コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に

 水を模した白砂、島に見立てた自然石。
 書斎からの静謐な眺めを見遣りつつ、背で当日の予定の確認を聞くのが久我義雅の朝の儀礼のようなものである。
 今朝早くから薄い雲から霧のような小雨がそぼ降るに、枯山水はしっとりと水をに濡れてその名に反するに関わらず艶を増す。
「……義雅様、聞いていらっしゃいますか?」
久我家当主の立場上、幾人も秘書……の役割もこなす術者を抱えてはいるが、煩雑な予定を総括するのは最も端近で護衛の任まで兼任する赤毛の青年だ。
 その低い声の流れが問いへの答えを待つ間、を一拍置いて義雅は庭に目を向けたまま穏やかに返答した。
「聞いていないとも」
悪びれない言葉にうっかりと聞き流してしまいそうになった青年は、「ん?」と一瞬の疑問に動きを止めて主の稚気を理解した。
 だが、其処はそれ慣れたもの。
「ならばもう一度、最初から申し上げます」
天をクリップで綴じた書類の束を一枚目から繰り直そうとする気配を察してか、義雅は肩越しに青年を見た。
「冗談だよ」
「解ってます」
言い、報告を終えた箇所までを押さえていた指を栞がわりにまた開く。
「やれやれ、もうこの手段は使えなくなったか……」
残念そうな義雅に、青年は素っ気ない。
「毎朝なら慣れもします。一度うけたからと言って同じネタをしつこく繰り返すのは、売れない芸人と同じですよ」
オヤジと言い切らないだけマシである……雇用の関係を骨身の瑞まで沁み込ませている青年が続ける声に、義雅は再び枯山水に視線を戻す。
「本日の予定は以上です。それから、先日調査を伺いました『虚無の境界』に関しての情報が入りました。都内で発生している神経症がテロ活動であるとの通達が各所に回っているようです……情報元は『International OccultCriminal Investigator Organization』、最近、東京近辺での活動が活発化しています」
「そのようだね……読んでくれるかな?」
短く応じて内容を読み上げる青年の声を耳にしながら、義雅は先日の夜、偶然訪れた出逢いを思い出し、淡い笑みを口元に上らせる。
 『虚無の境界』に類する事件ならば、彼に繋がる糸口を掴めるかも知れない……自然と連想された赤い瞳を持つ青年の姿に、義雅は詳細を読み上げる声を名を呼ぶ事で遮って振り返った。
「どうか?」
その動きに気付いての問い掛けに、義雅は重々しい口調で述べる。
「実は先程から腹痛がしてね」
「……それで?」
促されて更に続ける。
「頭痛に吐き気もする。あぁ、眩暈もしてきたかな……これではとても今日の予定を消化出来そうもないね」
あからさまな仮病に、けれど青年は動じずに僅かな沈黙でのみ、己の裡で整合をつけた。
「……ならば、本日の予定は全てキャンセルという事で」
「そうだね」
易々とした同意は意外なようだが、これは決して義雅を甘やかしての事ではない……やる気のない義雅に無理を強いてろくな事がなかったという、繰り返された攻防から蓄積された経験が導き出した涙ぐましい判断である。
「では、失礼致します」
家人とスケジュール変更の打ち合わせが急務となった青年が、軽い礼に書斎を辞そうと扉に向かう、それは隙だった。
 背を向けて一歩二歩、歩いた所で後ろから抱き留められる。
「あぁ、そうそう。先ほどの『虚無の境界』の関連情報、もう少し煮詰めて次の発生予測を出してくれるかな」
言いながら、義雅が背から伸ばした手で肩幅、胸周り、脇から下がって腰までを撫でるのに青年は硬直している。
「それから、黒い革のロングコートを買ってきてくれるかな……贈り物にするけれど、ラッピングは辞退するように。あぁ、やはりサイズは多分同じ位だね。選択は任せるよ、お前の贔屓の店なら彼に似合う品もあるだろう」
趣味ととられるが充分な実益を兼ねたレザー系ファッションに身を包んだ青年の半眼な沈黙に、義雅は微笑んだ。
「気に入ったのがあれば同じ物を買ってきなさい。お揃いというのも可愛いだろう」
サイズが知りたいなら口頭で聞けば良い物を、敢えて触って確かめるあたりが義雅である。
「慎んでご辞退申し上げます」
そして青年は主の悪戯に、毅然とした態度を貫いた。


 先週末から、ニュースは謎の神経症を報じ続けている。
 ある地下鉄の沿線に添うように発症し、少なからぬ死傷者を出すその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないまま、willies症候群と名付けられる。
 何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる……症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
 willies症候群に関するある情報に、世界の裏側の存在を知る者の所には、望めばこのような情報が付加される。
 それは噂などではなく、数多の被害者の中で唯一被害者に成り得なかった、一人の女性の証言であった。
「きっとあの神父様のおかげで無事だったんです」
地下鉄の路線、その前に立ち止まる金髪の青年、どこから見ても立派な異国人に声をかけようと思ったのは、彼が杖を持っていたからに他ならないと、彼女は言う……その色は白。それが意味する所を知らぬ者は居まい。
 路線図の剥げかかった点字に指を走らせる彼だが、心ない者がガムを貼り付けていた為に読む事が出来ずにいたのを、彼女は丁寧に路線の説明をしたのだ。
 そして、日本語に堪能な彼は物見えぬ目に涙を浮かべてこう言った。
「親切な者は幸いである、彼等はそれ以上の物を与えられる……と主は仰られました。光に似た貴方の尊い心に添う物を私は何も持ってはおりません、せめて」
言いながら、懐内から小さな小瓶を取り出しキュ、とそれを開くと片掌の内に包み込み、二本の指で瓶の口を押さえるようにして、彼女に向かって十字を切った。
 僅かに開いた口から雫が彼女の額に飛沫として降りかかる……放置自転車とちらしとゴミ、そんな物の中でも行われるのが神聖な儀式だと、宗教に詳しくはない彼女にも分かった。
「神の祝福が、貴方の上にありますように」
彼女の髪に置かれた手の温かさに涙腺が緩み、泣きだしてしまった彼女が落ち着くまで、神父は穏やかに待っていてくれた。
 申し訳ながる彼女に、彼は別れ際に告げたのだという。
「『死の灰』にお気をつけなさい」
と。
 そして、willies症候群の流行……その皮切りとなったのは、彼女が勤務する事務所の入った雑居ビルから。
 そしてそれは、神父に説明した地下鉄の沿線添いであった。
「あの方はきっとそれをご存知で教えて下さったんだと思います……そしてきっと何らかの関わりを持っていらっしゃると」
出来るなら、彼に力を貸してあげて欲しい、と彼女はそう話しを締めくくった。
 そして、流れてきた情報の最後、「『虚無の境界』というテロ組織の関与が推測される」という一文が添えられていた。
 その一言のみで偶然の出逢いを期待……否、確信して義雅が現場に赴いたのはその日の午後の事である。
 包装を断るように指示したものの、贈り物である用途を店員が重視したのか、肩掛けに大きな紙袋は持ち手が細いリボンで結ばれている……厚意の存在とはいえ、その色が黒な上、素材がレザーと来ては、使いを申しつけた青年が出入りする店がどのような代物なのか、義雅には想像がつかない。
 今度は一緒に連れて行って貰おうと、他者の迷惑でしかない好奇心を胸に秘め、義雅は地下鉄の構内へと足を踏み入れた……だが、平素利用する事のない公共交通機関に使い勝手が掴めず、終点駅までの切符を買い込んでいるあたりは流石というべきか。
 物珍しげに、利用客……圧倒的に男性の姿が多い、と言いたい所だがその絶対数自体が両手に僅か余る程度の人数を見回した。
 そして求める姿がない事を見て取ると、軽く肩を上げる。
「そう上手くはいかないね。気長に行くとしようか」
幸か不幸か、終着駅までの切符は手元にある……最も、それが喩え入場券だとしても、義雅は乗車にてらいはないだろうけれど。
 車両の到着が近いのか、地下鉄の運行を示す電光掲示板を一様に見上げて並ぶ人々の最後尾についた。
 上りと下りを同一ホームにした其処で、本来の目的が移動でない義雅は駅の発着時刻に気を払う事なくのんびりと、ゴゥと低い音を立てる線路の奥、穿たれた闇へ目を凝らす。
 風に似たうねりに、律動的な金属音が遠く重なる……それが徐々に近付いてくると遠く二点、眼のように黄色いライトが闇に唐突に浮かんで、ブレーキが軋んで掠れる高音の制動に速度を鈍らせる。
 その車両から降り立った人間が、たった二人である事に気付いたのは、乗車しない車両に興味を持って気を払っていたのは、義雅だけであろう。
 神に仕えるを示した黒が、短いながら柔らかさを思わせる金の髪と肌の白さを際立たせ、清浄のそれを背景に手にした白い杖が、その身体的な欠落を示す神父と。
 死を纏うが如き黒革のロングコートに存在を強め、屋内だというのに真円のサングラスを相変わらずに顔に乗せて尚、楽しげな様子を拭えない青年……ピュン・フーと。
 質感は全く異なる黒を纏った両者はまさしく義雅が求める者で、彼は自身の行いの良さを胸中に感心する。
 白杖を衝き、足下を探りつつ下りる神父に、連れと思しき距離の近さを保ちながらも、ピュン・フーが注意を促す様子も手を貸す気配も見られない。
 が、確かにその眼差しは神父の足運びに注意を払っているようで、ほとんど真ん前に居る義雅に気付くまで時間を要した。
「あれ?」
けれども声を発したのは相手が先だった。
「義雅、今幸せ?」
知人の親しさで……最も、それは誤りではないのだが、ただ二度会っただけの人間に対する親しみではない人懐っこさで名を呼ばれ、義雅は笑みを浮かべた。
「元気そうだね、ピュン・フー」
「どなたかいらっしゃるのですか?」
他愛ない挨拶にするりと声が入り込む。
「義雅っての。こないだ援助してもら……」
薬の入手を助勢した意味では確かに援助だが、ピュン・フーが言うとどことなく違う含みがあるように感じられる……それは神父も同じだったか、彼は斜め背後の位置についたピュン・フーの脛をその白杖で痛打した。
 その場に踞ったピュン・フーが足を抱えて声を無くすに、神父は表情を全く変えず正面に声を放つ。
「紛いなりといえ、連れがご無礼を申しました……私は、ヒュー・エリクソンと申します。お名前をお伺いしても?」
白杖を胸に頭を下げる神父、ヒューの名乗りに応じて義雅は懐から名刺を取り出した。
「久我義雅と申します」
紙片の一枚を差し出す動作を如何に判じてか、ヒューはすいと手を延べて、固い紙の端にちょんと触れて位置を確して受け取る。
「ご丁寧にありがとうございます……残念ながら、お返し出来る名刺を持ち合わせておりませんのでご容赦下さい」
流麗な日本語を操る西洋人に、義雅は笑みを変えずに言う。
「構わないよ、私は君がどういった種の人間か知っているつもりだからね……willies症候群の散布は今からかな?」
さらりと、原因不明の奇病の大元であるを告げるが、ヒューは穏やかにそれを受け止めた。
「人は何れ神の御手に帰ります…けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか……中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
話を続けてヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューがその蓋を開いた。
 それが人だというにはあまりに小さく、そして冷たく白い粉が詰まっている。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する……けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
その恩恵を、現代の人々にも。
 求められた同意に、義雅は笑みを深めた。
「神父が神に赦された行為は布教だけだと思っていたけれど、思い違いだったようだ……狙うが男性ならば留め立てするつもりはないのだけれどね。標的が女性とあらば別だ」
話の間に復活していたらしいピュン・フーが前に出て、ヒューを護る位置に立つ。
 神への呼びかけから、静かな斉唱が始まる。
「悪ィ、今日はコイツの護衛なモンで」
軽い謝罪で当たり前のように相対する青年に、義雅は肩に提げた大振りの紙袋を漁り、一本の棒を取り出す……否、それは棒ではなく木の枝だ。
「そうか。なら私はフェミニストだから」
と奇妙な理由をつけて枝を翳す。
 長さは指先から肘のあたりまで。表皮は水を含んだ柔らかさを保ち、手折られたと思しき断面を見せる枝の生を示している。だが、葉も花もないそれが如何な種の木であるのかを判じる事は難しい。
 護身にもならないだろう細さに、ピュン・フーが面白そうに眉を上げた。
 間にも、祈りは続く。
「……憐れみによって、御許に召された同胞の亡骸を今御手に委ね、土を土に、灰を灰に、塵を塵に還します」
唱うような聖句が空間に響き渡る。
「主は与え、主は取り賜う。主の御名は誉むべきかな」
額から胸へ、肩を右から左へと指で示すように十字を切り、神父は大切な名を呼ぶように「aman」と祈りの言葉を唱えた。
 ふ、と一息分の灰が中空に浮かび上がる。
 それは意思ある動きで拡散する事なく義雅へと……否、その手にした枝へと飛来した。
 木の枝に吸い付くように、白い灰が纏い付く。
 枝は灰が付着した箇所がこぽりと膨れ芽を作り、それは瞬く間に固い蕾を形作り、頑なな紅が解けて花開く……桜。
「これは貪欲な桜でね。負の念を幾らでも喰らうよ」
 灰に宿る無念を呑んで養分にしたと思えないほどに、美しい花を結んだそれは枝を覆い尽くす程に咲き誇る。
「ピュン・フー」
状況の報告を求めてのヒューの呼び掛けに、ピュン・フーは笑いを抑えて口元にやった手の下で声をくぐもらせた。
「え〜と、ホラなんだっけアレ。日本の昔話であったじゃん……裏の畑でポチが鳴いてイジワルじいさんと殿様が……そうそう、花咲爺さん!」
記憶の糸を手繰るに、無事、解答が導き出せた得心にポンと手を叩く。
 気持ちは判らなくもないが、冗談を解さないヒューに通じなかった咎で、ピュン・フーは脊椎の辺りを白杖で衝かれて再び床に懐く。
「……この救いもまた御心に沿うものなのでしょう」
ヒューは小さく十字を切ると、にこりと微笑んだ。
「貴方に、神の祝福のあらん事を」
ピュン・フーの存在など微塵も気を払わずに、そのまま出口へと向かうヒューに、義雅は半身を避けて道を開けて見送る。
「あんの暴力神父……」
サングラスを外し、うっかり目の端に滲んでしまった涙を拭いつつ立ち上がったピュン・フーに向き直り、義雅は再び紙袋に手を入れた。
 今度は何だ、とピュン・フーが警戒するより先、その肩にコートを羽織らせる。
「あぁ、よかった、よく似合う。サイズもいいようだね」
今度は正面からで肩幅、胸周り、脇から下がって腰までを撫でて満足気な義雅に、虚を突かれ……というよりも呆れの表情でピュン・フーが問う。
「義雅、ナニ?」
「コートを買って上げると言ったろう……服を贈る真意が判るかな?」
首を横に振るピュン・フーをこいこいと手で呼べば素直に耳を寄せてくる。
「それは、私が脱がしてあげよう、という意味を込めてあるんだよ」
囁きにふ、と息を吹き込めば、その感覚に慌てて身を離し、耳を押さえて後退する様に、義雅は珍しく笑い声を零した。