はようやく立ち上がった。夕日が二人分のコーヒーを買ってきて、ガラス越しに加門を眺めながら飲むことにした。
「本当はCASLLさんの意識が完全に戻るまでいたいんだけど……あの子が何をしでかすかわからないから、私はそろそろ出発の準備をするわね」
CASLLのベット移動事件の後だからか、麗子は少しやつれて見えた。
「あの子って、メイリンちゃんですか」
「ええ。帰って着替えをしてパスポート持って。シュラインちゃんあたり付き合ってもらおうかしらね」
「危険はないんですか?」
麗子ははかなげに笑う。
「私が相手よ? そんなの、その辺歩いてるOLにでも聞いてちょうだい」
二人はコーヒーを飲んで、加門へ視線を落ち着けた。それから麗子が小さな声で
「あんたこそ気をつけてね。あと、こいつが死なないように見張ってるのよ」
付け足すように言って麗子はコーヒーを飲み干した。片手に持った紙コップを潰したところへ、さっきの看護婦がカートを引いてやってきて
「奥さん、旦那さんの着替えなんか用意してきてね」
見事なタイミングで、夕日はコーヒーの入っているカップを落とした。
看護婦が慌てて雑巾を取ってきて、夕日が謝っているところで、麗子は加門を一瞥して歩き出した。
「じゃあね、奥さん。CASLLさんのことも頼んだわよ」
「あ、はい。麗子さんも、気をつけて」
オッケーイそう言いながら麗子は片手でピストルを作ってみせた。
麗子らしくはあるけれど、物騒な了解の示し方があるものだ……夕日は複雑に思いながら、まだ眠ったままの加門の横顔に目をやった。
雪森・スイは半壊した家の前で途方に暮れていた。日本家屋は木でできているので、道具さえあれば直せないこともないが(もっともバンガロー風になるだろう)そういう問題ではない。ここにいた筈の家主がおらず、そして家が半壊しているのだから、何かあったと悟るべきだ。
家主である雪森・雛太の愛車も一台なくなっているようだったので、雛太が半壊に巻き込まれて死んだ可能性はなさそうだ。
「困ったな」
ほとほと困ってしまった。
半壊部分に車と呼ばれる機械が突っ込まれていたので、原因はおそらく車の衝突によると思われる。
「ふむ」
たしか車とはガガーリンという燃えやすい燃料で動くと聞いていたが、このような状態で放置されていて安全な物なのだろうか。
ガガーリン? ……だったかどうか自信はない。とにかく、燃えやすいのだ。このままだと燃えるのだろうか……。いや、燃えていなかったんだから燃えないのではないか。
そんなことよりも、どうしたらいいのだろうか。
スイは青い車の前でじいと立ちすくんだあと、思い出したように着物の袂から携帯電話と呼ばれるボタンがたくさんついた代物を取り出した。毎日持つようにしているが、使ったことのないアイテムである。念波を飛ばして他人と会話をすることが可能な機械だそうだ。
言われた通りのボタンを押して、そして雛太のやった通りに耳にアイテムをくっつける。
すると、やはり話し声が聞こえてきた。
「もしもし、スイか。ああ、家が壊れてたっけ」
――ああ、そうだ、お前がどうしているか気になってな。
と、念波を飛ばす。
「おい、なんかしゃべれよ、スイ、スイなんだろうな」
――む? なんだしゃべれとは。話し声が聞こえるなんて珍妙なアイテムはなかなかないだろうが。
「しゃべれとは」
スイがようやく言葉を発する。
「おお、通じてんな」
……念波ではなかったのか。
「いいこと考えた。なんで気が付かなかったんだ、俺」
「なんのことだ。お前はどこにいる、家のことは知っているのか」
スイは眉間にしわを寄せた。
「おい、お前すぐT病院まで来い。至急だ、至急」
雛太が言う。T病院と言われても、さっぱりわからない。
「どうやって行けばいい、至急とは? 怪我人でもいるのか」
「病院だつってんだろ、病院なら怪我人ばっかじゃねえか」
「ああ、そう言われてみれば」
「タクシー拾って病院名言えばつける、急いで来い。死ぬか生きるかの瀬戸際だ」
「それは大変だ、わかった。しかし、タノシーはどこで手に入れるアイテムだ?」
ガタンと、椅子から人の落ちる音が受話器から響いてきた。
指定された箪笥の奥から一万円札を引っぱり出し、スイはタノシーことタクシーを強引に捕まえてT病院の前に立っていた。ともかくタクシーの運転手に一万円札を渡して外へ降りると、大きな男がヨロヨロと歩いてくるのが見える。
知った顔だった。
「たしか、こないだ会ったな」
スイが呟くと、その男はスイに気付いてゆっくりと彼女に近付いてくる。
「スイさん」
「CASLLだったか、どうしたんだ、怪我人はお前か」
CASLLはいつもの黒い革ジャン姿だった。
「私は、麗子さん達を追って空港へ行きたいんです」
「ちょっと待っていろ、今治してやる」
CASLLが腹を抱えていることから、胸から腹の辺りが傷なのだと踏んで、スイは両手に精霊をまとった。前屈みで立っているCASLLはしばらくするとすぐに背筋を正した。数十秒の間のあと、CASLLは肩が軽くなったような顔をしていた。
「もう大丈夫か」
「ええ。ありがとうございました」
CASLLはシャツをめくって傷口をたしかめて、パンパンと腹を叩いた。
「ICUに加門さんが……具合がどうなのかはわかりませんが、よろしくお願いします」
「わかった。中に入ればわかるか」
CASLLはスイの乗ってきたタクシーに入れ違いに乗り込んだ。
男連中が全員連れションと決め込んでいる間に、神宮寺・夕日は辺りに知り合いがいないか見回しながら外へ出た。
なにが必要かって、深町・加門の着替えとCASLL・TOの着替えである。いっそ奥さんまで昇格したのだから、逃す手はない。二人が死ぬなんて一つもこれっぽっちも想像できなかったし、そしてまたそんなことはないと思っていたから、夕日は半分うかれていた。
病院は住宅街に立っている。フィットでここまで走っては来たのだが、案の定ついた途端にガソリンが切れたので、使用できない。受付の看護婦に最寄り駅までの距離を聞いて、さほど遠くなかったので歩いて帰ろうと考えていた。CASLLはともかく、加門の着替えは実兄の着ている物でなんとかなるだろう。それに、自分も着替えなくてはならない。
病院を出て角を曲がった瞬間、ぐいと肩を捕まれて突然首を絞めつけられる。
ひっ、と喉の奥が少し鳴ったあと、何かを考える間もなく夕日の視界は暗転した。
龍ヶ崎・常澄はその時を見ていた。病院から出てきた女の子が、角で太い腕に捕まれて行くのを見ていた。さすがの彼も驚いて、ぼんやりと歩いていた足を急かした。しかし追いついた時にはすでに遅く、ホロのついたジープがゆっくりと発進した後だった。
なにかの事件か?
常澄は漠然と考えた。しかし、この後どうすればいいのかわからない。女の子が連れ去られたように見えた……というだけだ。もしかして、大学生同士で悪ふざけをしただけかもしれない。警察を呼んでいいものやら。
つい、相棒のメケメケに視線をやるも、メケメケは知らん顔である。
困ったな、考えながら病院の玄関まで戻り、今なら受付で聞けば何か知っているかもしれないと考えて、常澄は病院へ入ってみることにした。
「すいません、今の黒スーツの女の人って、あの」
しかしいざ、どう言っていいのかわからない。
すると受付の看護婦は軽くうなずいた。
「今の駅に向かわれた女性のことですか」
ビンゴだ、これは事件の匂いがする。
「アイシーユーだと聞いたんだが」
隣の声に目を向けると、和服姿の雪森・スイがそこには立っていた。相変わらず透き通るような水色の髪をしている。
「あ、スイ」
「む、常澄か。ここは病院だ、怪我か」
スイの相手をしていた看護婦が、一つ溜め息をついて早々に退散していく。
「いいや、僕は怪我じゃない」
「私の方は怪我なんだ、アイシーユーにいるらしいのだが入ることはできないらしいな」
集中治療病棟には家族かよほど親しい友人しか入れないことになっている。
そこへフラリと男達がやってきた。
「おっ、おお、お前だろ、お前雪森・スイだな?」
派手な着物姿で、髪を後ろで結わっている男が言った。スイは怪訝な顔でそちらを見る。
「君が治せる人?」
その隣の白衣を着た金髪の外人が言った。もう一人の外人が色めき立つ。
「ええ、じゃあ、じゃあ早く加門治してあげてよぉ」
「まあまあ、そう騒ぐもんじゃありません。あなたが雪森・スイさんに間違いありませんね」
病院には縁起でもない黒装束の男が言う。
「家主はどこかな」
「雛太くんはさっき家に帰ったよ。ちょっと海外へ飛ぶっていうんでね」
白衣を着た金髪男が説明する。
常澄は、急な大所帯に腰が引けながらも、両手を振って全員の注意を引いた。
「ちょっと、今、女の子がさらわれたんだ。どうされるのかわからない」
突然の常澄の発言に、きょとんと全員が目を瞬かせる。
「へ?」
「僕にもよくわからないが、さらわれるところを見たんだ。黒スーツの……茶髪の女の子がさっきジープに……」
緊迫感が増したように思う。そこへ、入院患者用のシャツを着て点滴を引いている男がやってきた。
前のめりに腹を抱えている。どうやら少し、血も滲んでいるようだ。
「アホ、人病院に突っ込む前にそういうことに気を使えねえのか」
「カモン、な、なにやってんだよ、君は絶体絶命、動いちゃだめなんだよ」
「じゃあ、なんだ、神宮寺は俺が動かなければ帰ってくるのか、ジープで、さらわれて? え?どういうことなんだよ。なんで女一人で歩かせた。何人男がいるんだ、このボケナス」
ガラガラと点滴を引きながら、加門は凶悪なほど不機嫌そうな顔で全員を見渡した。
リオンとジャスはバツが悪そうな顔をしていたが、左京はもう玄関の外を見ていたし、琉人にいたっては
「すんでしまったことは仕方がないですから、これからなんとかしましょう」
少しだけ目を細めて、微苦笑をした。
「追っかけるか」
左京が素早く全員を見渡して言った。
「くそ、無理だ」
加門が舌打ちをする。加門は自分の服を握り締めている。
スイが気付いたように近付いていって、そっと両手を傷口に差し伸べた。少し温かいような不思議な感覚が傷口の周辺に広がった。
「……なんだ? お前何してんだ?」
加門とスイの背丈は同じぐらいだった。肩の傷にも手を当てる。
「重傷だな」
「……?」
琉人がニコニコとした顔のまま額をかいた。
「私の探知能力をフルに活用して、例えば半径一キロ圏内に入ってしまう箇所を断定することは可能です。それから、その中央にゴーゴリーが待機しているとも考えることができるでしょう」
リオンはバンダナの上から頭を引っかいて、渋顔を作った。
「人数を補充していなければ残りはゴーゴリー含めて三人。誘拐の目的は」
「目的は?」
夕日の誘拐を目撃した男が訊いた。
「リベンジ・マッチ。返して欲しくば、俺達と戦え……でしょうか」
リオンは冗談じゃないと両手をあげて、ふるふる頭を振った。
「手負いの獣に手ぇなんか出したくないですよ、やめてくださいよ、降りますよ俺は」
「しかし、聞くに女が人質に取られたとか」
スイが腕組をしながら言う。ジャスが大きくうなずくのを見てから、スイは言った。
「ふてぇ野郎だ、な。まったく」
突然の江戸弁に左京以外の全員がずっこける。おずおずと、常澄が訊いた。
「スイ、最近はまっているものは、もしかして時代劇か?」
「おお、常澄お前もか。金さんはいいな、暴れん坊将軍はいいな!」
話が平行線で進まないので、全員喫茶室へ移動することにする。
後ろから医師と看護婦が駆けて来た。
「深町さん、本当に死にますよ、そんな身体で動いたら……え?」
「あ、もうピンピン」
加門はその場でジャンプをしてみせた。
「そりゃいいや、全快祝いだ」
左京が加門にビニール袋を放る。加門は中をすぐに見て、「おお」とうなってからガサガサと包装を解いた。メイリンはじっと席に座っている。まるで、こちらの出方を読むような目つきだった。
元気そうな加門の声で電話がかかってきたので、麗子はいささか驚いていた。
「さらわれたら治ったぁ?」
麗子の頭の上から出るような甲高い声に、シュラインと雛太、中国へ行くならと同行した黒・冥月がパスポートを片手に怪訝な顔をする。
「いや、俺のことはいいとして神宮寺がゴーゴリーにさらわれたらしい」
「あ、あ、あんた達はアホなの? 間抜けなわけ? どうして女の子一人守れないでよくもまあ男だなんて札さげてられるわねこのスカポンタン。ふざけんじゃないわよ、あの子にもしものことがあったら、あんた責任取れるんでしょうねえ」
麗子はコーヒーショップで鞄を広げ、中からB5大のノートパソコンを取り出した。PCカードを差し込んで通信を入れる。
「責任って……どんな」
「どんなって決まってるでしょうがよ、ニブチンがあ」
麗子が一人興奮していたので、シュラインが素知らぬ顔で麗子から携帯を取り上げた。
「もしもし、深町さん」
「よぉーやく話ができそうな相手と当たったなぁ」
「呑気なこと言わないでちょうだい。なんにしろ、何かあったらあんたに責任を取ってもらいますから」
加門の能天気な声にシュラインがぴしゃりと言い返す。
「私考えたのよ、ゴーゴリーは生命反応を感知するわけだから、半径一キロ外からラジコンや遠隔操作できる何かを使って催涙ガスなんかをまいたら効果的なんじゃないかしら」
「そりゃいいけどよぉ、催涙ガスは風下に流れるわけだ。民間人にまで被害が及ばねえか?」
シュラインは顎に手を当てた。
「無線妨害装置は絶対用意して、そうしたらレコーダーね。音で相手を撹乱するのがいいわ」
シュラインの隣の席の麗子が声をあげた。
「きたわよ、午後十一時まで。……まで、ね。それまでは無傷ってことじゃないかしら。場所は秩父……たぶん、半径五キロ以上の森林ね。一応道はあるみたいだけど……あんまりガイドにも載ってない場所だわ」
麗子の言ったことをシュラインが加門に伝える。
「予告状?」
「メールが来てるのよ、私のメーラー宛にね」
麗子は携帯電話を奪い返し、ドスの効いた声で言った。
「なんとかしなさい」
そして電話を切る。
ぽかんとしている雛太と、憮然としている冥月にコーヒーをすすめて、麗子は自分のコーヒーを一口飲んだ。
コーヒーショップの中から、CASLLの姿が見えた。
彼は雑踏には紛れない。
細かな情報は加門の携帯に麗子から送られてきていたので、機械類と車はリオンが用意し、面々は加門の運転するワゴンに納まっていた。
「……ああ、俺のクーパー」
思い出したように加門が呟く。助手席に乗っているリオンは、よくわからない大きな機械をいじりながら加門を横目にする。
「あんな安物いくらでも転がってますよ」
加門はリオンの発言を無視して、はあと深く溜め息をついた。
「ごめんね、加門。リオンが曲がり角を曲がりきれなかったばっかりに」
「俺のせいかよ」
ジャスが後ろから口を挟む。リオンはつい突っ込んでから、バカバカしいと両手をあげた。
「生きてたら買って返しますよ、あんなもの、生きてたらね」
常澄が運転席の後ろから不思議そうに訊いた。
「大の大人がこれだけ集まっていて、たかが三人に負けるのか?」
端折った説明を聞いただけの彼は、顎に手を当てている。左京はのんびりとシートに背をもたれさせながら、楊枝をくわえたまま言った。
「厳しいんじゃねえの、今回も向こうの陣地なわけだろ」
「そうですね、よりによって能力は無効化されてしまいますし」
リオンはやはり手元の機械をいじりつつ、補足説明をする。
「ゲリラ戦で恐ろしいのは、市街戦と同じくどこから敵が出てくるかわからない点にあります。ゴーゴリーの生命反応探知能力が他二名に伝わらない代わりに、彼等はプロですから、独自の戦法で俺達を追い詰めるでしょうね。左京さんの硬化能力はもう相手が知っていますから、左京さん狙いでランチャーを突っ込んでくる可能性もある」
「どうしたらいいんだ?」
「左京さんはうちのジョーカーですからね……なんとか決め手になってほしいんですが」
リオンが言葉を濁したので、ジャスが手をあげた。
「僕一人が行けばいいだろう。向こうは僕が狙いなんだし、夕日ちゃんも巻き込まれただけじゃないか」
「そんな、お兄さまいけませんわ!」
メイリンがひしとしがみつく。
リオンは困ったように言った。
「困ったことに、俺達は最強の傭兵部隊のプライドを傷つけてしまったわけです」
「困りましたねえ」
琉人が他人事のように呟いた。
上海行きの飛行機に乗った麗子達は、CASLLを探していた。
たしかに搭乗口では一緒にいた筈なのだが、姿が見えなかったのだ。生憎エコノミーを二つ三つと別れた席でしか取れなかったので、麗子の隣はCASLLのものだったのだが、その肝心のCASLLが見当たらない。
「ど、どういうことかしら、まさか調子が悪くて途中ではぐれちゃったのかしら……」
「スイが回復したんだろ。そんなこたあねえと思うけど……」
飛行機の通路で雛太の肩を持って麗子が揺らす。ガクガク首が揺れながら、雛太は手で麗子を制そうとしていた。麗子の前にいたシュラインが、麗子の肩をパンパンと叩いた。
「落ち着いて! 今乗務員さんに聞いてくるから」
麗子はうわーんとシュラインの胸に飛び込んだ。ゲンナリしたシュラインは、麗子を通路側の席へ座らせて、雛太に目配せをする。雛太はこくりとうなずいた。
冥月はすでに狭いシートに腰を下ろしていた。
冥月の隣のシートにハンドバックを置いて、シュラインはスチュワーデスに話しかけた。
「すいません、連れが一人いないんですけど」
「お子様ですか?」
「いえ、大きな男の人で特徴は……顔が怖い」
スチュワーデスの顔が、ああと微笑んだ。どうやら知っているらしい。
「申し訳ございませんが、実は本日エコノミークラスには、老人会のツアーの皆様が乗っておりまして……あまり刺激の強いお顔の方ですと、当方としましても病人が出るのは避けたいということで、ファーストクラスへ移動していただきました」
シュラインの微笑が張り付く。
つまりあまりに顔が怖いので、老人の方には刺激が強すぎる為、ファーストクラスへ移動?
……それは、あんまりだ。
スチュワーデスにお礼を行ってトボトボ席に納まっている二人の元まで戻ってから、シュラインは困り顔で説明をした。
「えーと……彼ファーストクラスへ席替えになったみたい」
「え? どうしてよ」
「……顔が……怖いから?」
麗子が目を瞬かせる。雛太が眉根を寄せた。
「もう見慣れたからわかんねえな」
その通り、ここの四人は全員見慣れているので、言うほどの刺激のある顔とは思えないのだ。
「じゃあ、私はあっちの席に戻るわね」
シュラインは茫然自失の麗子を置いて、冥月の隣へ戻った。
「CASLLはどうした」
「席移動だそうよ」
「そうか」
しばらくして飛行機が離陸する。
離陸の振動に任せて両手が震えている。さっき空港へ来るときだって、車の振動で両手が震えていた。それはなんでもないことなのに、ひどく気になった。
雛太は震えている両手を見ながら、ぎりっと奥歯を噛み締めた。それから片手でゆっくりと拳を作って、片方の手を殴った。武術ならやったことがある。パシンと手と手が鳴った。何度か繰り返しているうちに、自分の中の苛立ちが表面化してきてしまい、雛太は両手を握り締めた。
フラッシュバックするのは、あのトラックが突っ込んでくる前の光景だった。
その男は雛太達を見つけて、たしかに発砲してきていた。察知が早かったのでただ雛太とシュラインの影を撃ち抜いただけだったけれども。
逃げ込んだ家の壁の影に隠れながら、トラックが無線妨害をしていなければこちらの動きを全部読まれている相手に向かって、ハンドガンを向けたあの瞬間のことは、たぶんこの先ずっと忘れられない。
変な高揚感と、大きな恐怖心とが入り混じった気持ちの悪い感情だった。
あの時の的がもし、ダンボール箱だったら撃ち抜けていたのだろうか。使ったこともない、殺人の道具を躊躇いもなく、使うことができただろうか。
たぶん、撃てないだろう自分にぞっとする。
もしかして、撃てればいいのだろうか。そう考えなくてはならないことに、ぞっとする。
撃つとか撃たないとか、その選択に追いやられた自分の境遇を嘆けばいいのか?
少し違うような気がして、けれどたしかにその選択にも腹が立っていて同じように、シュラインと自分二人しかいなかったあの時、撃つことができなかった自分にも嫌気が差していた。
それから、自分の両手が始終震えているような気がして、たまらない。
隣でアイマスクを取り出した麗子が、拳を作っている雛太の手に片手を置いた。
「飛行機怖い?」
「いや、違」
「昨日のこと?」
「え?」
雛太が麗子を見上げる。麗子は少しピンクがかったグロスをつけていて、茶系のアイシャドーを塗っている。勝気そうな目だけを彼女は笑わせて、アイマスクを持った手で人差し指を立ててみせた。
「死にかけたでしょう」
全ての考えが伝わっていたのかと思った雛太は、安堵の溜め息をついた。
「ああ、まあ、たしかに」
「私なんか、銃を持ったまま固まってたらあのジャスに怒やされたわ」
クスクスと笑う。雛太も合わせて笑った。
二人の手は重なったままだ。
「二十歳のときだったから、雛ちゃんと同じくらい?」
「いや、俺二十三」
「ものすごい童顔ね、あんた」
麗子は笑った。
「あの時、ああいう時撃てなかったら、ダメなのかな」
自分の中の葛藤をどうにか納めたくて、雛太は漠然とそう聞いた。
「撃てたら、殺し屋にでもなればいいわ」
彼女は少し呆れたような声色で言った。雛太は下から麗子を窺い見る。彼女はその視線をくすぐったそうにした。
「そうでしょ? 撃てるのに一般人でいるなんてずるいわ」
「ずるい」
「人は皆何かを切り捨てて生きてるのよ。加門ちゃんだって、一般人ギリギリのところでなんとか踏ん張ってるから、アウトローのあっち側へ落ちないわけで。ジャスは元々銃火器に慣らされてるから、ああやって最初から人を殺す道具としてではなく、銃を扱えるわけだけど。銃を持たされて平気で人の身体を撃てるなんて、何かが欠けてるか何かを切り捨てているかどちらかでしょう」
雛太が押し黙る。
「生き残る為に殺すなんて、私は嫌よ」
彼女は意外な言葉を吐いて、一つ嘆息をした。
「もし、自分だけじゃなかったらどうするんだ? 俺一人なら、別に、そりゃ嫌だけど、俺の人生じゃん。一番大切な人が近くにいたらさ、どうするんだよ」
「一番大切な人……ねえ」
麗子はぼんやりと機内の内装を見回してから、ひどく突き放した口調で言った。
「守ればいいんじゃない、死に物狂いで。殺すつもりで守ればいいんじゃない? たぶん、ベクトルは限りなく一般人から離れるけどね、別に殺し屋と一般人にしがみつく必要もないわ。なりたかったらなれるわよ、殺し屋にも正義の使徒にもただの一般人にもね」
「俺は……撃てなかった」
「バカね、昔のことほじくり返したってなんにもなんないわよ」
「あの時、俺達は死んでたかも」
「……」
「もし」
雛太は頭の中で、もしを繰り返している。もし、もしも、もしかしたら……?
安定した気流に入ったのか、スチュワーデスが飲み物を運んできていた。
「変わらないことはただ一つ、今あんたがいて、その……誰だか知らないけど、その人も生きてるわけ。それ以上も以下もないの。次の瞬間がいつくるか知らないけどさ、そのときあんたの手足が動けばいいの。その――大切な人を守る為に」
スチュワーデスに麗子がコーヒーを注文したので、雛太も同じ物を頼んだ。
カラカラと音を立ててワゴンが去っていく。
「難しいことなんか知らないわ、頭がよかったらこんな商売してないもの」
麗子はコーヒーをかき回しながら、雛太を見て笑った。少し、懐かしそうな顔で。
上海には上層階級と下層階級がある。得てして国とはそういうものだが、中国のそれは貧富の差が激しい。
下町の大人一人歩くのも大変な街並みを抜け、土の見える道路に切り替わった頃、小さな掘っ建て小屋が見えてきた。
「懐かしいな」
冥月がぼそりと呟いた。全員がそれを気にかけたようだったが、誰もそれ以上言及しなかった。思い出したい過去もあれば、しまっておきたい過去もあるのだ。
「そもそも如月は、どうしてここの孤児院の出身だと気付いたんだ」
冥月は足元をすり抜けていく子供達に視線を投げながら訊いた。
「勘ね」
「はい?」
CASLLと雛太がきょとんと麗子を見やった。麗子は二人の視線を受けて、どうどうと手で制してみせる。
「名前じゃ検索不可能だったし、入国審査も通ってないそれじゃあ情報はないも同然だったから、写メールと睨めっこしててね。写真の資料をあさってたら出会ったのがここの孤児院だったの。集合写真でね、多分面影があったから、そうだって狙いを決めて。調べてみたら、三歳のとき突然失踪したまま行方知れずでしょう」
孤児院は小さな十字架をつけて建っていた。
冥月が前に出て探索を開始する。すぐに彼女は振り返り、首を横に振った。
「なにもないな、怪しそうな物は」
「話ぐらいは訊いていく?」
シュラインが麗子に言った。麗子はぷいっときびすを返した。
「時間がないわ。情報屋へ行きましょう」
「中国っていっても広いわよ、どうやって探す気?」
「ジャスがね、出会ったとき上海語話してたって言ってたから、まあ上海には違いないと思うのよね。それで日本語ペラペラでしょ、高等教育を受けてる。その上戦闘技術もある。それなら、上海に本部がないわけないじゃない」
冥月に上海の情報屋をいくつか候補に出してもらい、彼女の案内で情報屋の元へ行くことになった。下層部の街並みから高層ビル群を見上げると、圧倒である。まるで押し潰さん勢いで、ビル郡が木造モルタル造りの小さなアパートを見下ろしている。
胡散臭い漢方薬局の隣の路地を入った先にあるドアを冥月がノックした。
「ねえ、冥月さん、お願いだから喧嘩腰やバカみたいな騒ぎはごめんよ。私達は交渉に来てるの」
「……そうか。私が出て行くと鉛弾に遭うな」
冥月はドアから手を離し
「外で待っている」
静かにそう言った。気を取り直して、麗子が中に話しかける。
「すいません、ちょっといいですか」
「……なにか入用か」
冥月を見ると、彼女は一言合言葉を言った。
「ホ、華だ」
「入っていいよ」
麗子がシュラインと目を合わせる。雛太とCASLLが目を合わせる。冥月を置いて、全員が狭い部屋の中へ入った。
「小さな女の子知らないかしら、頭が切れて滅法強い」
シュラインが中国語で帽子を被ってグレーのブルゾンを着た、どちらかというと薄汚い形の男に話しかける。男はジロリと全員を睨んでから、短く訊いた。
「何が知りたい」
「彼女は何者?」
「蛇尾の用心棒だ、こんな話そこらの子供でも知っている」
麗子が意外な顔をする。
「……ネット情報はこれだからね。文字面にする情報の欠点よねえ」
シュラインが麗子の次の台詞を待っている。麗子は腕組をしてから、くるりと辺りを見渡した。あちこちに謎の置物があった。
「蛇尾は知ってるわ……そうね……彼女が今どうしてるかわかるかしら」
シュラインがうなずいて訊くと、男はかぶりを横に振った。
麗子は緊張の面持ちで立っている雛太とCASLLを見てふふと笑い、彼等に言った。
「なにか訊く?」
「へ? わ、私がですか」
「冗談よ」
麗子はシュラインに向き直った。シュラインは青いシャツに秋物のクリーム色のトレンチコートを着ていた。
「蛇尾の情報はある?」
すると男は手をさすって見せた。換金してきたばかりの札束を麗子が無造作にバックから取り出した。数枚手渡す、男が首を振る。また手渡す……しばらくやり取りが続き、麗子が札を隠すようにすると男は言った。
「今は火の車だよ、知ってるだろう。イタリア・マフィアとの」
男は言いかけて黙った。
麗子は切り上げる仕草をした。男が片手をあげる。しかし麗子はシュラインに言った。
「もういいわ、本部がどこにあるか訊いてくれる?」
男は残念そうに顔を伏せて、嘲笑を浮かべて上を指した。
上海の高層ビル群の中に、蛇尾(ソビ)の本部があるということだ。
雑踏を歩き出しながら、麗子は言った。
「ゴーゴリー達が追ってる賞金とは別に、ジャスには大陸でも賞金がかけられてるのよ」
「そ、そうなの?」
シュラインが日本語で聞き返す。麗子はシュラインをちらりと見て、舌を出してみせた。
「ほんの、三千万香港ドル」
「ぶっ」
雛太が吹き出す。
「さっき火の車って言ってたでしょう。きっとね、メイリンはやっぱり賞金を狙っているわけだわ。メイリンを倒しても次の刺客が組織からやってくるわね……そこで、麗子さんは考えました。さっきシチリア・マフィアの話が出てたけど、そっちの情報は持ってるのよ」
「どうするんです?」
CASLLが麗子を覗き見るようにして訊いた。麗子はウィンクを一つしてみせて、
「会長と交渉するの」
「……はい?」
冥月が小さな声で
「やはり私は外にいた方がよさそうだな」
そう呟いた。
「さすがにアポイントもなしで会長様に会えるとは思えないわ。面倒だから、冥月さんの能力でぶたたいてもらっちゃおうと思ってるの」
人差し指を立てて麗子が微笑む。
冥月はがっくりと肩を落とした。
「加門といいお前といい、利用するものは利用し続けるわけだ」
「あらやだ、活用って言ってちょうだい」
妨害電波を出す機材を背負って、リオンは木々に背を任せながら走っていた。
作戦はともかく神宮寺・夕日の救出、ゴーゴリーの撃退である。その為には、ゴーゴリー部隊が無線で連絡を取り合っているのだから、それを阻止しなくてはならない。そしてより広域にその範囲を広げる為に、リオンはゴーゴリーに近付かなければならない。
だが近付けばゴーゴリーは気付くだろう。
どうする? ゴーゴリーの位置を確認した上で、彼とその部下からの攻撃を防ぎ続かなければならない。
愛銃のワルサーを片手に走りながら、通信機からの声に耳をすませる。
通信機から一番前を走って行った加門の喚き声がする。
「……加門さ……」
「つ、捕まった」
呆気ない主人公の幕切れで戦闘は始まった。
雪森・スイは小走りで進みながら足元の光に目を止めた。糸らしきものが張ってある。避けて進もうとすると、木の葉が不自然にばらまかれていた。トラップだと考えて、もう一回それを避ける。足をついた先に板が触れたので、また同じように避けて進んだ。石を拾ってその板の上へ放ると、板に括りつけられたナイフが足に刺さる仕組みになっていた。
「ふむ」
「どうかしたか、スイ」
耳元で常澄の声がする。
ツウシンキというものは、便利なようで不便なような気がする。ない方がもっと自由に動けるし、お互いの危機管理能力が上がるのではないだろうか。
考えながら自分のものではない足音に気付いて顔を上げる。
鈍く光る見慣れない物が見えた。咄嗟に背を低くして飛び退くと、タンと一発銃声がした。
ひどく高い音の破裂音で、スイは驚いた。そのまま体勢を低くして、音を立てないように移動する。手に持ったクロスボウを構えては見るが、位置が知れてしまう為使用はできそうもない。
常澄は小さな声で呟いた。
「人間相手にドンパチなんて信じられない」
片手には小型のワルサーを持っている。職業は悪魔博物館の館長などをやっているが、悪魔の召還に関しては一応はプロフェッショナルだ。悪魔を撃つことはあるから、銃の腕には自信があった。
それにしても……このゴーゴリーのフィールド内だとメケメケがいなくて寂しい。
カサリと自分の足音と被るように音がして、はっとそちらの方向を向いた瞬間に、銃弾が一発破裂音と共に発射された。右足の腿をかすっていったので、その場でこけた。
すぐに立ち上がろうとするも、そうはいかない。
静かに傭兵が近付いてきて
「ジ、エンドだ」
言った彼は片手に持ったロープで常澄の身体を縛った。
「……どうやら、殺す気はなさそうだぞ」
通信機に向かって言うと、通信機の先の加門が同意の声を上げた。
注意して歩く習慣がなかったので、帯刀・左京は道らしい道を堂々と歩いていた。切り札と言われても、身を隠して動くタイプではない。来るもの拒まずの選択だった。耳につけた通信機から、捕まったという連絡がいくつも入っている。どうやら傭兵達は、市街戦で左京達がやったように怪我人を出しても死人は出さないという計画に切り替えたようだ。
「それじゃあ俺は捕まえられねえぜ」
ふと右手に何かを感じて振り返ると、大きな筒状の物がこちらに向けられていた。
「なんだありゃ」
「どうしたんです?」
通信機からリオンの声がする。
「でっかい筒状の物」
「ロケットランチャーですよ! 今すぐそこから逃げて」
リオンに言われて移動を試みるが、すでに時遅し。ロケットランチャーは火を吹いて、そのロケットは左京に当たった。まず第一激目の衝撃で倒れ、爆破をして二度目の衝撃波が襲った。痛いというより死なないのがわからないような痛みで、左京は土の道に転がって火を消した。
「……上等だ、おらぁ」
ゆらりと立ち上がる。ロケットランチャーを撃った男はすでに逃げた後だった。
「くそ、痛ぇしまた着物はおじゃんだし、どうなってやがんだ」
通信機も今ので壊れてしまったらしい。
何の音も気配もしなかった。殺気さえ感じなかったが、スイはふいに振り向いた。その視線の端に、月明かりに少しだけ光っている何かが見える。先ほどの銃というやつであるとすぐに認識し、逃げようとしたところを、後ろから男に押さえつけられた。脇腹に肘鉄を入れ、逃れようとする。
すると男の力はいっそう強まり、腕は首に回されて記憶が飛んだ。
冠城・琉人は真っ直ぐにゴーゴリーの元へと辿り着いた。他のメンバーが図らずも囮になってくれたお陰かもしれない。できれば、伏兵は憑依させて処理してしまいたかったのだが、フィールド内にいたのでは意味がない。ゴーゴリーの部下はゴーゴリーの指示と自分の勘のみで行動するまさしく、傭兵の手本のような男達のようだ。
ゴーゴリーの姿を確認すると、そこではもう戦闘が始まっていた。
メイリンがいたのである。二メートルはあろう大男と、小さなメイリンが張って戦いをしている。
「おや、メイリンさん。猫かぶりはやめたんですか」
「うるせえ、黒神父」
メイリンが手を止めて琉人を見たので、ゴーゴリーの拳が彼女の顎に炸裂した。メイリンはよろりとよろけ、座っている夕日に倒れこんだ。夕日他人質達はロープで縛られて置いてある。加門などは、すでに両手さえも自由になりそうな顔だ。
「まず、私がゴーゴリーのお相手をさせていただきます」
ゴーゴリーはファイティングポーズを取った。
初戦と同じようにボクシングスタイルでやり合おうとするが、ゴーゴリーはそうは出なかった。まず肘が飛んできて、回避をしている間に膝蹴りが襲う。それを器用に避けながら、琉人は拳を振り巧くガードされては振り、を繰り返し、大きな動作でフックを入れたところを軽く避けられた。すぐに攻撃を足に切り替え、回し蹴りでゴーゴリーの頭を叩く。
ゴーゴリーは一瞬止まった。その隙を逃さず、琉人はアッパーカットを叩き込んだ。
それでもゴーゴリーは倒れず、強引に両手で琉人の首を掴み、くいと親指で押した。一瞬にして気が遠くなる。
そこへメイリンがゴーゴリーに突っ込んだ。
蹴りをして、まず琉人から手を離させ、それから拳でゴーゴリーを何度も襲った。少し行動に鈍さを発していたゴーゴリーは、何発か食らい何発か避けている。そのうちに、琉人が立ち上がり、そして間接を外すことのできる加門も立ち上がった。
右からメイリン左から琉人、上から踵落としで加門がゴーゴリーを囲み、一気に打撃を与える。
するとようやく、ゴーゴリーはその場に崩れ果てた。
リオンは木の上に月明かりを反射する物を見たので、躊躇なく撃ち抜いた。銃声にジャスがやってくる。ジャスは落ちた傭兵を肩に背負って
「大丈夫、致命傷じゃないよ」
笑顔でそう言った。リオンはなんだかバツが悪くなり黙ってしまった。
「なんだあ、片付いたかぁ」
ジョーカーの左京が機嫌が良さそうな声で近付いてくる。
もう一方スイはいくつかの罠をこしらえじっと相手がかかるのを待っていた。クロスボウを使った簡単な罠だったが、かかれば必ず大きな負傷をさせられる。静かに立っていると前方から傭兵がやってきた。スイは両手をあげてみせる。
そして一歩歩いたとき、クロスボウの矢を引くようにできていた木の枝と糸を使った罠が発動し、クロスボウの先が男の右足の付け根に食い込んだ。
傭兵がその場に倒れこむ。
「悪いな、これもお前達の卑怯なやり方が悪い」
スイは少々苦戦しながら大きな傭兵の身体を担ぎ、通信機で連絡をつけてゴーゴリー達のいるところまで歩いて行った。
麗子達は蛇尾のビル一階で笑顔で待っている。雛太とCASLLとシュラインの笑顔は、張り付いたままだ。今、冥月が勝手に会長室へ乗り込んで会長を室へこの四人を呼び込む手筈になっているのだ。
携帯電話が鳴って冥月が「いいぞ」と合図をくれる。
受付嬢が止めるのも聞かず、麗子達は最上階の会長室へのエレベーターに乗り込んだ。
赤い絨毯の敷かれた会長しつの廊下の前で、二人の黒服の男にサブマシンガンが向けられる。しかしCASLLが二人の頭を否応なく持ち、ガツンとぶつからせてぽいっと放った。
会長室へ入ると、冥月が会長と仲良く並んで立っていた。会長は眉根を寄せて難しい顔をしている。
「私達無理難題をふっかけるつもりじゃなくってよ、会長さん」
「じゃあ、どういうつもりかね。元暗殺者なんかを使って」
「アポイントを取る時間がなかったのよね」
麗子は笑顔を作ってみせた。
「ジャス・ラックシータスの件は知っているわよね、あなたの懐刀のメイリンちゃんが動いているあの件ね」
ジロリと会長が麗子と通訳のシュラインを睨む。
「私あの仕事から手を引いてくれたら、有力な情報を教えてあげるわ」
「ほほう、どんなだ」
「シチリア・マフィアとの取引きが全部パアになって、ヘロインの在庫ばかり抱えている蛇尾にはもってこいの情報だと思うわ。これでも私日本の組織には顔が効くのよ」
会長はそれに興味を示した。ヘロインの在庫は聞くに驚くほどの量らしい。それは、文字情報で麗子が先に手に入れていた情報だった。
「それで?」
「取引先を斡旋してあげるわ」
「……本当か」
麗子はオーバーリアクションで手をあげてみせる。
「信じるかどうかは、会長さん、あなた次第だけどね」
会長がこくりとうなずいたので、麗子は携帯を取り出して知り合いの沖縄の組長に電話をかけた。沖縄の組は慢性的なヘロイン不足である。需要はアメリカ軍兵士にも及ぶのだから、仕方のないことだろう。
「まず日本語のできる信頼のおける部下を用意してちょうだいね。向こうは大歓迎だと言ってるわ。麗子の斡旋してきた組織なら安心できるってね」
麗子が茶目っ気たっぷりに言うと、シュラインは苦笑を洩らしながらそれを伝えた。
「わかった。ジャス・ラックシータスを追うのをやめさせよう」
CASLLと雛太がふうと大きな溜め息をつく。冥月はおかしそうに笑っていた。
外へ出ながら雛太がぼんやりと訊く。
「なんか知らんがなんで冥月は狙われなかったんだ? 中国マフィアはまずいって言ってなかったか?」
「それは――」
「引退した暗殺者に構ってられるほど犯罪シンジゲートは暇じゃないのよ」
麗子はにべもなく言い切って、タクシーを停めた。
「日本へ帰るわよ」
麗子から連絡が入って、加門はメイリンを見た。メイリンは凶悪な目つきで加門を見上げた。
「お前の頭が折れたそうだ。お前はもうジャスを捕まえなくていいんだとよ」
言われた途端、メイリンの顔が明るくなって、メイリンはジャスに飛びついた。ジャスはよくわからないまでも、メイリンを抱っこして「よかったねー」などと口にしている。
「私、お兄さまと争うなんて考えられませんわ!」
と、メイリン。どこまでが本当か怪しいところだ。
全員の縄は解かれ、代わりに傭兵達が縛られていた。
そこへ木の陰から黒い服を着た、眼鏡姿の青年が現れた。
「メイリンから離れろ」
「え?」
「僕のメイリンから離れろ」
え? 全員にハテナマークが灯る。その男は小さくひょろひょろした男だった。
「今更やってきて、なんのようだ、ロン。気色悪いストーカー近寄るな変態」
メイリンはロンという青年に向かって罵声を浴びせかけた。
そこへまたもう一人男が現れた。ロンとは対照的なアフロに白い肌をした、ラッパー系の男だ。これはセブンと言う男で、加門とは腐れ縁に当たる。
「ヘイブラザー、ラッキーかい?」
「……お前も状況見て登場しろよ」
他の面々はセブンを無視して、ロンを見ながら訝しげに顔をしかめている。
「なんだ、ロリコン中国人か」
左京が呆れたように言う。
「何を言うんだ。僕はメイリンが大きくなるまで待つつもりだ」
「なんにしろロリコンですねえ」
琉人はその場に腰かけて、水筒からお茶を注いでいる。
「ロリコンとはナマコンと同じ種類のことか」
スイが常澄に訊く。常澄は頭を抱えてから
「小さい女の子が好きな偏愛的な恋愛を抱く人のことだ。ナマコンは固まる前のコンクリート」
「と、とにかく、ぼくのフィアンセに手を出すなんて許さないぞ」
ロンはそう言って身構えた。
「お兄さま、あのクソは召還獣を使うのですわ。早く手を打った方がよいですわ」
それを聞いたのか聞かなかったのか、セブンがよっこらと辺りにあった物を拾う。
「こんなところにちょうどいい大きさの広辞苑が」
セブンはそれを拾って、召還の儀式に入ろうとしていたロンの頭に向かって投げた。ズゴンと大きな音がして、ロンに広辞苑の角が炸裂する。
ロンはよろりとよろけ、しかし負けじと儀式を続けたので、リオンはワルサーを引き抜いて問答無用でロンの足を撃ち抜いた。
「メイリン、僕がピンチだというのに、君はそれでいいのかい!」
「いい気味だわ」
加門が頭をかきながら
「ともかく、追っ手はこの二人で終わりかな」
夕日は加門に並んで立ちながら首をかしげている。
「たぶん」
なんとなく〆が〆らしくないような、そんな気がしていた。
「……そういえばセブン、お前なんでこんなとこに来たんだ?」
「いや、麗子に言われてお前を探していたんだが、ラッキーで探し当てることができたのさ」
聞いた自分がバカだったと加門は思った。
――エピローグ
麗子達が中国からスピード帰国したその足で、全員は小さな飛行場に集まっていた。
ジャスも不法入国だったので、蛇尾の伝手を利用して、中国までセスナで飛びそこからチャーター便でエジプトへ行く予定になっている。
ジャスはほとんど手荷物を持たないまま、セスナに乗り込もうとしている。
「ジャスさん、これお茶です。また機会があれば、お茶会でもやりましょう」
「うん、ありがとうね」
ジャスはすでにボロボロ涙を流して泣いている。加門はあちゃあと額に手を当てていた。
「カモン元気でね、身体に気をつけるんだよ。もう僕は君の面倒をみられな……」
口をつぐんでジャスはうーっとうなった。こぼれる涙を両手で拭いながら、皆の顔をじっくりと見渡す。
それからまたうわーんと泣き出して、セブンと麗子に向かって言った。
「カモンをよろしくね。僕がいないとなんにもできないんだから」
加門にしてみれば、さっきから酷い言われようである。
「うるせぇ、ジャス、さっさと行け」
「照れてる場合じゃないでしょう」
麗子が面白がって言う。セブンはつぶらな瞳に涙を溜めて
「バイバイベイビーだぜ、ジャス。加門のことはこのラッキーセブンさまに任せておけよ」
「じゃあね、皆バイバイ」
セスナがドアを閉じず走り出した。
それを追ってメイリンが駆け出す。
「お兄さま、お兄さまと私、一緒に行きます!」
ホップ、ステップ、ジャンプでセスナに追いついた彼女は、ジャスの手に捕まってセスナに乗り込んだ。
見ている方は全員嘘だろ……と心の中で呟いていた。
ジャスが行ってしまった。
――end
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2349/帯刀・左京(たてわき・さきょう)/男性/398/付喪神】
【2209/冠城・琉人(かぶらぎ・りゅうと)/男性/84/神父(悪魔狩り)】
【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女性/20/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【3304/雪森・スイ(ゆきもり・すい)/女性/128/シャーマン/シーフ】
【3359/リオン・ベルティーニ/24/男性/喫茶店店主兼国連配下暗殺者】
【3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)/男性/36/悪役俳優】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/23/警視庁所属・警部補】
【4017/龍ヶ崎・常澄(りゅうがさき・つねずみ)/男性/21/悪魔召喚士、悪魔の館館長】
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■ ライター通信 ■
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バイバイ・ベイビー【後編】をお届けしました。
ライターの文ふやかです。
微妙な情報戦と微妙な戦闘とで消化不良でしょうか。そうでないことを祈ります。
ではご意見ご感想お気軽にどうぞ。
文ふやか
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