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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


開かずの間


------<オープニング>--------------------------------------


 誰にも見つけられたくはないんだよ。
 だから、僕は。
 鍵をかけた。



 フンと鼻から息を抜く音が聞こえた。続けて雑誌がデスクに叩きつけられる音がする。
 三下忠雄は、読んでもいない新聞の影から碇麗香をこっそりと盗み見た。彼女は椅子の背もたれに背を預け、腹の辺りで手を組み合わせている。細められた目には冷たい色が浮かんでおり、しかし口元は微かに吊り上げられていた。
 そうして、デスクの上にある一冊の雑誌を見つめている。
 それは先ほど麗香自身が、デスクへ叩き付けた雑誌だった。
 三下が座る位置からも、その雑誌の銘は見える。月刊アズ。最近創刊されたカルト系雑誌である。白王社とは全く関係のない出版社が発行したその月刊アズは、アトラスのライバルともなり得る雑誌だった。
 アトラスの編集長である麗香は、相手にもしていないような態度で「うちはうち」などと言っていたが、少しは気になったのかも知れない。アルバイトの人間が手に入れてきたそれを、人が出払った時を見計らい読み出した。そして今、フンと鼻息一つでいなしたのである。
 暫くそうして雑誌を見つめていた麗香だったが、突然その視線をふっと上げた。三下は慌てて新聞に目を戻す。
「三下くん」
 きた、と思った。麗香のハスキーボイスは、心持ち低く凄んでいる。
「は、はい」
 三下は開いていた新聞の隙間から、そっと顔を出した。
「昼間っから新聞を読むだなんて。余裕ねえ」
「は、はあ……いえ。何というか。やることがないっていう、か」
「あらあ、そお〜」
 麗香が笑顔で頷く。
「ちょっと。コッチにいらっしゃい」
「は。はい」
 新聞を丁寧に折りたたみ、いそいそと麗香のデスクへと赴く。
「新聞じゃなくて。この雑誌を読んでみなさいよ。面白いわよ」
「そ。そうなんです、か」
「ええ」
 笑顔で促され、三下は雑誌を手に取った。持ち上げてページを繰ると、「途中の特集ページ、見てごらんなさい」と麗香の指示が飛んだ。言われた通り、カラー特集ページを見つけ開く。
 そこには廃校、開かずの間の真実。という銘で、M区の廃校を舞台にしたホラー話が掲載されていた。「ちゃんちゃらおかしいわ。どう? 面白いでしょ? 笑っちゃうわよね。何が廃校よ。何が開かずの間よ。そんな子供だましで、よくもまあカルト雑誌の名前なんて語ってるわよね」
「そ。そうですね」
「うちはそんな子供だましの特集なんか組まないわ。そうでしょう?」
「は、はい。そうです」
「じゃあ。その廃校に行ってきて」
「え?」
 麗香が大きく溜め息を吐く。
「その廃校の開かずの間を調べて来るのよ。そしてそんな、子供だましの恐怖を煽るだけの記事にはない真実を掴んでくるの。いいわね」
「し。真実って」
「まず、開かずの間なんてものが本当に存在するのか。そして本当に存在するなら、どうしてそこは開かずの間なのか。そこに潜む、ドラマを調べるの」
「そ。そんな。こんな記事、信用しなくても……、ほらあ。どうせ、でっちあげで」
「でっちあげならそれでいいの」麗香は三下に冷たい切れ長の目を向ける。「その時は今度こそ本当に鼻で笑ってやるわ。あの、ブランド女」
 麗香が誰のことを言っているのかはすぐに分かった。アズの編集長である女性だ。要するにプライドや自意識の問題なんじゃないかと三下は胸の中で文句を言った。
「で、でも。秋に肝試しだなんて。季節外れだと思いま」
「思わないわね」
「で。ですよね〜」
「そもそもこれは、肝試しなんかじゃないわ。女と女の勝負なのよ」
 遠くを睨みつけながら、麗香が言った。


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 画面が動くたび、隣の男の視線を感じる。
 雪森雛太は煙草を灰皿に押し付けて、隣の男を威嚇するように睨み付けた。その瞬間は男もおずおずと自分の台へ視線を戻すのだが、きっとまた雛太がリーチをかけるたび、バーを回す度、また視線を寄越してくるのだろう。
 それは酷く、気に障る。集中力がそがれてしまうのだ。店内に鳴り響いている、有線の音や他の台から流れてくる電子音、それらが入り混じった騒音。それは集中してしまえば余り気にはならない。
 パチンコ店に出入りしない人間はそちらの方が鬱陶しいはずだろうと言うが、打っている人間はさほど気にはしていない。むしろそれは、パチンコ屋を出てから気付くことなのだ。耳が詰まったかのような感覚になり、そしてああ、煩い場所に居たんだな、とやっと思う。
 そんなことよりとにかく気になるのは、隣の男の視線だった。この空間は一瞬の競い合いでもある。自分が出ていない時人が出ていれば苛立つし、そこに優劣が発生する。だから「かかった」奴が傍に入ればつい見てしまうし、逆にそうして見られることは快感でもあった。
 しかし、たかがリーチをかける度に見られたのではたまらない。何がそんなに気になるんだと怒鳴り散らしてやりたいほど、隣の男は雛太の台と手元をチラリチラリと盗み見てくる。
 そしてまた今度こそ、オバケではなくナナが来るはずのリーチをかけた時、隣の男の視線を感じた。気にしないようにして雛太は回転するバーの目を読む。神経を集中させると、赤いナナだけが浮かびあがるかのように見えてくる。
 ここまでくれば勝ったも同然だった。そもそもパチンコの勝負は、台を選ぶ瞬間だけにあると言っても過言ではない。バーの目を合わせることなどやり慣れている人間にはヘでもないのだ。
 よし。
 雛太は最後のボタンを押す。しかし、バーは無情にも一段ズレでナナを出した。つまり、揃わなかったのだ。
「はあ!」
 雛太は思わず絶叫する。今のタイミングは間違えていない自信があった。そもそも間違えるわけがなかった。こいつのせいだ。雛太はチッと舌打ちを漏らす。
 ナナが揃わないのもガメラが負けるのも、間違いなく隣に座る男のせいだ。
 雛太はガンっと台を叩き、ついでに壁も蹴り上げてやり、それから隣の男に顔を向けた。
「ちょっマジお前、さっきっから何ジロジロ見てンだよ。あんか文句でもあんのかコラ」
 通路を過っていった店員が視線を寄越してきたが、雛太はクソ食らえだと思い構わず男を睨みつける。
 男は臆する風でもなく雛太の顔を真正面から見つめ返し、あろうことか突然にこりと笑った。
「文句はないよ」
「はあ」
「文句はないんだってば。ただ、そうだなあ。凄いなあって思って。僕なんかオバケどころかリーチもこないんだからさ。ヤんなっちゃう」
「なんだお前。俺にケンカ売ってンのか! 何がスゲエんだよ! テメーのせいで揃ってねえじゃん!」
「僕のせい?」男は小さく小首を傾げる。「だったら、ごめんね……」
「ゴメンで済む問題じゃねえんだよ! どうしてくれんだよ。俺が今まで突っ込んだ金!」
「それは……僕に言われてもなあ。僕も負けてるし」
「しったこっちゃねえ!」
「だよね。ごめんね。ねえ。コーヒー飲む? それくらいだったら奢るけど」
「オマあったまおかしいんじゃねえの!」
 息を荒くして台に向き直る。こんな男の隣で打つのはゴメンだと思った。思ったがしかし、中途半端にコインが出ている状態で席を立つわけにもいかない。
「じゃあ、台見ててね。僕、コーヒー買ってくるから」
「は? え、おい、ちょ」
「待ってて」
 手を振り去っていく男の背中に向かい、眉を寄せる。
 変な奴に遭遇してしまった。
 雛太はもう一度舌打ちを漏らし、台を叩く。通路でじっとこちらを見ていた店員が、とうとう駆け寄ってきた。
「すみませんお客様。台は叩かないように」
「ああ? なんだお前。ガタガタ言ってっとオメーの車の窓、割るぞ」
 実際、そういうことは少なくない。
 店員は怯えた顔で「ですが台は叩かないようお願い致します」と小声で呟き去って行く。その背中を睨みつけてから、苛立った気持ちを収めるために煙草へと手を伸ばした。
「ったく。三下のヤロー。おせえんだよ!」
 足を揺らしながら煙を吐き出し唸る。間の抜けた顔が脳裏に浮かび、益々苛立った。そうだ、絶対アイツのせいだ。アイツと待ち合わせなんかしなければ。そもそもアイツが時間に少し遅れるなんてことを言い出さなければ俺はこんな店には入らなかったし、入らなければ変な奴に絡まれることも、店員に注意されることもなかったのだ。
 そうだ、絶対アイツのせいだ。
 雛太は苛立ちの矛先を、今度は三下忠雄へと向ける。



 掌にニ、三度指先を擦りつけ、それから鼻先に掲げるとシオン・レ・ハイの指先から青い炎がポウと上がった。
「わあ! 凄い凄い!」
 隣でその様子を一緒に見ていたロウという少年が、両手を叩き合わせ喝采する。その大袈裟とも思える芝居がかった言葉にも、シオン・レ・ハイは笑顔を浮かべた。そして「おじさん、嬉しい!」と裏返った声をあげ体をくねらせる。
「どうでした? 安岡さん」
 シオンとロウの二人に目を向けられ安岡は、この場を取り巻く雰囲気にどうしても馴染めそうにない自分を感じながらも「凄いですね」とおざなりな相槌を打った。
「いやあ。良かった。お客様を退屈させてはこのシオン・レ・ハイ、何の為に留守番しておりますかわかりませんからな。はっはっは」
「ハイさんはね、魔法使いなのですよ!」
 シオン・レ・ハイという名を、「ハイ」と略されたことに疑問を抱くべきか、それとも魔法使いという言葉に異議を申し立てるべきか。
 安岡は暫く戸惑い、恐る恐る言った。
「魔法、使い?」
「そうですよ。凄い方なのです。お父様はイフリートお母様は雪女で、炎と氷を操る大魔法使いなのです」
「は、はあ。その……は」ハイさんと呼ぼうとしてから、安岡は思わず口ごもり目前に座る男性に視線をやった。ハイさんとは目の前に座るこの、見てくれだけは驚くほど良い俳優のような中年男性のことだろうか。シオン・レ・ハイは、シオンと呼べは良いのではなく、ハイと呼ぶのが正しいのか? 間違ってしまったらどうする。そんな気持ちから小さく「ハイさん」と言ってから「は、魔法、使いなんです、かぁ。へえ。凄いですねえ」
 と続けた。
「そうですねえ。私は魔法使いではありませんけどね」とシオンが頷く。
「え? 違うんですか?」どっちなんだ?
「私は青い炎のイフリート。そして紳士です。なんてな! きゃ。おじさん、言っちゃった」
 照れたように顔を隠し、また体をくねらせる。
 何なんだ、一体。安岡は微妙な顔つきになっているのを自覚しながらも「そうですか」と曖昧な返事を返した。
「僕は。彼の指導の下ホウキで空を飛ぶ練習中なんです! ね! ハイさん!」
「ロウくん。貴方なら出来ますよ。」
 ほうき? 空? 安岡は眩暈を感じた。ここは本当にシュライン・エマが働いているという興信所なのだろうか。自分は異世界に来てしまったんじゃないのか。そんな眩暈だ。
 こんなことなら時間をちゃんと指定しておくべきだった。「また気が向いた時に訪ねるよ」なんて、どうして言ってしまったのか。
 けれどその時はまさか、中国人なのか英国人なのか国籍の良くわからない中年男性と、真っ黒な服を来た童顔の少年とに迎えられるなんて思わなかったんだ。
「それであの。シュラインさんはいつ頃お帰りになられるんでしょうか」
「さあ?」ロウという少年が小首を傾げてシオンを見る。「ハイさん、聞いてます?」
「聞いてないですねえ。友人とお食事って言ってらっしゃったから……そう遅くはないと思うんですがねえ」
「そ。そうですか」乾いた唇を小さく舐める。「じゃあ……また、出直します、よ」
「え! お帰りですか!」
「お帰りですか!」
 二人に連呼され、安岡は身を引いた。
「いや。帰ってくる時間が分からないのなら、出直した方が」
「それには及びません。どうぞどうぞお待ち下さいよ。客人を帰したとあれば、私が何の為にお留守番しているのか」
「あああ、ハイさん! 泣かないで!」
 最早、二人の会話にはついて行けない。
 帰ってくるなら。早く帰ってこい。
 途方に暮れて、そう思った。



 麗香が持ち帰って来た皿に乗る、スペアリブの甘酢から胃袋を刺激するような強い匂いが上がる。白い皿の上にこんもりと盛られたそれは、今にも崩れそうな山を築いていた。
 シュライン・エマは自分の目前に置かれた海の幸と季節野菜の炒め物を、口へ運び入れ租借しながら苦笑した。
「なに?」
 麗香が憮然として言いスペアリブを口に運んだ。
「胃袋、破れるわよ」
 ウーロン茶の入ったグラスを手に取り、シュラインは肩を竦める。
「そんなヤワな胃じゃないわ。そんな女だったら今頃私は、編集長なんかしてないわね」
「なるほどね。確かにそうかも」
 テーブルにずらりと並ぶお皿の中から、今度は中国パスタを自分の受け皿へ移した。
 ホテルで開催されている中華バイキングに行こうと言い出したのは、麗香だった。「携帯を鳴らすより早いわね」と興信所へ訪ねて来たのだ。シュラインは麗香に急かされるようにして、以前ちょっとした依頼の際に知り合ったロウという少年とシオンとを留守番に残し出かけることにした。ドジで間抜けという言葉がとっても良く似合う、シオンとロウに興信所を任せるのは心配だったが他の依頼で出かけているはずの武彦も、暫くしたら帰るだろうと思ってのことだった。
 レストランに到着すると、麗香は親の敵のように料理を皿に取り食べまくった。まるで、ストレスを解消するかのように。
「まあただ。あんまり格好良いストレス解消法ではないと思うけれど」
 フウンと麗香が溜め息を吐く。
「ねえ。エマちゃん。こんなことを言った人が居るの。人の虚しさの大半は、腹が減っているからだ、とね。それを証拠に女どもを見ろ。恋をしたと言っては食い、失恋したと言っては食っている」
 ウーロン茶の入ったグラスを持ち上げ、麗香が小さく肩を竦める。
「それを読んだ時、何て短絡的で馬鹿馬鹿しい、と思ったの。でも、これほどの真実はないなとも思ったわ。事実をそのまま書きすぎて、文学ではなくなってしまったのね」
「それを書いた人って戦前の人かしら」
 思わずそんなことを言ってしまう。
 今の日本で、本当の空腹を知っている人間がどれだけいるだろう。
「残念ながら、ここ数年の間に活動を始めた人よ。でも逆に、それだけ食が豊かになったということだと思うわ。なんてったって、ストレス解消の為に使う物になっちゃったんだもの」
「それで中華料理のバイキングに誘われちゃったのね、私」
「だって。量を食べようと思ったら、やっぱりバイキングじゃない? 私今、とてもネガティブなのよ。油っこいものを沢山食べないと、とても流せそうにないくらい」
 フンと息を吐き出した麗香がやっと箸を置き、椅子に背を預ける。隣の椅子に置いてあったイヴサンローランのバックから、一冊の雑誌を取り出した。
「知ってる? この雑誌?」
 腰を浮かせ、それを受け取る。
「月刊、アズ? ふうん」ページを繰りながら小首を傾げた。「知らないわねえ」
「あら。嬉しい」
 さして感情を込めず、麗香が言う。
「その途中の特集ページ。私も調べることにしたの」
「同じもの、を?」
「ええ。そう。同じものを」
 声を強めて麗香が頷く。
「私。そのアズの編集長の女、嫌いなのよね」
「あら、そうなの」
「そうなのよ」
「どうして?」
「どうして?」麗香は小さく笑う。「そうね。理由ならいくつでもあげられるわ。どれも、言葉にしてしまえば陳腐なことよ。エマちゃん、でもね、覚えておいて。私。醜い女は嫌いなの」
「醜い……女?」
「そう。恥を知らないとしか思えないような女。あの女を見ていると、女を否定されている気になるのよ。こんな女がいるから、こんな馬鹿な女が居るから。そういう意味で格好悪い女が居るから、いつまでも女は成長できないってね」
「そうだったの」
 友人として長いが、麗香がそれほど誰かを嫌いだと言ったのは見たことがない。むしろ逆に、そういうことには淡白な方だとずっと思っていた。
 けれど今、麗香の目は炎が吹き付けてくるかと思うほど激しい色を浮かべている。それは普段、クールに見える女の仮面がはがれた瞬間なのかも知れなかった。
 女はいつでも、男よりも多くの仮面をつけて生きている。それはシュラインも自覚している。本当に淡白なだけの女なんて、この世の中にはいないのかも知れない。居たとしたらそれはきっともう、女ではないのだ。しかしそれを自覚しないように、人に気付かせないように生きていくことは出来る。
「本能的に受け付けない。理由はそれで十分」
「そっか」溜め息と一緒に吐き出した。「じゃあ良い記事が上がるといいわね。私も、協力するわ」
「あげるに決まってるわ。私を誰だと思っているの」
 強い目で言った麗香は次の瞬間、ふうと息を吐き出した。腹の辺りをゆっくりとさする。
「気分、悪い」
「だから言ったじゃない」
 シュラインは苦笑した。



 待ち合わせの時間がすぐそこまで来ていた。
 このままでは絶対に間に合わなくなりそうだ。しかし龍ヶ崎常澄はそれほど気にしていなかった。何せ相手はあの、三下忠雄なのだ。ウダウダと泣き言を並べられるのは鬱陶しいが、キャンキャン吼える小型犬と思えばスルー出来なくもない。
 それよりも問題は、この興味津々な人々の視線だった。
「キミ。注目集めすぎだよ」
 常澄は隣を歩くルルに向かい、若干眉を寄せた。
「私のせいじゃないですよ」
 ルルが軽く答える。そして向かってくる視線を全く意に介さない素振りで、街中へと視線を馳せている。
 連れてこなければ良かったか、と常澄は小さく後悔する。けれどどんなに連れていかないと言ったって、彼女はついて来ただろう。我儘さと気紛れさだけは、常澄が召喚した悪魔の中でも随一だ。
 月刊アトラスという雑誌の三下編集者から連絡が入ったのは、昨日の夜のことだった。屋敷にたった一台だけ置いてある黒電話に連絡が入ったのだ。それを最初に受けたのが、ルルだった。
 常澄は自分の屋敷を召喚した悪魔達の住み処として、そしてそれを「悪魔の館」として一般人に公開し入場料を貰い生活しているが、彼女は以前に少しだけ、常澄がちょっとした用で出かける際、受付を任せたその日から甚く受付を気に入ってしまい離れなくなってしまっていた。そしてこともあろうに、黒電話はその受付に置いてあったのだ。
 彼女は電話の内容に興味を示し、相手は誰だと問い、どんなことを話していたのかと問い、ついには自分も行くと言い出した。
 ルルが最も人型に近い種族の悪魔であることを鑑みて許可を出したが、やはり街中では浮いてしまっている。どう見てもコスプレ狂の女か、さもなくば異星人だ。しかも、外人の。
 違う言語を喋っていても、外国慣れしていない日本人にしてみれば外人くらいに見えるのだろう。
「私もこの世界の言葉を習得したいわ。マスター、手伝ってくれます?」
「なんで僕が。勉強したいなら自分ですれば」
 ポケットに手を入れたまま素っ気無く言って、常澄は距離を取るように足を速めた。冷たさを含んだ秋の風が体を通り抜けていく。身を竦めた。寒いのは苦手だった。
「意地悪ですね」
 呟くルルを無視して暫く歩くと、三下との待ち合わせ場所であるカフェテラスが見えて来た。お洒落などという単語に興味はないが、とにかくその場所で三下は間違いなく浮いていた。他の席を埋めているのはほとんどが若い女性だ。その中で身を縮めるように背を曲げて、コーヒーをずずずと啜る三下の姿は笑ってしまうほどみすぼらしい。
「着いたよ」
 座った三下の横に立ち、呟くように言った。彼が顔を上げる。そして眉を下げた。
「やっと来て下さいましたね」
 やっとという単語に引っかかり、常澄は眉を寄せる。「大袈裟に言わないでくれる」
「早く行きましょう。もう一人合流することになってるんです」
 いそいそと鞄を抱き寄せ三下が立ち上がる。こんな猫背の男でも、自分より身長が高いのだという事実にいつも、常澄は疑問を感じずにはいられない。
 三下はカップの中のコーヒーを一気飲みし、店内の端に設置されているゴミ箱に捨てた。皆がやっているように歩きながら飲むという習慣はないらしい。
「じゃあ……って、あれ? そちらの方もご一緒ですか」
 ルルを見る。常澄は頷いた。
「僕が召喚した悪魔の一人だ」
「私の名前はルルです」ルルが身を乗り出し三下に笑いかける。「マスターは幽霊が怖くて苦手なので、私がお付き添いします。お力になれると嬉しいです」
「な? なんて? ぼ、僕に今、何か言ったんですか、この人?」
 ルルの言語を理解できず、三下が顔を向ける。
「言ってない。気にするな」
 常澄は憮然として俯いた。
「そんなことよりも。急がないといけないんじゃないの」
 その言葉に三下はそうだったそうだったと頷いた。
「急ぎましょう」



「なんだお前? チンドンヤにでもなったんか」
 三下の後に立つ女を見て、雛太は言った。
 案の定、耳が詰まったかのような感じがする。パチンコ屋の騒音から抜け出すと、周りの音がやけに小さく聞こえる。いつものことだ。
 耳をほじりながら三下を見やると彼はブルブルと首を振った。
「違いますよ。彼女は龍ヶ崎常澄さんの悪魔です」
「は、どういう意味?」
「えーっと。だから。そこに立ってる赤いコートの彼がですね。龍ヶ崎常澄さんなんですよ」
「おん」
「それで。えっと。その彼が悪魔、いえ。違う。えっと。その彼が召喚したのが彼女で悪魔なんですよ」
「は。意味わかんない」
「えっとだから、ですね」
「うん。全然わかんない」
「まだ何も言ってないですってば。ちゃんと聞いて下さい。いいですか。そこの彼女は」
 三下が手を翳しながら、要領の得ない言葉で二人の説明をする。要するにその龍ヶ崎常澄という青年が、特殊能力を使い悪魔である彼女を召喚したということなのだろう、とは、最初の説明で理解した雛太だったが、面白いので三下には続けさせておくことにした。彼を放って常澄へ近寄る。
「それで? お前のせいで遅れたわけ? それとも、コイツ?」
 ほとんど同じ位置に茶色い瞳を見て言った。彼はふっと俯きボソボソと言う。
「僕をジロジロ見るな」
「うわ。何コイツ。感じわるー」
 その時その隣に立っていた悪魔が身を乗り出す。
 彼女は意味の通じない言葉をマシンガンのように繰り出した。その勢いに押されいい加減に頷くも、自己紹介でもしているのだろうと勝手に片付けた。
「で、さあ。三下よ」
 小首を傾げながらまだブツブツと言っている三下の肩を叩く。
「え?」
「つかさ。コイツ居るなら俺、いらねえんじゃん?」
 三下に「今回の取材を手伝ってくれないか」と頼み込まれたのは昨日のことだった。貸していたゲームソフトをさっさと返せという催促の電話をしただけだったのだが、麗香の名前を出され結局協力すると言ってしまっていた。
「いやいや。人数が多い方がいいんですってば! ほら。相手、幽霊だし」
「麗香オネエも居ないんじゃん」
 わざとらしく辺りを見回してみる。
「いや。まあまあ。でもこれで特ダネを掴めば麗香さんも喜ぶこと間違いなしですから!」
「オマってさ。結構、姑息だよな。っていうか、小癪だよな」
「この世界を生き抜く為に身につけた手です」俯いた三下はボソボソとそんな言い訳をしたが、次の瞬間には雛太の耳に「今度。驕りますから」と囁く。
「はいはい、それでお前の愚痴を聞けってか」
「僕は愚痴りません!」
「じゃあ今度ビデオ録っといてやんよ。お前もう、涙ダラダラ流して愚痴ってっから」
「シー!」
 口元に人差し指を立て、わけのわからないフォローを入れた三下が、仕切りなおすようにパンと手を叩く。
「じゃあ。えっと。さっきも言いました通り、こちら赤いコートの彼は龍ヶ崎常澄さんです。はい、よろしく。その隣がルルさんです。はい宜しく。そしてこちら。顔は可愛いのに怖いことを言う彼は、雪森雛太さんです。はい、宜しく」
「お前、本当に普通に燃やすぞ?」
「じゃあ。今日はこういう感じで行きましょう。はい。では廃校、幽霊ツアーへご」
「僕も行く!」
 突然背後から声が降ってきて、雛太は振り返る。
 そこに、さきほど隣に座っていた奇妙な男が立っていた。



「ごめんなさいね。今日来るって聞いてれば、出かけなかったんだけど」
 お茶を差し出し言うと、安岡は困ったように眉を下げ頭をかいた。
「いや。僕も悪かったんだ。ちゃんと約束しておけばよかったんだけど。急ぐ資料でもないって言ってたからね。いつでもいいかって。フラっと来てしまって」
「二人、大丈夫だった?」
 麗香に向かい、胸元から手品のように一輪のバラを差し出すシオンとそんなシオンを見つめるロウに視線を流し、それからまた安岡を見る。彼は益々困ったように眉を下げて苦笑した。
「う、うん。大丈夫だよ。いろいろ、楽しいお話も聞かせて貰ったしね」
 何か妙なことを聞いたに違いない。シュラインは舌打ちしたくなる。まさか二人に留守番を頼んでいる時に、自分の友人が訪ねてくるとは。しかもそんな日に限って武彦が急用で帰ってこれなくなるとは。
 携帯くらい鳴らしてくれればいいものを。
「ごめんなさいね」
 舌打ちの変わりに溜め息を吐いた。
「本当に。大丈夫だったから」
 彼はその温和な顔に、笑みを浮かべる。やんわりとしたその喋り方は、まさに国語教員のイメージそのものだった。
 安岡は都内の公立高校で国語教員をしている。
 今ではどちらが本業かはわからなくなってしまったが、興信所での手伝い以外にシュラインには翻訳家という仕事もあった。その職業柄文系の人間と知り合う機会が多く、安岡もそうして出会った一人だ。
 ただの国語教員としてだけではない、彼の知識の豊富さに時折連絡を取り合っている。
「じゃあ。資料。有り難く頂戴するわ」
「遅くなってスマンな」
「いいのよ。本当にいつでも良かったから。でもそうね。今日以外は」
 小さく言って肩を竦める。安岡が苦笑した。その目尻に優しそうな皺が刻まれる。
「最近、どう? 調子は」
「ボチボチ、相変わらずだよ」
「今の子って、余り国語なんかに興味を示さないものね」
「そうだな。いや、ある子はあるんだろうけれど。きっぱりと分かれるよね。好き嫌いがさ。昔はそれほど国語嫌いって子も居なかったんだけどな。あってもなくてもいいってくらいでさ」
「それもどうなの」
 シュラインは思わず苦笑する。
「相変わらず、一人なの」
「ああ。相変わらずだよ。でも僕も、子供達のことばかり考えてたら、もう三十六だからね。そろそろ彼女くらい作らないとね」
「教え子と結婚したりして」
「興味ないよ」
 お茶を啜り溜め息を吐く。
「じゃあ僕はそろそろ」
「もう?」
「いや。何か忙しいみたいだし」
 安岡はそう言って、武彦の椅子に座りぼんやりとパソコン画面を眺める麗香を見やった。
「忙しいっていうか。うーん。ちょっとね。今から取材に行くことになって」
「出版関係の人なんだね」
「そう。編集長なのよ、彼女。それでね。Y高校へちょっと。知ってるかしら。M区にある廃校になった高校なんだけど」
「知ってるも何も」高安は笑顔を浮かべた。「以前、僕が教師になったばかりの頃に勤めていた高校だよ。懐かしいなあ。でもまたどうしてあんなところに? 廃校に取材へ行くってのも珍しい話だ」
「カルト記事を取り扱う雑誌だからですよ」
「え?」
 いつの間にかパソコン画面から顔を上げていた麗香が、シュラインと安岡に向け視線を飛ばしていた。
「あ。ああ、そうなんですか」
「凄いわ、エマちゃん。これって瓢箪から駒って言うのかしらね。ちょっとあの学校のこと聞いてみましょうよ」
「え?」
「取材。させて頂いてもいいかしら? 安岡さん、でしたっけ。お時間、あります?」
 麗香に見られ安岡は、困ったようにシュラインを見やった。
「取材って言っても。思い出話くらいしかありませんから」
「だ、そうよ。どうするの。麗香さん」
「思い出話だけでも聞けるだけありがたいわ」
「ですって、安岡さん」
「困ったなあ」
 安岡の言葉を聞いているのかいないのか、麗香はバックから携帯を取り出した。
「三下に連絡を取ってみるわ。あの子今丁度、その廃校調べに行ってるハズだから。噂が本当だったらそのまま帰りにここへ直行して貰いましょ」
「噂?」
 安岡がシュラインに問うた。
「そう。開かずの間の噂があってね。それを調べることになったんだけど」
「開かずの、間……」
 安岡の声と被るようにして、麗香の舌打ちが聞こえた。
「全く使えないわね! どうして電波が届いてないのよ。こんな時に!」
「私が。お呼びしてきましょうか?」
 言い出したのは、麗香の隣でナイトのように立っていたシオンだった。
「呼んでくる?」
「はい。レーディ〜がお困りの時にお助けするのは、ジェエーントルマーンのお仕事ですからねえ」
「あ、ああ。まあ。どっちでもいいけど。本当に呼んでこれるなら有り難いわね」
「呼んでこれますとも!」
 シオンはドンと自分の胸を叩いた。
「私にお任せ下されば、どんな悩みもたちどころにズバッと解決! さあ! レディ〜。どうか一言。私に、私目に、お任せすると!」
「ふうん。ま、運が良ければ三下に逢えないこともないだろうしね。よし、じゃあ、アンタに任せるわ。そこまで言うなら連れて来なさい」
「あの男性は、劇団の人?」
 思わずといった風に呟く安岡の横顔に、シュラインは言う。
「あの人のことは考え無い方がいいわ。答えなんて出ないから」
「よし! では姫の望みをかなえに行こうぞ! ロウくん。行きましょう!!」
「はい! ハイさん師匠!」
 師匠? いつの間に二人はそんな関係になったのだろう。
 まあ確かにオトボケコンビで気が合うのかも知れないが、オトボケがコンビになるときっとドジも二倍になるのだ。
 ダバダバと慌しく部屋を出て行く二人の背中に、本当に大丈夫かしらとシュラインは不安になった。



「だからさ。何でついて来てンの」
「僕は逃亡中の身なんだ」
「逃亡者が優雅にパチスロかよ、ふざけろよ」
 先頭切って歩きながら、雛太は隣の男に文句を垂れる。
「だって。木を隠すなら森の中へって言うだろう。人の多い場所だったら見つからないと思ったんだ。そもそもあいつら、僕がパチンコ屋に入るなんていうデータ持ってないハズだし。それにね。君はとっても強そうだから、守って貰えるかも知れないという考えもある」
「悪いけど絶対守らないよ。マジで」
 雛太が言い切ると隣の男は唇をツンと尖らせた。
「守ってくれるよ。信じてるもん」
「ご勝手に」
 溜め息と一緒に吐き出して、雛太は背後を振り返る。数メートルほど開いた先に、三下、常澄、ルルの三人が居た。入ったのは同時だったのに、いつの間にか偉く距離が空いている。
「おーい! こらあー! 何やってンだ、三下あ! テメーが地図持ってンだろお。このまま真っ直ぐでいいんかよー」
「はーい。そうですう、真っ直ぐですう!」
 意外と元気な声が帰って来た。
「ちょっともう。んな声が出るんだったらもっと早く歩けよ!」
「僕じゃなくて常澄、痛ッ」
「ああん?」
「い。いええー。なんでもありませんー!」
 フウと雛太は溜め息を吐く。このままこの男と歩いて行っても仕方ない気がしたので、そこで立ち止まって皆を待つことにした。
 暫くして追いついた三人を見て、雛太はあることに気付く。
 常澄の膝がガクガクと震えていた。
「なにオマ、怖いの? 膝笑ってンじゃん」
 小さく笑うと、茶色い瞳が自分を睨みつけてきた。
「誰に言っている。お前の目は節穴か」
「おまえー」雛太はヒヒヒと嫌な笑い声を立て常澄の肩を抱いた「悪魔とか召喚しちゃうくせに、幽霊怖いってかあー!」
「聞こえない」
「俺でもそんなに膝笑わないぜえ」
「煩い!」
 雛太はまたヒッヒッヒと嫌な笑い声を立ててやり「サンシタちゃうくて、常澄かあ!」と大声で言った。
「サンシタって言わないで下さいよ!」
「僕は別に怖がってなどいない」
 二人が同時に批難の声を上げる。
「じゃあ。一人で歩いてみるかね?」
「そんなに虐めちゃ可哀想だよー」
 隣の男が口を挟む。
「僕は可哀想なんかじゃない」
「大丈夫だよ。怖くないからね」
「僕を子ども扱いするな」
「じゃあさあ。三下さあ。とりあえず地図だけくんね? 俺がパパッと見てパパッと調べてきてやんよ」
 常澄を指差す。「怖がりさんと? 麗香オネエの為に」
 その手を叩くように手を伸ばした彼から逃れ、雛太はヒョイっと体を裏返した。
「あ。僕も行くよ!」
 三下に貰った地図は、雑誌の一ページのようだった。それは余りに簡略的に書かれており、問題の開かずの間の位置は良く分からないが、自分の分析力を持ってすれば大丈夫だろうと雛太は自画自賛する。
 さきほど居た三階から階段を一つ上がり、廊下に出た。ネームプレートの殆んどは朽ち果て埃を被り判別がつかない。まだ真昼間だというのに校内は、妙に薄暗かった。
「ね。ねえ。何か。鳥肌、立たない?」
 隣の男が雛太に張り付いた。それを肩で押しやってやる。
「何オマ、ビビってんの」
「違うよ。何か……この階に来た途端。ほら見て。鳥肌」
 自分の服の袖を巻くり上げ雛太に突き出す。
「えー。怖いと思ってンからじゃーん?」
「僕は。ほんの少しだけだけど霊感があるんだ。うん、見えないけどね。感じるって感じくらいで」
「はいはい」
「ホントだよ」
「もういいって」
 距離を取るように素早く歩く。しかしそれにぴったりとついて歩き、隣の男は「ねえねえ。本当だよ。本当なんだってば」と妙に神妙な声で囁いてくる。
 幽霊やら悪魔やら妖怪やら。そんな物を雛太は微塵も信じていない。それに呪い殺されるだなんてことも、常々考えているわけでもない。
「何、俺をビビらせて怖がらせようとしてんのか」
「そ。そんなことないけどお」
「怖いとしたらオメーだよ。意味わかんないし、俺について来るつって聞かなかったし。どっちかっていうとお前が突然刃物とか突き出してくんじゃねーかって。そっちの方が怖いって」
「そんなことしないよお。僕はただ逃げてるだけなんだからさ」
「何からだっつの」
 やれやれと溜め息を吐き、廊下の突き当たりにある教室の前で立ち止まった。
「ここだわ、多分」
「うううう。鳥肌が」
「それはもういい」
 雛太は足を踏み出し扉を開けようと力を込める。しかし扉はビクともしない。噛み合わせが悪いのかと今度は少し蹴ってみて両手で力を込める。
 やはり扉はビクともしない。
「駄目だわ。全然開かない」
「もう帰ろうよー。駄目だよー。何か変なの居るよー絶対ー」
「ホンっと怖がりだな、お前ってば」
 しかしまあ、調べることは調べたし、ここにもう用がないことは確かだ。後はこの報告を得て、麗香の指示があれば、動いてやろう。
「じゃー。けーるべ」
 そして身を翻した時だった。
「許さ……ない」
 地響きのような声が言う。
「え?」
 思わず隣の男に視線を向ける。
「ぼ。僕じゃないよ」
「僕を……この部屋から出そう……するもの……許さない」
「な。なんだよ」
「ぎゃああ!」
 その時突然、隣の男が悲鳴を上げる。心臓が鷲掴みにされたかと思うほど雛太は驚き、体を飛び上がらせた。
「ちょ。ちょっと。んだよ!」
「今。今、天井から」
 隣の男はそう言って、自分の鼻先を指で撫でる。そしてそれを見て「あああ!」とまた悲鳴を上げた。
「血、血、ち……」
「血ィ?」
 差し出された手を覗き込み、雛太はプッと吹き出した。確かに彼の手は濡れていたが、それはただの透明な液体。つまり、水だろう。
「おまえって本当オーバーだな」
「アツ!」
「え?」
「熱い熱い!」
 突然わけのわからない叫び声を上げた隣の男は、手をバタバタと振り顔についた液体もろとも振り払う。鼻を押さえ、泣きそうな声で呟いた。
「さ。酸」
「サン?」
「硫酸!」
「ええええええ! ちょ、オマ。見せてみろ!」
 無理矢理手を引き剥がし、鼻を見ると確かに赤く爛れている。ほんの小さなスペースだったが、これが自分だと思うとぞっとしない。
 雛太は勢い込んで天井を見上げた。じわりじわりと染み出すように、天井から雫が落ちてくる。
「チッ」
 わけがわからないまま隣の男の手を引きその場から少し動いた。
「ヤな学校だなおい。普通硫酸が天井から降ってくるか」
「普通なら降ってこないよ!」
「だよね。チキショウ」
 フウと溜め息を吐き、壁に背を預ける。
「ん?」
 背中に妙な違和感を感じ、雛太は背後を振り返った。そして目を見開く。
 自分が持たれていた壁の一部が、突然風船のようにプウと膨らみ始めたのだ。メリメリと音と立て、ドンドン膨らんで行く。
「ど。どういう」
「破裂しちゃうよ!」
 隣の男に手を引かれ、雛太は走り出す。
 耳を塞ぎたくなるような破裂音がして、壁の物と思われる破片が飛び掛ってきた。思わず足を止め、身を丸める。
「いた。イタッ!」
 鋭い痛みを感じ、見ると細かい破片が腕に突き刺さっていた。
「しゃ。シャレになんねってば!」
 叫び声を上げた鼻先に、ポタリと雫が落ちてくる。
「アチ!」
「あああ。大丈夫?!」
「大丈夫じゃねえ!!」
 泣きそうに裏返った声をあげ、雛太は自分の鼻先をパタパタと振り払う。
「ね。ねえ!」
「あんだよ!」
「か。壁がまた膨らんでるよ!!」
 指を差した隣の男の手にも、硫酸が落ちてくる。上を見ると、先ほど一番最初に硫酸が落ちて来た地点から、まるで雛太たちを追うかのように硫酸の雨は進んでいた。
「こ。こりゃあ。幽霊の奴、本気だ」
「殺されちゃうよー!」
「と。とにかく階段を下りようぜ」
 階段の手前まで来たところで、三下と常澄、そしてルルの三人が息を切らしながら駆け出してくる姿が見えた。
「こっちに来るな!」
「え!」
「硫酸が!」
「壁も!」
「僕達も追いかけられてるんですよーーー! 変な手にー!」
 三下が絶叫する。
「手?」
 問い返して近づこうとしたその時、雛太は顔面に強い衝撃を受けその場に蹲る。
「イッ」
 目から、火花が散った。
「たあああああ! なんだよ!」
「ガラス」
「ああ?!」
「僕等、閉じ込められてるよ」
 隣の男はパントマイムのように自分の前の空間を手で押さえ、呆然と、言った。



「雛太さーん!」
 シオンは立ちはだかる廃校校舎の窓に向かい、声を上げた。
 興信所を出た二人は、麗香に教えられた通りY高校の前へとやって来た。そして今、朽ち果てた門クリアーし、4つほど建つ校舎の一番右奥に建つ校舎の前に立っている。
 それも麗香に教えられた通りだった。
「あれえ? いらっしゃらないんですかねえ」
 ロウが隣で小首を傾げる。しかしシオンは表情を強張らせ身を竦ませた。
 今、絶対悲鳴が聞こえた。
「じゃあとりあえず、中入ってみましょっか。師匠」
「え! ロウくん入るのですか!」
「だって入らないと……三下さん? っていう人、連れていけないじゃないですか」
「ま。まあ。そうなんですけど。い。今、聞こえませんでした? 悲鳴」
「悲鳴?」ロウは首を傾げてから柔らかく笑った。「なに言ってンですか! いやだなあもう。僕を怖がらせようとしてるんですね」
「ち。違いますってば。本当に悲鳴が」
「その手には乗りませんからね」
 一人でうんと頷きロウがシオンの腕を掴む。
「僕は負けない。よし! 師匠! 行きましょう!」
 その横顔を、この時ばかりは頼もしいと感じてしまう。腕を引かれるようにして、シオンは校内へと足を踏み入れた。
 人の気配のない学校は驚くほど不気味だった。以前はここに、子供達が通っていたとは到底思えないほど陰鬱な空気が漂っている。外は健全な真昼間なのに、廊下は異次元空間のように薄暗く、朽ち果てた校舎からは、湿ったような嫌な匂いがした。足を踏み出す度、床は軋み、その音は廊下に反芻して妙に自分達以外の誰かの足音にも聞こえてしまう。そんな状況で怖いことを考え無いようにしようとしても、映像は頭の中で勝手に浮かび上がってくる。
 髪の長い女の幽霊。目だけをギョロンと剥き、テレビから出て追いかけてくるのだ。それはいつだったかテレビで見た幽霊だった。
「わー! おじさん。怖い!」
 シオンは妄想を追い払うかのように頭を振る。
「ビビっちゃ駄目なのです〜。幽霊はビビった奴の所へ来るんですう〜」
 自分を励ますためにそんなことを呟いてみたが、全く励ましにはならなかった。もしかしたらこの校舎内で自分が一番ビビっているのではないかという事実に気付いてしまったからだ。
「わああああああ。どうしよう! ロウさん! どうしましょう! 早く貴方もビビって下さい!」
 ロウの腕に縋りつき、シオンはジッタバッタする。
「わわわ。どうしたんですかハイさん! ああ、泣かないで泣かないで」
「おじさん。怖い、怖い」
「大丈夫ですってば」
 半ば引き摺られるようにして階段まで辿り着いたシオンは、ロウの腕に掴まりながらそれをゆっくりと上がって行く。階段を上がりきり二階の廊下へと辿り着くと、シオンはその場でヘナヘナと倒れこんだ。
「も。もう怖くて歩けません!」
「そんな。ちゃんと立って」
「もう帰りましょうよ!! 私、嫌です、もおお!」
 尻を地面に擦りつけ、嫌だ嫌だと顔を振る。
「仕方ないなあ」ロウは困ったように眉を下げた。「じゃあ、帰ります?」
「はい!」
 シオンは勢い良く立ち上がり「さあ、行きましょう!」とロウの腕を引いた。
 今上がって来たばかりの階段を下り、出口へ向かう。
「あれ?」
「え?」
 二人は同時に声を上げていた。
「今、階段、下りましたよね?」
 そこにはまた下りの階段があった。階段を昇ったのは一度だけで、ともすればそこに階段がまたあるのはとってもおかしい。
「な。なんでなんでしょう」
「とにかくもう一度降りてみませんか」
「そ。そうですね」
 二人はまた階段を下りる。するとまたそこに階段。
「えええええええええええええええええ」
「異次元とかに紛れ込んだんじゃないんでしょうか!」
 ロウが声を上げる。シオンはもう一度「ええええええええええええ」と絶叫し、顔を覆った。
「やだやだ。こんなところから出られなくなるなんておじさん嫌だあ」
「閉じ込められたかも知れません……困ったな」
「ぎゃああああ!!!」
「ど。え! シオンさ」
 シオンはロウの声を振り払い、怒涛のように走り出した。
 冷たい手に首を撫でられた。
 風なんかじゃない。あれは間違いなく人の手だ! 人の手のような確かな質量を感じ取ったのだ。
 この場所に幽霊は居る! 絶対居る!
 出してくれ出してくれ出してくれえ。シオンは祈りながら、涙を零しながらとにかく走った。
 階段を下り、そして下り。
 踊り場でロウの姿を見つけてはまた下りた。意地になっていた。
「どう。どうなってんですか。もう、いや、だ」
 とうとう息を切らし、シオンはその場にへたり込む。
「ハイさん」
 座り込んだシオンの元へ、ロウが駆け寄って来た。
「さっきからずっと。階段下りたと思ったら。その上からハイさんが下りて来て……」
「閉じ込められたんですね。私達」
 絶望を込めて、シオンは呟く。
「あ。ハイさん!」
 その時妙に明るい声で言い、ロウがシオンの肩を叩いた。
「あれ、見て下さい。あれ! 人が居ます……ん? 顔、だけ」
 小首を傾げているロウの隣でシオンは絶句する。
 喉につまり、声が出ない。腰が抜けて、立ち上がることも出来ない。
 ロウが指差す廊下の先に、正しく人の顔が浮かんでいた。
 体はない。首から上だけの丸いものが、こちらに向かいふわふわと近づいてくる。
「ハイさん。あれは何ですか?」
「だ。だだだあだだだだだ。だから! ゆ。ゆゆゆゆゆゆゆ幽、れ! きゃあああああ」
「ハイさんハイさん。落ち着いて」
「ロウ君はあれが怖くないんですか!」
「だって。僕が怖いのはイタイのだけだから……」
「近づいてくるう!!」
 腰を抜かしてしまい歩くことすら出来ないシオンは、ズリズリと体を引きながら幽霊から逃げた。
「大丈夫ですよ。たかが顔です」
「ロウくーん!」
 思わずその体へ必死にしがみ付く。
「怖いよ。怖いよ」
「は。ハイさん?」
 突然ポンと後から肩を叩かれ、シオンは「え?」と振り返る。そして自分の腕の中にあるものを見た。
「ぎょええええええ!」
 それは腐りかけの人間の死骸を思わせた。
 いやな弾力を持った肉片からは悪臭が立ち上り、覗いた骨の隙間からは得体の知れない軟体動物がうねうねと昇ってくる。
「わああああああ!」
 シオンは慌てて両手を離し、万歳の格好をした。しかしそれはグチャグチャとした手でシオンの体をしっかりと掴み離れない。
「ロウさん! ロウさん!」
「ハイさん!」
 脇に力強い手を感じ、そのままぐいっと引き上げられる。
「ロウさ。死体が! 死体が!」
「え?」
 そしてまた自分の足元を見ると、それは消えていた。



「何か。こう。歩くというのも怖いですが、じっとしてるというのも怖いですね」
 そう言った三下が常澄の顔を見やってくる。眼鏡が妙に光り、その顔はこの場所で少し、恐ろしい。
「だったらキミだけ行ってくればいいだろう」
 窓枠に背を預け、常澄は素っ気無く答えた。
 ここに入ってからずっと、膝が小刻みに震えている。怖くない。怖くない、と言い聞かせても、そう思えば思うほど怖い映像が頭の中に入り込んでくるのだ。
 今歩き出したら突然床に真っ黒な穴が空いて、その中で血みどろのオバケに延々纏わりつかれるのではないか。そこにたった一人で閉じ込められてしまうのではないか。
 常澄は寒さのせいではなく身震いする。
「まだかなあ。早く帰ってこないかなあ」
「私、詰まらないわ。どうして一緒に行かなかったんですか」
「だったらキミだけ行けばよかっただろ」
 唇を尖らせるルルに、憮然として言い返す。
「幽霊って何? 私、見てみたいわ。マスターがそんなに怖がるものならば」
「シ!」
 常澄は思わず慌ててルルの口を塞ぐ。
「滅多なことを言うな! 聞かれたらどうする」
「何をぐちゃぐちゃ喋ってらっしゃるんですか。僕も混ぜて下さいよォ」
「許さ……ない」
「え?」
 眉を寄せた三下が常澄の顔を見た。
「ぼ。僕じゃない」
「僕を……この部屋から出そう……するもの……許さない」
 声は地鳴りのように響き、床から這い上がってくるようだった。
「な。何……」
 ルルの口を押さえていた手から力が抜ける。
 可能性はたった一つ。常澄はその、恐ろしいたった一つの可能性に行き当たった。
「マスター。これは何の音ですか」
「ちょ。ちょっと黙って!」
「お。オバケ!」
 三下が裏返った声でその名前を口にした。
「そ。そういうことを口に出す」
「オバケだ! オバケだ! わー。わー。どうするんですか!」
 口元を押さえ、オロオロとする。
 自分だって怖いのに、どうするんだと言われてもどうすることも出来るはずがない。
 どうしよう。同じ言葉を常澄も、胸の中で繰り返す。
「わあああ!!」
 唐突に上げられた声に体を震わせる。
「なん」
「あああああああ!」
「あ、あ」
 三下の足元にあるものが信じられず、常澄は言葉を発せない。
 人の手だ。人の、手首。
 それがしっかりと三下の足首を掴んでいる。
「そ。それ」
「わああああ! とって下さいよ! とって下さいよ!」
「近寄るな!」
 足首に手を巻いた三下が近づくたびに、常澄は後退る。怖いものは見なければいいのだろうが、怖いものに背を向けるなどということはもっと出来そうになかった。
 もしも背を向けた瞬間に、自分の首元にでも巻きついて来たらどうする。
 三下は暫く、手を巻きつけたままへっぴり腰で歩いていたが、突然何かに躓いたかのように、その場へバタンと倒れこんだ。
 手に足を引かれたらしい。
「イタタッタタタ」
 鼻先を思い切り打ち付けたらしく、ゴキッと嫌な音がした。
 しかし常澄は、その背後の光景に目を見張らせていた。
 何十という手が三下の背後に迫っていたのだ。
「手、手!」
 指を差すが彼はそれどころではないようだった。自分の足を押さえ、手を剥がそうと一生懸命になっている。みるみるうちに手が三下の足首を締め付け、キシキシと嫌な音が漏れ出した。
「イタイ! イタイ!」
 その絶望的な光景に、常澄は頭を抱えた。体の力が抜けていき、その場にしゃがみ込む。
 見栄も外聞もクソくらえだった。
 どうしよう。怖い。怖い。怖い。怖い。
「マスター。しっかりして!」
 突然頭に衝撃が走る。
「どうしたの!」
 ルルがキッと目を吊り上げて大声を上げる。彼女だけは事態が飲み込めないというパニック以外に、恐怖というものを感じてはいないようだった。
「あれは手なんだ。人の手だ」
「だから? 手ならマスターも持ってるじゃない」
「そういうことじゃない! あれをあれを」
「んもう! ルル、全然わかんない!」
「三下の足に巻きついている手をはがすんだ。そして、逃げるんだ!」
「フン」彼女は小さく肩を竦めた。「分かったわ」
 彼女は三下の元へ駆け寄ると、手首を剥がす作業に取り掛かった。しかし思いのほか力が強いらしく、歯を食いしばっている。
「いた。イタタタタ、やさ。優しく!」
「取れた!」
 彼女の声と共に、ベリっという嫌な音がした。三下の足から血が噴出す。
 服と共に彼の皮膚が剥がれたのだ。
「ひいいい!!」
 足を押さえて三下がその場をのた打ち回る。
「に。逃げ」
 二の句が告げない。
 あのゆっくりとこちらに迫ってくる手に掴まってしまったら。
 自分も体中の皮膚が剥がれ……て。
「あれ。消えちゃった」
 ルルはさきほどまで掴んでいた血まみれの手がなくなってしまったことが疑問なのか辺りを見回し、それから肩を竦めた。
「じゃあ。階段を上りましょうか。マスター」
 彼女の声だけが妙に落ち着いている。


002




「もう。何つーか。俺は勘弁だね。二度とね」
「私だって嫌ですよ! 私なんか顔だけの幽霊にかぶりつかれて!」
「もう。ハイさん死んじゃったかと思いました!」
「びっくりだよ。硫酸降ってくるわ、ドアは破裂するわ、ロッカーは倒れてくるわで。もうホント、最悪。マジ怖かった」
「怖くないんじゃなかったの」
「あんだと?」
「誰かさんは僕のことを弱虫よわばりして、偉く自信満々だった」
「オマエな! そんなん言うならあれを体験してみろ!」
「体験したいのは山々だけどね。あいにく、もうあの廃校に行く必要性はない」
「途端に強気だな、コンチキショウ」
 アトラス編集部の片隅で、さきほど廃校にて被害を受けた数人の男子が手当てを受けている。彼等はあちらこちらを擦り剥き、火傷し、あるものは骨折し、散々な姿だった。
 どんなことをすればこんな事になるのか。
 彼等は口々に惨事を語ったが、どれも要領を得ないものだった。
「彼はうちの学校で虐めに逢っていた生徒です。六年ほど前の、話です」
 安岡の声に戻され、シュラインは彼へと視線を戻した。
「あなたがたに開かず間と呼ばれているあの部屋は、以前は僕の。国語教員の準備室として使われていた部屋でした。彼は、良くその部屋へ遊びに来てたんです。僕はその時。彼が虐めに合っているなんてこと、知りませんでした」
「ふうん。それで、知ったのは何時のことだったの?」
「彼が亡くなってしまってからです。自殺でした」
「死んでから、ねえ」
 メモを取りながら、麗香が呟く。
「教師は。虐めに負けては駄目だ、と。そう。教えていました。きっと彼の親御さんも、そう教えてらっしゃったのでしょう。葬儀の日に、そんな話を聞きました。もちろん。嫌なことがあるからといって逃げていては人間は成長できないでしょう。けれど……逃げ道だって必要なんですよね。彼は一日も休まず高校へ来ていました。そして、卒業式が終わった次の日。自宅マンションの屋上から飛び降りて自殺したんです」
 シュラインはその言葉に、廃校で見た顔のない少年幽霊の姿を思い出していた。急いで階段を駆け上がったシュイラン、麗香、安岡の三人の姿を見つけ、少年幽霊は悲しそうに一言呟いたのだ。
「無念だよ」
 そしてねじれる空間へと飲み込まれて行った。
「あの場所にこもるのは多分、貴方を尊敬してたからよね。尊敬してる人に自分の浅ましい姿を見られるなんて、って、考えたのかしらね。あの幽霊くん。先生が居てよかったわ。居なかったらあそこに変死体がいくつか転がってたことになるんですもの」
 麗香が編集部の端に蹲る彼等に視線を向ける。
「彼等を救えたことは本当に良かった。でも……同じように僕は彼を。薫くんを。助けてあげられなかったんですよね。彼は僕にとって、沢山居る生徒の中の一生徒でした。それだけでした。でも僕が。もっとちゃんと彼のことを考えてあげていれば、彼は死ぬことなんかなかったかも知れません」
「なるほどねえ。じゃあ。開かずの間の真実って。虐めを苦にして自殺した少年幽霊ってことかしらね」
「彼はまだ、若かったのに」
 沈んだ声で安岡が呟く。



「なあ。ところでさ」
 雛太は隣の男に向かい言った。
「お前って。何から逃げてンの」
 彼は少しだけ悲しそうに笑い「ネズミ捕りだよ」と言った。
「ネズミ捕り? は? テレビゲーム?」
「鬼ごっこ。みたいな物だよ。ジャンケンでネズミ組とネコ組を決めてさ逃げたり追いかけたりする遊び」
「ああ。ネズミ捕りつーんだ? そういえば俺らん時もあったな。警察と泥棒でさ」
「始めは他愛もない遊びだったんだ。でもある日、鬼ごっこは鬼が一人で皆を捕まえなきゃいけないだろ? 不公平だと思わないか、って言いだしたヤツが居てさ。だからネズミ捕りは、逃げる人間を一人にしないか、って」
「なんか。生々しい、な……」
「そしていつからか。僕はネズミになっちゃった」
「それでパチンコ屋かよ。え? じゃあお前、幾つなん?」
「18?」
「ギリギリじゃん」
「しかも、卒業したばっかり」
「なんだよー。テメー。だったらもっと俺サマに経緯を、だな」

「……苛めっ子に捕まるとさ。口の中に唾を吐き入れられたり、殴られたりさ。するんだよねえ」
「え?」
「いやあ。今日は楽しかったなあ」
「そ、そう」
「僕は僕の力で僕の悪事を止めたかった。天使と悪魔とかさ、良心の呵責とかさ。そういうのって。本当にある人にはあるんだね。僕を虐めてた奴らにも、そういうのがあるのを願うよ」
「う、うん?」
「じゃあ。僕はそろそろ行くね。安岡先生に、宜しく」
「いや。お前、傷」
 隣の男は立ち上がり、そして、突然消えた。









END












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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 0086/シュライン・エマ (しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【整理番号 2254/雪森・雛太 (ゆきもり・ひなた)/男性/23歳/大学生】
【整理番号 4017/龍ヶ崎・常澄 (りゅうがさき・つねずみ)/男性/21歳/悪魔召喚士、悪魔の館館長】
【整理番号 3356/シオン・レ・ハイ (しおん・れ・はい)/男性/42歳/びんぼーにん(食住)+α】


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■         ライター通信          ■
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こんにちは。
 開かずの間 にご参加頂きまして、まことにありがとう御座いました。
 ご購入下さった皆様と
 素晴らしいプレイングやPCをお任せ下さった皆様の懐の深さに感謝致します。


 それではまた。何処かでお逢い出来ることを祈りつつ。
                       感謝△和  下田マサル