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<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬

 深夜のオフィス街は、眠らない人間に優しい。
 否、眠れない人間だからこそ、細々とだが闇を照らして光を保つ場に在るべくして有るのだろう。
 そして〆切に追われる作家もその部類に入る。
 秋山悠は、まさしく徘徊と言う表現に相応しい風体で、眠らない街を彷徨いていた。
「ネ〜タ〜……ネタがないのよぅぅぅ〜」
手には24時間営業のコンビニエンスストアのビニール袋、薄く透けて見える内容量の割りに妙に軽そうなのは、中身を既に悠が食らい尽くした為だ。
『秋山みゅう』のペン・ネームで若年層向けの小説を上梓する悠、その肩と筆に一家四人の生計を担うだけに、精神的な崖っぷちはギニア高地の高度を誇る。
 PCの前で唸っていても一文字も打てない、進まない。そんな時、悠はネタを探して流離う癖がある……言葉を選べば気分転換の散歩だが、実体験に基づいて妙にリアリティのあるホラー、ミステリーが悠の売りだ。
 畢竟、下敷きとなる経験がない事には執筆への意欲に欠けるのも事実で、食指を動かすネタを求めてよろよろと、ふらふらと。
 時に道路脇の植え込みを掻き分け、電灯にたかる羽虫を手刀ではたき落とそうとし、警察官なら義務に声をかけるが民間人は目を逸らして現場を立ち去るに違いない、奇行を重ねつつ悠は口中に呪文の如き呟きを繰り返す。
「ネタネタ〜……寝たいいぃ」
ついでに睡眠不足でもあるようだ。
 それでも理性はしっかりと生き、姿はシャツにスリムタイプのパンツ、それにストールを肩にかけてちょっと小腹が空いて買い出しに出ました風、手にしたビニール袋もコンビニ帰りを装おう為の小道具に、ついで彷徨くのも人通りのないオフィス街なら警察官に見咎められて職務質問の上、宿泊施設までお世話頂くような心配も少ないかと場所を選んでいる。
 公務員の皆様には是非精力的に職務を励行して頂きたいが、ただ徘徊しているだけの善良な一般市民には大きすぎるお世話でしかない、というのが悠の主張だが、目につかないように気を使っている分大目に見て欲しくもある、そんな複雑な心情でもある。
「……いいかもしんない」
とりとめのない思考に光明を見出し、悠は胸の前で手を組んだ。
「留置場……拘置。新しいわ、いえ、使い古されたからこそ目新しいわ……!」
目に光を取り戻し……などという生易しいものでなく、爛々と底光る眼差しを、悠は等間隔の街灯に闇と光が交互の領域を主張する道の向こうにき、と据えた。
「そうと決まれば話は早いわ!」
言って悠は何を思ってか、歩道から車道へと踏み出した。
 二車線の道路、その中央のラインを平均台宜しく歩き始める。
「道交法違反〜♪」
常識の点から、車道を歩行するのは危ないという認識があるが、道路交通法第10条の2に路側帯を有する道路では車道の横断、工事等のやむを得ない場合を除いて歩道の通行を義務づけられている。
 最も、軽微過ぎる犯罪に、留置して貰えるかは疑問が残るが、ネタの為なら前科者になるのも厭わない、悠は妙案への期待にと寝不足のせいか些かハイなテンションで鼻歌なぞ歌いながら、幸い、深夜に通行量のない車道の中央を付近の交番を求めて歩いて行く。
 その悠の脇、音を立てて突風を行き過ぎた。
「……え?」
少し癖のある髪を一つに束ねて首の後ろで束ねてある為、風に乱れる髪は一筋程度だが、やはり咄嗟に耳の横を押さえて風の……否、無灯火と黒の車体に闇に紛れて消えた不埒な車の、それでも赤いブレーキランプだけは消せない残像を呆然と見送った。
「あ、ぶないわね! 何処見て運転してんのよ?!」
自らの奇矯さを棚に上げ、風に煽られて崩したバランスに白線から足を踏み外した事に憤慨した途端。
 甲高いブレーキ音に遠くの闇で赤い二点が灯るのと、クラッシュ音が響くのは同時だった。
「ヤだナニ事故?!」
悠は如何にネタに窮しているとはいえ、人命に関わる事態を喜ぶ真似はせず、音の方角、道の先へと向けて慌てて駆け出した。


 街灯を根本からくの字に曲げて。
 衝撃の強さを思わせてけれど、海外車の頑強にして堅牢な作りを実証して、深くバンパーを凹ませてこそいるが、運転席まで破砕はフロント硝子の粉砕に止められているのを見て取って、悠はほっと胸を撫で下ろした。
 エアバックの作動に、運転席、助手席にみっしりと白い風船が見えるが、この様子なら重篤な怪我もしていまいと、走った為に荒い呼吸に膝に手をついて上体を支える。
 日夜、PCの前に座り込んでの執筆作業に運動不足は否めず、乱れた息を整えようと深く息を吸い込んだ、途端。
「よ、悠。今幸せ?」
などと肩を叩かれて、悠は大きく咳き込んだ。
「ピ……ッ、フー……!」
ごほごほと吐き出す息の合間にその名を呼ぶ。
 肩越しに、深夜にも関わらず真円のサングラスを載せた顔がニッと笑った。
 そして相も変わらず黒革のコートの存在感の重さのわり、色味の薄い肌は街灯に陰影を得て半面が欠けた月のようである。
「ハイハイ、ピュン・フーなのは自分でよく知ってっから。いいから息吸ってー吐いてー」
ある意味、呼吸困難の元凶である青年の、背中をさすりながらの指示に悠は深い呼吸を繰り返す。
「……で、ナニしてんのこんな時間にこんなトコで」
ある程度、悠の呼吸が落ち着いたと見るや当然の如きピュン・フーの問いに、悠はビニール袋を肘ににかけ、おもむろにパンツの裏ポケットから物書きの必需品、メモとペンを取り出して次いで、シャツの胸ポケットに入れていた眼鏡を装着する。
「それはこっちの質問よ、で、ピュン・フーあんたあの事故現場見てたでしょ? 見てたわね? どんなカンジで突っ込んだか教えて頂戴、つぶさに! 手に取るかのように!」
タイミングから鑑みるに目撃者と思しき人物の登場に、警察への連絡も忘れて取材モードに入った悠は、楕円のレンズにきらりと光を反射させる。
 ネタを求めて鬼気迫る悠の迫力は先の出逢いで既に耐性を得てか、ピュン・フーは気圧される事なく肩を竦めた。
「え〜と、ヘッドライト壊してボンネットに飛び乗ったら、振り落とそうとして蛇行運転しながら街灯に突っ込んだ」
決して詳しいとは言えない、箇条書きめいた報告を書き留めていた悠の手が止まる。
「……ちょっと待って?」
手の中に、簡略化してけれど分かり易く、『ヘッドライト破壊、車の上に(飛び)乗る。蛇行→事故(強調○囲い)』の簡素なメモに重要な主語の抜けを悠は指摘した。
「それは……誰が?」
「俺が」
イッツミー、と親指で自分の胸を示して、ピュン・フーはあっさりと笑う。
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺」
重みの欠片もない告白に、悠は「ハァ?」と不信感も顕わに語尾を上げた。
「何言ってんの、薬に頼って生きてるような人が車に喧嘩……」
「……動くな、裏切り者!」
悠の発言に怒声が被さり、彼女は咄嗟に自分を指差した。
「え、私?!」
「や、違うから」
ちゃうちゃうと胸の前で手を振ってピュン・フーの否定に胸を撫で下ろす。
 しかし改めて声の方、事故車両を振り向けば、運転席から這い出したと思しき人物が、こちらに銃口を向けている情景に遭遇して、悠は胸の前で手を握り締めた……不安にではない、期待の為だ。
「何々、どういう事?」
そしてどちらにともなく問う声は、脅えでなく想望に震えている。
 その悠の様子を好意的に見て取ったのか、銃を手にした男……ピュン・フーと揃えたかの如くだが、素材は全く異なる黒で着衣を纏めた男は、悠に顎をしゃくった。
「一般人ならば早く行け。この場を無かった事にすれば、今後の生活に支障はない」
尊大な口調に今度はピュン・フーを見返れば、彼はその意図を察する。
「そ、裏切ったのは俺」
そのマイナスの印象強い言葉は、状況からしてもそれ以上の説明の不用な程、端的にして的確だ。
「成る程ね」
悠は深く頷く。
「つまりピュン・フー、あんたはお兄さん達の持っている薬が無いと死んでしまう裏切り者って訳ね!」
「てか、そう言ってんだから信じろよ」
苦笑気味な突っ込みに、悠は心外と言う風に顎を上げた。
「失礼ね、得られるだけの真実から憶測と推測、そして想像力を駆使して創作するには偏った情報を鵜呑みにしないのも大事なのよ!」
悠の執筆姿勢の主張に、ピュン・フーは面白そうに問う。
「へェ、じゃ、この場合、どっちの意見も偏ってない証明はどの辺?」
「別にどっちも矛盾した事言ってないから」
けろりと言い切って、悠は得心に幾度も頷く。
「うんうん、それにしてもなかなかいいシチュエーションじゃない? 見所あるわよあんた」
「そいつはどうも」
妙な所で価値を見出されたピュン・フーだが、気を悪くした風はなく悠の判じを受け入れる……どこかほのぼのとした空気が不満だったか、黒服の男が再度声を張った。
「そいつの言葉を信じるな!」
素直な意味に取ってピュン・フーの言に反すれば、彼が裏切り者でない事になる矛盾だが、頭に血が上ってかそれに気付かぬまま黒服はピュン・フーに向かって吐き捨てた。
「組織に反した時点で、ジーン・キャリアのお前の寿命は尽きたも同然だ。それを見苦しく長らえようとする位なら、素直に飼われていればよかったろうに、よりによって『虚無の境界』に与するなど……!」
苦々しいような怒声に、悠は僅かに首を傾げた。
「『虚無の境界』って……じゃ、あのお兄さんは『IO2』ね?」
悠の発言に黒服は目を剥き、ピュン・フーは軽い口笛を感歎に代えた。
「悠、物知りじゃん」
「いや、その辺のマニアにはIO2って結構有名なんだけど」
どの辺のマニア?と首を傾げるピュン・フーに悠は常識よ、と返す。
「それにしたって情報管理甘くない?」
国家的権力を有する組織とはいえ、そうとする認識がある程度侵攻していなければその力を行使出来る筈もないのは道理だ。
 が、少々洩れすぎな感は否めなくもない。
「ええまあいいわ」
悠は一つ息をつくと、両手を肩の位置まで上げた。
「ねえ、私は中立! ほらほら両手も挙げてるし、脇にどくし、そっちに行くから」
投降の姿勢を見せた悠に、黒服は警戒と疑念を向ける。
「だから、取材させて!」
一貫した悠の行動理念が何処かツボに嵌ったらしく、ピュン・フーが吹き出した。
「悠、すげー、かっこいいー!」
笑い転げながらの賞賛を、悠はその生き様で受け止める。
「家族の生活かかってんだから当然でしょ!」
だが、その潔さも疑念を持ってみれば疑わしいものだったらしい。
「荷物を其処に置け!」
カサカサと風にすら揺れる軽さのビニール袋に何を疑ってか、敵意と共に悠に銃口が向けられた。
「……ちょ、ちょっとお兄さん! 物騒なもん向けないでよ!」
当然の抗議……というには腹の据わった様子で銃口と男の動きを見据えて慌てず、悠はその場、アスファルトの上にゆっくりとビニール袋を置いた。
「そっちが撃つ気なくても、暴発しちゃうのが私なんだから!」
警告めいた悠の言葉を黒服が質す前に、不意に道路を一陣の風が吹き抜けた……オフィス街、高いビルの間を抜ける風は時に思わぬ強さで吹き抜ける。
 それは空しか入っていない悠のビニール袋を吹き飛ばし、中身を路上に散乱させた。
 箱入り、個別包装のチョコの包みがコロコロと黒服に転がって行く。
 それが何か爆発物でもあるかのように、咄嗟に飛びすさった男の顔に肉まんの裏紙が絶妙な位置で張り付き、ビニール袋自体は空高く舞い上がって傾いだ電灯に引っかかり、そして。
 カンカラカンカン……と妙な余韻を残して転がるコーヒーの空き缶がひしゃげた車の下に入り込んでカラン、と高い音を立てて、止まった。
 ふつ、ふつと点滅する傾いだ電灯をふと見て悠は叫んだ。
「うわ!」
咄嗟、人間は警告を発する事は難しいらしい。
 肉まんの裏紙を取ろうと苦心する男と、自分に向かって倒れかかる電灯に為す術なく悠は頭を抱えて予測した衝撃に耐えようとした。
 脳裏に浮かんだのは愛する夫と二人の愛娘の笑顔……ゴメンねおかーさんお家に帰れないよ……などとその面影に切なく謝罪する、間。轟音。
 一秒……。
 二秒…………。
 待てども想像した痛みは訪れず、悠はそっと片目を開いた。
 目の前には、くの字からへの字になった電灯と丁度地面と電傘の間に挟まれて倒れる男……律儀に銃を握ったままなのが妙に涙をそそる。
 根本に与えられていた衝撃に、折れる寸前だった柱に最後の決定打を与えたのは、あろう事か悠の飲んだコーヒーの空き缶、だったらしい。
 ひたすらに災難を呼び込む悠の運勢、感情の高ぶりに度合いを増すそれを事前に警告していた旨、これもやはり未必の故意となるのだろうか?
 目の前の惨状をおろおろと見回して悠は背後、一部始終を見ていたピュン・フーに責任の所在を問う。
「……私のせいじゃないわよね?」
「ア、ハハ悠、す……げ、コントみて……ッ!」
しかし問うた相手は笑いすぎによる過呼吸に虫の息で、悠の問いに答えられる状況ではなかった。