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<PCシナリオノベル(シングル)>


暗い夜から奈落へと


●序

 千鶴子は最近不機嫌だ。恋人である、浩太の様子が変だから。
(あれは、いつだったかなぁ)
 千鶴子はふと、浩太が変になった時期を、原因を探す為に思い返す。
(……そうだ。一昨日だっけ?公園に行った時。あの時から、全然会ってないんだもん。間違いないよ)
 二人で何気なく目に付いた公園に入り、ベンチに座った。浩太は飲み物を買ってくると自動販売機に向かい、千鶴子は大人しくベンチに座って待っていた。その時、メールが入ってきたのだ。浩太から。
『飲み物、何がいい?』
 千鶴子はくすりと笑い、『紅茶。あったかいのね』と入れて返す。
『了解!…今さ、すっげー変な木を見つけたんだ。紫なんだぜ?』
 更に返信されたメールを読み、千鶴子は小さく「へえ」と呟く。
『不思議だねぇ。なんなら写メしてね』
 千鶴子はそう入れ、浩太からの返信を待った。だが、浩太からの返事は無かった。そして、飲み物を持った浩太も帰って来なかった。
「遅くない……?」
 十分経っても帰ってこない浩太に、千鶴子は電話した。こういう時、携帯電話って便利だと思いながら。すると、浩太は電話に出てただ「もう、帰るから」とだけ言ってきた。一緒に帰ろうだとか、用事を思い出したとか、もう少し待っていてとか、そういうのも全く無しに。
(一体なんだったのかなぁ。……私も、あの時は腹立って帰っちゃったけど)
 そんな浩太が気になり、千鶴子は思わず浩太の家にやってきてしまった。家族と同居しているが、二人が付き合っていることは一応家族公認である。突然来たからといって、追い返される事は無いだろう。
 千鶴子はインタフォンを押す。浩太の携帯電話にメールをしても電話をしても応答が無かったから、突然くることになったのだ。だから、これは仕方名の無い事なのだと説明する言葉を頭の中で整理しながら。
 だが、ドアが開く事は無かった。千鶴子は家の中を見つめ、出かけているのかと不安になる。
(一応、一応だもの)
 千鶴子は自らにそう言い聞かせ、そっとドアを開く。鍵がかかっていなかったのか、ドアが容易に開く事が出来た。そこから顔を覗かせ「すいません」と声をかけた。すると、玄関先には見慣れた姿が立っていた。後姿だったが、間違いない。浩太の姿だ。
「浩太。なんだ、いるんじゃ……」
 いるんじゃん、といおうとした言葉は、悲鳴へと変じてしまった。浩太の足元には、真っ赤に染め上げられた体が二つ倒れていたのだ。浩太の父親と母親、どちらも一度会った事がある。
 いやああ、と叫びつつも千鶴子は体を動かすことが出来ずにいた。浩太が立っていたから。そして、その悲鳴に浩太がゆっくりと振り向いた。浩太の口元は真っ赤で、ぎろりと三つの目で千鶴子は睨まれた。両の目に加えて、額にあった三つ目の目で。
 千鶴子が見ることが出来たのは、それだけだった。千鶴子自身も、浩太の口を染め上げる事になってしまったのだから。
 千鶴子は知らない。浩太の額にある第三の目が、満足そうに細められた事を。
 そして、全国各地でたくさんの第三の目が、細められている事を。


●暗い夜から

 探していた。ずっとずっと探していた。この世における全ての事柄の中でも、最重要必須事項を為す為にも。

 セレスティ・カーニンガムは、青の目を哀しそうに光らせ、溜息をついた。新聞やテレビで報道されている、最近のトップニュースについてである。
「全く、酷いもんだな」
 コーヒーカップを両手にし、草間がそう言いながら現れた。最近メディアを賑わせているニュースが、セレスティを草間興信所に赴かせていた。
「本当です。……何かを、酷く思い出すようです」
 セレスティはそう言い、少しウェーブがかった銀の髪を揺らした。セレスティが思い出すのは、数ヶ月前に遭遇してしまった霧里学院で起こった楡の木に纏わる伝説と人喰い事件であった。一見終わったように思っていたのも手伝い、このたびの一連のニュースはセレスティの心を苛めて堪らない。
「ま、そんなに気を落とすなよ。そんなに気になるんなら……」
 草間が何かを言いかけた時、興信所のドアが勢い良くばん、と開かれた。思わず草間もセレスティもそちらを見る。
「やっほー、草間」
 陽気な声で挨拶をしながら立っていたのは、加鳥・俊作(かとり しゅんさく)であった。退魔戦闘部隊に所属している割には、気の良い男である。
「……加鳥」
 ばん、という勢い良く開かれたドアの音を頭の中で響かせつつ、草間はそれだけを俊介に言う。俊介はにかっと笑い、ドアを後ろ足で閉めた。
「よ、元気?あ、セレスティさんもいるのか」
「こんにちは、加鳥さん。相変わらず元気そうで、何よりです」
 セレスティが微笑みながら言うと、加鳥は「まあね」と言いつつどかっとソファに座る。そして、草間とセレスティが手にしているコーヒーカップを見つめ、草間をじっと見つめた。
「……草間」
「分かっている。ちょっとそこで待っておけ」
 言葉も無くコーヒーをおねだりする事に成功した俊介は、にやりと笑いつつセレスティに向かった。
「本当に久しぶりだな。彼女は元気?」
 悪戯っぽく笑いながら言う俊介に、思わずセレスティは吹き出す。
「ええ、元気ですよ。きっと、彼女もあなたに会いたかったでしょうに」
「それは残念だな。何しろ、こうして今ここに来れたのも必死になって時間を作ったお陰だしね」
「そんなに、お忙しいのですか?」
 セレスティの言葉に、俊介は苦笑して「まあ、ね」と答える。
「で?そんなに必死になって時間を作って、一体何を持ち込みに来たんだ?」
 コーヒーカップを片手に、草間が尋ねた。コトン、と音をさせながら俊介の前に置いてやると、俊介はそれをすぐ手にとり、一口飲み干す。
「今、全国で頻発している事件の事だ」
 俊介の言葉に、はっとしてセレスティと草間は顔をあわせた。そんな二人に構わず、俊介は続ける。
「退魔の中でも話題になっているんだけど、上層部が情報をこちらに回してくれないんだ。そこで……まあ、色々してな」
 俊介は「色々」のところに力を込めて言い、苦笑する。
「勝手に調べてみた。そうしたら、N県にある宮窪村っていう場所で三百年前に起きた事件と酷似しているっていう事がわかったんだ」
「宮窪村っていうと……常世の門と言われている『違う世界への入り口』を、監視する村か?」
 草間が確認するかのように言うと、俊介はこっくりと頷いた。
「今起こっている事件が気になっていたから、村長に話をしてみた。そうしたら、詳しい話を聞かせて欲しいから村に来て欲しいといわれてな」
「……村に来て欲しい、という事は何かがありそうですね」
 セレスティはそう言い、温くなったコーヒーを口に運んだ。ただ話をするだけならば、手紙や電話で事足りる。だが、実際に足を赴いて欲しいという事は、その裏に何かがあると思ってほぼ間違いないだろう。
「そうなんだ。……って事で、一緒に来てくれる人手が欲しいんだ」
 俊介がそう言うと、セレスティはそっと微笑みながら俊介に向かう。
「私ではいけませんか?」
「そりゃ、嬉しいけど……いいのか?」
 簡単に承諾を得たことに俊介は戸惑う。セレスティは苦笑し、そっと口を開く。
「私も気になっていたんです。……以前、霧里学院で起こった事件に関わってしまったという意味も含めて」
「……それは、災難だったな」
 俊介はそう言い、改めて「宜しく」と頭を下げる。
「気をつけてくれよ、二人とも。……そしてまた、コーヒーでも飲もうぜ。入れてやるからさ」
 草間はそう言い、自分の持っていたカップの中のコーヒーをぐい、と飲み干すのであった。


●更に暗き世界へ

 ただがむしゃらに探していたのでは、埒があかないと気付いた。大事なのは見極める事だ。探す為の礎を、見極める事なのだ。

 N県宮窪村までは、車で行く事となった。運転は勿論、俊介である。
「いやー。セレスティをこんな車に乗せるのはもの凄く申し訳ないんだけどさ」
「構いませんよ。連れて行ってくださるだけで、嬉しいですから」
「そうか。……で、例の件なんだけど」
 俊介は暫く考え込み、そっと口を開く。
「今回、本当に受けてもらえてよかったよ。正直、俺だけだと荷が重いと思っていたからさ」
「加鳥さんほどの人が、ですか?」
 セレスティは驚き、思わず聞き返す。俊介は陽気な人柄とは似つかわぬ戦闘能力を持っている。退魔の中ではそんなでもないとは自分で言っているものの、それは謙遜であろうとしか思えぬほど。
「そんな事無いって。今回の事件、上層部は何も情報を寄越さない。いや、だからこそ勝手に調べた訳だけど……」
 俊介は言葉を濁し、苦笑する。
「何故、情報を寄越さないのかも分からない。これだけの事件で、これだけの騒ぎだ。もっと下の方にまで情報を渡して総員で対処するのが通常なんだ」
「しかし、上層部は全くそのような動きはしない、という事ですか」
 セレスティの言葉に、俊介は頷く。溜息混じりに。
「村長さんが話をして欲しいと言ってきたとき、これは好機だと思ったさ。だけど、それ以上にやばい気配もしたんだ。正直、こんな事に巻き込むというのは気が進まなかったんだけど……」
「いいえ。……私も私で、気になっていたのは事実なんですから」
 セレスティはそう言った後、はっと気付いて口を開く。
「加鳥さんは、月宮氏をご存知ですか?」
「月宮……ああ、月宮・豹(つきみや ひょう)?」
 俊介の問いかけに、セレスティは頷く。
「知ってるも何も。退魔やってる奴なら知らない人はいないって。カリスマ的存在だもんな」
 俊介はそう言った後、ぼそりと「俺は好きじゃないけど」と付け加える。
「で、月宮が何?」
「……彼は、退魔の上層部たちと行動を共にしているのでしょうか?」
 セレスティがそう言うと、俊介は眉間に皺を寄せる。
「そりゃ、奴らが率先して対処しているだろうから一緒に行動していると思うけど……何かあるのか?」
「……そうですか」
 セレスティはそれだけ言い、ぐっと拳を握り締める。
(許し難いですよ、月宮さん)
「何かあれば言ってくれよ。……俺じゃ、頼りにならないかもしれないけどさ」
「話せば長くなりそうなので、またの機会にしておきます」
 セレスティが苦笑しながら言うと、俊介はこっくりと何度も頷く。
「んじゃ、その時を楽しみにしとくか。……楽しみにするって言うのも変だけど」
「はい。……ああ、見えてきましたね」
 セレスティたちを乗せた車が、『宮窪村』と石に刻まれた場所へと入っていく。二人は顔を見合わせ、こっくりと頷きあった後に車を進めていくのだった。


 宮窪村は、何処か懐かしい思いを起こさせる場所であった。緑の山々に囲まれ、たくさんの田畑の中に家が存在している。そしてその家も、武家屋敷のような印象を受けるものや、茅葺屋根を持ったものまであり、古さは否めない。近代的な建物は何一つ無く、あえて言うならば電信柱が立っていることくらいであろうか。今や、どこの地域にも一つくらい存在しているといっても過言ではないコンビニエンスストアですら、見当たらない。
「古きよき日本って感じだな」
 車を走らせつつ、俊介は呟く。セレスティも小さく微笑む。
「そうですね。私の故郷すら思い出させます」
 ふと、道端に一人の老婆を見つけて俊介は車を止めた。窓を下げ、にこやかに声をかける。
「すいませーん。村長さんの家はどちらですか?」
 老婆はじろりと二人を睨むように見、黙って道の向こうを指差した。
(あの目は……)
 セレスティはにこやかに微笑んで老婆の気を和らげようとしたが、駄目であった。
(敵を見る目です)
「どうも、有難うございま……」
 俊介が全てを言い終わらぬうちに、老婆はその場を去っていってしまっていた。
「なんだ、感じ悪いなぁ」
 車の窓を閉め直しながら、俊介は唇を尖らす。
「何か変ですね」
「だよなぁ。俺たちが何をしたんだっつーの」
 俊介は再び車を走らせ出した。セレスティは小さく溜息をつき、窓の外を見つめた。田畑で作業していた男は、こちらを見て露骨に嫌そうな顔をしていた。雑貨屋で話していた二人の中年女性たちは、こちらを見て眉間に皺を寄せながらひそひそと話をしていた。
(明らかな、敵意ですね)
 セレスティは苦笑する。隣で運転する俊介もそれを感じたらしく、唇を尖らせたままだ。
「そういや、セレスティに言ったっけ?村長さんのこと」
「いえ、まだですね」
 空気を変えるように、俊介は切り出す。そして、悪戯っぽく「ふふふ」と笑う。
「村長は女の人なんだ。里村・静香(さとむら しずか)っていう、声を聞いただけでも優しそうな感じだったぞ」
「村長さんが女の方ですか。……それは、お会いするのが楽しみですね」
 少しだけ明るくなった車内で、二人は笑い合った。そうしている内に、道の向こうに今までとは違う大きな建物が現れてきた。少し小高い丘に建っているのも手伝い、聳え立っているようにも見えた。
「車は……ああ、この辺に置かせて貰っちゃおうか」
 俊介はそう言い、家の近くに開けていた場所に車を止めた。セレスティは杖をつきながら車から出、村を見渡した。
「……加鳥さん」
「ん?何……」
 セレスティに呼ばれて村を見に行った俊介は、思わず言葉を失った。
 村全体が、正五角形の形をしていた。そうして、この村長の家は正五角形の頂点にある。
「こちらが北のようですから、正に一番の頂点という訳ですね」
「伊達に常世門を監視していないって訳か」
 二人が感心しながら村を見ていると、道の一部で揉め事が起こっているのが分かった。黒いスーツを着た男数人と、老人が言い争っている。
「……行きましょうか」
「……だな」
 二人は顔を見合わせて頷きあい、その場へ向かうのだった。


●落ちゆく景色の中

 見つけた、というのは光が差す事と似ている。否、全く同じといっても過言ではない。探しつづけた闇の中、見つけたという光。何事にも変えがたく、何者にも奪わせたくない。

 揉め事の現場につくと、まず俊介が舌打ちをした。が、それにセレスティは気付く事なく揉め事に割って入る。
「何をしてらっしゃるのです?」
「何をって……見て分かるだろう?捜査だ」
「捜査には決して見えないようですが」
 ぐい、と俊介はセレスティの袖を掴む。そちらを振り返ると、俊介が首を横にゆっくりと振っていた。
「何を言っても無駄だよ。……上層部ってのは、そういう連中だからさ」
「ほほう……貴様、どこかで見たと思ったら……」
「同じ退魔の仲間ではないか。ならば分かるだろう?邪魔をしないでくれたまえ」
 俊介がじっと睨みつけている間に、セレスティは囲まれていた老人の元に行く。
「大丈夫ですか?何もなかったですか?」
「……結構だよ。どうせ、あんたらもそこのと同じようなもんなんだろ?」
 助けに入ったというのに、老人の目も口調も冷たかった。セレスティは思わず哀しく目を光らせる。
「我々は、ただ聞いていただけだよ。この村に纏わる話をね」
「あんたらに何も話すことはないのだと、何度言ったら分かる……!」
「おやおや、強情は寿命を縮めるというのに」
 上層部たちの言葉に、セレスティと俊介がより一層睨みつける。
「いい加減にして下さい!……そのような態度をされると、即刻村から出ていっていただくと言っていましたでしょう?」
 突如、後ろから凛とした女性の声が響いた。皆が注目すると、そこには二十代半ばであろう年の女性が立っていた。嫌味という訳でもない、美人である。彼女の登場に、上層部たちは顔を見合わせ、笑い合いながらその場を去って行った。「せいぜい頑張るんだな」という嫌味な捨て台詞をその場にいたセレスティたちに残して。
「……感じ悪くて、本当にすまん」
 ぺこりと頭を下げる俊介に、セレスティは苦笑する。
「別に、加鳥さんが悪いんじゃないでしょう?それに……」
 セレスティはそう言って女性を見る。女性は先程までの顔をふっと和らげ、微笑んだ。
「加鳥さんですね?私が、村長の里村・静香です。先程はみっともない所をお見せしまして」
「そんな事はありません。……こちらこそ、同じ仲間だとも思いたくない奴らが迷惑を」
「いいえ。あの人たちがあなた達と関係が無い事は、重々承知しています。どうか、お気にになさらないで下さい」
 静香はそう言い、微笑んだ。彼女の登場に、老人はぺこりと頭を下げてその場を立ち去っていってしまった。静香はそれを見送ってから二人に振り返った。
「では、改めて家にきてください。……あの車を見て、お二人がいらっしゃった事は分かっていたのですが」
「あの車は、あそこでも構いませんか?」
 俊介が尋ねると、静香はにっこりと笑って「ええ」と頷いた。感じの良い人だ、と二人は実感する。
 そうして、改めて静香の家へと向かうのだった。


 静香の家で、俊介は話した。件の、頻発した人喰い事件である。それを聞き、静香はただこっくりと頷く。
「ええ、存じております。最近、新聞でもテレビでも騒がれていますから」
「私達は、この村でも三百年前に同じような事件があったと知りました。それで、気になったのですが……」
 セレスティはそう言い、出された茶を一口飲む。
「三百年前に起こったことが最初の事件で、今の事件は連動しているのでしょうか?それとも、模倣しているのでしょうか?」
 セレスティの言葉に、俊介は「ふむ」と唸り、静香は俯いて首を振った。
「私には、分かりません。……三百年前に起こったというのは、聞いた事がありますが……ただそれだけです」
「なるほど。その時の様子を詳しく知っている、というわけでもないのですね?」
 俊介の問いに、静香はただ頷く。ゆっくりと。俊介とセレスティは顔を見合わせる。ここまで足を運んだ割に、貰える情報が少ない。空振り、と言ってもいいくらいかもしれない。勿論、少しだけならば情報が得られたと言えなくも無いが。
「……里村さん、もう一つ気になることがあるんです」
「何でしょうか?」
 セレスティはじっと静香を見つめ、口を開く。
「今の状況を収める方法を、知りませんか?」
 セレスティの言葉に、俊介も静香もはっと息を飲んだ。セレスティはそれに構わず続ける。
「この状況が三百年前にも起こっているのでしたら、三百年前に収めた方法があるはずなんです。その方法は、ご存知ないですか?」
「……確かにそうだ。もし三百年前に収められてないなら、今までずっと続いていたはずだもんな」
 俊介が納得している中、静香はしなやかな指をそっと唇に持っていく。そうして深く考え込み、口をきゅっと結んで顔を上げた。
「……お二人とも、今日は休んでくださいませ」
 静香はそれだけ言うと、すっと立ち上がって部屋を出ていってしまった。俊介とセレスティは顔を見合わせて頷く。
 きっと近いうちに、静香が何かを教えてくれる筈だと信じて。


●奈落へと

 記念すべき日が訪れる。全てにおいての変革の時が現れる。ありとあらゆるものたちにとっての、最重要事項が降り注ぐ。……ブラヴォ!

 真夜中、すすす、と開く障子の音が部屋中に響いた。セレスティも俊介も、互いに色々話し合っていたために、寝巻きすら着ていない状態であった。
「すいません、こんなに夜遅くに」
「いいえ。私達もこうして起きていましたから」
 申し訳無さそうに言うのは、静香であった。その静香を、セレスティはそっと微笑んで和ませる。
「それにしても、どうしたんですか?」
 俊介が尋ねると、静香は二人を外へと誘った。静香に続き、二人もそっと靴を履いて庭へと向かった。すると、庭のある一角に厳重な結界が張り巡らされてある場所に案内し、更にその奥にある結界をそっと解いて静香は何かを取り出した。
「……それは……」
「苗、ですね」
 俊介とセレスティが、驚いたように静香の持つ紫色の苗木を見つめた。静香は小さく微笑み、口を開く。
「これは、違う世界の住人なんです。三百年前、常世門からこの世界に逃げてきたんです」
「違う世界の住人、ですか」
 セレスティの言葉に、静香は頷く。
「今、日本で頻発している怪事件は、これの分体が巻き起こしているのです。かといって、彼自身に害意がある訳ではありません」
 静香が言うと、俊介が「うーん」と唸りながら苗木を見つめる。
「悪いのは、この苗に邪念を降り注ぐ人間っていう事ですかね?」
「そうです。それを知っているからこそ、里村家は苗を退魔や人間達から隠してきたのです」
「しかし、分体を防ぐ事は出来なかったというわけですか」
「ええ。でも……彼が本体ですから」
 静香はそう言い、微笑む。セレスティと俊介は顔を見合わせ、はっとする。
「つまり、対処法があるというわけですね?」
「その通りです。あなた方ならば、お教えしてもいいと思いましたから……」
 静香の言葉は、そこで途切れた。はっと目を見開き、家の屋根を見つめていた。セレスティと俊介もその様子に気付いて屋根を振り返る。そこにいたのは、昼間見た退魔エージェントの上層部であった。
「……ようやく、出したというわけか」
「結界を幾重にも張り巡らせたまでは良かったかもしれないのになぁ。残念残念」
 エージェントたちはそう言い、屋根を蹴って飛び降りてきた。俊介は懐に手を突っ込んで銃を取り出して構え、二人に立ちはだかるようにして立つ。
「セレスティ!ここはいいから、行け!」
「分かりました!……里村さん、こちらへ!」
 セレスティはそう言い、静かの手首をぐいと引っ張って水の結界を張り巡らせる。静香の手には、まだ苗木がしっかりとある。それを確認し、セレスティは静香と共に外へと向かった。セレスティの足が悪い為にあまり早くは走れないが、その分強固な水の結界がエージェント達の攻撃から守ってくれていた。そして、漸く門の外に出て辺りを見回し、気配を感じないと判断した所で結界を解いた。
「里村さん、大丈夫ですか?」
「ええ。……彼を、利用しようとしているのは分かっていたんです。本当に、分かっていたんですけど」
 静香はそう言い、ぐっと拳を握り締めた。と、その時妙な気配が辺り一帯を包み込んできた。セレスティは慌てて水の結界を張り巡らし、注意を払う。
「……このような結界、手ぬるい!」
 声が響いたかと思うと、静香の体が突如セレスティの張った水の結界外に押し出されてしまった。
「里村さん!」
 セレスティは慌てて更に強固な結界を静香の周りに張ろうとしたが、その前に静かの体は刀によって貫かれていた。エージェントの黒スーツが、闇の中だというのに浮き出てきたかのようだった。
「……残念だったなぁ。苗木は、頂くとするよ」
 エージェントはそう言い、苗木を拾う。……否、拾ったと思った。だが、気付けば拾うべきエージェントの手はそこには無かった。ぼとりと地に落ち、空を手首が探っただけに留まってしまった。そして溢れ出す、鮮血。エージェントは突如起こった自らの不幸に、大きな叫び声をあげた。
「駄目だよ、あげる事はできないんだから。……ねぇ?」
「月宮さん……!」
 くすくすと笑いながら、豹はそこに。立っていた。悲鳴をあげるエージェントに「煩いよ」とだけ言い、体をばらばらに引き裂いた。そして、何も邪魔がなくなった時点でひょいと苗木を掴む。
「ははは、やっと手に入れたよ。これが本体なんだね、なんとも美しい」
「つ、月宮さん!……何故、こんな所に!」
 銃を片手に現れたのは、俊介であった。多少傷があるものの、生きている所を見れば、エージェントたちを倒してきたのであろう。そして、呆然とするセレスティと、既に動かぬ静香を見てぐっと奥歯を噛み締める。
「セレスティ……一体、これはどういった冗談なんだ?」
「……加鳥さん。これは何の冗談でもないんですよ。月宮氏は、以前あった霧里学院においても……暗躍していたんです」
「……月宮さんが?あの月宮さんが?そんな……!」
 驚く俊介に、豹はくすくすと笑った。苗木に何かを囁き、そっと地に置いた。にっこりとセレスティと俊介に笑いかけ、動かぬ静香の体を蹴って転がす。
「中々にして楽しい見ものだったよ。でもね、邪魔はよくない。前もそうだったけど、邪魔って言うのは本当によくないなぁ」
 豹はそう言い、ぱんぱんと手を叩いて空を仰ぐ。
「さあ、時はきた!……ショウを始めようじゃないか!」
 豹がそう言った瞬間、苗木が紫色の光を放ったかと思うと、勢い良く成長を始めだした。みるみるうちに巨木へと変わり、花を咲かせた。赤みを帯びた紫色の花だ。
 びゅう、と風が吹いた。セレスティは慌てて自分と俊介の周りに水の結界を張り巡らし、風によって流れて行く花粉を防ぐ為だ。
 風に乗っていく花粉は、見るだけならば美しかった。ひらひらと風に乗った薄紅の花粉。しかし、それらは村の人間の額に取り付き、あるものへと変貌させるものであった。
 即ち、額に第三の目を生じさせるのだ。
「記念すべき瞬間に立ち会えた事を、光栄に思いたまえ。零の時を迎えるのだよ!」
 豹は、あはははは、と大声で笑った。空に浮かぶ月へと届くのではないかと思えるほどの、大声で。
「セレスティ……これは、何かの悪い夢か?俺は、夢を見ているのか?」
 転がる静香の死体。風に乗る薄紅の花粉。笑う豹。思わず、俊介の目から涙が溢れてきた。
「夢ならば、良いでしょうけど……これは残念ながら現実のようですよ」
 第三の目を生じさせた村人達は、人を喰らうようになるのだろう。脳に近い場所に生じた目は、彼らを欲望のままに操ろうとするのであろう。
 零の時を迎えようとする為に。
 セレスティは眉間に皺を寄せながら空を見上げた。豹が笑いながら見つめる空だ。そこには、光の全く無い新月が、姿も無く浮かんでいるのであった。

<闇より深き奈落へと誘われ・了>