コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

 印象という点で他に比類ない、それどころか群衆の中でも浮き出して見えるほどの存在感の黒はは朝の光の下ではまた格別で、箕耶上総は思わず胸の前で手を組んだ。
 その視界の直線上、ほぼ道向こうのオープンカフェの店先で通勤通学途上の人々を横目にモーニングアイスコーヒーと洒落込む知人を見る……黒革のロングコートに輪郭も濃く、時節や時間、その他諸々を無視して独特な雰囲気を纏った青年の姿を発見した僥倖を、上総は迸る歓喜に何者かに感謝せずにはいられなかった。
「神様仏様! 今までちぃとも信じとらへんかったけど、これがあんさんらの仕業やゆうんやったら改宗したってかまへん!」
運命論は捨てたのか。
 信仰のないままに入信するのを果たして改宗と言うべきか否かは置いておくとして、何故かそのままメッカの方向に向いて拝礼するアヤシイ人種と化した上総を、通勤途中の勤労者、通学途中の学生さん、と駅に向かう人の流れは明確に彼を避けて行く。
 ひとしきり祈って気が済んだのか、爽やかに額の汗を拭った上総はさて、と知人の姿を姿を求めてそれを見失った事に気付くいた。
「アレ? ピュンーッ! ピュン・フー! 何処行ったんやーッ!? 俺を捨てて行かんとってーっ!!」
歩道、車道もなんのその、車の存在をさっぱりと忘れてカフェまで一直線に駆けようとした上総だが、膝の位置でガツンと金属にぶつかって止まらざるを得ず、ガードレールはその存在価値を運転している皆様にとっての幸いとして発揮していた。
 朝から人身事故はゴメンだ。
「何してんの」
諦めきれず、道の向こうにその固有名詞を叫び倒していた上総の背後に、声かかかった。
 呆れと窘めの口調にふんだんな興味を含んで、あきらかに面白がっている……声の主に、上総は振り向き様に崩した均衡と体重を利用して勢いよく飛びついた。
「ピュン・フー!」
それを避ける事はせず、見事なまでに黒尽くめの青年は、抱き付かれた、というよりぶつかられた衝撃でずれた真円のサングラスを指で押して元の位置に戻す。
「上総、今幸せ?」
「ピュン……ッ!」
感極まって目を潤ませ、上総はしっかとピュン・フーに抱き付き直した。
「俺ん名前間違えんと呼んでくれたん初めてちゃう? 今世紀最大の感動や! てか意外に腰細いんやなピュン〜っ!」
感激にぐりぐりと肩口で顔を擦られ、ピュン・フーは痴漢と叫んで余人の助けを得られるものかと悩む。
「てか、お前が俺の名前をまともに呼ぶのも初めてじゃん」
さりとて抱き返してやるにはちょっとアレで、半端な位置で止められた腕がその心中の煩悶を示していた。
「で、ピュンは何しとんの? また今日もお仕事かいな?」
世に憚るテロ活動を『仕事』と称するピュン・フーに倣った上総の問いに、ピュン・フーは軽く肩を竦めた。
「俺は今日オフなんだよ」
誰かさんのせいで計画が中止になったから、とは言わない大人なピュン・フーである。
「うわー、めっちゃ奇遇やん! 俺も今日バイトないねん!」
上総は言いつつ、ピュン・フーに回された腕、その背の裏側で、目まぐるしいまでの親指の速さで携帯にメールを打ち込んでいる……急病により本日欠勤の旨、スーパーと土方のバイト先に同報で送る辺り抜け目ない。
 そして、抱き付いたままきらきらと見つめる眼差しは何かを期待しているようで、ピュン・フーは僅かに沈黙して上総の目を覗き込んだ。
「……今暇?」
うんうん、と上総は言葉なく頷く……『遊んでくれるの?』と見上げてくる犬の無垢なまでの眼差しは、時に意味のない罪悪感を去来させる……それに酷似した上総の無言のおねだりに根負けしたのか、ピュン・フーは諦め風味に肩を大きく落とした。
「…………暇だったら一緒しねぇ?」
示されたのは一枚のチケット。
 印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影……の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
しかもペアチケット。
「行く〜ッ!!」
はいッ!とそれは元気なお返事で、上総は片手で足りず両手を挙げた。
「行く行く! いやぁ〜デートに誘って貰えるなんて思ってもなかったで〜ッ」
思ってなかった割に、強烈なプッシュで圧力をかけた自覚はないのか。
 上総はピュン・フーの手からチケットをピ、と奪い取り、あまつさえ腕を絡めて逃げられないように捕獲……基、確保する。
「これはもー俺に『ぞっこん☆ラ・ブv』やな?」
歌い出しそうにご機嫌な上総に、けれどピュン・フーは大きく首を傾げた。
「ぞっこんらぶヴィってどういう意味?」
PC独特の暗号めいた表記……ちなみにハートマークの代替記号として愛用される『v』を、音にすると更に意味不明である事が、今ここに証明された。


 ぺったりと強化硝子に張り付いて、上総は光の角度に煌めく銀鱗の群を目で追う。
「……口、閉めとけよ」
順路は薄暗さとライトアップされた水槽に、硝子の映り込んだ鏡像の口元の緩みをこっそりと指摘されて、上総はさり気なく口の端を拭った。
「や、水族館てえぇよね〜♪」
先までの沈黙から一転、態とらしいまでの朗らかさにピュン・フーは影に紛れそうな濃さを保ったまま問う。
「食欲そそられて?」
「そうそう、魚美味そうで……」
上総の脳内で醤油で煮られたり、炭火で焼かれたり、衣をつけて揚げられたりと、凄惨極まる想像の材料とされている事も知らず、視線で追われる事に慣れきった魚達は水の内に相応しき流線の肢体の美しさを惜しみなく披露する。
「上総、涎」
想像の中で、両手を併せて変わり果てた魚に感謝を捧げていざ!という所まで行ってしまっていた上総は、再度の指摘に半開きだった口をぱくりと閉じる。
「っと冗談や冗談……」
言う割に、フォローにすらならないタイムラグが本気の所在を告げている。
 硝子がなければ嬉し楽しく掴み取りを慣行してそうな上総が、しつこく魚影を見つめる様にピュン・フーは苦笑した。
「上総、魚好きなのな」
「あったり前のこんこんちきや。貴重な蛋白源やで? そりゃ肉のほが食いでがあるし腹持ちえぇけど、お魚さんやったらカルシウムも豊富やし、頭もようなんねんもん、一石二鳥や。それになんやかんやで魚の方がお肉より単価高かったりするもん」
流石、おば様方にまみれて日中スーパーのバイトに勤しむだけの事はある。
 だが、鮮魚コーナーで根強いBGMを口ずさむのは、場所的にどうか。
「所でピュンは魚キライなん?」
半端な箇所で旋律を止め、不意にぐりんと顔を向けられて、ピュン・フーは首に手をあててこきりと鳴らす。
「んー、焼いたり煮たりしてあんのは喰うけど、刺身はイヤだな」
「なんでー、美味しいやん! やっぱ魚介類は新鮮さが命! その真髄を余す事なく美味しく頂いてこそ食物連鎖の有り難みやん? 取れ立てピッチピチのをこー濡れ布巾で頭押さえて目隠しして包丁を胸から腹にスーッと……」
だから水族館で魚を美味しく頂く方法を力説するのはどうかと思うが、動作付で力説する上総にピュン・フーがクスリと笑う。
「あ、笑た。もしかしてアホや思とる」
口の両端を下げてへの字にした上総に、ピュン・フーは笑ったままの口元で否定する。
「そんな事ねーよ」
「ホンマにかぁ?」
疑いの眼を向ける上総に、「ホンマに」と答えてピュン・フーは肩を竦めた。
「感心してんの。食うに積極的ってコトは生きるのに前向きってコトじゃん?」
上総にとってまるで当たり前の事で感心され、上総はきょとんと濃い茶の瞳を瞬かせた。
「何ゆうとんなピュン。そんなん当たり前やん……で、刺身の何処がアカンのん」
拘る上総が聞き質そうとするのに、移動を促してピュン・フーは歩き出す。
「生臭いのヤなんだよ。育ったトコで生食の習慣なかったし」
「へぇ、内陸の方なん?」
何気ない興味に、これまたピュン・フーが何気なく答えた。
「イヤ、香港」
あまりにあっさりと告げられたそれの意味を理解するまで、上総はしばし時を要し、その間に止まってしまった足にピュン・フーの背を見送る形となる。
「へぇ〜……」
薄暗い通路の向こうは一転明るく、それを背景に影絵のような後ろ姿に上総は破顔した。
「へぇ〜、へぇ〜、へぇ〜、そうなんやピュン〜」
彼を待って通路の先で足を止めたピュン・フーに何故か照れ、上総は小走りにその隣に並んだ。
 途端、視界が開ける。
 その蒼の領域に踏み出す一瞬、見上げずに居られない、透明な圧力で其処に在った。
 水族館の大水槽、その青に透過された光線が、魚影が過ぎる影を揺らめかせる。
 奥深く広がる水槽の中…閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持の為の酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
「へ、ぇ〜……」
あんぐりと口を開け、圧巻ともいうべき蒼に目を奪われる上総を少し笑って、ピュン・フーは水槽に歩み寄った。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
指が水槽を叩く…波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、それは固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう…いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔に波紋の影が揺れた。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
微かに笑みを刻んだ横顔が、続ける。
「上総、今幸せ?」
いつもの問い、いつもの笑み。
 是と答えるのは簡単だが、ピュン・フーの求める答えはそう単純なモノでないと上総は感じ取り、ぱくんと口を閉じた。
「なぁ……ピュンは『幸せ?』て聞くやん?」
その正面の位置に立ち、身長にさほどの差は感じられないがやはり少々高い位置にある目元を見る。
「それって、何で?」
笑う口元が笑みを深める。
「知りたいから、かな」
そして答えを示して、上総に先を促して首を傾げて見せた。
「ピュンは幸せを運ぶ使者☆になりたいワケちゃうやろ? なぁ……何で?」
上総は手を伸ばし、ピュン・フーのコートの襟を掴んだ。ふと、蒼に溶けてしまいそうな、そんな不安が去来する。
「ピュンは……幸せって何やと思う? 自分は今幸せ? 幸せに……なりたいと切望してるんとちゃう……?」
熱を持たぬ上質の革の手の内に握り込み、縋るように問いを重ねる、上総に困ったようにそして宥めるようにピュン・フーは軽く上総の手の上から掌を重ねた。
「それが知りてぇから、聞いてんの」
 ひたりと低い温度で、陽に晒されていない質感の肌を見る……重なる手が置かれたのは左の胸、心臓の位置。
 意図はしなかったが、その鼓動を感じ取れそうに近いというのに、存在を奇妙に遠く感じて上総は一つ、息を吐く。
「……俺は毎日幸せやで?」
一転、明るい調子で顔を上げ、上総はピュン・フーに笑顔を見せた。
「おっちゃんもおばちゃんも可愛がってくれよるし、着るモンも食いモンも住むトコにも困っとらんし!」
文明生活に重要な要素を指折り数えて胸を張る。
「でも好きな奴と一緒におれたらもっと幸せ」
告げてピュン・フーのコートをぐいと引き寄せた。
 不意の力に、コートの中身も一緒について来るのは計算の内、上総はピュン・フーか体勢を立て直すより先にそのサングラスを引き抜いた。
 顕れるのは不吉に赤い、月のような瞳。蒼を透かしても変じぬ程に確かな赤は、至近で更に深く紅く、上総を捉える。
 咄嗟、背筋に走った悪寒に、上総の腕が反射的にピュン・フーを突き飛ばそうとするが、その本来の意図を無視した身体の反応を許さずに、上総は薄い色の唇に自らのそれを併せた。
 重ねられた手と同じ、体温と呼べるようなぬくもりは感じられずに硝子に口付けているようだが、吐息は確かに暖かい。
「上総……?」
併せられた唇の、名を刻む動きを舌先でちろりと舐め、上総は身を離した。
「好きやで、ピュン・フー」
極上の笑顔で。
 そして次の瞬間、火を吹くように頬に血が上るのを自覚し、上総は手にしたままのピュン・フーのサングラスをスチャッと装着すると、身を翻してその場から逃げ出した。
 達成感とかどう思われただろうか嫌われはしないだろうか勢いだけやないけど本気の告白なんや久しぶりで恥ずかしいぃぃ! などという心の変遷がその逃走速度を上げる。
「上総、今度でいいから返せよそれ……」
苦笑混じりの声のみが背に追い付くのに、上総はひらひらと手だけを振って、己の羞恥から逃げるのに専心する事にした。