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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


うさぎのきもち。

■うさぎのきもち。

「はー、やっと捕獲成功」
 行儀悪く足でリビングのドアを開きながら、天城・鉄太はよっこらしょと両腕で宙ぶらりんに抱きかかえていた一人の少女を床の上に下ろす。
「……随分時間がかかったのね?」
「んな非難がましい目で見るなよな。そもそもこの家の広さを考えてみろってんだ。この嬢ちゃんだって予想以上にすばしっこいし」
 とんっと軽い音をたてて爪先から降り立った純白の少女は、自分をここまで運んできた鉄太と、その会話の相手――天城・緑子を交互に眺めて、くすんと鼻を鳴らした。
「あの……ですね、あの…なんですけれど。『夜』がいなくなってしまったみたい……なんです。だから、ですね。わたし、探さないといけないと思うんです」
 紡がれる言葉は微妙に不器用な響きを帯びている。
 それもそのはず。銀というより白に近いふわふわの髪の少女――アッシュは外見こそ14歳程度ではあるものの、つい先ごろ自我に目覚めたばかりなのだ。
「あのウサギったら、また逃げ出したのね――仕方ないわね」
 『夜』とはアッシュが常に傍に置いている白ウサギのことである。しかもこの世に二羽といないような、特徴的な外見を持った。
「なぁ……『夜』ってたくさんいたりはしなかったよな?」
 怯えるウサギのようにフルフルと体を震わすアッシュの髪を、緑子がそっと撫でる姿を見ていた鉄太が不意に硬直する。
「鉄太、当たり前のこと聞かないでちょうだい」
「……んじゃ、アレは何だ?」
 ゆっくりと持ち上げられた手が指し示すのは、ガラス張りのドアの向こうで跳ねる二羽のウサギの姿――しかも、両方とも立派なふわふわもこもこアフロヘアー。
「夜!」
「こら、ちょっと待ちなさい」
 すかさず走り出そうとしたアッシュの腕を緑子が捕らえる。当然、大切な友人を目の前に行動を邪魔されたアッシュは、澄んだ紫色の瞳に溢れんばかりの涙を浮かべて緑子を振り返り見上げた。
「気持ちはね、分かるんだけど。でも貴女はまだ知らない事が多すぎて一人で行動させるのは危険なの。だからせめて鉄太をお供に連れて行ってちょうだい」
「って、俺かよ! つかどう見てもあのウサギ増えてるだろっ! つまり俺一人じゃ全然無理っぽいだろっ!! 幾ら頭脳派だからって、お前も手伝えよ」
「私はいつ美和様からお呼びがかかるか分からないから、待機してなきゃいけないのよ。助けが必要なら、その辺歩いてる人に声かけてらっしゃい」

  ***   ***

 俺は『夜』。
 以前出会った少女の名前から一文字頂いた素敵な名を持つ、通称アフロウサギだ。
 トレードマークは白の燕尾服にシルクハット。そして一度抱き締めたら忘れられなくなるふわっふわでもこもこのその名の通りのアフロヘアー。
 特技は無限増殖。気が向くままに幾らだって増えられる――忙しいときにはぜひ一家に一人欲しい有能なウサギだ。
 現在俺がいるのは『みわさま』と呼ばれている少女が所有者らしい、やたらとデカイ家。どれくらいデカイ家かと言うと、ワケの分からん部屋がたくさんあるくらいデカイ。きっと巷ではこれを『豪邸』と言うに違いない。
 そんな所でこの俺が何をしているか、というとだな。親愛なる友人であるアッシュの教育なのだ。
 アッシュはまだ産まれたばかりも同然で、世間様ってのを知らない。だからこそ俺がこの都合の良い家を利用して色々な事を教えてやろうとしているのだが――どうにも鉄太とか言う男と、緑子とか言う女が邪魔をする。
 全く、頭の固い連中には本当に困る。一箇所に閉じ込めて言葉で教えて何になるというんだ。百聞は一見にしかず、見て触れて経験してみる事ほど有効な教育手段はないんだぞ。
 どうだ、諸君。俺と一緒にアッシュに色々な事を教えてみないか?
 ちなみにこの家は『常識』を教えるには最適の場だ。何せ家の中に横断歩道を模したセットまであるくらいだからな。
 ……ところで、念のために注意しておくが。間違っても嘘は教えるなよ? 嘘は。
 アッシュは疑う事を知らない。それでいて知識の吸収力は凄まじい――つまり、嘘を教えたら永遠にその『嘘』を『真実』として覚えてしまうからだ。
 あ? ウサギなのにその喋り方は何かって?
 ウサギだって偶にはハードボイルドを気取りたい日だってあるんだもん。


「あー、そこ行く少年。ずばり君はウサギ好きだろう?」
「ぁ?」
 声をかけられたのは突然。
 一般家庭に生まれ、一般家庭に育ち、ごくごく普通に成長してきたはずと信じて疑わない龍央は、自宅に戻らなければならない現状に虚しさを憶え、重い足を引き摺り歩いていた。
 何の変哲もない、いつも通りの日常。
 一般の同年代の子供達と同じように学校に通い、そして放課後になれば自宅へ帰る。ごくごくありふれた平凡な一コマ。
 しかし『家に帰る』という当たり前の事が、彼にとっては『非現実』への入り口になるのだ――しかも性質が悪い事に、彼はそれに必死で気付かないフリをし続けていた。
 愛すべきはささやかな幸せ、平凡な日常。
 自分の家族構成が異常などということは、絶対にあってはならないこと。
 本当にサラリーマンなのか怪しい父だとか、そんな父にラブラブ全開だけど雨を操っちゃうような母だとか、自分の服を着込んで出かけてるっぽい飼い猫だとか、そんな現実ではありえない出来事など、彼の身に降りかかる事などあるはずがない。
「というわけで、さぁさ、中でウサギ探しを手伝ってくれないかい?」
「いや、俺どっちかっていうと猫の方が好きだし」
 丸めた背中に哀愁を込めていた龍央は、突然かけられた声に警戒信号を発する。微妙に論点がずれたのは、なんだかんだで龍央が結構付き合いの良い性格をしているから――と、ウサギの魔力。彼は結構な動物好きだった。
「いやさ、家の中にアフロ兎が蔓延しちまってさ。どう考えても人手不足なわけ。そういうわけで、ぜひ手伝って欲しいんだけど。俺の名前は天城鉄太――君は?」
「俺? 俺は桐谷龍央――って、待て、俺はまだ手伝うとは一言も言ってないぞ!?」
「そうかー、龍央くんかー。高校生? 背ぇ高いよな」
 そういいつつ、鉄太と名乗った男は、龍央より一回り大きいガタイを活かして、問答無用の勢いで掴んだ龍央の手を、満面の笑顔で引き寄せた。
 ………平凡とは、望んで得られる物ではないらしい。特に、彼の場合。


■初戦 in キッチン

「まずは最初に注意させといてもらうな。捕まえて欲しいのはふわふわもこもこのアフロウサギ。本体は燕尾服にシルクハットなんて被ってるが、それ以外の連中はどんな恰好してるか分からない。どれくらいいるかも、だ」
 鉄太の呼びかけ、ないし強引な引き込みによりアフロウサギ捕獲に狩り出されたのは、通りすがりの苑上蜜生、桐谷龍央、シュライン・エマ、八雲純華の計四名。
「改めて、俺は鉄太でこっちのがウサギの飼い主のアッシュ。ちょっとばかし過剰な箱入りで、世間知らずの極地だから何をしでかすか分からん。悪いがその辺も気をつけといてもらえると嬉しい」
「アッシュ、です。よろしくおねがいします、です」
 ちょこんと頭を下げたのは、ふわふわの白い髪が特徴的な少女だった。鉄太の説明通り、どこか浮世離れした雰囲気を放っている――というか、生まれたばかりの赤ん坊のような気配と言った方がより近いかもしれない。
「じゃ、どこから探し始めようか?」
「えっと、多分キッチンがいいんじゃないかと思います。だってほら、餌とかたくさんありそうだし」
 言い出しっぺは純華。どうやらぴんっと乙女の勘が働いたらしい。


 その光景は、少々奇妙と言えば奇妙なものだった。
 一般家庭にあるソレとは、明らかに一線を隔したキッチン――つまり、レストランなどで見かける本格的な――に、制服姿の現役高校生が男女一名づつ、金髪青眼なのに和服に前掛け姿の女性が一人、料理をする恰好とは思えないきっちりスーツ姿の女性が一人、それにふわふわの白のワンピースに身を包んだ少女が一人と、その少女を抱えたラフな姿の長身男性が一人。
 しかも、所狭しと駆け回っているのだ。
 想像してみよう。
 ステンレス製の厨房機材の合間を、これだけの人数が料理をするでなしに右往左往する図を。
「ほら、今度はそっちよ!」
「あ、こっちにも一羽いました!」
「一羽って言うな、ウサギの数え方は一匹、二匹!」
 シュラインの指示に従い走るには明らかに適していない通路幅に躓きかけた純華の視界に、新たなアフロが飛び込んでくる。
 しかし、発見された新たなウサギは龍央の指摘の声に、びくりと身を弾かせて純華の眼の届く範囲から一瞬で消えてしまった。
「そもそもウサギは鳥に似てるってんで、四足が喰えない仏教徒でも食べても良し――なんてことにするために、一羽二羽って数えるんだ。喰うんだぞ? 可哀想だろ。だから一匹二匹に以後統一」
「いや、うん、確かに微妙な拘りポイントだとは思うけどな」
 ぷらんぷらんと地面に届かない足を宙で泳がせるアッシュを抱かかえた鉄太が、うんうんと龍央の意見に首を縦に振る。
「はい。私もウサギさんは食べたらいけないんだと思うんです」
 だって大事な夜もウサギさんですから、とはアッシュの弁。だがしかし、冷静に二人に同意されてしまった龍央は、思わずぽろりと零れてしまった本音に慌てて蓋をするように、ふいっとそっぽを向いた。
 目立たず、地味に、ひっそり平凡に。これこそが彼のポリシー――成功しているか否かは別として。
「えっと……桐谷君だっけ? うん、そういう理由なら私もウサギは一匹二匹って数えた方がいいと思う。物知りなんだね」
 制服姿であることから、自分と同い年くらいであろうと判断した龍央の思わぬ博識っぷりに、純華も手を止めて笑みを返す。
「ウサギは一匹、二匹と数える、ですね。はい、私ちゃんと覚えるんです」
「はいはい、そこ。ほのぼのするのも悪くはないけど、今はウサギを捕まえるのが先決よ」
「……シュラインさん、ちょっと失礼します」
 縁側に座布団を敷いて、お茶を片手の日向ぼっこのような雰囲気になっている若者連中(+鉄太)にシュラインが檄を飛ばす。と、その横を蜜生が何とはなしにすれ違った。
「さっき純華さんが見つけたウサギ、冷蔵庫の後ろに逃げ込んだみたいですね」
 蜜生の青い瞳が、一点を見据える。彼女以外の人間には巨大な業務用の冷蔵庫の陰になって見えない部分だったが、それを視る能力が彼女にはあった。
「それは厄介ね。怯えちゃってるみたいだから、どうやって………」
 ひょい。
 はしっ。
「はい、一匹捕獲成功です」
 擬音を使って表現するなら、まさにそんな感じ。
 あまりに一瞬、かつ平然と、不自然さを感じさせない動きで蜜生はあっさりと冷蔵庫裏に隠れてしまったアフロウサギを一匹――以後、一羽二羽ではなく、敢えて一匹二匹で統一させて頂きます――捕まえて、細い両腕の中に大事そうに抱き込んだ。
 その過程で、彼女が冷蔵庫を軽々と持ち上げたように視えたのは――
「……八雲っつったっけ。なぁ、今の目の錯覚じゃねぇよな?」
 気のせいではなかったらしい。
 呆然と立ち尽くした龍央が、隣に立つ純華に問い掛ける。彼が目撃した現象は、彼の常識の範疇に収まる内容ではなかった。
 ジンと頭の芯が痺れるような感覚に襲われる。
「そうだね。世の中って色々な人がいるから。冷蔵庫、持ち上げちゃうくらい、きっとなんてことないよ」
「あぁあぁ……違う、なんてことないなんてない」
 非常識な出来事に、思わず両手で目を覆いたい衝動に駆られる龍央だったが、結局それは実行されずに終わった。
 なぜなら、彼の目前を新たなアフロウサギが横切ったから。
「ったく、マジで何匹いるんだよ!」
 頭の部分だけ異様に毛がふわふわのアフロウサギ。どうやらこのキッチンにいるのは、変な衣装を着ていたりはしないらしい。ということは、夜本人ではないということだが。
「桐谷くーん、もう一匹そっちに行ったよ」
「了解」
「あ、苑上さん。そっちの大鍋もどけてもらえますか?」
「分かりました」
「ってー! なんでみんなそんなに馴染むのが早いんだよっ!!」


「せっかくだし――アッシュちゃん、いらっしゃい」
 結局、このキッチン内だけで捕獲したアフロウサギは計八匹。それらを鉄太が専用のケージに移す作業を横目に、不意にシュラインがアッシュに向って手招きをする。
「はい、何ですか?」
 鉄太が作業中のため、自由を得たアッシュがシュラインの呼びかけに、ほてほてっと走り寄った。一歩踏み出すごとにふわふわと弾む白い髪は、アフロウサギの毛並によく似ている。
「アッシュちゃんはゴミの分別収集って知ってるかしら?」
 どこからともなく取り出されたのは、地域指定のゴミ袋。
「ぶんべつしゅうしゅう……ですか?」
「そう、分別収集。ゴミにもいろいろな種類があるの。一番の基本は燃えるゴミと燃えないゴミ」
「え……っと?」
「言葉で説明するのは難しいわね。ちょっと待ってね、折角だから実践してみましょう」
 例えどんなに大きなキッチンであろうとも、物をしまってある場所というのは、なんとなく予想がつくもの。ましてや相手は捜査慣れしたシュラインである。あれよあれよと言う間に様々な種類のゴミが掻き集められていく。
 その様子が面白そうなのか、アッシュも彼女の後を追い、細々とした物を拾い出す。
「まずはこれ、お肉やお刺身を買うとついてくるトレー。これはプラスチック」
「ぷらすちっく、ですか?」
「そう、プラスチック。これは店頭で回収してたりする事もあるリサイクルゴミ。だから燃えるゴミに混ぜちゃいけないの」
「……燃えるゴミって何、ですか?」
 そこから始まるゴミの分別講座。
 熱く語るシュラインに、素直に頷きながら聞き続けるアッシュ。その光景がどれほどの時間続いたのかは、すっかり片付いてしまったウサギケージと、それに寄りかかるようにして立つ残りの四人の姿が物語っていた。
「地域とかによって分け方は色々だけど、これは知っておいて損はないわよ。生活の一番の基本だし。それとね、まな板やスポンジの殺菌は使う直前にやった方がいいって言うのも覚えておくといいわね」
「生活の基本、なんですね。はい、覚えました。殺菌は直前に……殺菌、て何ですか?」
「あら、えーっとそれはね……」
「……なぁ、俺たち次のウサギ探しに行った方がいいじゃないか?」
「いや、何気に俺も勉強になってるし」
「そうですね。でも椅子とかあった方がいいかしら」
「殺菌は使用直前に………なるほどー」
 小一時間は充分続いたシュラインのお台所基本講座。最後に彼女の手からアッシュの手に、何故か家計簿が手渡された。
「あのー……なんで家計簿なんでしょうか?」
 思わず突っ込んだ龍央に返されたシュラインの言葉は――
「だってこれも基本中の基本でしょ。本当は光熱費節約術とかも教えてあげたかったんだけど……」
「シュラインさん、シュラインさん。それはちょこっと難しいと思います!」
 律儀に挙手した純華が、さらにツッコミを重ねたのも仕方ないだろう。


■中盤戦 in 不思議の部屋

「此方の部屋への立ち入りは遠慮していただきます」
 キッチンに引き続きアフロウサギ捕獲ご一行様が、蜜生の先導で訪れたのはとある扉の前。
 見た限り普通の部屋への入り口のようなのだが、その前にはしかめっ面で仁王立ちするビジネススーツ姿の女性が一人。一団の最後尾では「やっぱそうだよなぁ」と苦笑いを浮かべる鉄太と、何処かしら顔立ちが似通っている。
「でもさ緑子、この部屋の中にも紛れ込んでるって言うし。あ、こいつは俺の双子の妹の緑子な」
「そんな説明をしている場合じゃないでしょう」
 協力者達にとりあえず妹の紹介を、と顎でしゃくって見せる鉄太に緑子の厳しい声が飛ぶ。勿論困ったのはウサギ探しの手伝いをお願いされた面々の方。
「でも、ウサギ捕まえないといけないんでしょ?」
 鉄太がケージを抱えている為、代わりにアッシュの手を引いているシュラインが緑子の前に進み出る。
「それとこれとは別。この部屋はこの家の主の部屋、主の許しなく入ることは許されません」
「でもそれじゃ、頼みごと完遂できないだろ」
「そういう問題ではないのよ」
 どこか納得の行かない表情で、ぼそりと呟いた龍央の言葉にも、ピシャリと緑子の言葉が被せられた。しかし、そこまで頭ごなしに拒絶されれば、逆に反抗心を揺り起こされるのが、この年代の良いところでもあり、悪いところでもある。当然、大人しく引き下がったりはしない。
「そういう問題じゃないって、最初に依頼してきたのはあんたの兄貴だろ?」
「鉄太は昔から考えなしで――」
「おい、緑子!」
「……緑子、構いません。良い機会……です、屋敷内のものは皆様のご自由にして頂いて下さい」
 扉の前で一触即発の事態が展開されそうな直前、閉ざされていたそれは不意に内側から開かれた。
 顔を出したのは、黒のワンピースに白いカーディガンを羽織った小柄な少女。結い上げてもなお長い黒髪は、アッシュと並べるとその美しさを増しそうな濡れた輝きを帯びている。
「「美和さま!」」
 鉄太と緑子が二人揃って驚きに表情を強張らせた。そのあまりの劇的な変化ぶりに、龍央さえも引き摺られて、表情に戸惑いが浮かぶ。
「……悪く思わないで下さい。緑子も……わたくしの事を思って、のことですから。申し遅れましたが、わたくしは西斎院美和。若輩の身ではありますが、この館の主を務めさせて頂いております――さぁ、貴方達は貴方たちの成すべき事を」
 見た目は純華とそう変わらない年齢だと思われる少女は、一言一言の言葉の重みを考えるように、ゆっくりと頭を垂れた。


「かわいいですねぇ……」
 純華が感嘆の溜息を零す。
 美和の私室として紹介されたその部屋は『館の主』の部屋という事だけあって、広さはこの邸宅の外見を裏切らないものだった。
 外からの直接の光を遮る為か、引かれた薄いカーテンによってぼやかされた夕方の赤い日差しが、室内を不可思議な色に染め上げている。
 机も本棚もパソコンもない部屋、並べられているのは無数のアンティークドールや日本人形。きちんと手入れをされているらしく、新品同様状態で招きいれられた客人に向って淡い微笑を向けていた。
「でもこんだけあるとちょっと不気味じゃないか?」
 数ある人形の中から、赤い瞳をしたビスクドールに手を伸ばした龍央。そして気付く、奇妙な混在感に。
「……っていうか、絶対おかしいだろ! なんでこんな隠れ方してんだよ!!」
 方向転換、約30度。手にしようとしていた人形の背後に、さり気なく隠れるようにちょこんと一匹――赤いチャイナ服を着たアフロウサギがいた。
「あ、こっちには看護婦さんの格好してる! やっぱり人形の中に隠れるには、それなりに気を使ってるのかな?」
 すぐさま新たなウサギを見つけた純華も、人形のふりをして動かないアフロウサギを一匹捕まえて抱き上げる。初めのうちは『ウサギはかわいいけど、アフロっていったい……』と思っていた純華だったが、こうなってはその疑問も見事に吹き飛ぶ。
 ふわふわのもこもこなのだ、それが着せ替え人形のように衣装を着ているのだ――これを可愛いといわず、何を可愛いというのだ。
「桐谷くん、こっちにはセーラー服の着たのまでいるよ。……なんだかちょっと変わった趣味かな?」
 一匹を抱えたまま、二匹目を捕まえた純華は、赤チャイナを着たウサギを抱いたまま固まっている龍央の眼前に、はいっとそれを差し出す。
「…………あ……あぁ」
 この時、龍央の頭の中には嫌な記憶が蘇っていた。この夏に展開された夢の中の一大スペクタクル浪漫の一日が――例え夢の中と分かっていても、消し去ってしまいたい、まさに悪夢のような思い出。
「桐谷くん? どうかしたの? ほらアッシュさんも心配してるよ?」
 思わず遠い目をして違う世界へ旅立ってしまった龍央の瞳を、純華が覗き込む。気がつけばアッシュも歩み寄り、龍央の手を心配そうに握っていた。
「あ、悪い。大丈夫、なんでもないから。さて、そういうわけで捕まえるか」
 軽く頬を叩いて、気合を入れなおす龍央。そう、奇妙な恰好なのは偶然で、それを除けば一度は触れてみたいと思っていたアフロウサギなのだ。そう、まさに夢にまで見た……
「桐谷くーん?」
「っは!?」
 今度は違う意味で遠い世界に行きかけた龍央を、いぶかしむ純華の声が救い出す。少しだけ視線に冷たいものが混ざっていても、この場合は仕方ないだろう。
 だがしかし、彼の行動を妨げる物はこれで終わりではなかった。
「って、誰だよ?」
 もう一度、自分で自分の頬を叩き、いざアフロウサギ本格捕獲! と行動を起こそうとした龍央の行動を邪魔するように、何かが彼の制服の裾を掴んでいる。
「――!?」
 引っ張られる部分に視線を落せば、そこには妖しく笑う一体の市松人形。どうしたことか、その小さな手でしっかり龍央の制服を握りこんでいた。
 龍央と目が合ったことに気付いたのか、微笑が一層深くなる。
「……ありえない、ありえない! 人形に魂が宿るなんて!!!」
 叫び、市松人形を振り払おうと走り出す龍央。
「えと……お人形に魂が宿るのはありえない、ですか?」
「えーっと……普通はないことだけど、でも人間に長い時間大切に扱われた人形には魂が宿るって言うかな?」
 数百年ぶりに再会した愛しい人を追うかのように、龍央の後をついて走り出す人形。
 その光景を、まぁなんでもありよね、とちょっぴり肝の座った女子高生は、きょとんと目を丸くする純白の少女に『曖昧な事もある』と教えるのだった。


「あちらは随分賑やかですね。ところで鉄太さん、夜さんの好物ってお分かりになられますか?」
 部屋中を走り回っている龍央の様子を片目に、蜜生は自分なりのアフロウサギ一斉捕獲の準備を開始していた。
「んー…好物っつーか……よく電源コードを齧ったりして迷惑することあるかな。食べ物は食べてるとこ見たことないから、好物つったらそんなもんかな、とか思うけど」
 俺の部屋とかパソコンあるから、入ってこられると危険なんだよなぁ、と苦笑いする鉄太に、蜜生は「変わったものがお好きなんですね」と首を傾げる。
「歯でも痒いのでしょうか?」
「いや、その辺はウサギとしての本能なんじゃないかと思うけど――使うか?」
「出来れば。それと少しお手伝い頂いても宜しいですか?」
「俺で出来ることならなんでも。頼んだのは俺だしな。っと、コードを掻き集めてくるからちょっと待ってろ」
「出来れば長めのものでお願いします」
 それから暫し。用意されたのは数本の延長コードと、まだ空っぽのケージが幾つか。
「で、俺は何をすればいいのかな?」
 見たいものを見分ける目で、ウサギたちの位置を確認していた蜜生に、鉄太が呼びかける。
「そこでケージの扉を開いていてください。いつでも閉じられるように」
 蜜生はそう答えると、一番ウサギが多く潜んでいる場所から少し離れた場所に、端は自分が掴んだままの電源コードをそっと垂らした。
 それから、再び待つこと数分。
「夜さんはよっぽどコードがお好きなんですね」
 嘘か本当か、コードには十匹以上のウサギが群がっていた。
「で、これからどうするんだ?」
「こうします」
 優雅な仕草で、蜜生は突然コードをぐいっと引き上げる――魚釣りと同じ要領で。
「………」
「はい、閉めてください」
 コードに齧りついたままのウサギたちは、いったい何が起こったのか理解する間もなく、ふわりと宙を舞いケージの中に納まっていた。
 因みに一つ書き添えておくが、いくら分裂体とは言えアフロウサギには一匹一匹にそれなりの重さがある。つまり、それを一気に手繰り寄せ、持ち上げ、移動させるには相応の腕力が必要になるはずなのだが。
「………まぁ、さっきは冷蔵庫持ち上げてたしな」
「ちょっと乱暴でしたでしょうか?」
 ケージに納まったウサギたちに怪我がないか確認しつつ、蜜生は不安そうに鉄太を見上げた。
「ん、大丈夫だろ。そいつら頑丈だし、それにあんたちゃんと気ぃ使ってたし」


「人形はー! 人間を追いかけたりしないー!」
 龍央は市松人形に追いかけられ続けていた。しかも気のせいか、数が増えている。
「人形が、勝手に動くわけないんだっ!!!」
 切羽詰った龍央は、いつの間にか家に代々伝わる刀を抜いていた――その名も妖刀泥眼。とどのつまりが、彼の否定する非現実的な物なのだが、それよりも人形に追いかけられる、という非現実の方が『在り得ない度』が勝ったらしい。
「うわー、来るなー!!」
 黄金に輝く瞳で、炎を吹きだす刀を振るう。
「えとえと……自分を追いかけてくる物は、攻撃してもいいってこと――ですね!」
「アッシュさん……それはちょーーっと違うかな。桐谷くん! 嘘教えちゃ駄目だからねっ」


■最終ラウンド in クローゼット

 その部屋に足を踏み入れた途端、まずは純華の目が点になった。
「うわぁぁぁぁ……すごい!」
 頬をほんのり紅潮させ、本日二度目の感嘆の声を上げる。それもそのはず、そこは色とりどりの衣装が仕舞われた部屋――つまりはクローゼットだった。
「こりゃまたすげぇなぁ……」
 龍央でも高く感じる天井。そこから幾重にも様々な衣装が垂れ下げられている。可愛らしいワンピースから、平安の世を思わせる十二単のような豪奢な和服まで。
 全てが、箪笥などにしまわれるのではなく、広い空間を埋め尽くすようにはためいていた。
「ここは美和さまの衣装部屋です。こちらにもあまり誰も立ち入らないのですが……」
 少しだけ非難めいた色を帯びた緑子の視線を軽く受け流し、蜜生が柔らかな金色の髪をふわりと躍らせ微笑む。
「間違いないです。夜さん……と仰るのでしたっけ? そのウサギさんは此方の部屋にいらっしゃいます」
 キッチン、美和の私室を経て、移動中にも次から次へと邸宅内に蔓延したアフロウサギを捕獲したが、結局その中に燕尾服にシルクハット姿の『夜』本体はいなかった。
 いったいどれくらいに分裂したんだ、と鉄太がケージ――余談だが、サイズにして1m四方のサイズのケージ一つで全然納まらず、結局五つ目が引っ張り出された――の中を動き回るもふもふの集団を必死に数えた結果、現在49匹。
 何がどうなってこんなに分裂したんだか、と龍央も溜息混じりに呟いた。が、いつの間にやら五匹ほど幸せそうに抱きかかえていては、その溜息の説得力は微妙に薄かった。
 常識・平凡を愛する龍央も、たとえ非常識に分裂していようが、アフロウサギの魅惑には勝てなかったらしい。
「あら、美和さまは?」
 鉄太と緑子の呼び方を真似たシュラインが目の前に下がっていた帯を慎重に避けながら、緑子を振り返る。気がつけばかなりの大所帯、しかしお付きの二人がウサギ探索に揃って参加しているにも係わらず、いつの間にか美和の姿だけ消えていた。
「お忙しい方ですから。お呼びがかかったのでしょう。こうなると私にも暫く用はありませんから、皆さまとご一緒させて頂きました」
 暗に「皆が美和さまの衣装を傷つけたり汚したりしないようついて来た」と匂わせ、緑子が鉄太の進む先にあった薄紅色の衣装についっと手を伸ばして引き寄せる。
「ところで苑上さん、夜は何処にいるんですか?」
 先ほどと同じような問いを、緑子は再び蜜生に投げかけた。
「……此方のお衣装、不思議な術がかけてあるものがありませんか? それに邪魔されて――」
 つい先ほどまでは確かに見えていたのに。
 さっそく掴まえようと部屋を縦断するため歩みを進める途中で、視界を覆った衣装を払いのけた瞬間、蜜生の目にも夜の姿は映らなくなっていた。
 微かな違和が、蜜生の白い肌を刺激する。心の琴線に触れる、何かの気配。人ならぬものの、普通ならざる力。
 困ったように眉根を寄せて、くるりと首を巡らせる。
 衣裳部屋というだけあって照明を控えられた薄暗い室内。
 シュラインもじっと息を殺し耳をそばだてるが、近くにいる分裂アフロウサギ集団の気配が邪魔をして、上手く最後の一匹――夜の存在を示す音を聞き取ることができない。
「美和さまのお衣装ですから、術が施されたものもないとは言いませんが。貴方の勘違い、なんてことはないですよね?」
「あの、ですね。あの……えっと」
 微妙に気まずい雰囲気が漂い始めようとした瞬間、それを打ち破ったのはアッシュだった。背伸びしても届かない位置に下がっている若草色のワンピースを指差して、一人一人の顔を覗き込む。
「あ、可愛い! ねぇねぇ、緑子さん。せっかくだからアッシュちゃんにアレ着せてあげたら駄目ですか? 絶対に似合うと思うの」
 可愛いものに敏感に反応する純華が、真っ先にアッシュの望みを察して、緑子の手を取る。正直、自分も着てみたいな、と思う服がたくさんこの部屋にはあるのだ。同じ「女の子」の気持ちは、誰よりもよく分かるつもりだ。
「しかし……」
「緑子、たまにはいいんじゃん? こいつ等なら害はない――それくらい分かるだろ」
「鉄太!」
「何なら汚しちゃったりした時のクリーニング代くらいなら責任もって払うわよ? 今回のお手伝い料からだけど」
 にやりと唇の端に切り込むような笑みを浮かべたのはシュライン。チラリと流すように目線を向ければ、そこにはやや憮然とした表情の緑子の姿。
「別にちょっと着るくらいは平気だろ? それにさっき西斎院さんも『ご自由に』って言ってたし」
 龍央の口から繰り返された、先ほどの美和の言葉。緑子はその言葉に仕方なさげに頷きを返す。
「――衣装を動かせば、術に隠れた夜も見つけやすくなるかもしれませんね」


「こっちも綺麗じゃないですか?」
 自分の瞳と同じ色をした振袖に身を包んだ純華が、海の色を写したような青色に染め上げられたワンピースを手に、蜜生の元へとやってくる。
 結局、体型から室内にある衣装を着ることが出来たのは、アッシュと純華だけだった。そして、せっかくだから一緒に、というアッシュの無邪気な誘いを純華が断れるはずなどあるわけなく。
「本当に、綺麗な青ですね」
「ねぇ……『あお』ってなに、ですか?」
 傍らで冷や冷やしている緑子を尻目に、少女二人が興味を示す衣装に着替えるのを手伝っていた蜜生。その彼女の瞳と同じ色をしたワンピースに、蜜生が目を細めた時、少し離れた所で二人の会話を聞いていたアッシュがこくりと首を傾げる。
「あぁ……アッシュさんは、『色』というものもよくお分かりにならないんですね」
 この少女が、なぜこんなに一般常識といわれるものが欠落しているのか、その点に関して蜜生は疑問を抱くことは何故かなかった。遥か遠い彼方の記憶、かつて『誰か』もそんな風であったような――『誰か』が誰だったのか、覚えていないけれど。
「いらっしゃい、アッシュさん。『色』の持つ意味をご説明差し上げます」
 純華が持ってきたワンピースを受け取り、純白の少女に手招きをする。
「例えばこのワンピース、これの『色』を『青』と言います。ほら、これとは何かが違うでしょう?」
 近くにあった同じようなデザインの黄色のワンピースと比較させ、蜜生はアッシュの紫色の瞳をゆっくりと覗きこんだ。その輝きは『色』に対する概念の理解が始まった事を教えている。
「青とは、主に海や空と同じである事から、自由や解放というイメージを人に印象付けます。同時に、冷たいという雰囲気も。ほら、水は冷たいでしょう?」
 蜜生の問いに、アッシュは暫し考え込み、それから何かに思い至ったようにぱんっと手を打ち鳴らす。
「お庭のお花に上げるのですね。はい、冷たいです」
 花が綻ぶような笑顔を見せるアッシュに、蜜生もつられて鮮やかな笑みを面に刻む。一つ一つ何かを理解し憶えていく事、それは世界が広がっていく事。生きていると実感できる事。
「そうです。色とは不思議な物で人間にたくさんの影響を与えるんです」
「ほら、これなんか見てると暖かくなってこない? それって火とかと同じ色だからだよ」
 蜜生の説明に興味を惹かれたらしい純華が、茜色の裾をひらりと翻し、アッシュと目線を合わせるために少しだけ背を屈める。
「そしてね、ほら私の目とも同じ色」
「純華さんの目はあったかい、ですか?」
「あくまで雰囲気よ。そうね、これなんかどうかしら?」
 今度はシュラインが足元に転がっていた薄緑色の手毬を、軽くアッシュに向って転がした。
「これは芽が出たばかりの植物の色と同じ色。いきいきとした命とか、柔らかで人の心を和ませる――そんな感じはしない?」
「ちなみに白は幸せの色な。だって見ろ、幸せそうだろ?」
 相変わらずアフロウサギを数匹抱えたままの龍央が、その内の一匹をアッシュの頭にぽふっと乗せる。
 白い髪に埋もれる、ふわふわ毛並の白いウサギ。
「桐谷君、言ってる事は間違ってないけど、なんだかちょっと違う!」
「えとえと……色を憶えるのって、楽しいですね」
 純華の鋭いツッコミに、ワケはあまり分からないままのようだが、アッシュが声を上げて笑い出す。
 微笑ましい光景に、シュラインと蜜生も顔を見合わせクスリと小さく笑った。


「何、緑子?」
「いえ……あんな風にあの子を人に触れさせて育てていいのかしらって」
「美和さまが彼女達を拒まなかったのは、そういう意味だろ。例えアッシュがアイツの片鱗であろうと、同じになるとは――あ、夜発見!」


■うさぎのきもち。それから、そして……

 俺の名前は夜。
 アッシュに色々物を覚えさせたくて、分裂なんて荒業使ってしまう健気で気遣い上手のアフロウサギだ。
 俺の細やかな心配りに気付いて、色々手伝ってくれた諸君、心から感謝する。ついでに俺の魅力にどっぷり惚れこんでくれると嬉しいんだが――いや、惚れすぎても困るがな。
 んー……こほん。
 今回アッシュが覚えたことだが。
 まず最初は『台所における基本マナーと、ゴミの分別収集』だな。
 ふむ、確かにこれはこれからの地球の事を考えると非常に重要なことだろう。これでアッシュがこの館の台所マスターになる日も近いな(うんうん)。
 そのうちきっとスキルアップして光熱費削減術も修得するだろう――って、待て待て。アッシュは主婦になるのだろうか?
 次に憶えたのが『人間に大事に扱われた物には魂が宿る事もある』という事だな。
 コレに関してはちょうど良い現物が身近にあることだし、それになにより――いや、ここから先は今は語るのはやめておこう。
 続きは何れ、多くを語らずとも知る運命にあるだろうし。
 そしてだな……ふーむ……うーん……『自分を追いかけてくるものには攻撃をしても構わない』か。
 確かに昨今物騒だから、見ず知らずの他人に追いかけられたら反撃はしてもいいんだろうが……いや、うん、そうだな。アッシュくらい愛らしいとそれもあり、ということにしておこう。
 が――今度からアッシュの後ろを歩くときには注意しよう。
 そして最後が『色の持つ力』について。うん、これはアッシュのメンタル面な部分や、外界で行動するときの判断基準においても、非常に役にたつ学習だったと俺は思う。
 多分、信号とかも見分けられるようになったと思うしな。
 それ以外にも色々細々とした事を覚えたようだ。ちなみにウサギの数え方は『一匹二匹』で記憶したみたいだな。うん、これも実にウサギ的に素晴らしいことだ。
 そういうわけで、協力者の皆、本当にありがとう。
 はぁ………今夜は温泉にでもゆっくりつかりたいんだもん。


「桐谷さん」
 クローゼットで行われた『色』についての解釈を一通り終えた頃、まるで時を見計らったように燕尾服にシルクハット姿のアフロウサギ『夜』はひょっこり顔を出した。
 別段、逃げ回る風でもなく自然とアッシュの腕の中に収まり、この大騒動は無事に幕を下ろすこととなった。
 そして帰宅する為に鉄太や緑子に見送られ玄関へ。
 時計を見れば、すでに普段の食事の時間は過ぎてしまっている。ピンクのフリルたっぷりのエプロンに身を包んだ母親が、夕食が冷めてしまう事を今頃嘆いているに違いない。
 家に帰る事への気鬱さは、ここに来るときより少しは改善されていた。
 多分、なんだかんだで動き回ったのが良い結果を及ぼしたのだろう――多少、奇怪な出来事に遭遇した事には目を瞑る事にして。
 そう割り切って龍央は、大きな扉に手をかけようとしたのだが、その瞬間に呼ばれて振り返る。
「お」
 軽いフットワークで体を反転。
 そこにはいつの間にかアッシュの姿があった。
「どうかしたか?」
 膝を曲げて顔の高さを同じにする。ついでに白いふわふわの髪に、ぽんぽんと手を弾ませると嬉しそうに紫色の瞳を細めた。
 最初見たときに、ウサギのような少女だなと思った感想は今も変わらない。それが実は密かに真実の的を射ているとは知らずに。
「えっとですね、これ、桐谷さんにって思って」
 はい、と後ろ手に隠していたものを龍央に向って差し出す。それは一匹のアフロウサギ。
「夜がね、一匹なら連れて行っても大丈夫だって言うんです。だかですね、桐谷さんに、いっぱい嬉しいお顔して欲しいなって」
 二回りは違うアッシュの小さな手から、衣装は何も着ていないもふもふのアフロウサギを受け取る龍央。自然と頬が緩んでしまうのを、気合で引き締める。
「えと……セーラー服の子の方がよかった、ですか?」
「いや、こいつで充分」
 セーラー服だけは勘弁! と内心で悲鳴を上げながら、龍央は自分の手の中でくるりと瞳を輝かせるウサギの小さい額を撫でた。
「大事にする、ありがとな」
「いえ、その子も可愛がってくれる人の所で嬉しいって言ってますから。今日は、ありがとうございました。桐谷さん」
「んー…桐谷じゃなくって、龍央でいいぞ? 名前の方が親しい感じだろ。ウサギを貰ったお礼」
 思いつきでそう言うと、アッシュは不思議そうに首を傾げて、それからほわりと軽やかに微笑んだ。
「親しいっていうことは、良いこと――ですね。はい、それじゃ……龍央お兄さん、いっぱいありがとうございました」
 話しているうちに、アッシュの喋り方がどんどん滑らかになっている。きっとこうしている間にも彼女は様々な事を学んでいるのだろう。
 だがしかし、今の龍央にそこまで気付く余地はなかった。何故なら、ウサギのような少女に「お兄さん」と呼ばれたのだ、これを内心激しく身悶えずしてどこで身悶えるというのだろう。
「おう、それじゃぁな」
 後ろ髪を引かれる思いで、玄関の扉を開く。吹き込んだ風はひんやりと冷たい。
 振り仰いだ空には都心にしては珍しい、煌く無数の星々の姿。
「あー……空が青いなぁ」
 思わずそう呟いてしまったのは、家で彼の帰りを待つ父と母と飼い猫の事を思い出したからか、明日の数学の授業で小テストをやる事をうっかり今まで忘れていたからか。
 それとも……もう少しウサギの園で戯れていたいと、心の端っこで願っていたからか。
「龍央お兄さん、今の空は『青』じゃなくって『黒』です。今度、私が教えてあげますね」
 小さい体で精一杯手を振るアッシュに、暗い夜道に駆け出しながら手を振り返す。
 なんだかよく分からない一日だったが、まぁこんなのもありだと思いつつ。
「あー……こいつの名前、どうしようかな」
 抱き締めたアフロウサギは、ほんのりといい香りがした。


 翌日、龍央はクラスメートにこっそりと耳打ちされる事になる。
『なぁ、昨日遅い時間に電車の中でアフロウサギと会話してるお前を見たヤツがいるって話だけど――マジかよ?』


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名】
  ≫≫性別 / 年齢 / 職業
   ≫≫≫【関係者相関度 / 構成レベル】

【0086 / シュライン・エマ】
  ≫≫女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
   ≫≫≫【鉄太+1 緑子+1 アッシュ+2 GK+2 紫胤+2/ A】

【0857 / 桐谷・龍央 (きりたに・るおう)】
  ≫≫男 / 17 / 桐谷さん家のデカ息子
   ≫≫≫【鉄太+1 緑子+1 アッシュ+2/ E】

【1660 / 八雲・純華 (やくも・すみか)】
  ≫≫女 / 17 / 高校生
   ≫≫≫【鉄太+2 緑子+1 アッシュ+1 GK+2/ D】

【4233 / 苑上・蜜生 (そのえ・みつき)】
  ≫≫女 / 19 / 煎餅屋
   ≫≫≫【鉄太+1 緑子+2 アッシュ+1/ E】


 ※GK……ゲートキーパー略


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの観空ハツキです。
 この度は『うさぎのきもち。』にご参加下さいましてありがとうございました。そして……既に毎度恒例行事になりつつあるのですが(初めましてさんにはお初ですが…)、今回も納期ぎりぎりになってしまい申し訳ありませんでした。
 今回こそは! と思っていたのですが……やはり野望は野望のままで終わってしまいました。

 『うさぎのきもち。』なんて可愛らしいタイトルのわりに、中身はアレになってしまい、拍子抜けでしたら申し訳ございません。ギャグに走るべきか、ほのぼの路線で留まるべきか悩んだ結果、どっち付かずになってしまった気が……(汗)
 さて言い訳はさて置きまして、少しでも皆さまに楽しんで頂ける部分があることを祈っております。

 桐谷・龍央さま
 学園祭集合ノベルからの引き続きのご参加、ありがとうございました。お…思ったより弾けたギャグにならなくて申し訳ありませんでした;
 龍央さんは、私の中ですっかり不幸キャラというイメージが固まってしまい(すいません)今回もこんな感じにさせて頂いてしまいました。なんだかこう……壊しすぎでしたら、大変申し訳ございません。
 なお、お手元にお届けさせて頂きました(?)アフロウサギは、もし機会がありましたら名前など付けて頂けると幸いです。突然分裂したり、消えたり、不必要に齧ったりはしませんので、その点はご安心下さい。

 誤字脱字等には注意はしておりますが、お目汚しの部分残っておりましたら申し訳ございません。
 ご意見、ご要望などございましたらクリエーターズルームやテラコンからお気軽にお送り頂けますと幸いです。
 それでは今回は本当にありがとうございました。