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<東京怪談・PCゲームノベル>


ファーストライン【前編】


 いつもは静かな司法局中央監視室に、突然けたたましいサイレン音が鳴り響いた。目の前の大型ディスプレイに映し出されたTOKYO−CITYの地図を、右へ左へ行き交う無数の緑色の表示灯に混ざって、一つだけ赤く点滅している表示灯がある。
 監視員の1人が慌てたように通信用のマイクを取った。
「大至急、特務にまわしてくれ」

 数年前に導入された刑務システム――檻のない獄(おりのないはこ)は、受刑者に特殊なタグを埋め込む事によって機能する監視システムである。これにより受刑者の所在は5秒起きに司法局の監視システムに送信され24時間監視されるのだ。受刑者は夜8時以降の外出禁止や、3分以上の電波不通知など、いくつかの制約を除けば一般の生活を許されており、普通に就職する事も出来た。これは犯罪者の受刑後のいち早い社会復帰などを視野にいれた刑務システムで、主に軽犯罪者に適用されている。
 そして脱獄――埋め込まれたタグを無断で摘出――した者を追い、刑の執行を強制的に行う特殊部隊があった。
 司法局特務に脱獄の連絡が入ったのは17時16分の事である。

 その日、高層ビルの最上階で不審人物の影が監視カメラに捉えられた。返り血を浴びぬようデスクに座る男の背後から、手にしたナイフで頚動脈を切り裂き、影は忽然とその場所から姿を消している。
 自らが流した血溜まりの中で1人の男が息を引き取ったのは17時28分の事であった。

 脱獄犯が脱獄した場所から、その殺人が行われた場所までの距離、及び、そこに残された指紋などから、それらが同一人物であると断定されたのは19時52分の事である。
 その10分後、C4ISR導入により司法局と警視庁が合同捜査に踏み切った。

 同じ頃、NATの自然保護団体に於ける最高責任者、柏原一亜氏が殺された事により、同団体が犯人に賞金をかけている。
 その額800万円。

 賞金首の情報をひたすら流し続けるCATVを見ていた1人の賞金稼ぎが、その額を見て、思わず手にしていたリモコンを落としそうになった。
 800万円とは、国内では破格の賞金額である。
「キタキタキタキタ!」

 奇しくも彼がガッツポーズを決めたのは、司法局と警視庁の合同捜査が開始されたのと同じ、20時16分のことであった。



【213021】

 いつもは新作ゲームのプレイ画面しか映すことのないテレビだったが、さすがに48時間耐久は体によくないと、雪森・雛太は目の下に深くくまを刻んだ目をこすり、リモコンを取り上げると入力切替ボタンを押した。
 ゲームを始める前に見ていたのはどうやらCATVのエンドレスで賞金首を紹介し続けるチャンネルだったらしい。切り替えた途端、冴えない顔つきのムサイ男のアップと出くわして、雛太は条件反射のようにチャンネルを変えていた。
 しかし視界の片隅に、彼の興味を引くだけのものが映った。
 慌ててチャンネルを戻して確認する。
 そこに表示されている賞金額には0が6個もあった。
「一・・・十・・・百・・・千・・・万・・・・・・800万!?」
 これは国内では破格の値段ではないだろうか。
 一体、何をやらかしたんだろう。興味も手伝って見ていると、どうやら要人暗殺らしい。NATの自然保護団体の最高責任者と言われても、今一ピンとこないが。
 雛太は、カップ麺の空きカップの並んだコタツ机の上に頬杖を付いて、ぼんやり見ていた。
「へぇ〜。あのおっさん今ごろ血眼になって探してんだろうなぁ」
 まるで他人事のように呟いてみる。あのおっさんとは、賞金稼ぎのおっさんの事だ。名前は確か深町加門。
 この額である。絶対動かないわけがない。
「って、事は――――」
 ピーンと閃いた。
 雛太の顔がパッと明るくなる。古典的マンガの描写を用いるなら、今頃彼の両目はハートマークで描かれているところであろう。
 雛太は、慌ててシャワールームに駆け込むと、48時間耐久ゲームの疲れを洗い流して、シャワールームを出た。果たしてどんなわざを使ったのか、目の下のくまも、綺麗に取れている。若さがものをいったのだろうか。見た目の童顔ほど若くはないが、これでもまだまだ二十代前半だ。
「お役に立たせていただきます!」
 雛太は気合宜しく家を出たのだった。


【213022】

「ほぉーーーーっ」
 冠城・琉人は湯呑みを包むように両手で持って、今日届いたばかりの緑茶を頂き、ほっと人心地ついたところだった。
「ほほぉーーーっ」
 と。
 目の前のテレビ画面には、髭面の小悪党っぽい顔写真と共に情報求むのテロップが流れている。WANTEDの下に書かれた額は日本円にして800万。
 久々にやり甲斐のあるサイドビジネスといえよう。
 犯人の名前は飯野正志。檻のない獄(おりのないはこ)の受刑者であり脱獄者ということだ。檻のない獄は一般的に軽犯罪者に適用される刑務システムで、彼は2年前横領の罪で捕まり、昨年実刑判決が出ていたらしい。そういえば、そんなニュースを見たような記憶がなくもない。
 彼と被害者の関係は、飯野が勤めるNAT開発事業部での最重要取引先と一社員で、NATの管理システムを巡って2人が揉めていた事が、今回の事件の直接の引き金になっているようだ。しかしこの2人の関係はもっと根が深い。飯野が横領の罪で捕まったのは、彼が柏原の第一秘書を務めている時だったという。主の罪を部下がかぶる、という図式は何も今に始まった事ではない。可能性として復讐の線も考えられるため、同時に2年前の横領事件についても再捜査が進められているそうだ。
「警察も大変だなぁ・・・・・・」
 まるで他人事で琉人は感想を述べた。
 これだけ情報が揃っているとなると、他の連中に先を越される可能性もぐっと上がるだろう。だが琉人は相変わらず呑気にお茶を啜っている。
 食後はほうじ茶の方が合うのだが、今日はたまたま宅配便の関係で夜間配達となった緑茶が30分程前に届いたのだ。今年、農林水産大臣賞を受賞した銘茶である。こうなってはお茶の使者たる自分としては頂かないわけにはいかない。この芳醇なまでの香ばしい薫りにあっさり白旗をあげた。
 心まで温まる緑茶をいただいて琉人は立ち上がった。
 窓辺に立ってはりぼてで出来た夜空を見上げる。
 全ての天候をシステム管理されたドーム状の不夜城都市――23区TOKYO−CITYにも、勿論、雨は降り雷も落ちれば気温は日々変化し、日本ならではの四季を楽しむ事が出来る。管理センターから配信される天気予報は90%以上の的中率を誇り、ごく稀に謎の台風などが発生する以外は、はずれる事などなかった。その天気予報によれば今夜の天気は快晴。空には下弦の月が煌々と照り、予想気温16℃の北寄りの風が風速5m/sで吹く。
 とはいえ、ビルの多い都会は、ビル風の影響か所により突風だったり、所により無風だったりもするわけだが。
 今日の風は穏やかに窓の外を吹き抜けていた。
 空にはオリオン座が見える。
 『死んだ人はお星様になるのよ』なんて話が信じられていたのはどれほど昔の事だろう、死んだ人々に両手を掲げて琉人は目を閉じた。
 使役した死霊をCITY中にばら撒いて。
「今夜は緑茶にして正解でしたね」
 のほほんと呟いた。



【220021】

 撮影が終わった仕事帰り。
 テールランプが流れる川岸を人ごみに避けられながら歩いていた。それもいつもの事なので、今更どうという事もないが気持ちはほんのり凹んでしまう。街は来たるクリスマス商戦に向けてか赤や緑で彩られていた。
 いくつものテレビをショーウィンドウに並べてドラマや映画のデモテープを流す電気屋の前で、飛び出してきた男の客が通りを歩いていた女の子とぶつかった。突き飛ばされた女の子はもんどりうって泣きだすが、突き飛ばした男はばつが悪そうな顔を一瞬覗かせ、足早にその場を逃げ去ってしまった。女の子の親は一体何をしているのか、CASLL・TOは泣いてる女の子に駆け寄り助け起こすと、女の子の膝の砂を掃ってやった。
「大丈夫かい?」
 優しく声をかけて女の子を覗き込む。幼稚園に通い始めたくらいと思しき小さな女の子は、涙の溢れる目をこすりながら「うん」と首を縦に振り、手の甲でごしごしと涙をふき取って顔を上げた。
 その瞬間「ひっ・・・・・・」と喉の奥を鳴らして固まってしまう。
 CASLLの顔に驚いたのだ。その顔はどんなに優しく笑ってみせていても、極悪凶暴に見えてしまうらしい。硬直したまま怯えたように自分の腕の中で震える女の子に、何か良い言葉はないものかと探していると、女の子の母親が我が子の救難に駆けつけた。
「理沙ちゃん!」
 母親は血相かえている。その声に反応したように女の子はCASLLの腕の中から母の元へと駆け出した。女の子を母親が抱きしめる。感動的な親子のご対面というやつだ。母親は娘をひしと抱きしめると、その娘の仇みたいな形相でCASLLを睨んで、そそくさと人ごみの中へ消えて行った。
「・・・・・・・・・・・・」
 それも往々にしていつもの事なので今更なのだが、やっぱり胸が痛んだ。道端に両手をつく勢いで凹んでいる自分を雑踏が避けていく。
 職業、悪役俳優は天職だろうか、強面が命。しかし望んでこんな顔に生まれてきたわけではない。どうせならもっと子供好きのする顔が良かった。いやいやしかし、ヒーローは悪役あってのヒーローじゃないか。言うなれば悪役は影のヒーロー。などと、何だかよくわからない理屈を捏ね回して自分に言い聞かせる。
 クリスマス商戦まっしぐらの緑と赤のリースを見上げながら彼は呟いた。
「神様なんて大嫌いだ」
 勿論、キリスト教なんて微塵も信仰しているわけではないので、この程度の悪態では胸が痛むような事もない。
 ――――と。
「なに、世の中みんな敵みたいな顔してんだ」
 ぶっきらぼうな声が背中を叩いた。
 振り返ると、モスグリーンのトレンチコートに両手を突っ込んで、眠そうな目で天パーの男が自分を見下ろしていた。
 CASLLは慌てて立ち上がる。
「ちょっと世の中に嫌われてて・・・・・・」
 遠い目をしながら答えてしまうのは、やはり先ほど女の子に怖がられたショックから立ち直れていないせいだろう、言葉の端々が後ろ向きだ。態度は今一つそう見えなくとも。
「いい話を持ってきた」
 トレンチコートの男、深町・加門が言った。
「いい話?」
 CASLLが首を傾げる。
「あぁ、だが、ちょっと人手がいる。警察が動いてるからな。先に見つけたい」
「警察?」
「殺人犯だ」
 その一言でこの話しは彼の中で決したようなものである。それは警察にだけ任せてはいられない、自分にも出来ることがあるならしなくては、という強い正義感が成せる業なのか。詳細も内容もさっぱりだったが、とにかく殺人だけは捨て置けない事なのである。これ以上被害が増えるようなことも避けねばなるまい。そんな彼の副業は賞金稼ぎだった。別段金に困ってるわけでもないので、彼の稼いだ賞金は児童福祉施設や養護施設へ寄付である。
 しかし、今日はちょっと違っていた。
 運よく自分で捕まえたら、今年は孤児院の子供たちのサンタクロースになってやろう、とか考えてしまったのだ。
 うん。なかなかいいアイデアだ。真っ赤な帽子をかぶって、白い髭を付けて、赤いサンタのユニフォームを着てたくさんのおもちゃの入った袋を背負い、笑顔の子供たちに囲まれてる自分を想像してCASLLはいつもの3割増しくらいやる気になっていた。
 どうやら、先ほど女の子に怖がられたのが尾を引いてるらしい。
 今回はちょっと、自分で捕まえたい。
「それで、足取りは掴めてるのか?」
 CASLLが尋ねた。
「言っただろ。警察が動いてるんだぜ」
 そう言って加門は意味深にニヤリと笑った。
 それでCASLLも得心がいったようにニヤリと返した。
 ほくそ笑む2人を、街を行く人々が気味悪げに、或いは遠巻きに視線をそらせながら、通り過ぎて行った。



【220022】

 女性ホルモンの最も多く分泌されるのは午後10時から午前2時の間と言われている。だから大人にきびが気になる貴女は、この時間にしっかり睡眠を取るようにしなければならない。
 口許の思われにきびを気にしながら如月・麗子はその時、就寝前のパック中であった。セクシーダイナマイツなボディーをバスローブでほんのり隠し、ソファーの上で上機嫌の鼻歌まじりにヨガなんか始めている。今やヨガはハリウッドでも大流行の美容法なのだ。美肌の為にはかかせない。
 彼女の家の電話が鳴ったのはちょうど彼女が牛の舌のポーズをきめている時だった。
 電話のディスプレイには公衆電話の文字。
 今のご時世、公衆電話から電話してくるやつも珍しい。いたづら電話か何かかと受話器を取ったら、よく知ってる男からだった。
 ちょっと調べて欲しいことがある、10万でどうだ、と言われた。この男の口から出る金額にしては、いい方だ。リモコンでテレビの電源を入れたら、800万の賞金首の顔が映った。それは彼が調べて欲しいと言ってる内容にタイヘン合致している。
 10万? と彼女は思った。
「一昨日かけてこい!」
 受話器を叩き付けてパソコンの電源を入れる。
「警察が動いてるって事は、まず、そちらのデータを頂きましょうか」
 彼女は指のストレッチでもするように両手を組んで指をほぐした。
 この麗子様にハッキング出来ないデータベースなんて存在しない。と、彼女はこの時、何の疑いもなくそう思っていたのである。



【223021】

「こーんばーんはー。麗子さーん」
 語尾にハートマークを付けて雛太はインターフォンを押したが返事はなかった。お留守かな、と思った直後、ドアの奥からえもいわれぬ悲鳴が聞こえてきて、雛太は反射的にドアを押しあけていた。鍵は開いている。「おじゃまします」と小さく声をかけて、靴を脱ぐのも適当にリビングへと駆け込んでいた。
「どうしたんですか!?」
 飛び込んだリビングで、ぐったり項垂れる麗子を見つけて雛太が血相を変える。
 慌てたような雛太の声に麗子は気だるげに顔をあげた。その顔には無数のレモンの輪切りを貼り付けたままで。
「・・・・・・・・・・・・」
 雛太は一瞬それに怯んだが、バスローブから覗く胸の谷間に無意識にも、ごくりと生唾を飲み込んでしまう。
「データが・・・・・・」
 彼女が重々しく口を開いた。
 それで雛太は彼女のパソコンを覗きこむ。画面は既にブルークラッシュしていた。
「どうしたんです?」
「警視庁のデータバンクにハッキングしたの。だけどデータをダウンロード中に突然アクセスエラーが出て・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「最新のセキュリティ? いいえ、たとえそんなものがあっても、この麗子さまの手を逃れられるわけがない。どういう事なの・・・・・・?」
 麗子がぶつぶつと呟いている。
 雛太としては慰めの言葉も見つからなかった。彼女の天才的なハッキング能力はよく知っている。知っているだけに失敗したなどと、その状況を目の当たりにしてさえもにわかに信じがたかったのだ。
 電話のベルが鳴る。
 麗子が虚ろな視線をそちらに馳せて雛太に目配せした。雛太が電話のハンズフリーボタンを押す。
『わかった2:8で手を打とう』
 電話の相手は、雛太がいうところのあのおっさんであった。何ともお気楽っぽい声がしんみりした部屋にやけに大きく響く。雛太は麗子を振り返った。
 麗子が口惜しそうにそっぽを向いたので、雛太が代わりに応対する。
「今、取り込み中なんで」
『なにぃ!? わかった。7:3だ。これ以上はまかれん』
 どうやら取り分が気に入らないと遠まわしに言ってるように思われたらしい。
「いや、そうゆう問題ではなく・・・・・・」
『うーん・・・・・・仕方ない。6.5:3.5でどうだ?』
 言いかける雛太の言葉を遮って加門が食い下がる。
「情報提供は出来ないっつってんのよ!!」
 麗子が切れたようにヒステリックな声を張り上げた。
「・・・・・・・・・・・・」
 雛太が息を呑む。
『・・・・・・っなんだよ、役に立たねーな』
 ぶっちーん。
 という音を、雛太は聞いたような気がした。もしかしたらそれはただの錯覚だったのかもしれない。しかし確かに、何かが切れる音を聞いたような気がしたのである。
 その一言が麗子の闘志に火を点けた。
 大抵、こういう場合、えてして直接的被害を被るのは一番傍にいる奴、と相場が決まっている。それはこの場合、雪森雛太に他ならない。
「雛ちゃん! 今すぐ警視庁に潜入捜査よ!」
「えぇぇぇぇぇぇ!?」
「なんとしても情報を入手してくること!」
 情報屋の意地、というやつだろうか。こうなったら何が何でも警視庁のデータを盗み出してやる。それが情報屋ってものではないのか。
 落ち着いて考えてみれば、他から情報を得る事も出来たわけだが、警視庁のデータベースをハッキングし損ねたという事実が、彼女のプライドをいたく傷つけ、結果として、彼女を警視庁のデータに固執させてしまったようだった。
 雛太は全身で仰け反りつつも、ここは男をあげるチャンスと取ったか。麗子さんの役に立って、とは男の下心満載で敬礼してみせた。
「雪森雛太。警視庁潜入捜査に行って参ります!」
 彼は勇ましく、麗子の家を後にした。



【230021】

「えぇっと・・・・・・」
 雪森・雛太は今の我が身を呪いながら、ぼんやり考えていた。
 どこで選択を間違えたのだろう?
 彼は今、警視庁ビルの15Fのトイレの窓からぶら下がっていた。
 なに故こんな事になっているのかと問えば、天才ハッカー如月麗子が警視庁のデータベースをハッキングしそこねたところから端を発する。出来なかった、などプライドが許さなかったのだろう、彼女は雛太に警視庁の内部捜査を強要・・・・・・依頼したのである。
 そんな次第で、監視カメラの付いていないトイレからこっそり忍びこもうと、雛太が隣のビルからロープを渡した辺りまでは上出来だった。しかし15Fのトイレの窓の下へ無事渡ってきたのも束の間、そこへトイレの個室から用を済ませた男が出てきたのだ。ちゃんと中を確認していた筈なのに、個室に人がいたなんて迂闊以外のなにものでもない。
 慌てた雛太は、見事に足を滑らせたのだった。
「大丈夫か、少年」
 落ちかけた雛太の腕を取って男が尋ねた。
 その顔に見覚えがあって思わず雛太が呟く。
「あ、ストーカーのおっちゃん・・・・・・」
「んぁ!?」
 相手の男が眉間に皺を寄せて、不快そうな声をあげる。
「いえ、なんでもありません」
 慌てて雛太は訂正した。何よりも、相手は今自分の命を預かる人間だったのだ。下手な失言は慎むべきである。
「こ・・・こんばんは、ゲイルさん」
 雛太は下手に出た。この派手な黄色のジャケットを見間違うわけがない。名前はウェバーゲイル――確か探偵で、ロス市警の刑事。記憶を辿りつつ、何でこんなところにいるんだろうと雛太は首を傾げた。
「おぉ、あの時の坊主か」
 ウェバーが雛太の童顔を見て思い出したらしく破顔する。
「こんなところで何をしてるんだ?」
 確かに聞きたい気持ちはよくわかる。それは雛太とて同じ気持ちだ。だが話せば長くなる上に、今はそういう状況でもない。
「そんな事より出来れば先に引き上げて欲しいんですけど」
 雛太が言うと、ウェバーは「うーん」と唸って言った。
「困ったなぁ。じゃぁ、こういう話はどうだ?」
「なんです?」
「娘がファッション雑誌ばっかり眺めてたんだ。だから俺は言ってやった。『リンカーンはお前と同い年のころ暖炉の脇で本を読んでたんだ』ってな。そしたら娘はこう言い返してきた『リンカーンはパパと同い年で大統領だったよね』ってよ!」
「はぁ・・・・・・」
 半ば呆気に取られたように雛太はウェバーを見上げた。
「娘さんがいらっしゃったんですか?」
「・・・・・・・ちっがーう! そこ、突っ込むところが違うから!」
「そういえば、日本語お上手ですよね」
「ふっ。これでも俺はバイリンガルだからな。8ヶ国語はぺらぺらなわけさ」
「8ヶ国語ですか」
「日本語、英語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、関西弁」
「は? 今、なんか最後だけちょっと違ったような・・・・・・」
 勿論この内の殆どが『もうかりまっか?』『ぼちぼちでんな?』レベルの挨拶ぐらいしか喋れなかったりするのだが、雛太が知りよう筈もない。
「関西のジョークになどアメリカンジョークは負けん」
「はぁ・・・・・・で、あの、どうでもいいんですけど、早く引き上げてもらえませんか? もう、腕が限界です」
 なにぶん敵は自分の命を握っている。出来るだけ相手に刺激を与えないよう穏便に気を配りつつ、雛太はのんびり言ったが、実際にはかなりやばい感じだった。日頃の鍛え方の成果って奴だろうか、片手で自分の全体重を支えるのは結構堪える。サイの目なら確実に自分のいい目を出せるのに。
「そうか? いっやー、奇遇だなぁ」
 ウェバーが可笑しそうに笑った。
 なにが、と雛太が首を傾げるより早く、ウェバーが続ける。
「実は俺も限界なんだ」
「は?」
 なにが、と雛太は聞きたかったが、聞くのも怖かった。だが、ウェバーは聞かなくともきちんと説明してくれた。
「俺もこうしてるのが精一杯で、ちょっと引き上げられそうにないなぁ」
「・・・・・・・・・・・・」
「だが、君を1人いかせるような真似は絶対にしないぜ」
 彼は、そう、きっぱり断言して、拳に親指を立てるとニッと笑った。白い歯がキラリと光る。その瞬間、ずるり、と彼自身の体が窓の外へ飛び出してきた。
 この時雛太は、死を覚悟したらしい。

「いかせるって、どこへだぁ!? ・・・・・・うっわぁぁぁぁぁぁ〜!! 男と無理心中なんていーやーだー!! 麗子さぁ〜ん!!」



【231521】

 部屋の中にあって、風がざわざと騒ぎ立てた。いや、騒いでいるのは風なのか。少し前偵察に放った死霊が1人他界・・・もとい、成仏した。
 琉人は両手で握っていた湯呑みを机の上にことんと置いて、ゆっくりと息を吐き出し振り返るでもなく穏やかに声をかけた。
「ここまで来られた方は、貴方が初めてですよ」
 彼が声をかけた相手は、後頭部にあてた銃口を下げるでもなく、引鉄に手をかけたまま口を開いた。
「何のつもりだ?」
 銃を突きつけられても大して動じた風もなく琉人は再び湯呑みを取る。銃とはそもそも近距離用の武器ではない。ましてや狙撃用ライフルときている。500〜900mの距離で使うのが打倒だろう、にも関わらず相手がここまで来た、という事は話合いの余地がある、という事だ。気の短い相手でなくて良かった。
 一触即発。そんな言葉がふさわしい緊迫感を琉人は何とも間延びした声で打ち破った。
「私は神父ですから。神の子らが暴徒に襲われるような様を見ていられないだけです。殺人犯がこの近くに逃げ込んだとテレビで知り、居ても立ってもいられず、霊たちの力を借りて犯人捜しに協力させていただこうと思ったのです」
 もしここに、彼をよく知る者がいたなら皆、異口同音に『いけしゃぁしゃぁ』と突っ込んだかもしれないようなセリフを、痛めたらしい胸を押さえつつどこか芝居じみた口調で言って、琉人はお茶を啜った。いや、よく知らなくてもここはいけしゃぁしゃぁと突っ込んだかもしれない。現時点での犯行内容・動機から考えて、無差別の線も低く、或いは続けて誰かが犠牲になる可能性も極めて低かったからだ。
 だが相手の男は、果たしてそれで彼の言葉を信じたのか、ゆっくりと銃を下ろした。
「無闇に首を突っ込むのは慎まれた方が宜しいですよ、神父さま」
「ご忠告、ありがとうございます」
 琉人は振り返ってにこやかに笑った。それから湯呑みを机の上に戻して左手の平を右手の拳でポンと叩く。
「あぁ、思い出しました。司法局にSランクの感応力者がいると。もしかして貴方の事でしたか。確か、トラッカードッグと言ったか・・・・・・」
 感嘆の声は白々しく、穏やかに吐き出される言葉の端々には棘があった。
 男はそれにただ無言を返すのみだ。それは肯定の意味なのか。
「それで鼻が効くわけですね」
 偵察にはなっていた死霊を調伏しただけでなく、そこから、それを使役していた者まで辿ってきたのだ。並みのことではあるまい。
「あ、すみません。お客さまなのに。今、お茶を淹れますね」
 琉人が慌てたように立ち上がった。
「結構だ」
「まぁ、そう仰らず。美味しいお茶が入ったんですよ」
 琉人は愛想よく笑って湯呑みと急須を用意しながら言った。
「私と取引をしませんか?」



【231522】

「バカじゃないの?」
 と、その少女は言った。
 愛らしい顔をして辛辣にものを言う。にこっとすれば、もっと可愛いだろうのに。と雛太は思ったが口には出さなかった。そもそも年下は守備範囲外である。
「ごもっともです」
 もう言い返せる言葉もないので、ひたすら雛太は平伏するばかりだった。クミノ様ってやつである。
 15Fのトイレの窓から手を握り合ったまま真っ逆さまに落ちた二人を助けてくれたのが、この少女――ササキビ・クミノだった。
 どんな技を使ったのかはよくわからないが、ターザンよろしく自分たちを隣のビルの屋上に引き上げてくれたのだ。そういうことが出来る人間は意外に身近にたくさんいるもので雛太としては今更特に驚かない。クミノちゃんならやる、ぐらいのものだ。
「まぁまぁ、そうピリピリしなさんな」
 ウェバーがクミノの肩を軽く叩いて言った。怒ることでもないだろ、ってなもんだ。場を和ませる手段を彼はいくつも持っている。
 クミノは不快そうにウェバーを見た。
 雛太は嫌な予感がした。
「君、こんな話を知ってるかい?」
「興味ないから」
「・・・・・・・・・・・・」
 ウェバーのアメリカンジョークはここへ来て不発に終わった。一刀両断。雛太さえ呆気に取られるほどの見事さである。
「柏原一亜の件で情報を探しているんでしょう?」
 クミノが雛太を見て尋ねた。
「え? あ、うん。そうだけど」
 警視庁潜入などと、ちょっと目的がズレたりもしてすっかり忘れていたが、元を正せばそうだった。
「飯野正志なら原宿にいるわ」
「え?」
 クミノの言葉に呆気に取られていると、それで用は済んだとばかりにクミノはその場を立ち去ろうとする。
「あ、クミノちゃん?」
 咄嗟に呼び止めた雛太にクミノが面倒くさそうに振り返った。
「何?」
「君は?」
 飯野正志を追わないのか、と問いたいらしい。
「この事件は、ありえない事が多すぎる」
 と彼女は言った。
「は?」
 一瞬意味がわからなくてクミノをまじまじまと見る。
「小者には興味がないの」
 そう言って彼女は、それ以上の追随を拒むように屋上から飛び降りた。
「・・・・・・どういう事だ?」
 クミノに一刀両断されて傍らで凹んでいるウェバーに雛太が尋ねた。
「さぁ・・・・・・?」
 ウェバーも首を傾げる。
「まぁ、とりあえず情報ゲットだからいっか。後は、警視庁のデータベースだけなんだけど」
「あぁ、そりゃ無理だ」
「え? なんで?」
「今、システムダウン中だから」
「システムダウン?」
「そう。あそこは今、壊滅的な打撃を受けている。2時間って言ってたけど、たぶん2時間でも復旧は無理なんじゃないかなぁ? すごい子がいたから。あれは人選ミスだな」


 その頃、人選ミスと言われたすごい子こと警視庁一課の葛城・理が、皆の為に入れたお茶の乗ったトレーを手に、くしゃみをした。拍子にトレーが揺れて、その上に乗っていたマグカップが落ちる。
 熱湯をかけられ、警視庁及び司法局が駆使したC4ISRのメインサーバーはピピーと悲鳴をあげてクラッシュした。
 C4ISRステーション管理兼オペレータこと司法局特務執行部の藤堂・愛梨が気を失いそうになりながら呟いたという。
「2時間じゃ無理・・・・・・・」


「って事は、まさか・・・・・・」
 麗子がハッキングに失敗したのは、ハッキングに失敗したんじゃなくて、アクセス中に相手のシステムがダウンした為、たまたまDLしていたデータが破損した、という事ではないのか。
「なんだ、麗子さんが失敗したわけじゃなかったんじゃん」
 これは早速教えてやらなくては。
 雛太は携帯電話を取りだそうとポケットに手を突っ込んで固まった。そこには入っていたはずの物がない。
 どうやら先ほど15Fからのダイブの折に落としてしまったらしい。どこか公衆電話でも、と思っていると雛太の腕をウェバーががしっと掴んだ。
「原宿に行くぞ」
「は? ・・・・・・そういえば、トイレに入って手、洗った?」
「洗ってたら今頃おまえさんはあの世に旅立ってたかもな」
「!?」



【233021】

 携帯電話は充電が切れていたので、近くの携帯電話ショップに預けていた事を思い出して、深町加門は携帯電話を回収しに向かった。無事、充電を終えた携帯電話を開くとメールの着信文字。
 差出人の名前は『お茶の使者』。
 加門は何とも胡散臭げにその五文字を見やった。勿論ダイレクトメールなどでない事は明らかだ。今の状況から考えても何らかの情報が届けられたに違いない。だからメールの内容自体は大変喜ばしいものの筈なのだが、如何せん差出人が宜しくなかった。今までの数知れない長い経験がそう、警告している。
 しかし麗子からの情報が全く入らず、殆ど手詰まりで犯行現場やら犯人の家の周辺やらを歩き回っていた彼としては、やはり喉から手が出るほど欲しい情報が入ってるに違いなかった。
「誰からですか?」
 携帯電話と睨めっこしている加門に、隣を歩いていたCASLLが尋ねた。
「お茶の使者だ」
「何か犯人の手がかりが見つかったんですね」
 延々歩き回って得られた情報はなしのつぶてだった事が、更に精神的疲労を蓄積させていたCASLLの顔が、パッと明るくなる。
 とはいえ・・・・・・。
「奴と関わると、ろくな事がねーんだよなー」
 加門が嫌そうに頭を掻いた。
 普段なら、誰が捕まえてもいいではないか、と答えるところのCASLLだったが今回は一味違う。犯行の動機などから推測しても、更なる犯行の可能性が低いだけに、誰でもいいからとにかく早く、という意識が低くなっていた。その上、彼にはサンタクロースになるという壮大な計画もあったのだ。犯人を寸でのところで横取りされるなどというのは、決して好ましいものではない。どっかで別の誰かが捕まえちゃいました、なら諦めもつくが、何となく何の根拠もないけれど、横取り、という言葉が頭を付いて離れないのは長年のカンというやつだろうか。
「うーん・・・・・・」
 思わず2人は携帯電話の前で唸り声をあげてしまった。
 しかし、お茶の使者が情報を投げて来てると言う事は、既に犯人の居場所がある程度特定されているという事で、犯人が捕まるのも時間の問題という事でもある。
 CASLLには今回、サンタクロースになるという大事な使命がある。何としても自分の手で捕まえたい。
 未だに女の子に怖がられた事が尾を引いているのか、立ち直れていないらしいCASLLは意を決して加門から携帯電話を取りあげるとメールの中味を開いた。
「あっ、てめぇ・・・・・・」
 と加門が止める暇もなく。
 取り分は減ってもサンタクロースになれれば、とどうやら彼は腹をくくったらしかった。



【240000】

 23区TOKYO−CITYのちょっと西より。エリア渋谷・原宿の竹下ストリートで今時珍しい銃声が轟いた。
 普通はサイレンサーくらい付けてんだろ、と机の影に隠れながら加門は舌打ちしたが、今は決してそんな事を問題にしている場合ではない。
 悲鳴と共に、そのオープンカフェから人がさっと引いたのだから、それはある意味良かったのではないかとCASLLなどは思っていたが、それもこの場合、微妙に今の状況に即した話ではない。
 突然、街中で始まってしまった銃撃戦。
 お茶の使者がくれた情報に犯人が潜伏していると思しき場所へ駆けつけたら、突然犯人が驚いたように発砲してきたのだ。
「お前、目立ちすぎだ」
 と加門は悪態を吐いたが、CASLLとしては加門のせいだと言いたかった。自分は自慢じゃないがこの顔だから、同業者に見えこそすれ、敵対視されるような事はない筈である。
 結論からすれば、そんな話しはどうでも良くて、また、どちらでもなかった。
 そもそも犯人が発砲した相手はこの2人にではない。彼らの後ろにいるロス市警、ウェバーゲイルに向けられていたのだから。
 彼らが駆けつける前から銃撃戦は始まっていた。
 ただ彼らがその音を聞いてなかったのは、彼らが地下鉄で現場に駆けつけたせいである。逆方向に駆けて行く人の波をかき分け地上に上がった2人は、まんまと銃撃戦の間に割って入る形となったのだ。慌てて近くの机の影に飛び込む。
 勿論、ウェバーの存在に気付いてない二人だ。
「こっちも応戦するぞ」
 そう言って加門はトレンチコートの内ポケットに手を突っ込んでそれを掴むと構えた。はっきり言って銃火器の類は得意ではなかったがやむ終えない。牽制ぐらいにゃなるだろう。これだけ周りに人がいなけりゃ、うっかり他人に当たる事も滅多にあるめぇ。
「・・・・・・・・・・・・」
 しかしそれには引鉄がなかった。
 CASLLが一瞬固まる。
 恐らくは犯人も面食らったに違いない。
 加門が構えたのは銃ではなかった。エリア千代田の生活環境条例とやらのおかげで最近、タバコ代わりに持ち歩くようになったのだ。
「そんな・・・バナナ・・・・・・」
 加門がボソリと呟いた。
「ぶっはっはっはっはっはっはっ!!」
 背後で大爆笑する声にCASLLも加門も振り返る。
 そこには黄色いジャケットを着た目立つ男と童顔少年のでこぼこコンビが机から顔だけ覗かせていた。言わずと知れたウェバーと雪森・雛太である。何ゆえ2人が行動を共にしているのかと問えば、所謂トイレのくさい仲というやつだった。
「なんで、おめぇらがここにいるんだ」
 尋ねた加門に雛太は困惑げに頬を掻いた。
「まぁいろいろ」
 話せば長い話しになってしまうので、これ以上は割愛する。ついでに銃撃戦が始まってしまった理由も、トイレでうっかりウェバーが刑事である事をくっちゃべってしまって、それが犯人に漏れてしまい、慌てた犯人が発砲したというような長い経緯があるわけだが、同様に割愛するとしよう。
「笑うとこじゃありませんけど」
 冷静に雛太がウェバーに突っ込んだが、どうやら今のはウェバーの笑いのツボに嵌ってしまったらしい。
「だって、そんなバナナって、バナナって・・・・・・」
 目尻に涙まで溜めて腹を抱えている。
 緊迫感の欠片もない。
 呆気に取られている3人をよそに、犯人がこれ幸いと走り出した。
 それに気付いて加門が机を飛び越える。
「逃がすか!」
「あ、バナナ、貸して下さい!」
 そう言ってCASLLが加門からバナナを取り上げた。
「アクションです。アクション」
 なにやらCASLLが小声で囁く。つられるように加門が言った。
「アクション?」
 その瞬間CASLLの顔付きが突然別人に変わった。
 ただの強面が迫力のある強面になった、とでも評するべきか。妙な気迫がこめられている。
「止まらないと撃つぞ!」
 仁王立ちにCASLLが大音響で犯人に威嚇した。
 まるで銃を両手で構えるように。
 だが彼が手にしているのは、やっぱりバナナだった。
 どっからどう見たって、バナナなのだ。
 そもそも加門が持っていたときからそれはバナナだったのだから。
 にも拘らずどんなマジックを使ったのか、今、CASLLの持っているそれが拳銃に見えてしまうのだから、世の中なかなかに侮れない。たとえそれが黄色くても夜の闇に黒っぽく見えるならノープロブレム。
 犯人はCASLLの迫真の演技に飲まれて立ち止まった。
 落ち着いて考えてみれば、あれがバナナだったという事を思い出せたかもしれない。しかし残念ながら犯人には思い出す事が出来なかったようである。
「さぁ、こっちに拳銃を渡してもおう」
 いつの間にやら、何かの役になりきったらしいCASLLがゆっくりと犯人との間合いを詰めていく。
 犯人は、じりじりと後退った。
 加門も雛太も呆気に取られてそれを見ていた。
 ウェバーは笑いを堪えるのに必死らしい。
 サスペンス映画3本立てをまとめて見ているような錯覚に誰もが陥った頃、事態は急展開を迎えた。
 どうやら犯人も、この緊迫した状態に耐え切れなくなったらしい。殆ど錯乱状態で持っていた銃の引き金を引いたのである。
 闇雲に撃ち始めたそれには照準も何もあったものではない。
 弾の1つが傍の店のショーウィンドウを割って、吹き抜けに10mはあろうかというクリスマスツリーに当たった。
 ツリーが倒れ始める。殆ど人がいなくなった筈なのに、よりにもよってその店内には、逃げ遅れたのか迷子らしい小さな子供が泣いていた。
 その子めがけてツリーが倒れていく。
 CASLLが走り出した。
 子供に覆いかぶさるように滑り込んで。
 クリスマスツリーはだが、突然倒れる方向を変えて誰もいない方へと転がった。



「全く、何を考えてるのかしら」
 クミノは呆れたように呟いて構えていた銃を下ろした。クリスマスツリーの軌道を変えようとして咄嗟に構えたが、それよりわずか早く彼女の傍らを抜けていく弾丸があったので、撃つまでには至っていない。
 弾が風を切って飛ぶ音と、後に続いた銃声から距離を測って、射角からスナイパーの位置を瞬時に計算するとゆっくりそちらを振り返った。
 廃ビルの屋上にそれを見つけて軽やかな足取りで彼らの元へ訪れる。
 クミノが彼に近づくと、彼は持っていたライフルを取り落として突然膝を付いた。
 それにクミノは一瞬眉を顰め溜息を吐く。
「・・・・・・Sランクの感応力者がいるとは聞いていたけど、ここまであからさまなのは初めてね」
 彼女の周囲には半径20mにわたり認識不能致死性の障壁が張り巡らされている。致死と言ってもその効果が現れるのは24時間後だ。認識不能であるから普通は誰も気付かない。ただ、ちょっと体が重くなったかなくらいに思う者はいるかもしれないが、それも滅多にない事だった。
 だから、こういうのは珍しい。
 クミノは思い当たる名前を口にした。
「司法局特務執行部、仁枝冬也」
 クミノの言葉に、彼は膝を付いたまま顔を上げた。
「俺を・・・知っているのか?」
「さぁ?」
 クミノは小さく首を傾げてみせる。情報としては勿論知っていた。彼女のもつ第6世代電脳機、そこに存在する膨大な情報の中に。
 けれど実物を見るのは初めてだった。
 突然現れた女の子と冬也を交互に見やりながら、夕日は困惑している。
「どうして? もう気付いているのでしょう?」
 クミノが冬也に尋ねた。
「・・・・・・・・・・・・」
 冬也は答えない。まるで重力に必死で抗うように、ただ両手で倒れそうになる体を支えているだけだ。
「ありえないわ。彼が犯人であるなど」
 クミノが続けた。
「え?」
 夕日が驚いたようにクミノを見る。
 しかし、クミノは夕日には目もくれず冬也を見下ろしていた。
「なるほど。トラッカードッグとはそういう意味か」
 彼を知る者は、彼の事をトラッカードッグ(追跡犬)と呼んだ。しかしそれは決して誉め言葉などではなかった。追跡の腕は買うが、所詮狗といったところか。ハンドラー(犬使い)の指示でのみ動く忠実な狗。言われた事を言われた通りにやってみせるが、それ以上は決して動かない。たとえ上の判断が間違っていようとも命令を完遂する。それ故に揶揄をこめて呼ばれているのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
 冬也は口を開かず。
「どういう・・・・・・事?」
 夕日が尋ねた。

 ――――彼は、飯野正志は犯人ではないというの?



「やっぱり、おかしいわ」
 パソコンを叩く手を休め、シュライン・エマが呟いた。
 情報収集の為に立ち寄った警視庁傍のネットカフェである。
 警視庁一課の道頓堀・一が怪訝に首を傾げた。
「どうしたんですか?
「考えてもみて。飯野正志は何の為に脱獄したの?」
「え? それは、殺人を犯すため・・・・・・」
 一が面食らったように答える。
「そうよ。つまりこれはれっきとした計画的犯行よ」
「はい」
 檻のない獄なら受刑中でも犯行に及ぶ事ができる。発作的な殺人なら脱獄するのは犯行後だ。言い換えれば先に脱獄したのは最初から殺す事を考えていたという事ではないのか。
「それにしてはお粗末過ぎるわ」
「・・・・・・・・・・・・」
 考える風に指で口許をなぞってシュラインは続けた。
「あまりにも足跡が残っている。そしてどれも彼の犯行を裏付けるものばかり」
「・・・・・・・・・・・・」
 確かに言われてみれば指摘の通りだった。凶器は無造作に投げ捨てられ、そこにははっきりと指紋が残っているような有様だったのだから。
「まるで、お膳立てされたように」
「まさか・・・・・・」
 一は愕然と呟いた。
「殺されたのはNATの保護団体の最高責任者。彼を煙たがってる人間は意外に多いんじゃない?」
「・・・・・・・・・・・・」
 それでなくとも妬みや嫉妬は普通にある感情だ。誰からも慕われているトップというのは考え難い。揉めていた相手は飯野以外に居てもおかしくないのではないか。
「あれだけの足跡を残し、セキュリティーのことごとくに引っかかりながら、未然に犯行を防げなかったのは何故?」
「・・・・・・・・・・・・」
 一には最早答えられなかった。シュラインは更に続ける。
「その上、見事に逃げ果せている。つまり黒幕がいてもおかしくない。にも拘らず単独犯なんて変だわ」
「・・・・・・・・・・・・」
 確かに、おかしい・・・・・・だろうか。
「2人はNATの監視システムを巡って揉めていたのよね? 2人が消えて得をするのは誰?」
「・・・・・・・・・・・・」
 そう、柏原だけでなく、2人が消えて得をする者。
「ネットでは少し前から噂があった。NATには重犯罪者による地下組織があると。けれどこの噂は殆ど大きく取り上げられた事はない」
「・・・・・・・・・・・・」
 噂は噂のまま小さくくすぶっている。ネットという特異な場所では、これは珍しい部類に入るのではないか。アングラサイトですら殆ど囁かれていない噂。例えば誰かがネットに流れ出るそれらの膨大な情報を操作しているのだとしたら? そんな事が出来る組織があったとしたら、もしかしたら今回の事件は?
「司法局の特務執行部は、そもそもNATに逃亡した重犯罪者を捕縛する為の特殊部隊の筈でしょ。どうして彼らが今回の事件の捜査にあたっているの?」
「・・・・・・・・・・・・」
 脱獄犯を追う特務の中でもNATでの捕縛を専門に行うチームが、この事件に参加している理由。
「司法局は何かを隠してるんじゃないの? いいえ、C4ISRのデータバンクにその詳細な情報があって・・・・・・」
 少なくともNATで動く彼らなら、ネット以上の地下組織に関する情報を持っている筈ではないのか。たとえそれが、今回の事件と関係なくとも。
 と、突然、一が持つC4ISR端末が鳴りだした。
 一がシュラインの言葉を片手で制して通信を開く。
 それから暫く本部と何かやりとりをしていた彼は握り拳に親指だけ立てて彼女に言った。
「ビンゴです」



 CASLLと加門が犯人を追いかけて通りを曲がっていく。ウェバーと雛太もそれに続こうとした。
 そこへ突然、1人の男が立ちふさがった。
 迷彩色の上下にカーキ色のブルゾンを羽織っている。
「ウェバー・ゲイルさんですね」
 と、男が言った。
「んぁ? 貴様、誰だ?」
 ウェバーが不機嫌そうに聞く。
 男は手首にはめられている腕時計のようなものを開いて、IDタグをウェバーに向けた。
「僕は司法局特務執行部所属の高野・千尋と言います。捜しましたよ。通信機はちゃんと携帯しといてくださいよ」
 非難がましくそう言って千尋がウェバーにC4ISRの端末機を差し出した。
「警視庁の15Fのトイレの窓の傍に落ちていましたよ」
 何とも説明的なセリフだ。
「いやぁ、すまんすまん。で、何の用だ? まさか通信機を届けにきただけ、ってわけじゃないんだろ?」
「すぐに本部に戻ってください」
「何!? 犯人を目の前にしてか?」
「あんな小者は賞金稼ぎの皆さんに任せてしまって構いません」
「あんな小者?」
 尋ねたのは雛太だった。
 そう言えば先ほど、クミノもそんな風に呼んでなかったか?



「こんばんわ」
 冠城・琉人は相変わらず小春日和を思わせるようなのほほんとした口調で声をかけた。
 追っ手から逃げる為に咄嗟に飛び込んだ路地裏で待ち伏せされ、犯人はその場に立ち竦んでいる。
「追いかけっこも、そろそろ終わりにしましょう」
 にっこり笑って琉人が男の前に右手を掲げた。
 いい感じに犯人は疲労している。警視庁や司法局が突然彼を追うのをやめたのが多少気になるが、うまく他の賞金稼ぎ共をまいてきてくれた。全ては自分に捕まえられるために。これも神の思し召しか。
 琉人は手の平に意識を集中した。犯人が殺した男の霊の怨嗟の声を、直接彼の精神に叩き込もうというのだ。そうして彼を昏倒させ捕縛する。
 しかしそれは完遂されたなかった。
 ただ、驚いたような顔をして、琉人は目の前の男を見つめていただけである。
「・・・・・・誰なんですか、あなたは?」
 そこへ加門とCASLLが駆け込んできた。
「わっ! またてめぇ、横取りする気か!?」
 そう言って走ってくる加門に琉人は肩を竦める。
「今回は2人にお譲りしますよ」
 琉人が言った。
「おっしゃぁ!!」
 加門が掛け声宜しく犯人に被り付く。
 CASLLも犯人の足めがけてタックルした。
「800万は俺のものだ!」
 倒れた犯人の背中に足を乗せ、ガッツポーズを決める加門らを背に琉人は溜息を吐いた。
「だからだったんですね・・・・・・」
 警視庁や司法局が彼を追うのをやめたのは。



「30分ほど前、ウェストゲートの出門ログに真犯人の出門が確認されました」
 と、千尋が言った。
「え?」
 雛太が目を見開く。真犯人とはどういうことだ?
「つまり?」
 ウェバーが千尋を促した。
「柏原一亜を殺害した犯人はNATに逃げ込んだ、という事です」
 彼はサラリと言ってのけた。
「・・・・・・だって犯人は」
 飯野正志ではなかったのか。
「賞金首の情報も20分ほど前に更新されている筈ですよ」
「・・・・・・じゃぁ、あれは?」
 雛太が、飯野正志の逃げて行った先を指す。
「たぶん捕まえても何の情報も持ってないでしょうね。お情けで賞金の方は5万円ほど残すように手配してあります」
「・・・・・・・・・・・・」
 呆然としている雛太を気の毒そうに見やって千尋が言った。
「まぁ、気を落とさず。800万の賞金は、まだ有効なんですから」
 ポンポンと元気付けるように雛太の肩を叩く。
「あ、そういえば、こんな話を知っていますか?」
 千尋が尋ねた。
「はい?」
 この語り出しは、どこかで聞いた覚えがある。あまりろくでもない記憶だったので雛太は咄嗟に身構えた。
「ある犬が、警察犬募集の広告を見て面接を受けに行ったんです。面接官はそこで『警察犬と言えどもバイリンガルでなくちゃねぇ』と言いました。そうしたら、その犬はなんて答えたと思います?」
 そこで彼は微妙な間を溜めて、顔を寄せると耳打ちするように声を潜めて言った。
「『にゃーお』」
「・・・・・・・・・・・・」
「ぶっはっはっはっはっは」
 絶句している雛太の横で、大爆笑している男が1人。
 きっと感性がどこかで一致してしまったに違いない。
 ウェバーは千尋の肩をバンバン叩いて。
「グッ、ジョブ、ブラザー」
 拳に親指を立てて、ウィンクしてみせた。
 千尋も拳に親指を立てて返したりなんかしている。
 肩なんか組んじゃったりして、2人は意気投合したようだ。
「本部に戻りましょう」
「おう」
「あ、すみません。ちょっとダウンしちゃった奴がいるんで回収に行かなきゃいけないんですけど、手伝ってもらえます?」
「あぁ、任せろ」
 ってな具合で、2人仲良く歩き出した。
「・・・・・・・・・・・・」
 どうやら完全に忘れ去られてしまったらしい雛太は、去っていく2人の背に手を振って彼らを見送った後、辺りをキョロキョロ見渡した。
 麗子に連絡が取りたい。
 携帯電話がないので公衆電話を捜す。10円玉を投入して電話をしたら「うっさいわね!」と言われて速攻電話を切られた。
 どうやら誰かと間違われたらしい・・・・・・。



「つまり、彼は囮なのね」
 夕日が尋ねた。
「そう。真犯人がNATに逃れる為の」
 クミノが答えた。
「・・・・・・・・・・・・」
「気付かなかったのならともかく、気付いていて囮を追い続けるなんて、私には理解出来なかったけど、トラッカードッグなら仕方がないか」
「・・・・・・・・・・・・」
 クミノの言葉に夕日は冬也を見やる。
 自分は気付いていなかった。はっきり言って『あの賞金稼ぎ』の事で頭がいっぱいで、それどころではなかったからだが、このクミノの口ぶりから察するに冬也は気付いていたという事だろうか。気付いていて、それでも尚、彼は飯野正志を追っていた。何故?
「それともまだ、司法局は警視庁に隠し事をしているのしら?」
「!?」
 夕日が咄嗟にクミノを振り返る。
 クミノは相変わらず感情の見えない顔で冬也を見下ろしていた。
「・・・・・・・・・・・・」
 冬也は何も答えなかった。先ほどから彼は辛そうにしていたから、返す言葉がないだけなのか、返す気力がないからなのか、判然としない。
「犯人がNATに逃げ込んでくれた方が都合が良かった・・・・・・」
 冬也の言葉をまるで肩代わりでもするかのようにクミノは呟くと、踵を返した。
「って、とこかしらね。普通は24時間なんだけど貴方は1時間ももちそうにないから、そろそろ失礼するわ」
「・・・・・・・・・・・・」
 それから思い出したように顔だけ振り返る。
「邪魔・・・・・・だったかしら?」
 そう言って彼女は屋上から飛び降りた。
 その瞬間、張り詰めていた糸が途切れたように冬也がくずおれる。
「ちょっ・・・・・・ちょっと!?」
 慌てて夕日が駆け寄ると、それより早く別の手が彼の体を支えていた。
「貴方は・・・・・・」
 冬也の体を持ち上げたのはウェバーだった。
「こんばんは」
 と、彼は微笑んだ。
「これは、俺が回収していきます」
 その隣で浅黒く日焼けした顔を破顔させてカーキ色のブルゾンを着た男が言った。
「えぇっと・・・・・・?」
 状況が掴めずに夕日は困惑する。ウェバーは確かロス市警に務めている人で、このカーキ色のブルゾンは・・・・・・何の根拠もないけど、司法局の人間のような気がした。迷彩服の上下というところが、妙な確信をさせる。という事はC4ISRの捜査員か。
「神宮寺夕日さんだね。本部に召集命令がかかってる筈だけど」
 言われて夕日は初めて、自分のC4ISR端末が鳴っている事に気付いた。
 犯人を前に本部に召集。犯人を追う必要はない。
 つまりは飯野正志は犯人ではないという事だ。
 夕日は溜息を一つ吐いて千尋に声をかけた。
「あの・・・・・・犯人はNATに逃げ込んでくれた方が都合がいいんですか?」
 自分よりも背が高い冬也の体をウェバーから受け取って、軽々と肩に担ぎあげた男が夕日を振り返る。
 夕日にはクミノが残した言葉が気になって仕方がなかった。
 『司法局は警視庁に隠し事をしているのしら?』
「悪いとは言わない。さっきのような銃撃戦があった場合NATなら巻き込まれるのは、せいぜい自然だから。でも最初からそれを見越して犯人を野放しにした、という事はない」
「・・・・・・・・・・・・」
 彼はまっすぐな目でそう言った。それからふと、表情を緩める。
「と、俺は信じたい。残念ながら俺は組織の人間で、しかも下っ端だからね、上が何を考えてるかまではわからない。上からの命令を完全に無視する事も出来ないし、それをやったら組織は組織として成り立たなくなってしまう。それは警察機構も同じだと思うけど?」
 それが彼の本音なのだろう。
「そうね・・・・・・」
 夕日は溜息を1つ吐いた。司法局がたとえば本当に情報を隠していたとしても、それで彼らを疑ったり信用しないのはちょっと違うような気がした。警察機構も同じだから。
「さっきクリスマスツリーを撃ったのは、このあんちゃんか?」
 ウェバーが冬也のライフルを拾いながら尋ねた。
「え? あ、はい」
 咄嗟に夕日が答える。
「すげぇな」
 ウェバーがヒューと口笛を吹いて感嘆の声をあげた。
「そんなに凄いんですか?」
 夕日が尋ねる。無造作にやってのけていたので、そんな凄い事のようには見えなかったのだ。
「当たり前だ。普通の銃は、構えて・狙って・撃つ、で済むが、狙撃はまた別もんだぜ。構えるまでにもいくつものプロセスをふむ。その上狙うにゃ更に技術がいるんだ。それをツリーが倒れ始めてから倒れてしまうまでの間に全部やってのけちまったんだぞ。着弾から銃声まで1秒弱のタイムラグがあったって事は、ここからあそこまでは直線距離で4〜500mってとこだ。その距離で動く標的にピンポイントで当てたんだ。これ凄いって」
 ウェバーは熱く語り始めた。
 一般にライフルの弾は音より速く飛ぶ。花火と同じ理屈だが、着弾から銃声のタイムラグは1秒で630mと言われている。そこから直線距離を算出したのだろう。
 狙撃では、風速や風向きによる照準調整もさることながら弾丸1つ取ってもどれを使うかに細心の注意が払われる。弾が貫通したり、それた後の事まで考えて選ばれるのだ。万一一般人などに届かないように、貫通する弾、しない弾、致命傷を与えられる弾、など、場所や場面によって変えられるのである。多くのスナイパーが高い位置から狙撃をするのは、撃って貫通した弾が他の人間にあたらないように地面に埋め込む為であった。
 つまり狙撃は一発必中。故に一般の射撃とは全く違うスキルを必要とする。多くの時間を費やして確実に標的を撃ち抜くのだ。
 早撃ちガンマンとはわけが違う。
 それだけに、それと同等に近い事をライフルでやってのけたのだから感嘆に値するだろう。
「もしかして、ウェバーさんって銃オタク?」
 千尋が胡散臭げに尋ねた。
「SPの基礎知識ってやつだ」
 ウェバーが答える。なるほど、そうでなければ要人をスナイパーから守れないのだろう。
「もしかして、ロス市警ってSWAT(ロサンゼルス特殊機動隊)にいたんですか?」
 千尋の目の色が突然変わった。どうやら憧れているらしい目の色だ。
「おう!」
 ウェバーは笑顔で応じた。それから続けようとした言葉は、千尋の喚声にかき消される。
「凄い。かっこいい! 今度是非、その時の話を聞かせてください」
 目を輝かせて訴える千尋に、今更ウェバーは言えなくなった。研修で3日ほど、とは。
「でも、俺がいたのは狙撃班じゃないから・・・・・・」
 と、言葉を濁す。
「別に構いません」
「うっ・・・・・・そ、それよりこいつ大丈夫なのか?」
 これ以上突っ込まれては困るので、話題を変えるようにウェバーが冬也を指して言った。
「あぁ、こいつちょっと敏感肌なんですよ」
 千尋は冬也を担いでいない方の肩だけを竦めて答えた。
「敏感肌?」
 ウェバーも夕日も不可解そうに眉を顰める。
「そう。普通じゃ感じないようなものまで感じちゃって、たまにダウンしちゃうんですよ。すぐに元に戻りますけどね」
「なら、いいか」
「じゃ、俺は先に本部に戻ってますんで。後で話聞かせてくださいね」
 千尋はウェバーから冬也の荷物を奪うと、階段を使うのも面倒くさげにクミノと同じく屋上から飛び降りた。
「・・・・・・・・・・・・」
「とんでもねぇ、連中ばっかなのな」
 ウェバーが屋上から落ちていく千尋を覗き込みながら肩を竦める。
 夕日はそれを疲れたように見送って、それから思い出したように携帯電話にメールを出した。



「参りましたねぇ」
 何とも長閑に呟いて、お茶の使者、こと琉人は携帯電話をコートのポケットに仕舞った。
 飯野正志は柏原一亜を殺した犯人ではなかった。霊的情報まで書きかえられていたらしい、まんまと嵌められた。恐らくはあの司法局の男を牽制する為のものだったのだろうが、それに自分まで嵌ってしまったのである。
「・・・・・・・・・・・・」
 しかし、彼ならこの程度の書き換えは見抜けそうなものだが。
 そこで初めて琉人はトラッカードッグの意味に気付いた。通りで取引を申し出たら、その内容を提示する前から即答で断られたわけだ。
「ハンドラー(主人)の命令でしか動かない、か」
 だが、これで実行犯にはバックがいる事が判明した。それは霊的情報まで書き換えちまうようなとんでもない連中だが。
 バックの連中には現時点で賞金はかかっていないし、別にそこはどうでもいいような気もしたが、とりあえず今後の為に調べておいても損はないだろう。次こそ800万は自分のものだ。



 飯野正志を引き連れて、加門とCASLLは警察が運営する捕縛部の換金センター出張所に来ていた。
 暫く、役から抜け切れなかったCASLLだったが、助けた女の子に怖がられた事で我に返ったらしい。カットの言葉もなく、普段のCASLLに戻っていた。
 待合室で名前を呼ばれ、加門が窓口に顔を出す。
「はい、こちらが賞金になります」
 窓口のお姉さんはにこやかに笑って賞金を彼の前に差し出した。
 その受け皿にのってる金は、数えなくてもすぐにわかるほど、明らかに自分が想定していた厚さとは違う。
「あ? これ、間違ってるぜ」
 加門が言うと、お姉さんは首を傾げて答えた。
「いいえ、間違いありません。飯野正志。5万円になります」
「ちょっと、待て! 800万だろ!?」
「はい。確かに30分ほど前までは800万でしたが、柏原一亜を殺した犯人は別の方だと判明した為、先ほどデータが更新されたんです。現在の彼の賞金額は5万です」
「なっ・・・ちょっ・・・・・・」
 ――――犯人が変わった?
 加門は愕然としながら5万円を手に窓口を離れた。賞金を手に戻ってくる加門を手薬煉引いて待っていたCASLLは彼の手元を見て怪訝な顔する。
 加門は一気にやつれたような顔をして、先ほどから煩く鳴っている携帯電話を取り出した。
 携帯電話にはメールが3件入っていた。
 一件目は、神宮寺夕日からだった。
『犯人は飯野正志じゃないわ』
 二件目は、如月麗子だからだった。
『5万円の犯人なんか追ってないで、さっさと連絡寄越しなさい!』
 三件目は、お茶の使者からだった。
『今回は謀られましたね』



 全ての天候までもがコンピュータ管理された不夜城都市――23区TOKYO−CITYの今夜の天気は晴れ。ところにより、身も心も冷たくさせる木枯らしが吹き荒れている。

 その日、C4ISRの本部が警視庁から司法局に移され、プロトタイプで何とか体裁を取り繕われた部屋の前の廊下で、1人の司法局員が同僚に「その敏感肌さっさと治さないと死ぬぞ」という指摘を受け、日本海溝より深く落ち込んだのは25時16分の事であった。
 それは、1人の賞金稼ぎが哀愁を漂わせ、傍らにいたもう1人の賞金稼ぎにこう呟いたのと、奇しくも同じ時間である。

「バナナ喰う?」
「いただきます」



−to be contenued−



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1166/ササキビ・クミノ(ささきび・くみの)/女性/13/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【2209/冠城・琉人(かぶらぎ・りゅうと)/男性/84/神父(悪魔狩り)】
【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】
【3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)/男性/36/悪役俳優】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/23/警視庁所属・警部補】
【4320/ウェバー・ゲイル(うぇばー・げいる)/男性/46/ロサンゼルス市警刑事】

異界−境界線
【NPC/仁枝・冬也(きみえだ・ふゆや)/男性/28/TOKYO−CITY司法局特務執行部】
【NPC/高野・千尋(たかの・ゆきひろ)/男性/28/TOKYO−CITY司法局特務執行部】
【NPC/藤堂・愛梨(とうどう・あいり)/女性/22/司法局特務執行部オペレータ】

文ふやかWR異界−ビタミンレス
【NPC/深町・加門(ふかまち・かもん)/男性/29/賞金稼ぎ】
【NPC/如月・麗子(きさらぎ・れいこ)/男性/26/賞金稼ぎ】
文ふやかWR異界−1DK
【NPC/葛城・理(かつらぎ・まこと)/女性/23/警視庁一課特務係】
【NPC/道頓堀・一(どうとんぼり・はじめ)/男性/26/警視庁一課特務係】


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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、斎藤晃です。
 ファーストライン【前編】にご参加いただきありがとうございました。
 そして、お疲れ様でした。
 楽しんでいただけていれば幸いです。

 物語は大きく、警視庁+司法局と賞金稼ぎの、2本立てになっています。
 章番号を参考に、機会があれば他の章を読まれると、その時、他の陣営がどんな状態だったかがわかって、いいかもしれません。>現時点では相手陣営の動きが見えないような構成にしてあります。

 尚、章番号の上4桁は時間です。
 また、5桁目は0が共通、1が警視庁+司法局、2が賞金稼ぎになっています。
 6桁目はシリアルナンバになっています。

 【後編】は文ふやかWRの担当となります。
 舞台は一転してNATとなり、更にサバイバル色が濃くなりそうな予感?
 乞うご期待。是非、ご参加下さい。

 PCゲームノベル :: ファーストライン【後編】
 12月15日 22:00 OPEN 予定