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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


カメラ・オブスキュラ


【T】


 昼の明るさのもとにあっても、アンティークショップ・レンはどこか仄暗さをまとってひっそりと佇んでいた。
 桐生まことと新村稔の二人は、どちらがどちらを伴うわけでもなくアンティークショップ・レンのドアを潜る。軽やかにドアベルが響いて、店の奥のカウンターに腰を落ち着けた店主である碧摩蓮に客の訪れを告げる。何かに辟易したような表情のまま、頬杖をついていた連が二人の姿をその双眸に捉える。そして特別な感情を一切含まない平坦な声で、いらっしゃいと告げた。しかしその言葉は冷たいわけでもなければ、客の訪れを煩わしがっているわけでもない。ただ何か煩わしいものからようやく解放されると安堵するような気配が微かに感じられた。
「こんにちは」
 小柄で艶やかな黒髪。たたえられた微笑みには上品なものでで、挨拶を告げるまことの声は涼やかに品々が犇く店内に響いた。傍らに立つ人目を引く印象的な赤色の髪を持つ、長身の稔がまことの言葉につられるようにして小さく頭を下げる。しかし連はそんな挨拶などどうでもいいことのように、カウンターの前に立った二人にそっと一つの古めかしいポラロイドカメラを差し出した。
 特別目的があったわけでもなければ、探しているものがあると頼んでいたわけでもない二人は差し出されたそれに小さく頸を傾げる。
「特別何もないなら、こいつをどうにかしてくれないかい?」
『どうして私はこんなところにいるのかしら?』
 淡く水面で泡が弾けるような声が辺りに響く。
『私のことカメラだと思っているみたいだけど、確かに人間だったのよ。それがいつの間にかこんな所。ねぇ、どうにかしてよ』
 その言葉に二人は声の主が目の前のポラロイドカメラであることを知る。
「どういうことです?」
 稔の問いに蓮は手短に事情を説明した。
 店に持ち込まれた時は、ただの曰く付きのものだろうくらいにしか思わなかったという。それが何度も繰り返すのだそうだ。どうしてこんなところにいるのだろうかと。まるで自分がポラロイドカメラのなかにいる理由が全くわからないとでもいう風に、何度も何度も同じ言葉ばかりを繰り返すのだと云う。いい加減辟易して、誰かが訪れたらどうにかしてやると云ったところに二人が訪れたのだそうだ。だからどうにかしてほしいのだという。詳細はわからない。けれど協力してくれると云うのなら、ポラロイドカメラが何かしらの情報を与えてくれることだろうと蓮は締め括る。
 どうするのかといったように稔がまことに視線を向けると、まことはまっすぐな目でポラロイドカメラを見つめていた。もうすっかりどうするかを決めてしまっている目だった。
「協力するのか?」
 稔の問いにまことは躊躇うことなく浅く、それでいてはっきりと頷く。
「お引き受けするとしたら、このカメラをお借りすることも可能ですよね?」
 まことが蓮に問う。
 蓮はその言葉にすっかり自分の手を離れたと思ったのか、好きにすればいいと云って安堵したように一つ大きく伸びをした。
 まことが店内を見渡すと、古めかしいソファーが一つ。売り物であることはわかっていたが好きにしていいのだという蓮の言葉を信じて、まことは稔を促しはポラロイドカメラを片手にそれに静かに腰を下ろした。そして事情を話してもらえないでしょうかと云うと、待っていたとばかりに女の声が物語を綴るような滑らかさで事情を話し始めた。
 いつからのことだかは判然としないと云う。気付けばポラロイドカメラのなかに収まっていたそうだ。肉体がないことはわかっている。けれどどうして肉体を失うことになったのかがわからない。特別不自由な思いをするわけでもなかったそうで、しばらくは静かにカメラに収まっていたそうだったが、ふと自分が大切なものをなくしてきたのではないかということに気付くといてもたってもいられなくなって蓮に相談したのだろうだ。けれど蓮が自ら動いてくれるような気配なく、ただただまことと稔のような人間が現れるのを待っていたのだと云った。
「大切なものとは?」
『あの人のことよ。いつも傍にいたの。あの人が見ていた風景は私が見ていた風景。すっかり忘れていたなんて恥ずかしいことだけど、こんなところにすっぽり収まって、考えて、何か足りないと思ったらやっぱりあの人だった。躰の半分がなくなってしまったみたいな感じがするの』
「それで、その人を探してほしいのですか?」
 まことの問いに女はすぐに答えを紡ぐ。
『それだけじゃないわ。あの人が写した写真も探してもらいたいの。いつもこのカメラを持ち歩いていたの。カメラマン志望でね、たとえその夢が叶わなくてもいつまでも写真を撮り続けたいという人だったから、私がこんなことになった理由もあの人が残した写真が見つかればわかるかもしれない。そう思って』
「あなたはもう、その人が死んでいると思っているんですか?」
『多分ね。私がこうなってしまったんだもの、あの人に何かあったに違いないわ。肝心なところを思い出せないのも、そのせいだと思う。あの人がこのカメラを手放すなんて考えられないもの。どんな貧乏をしたってこのカメラだけは離すことはないってそう云ってたんだから』
 女の言葉によっぽど相手のことを信頼していたのだろうと思った。盲目的な恋をしていただけかもしれない。けれど、ここまで人を信頼するには相手もそれだけの人物だったのだろう。善悪を問わず、人を惹き付けることができる人物でなければこんなにも信頼されることはない筈だ。それも女がこんな状況になっているのであれば尚更だろう。
「では、あなたの見ていた風景を教えてもらえますか?それと、あなたが知っている限りのその人についても」
『勿論よ。協力してもらう限りは私も出来る限りのことはするつもりだから』
 もし女が人の形をして目の前にいたとしたら、きっと満面の笑みを浮かべていたことだろう。思ってまことは自分の能力でポラロイドカメラの中に眠る過去を触れようと試みた。


【弐】


 過去に触れた。漆黒の髪が青く染まり、双眸が薄紅色に染めたまことが思った刹那、女性が笑った。何気ない日常を切り取っただけのような飾り気のない笑顔だ。空中に浮かび上がる映像は写真と同じように断片的で、やはりポラロイドカメラの記憶なのだと稔は傍らで思う。
『それ、あたしよ』
 ポラロイドカメラが云う。
 薄暗い路地裏。
 仰ぎ見るビルディングの側面。
 立体交差から見下ろす雑踏。
 他愛もない幸福に満ちた公園。
『一緒に歩いたわ。ありふれたものだったけど、あの人と一緒にいれば不思議なくらい特別なものに見えたの』
 恋人たちが微笑みを交わすオープンカフェ。
 手を繋ぎ通りを行く老夫婦。
 慈しむように子供に微笑みかけながら通りを行く親子。
『些細な幸福を切り取ることを愛していたの。見過ごしがちな風景をシャッターをきるという作業で半永久的に残して、誰かに伝えようとしていたのよ。私には最初そんなあの人が理解できなかった。でもずっと傍にいるうちに、この人は世界を愛そうとしているのだと思うようになっていたわ』
「その人の名前を教えてもらえます?そしてあなたの名前も」
 稔が問うと、ポラロイドカメラの女性はぽつりと二つの名前を呟く。
 ありきたりな名前だった。
 その二つの名前を一度口の中で繰り返して、稔はまことに囁く。
「知り合いの情報屋に訊いてくる。きっと何かわかる筈だ」
 まことが頷いた。言葉がないのは過去を見ることに集中しているからだろう。仕事に慣れていないまことの手助けになればと思って云った言葉だったが、その気持ちがどこまで通じているかはわからない。それでも何かの助けになればそれで良かった。
 稔はなるべくまことの集中する気持ちを乱さないように静かに傍を離れ、アンティークショップ・レンを出て行く。
『とても幸せな気分になれる写真を撮ることができる人だったのよ。欲目とかそういうのじゃなくてね、本当にいつか誰かがあの人の才能を認めてくれると思えた。だから傍にいたの。あの人も大切だったけれど、あの人が撮る写真もそれと同じくらい大切だったわ』
 とてもやさしい眼差しをしていた人だったのだという。些細な哀しみをまるで自分のことのように哀しむことが出来る人だったと女はどこか淋しげに語る。まだ二十の年を越えたばかりの学生で、学生らしい甘さを残しながらも必死に世界を愛していこうとしていたのだそうだ。女はそんな相手のやさしさに惹かれ、そのやさしさを守っていきたかったのだそうだ。殺伐とした日常を潤してくれるような温かな声で話し、荒む心を癒すような笑顔を見せてくれたのだとも云った。
 きっと社会の混沌に触れていないからこそできたことなのだろう。けれどそれは貴重なものだとまことは思う。人がいつしか忘れていってしまうものを、いつまでも持ち続けようとする姿勢は貴重なものだ。
 いくつもの映像が入れ替わる。些細な風景だったが、それはどこか見覚えのある場所ばかりだった。
「よく撮影に行っていた場所とか、その人が気に入っていた場所とかわかりますか?」
 まことが問うと、女性は刹那思案するように沈黙して、雑踏、と呟いた。
『人が多く集まるところが好きだったわ。オープンカフェや小さな雑貨屋が軒を連ねているところ』
 女性の言葉にリンクするかのように目の前に浮かぶ過去が切り替わる。
 店先に並ぶ品々を手に取り、微笑みを交わす二人の女性。
 乱雑な民族雑貨店の軒先で煙草をふかす民族服に身を包んだ店主らしき男性。
 多くの人々が行きかうスクランブル交差点。
 特別なものなど何もない光景。流れ去る時間のなかで見過ごしてしまうようなものたち。しかしそれらはただそれだけのものだと思わせない不思議があった。切り取られた瞬間に何か、その人にしかわからない特別があったのだとでもいうようにして印象的なヴィジョンとしてまことの目に映るのだ。女性の云うあの人は一体ここに何を見ていたのだろう。心惹かれる。それだけで才能の一端に触れたような気持ちになる。 
「これだけじゃ、何ができるかわからないけれど出来る限りのことはさせて頂こうと思います」
 云ってふっと躰の力を抜くと、変化していた髪と瞳の色がいつものそれに戻っていく。
『そう云ってくれる人を待ってたの。たとえ見つからなくて、あの人が今もどこかで写真を撮ってることを知ることができればいいわ。それ以上を望むことは贅沢だもの』
 諦めを滲ませながら云う女性の言葉が切れた刹那、まことの脳裏を血なまぐさいヴィジョンが過ぎった気がした。


【参】


 アンティークショップ・レンを出た稔が真っ先に向かった先は知人の情報屋のところだった。名前さえわかれば、重要となるような情報とまではいかずとも何かしらの情報を聞きだせると思ったからだ。個人の情報など本人が思っているよりも世間に流出しているものだ。携帯電話やインターネットといったものが普及してから、それは以前にも増して顕著になった。情報屋を営む人間には願っても見なかった世になってしまったのは、果たして幸福なことなのか、それとも不幸なことか。それは稔には判断つかないことだった。それでもそうしたことを生業にする人間を頼ろうとするのだから、幸福に思っているといってもいいのかもしれないと稔は思う。
 まるで名前というたった一つの記号が膨大がデータベースからたった一つの個人情報の引き上げるような鮮やかさでポラロイドカメラが告げたあの人の情報は稔の手元に転がりこんできた。そして同じようにして女性自身のものも、
 たいしたものではない。
 二人ともどこにでもいるような大学生の、なんの変哲もない履歴しか持たない。
 小中高と過ごし、大学に入学した。特別なことは何もなく、平坦な日常を歩いてきただけなのだということだけがわかった。そして女性が云うあの人はまだ生きて、彼女は死んでいる。止まった人生と続いている人生の違いはあれど、二人の履歴に大差はない。女性があの人と呼ぶその人の今も芸術系の大学に通っている。そして女性が死ぬ数ヶ月前に、そこで開かれた学内展覧会の写真部門で最優秀賞を納めていた。女性は特筆すべきことは何もない。二人の出身地も遠く、知り合ったのはきっと大学入学後のことだろう。関係は友人か、それとも恋人なのか、それはわからなかった。それでも稔の手にもたらされた情報は、見ず知らずの赤の他人が知るにはあまりに詳細な情報だった。連絡先や家族構成、現住所まで記されているのである。どこから誰がもたらすのか、すっかり赤の他人に筒抜けだ。いつか情報屋ほど金になる職業はないと笑っていたのを思い出して、同時に稔は褒められたものではないと僅かにでも思った自分を思い出す。
 けれどこうして今、頼りにしているのだからどうしようもない。どんなに長く生きても他人に干渉することはできない。出会ったことのない人間を知るには、特に死んでしまった人間を知るには膨大な時間を要する。それを簡略化するためには情報屋といった非合法な存在も必要なのだから仕方がないのかもしれないのだ。
 今頃まことはポラロイドカメラから何を聞き出し、どんな過去を知ったのだろうか。ポラロイドカメラの何が彼女を惹き付けたのかはわからない。けれどポラロイドカメラを前にした彼女は確かに知りたいという好奇心のようなものを感じていた筈だ。好奇心とは下世話なものかもしれない。しかし何故自分がそこにいるのかもわからないままポラロイドカメラのなかに閉じ込められてしまった女性には救いの手に思えたことだろう。人が人と繋がるためには人の形が必要だ。それを持たないものは予めコミュニケーションという繋がりから断たれてしまっている。それを手助けするためになら、情報屋でもなんでも使ってやる。稔は思ってアンティークショップ・レンへ戻る足を速めた。


【肆】


 稔の帰りを待って、まことは自分のとるべき次の行動を決めた。
 二人が通っていた大学に云って、本人に会うというのである。聞き出せた情報はただあの人という存在が写真を好み、とてもまっすぐな目で風景を見ることができる人だったということくらいだったと云う。自分がどうなったのか、あの人がどうしているのかは彼女自身全くわからないのだそうだ。まことが能力を駆使して見たものも、ポラロイドカメラが見ていたものであるから直接それを手にしていたあの人に関するものは少なく、真実を知るには本人に会いに行くのが一番だと思ったのだそうである。
 二人が大学を訪れた時刻はちょうど授業が終わり、サークル活動の時間に入っていたのかキャンパス内は雑然としていた。それでいて放課後を満喫する学生らの気楽さが漂っている。中学や高校と違って制服というものがない分、全く関係のない人間がキャンパス内を歩いていたところで気に留めるような者は誰もいない。いちいち学生一人一人を把握していられないほど多くの学生が籍を置いているせいもあるだろう。
「学内展覧会で最優秀賞を納めたって云ってましたよね?」
 ポラロイドカメラを手にしたまことが云う。
「情報が正しければだけどな」
「だったら写真関係のサークルをあたってみるのが一番だと思います」
 云うのと同時に、すれ違う学生を捕まえてまことは早速サークルの居場所を聞き出す。その学生は僅かに戸惑いを見せながらも北のはずれにあるクラブ棟に行けばわかるといった旨のことを教えてくれた。
 慣れない場所だというにもかかわらずまことの足は滑らかに進む。その後をついていく稔は、何がそんなに彼女を駆り立てるのか不思議だった。いつになくまことは何か一つに突き動かされるように行動しているように思える。がむしゃらというのも違う。まっすぐにただ誰かのためにという気持ちに従うように行動しているように見えるのだ。
「どうしてそんなに真剣になるんだ?」
 思ったままの疑問を口にするとまことは足を止めることなくさらりと答える。
「人を知る…それってとっても大切な事だと思いませんか?」
 人を知る。
 それは確かにとても大切なことだと思う。
 しかし何故こんなにも赤の他人のために時間を割くのかわからない。
「我儘かもしれませんけど、もしこのポラロイドカメラの持ち主だったあの人が、彼女がこうなってしまったことを知らないのであれば知ってもらいたいと思ったんです。彼女はその人をとても大切思っているんです。いつも傍にいて、同じ風景を見ていた。それをあの人が愛したように愛していたのがわかったから、放っておけないと思ったんです」
 云って笑ったまことの笑顔は淋しげだった。きっと彼女が既にこの世のものではないことを知ってしまったのかもしれない。
 稔はまだ彼女に関する履歴の総てを明らかにしたわけではなかった。既に亡き者であることを伝えるのが躊躇われたからだ。まことがポラロイドの彼女が云うあの人に会いに行くと云った時、いずれわかることだと思って口をつぐんだのである。
 広すぎるキャンパス内をしばらく歩いていくと、多くの学生が出入りするクラブ棟が見えてきた。まことは躊躇うことなく棟内に入っていく。勿論稔も躊躇うことなく後に続いた。二階建ての他の建物よりも少し寂れた感じのする建物だ。一階の掲示板にどのサークルがどこに居を構えているのかを案内する案内図が貼り付けられている。写真サークルは二階の廊下の突き当たりにあった。階段を昇り、芸術系の大学らしくイーゼルやキャンバスなどで雑然とした廊下を歩く。薄暗い廊下ですれ違う人は少ない。案内図を見る限り二回は文科系のサークルが多いようだった。それぞれ部屋にこもっているのかもしれない。
 写真部と記されたドアは容易に見つかった。隣には暗室と記されたプレートが掲げられたドアが並んでいる。
 ノックをすると中から応えが響いて、程なくしてドアが開けられる。
 一見して地味な男子学生が顔を覗かせた。
「どなたですか?」
 当然の問いだろう。
 まことと稔は礼儀正しく簡単に自分の名前を告げ、探している相手の名前を訊ねる。
 すると思いがけず顔を覗かせた男子学生は自分だと疑うような表情を浮かべながら答えた。そしてまことが手にするポラロイドカメラを見つけると、事情が聞きたいとでもいうかのように二人をドアの奥へと誘った。
 室内は雑多な廊下とは違って整えられてそこにあった。
「幽霊部員ばかりのサークルなんです」
 云って彼は小さな冷蔵庫から缶コーヒーを二本取り出して、二人が腰を落ち着けた簡素な折りたたみ椅子の前に置かれたテーブルの上に並べる。そして自らも二人の正面の椅子に腰を下ろすと、早速ポラロイドカメラについて問うた。
「アンティークショップで見つけました」
「僕のものだったんです。もう二度と出会うことはないと思っていました」
「どうしてお売りになったんですか?」
 まことの問いに彼は哀しげに答える。
「大切な人を殺した時に持っていたからです。僕ばかりが生き残って、彼女だけが死んでしまったから持っているのが辛かったんです。どうしても彼女のことを思い出してしまうから」
「あの、ちょっと手を貸してもらえますか?」
 まことの言葉に稔はきっとポラロイドカメラから受け取ったものを見せるつもりなのだろうと思った。残酷なことだということはまことも十分承知しているだろう。けれど今、ここまで来てしまったのだから他にすべきことはない。
 彼はおずおずと手を差し伸べ、まことはその手に自分の手を重ねる。そしてはっとしたように目を見開いてまことを見た。
「不思議に思われるのは当然かもしれません。私はポラロイドカメラが見ていたものを見ることができます。今あなたに見せたものはそれです」
「そこに彼女がいるとでも云うんですか?」
 まことは彼の言葉に頷いた。
 ポラロイドカメラはテーブルの上に置かれたままずっと沈黙を守っている。まるで彼が彼女に関して何か話してくれることを待っているようでさえある。
「撮影に出る時、彼女はいつも僕と一緒にいました。好きなものを撮るために無茶もしました。だからもし危険なことになれば彼女を巻き込みかねなかった。だからいつも彼女を殺すことになるかもしれないと思っていました。それが本当になるとは思ってもいなかった。でも、彼女を殺したのは紛れもない僕です。周りがどんなに不慮の事故だと云っても僕が殺したことに間違いはないんです。注意さえしていれば、スクランブル交差点の真ん中で写真を撮りたいなんて云わなければ、彼女はあそこで事故に遭うようなことはなかったんです」
『……違うわ』
 不意に女性が云う。けれどその声は彼には届いていないようだった。
「僕が彼女を殺したんです。だから辛かった……売ったのはそのせいです。放棄したとか逃げたと云われても仕方がありません。でも彼女がいなくなってから一度だって写真を撮ったことはありません。罪滅ぼしとかそういうわけではありません。撮れなくなってしまったんですよ。彼女がいたから見られた景色が、今はもう見ることができないんです」
「学内展覧会で最優秀賞を受賞されたと聞きましたが?」
「彼女と一緒に最後に撮った写真です」
「見せてもらえませんか?」
 咄嗟に稔が口を挟んだのは一体どんな写真だったのか、純粋に見てみたいと思ったからだ。
「もしよければ、彼女が傍にいた時にあなたが撮っていた写真も見せてもらいたいのですが……」
 稔の言葉に続けたまことの言葉に、彼は黙って席を立ち一つの大きな茶封筒を手に戻ってきた。そしてそこから一枚の写真を引き出すと、二人の前に置いて、他の写真は焼きました、と呟いた。
「持っているのが辛かったんです。彼女の総てを否定しようと思ったわけではありません。見ていられなかったんです。撮影したその時は彼女がいたのに、今はもういないということに耐えられなかったんです」
 二人の目の前に差し出された写真は高架橋の上で女性が笑っている写真だった。鮮やかな色彩。眩しいくらいの笑顔。見ているこちらが幸福になるくらい幸福な一瞬が映し出されたものだった。
『写真をやめないでと伝えて』
 二人にしか聞こえないのか、女性の声は彼には届いていないようだった。まことが女性の言葉を音にする。
「写真をやめないでほしいと云っています」
「やめるつもりはありません。でも、撮れないんですよ……彼女がいなくなってからずっと、一枚だって撮れないんです」
 彼の言葉に反応するように女性が云う。
『このカメラのシャッターをきってと云って。私にはもう何もしてあげられないけど……何かできることがあるとしたらそれしかないわ』
「あの、このカメラで何か写真を撮ってもらえませんか?彼女が一番好きだったものとか、あなたが彼女に似合うと思うものを」
 彼は苦しげに俯く。
 しばらくそうして誰も話すことなく沈黙していただろう。彼はゆっくりとポラロイドカメラに手を伸ばし、それを手にしたまま窓際に寄った。そしてそれまで自分が腰を落ち着けていた場所にレンズを向けると、震える指でシャッターを切った。吐き出される印画紙を手に取り、二人の傍に戻ろうとした彼は浮かび上がる映像にはたと足を止める。
 ―――私はいつもあなたの傍にいるわ。だから写真をやめるなんていわないで。あなたを恨んじゃいないんだから。事故だったのよ。
 声は部屋いっぱいに響いた。
 ―――私はあなたの写真が好きよ。誰の写真よりも一番好きよ。
 彼の手にした写真にはそれまで彼が腰を落ち着けていた椅子に彼女が腰を下ろし、笑っている。
 その場にくずおれる彼にまことと稔は駆け寄り、その手に強く握られた写真の女性の笑顔にやっと二人とも自分がこれから何をすべきなのかを知ることができたのだろうと思った。
 人を知るということ。
 それは踏み出せずにいた一歩を踏み出させることができることなのかもしれない。
 稔は思って、ふと向けられたまことの視線にお疲れ様の意味をこめてささやかに笑った。

 

 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3854/桐生まこと/女性/17/学生(副業 掃除屋)】

【3842/新村稔/男性/518/掃除屋】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します