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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

「君には何が出来るかな?」
まるでバイトの面接に来た学生にどの職制に宛うか、判断の参考を求めるような口調で、西尾蔵人は問う。
「……彼を滅ぼす事を」
それを受けて、氷川笑也はこの場で求められたそれとして、当然の答えを返した。
「出来るのかな?」
だがそう切り返されて、言葉に詰まる。
 都内で有数の敷地面積を誇る公園、その広場の一つ……夕刻とはいえ緑に憩う人の姿はない。
 否、人の姿は過密と言えるほどに有り余っているが、そのどれもが一様に黒一色を身に纏い黙々と立ち働く様は偉観とも言える。
 その全ては『IO2』の構成員、同じ黒ながらも装備の別にそれなりのグループを作り、指示と確認の声以外、葉擦れなどの音らしき音の失せた大気の緊張を奮わせていた。
 それは何時か、瘴穴が口を開けたその空気にも似ていた。
 現世と違う大気、それだけで生きとし生ける存在から貪欲に生気を奪い、そして容赦なく滅ぼす異界の空気。
 退魔師としての感覚が、手繰るような感覚で以て笑也にその源を告げる。公園のほぼ中央の位置。
 溢れる瘴気は公園の敷地から出ず、その分だけ内部に澱んで濃さを増す。
 刻々と息苦しさを増す空気は肌を撫でるだけで体温を奪い、笑也の心と共に喪われた命を思い起こさずに居られず、笑也は彩糸に組まれた髪の一筋を手に握り込んだ。
 それが僅かにぬくもりを持つようで、悪寒が収るのに僅か緊張を緩める。
『IO2』から招請を受けたのは一刻ほど前……『虚無の境界』が大規模なテロ活動を起こすとの連絡に、制服のまま急ぎ駆け付けた笑也を迎えての、蔵人の問いが先のそれである。
 出来る、と断じられない笑也に、だが確かな是非を求めての沈黙で蔵人は先を促す。
 蔵人は黒の……けれどいつものスーツと違い、海外の特殊部隊が身に着けるような実戦的な装備をふんだんに配した着衣だ。
 けれど何処か忍者めいた印象を受けるのは、それを纏っている蔵人自身の気配のせいかも知れない。
 常にはのんびりとした印象ばかりが強い……と言えるほど強くもなく、あぁそういえば居るか、という程度の存在感なのだが、今は目の前に居るというのに気を張っていなければ見失いそうな程だ……針の一点の如く、収束する気配。
「ダ・ァ・リ・ン♪」
そう呼び掛けて蔵人の背後から、陽が投げる残光の赤みを髪の金に弾かせて抱き付いたのはステラ・R・西尾である。
「ダメヨ、そんな尖って聞いたんじゃ、笑也、困っチゃウン」
笑也の心中を代弁してそのままゴロゴロと懐く細君に、蔵人は苦笑に気配を解いて笑也に謝罪を向けた。
「済まないね、氷川クン。久しぶりの実戦で気が立っていたみたいだ」
頭を下げる動きに首にしがみついていた腕が解け、ステラは「あン」と不満の声を上げて離れる。
 とはいえもう一度抱き付くのは流石に現況から憚ってか、少し不満げに尖らせた唇に人差し指をあてて蔵人の隣に立つ。
 その姿も常と違い、全身を多うボディスーツでその豊満なラインを誇る肢体をぴったりと包み、それで既に装飾は不要と思えるのだが、本人は味気ないのか、光沢のある黒い記事に花の意匠を連ねたタイツをガーターベルトで身に付けているのはお洒落心のようだ。
 小脇に抱えていたフルフェイス型のヘルメットを両手で抱え直し、ステラは笑也に笑みかける。
「ゴメンなさいネ、笑也。オ願いしテ来テ貰っタのニ」
礼を欠いた詫びを受け取る訳にはいかず、笑也は首を横に振る。
 蔵人の問いも当然だ。自分は幾度となくピュン・フーと……今回のテロに深く関わるとされている彼と邂逅を果たしながら、彼を滅せないでいる。
 あの、黒衣の異形が紅いでが笑う、ただそれだけの些事に心奪われて、そして。
 失いたくないなどと願ってしまっている。
「……笑也?」
笑也の沈黙に愁眉を寄せて、ステラが名を呼ぶのに深く俯く。
「ここはいいからステラ。君も準備しておいで」
「ン、アナタも気を付けてネ、ダーリン」
気を回してか蔵人が促すのに、ステラは夫君の頬に軽く唇を押し当てて幸運を授ける。
 眼前であまりに自然に為される好意の応酬に目を見張る笑也を、ステラはスイと一歩踏み出してその顔を覗き込んだ。
「笑也、アノ子をヨロシクネ」
ステラのの真意が図れず、張った目を瞬かせた笑也の答えを待たず、彼女は金の髪を靡かせて軽い足音で駆けていく。
「すまないね、ステラはああいう娘だから」
妻というよりはまるで娘を評するように言い、蔵人はいつもの呑気な雰囲気に戻って続けた。
「本当はね、今回外部の人間を交えるつもりはなかったんだよ」
物問いたげな笑也の視線を受けて、蔵人は苦笑に頬を掻いた。
「彼女が氷川クンは部外者じゃないとあんまり主張するものだから……氷川クンは義務を果たしているんだから、見る権利と知る権利があるという奥サンのそれは強硬な主張でね。まぁ、見ての通りうちはかかぁ天下だから」
家庭の事情を職場に持ち込むタイプに見えそうで見えないが、蔵人が愛妻家なのはなんとなしに解る。
「公園内から、一柱たりとて怨霊を逃さないのが今回のお仕事なんだ。公園は円状に複数の包囲網と結界を敷き、包囲毎の取りこぼしを後続部隊が片付ける算段になってるから。君に、最前線に立って貰うワケに行かない……最後尾で、結界を護って貰うよ」
それはピュン・フーと相対する可能性がほとんどない事を示しているが、組織という生き物に無理を通しての温情の限界なのだろう。
「……それでは」
意味がないと、と。否定の響きを込めて吐こうとした言葉を、けれど蔵人のそしてステラの尽力を思って呑み込み唇を噛んだ、笑也を見て蔵人は口の端を上げた。
「でも、怨霊を祓って君が前に進んでくる分は止めようがないかもねぇ」
そして一つたりとて取り零すなと、言外に瞳の強さで告げる。
 自らの力を試されると同時、道を拓いて前に進む、それを留め立てしないという赦しに、笑也は強く頷いた。
 それに笑って蔵人は空に視線を向け、まるで独り言のように続ける。 
「本当は、君は彼の事など知らなくていいんだよ? 何も知らずにいれば何れ忘れる……でも女って生き物は残酷なくらいに優しいからね。男に、目を瞑る事も逃げる事も許してくれない」
しみじみと言って、蔵人は人生の年輪を覗かせて笑也に同意を求めた。
「ホントに優しいよねぇ、うちの奥サン」
けれど返答に困って、笑也は変わらぬ沈黙を保つにのみ、意思の表示を止めた。


 笑也は舞う。
 本来、能の世界は三間四方の舞台を一つの宇宙と見なし、その限られた舞台に現出する幽玄。シテが中心を担い、ワキが世界を回して地の謡いが囃子の音が、足立つ場を創り出す。
 ただの一人でそれを為す、ある意味それは欠けた力であるのかも知れない。
 天に黒く筋を作り、地に轟く呪いの声は生きとし生ける全ての存在へと向けられ、群雲の如く湧き上がる。
 その内に切り込むように、深部へと向かう笑也の舞は神喚び降ろすそれではない。
 笑也が舞うのは修羅。
 白梅を笠印にした若武者の、勇猛果敢な戦振りはその武勇を誇示する為のものでなく、勝ち戦に武勲を得ども逃れ得ぬ修羅道の苦しみで以て溢れる悪霊を迎える。
 箙と呼ばれる矢筒に白き梅を挿し、血腥い戦場に一筋涼たる香を残す……風雅にして苛烈な荒ぶる武人、その魂を舞う様に蹴散らされるが如く、立ち塞がれども千々に散って行く。
 だが、恨みに闇雲に生者に向かうしかないその魂は、一個の生き物めいた統率を持つ『IO2』の攻勢に為す術ないように見える。
 遠くからは風に乗って途切れ途切れ、銃声や高く呪いの言葉を吐いた絶命が届く……しかし如何に祓えど、滅せども正面から寄せる怨霊の群れが減じた様子もない。
 舞は過度の集中を要する……だが、身を護る術はそれしかなく、集中が途切れれば寄せ手の仲間入りをするのは目に見えている。
 僅か、周囲の瘴気が晴れた合間、笑也は額から顎へと伝う汗を手の甲で拭い取りながら予断なく見渡した視線の先に、ス、と真っ直ぐな立ち姿を見つけた。
「ヒュー……」
白杖を手にした盲目の神父は、まるで視線を持つかのように真っ直ぐに前を見ていた目線を笑也へと向けた。
「どなたかいらっしゃるのですか?」
ただ一度遭ったきり、その折に会話という形で言葉を交しすらしなかったが、その姿は記憶に新しい……『虚無の境界』に所属する神父、ヒュー・エリクソン。
「氷川……笑也と言う」
自らの名乗りは初めてだったのだが、ヒューは記憶を辿る僅かな沈黙を経て、にこりと笑んだ。
「笑也さんでしたか、お久しぶりです……ですが、このような不浄の地に長居するものではありませんよ。ここで、何を?」
穏やかな問い掛けに、笑也は宣告した。
「ピュン・フーを……」
滅しに。そう、宣告しようとした。
 だがその名を口の端に上らせた瞬間、ヒューが顔を向けていた方向に明らかな異形の影を見て声が詰まる。
 頽れる、ように地に膝を付いて、人型に切り抜いたような闇色。
 あまりにも純然とした存在に一瞬、見紛ったがその背に歪なまでに巨大な皮翼の姿を見て確信した。
「ピュン・フー!」
けれど笑也の呼び掛けに影は動かず、駆け寄ろうとした笑也の前にス、と白杖が遮る形で行く手を阻む。
「立ちなさい、レギオン」
ヒューがそう、影に向けて明確に呼び掛けた。
 ゆらりと上体を傾がせるようにして、人影は立ち上がる。
「こちらへ……笑也さんがお別れに来て下さいましたよ。お前の如き卑賤にも、心砕く人間が居る真実は喜ぶべきなのでしょうね」
一歩、一歩、その背に負った皮翼の巨きさから見れば当然な重い足取りで、ピュン・フーはヒューに従う位置に立つ。
 その姿は既にしとどに血に塗れ、僅か開いた口元から吐き出される浅い呼吸で肩が揺れるに僅か生の証を見るが、完全に表情が欠落した姿は死の近さを思わせるに充分な。
「ピュン・フーに何を……!」
咄嗟、信じ難い姿を目の当たりにし、声を荒げた笑也にヒューは水平に伸べた杖を地面に突いた。
「霊鬼兵、というものは人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
そこでひとつ息を吐き、ヒューは微笑みを深めた…物の姿を捉えぬ眼が開き、湖水の如き深さの青が夢を追うように朧な視線を漂わせる。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を……免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
「血肉を得たといえど、元よりの魂が怨霊です……神聖なる力に対する耐性は強くないようですね。ですが、『IO2』のやり方では得た実体を殺せても、魂までは容易に滅せない……幾度でも怨霊機に因って呼び起こせるという事が解りました」
そしてその度に、ピュン・フーの身を喰ませるというのか。
 俯き加減に伏せられた面、血に濡れた髪が額に張り付き、背に負った皮翼は死霊を宿して禍と渦を巻き、有らぬ動きに波打ち裂けて新たな血の滴りを作る……だが、前に緩く垂らされた両の腕の間を縛める銀鎖が僅かに鳴るのみで、苦痛すら刻まない姿に愕然とする。
 拒否や拒絶、笑也が他者に対して築いた沈黙の壁、誰も越えようとしなかったそれを易々と乗り越えて笑みかけ、物怖じせずに手を伸ばしてそして、いつまでも血の渇かない傷に触れてみせる。
 血の朱に怖じず、悼むでなく労るでなく、それが当たり前のように触れる手の温度が、熱を含んだ痛みを冷ます。
 月のような眼差しで以て。
 それら全てが、喪われようとしている事実。
「ピュン・フー……」
名を呼び掛ける声が掠れる。
「貴男と道を違えていても構わない。だからどうか、」
どうかまた。
 切なる願いが形を得ずに途切れる。
 自らの内に生まれた望みはそれまでの笑也からすれば有り得ない物で、心中の驚愕に喉の途中に懸かって止まる。
 その逡巡の間を、ヒューが窘めの言を吐いた。
「無駄ですよ笑也さん、コレにもう自我はない……あるとすればその身の内に詰め込んだ幾千という魂の怨嗟のみ」
諦念を促してヒューが突きつける事実に、笑也は緩く首を横に振った。
 魔魅を滅するのみに捧げてきた、その人生と引き替えに笑也は願う。
「……魔でも、鬼でも。人ならぬ身でも、生きて、いて欲しい」
ただ生きて。
 その事実だけあれば何も要らない。
 胸ポケットに忍ばせていた紙片を、笑也はヒューに向けて投じた。
 中空に自ら発する炎を得て、現出するのは異界の霊獣『讙』。百の獣の声を持ち、凶を払う、一眼三尾の特徴を持つ四肢の獣だ。
 笑也の血を糧に召び出された獣は、シャッと鋭い猫科の威嚇音を発してヒューを牽制する。
「レギオン」
ヒューが背に呼び掛けた。
 その声の質は名を呼ぶ響きではなく、無機物に対する感情の無さを持つ。
 呼び掛けに、ピュン・フーが僅か顎を上げた。
 髪が目元に落とした影が動く。
「笑也さんにお別れを……お前が決して行き着けない神の御許へと、お送りして差し上げなさい」
ヒューは胸の前で十字を切り、笑也を殺せとピュン・フーに命じた。
 閉じられた瞼が開く。
 まるで鮮血を流し込んだように眼窩を満たす真紅に眼差しはなく、ただ禍々しさのみが其処にある。
 緩慢な動作で右の腕が上がる……五指に鈍い銀めいて鋭利な爪が伸びた。が、それは指よりも厚みを持って肉を裂き新たな血を滴らせても止まる様子はなく、ぎしと不格好に捻れながら尚も伸びようとする。
 意志なき動きでその腕が跳ねた。
 細い腕を包むコートの内側、黒革の生地は泡が弾けるようにゴポリと盛り上がり、固い革を破って浮腫のように形為さぬ肉が血と共に爆ぜて骨を覗かせるが、それもまた皮膚を伴わない肉に覆われて腕の形状を醜く変える。
 ピュン・フーが、人としての形を失いかけている。
 吸血鬼の遺伝子、不死のそれが意識という統制を失い、ただ生きるにのみ蠢く肉塊へと、変えようとしている……しなやかに鋭く動く肢体が、笑也の髪を撫でた手が、真紅の瞳が笑む様が。
 肉体の激烈な変化に伴うだろう痛みにも表情を取り戻さないピュン・フーの意識は、ヒューの言う通り、苦痛と怨嗟の闇に呑まれてしまったのか。
 笑也は、ピュン・フーに手を差し伸べた。
 けれど、立ち位置は触れようにも届く距離ではない……それは舞の所作。
 面勝つ神と呼ばれる女神、天鈿女命。
 舞とは、闇に籠もった天照大神を岩屋から引き出した天鈿女命を始祖として受け継がれた呪法だ。
 魂振り、魂鎮める祈りの儀式。
 ただ力を乞う為のそれでなく、笑也は祈りを胸に舞う……ピュン・フーの魂を振るい、鎮め、祈る。
 ただ生きて、と。
 その祈りと呼ぶには幼く純朴な切なる願い、そして真なる。
 ただ一人に向けての舞。
 ピュン・フーが僅かに動いた。
 眼差しを欠いた目で笑也の舞を追うように、首が動く……壊れかけた人形のようにぎこちなく、けれど確かな意思ある動きで。
 そして真紅のみに満たされた眼窩が、ひどくゆっくりとした瞬きに隠れて、再び。
 開いた眼が、瞳を取り戻して笑也の姿を捉えた。
 異形と化した箇所に変わりはない、が笑也を見る眼差しは確かな意志を持って、口元が笑みの形に上げられる。
 そして、笑也に問うのだろう、いつもの問いを。
 僅かな安堵と期待に、足を踏み出しかけた笑也の脇を風が一陣、吹き抜けた。
 直後、ピュン・フーの身体が大きく傾いだ。
 全く唐突にその胸に生えた銀色の切っ先が覗き、血煙が上がる。
「……ッ!」
名を呼び駆け寄ろうとした、その肩を突かれて後ろに踏鞴を踏んだ笑也は、背景から染み出した残像のような黒い人影がピュン・フーに肉迫するのを見た。
 舞も式も、それどころか手も声も間に合わない。
「ゴメンね、氷川クン」
相手の謝罪だけがやけに明瞭に耳に届く。
 そして白を帯びた銀が一閃した軌跡に添って。
 刎ねられた頭が、落ちた。