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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


街灯の手首


------<オープニング>--------------------------------------


 書いたことが、真実になるんだ。
 シュンはその恐ろしい自分の思いつきに、体を強張らせる。

×

 朝のニュースではほぼ全ての番組が、揃いも揃って昨日の夜、Y街道の街灯に縛り付けられた手首のことを報道していた。Y街道と言えば、舗道には手入れされた街路樹が連なる、普段は落ち着いた雰囲気の美しい街道だ。交通量はさほど多くなく、けれど少なくもない。
 一時間に三本ほどのペースで大型バスが通り過ぎ、舗道の脇には花屋や美容院などが建ち並んでいる。
 そこに建つ、洒落た街灯がニュースの主役だった。
 付近に住宅は余りなく、辺りの店が閉店する深夜ともなればY街道は暗闇に包まれる。そこで建設されたのが、フランスだかイタリアだかの街道をモチーフにした街灯だった。
 黄色い光りを落とす街灯は、夜見ると幻想的な景色を作り出す。
 しかしそこに、アンバランスな物が針金で縛りつけられていた。人の、手首だ。いや、実際に人間の物かどうかは麗香自身見ていないので知らない。
 昨日、アトラス編集部で取材に出ていたアルバイトからの電話を受け、麗香は今回の騒ぎを知った。
 そのアルバイトも野次馬で遠目に見ていただけなので、詳しいことは知らないようだったが、一先ず麗香に連絡を入れておこうと思ったらしい。
 それは、中々に懸命な判断だといえる。
 月の半分は帰っていないかのような自宅マンションの一室で、麗香は出勤前の朝の一時を過ごしている。開いた英字新聞の隙間から、液晶テレビへと渋い目を向けた。
 興味本位でいろいろな推測を重ねる報道内容には聊かうんざりとするが、お陰でこの騒ぎは、かなりの人間の興味を引くことになっただろう。もしも自分が真実に辿りつけば、雑誌の売り上げ部数は爆発的に伸びる。
 カルトに興味がない人間も、月刊アトラスを手に取ることになるのだ。
 当然、同じことを考え、ライバル雑誌である月刊アズの連中も食いついてくるだろう。
 しかし。
 麗香は聊か乱暴な仕草で新聞を折りたたむ。
 真実を掴むのは、この私であり、月刊アトラスなのだ。
 街灯に縛られる手首の真実。私が絶対、記事にしてみせる。
 麗香はぬるくなったコーヒーを飲み干し、出勤の準備に取り掛かる。


--------------------------------------------------------


001



 夕暮れの風に、温かさはもう微塵も感じられなかった。
 駅へと続く広く長い道が続いている。コンクリートは夕日に照らされ、黄金色に輝いていた。そこに伸びる五つの長い影。それらは全て、共に今しがたまで部活動に励んでいた友人達の影だった。
 葉室穂積は肩からずり落ちていくナイキのバックを、もう一度ちゃんとかけなおした。冷たい風が体を通り抜けていく。先ほど拭き残したと思われる汗が、首元で冷たく、その存在を主張した。
「もーすっかりサミィなあ」
 コンクリートに伸びる影を眺めたまま、穂積は誰に言うでもなく呟いた。
「そうッスね! サミィっスね!」
 元気な返事が返ってきて、穂積は真隣を歩く彼に顔を向ける。小麦色の顔をした小橋は、秋や冬という言葉が余りにも似合わなかった。
「なんか。お前が言うと全然寒そうじゃない」
「いや、全然。サミィっすよ、ホント!」
「うーん。何か。小橋でも寒いのかって考えるともっと寒くなる気がする」
「マジっすか!」
「うん」
 穂積は小さく頷き、身震いする。
 小橋は弓道部の後輩だった。弓道部に入って一年、何が何だかわからないままに日々を過ごしていたら、いつの間にか自分が先輩になっていた。しかし穂積は、この後輩というものの扱い方に未だ馴染めずにいる。えばるのも、可愛がるのも、されるよりする方が何倍も難しいのだということを知った。だからとにかく、不器用な自分にはとても扱えないものだと覚えることにした。
 自分は自分で後輩も先輩もあんまり考えたくない。だからある時はいい加減に、そしてそれすらも含めいつでも葉室穂積であるようにしていたら、いつの間にか小橋という男が傍に居た。
「ところで先輩。今日の朝、見ました? ニュース」
「ニュース?」
 いい加減な返事を返した穂積の後ろから、弓道部の友人が会話に入り込んでくる。
「見た見た。手首のヤツっしょ」
「手首?」
「なん穂積。オマエ、見てねえの」
「俺は基本的、朝、テレビ見ない主義」
「カッコ良く言っちゃってェ。時間ないダケだろォ?」
「自分あれ、ナマで見ちゃったンすよ〜」
 小橋が得意げに言い、胸を張った。
「ナマって。え? ナマ?」
「ナマっすよ〜、昨日の晩スよ。ヤバかったっすよ〜」
「マジ?」
「っていうかちょっと待って。俺、全然話わかんないンだけど」
 友人の肩を押し退ける。
「手首って何さ」
「テレビ見てないオメーが悪ィな」
 からかうように言われ、穂積はチッと舌打ちした。
「教えろよォ」
「夜のニュースでやるんじゃん?」
「夜まで待てない!」
 言い出したのはそっちなのだから、ちゃんと説明してくれよと穂積は思う。
 街灯と手首。一体どんな関係があるのだろう。考え出すと気になって仕方がない。
「教えろって」
「ヤだね」
 友人達は何やらとっても得意げに笑いながら、駅構内の中に入っていく。学園の生徒や教職員、訪問者や関係者以外は、ほとんど使う用のない駅の中は閑散としていた。
 人気の無い自動改札を抜ける友人の背を追い、穂積も定期券を差し込もうとする。そこで突然腕を引かれ小さくよろけた。
「すンません」
 小橋だ。
「あんだよ」
「つか、先輩。あのォ。じゃあ。一緒に、見に行きませんか」
「見に行く? 何を?」
「街灯に縛られた手首ッスよ」
「は?」
「いや。今。先輩らが話してた」
 そこで小橋は体制を低くし、チョイチョイと手招きした。
 眉を寄せながらも顔を近づけてやると、「実は。俺。秘密の場所知ってるンす」と彼は囁く。
「秘密?」
 まるで宝の地図を発見したかのように瞳を輝かせた彼は、「秘密ッス」ともう一度言う。



 その女を醜いと言った麗香の言葉が、シュライン・エマの脳裏を過った。
「ねえ。ヤな女でしょう」
 扉が閉じられた途端、麗香が呆れたように言う。
 シュラインは「どうかしら」と言葉を濁し、肩を竦めた。
 応接室のガラステーブルは、編集部にあるものよりも格段に磨き上げられていた。そこに影を落とすティカップを手に取り、口へと運ぶ。
 麗香がいやな女だと言ったその彼女のことを、シュラインが小耳に挟んだのは少し前、M区にあるY高校という廃校の、開かずの間を調べていた時のことだった。麗香自身の口から醜いから嫌いだと聞いた。
 その時は否定も肯定も、むしろ何の感慨すらも抱かずその言葉をただ受け止めてやったシュラインだったが、今やっとその意味を理解したような気がする。
 月刊アズの編集長。業界では月刊アトラスのライバル誌とも言われているらしい雑誌の編集長だ。
 恥を知らない女。女を否定するかのような、女。
 あの時聞いた、麗香の言葉がまた脳裏を過る。
「でもそうね。彼女の書いた記事か、貴方が書いた記事か。どちらを読むかと聞かれたら、貴方が書いた記事を読むと思うわ」
 テーブルを挟んで座る麗香を見上げると、彼女は形の良い唇の両端をギュっと持ち上げた。
「当然だわ」
 アズの編集長が、何か別の用を持って訪ねて来たのは本当だったのだろう。シュラインと麗香が話をしている応接室まで、礼儀もなく割り込んでくるくらいの用はあったのだろう。
 しかしそれが本当はどうだったのかということは、今この場では重要じゃない。ただ、あの女を受け付けなくなる理由はこの数十分の間に確かにあった。それだけで十分だ。
「まずは。問題の手首を調べたいわ」
 当たり前のことを、わざわざ麗香は口に出した。それは、意思の表れとも見えた。
「そうねえ。本当に人の手なのかどうか、ということが気になるわね」
 シュラインは頷き、腕を組む。麗香が言った。
「報道ではまだ明かされていないわ。警察に聞いても個人的な繋がりがない限り、無理ね。だから私達は自分で調べるしかないのよ。例えばそれが人の物だったとして、年齢や性別まで判断できるようなスペシャリストに頼まなきゃいけないわ。医者に心当たりは?」
 その問いに、一人の男の顔が頭に浮かぶ。
「心当たりなら、あるわね」
「多分今、同じ人を頭に思い浮かべたわ。じゃあ。彼を呼ぶのは三下に任せるとして。問題は手首をどうやって手に入れるのか、なのよね」
「回収されて、警察に保管されてるんでしょう? 手に入れるって言っても難しいわ」
「全部じゃないのよ」
「全部じゃない?」
 麗香はガラステーブルの脇に積まれていた雑誌の束から、地図帳を取り出し広げた。
「これがY街道」
「ええ」
「ここから」
 麗香の細い指先が地図をなぞっていく。
「報道では明らかにされてなかったけれど、このY街道から伸びる細い道。こっちにも街灯が立ってるの」
「そうなの?」
「ええ。そして、この場所にある街灯の手首は、まだ残っている可能性があるわ」
「どうしてそんなことが分かるの」
「実は私、見つけたのよね。ここにある街灯で、手首を」
 地図の上をトントンと叩く。
「朝、出勤してくる途中、ちょっと寄ってみたのよね。それで偶然。警察が見落としたのか。それとも調べられた後に付けられたのかは分からないけれど、手首はまだ確かにそこにあったわ。あれから……そうねえ。今、午後三時だから。六時間ほど経過してるけれど、街道沿いからはちょっと外れているし、まだ気付かれず残っている可能性。なくもない? もしも他の手首が人間のものだったとしたら、警察もすぐに動き出すわ。周辺を調べられたらすぐに見つかる。でも。今すぐ向かえば間に合うかも知れない」
「なるほどね」
 シュラインは地図に目を落としたまま、小さく呟く。
「私達で行くのかしら」
「そうね。それでもいいわ。でも」
「司令塔が出かけるのは思わしくない」
「ええ、そうね。誰か、心当たり居るかしら? 足が速くて、ヘマをやらかなさいくらい頭の回る子」
 その問いに一人の若者の顔が浮かぶ。
「居るわ。不法侵入だって、正義の為ならやってのける子」
「たぶん今、同じ人間を頭に浮かべたわね」
 麗香が笑う。シュラインも微笑んだ。



「なあ」
 雪森雛太はベットの端に丸くなるそれを、足先で突付いた。
「なあって」
 自分も上半身を起こし、丸くなったそれの脇腹を指で突付く。彼はもぞもぞと体を揺らした。
「早く起きろってば」
 肩を掴み大きく揺さぶった。ロウが小さく唸り声を上げて、体制を変える。しかしまたすぐに、その息は寝息に変わった。
「んもう。面倒くせえなあ!」
 雛太はその背中を思いっきり蹴ってやった。ベットの端で丸まっていたロウは、受け身を取ることなくガツンと床へ落ちる。
「うわあああん!」
 駄々っ子のように大声をあげる顔に向かい、枕を投げつけてやった。
「起きろ! アホ!」
 自分の声と重なるようにして、脇からどっと笑い声が上がる。
 テレビをつけたまま眠っていたらしいとは、起きた瞬間に気付いたことだ。今思えば、浅い眠りの中にもテレビの内容が侵食していたように思う。
 雛太は小さく頭を振って、どんよりと広がる頭の中の白靄を追い払った。画面の中ではワイドショーのコメンテーターが雑音を垂れ流している。
 眠ったのが昼食を取ってすぐ。多分、十二時くらいだった。
 俺は何時間眠ったことになるのだろう。
 テレビ放送されているその番組は、何回か見たことがある。確か、午後二時から放送しているワイドショーだ。
「起こせって言ったのに」
 雛太は憮然と呟き床下でもぞもぞと体を起こすロウを見下ろした。
 足元に丸まった毛布を掴み、またロウの顔に投げつける。
「なんでオマエまで寝てンだよ! アホ!」
「ごめんなさい……何か……でも。雛太くん。中々起きないんですよ」
 薄目を開けたロウが、張り付いたような声を出す。
「人のせいにするな! もう。この役立たず」
「ごめんなさい」
 納得していない口調でロウが謝る。雛太はまた、ベットに転がった。
「ちょっと何か。ジュース。いれてきてよ」
「ジュース?」
「オマエのせいで何か疲れた」
「ごめんなさい」
 また納得していない口調でロウが謝り、ゆっくりと立ち上がった。
 毛布を胸元で団子のように丸めながら小さく呟く。
「でもいいんだ」
 自分を励ますような声だった。
「え?」
「チュウしてやったから」
 童顔には似つかわしくない顔で、ニヤリと笑う。
 そのまま部屋を出て行った。
 取り残された雛太は何も言えない。
 ロウは以前、興信所のちょっとした依頼の折に知り合った少年だった。
 彼はそれ以来、興信所に顔を出していたり、泊り込んだりしている。雛太も最近、郊外に建つ実家へとわざわざ帰るのが億劫で、興信所に寝泊りしている。二人は共同生活者ということにはなるのかもしれない。しかし気が合う合わない以前に、身近には絶対に居なかったような人種の男だった。
「おっこらしょっと」
 気を取り直し、拾い上げた枕を頭に敷いた。
 チャンネルを変えてやろうと思い画面に目を向けると、街灯に縛り付けられた手首、というテロップが目に飛び込んでくる。
 街灯の手首。
 なんだそりゃ?
 チャンネルを変える手を止めて、画面に見入る。見たことのある風景が広がっていた。
 Y街道だ。即座に雛太の脳が思い当てる。
 報道の内容に耳を立てながら、雛太はずっと以前、興信所の依頼で見たことのある手首を思い出していた。あれは確か、京都に出張し解決した依頼だった。
 京都。
 ここ最近連絡を取り合っていない、元興信所アルバイトの男の顔を思い出す。元気にしているだろうかなどと、月並みなことを考えた。連絡は、取ろうと思えばいつでも取れた。携帯番号だって知っているし、京都の方の住まいも知っている。しかし、いつでも取れると思えるからこそ、別に今でなくてもいいかと思い、結局連絡を取らないのだった。きっと向こうも同じ気持ちだ。いつ電話しても、「ヨッ」と話を始められるような気がする。友人とは、そういうものなのだろう。
 回想に耽っていた雛太を引き戻すかのように、隣の部屋から耳を突くような電子音が聞こえた。事務所の電話の着信音だった。
「おーい。電話ー。受けろよー」
 キッチンに居るはずのロウに向かい声を上げる。
「はーい」
 扉を隔てた向こうから返事か聞こえたかと思うと、暫くして電子音が止む。
 テレビ画面を見つめていた雛太に向かい子機が差し出されたのは、またそれから三分ほどしてからのことだった。
「電話ですよ」
 ロウが子機を差し出す。受け取りながら「誰?」と聞いた。
「シュラインさん」
「姉御? ふうん」
 小首を傾げ、「もんもし?」と問う。
「あ。雛太くん? 居眠り、ご苦労さま」
 嫌味だった。
 密告したらしいロウを、小さく睨む。
「はいはいスミマセン。で? どうしたん?」
「実はちょっと頼まれて欲しいことがあるのよね。武彦さんが帰ってきたら、アトラス編集部の方へ顔出してくれる?」
「アトラスに? えー。いいけど、なんで?」
「麗香さんに代わるわ」笑いを含んだ声で言う。
「もしもし? 雛太くん?」
「麗香オネエじゃーん。なに? どうしたん?」
「貴方は、とても足が速かったわよねえ」
 唐突な言葉だった。
「ま、まあ。速いけどさ」
「頭の回転も速いわ」
「そうだな」
 小首をかしげてうなずいた。褒めちぎられるのは嬉しいが、そんなことはそうあることじゃない。
「だからそんな貴方に盗んできて欲しいものがあるの」
「盗んできて欲しいもの?」
「手首」
「え?」
「手首を。盗んできて欲しいの」
「手首?」
 雛太は眉根を寄せて、テレビ画面を見やる。



 ウインドウを下げると、金木犀の甘い香りが流れ込んで来た。それと共に、冷たい風が車内を駆け抜けていく。
「寒いですよォ」
 言葉をかき消すかのように、モーリス・ラジアルは車内に流れる音楽のボリュームを上げる。そしてまた、金木犀の香りを楽しんだ。この匂いを嗅ぐと秋だという気がした。
 風の温度や景色が変わる様は、元が人でないモーリスにとってそれほど季節を感じるものではない。ただ、どういうわけか、この香りだけは別だった。
 普段から、草花や木々に触れているからだろうか。
「いい加減閉めて下さいよォ」
 助手席で小刻みに震える三下を見て、モーリスは満足げに瞳を細めた。彼の困った表情を見るのが好きだった。ハンドルを切り、車線を変える。心地の良いリズムを刻むブラックミュージックが、車内を満たしている。
「あの」
 モーリスは顔だけを彼に向けた。そしてすぐに前方を見た。
 三下は顔色を伺うようにちらちらと上目使いを寄越しながら、ボリュームを少し、下げた。
「どうして今日はお車なんですか」
「いけませんか」
「い。いや。いけないというわけじゃないんですけど……珍しいな、と思いまして」
 確かににモーリスは、ほとんどの場合交通手段を使わない。特殊能力を使い、転移するのだ。その方が迅速にことを運ぶことが出来る。煩わしい人込みだって避けられるし、渋滞を言い訳にすることもない。
 けれど。
 一瞬一瞬だけを繋ぐように移動していると、時にふと虚しくなってしまうことがある。要するに気紛れなのだろうが、時には人間達と同じように、自然の力に身を任せ一喜一憂してみたくなる時がある。
「秋くらい、ドライブを楽しんでもいいではありませんか」
「い。いいんですけど……それで僕を呼び出したってわけですね」
「呼ばれたのは私ですよ」
 横目をやると、三下は「そうでした」と頷いた。
 彼から連絡があったのは、数時間前のことになる。「手首」が本物であるかどうか調べて欲しいと頼まれた。Y街道にある街灯に、縛り付けられていた手首だそうだ。
 その連絡を受けた時、モーリスは思わず笑ってしまった。予感が的中したからだ。
「あのォ。それで。さきほど仰ってたハロウィンものかなっていう言葉なんですけど」
「ハロウィン?」
 前方を見たまま、記憶を探る。思い当たった。冗談で口走った言葉だ。
 ハロウィンの季節だから、飾りじゃないんですか。と。
「あの、つまり。街灯に手首を潜りつけるような。そういう習慣を持った種族がいる、ということでしょうか」
 真剣な視線を頬に感じる。愛しさを込めて馬鹿だな、と思った。
「冗談ですが」
「え?」
「冗談です……いえ。少なくとも私は、そういう種族を知らないということですが。たぶん。いないでしょうね。そんな習慣を持った種族なんて」
「で」
 三下が小さく息を吐く。
「ですよねえ〜。なんだ」
「編集長の麗香嬢は何と仰ってるんですか? ああそれに。草間興信所の女将もいらっしゃるんでしたね」
「シュラインさんですね」
「何かの生贄か、殺人事件のバラバラ死体の一部、殺人予告の一部という感じで見てらっしゃるんじゃないんですか?」
「いえ……そのことについては。僕は何も聞いてないんですよね。とにかくモーリスさんを呼んできてくれって言われただけなので……なんか。編集長、かなりピリピリしてるんですよねえ。今日」
「ピリピリ?」
 間があって、溜め息が聞こえた。
「アズっていう。数ヶ月前に創刊した雑誌があるんですけど。なんか。うちと同じような内容扱ってて。そういうのはまあ、いっぱいあるからいいんじゃないかって思うんですけど。どうも碇編集長、そこの編集長の女の人とウマが合わないみたいで。今日も、ちょっとした用があってか何かわかんないんですけど、アズの編集長がうちに来てて。それで、ちょっと」
「何かあったのですか? その方と?」
「さあ? そういうわけじゃないと思うんですが。まあ……女ってモンは。男の僕には全く理解し難いモンです」
 しみじみと頷く彼を見て、モーリスは可笑しくて仕方がなくなる。
「貴方の場合は対女性だけではないのでしょう」
「はあ、そうですねって、え?!」
「不器用であるということは、恥かしいことではないのですがね」
 笑顔を返した。



 興味が沸いたのは、街灯という言葉にでも手首という言葉にでもなく、小橋のキラキラとした瞳にだった。それを見て、無条件に楽しそうだと思ってしまっていた。
「先輩が。好きそうな話かなって……思って」
 隣を歩く小橋が上目使いに穂積の顔を伺った。
「あー。どうだろうな」
 街灯と手首。確かに、さっきはとても気になる単語だと思った。けれどもしも、ただテレビで見かけただけだったら「ふうん」で終わっていたかも知れない。
「え。別にどうでも良かったスか」
「うんまあ……基本的にはそんな感じかなあ。うーん。いや、面白そうだとは思うけどさ」
「そう、すか」
 何故かとても残念そうに、小橋がうな垂れる。
 夕暮れのY街道には、会社帰りのサラリーマンやOL、主婦の姿があった。静かではないが、落ち着いた雰囲気がある。穂積は学生服姿の自分がこんな場所を歩くということに、若干の居心地の悪さを感じていた。
「それでさ。その手首ってさ。一体何処にあんの?」
「もうちょっと行ったトコっす。あ、そこの角。曲がったとこス」
 数メートル先の曲がり角を小橋が指差す。
「あっそ。でさ。なんでお前、ンなこと知ってたん?」
「イヤ自分。昨日の夜たまたま出かけてたンすけど。それでここ、通ったンすよ〜。そしたら何か人だかりできてて。うえー、やべえーとか思って見てたんですけど。暫く見てて飽きちゃったから、帰ろうと思って。でも、人だかりできてて帰れないから裏道通ろうと。んで、見つけたわけなんす」
 彼について角を曲がり裏道に入る。表の華やかさが嘘のように、築十数年といった風の寂れたアパートが顔を出した。空気は一転し、清々しさを失ったようだった。
 街灯はそこに、浮くようにして立っていた。周りの景色には余りに似合わない。この街灯に手首。アパートに住む住人は、手首を見つけなかったのだろうか。ふと、そんなことを思う。
「あれ?」
 街灯の手前数十メートルというところで、二人は同時に立ち止まった。
「人、居るじゃん」
 街灯の前には、黒服の長い髪の男が居た。こちらに背を向け、何やらこそこそと手を動かしている。
「なに、あれ?」
 俺に聞かれてもといった表情で小橋が微かに首を振る。
「盗んでる、んじゃん?」
 自分で呟いてハッとした。手首を盗む。何たることだろう。見物ではないのだ。
 思ったら走り出していた。
「こら! お前!」
 穂積の声に驚いたのか、黒い男は体を揺らし恐る恐る振り返る。二人の姿を発見し、慌てたように両手を振り上げ走り出した。
 その手にはしっかり、手首が握り締められている。
「お、おい!」
 男は速かった。驚くほど、速い。
 穂積も運動神経には自信があったが、とても追いつけるような速さではない。みるみるうちに背中は小さくなり、やがて消えた。
「あー。くそう!」
 立ち止まり、地団駄を踏む。
「何だよ! あれ!」
「速かったスねえ。泥棒スかねえ。でも変なの。何で手首なんか盗むンすか。変態スか」
「かもなあ」
 舌打ちして、その場に蹲る。
 脇に建つ街灯を見上げ、それを掌で打った。秋の風に晒された街灯の冷たさが、妙に生々しい。
「なあ」
「え?」
「もしかしたらさ。回収してたとか、ないかな」
 それは突拍子もない思いつきだった。別段何の根拠もない。しかし小橋は、「ああ!」と声を上げ、掌を叩き合わせた。
「回収! マジありえますよ、それ! うわマジすげえ! 先輩! 絶対ソレっすよ!」
「ホントかよ〜」
 ただの思いつきに賛同され、ついそんなことを言ってしまう。
「や。ホントっすって。マジありえますって。だってアレっしょ。盗むより何か、ありえそうじゃないすか! 理由とか! 問題になったから回収しに来たとか!」
「え〜。うっそ〜。マジでそう思ってンの〜」
 瞳を細めて疑いの目を向けた。それでも今、自分が満更ではない表情をしてることは自覚していた。目は細められていても、口元は緩んでいる。
「いや。ホント。俺何か、ビビッてきちゃいましたもん!」
「え〜。じゃあアレが犯人ってことォ?」
 参ったなあ、と頭をかいた。
「うわー。ゼッテーそうっすよ〜。どうすんすかー!」
 穂積はフフンと腕を組んで、脇にあった街灯に背を預けた。
「でもなあ。これアレなんだよなあ。逃がしちゃったからなあ」
「そうっすねえ。マジ悔しいすよねえ」
「うーん」
 街灯に巻き付き、穂積は唸る。そしてふと、気付いた。小橋にチラリと視線をやる。
「なあ」
「はい」
「あのさあ。オマエさ。超能力とか信じる方?」
「え? 超能力す、か?」
「うん」
「いやあ。信じるも信じないも……うーん。別にないスけど……。え? 何でスか?」
「俺さあ。実はちょっとそういう力? あるんだよねえ」
「ええええええええええええええええええええええええええ!」
 大袈裟だろ、と突っ込みたくなるくらい小橋は体を仰け反らせた。それから天を仰ぎ絶叫した。
「すげええええええええええええええええええええええええええ!! すげえ! 先輩すげえ!」
 パンパンと背中を叩かれ、穂積は自分の胸の中がざわざわするのを感じる。
「えー。うそ! スゲイ? スゲイ? 俺ってスゲイ?」
「スゲイっすよ! いやほんと全然! スゲイっすよ!」
「わ! やった。やった。やっちゃった」
 何を口走っているのかを自覚する前に、口から言葉が飛び出している。胸の中のざわざわが大きくなり、腹の中までざわざわとする。
「俺何かテンション上がってきちゃったなあ!」
「やあ。俺もっすよ!」
「じゃあこれでちょちょいと犯人見つけちゃうか!」
「えええええええええええええええ! 犯人見つけられちゃうんスか! わ、スゲ。スゲエ!」
 飛び跳ねる小橋に釣られ、穂積も飛び跳ねた。
「サイコメトリーって知ってる?」
「テレビで見たことあるッス! あ、あと漫画でも」
 テレビや漫画の中の偶像だと思っているものを現実に見てしまったら、彼はどうするだろう。驚いて失神してしまうかも知れない。実際、自分が師匠の力を始めてみた時もそれくらい驚いたものだ。
「見ててみ」
 穂積は小橋に笑顔を向ける。街灯に向かい、掌を翳した。
 味わうかのようにゆっくりと、指先一本一本を無機質な鉄へと這わせていく。冷たい感触が掌をついた。腹に力を込め、瞳を閉じる。
「わわわ」
 指先がじんわりと熱くなる。
「すっげ」
 水溜りに浮かぶ油のような、つかみ所のない映像が頭の中に広がった。
 それらはグワリグワリと形を変え、淀み、移り変わっていく。
 人の顔。短髪の男。パソコン。そして何かしら呟く短髪の男。
「せ、せせ、センパ」
 男は何と呟いている?
「先輩?」
 映像が途切れた。
「なんだよ! 邪魔すんなよ!」
「ス、スンマセン!」
 表情を引き攣らせ、小橋が頭を下げる。
「じゃ。邪魔したら死んじゃうとか、な、ないですよね」
「ないけど!」
「や。ほんとスミマセン。あの、でも何かさっきから」
「え?」
「こっちを見てる男が」
「は?」
「あれ」
 顎と視線で指し示された先に、大学生風の男が立っている。
「なんだ?」
「じっとこっち見てるンすよ」
「あやしいな」
「あやいしいス」
 小さく頷き、穂積はゆっくりと振り向いた。
「そんなところで……何をやってる」
 先に足を踏み出したのは、男の方だった。
 穂積は黙り込み、ただ男を見つめ返す。眉を寄せたまま近づいてくる男は、しかし次の瞬間ふとその足を止めた。瞳を細め穂積を睨み、それから突然、踵を返す。
 背を向け、走り出した。
「追うぞ!」
 軽く小橋の肩を叩き、穂積も走り出す。先の角を曲がったところで男に追いついた。彼の手首を掴み、引き寄せる。
「待てって!」
 その瞬間、頭の中に、破裂した光が散った。
 穂積は驚いた。自覚せずにサイコメトリーしてしまうことは、ここ最近なかったからだ。けれど映像は脳の中に流れ込んでくる。パソコンに向かう男の姿。男の恐怖。男の驚愕。
「お前らなんだろう!」
 金切り声が耳を突いた。強く手を振り払われ、反動で穂積は後退る。
「全部全部。お前らの仕業なんだろう!」
 またも金切り声を上げ、男はその場に蹲った。



 短くなった煙草を灰皿にこすり付けたところで、助手席の窓を叩く音がした。
 やっとか、と顔を上げため息を吐く。案の定ロウが立っていた。
「おま、オセエよ」
 エンジンキーを回しながら呟く。車はガードレールへ張り付くように路上駐車されており、人一人が助手席に乗り込むスペースもない。ギアをドライブに入れ、車を前進させた。
 ガードレールが途切れた場所まで行くと、バタバタと世話しなくロウが助手席に乗り込んでくる。
 扉が閉まるのを確認する前に、車を発進させた。
「ちゃんと持ってきた?」
 右車線へと割り込むついでに聞いた。
「も。持って来たけど。け。けけけけ。警察!」
「はあ?」
「警察に見つかっちゃったよ!」
「ふうん」
 相手にしない。とにかく手首が手に入ればそれでいいのだと自分に言い聞かせた。
「なんで雛太君も一緒に来てくれなかったんだよ」
「何かダリかったの。いいじゃん。ちゃんと車出してやったんだからさあ」
 アトラス編集部へ顔を出したのは、つい一時間ほど前のことである。街灯に縛り付けられた手首について取材しているという話を聞いた。
 取材用に使う編集部所有の車を使っても良いということだったので、雛太とロウはそれに乗り込みY街道までやって来た。路上は大抵駐車禁止である。キップを切られると面倒だったので、ロウだけを行かせ自分は車内で待つことにした。
「でもさ」
 赤信号で車を止め、ハンドルに顎を乗せた。
「それって絶対、警察じゃないよな」
「え?」
 問い返されてから、自分が今何を口走ったか自覚した。
 警察じゃない。
 考えてないつもりでも、頭が勝手に動いていた。
「なんでもない」
 例えばロウを追ったのが、警察だったとして。いくら彼が素早くとも、やすやすと逃げてこれるとは思えなかった。それに、警察がそこに居る理由がない。張り込み? 殺人事件でもないのに? 
 おとり捜査? そんな回りくどいことをするだろうか。
 犯人がわざわざ手首を回収しに来ると? 
 思うわけがない。
「編集部で警察に追われたとか余計なこと、言うなよ」
「う。うん。え? でも警察じゃないって?」
「たぶん」
 信号が青に変わる。
「事件に関係のある人間」
 声に出してそう断言した瞬間に、心臓を鷲掴みにされた気がした。
 それを追わなくて良いのか。いや、追いたいと思った。
 しかし自分が追えば、この手首はどうなる。どっちがより重要か、ということを考え、たぶん重要なのはそのあやしげな人間の後を追うことだと思った。けれど必要なのは、手首を運ぶことだった。
 必要なことと、重要なこと。いつもいつも、重要なことが必要なことであるとは限らない。
「なあ」
「はい?」
「俺のアテが外れた時は、変わりに怒られてくれる?」
 そう問うた瞬間に、気持ちはもう決まっていたのかも知れない。
「え?」
「手首。持って帰るの遅れたらさ。お前が変わりに怒られてくれよな。言い出しっぺお前だし」
「ええ?」
「だからとりあえず先に言っとくけど。手首を持ち帰れなかったことを、俺はお前のせいにする」
 断言して、ハンドルを切った。強引に反対車線へとUターンし、来た道を戻る。



 ねっとりと纏わり付くような、不快な匂いがモーリスの体を巻いた。さまざまな薬品の匂いが交じり合った匂い。それは不潔とも思えるような匂いだった。
 室内は薄暗く、日は殆んど当らない。微かに舞い込む光の筋には、細かな埃が散っている。
「もう少し、マシな所へ移られてはどうですか」
 自分の体が何処にも触れないよう気をつけながら、モーリスは言った。
「好きなんですよ。こういう寂れたところが」
 デスクに向かう白衣の男は、背を向けたままで言う。
「薬を調達しに来る度に、この不快な匂いを嗅がなければならないのかと思うと憂鬱です」
「そうですか。僕は好きですが……さて」
 ペンを置き、男が椅子を回転させる。
「ご入用のお薬はどれですか?」
 ニヤリと嫌な顔をして微笑む男から視線を外し、薬品が並べられた棚を見た。
 男は潜りの闇医者だった。業界では有名な男である。ただし知名度があるのは彼の技術よりも、その薬の所有量だった。
 認可されていない薬だろうが、認可されている薬だろうが、認可以前の問題と思われるような薬だろうが、男は客のニーズにあった薬を即座に出してくる。
 モーリスも時折、利用させて貰っている。リンスター財閥のお抱え医師であるモーリスには、医師という言葉が持つ正規の意味以上に、様々な仕事があった。人を助けるのだけが仕事だとは、最早言い切れない。その上自分には、財閥お抱えの庭師としての顔もある。友人関係はそれなりに広く、特殊能力を持っているためか呼びつけられることも少なくない。
 時折自分でも、何て器用なのだろうと思ってしまうことがある。
 しかしそれはそれで、とても光栄で幸福なことでもあるのだと思っている。
 目的の薬の名前を告げると、男は少し待っていて欲しいと言い席を立った。
 手持ち無沙汰になり、モーリスは室内を見渡した。黄色くくすんだ薬品棚から、その脇に置かれたキャスター付きの台へと視線を移す。
 台の上には血に濡れたメスと、血に濡れたガーゼが積まれてあった。何て不衛生なのだと思わずにいられない。
「それね」
 声に振り返る。男はいつの間にか、茶色い瓶を持ち背後に立っていた。
「自分の手首を切断して欲しいと言ってきた男が居ましてね」
 回転椅子に座り、デスクの上で薬品を小瓶に移し変えている。
「妙な話です」
 その背中を見ながらモーリスは、近いうちにこのことを誰かに説明する時が来るのかも知れないと予感する。



 シュラインはパソコン画面に表示された文字を読み、苦笑した。
 何処の誰がこんな馬鹿げたことを思いつき、書いているのだろう。
 はれときどきぶたと題されたそのサイトは、個人の日記サイトのようだった。あるいは日記ではなく、架空の出来事を書いているのかも知れない。現実には起こりえないような出来事が、さも起こりそうな様子で書かれてある。
 はれときどきぶた。そういう児童書があった。確か、空からぶたが降ってくるだとか。日記に書いたことが本当に起こってしまうだとか、そういう話だ。
 雛太が帰ってくるまでに何か調べられることはないかと思い、麗香にパソコンを借りた。情報収集の最中、いろいろなサイトを巡り巡りしているうちに辿り着いたページだった。
「遅いわねえ」
 麗香の呟きが聞こえる。
 シュラインはパソコンから顔を挙げ、壁にかけられた時計を見た。
 雛太が出て行ってから、一時間ほど経過している。
「そうね。確かに遅いかも」
 隣に座る、モーリスを見た。
「時間、大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「何かあったのかしら」
 麗香の問いに、シュラインはウーンと小さく唸った。何かあったのかしら。あったのかも知れない。いや、あったのだろう。
「何かあったのだとしても、それなりの収穫は掴んできてくれるんだと思うんだけど」
 壁にかけられた時計をまた見た。
「少し、いいですか」
 ソファが軽く沈んだ。モーリスが身を乗り出していた。
「なに?」
「手首のことです。帰ってくるまでまだ間がありそうですから。先にお話しても良いですか」
「手首のこと?」
「実は連絡を頂く少し前、手首を切断した男性の話を聞きましてね」
「手首を、切断した?」
 シュラインは思わず身を乗り出した。
「片手だけですが。数から言って、今回の事件とは結びつきません。ただ、時期が重なるもので気にはなるでしょう」
「気になるわね」
「その人物はしかも、事故などで手を切断せざるお得ない状況に追い込まれたわけではなく、自ら望んで手を切断したんです。闇医者で」
「闇医者」
 驚いたのは、モーリスがそういった人間と繋がりがあるということだった。
「闇医者で手を切断。暫くして街灯に手首がくくりつけられた。これは繋がりのないことなのでしょうか」
「それで? その手首を切断した男性とは連絡がつくの」
「いいえ。連絡を取ることは出来ません」
「え?」
「連絡はつきません」
「そ。そうなの……」
 聊か、落胆する。
「しかし、手を見ればわかるかも知れません」
「手、を?」
「手術の後を見れば、ちゃんとした施設で治療されたものかどうかわかりますので。ですから手の到着を待っているんですがね」
「うーん」
 唸り声を上げ、壁に掛けられた時計を見た。
「遅いわねえ」
 ポケットから携帯電話を取り出す。
「受けないと思うんだけど。かけてみようかしら」
 呟いた瞬間、手の中にある携帯が振動した。
 驚きで体が揺れる。画面を開き、相手を確認した。
「噂をすれば、影」
 隣で画面を覗き込んでいたのか、モーリスが呟いた。
 シュラインは頷き通話ボタンを押す。
「もしもし姉御? 俺、雛太。ちょっとすぐに来てくれよ。あやしい奴、捕まえた!」
 電話の向こうから、勢いのある声が言った。

10

「手首を盗んだのは、ここだろ?」
 雛太が確認すると、ロウは深くしっかりと頷いた。
 街灯を見上げる。
「人影はもうないな」
 辺りを見回した。
「すぐに追いかければ良かったな」
「追われたのは僕だよ?」
「お前って奴は……逆に捕まえるくらいのガッツはないんか」
「な。ないよ」
「だよな」
 雛太はフウと溜め息を吐く。
「手首はその中?」
 ロウの腹を指差した。彼の腹にあるポケットを、雛太は四次元ポケットと呼ぶことにしている。見た目の大きさは掌サイズだが、A4封筒だって軽々入るくらいの広さがある。仕組みは知らない。気にしないことにしている。
「うん。この中。出してみる?」
 返事をする前に、ロウが腹のポケットから手首を取り出した。
 その瞬間、モワリと嫌な匂いが雛太の鼻をつく。
「おま! それ、ホンモンじゃねえか!」
 鼻を押さえ、思わず後退った。
 街灯にくくりつけられた手首が本物であるとは思っていなかった。数から言って、本物であるはずがないと思っていたのだ。
「え? 何で? 駄目なの?」
「こっち来るなって!」
「え。え。何で。どうしたの?」
 ロウはあっけらかんとした表情のまま、雛太に手首を突き出してくる。しかも、切断面の方を、だ。
「もういいって」
「だって」
 見たくないと思うほど、切断面を見てしまっていた。その醜く気持ちの悪い様が、どうしようもなく瞳をひきつけた。絡みつくような肉と筋の生々しさは、今にもねっとりと血を吐き出しそうだ。
「これが気持ち悪いの?」
 笑顔で問うたロウが、断面を自分の顔へ向け、躊躇いもなくそこに指を差し込む様を、雛太は信じられない面持ちで見つめる。クチョクチョと嫌な音が耳を突いた。
「大丈夫だよ? 何も出てこないよ」
 服の端で指を拭いながらロウが小首を傾げる。しかし雛太はその拭われた服に視線を奪われ外せない。血と共に、肉片がべっとりと伸びている。
 今すぐコイツを自首させた方がいいんじゃないだろうか。そんなメチャクチャなことを考えた。
「大丈夫だよ。ほら」
「もうお前、嫌い!」
「大丈夫だよ〜。ほら。雛太くんってばあ」
 ぜったいわざとだ。
「お前いい加減に」
「誰だ!」
「え?」
 出鼻を挫かれ雛太は拳を握ったまま振り返る。そこに、長身で短髪の男が立っていた。
「だれ?」
 雛太は眉を寄せて問い返す。次の瞬間、ハッとした。
 男の左腕には、手がなかった。

11

 金切り声を上げた男はその場に蹲り、頭を抱えていた。
「お前ら。お前らは何の為に……そんなことするんだよ」
「ちょ。ちょっと待って」
 喉の奥に声が張り付く。
 穂積は小さく咳払いし「何のこと?」と男に問い返した。
「とぼけるな!」
 顔を上げた男は瞳に涙を浮かべている。
「はあ?」
 思わず小橋の顔を見やった。わけが解らなかった。
「えーっと。だれですか?」
「おま。お前らこそ誰なんだ!」
「いや。俺らは……何てーか。善良な一般市民?」
「嘘をつくな嘘を!」
 男がまた顔を覆い、ウウウ、と嗚咽を上げる。
 参ったな、と頭をかいた。小橋を見やると、彼も同じような表情を浮かべている。
 暫くそうして男を見下ろしていたが、穂積はふとあることを思い出し「あのさ」と切り出した。
 男が顔を上げる。
「えーっと。シュン、くん?」
 穂積がその名前を口にした途端、男の顔が引き攣った。驚愕に目を見開き、唇を戦慄かせる。それは明らかな動揺だった。
「あー。やっぱシュンくんなんだ? アンタ」
「ど。どうして。どうして僕の名前を知ってる」
「うん。さっきちょっと見ちゃったから」
 街灯で見た、サイコメトリーの映像だった。短髪の男が呟いていた言葉。それが「シュンくん」という言葉だったのである。
「うーん。どういうことだろう? あのさ、アンタさ。髪の短い男の人、知ってる?」
「ど。どういう」
「いや。俺らは無関係だよ。無関係。この事件とは一切関係なしでさ。ただ興味でちょっと調べてただけ。な?」
 小橋を見やると頷きが返ってきた。
「質問ばっかで悪いんだけど。うーん。何か。パソコン使う仕事とかしてる? その関係に髪の短い男が居るとかでさ。とか。うーん。うーん」
「キミらは何者なんだ。な。何を知ってるんだ」
「うーん。あのさあ。超能力とか信じるタイプ?」
「は?」
「うん。あのさ。信じない人に言っても無駄なんだよね。こういうのって」
「先輩はな、サイコメトリーが出来るんだ!」
「おい、小橋」
「スゲイんだってば、先輩は! お前、事件を解決したいなら、さっさと吐け」
 男に向かい指を差し、穂積に向き直る。
「刑事みたいスね!」
 小橋が笑った。それに釣られるようにして、穂積もウンと頷き笑顔を浮かべる。
「まあ。そういうことなんだわ!」
 仁王立ちして男を見下ろした。
「嘘だと」
 呟きは、たっぷりと沈黙を含んでから放たれた。
「え?」
「嘘だと思ってた」
「は?」
「信じられなかったんだ。僕が。僕の日記を読んだ人が。そんな……そんなことを本当にするなんて」
「どういう意味?」
「どういう意味もないよ!」
 男はまた金切り声を上げ、頭を抱える。
「そういう意味さ! 僕が書いた。サイトの日記に。嘘を書いた。そういう日記だったんだ。他愛もない嘘さ。ましてや本当に起こればいいなんて思ってなかった。でも。でも。ある日変なメールが来て……ファンですって」
「ファ、ン?」
「嘘なのに。全部、嘘だったのに」
 呟く男を見下ろし、穂積は小さく小首を傾げる。

002



 柔らかい雨音の隙間からテレビの音声が聞こえる。
「回収された手首はマネキン人形の物と思われ……悪戯」
 途切れ途切れに聞こえる内容は、Y街道の手首のことを報道していた。ピーマンを食べ易い大きさに刻みながら、シュラインは苦笑する。
 確かに警察へと持ち運ばれた手首は全て、マネキン人形のものだった。実際にそれを見たわけではないが、警察の発表も去ることながら、実行犯の男がそう言っているのを聞いたので間違いはないだろう。
 何が傷つけられたわけでも、人が死んだわけでもない。事件は悪戯として処理されている。
 しかし世間は知らない。ずらりと並べられた表通りの街灯以外に、手首を縛り付けられた街灯があったことを。そして、そのたった一つは本物だったことを。
 シュラインはピーマンの種を三角コーナーへと捨てた。次に人参を取り、それもまた食べ易い大きさに刻み始めた。
 そのたった一つの本物を、手に入れられたことは幸運だったのか不幸だったのかは分からない。麗香は「こんなの記事に出来ないじゃない」と文句を垂れていた。
 彼女にとっては不幸だったのだろう。
 真実には辿り着いたが、記事になりそうな内容ではなかったことは確かだ。
 あの日、雛太から連絡を受け現場に直行したシュラインとモーリス、麗香の三人は、左手のない男と対面した。その男こそ今回のこの奇妙な事件の実行犯であり、モーリスが言っていた手首を切断した男であった。モーリスが、手首の切断面から男を断定出来たことが幸いした。
 男はその場で今日、シュンという男性と待ち合わせしてるのだと言った。はれときどきぶた、というサイトを運営している男性だという。メールで呼び出した、等と言っていた。
 しかしその姿はなく、彼は結局、来なかったのかも知れない。
 言葉にしてみれば簡単で、男は所謂ストーカーだったのだと思う。サイトを運営しているシュンという青年のストーカーだ。どういう心情からかは理解し難いが、その日記サイトに書かれていく非日常的なことを、全て実現させていってやるのが自分の使命なのだと男は言った。
 理解は出来ないが、恐ろしい執着だとは思う。
 おそらく、まさかという思いでエスカレートしていく日記の内容と、それでも実現させようとした男の執着が今回の事件を生んだのだろう。
 だからって、手首を切るかしら。
 シュラインは思わず自問自答する。
 そうまでして人を愛せるのか。執着できるのか。
 サイトという非日常的な空間では、理性という概念は吹っ飛んでしまうのだろうか。
 あるいはそれは、愛ではないかも知れない。
「こんちわあ〜」
 事務所のドアが開く音と共に、元気の良い声がした。
 今日はちょっとした依頼の手伝いをして貰う為、葉室穂積という少年に連絡を取っていた。彼はサイコメトリーの能力を持っている。
 シュラインはキッチンの隙間から顔を出して、「ソファに座ってて」と声を掛けた。そしてそこに立つ、モーリス・ラジアルの姿も見つける。
「あら。二人で来たの?」
「ううん? 何か。突然、現れた」
 モーリスが小さく笑った。
「転移が趣味でして。お初にお目にかかります。モーリス・ラジアルです。以後お見知りおきを」
「俺、葉室穂積ッス」
 そろそろ雛太のことも起こした方がいいだろう。
 執拗な恋の行方。ふとまた思考が戻る。その執拗な恋の行方がどうなったかは知らないし、興味もなかった。
「ひい。濡れちゃったよ〜」
 穂積が短髪を掌ではたく。
 雨はまだ、降り続いている。











END











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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 0086/シュライン・エマ (しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【整理番号 2254/雪森・雛太 (ゆきもり・ひなた)/男性/23歳/大学生】
【整理番号 4188/葉室・穂積 (はむろ・ほづみ)/男性/17歳/高校生】
【整理番号 2318/モーリス・ラジアル (もーりす・らじある)/男性/527歳/ガードナー・医師・調和者】


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■         ライター通信          ■
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こんにちは。
 街灯の手首 にご参加頂きまして、まことにありがとう御座いました。
 ご購入下さった皆様と
 素晴らしいプレイングやPCをお任せ下さった皆様の懐の深さに感謝致します。


 それではまた。何処かでお逢い出来ることを祈りつつ。
                       感謝△和  下田マサル