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<PCシナリオノベル(シングル)>


奈落から哀しい別れ―月夜の終焉―


●序

 きらきらと舞い散る桜色の風が、N県にある宮窪村全体を包んだ。
「……あなた」
 百合子はふと窓の外を見た後、隣の布団で寝ていた夫の体を揺すった。
「んー……どうした?百合子」
「窓の外。……ほら、何か降っているわ」
 夫は眉間に皺を寄せ、目を開けることも体を起こす事もせず、ただごろりと寝ていた向きだけを変えて口を開く。突如眠りから覚まさせられた不愉快さを隠そうともせずに。
「……霧か雨じゃないのか?」
「違うわ。薄紅色なの」
「薄紅色……?」
 百合子の興奮さに、漸く夫は体を起こす。目をごしごしと擦り、時計を見る。夜中の午前二時。草木も眠る、丑三つ時である。
「ほら見て」
 百合子はそう言い、窓の外を指差した。夫はそこで感心する。なるほど、確かに百合子の言う通り、薄紅色の風が吹いている。霧でも雨でもない。
「……何が起こっているんだ?まさか、門が開いたとでも……?」
 宮窪村は、門番だ。常世の門を監視する為の、村なのだ。ただそれだけのために存在し、ただそれだけのために全うする。それだけなのだ。
「まさか……!もしそうなら、私達は今こうしていられる事すら許されぬ筈よ」
 百合子はそう言い、そっと窓を開いた。様子を窺う為、ほんの少しだけ。その隙間から数量の桜色の風が室内に吹き込む。
 常世の門が開けば、この世とは別の世界に繋がる。正五角形をした村全体によって封じている結界となっている為、常世の門が開けば自動的に結界も崩壊する。
 つまりは、村全体の崩壊。
 だが、今それが起きているという訳では無さそうだった。
「……様子を見に行くか?」
 夫はそう言い、ようやく窓の方にいる百合子に近付こうとした、その時であった。百合子は突如「あああああ」と叫び、窓をぴしゃりと閉じた。そしてその場に転がり、やはり「あああああ」と叫びながらもがいた。額を押さえつけながら。
「百合子!」
 夫は慌てて百合子に近付いた。もがく百合子の様子に、夫は救急車を呼ぶことを決意する。村よりも、百合子の体の方が大事だ。
 だが、電話を取りに行こうとした夫の脚は百合子の手によって阻まれた。ぐっともの凄い力で足首をつかまれたのだ。
「……百合……」
 夫は振り向きながら百合子を呼ぼうとしたが、それは適わなかった。百合子によって、喉元を食いちぎられてしまったのだから。ごぼぼ、という赤い息を吐いただけ。
 百合子は口元を真っ赤に染め上げ、元来持っていた二つの目で泣いた。そして、新たに出来た額の三つ目の目で、うっすらと笑ったのだった。


●奈落から

 さあ、始めよう。この世における記念の日がここに誕生した、盛大なバースデイ・パーティーを!

 状況は、最悪といっても過言ではなかった。セレスティ・カーニンガムはぐっと奥歯を噛み締めたまま、目の前でくすくすと笑う月宮・豹(つきみや ひょう)を青の目で見ていた。軽くウェーブがかった銀の髪は結界の中でふわふわと揺れている。
「なぁ、セレスティ……俺は、俺はどうすればいいんだ……?」
 セレスティの張った水の結界内にいる、加鳥俊介(かとり しゅんすけ)が情けない声を出して言った。
「加鳥さん、どうすればいいのかだなんて……私が知りたいくらいです」
 セレスティはそう言い、ごくりと唾を飲み込んだ。どうすればいいのかだなんて、何も分からない。ただ分かる事と言えば、これが最悪の状況であるという事だけだ。
 N県にある宮窪村は、常世の門の監視をしている。そんな村に来たのは、最近頻発していた人喰い事件を追ってのことであった。かつて三百年前に、この宮窪村で同じような人喰い事件が起こったという事を調べ上げた俊介が、村長である里村・静香(さとむら しずか)とコンタクトを取り、話を聞かせて貰える事になった。それで、草間興信所に人手を借りる為にやってきた俊介とたまたま居合わせていたセレスティがこの村にやってくることとなったのだ。話はスムーズに進む筈であった。
(何処で、狂ってしまったんでしょうね)
 セレスティは目の前にいる豹から目を離さずに小さく苦笑した。人喰い事件の元となっているという苗木は、違う世界から来た住人だと静香は言っていた。そしてまた、全国にいるのは苗木の分体なのだと。
(苗木であるままであれば、まだ手は打てたでしょうに)
 しかし、本体であるその苗木の対処方法を聞こうとした矢先に邪魔が入ってしまった。俊作も所属している退魔組織の、エージェントたちである。そして、退魔のカリスマ的存在である豹。
(……里村さん)
 静香は、苗木を前々から狙っていたエージェントの手によって殺されてしまった。今はもう動かぬ体しかない。尤も、彼女の敵を討とうにも彼女を殺したエージェントもまた豹の手によって殺されてしまったのだが。
 そして今、苗木は巨木へと成長してしまった。豹の思うが侭に。
「セレスティ……俺は、月宮を好きじゃないと言った」
「ええ、聞きました」
「でもな、だからといって尊敬していない訳じゃないんだ」
「……分かります」
 豹は、あらゆる面において完璧な存在であった。退魔の重鎮であり、能力や才能、人格などのあらゆる面でカリスマと言われている人物なのである。
「俺は月宮を、好きじゃなかったんだ。……でもな、でも……あの月宮が」
 俊介は混乱していた。目の前で愛しそうに巨木を見つめて笑う豹を、じっと見つめたまま。無理もないと、セレスティは溜息をつく。退魔という世界に身を置いているものは皆、彼の存在を崇めたてているかのような節さえあったのだから。彼がいない場所では冷静に判断できる事柄も、彼を目の前にすれば彼に対する冷静な評価も何もかも、全て吹き飛ばされているかのような感覚に陥るのだ。
 それほどまでに、月宮・豹という人物は多大な影響力をもっていたのだ。
「……加鳥さん、一旦退きましょう」
「月宮を目の前にしてか?」
 キッと睨みつけるように見てきた俊介の肩を、ぽんとセレスティは叩く。落ち着かせるように。
「現在の状況を良く見てください。……この花粉は、今はまだこの宮窪村内だけに留まっています。結界が張られていますからね」
「……正五角形のか」
「そうです。ですが、それさえも崩されたらどうなるか分かりますか?」
「……更なる人喰い事件の拡大」
 セレスティはこっくりと頷く。俊介はぐっと奥歯を噛み締め、がしがしと後頭部をかきむしりながら「くそ」と吐き捨てるように呟く。
「分かった、分かったよ!……一旦、退こう」
「幸い、弱い結界でも張ってあれば花粉の被害は受けずにすむようですから」
 セレスティはそう言いながらちらりと豹の方を見た。豹は自らの体に薄い結界を張っているようだった。いや、正しくは額の辺りだけに。そうする事により、自らが人喰いの異形にならぬようにしているのだ。
「……行こう」
 俊介はそう言い、今は亡き静香の家へと向かった。セレスティは満足そうに微笑みながら木を見つめる豹に一瞥をし、俊介の後に続くのであった。


●泥地に降り立ち

 ケーキもシャンパンも上等なワインも、何も要らない。世界は全てが零に変わるから。一切が無へと帰化する。……さあ、還れ。

 主を失った家は、ただしんと静まり返っているだけだった。
「……誰も、いないんでしょうか?」
「……人は、いないようだな」
 俊介はセレスティの問いにそう答え、銃を構えた。ゆらりと闇の中で動く気配に向かって銃口を構えているのだ。その気配が発するのは、人のものではない気配。
「……何という事ですかね」
 セレスティもそっと水を形成する。俊介の周りに結界を薄く張り、彼が動きやすいように、彼がダメージを受けにくいようにする。
「ぐおおおお!」
 動いた気配に、俊介は素早く反応して銃を放つ。パンパンと立て続けに二発、的確に気配の左右に放って威嚇し、気配だけではなく姿を見せさせる。
「……ビンゴか」
 俊介はそう言い、ちっと舌打ちした。出てきたのは、額に第三の目を出現させた男であった。口の周りが赤い所を見ると、他の人は皆この者によって喰われてしまったのであろう。セレスティは結界を出てきた男の周りに張り、動きを牽制した。
「加鳥さん!」
「おう!」
 動きを牽制されたために出来た隙に、加鳥の持つ銃が火を放った。狙いはただ一つ、額の目。見事命中すると、額から鮮血を放出させながら男は倒れてしまった。
「……やれやれ」
 俊介は小さく呟いて溜息をついて男に近付く。二つの目を白目にし、額の目は撃ち抜かれてしまった男。俊介は手を合わせた後、白目になっている両の目の瞼をそっと閉じてやった。
「大丈夫ですか?」
「ああ。……異形になったといっても、しょせんは素人だから」
 俊介はそう言い、どっかりとその場に座り込む。土足で上がりこんでしまったものの、もともと土足で上がりこむものではない家の中は、まだ床が綺麗なままだ。
「家、だったんだよなぁ」
 ぽつりと俊介は呟く。
「そうです。ここで生活し、毎日を過ごしていたんですよ。……靴を脱いで上がり、足を伸ばしてくつろいでいた場所なんです」
「だよなぁ」
 家の中は特に荒らされた様子も無かった。だが、死体がいくつも転がっているままだ。かつてはちゃんとした人であっただろう一部や、先程俊介の銃によって倒されてしまった異形になりはてた男が散乱したままだ。
「退魔のエージェントの方々も、動いたようですね。……皆さん結界を自らの体に纏わりつかせ、戦ってらっしゃるようです」
 小高い丘の上にある静香の家は、村全体を見渡せる窓があった。セレスティはそこを覗き込み、小さく溜息をついた。
「今更っつー気がするけどな」
 俊介はそう言って苦笑する。苗木が巨木となってしまい、花粉を飛ばしている今となっては、最優先すべきは人喰いとならなかった生き残りの住民の数を増やす事しかできないであろう。これ以上の犠牲を、出さずにすむように。
「ですが、こうなっては月宮氏が裏切り者である事は退魔のエージェントの方々にも知れ渡ったでしょうに」
「……証言できるのは、俺くらいだろうけどね」
 何しろ、あの場に居合わせたのは自分だけなのだから……と俊介は自嘲した。あの場にいたエージェントたちは、皆豹の手によって消え失せてしまったのだから。
「では、時間がかかるでしょうね……」
「だろうな。腐ってもカリスマだからな」
 俊介は手をひらひらさせ、お手上げのポーズをした。セレスティは苦笑し、再び窓の外に目線を移した。
「結界を、強めているようですね」
 村全体を包み込む結界が、ぐぐぐ、と強まる気配を感じてセレスティはそう言った。元々、異界のものが入り込む危険性この村にはある。それを逃がさぬように張られている結界が再び張りなおされたようであった。
「被害を最小限にしないといけなくなったからな。……生き残りがいれば、守るために戦っているだろうし……」
「被害が広がらないように花粉を村内だけに留める結界を張る……ですか」
「そういう事。退魔の組織における基本だってさ」
「なるほど」
 セレスティが感心したように言うと、俊介は苦笑する。
「まあ、これも月宮の指導からきているんだけどさ」
 大きな溜息をつきながら俯く俊介に、セレスティはただ「そうですか」とだけ答えた。ただ、それだけしか答えることは出来なかった。


●暗闇の中

 何が必要で何が不必要なのか、判断がつけられているのだと思っていた。だがそれは、ただの思い過ごしだったのだ。全てが、不必要で形成されていたのだから。

 薄紅色の花粉が一瞬吹き止んだかと思うと、また吹き始める。先程から、それの繰り返しが行われていた。
「……どうやら、一定の間隔があるようですね」
「みたいだな。……ん?」
 突如、コンコンと里村家の戸が叩かれた。セレスティたちが何か言う前に、ノックの主である黒スーツをまとった男が家の中へと入ってきた。セレスティたちと同様に、土足で。
「……加鳥だな?」
「へぇ……。俺みたいな下っ端の名前を知ってるんだ?」
 セレスティが「誰ですか?」と小声で俊介に尋ねると、俊介は苦笑を交えながら溜息をついた。
「……上のほうのエージェントだよ」
「ああ、退魔の。私はセレスティ・カーニンガムです」
「リンスター財閥の総帥、だったな?わざわざこんな所まで赴くとは……」
「それだけの人望を持っている、と言ってもいいんだぜ?」
 俊介は悪戯っぽく笑いながらそう言い、セレスティの前に立った。エージェントは失笑を含みつつ、口を開いた。
「今はそのようなことを話している場合ではないんでね。……どうだろう。我々と手を組まないか?」
「何で?」
「何故、と聞くか。……月宮さんの裏切りを、お前はその目で見たのだろう?」
「あんた達だって見たんじゃないのか?」
「我々は、それを飛ばされてきた式神で知っただけだ。実際に見たわけではない」
 男はそう言いながら、懐から一つの宝石を取り出した。真っ赤に燃え上がる炎を宿したかのような宝石。それは、退魔たちが秘蔵していた禁呪である『嘆きの炎』と呼ばれる伝染呪文入りの宝石である。
「……実際に目にしたのは初めてだ」
 ぽつり、と宝石を眺めながら俊介が呟く。男はそれをそっとセレスティに差し出した。
「どうだろう。これを、あの元凶となっている樹木にセットしてくれないかね?」
「あなた方が、ご自分でなされたら如何です?」
「我々は、やることが多すぎるのだよ。……あの方を目の前にして、生き残る事すら許されないしな」
 男の言葉に、バン、と俊介は机を叩く。眉間に皺を深く刻んで。
「セレスティと俺なら生き残れるって?馬鹿な事言うじゃないか!」
「お前は生き残れるだろう?……お前は何しろ……」
「関係ないぜ!」
 男の言葉を遮り、俊介は叫ぶ。セレスティはじっと宝石を見つめた後、それを手に取った。
「分かりました。これはお預かりしましょう」
「セレスティ!」
 俊介の牽制するような声に、セレスティはただ静かに笑う。優雅な物腰で。
「ですが、私には本当にあの木が悪いようには思えないんですよ。木が望んで今の状況を作り上げているとは思えません」
 そう聞きましたしね、と心の中でセレスティは付け加える。男はそれを聞き、一つ溜息をついて黙って立ち上がった。
「甚大な被害が出ていることを、実際に犠牲者が出ているという事も、勿論考慮して貰えるんだろうね?」
 男は去りぎわにセレスティに問い掛けた。セレスティはこっくりと頷き、再び優雅に微笑んだ。
「考慮はします。実際に今起こっている事態も、ちゃんと受け入れますよ」
「結構」
 セレスティの返答を聞き、男はその場から立ち去った。再び吹き始めた薄紅色の風から見を守るため、薄く結界を自らの周りに張り巡らせて。
「セレスティ、本当にあの木を粉砕するつもりなのか?」
 男が立ち去ったのを見届け、俊介が尋ねてきた。セレスティは小さく微笑み、俊介の方を向いて口をそっと開く。
「加鳥さん。……元凶は、月宮氏です。彼本人に対峙し、やめさせないとこのような事は何度でも起こりうる……そうは思いませんか?」
「それは……確かに、その通りだけど」
「考慮せよ、と彼は仰いましたね。確かに、考慮すべき事項ではあります。ですが、本当に粉砕するしか手は無いのでしょうか?あの木自体が元凶ではないと言うのに、本当に粉砕する事が最善と言えるのでしょうか?」
「それは……」
 セレスティの言葉に、ぐっと俊介は言葉を飲み込んだ。それを見てセレスティは微笑み、自分と俊介の体の周りに薄い結界を張り巡らせた。
「さあ、行きましょう。一刻も早く、夜が明けるように」
 セレスティはそう言うと里村家から出ていく。俊介はぎゅっと銃を握り締め。セレスティの後に続いた。
 二人がふと丘の上から村を見渡すと、今や巨木と化してしまった木の苗木のようなものが村のあちらこちらに生えていた。薄紅色の花粉は、人を異形に変化させるだけではなく、分体を作り出す効果もあるようである。そしてまた、分体たちも花粉を作って飛ばしていく。終わりが見えることの無い、史上最悪のメビウスの輪。
「加鳥さん、あれは……」
 セレスティは、里村家の裏に位置する場所にある洞窟を指差した。俊介は口元に手をもっていき、記憶を辿る。
「確か……あれは、常世門のあるという洞穴神社があるはずだけど」
「あそこは、丁度真下なのではないでしょうか?」
「真下って……」
「先程巨木と化した苗木がある場所の、です。……あの洞窟の奥辺りが真下となるような気がします」
 セレスティの言葉に、俊介ははっとして頷く。
「そうだ……確かにそうなるな!……セレスティ!」
「ええ。行きましょう」
 セレスティと俊介は互いに顔を見合わせ、一つ頷いてから洞穴神社へと向かうのだった。


●辿り着く

 世界の殆どが不必要で形成されていると知った時の、あの衝撃といったら……!全てが必要で形成されていると思っていたというのに。酷く裏切られた気分だった。

 洞穴神社の中は薄暗いが、足元が見えなくなるほどではなかった。
「何故かな?……ああ、月の光のお陰かな?」
「かもしれませんね。……不思議な事に、ここには胞子が舞い込んでくる気配すらないですね」
 セレスティはそう言い、洞窟とは思えぬ澄んだ空気に驚く。洞窟といえば暗く、空気が淀んでいるというイメージが強い。だが、今自分たちがいる洞窟は所々に空いている細かい穴たちから月光が優しく降り注いで足元を照らし、空気は淀むどころか澄み切っているのだ。
「神社という空間のせいかもしれないな」
「そうですね。……清浄な場所なのでしょう」
 暫く歩くと、闇の色のような湖が目前に現れた。その傍らには、小さな苗木が植えられていた。更に、苗木の上には巨大な根が張り巡らされている。
「これは、常世門だな。そしてあの根が巨木の根。……で」
「あの苗木……もしかして、巨木の本体なのではないですか?ほら、静香嬢が最初に見せてくださった苗木によく似ています」
 二人は足早に苗木に近付いた。確かに、よく似ている。
「……盲点だったなぁ、ここは」
 突如響いた声に、二人ははっとしてそちらを向いた。見ると、今二人が入ってきた洞窟の入り口付近に見慣れたシルエットが立っていたのだ。つまりは、豹。
「月宮さん……!」
 ぐぐぐ、と拳を握り締めながら俊介が唸るように言った。豹はセレスティと俊介を一瞥し、にっこりと笑う。
「そこからどけてもらえないかね?」
「できません」
 きっぱりと言い放つセレスティに、豹はゆっくりと手にしていた剣を構える。
「ならば、力ずくという……僕の嫌いな方法を取らなければならなくなるよ?」
「……月宮さん……!」
 俊介はそう叫ぶと、銃を握り締めて豹に照準を合わせる。そんな俊介の様子に、豹はそっと笑う。
「君が僕の足止めができるとでも?加鳥」
「できるさ!……いつまでも、昔のままの俺だと思って欲しくないし」
「やれやれ……できの悪い『弟子』を持ったもんだ」
 豹はそう言うと、剣を構えたままじりじりと俊介との間合いを取る。
「弟子……?まさか、加鳥さんは……」
 セレスティが呆然としながら尋ねると、俊介は豹から目線を逸らす事なく苦笑して口を開く。
「そうなんだよ、セレスティ。月宮は俺の師だ。……だからこそ」
 乗り越えなければならない、と俊介は続けようとしたが適わなかった。俊介の体をギリギリのところを剣が掠めたのだ。
「……反応は鈍ってないね、加鳥。感心感心」
「……やめてくれよ……やめてくださいよ!月宮さん、あんたは俺に色んな事を教えてくれたじゃないか!俺に力の使い方を、力の扱い方を、力の明暗を!」
「そうだね。僕は君に様々な事を教えたね」
「ならば……!」
 俊介の言葉に、豹はただ小さく笑った。
「それ以上に、僕は様々な事を別のところで知ったんだよ?加鳥」
 俊介はぐっと拳を握り締め、地を蹴った。
「セレスティ!お前はどうか……お前の思うようにやってくれ!お前がやりたい事をできる時間を、何とか俺が作るから!」
「加鳥さん!」
 セレスティの声に、ただ俊介は微笑んだ。ただただ、小さく微笑むだけであった。


●哀しい別れ

 求めたものは何も得られず、求めないものは色々なものをもたらした。この世がそのようにできているというのならば、それ相応にしなければならぬ。即ち、全てが還る零の時を……!

 セレスティはそっと苗木に手を触れた。静香の声が耳の奥で響く。『彼自身に害意はある訳ではありません』と。
(ならば……教えて下さい。どうしてこのような状況を作ったのですか?)
 何故、邪念を降り注ぐものの望む世界をもたらしたのか、それが疑問であった。代わりに何かが起こるとでもいうのだろうか?
『……欲しかっただけ』
「え?」
 ふと聞こえた声に、セレスティはそっと目を閉じる。今にも消え入りそうな、だが確かに聞こえた声。男とも女とも分からぬ、だが澄んだ声。
『ただ、欲しかっただけ。逃げてきた世界が恐ろしくて、踏み入れた世界に受け入れて欲しかったから』
「受け入れて……欲しかった……?」
『どうしたらいいかなんて分からなかったから。どうすれば受け入れて貰えるかなんて知らなかったから』
(そういう……事ですか)
 セレスティは納得する。この苗木は、この世界で生きていたかっただけなのだ。だが、その手段を全く知らなかった。極端に言えば、何もせずに存在しているだけでも良かったのだ。それなのに、代償が必要なのだと思い込んでいたのだ。だからこそ、自らとコンタクトを取った人間達の思うが侭になってきたのだ。
(幸か不幸か……そうできるだけの力も持っていたんですよね)
 セレスティは苦笑しながら苗木にそっと触れた。
「別に何も無いんですよ。……今こうして、あなたがやっている事の方がいけないことですし」
『知らない……怖い……』
「知らないからといって、怖いからといって……逃げては駄目なんです」
『どうすればいてもいい?何をすれば居場所ができる?』
 苗木はそう言い、微かに震える。善悪も何も分かってはいない。彼はただ、安住の地を得る代償として邪念を降り注ぐ人物の願いを聞き入れただけなのだ。
『どうすれば……どうすれば……』
 セレスティが何かを言おうとした瞬間、光が苗木に降り注いだ。光は次第に形を為していき、女の体となる。顔も少しずつ形成され、やがて一人の女性の顔となった。どこかで見た事のある顔だ。
「……里村さん?」
 セレスティの問いかけに、光の静香はただ微笑んだ。ぎゅっと苗木を抱き締める。
「……邪魔を……!」
 そんな中、突如セレスティの背後から声が響いた。振り返ると、剣を構えたままの豹とうつぶせに倒れている俊介の姿があった。
「加鳥さん!」
 セレスティが声をかけると、俊介の体はびくりと動き、ゆっくりと顔が持ち上がって小さく微笑んだ。まだ、生きているという事を知らせるために。だが、ほっとする暇も無く豹がセレスティに向かって剣を振りかざしてきたのだ。セレスティはそれを慌てて避ける。
「邪魔をしないでくれたまえ!……後一歩、後一歩なんだ!世界樹が、僕の全てを助けてくれる」
 豹の足首を、ぎゅっと俊介が捕まえたが、すぐに解かれてしまった。
「ねぇ、セレスティさん。このような事態に似た地獄が、この世にはたくさんあるって知ってますか?このような地獄絵図が、数多く存在しているって知ってましたか?」
 豹はそう言いながらゆっくりとセレスティに向かって歩く。
「上に報告しましたよ。何とか対策をして欲しいと。でも、認めてくれないんですよ。僕が……この僕が求め続けたというのに」
「月宮さん……だからといって、このような事態は引き起こしてはならないことなんですよ?」
 セレスティの言葉に、あはははは、と豪快に豹は笑った。
「認めてくれないのならば、認めるしかないようにすればいいだけの話じゃないですか!簡単な事だよ、至極!……ねぇ、これならば認めるしかないだろう?」
 豹はそう言い、ゆっくりと剣を振り上げる。
「好転させる対策を持たぬのならば、どうなるかを証明しているだけだよ。丁度、この世には不必要なものが多すぎるのだから……!」
(ああ……それで、零の時、ですか)
 セレスティは納得する。零の時、とはただ単に世界を真っ白な状態にするという意味だけではないのだ。何も対策をしない上によって引き起こされた、という皮肉もこめられていたのだ。
「セレスティ……!」
 考え事をしていた為、俊介の声に反応しただけでは剣を避けきれぬ状況になってしまっていた。セレスティはぎゅっと目を閉じた。……が、体の何処にも痛みは無かった。ゆっくりと目を開けると、そこには剣によって貫かれた俊介が、セレスティを庇うように立っていた。
「加鳥さん!」
 セレスティの叫びに、ゆっくりと俊介は振り向いた。光の体となっている静香も、心配するかのように俊介を見つめている。俊介はその様子に、ただくすくすと笑った。
「セレスティ……里村さん……世界は、決して……」
「加鳥さん……!」
 セレスティの呼びかけに、虚ろな目をしたまま俊介は微笑む。
「決して……不必要なものだけでは……」
「……僕は本気だったんだよ、加鳥」
 動かなくなった俊介に、ぽつりと豹が呟いた。
『……セレスティさん。私はせめて……彼を守ります』
 光の静香はそう言い、再び苗木を抱き締めた。それを邪魔しようと豹が再び剣を構えたが、それはセレスティの水の結界によって阻まれた。
「決して邪魔はさせません。……ここにあるのが本体ならば、彼を止める事で全てが終わる筈なのですから!」
 静香の光が苗木の中へと入っていく。それと同時に、苗木の上に存在した巨大な根たちも徐々に消えていく。分体たちが回収されていっているようであった。
「邪魔をしないでくれ!この世はどうなる?未だにこんなにも不必要なものであふれているというのに!」
「それはあなたが決める事ではありません!」
「その世界樹があれば、僕が目指す必要である世界に還るというのに!」
「誰もそれを求めてなどいません!」
「……煩い煩い煩い!」
 ぎりぎりと剣がセレスティの結界を切り裂こうとしていた。セレスティもそれに応じて結界の力を強めていく。
『……終わりましたよ』
 ふ、とセレスティの頭に静香の声が響いてきた。確かに、苗木の上に確かにあった巨木の根はなくなってしまっていた。
 それを確認すると、豹はぐっと拳を握り締めたまま洞窟を出ていってしまった。セレスティは一瞬後を追うかどうか迷ったが、あえて追う事はしなかった。追っている間に、再び帰ってこられる可能性が無い訳ではないのだから。
「加鳥さん……」
 セレスティはぽつりと呟いた。動かぬ俊介の体を、じっと見つめながら。


●終焉

 終わりはくる。どのようなものにも。それが望んでいたものであろうと無かろうと、必ずしも終わりというものは訪れるのだ。

 後に残されたセレスティは小さく息を吐き出す。
「助かりました……里村さん」
『いいえ。……前だって、私が何とかしたんですもの。今回も私が何とかすべきったんですから』
「前……?まさか、三百年前の事件の時も……?」
 セレスティの言葉に、静香の声はただ微笑んだようだった。少しだけ、照れくさそうに。
『異形となった人たちは元の通りにはなりませんが……私がこうして力の供給を抑えていれば普通の生活くらいなら出来ますから』
「あなたは一体……?」
 セレスティの問いかけに、静香の声はそっと微笑む。
『私は、世界樹そのものなんです。彼が求めた安住の地を私が探してあげたくて、実体を持ったのですが……結局、駄目でしたね』
 静香は苦笑したようだった。恐らく力を抑えるストッパーのような役目をしていた静香が、安住の地を求める為に樹から抜け出てしまった為に、邪念を持った人間に力を使われてきたのであろう。
「私が探しますよ、安住の地」
 セレスティがそう言うと、そっと静香が微笑んだようだった。セレスティはぺこりと苗木にむかって頭を下げ、次に倒れたままの俊介の体に近付いた。
「加鳥さん……有難う御座いました」
 セレスティはそう言って頭を下げ、血で汚れるのも構わずに俊介の体を持ち上げた。まだ少しだけ体温が残っている俊介の体は、もう動かない。声を発することも無い。ただただ、体だけが底に存在するだけだ。
「ああ……夜明けですよ」
 洞窟を抜けると、既に日が昇っていた。セレスティは目を細めて見つめた。
 つう、と頬を何かがつたったのにも、気付く事は無いままに。

<月夜も光により終焉を迎え・了>