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<東京怪談ノベル(シングル)>


入れ子(後編)
 男と別れ、家路についたあとも、先ほどの高揚感は消えなかった。
 ビルの側を通るたび、思わず笑みが漏れそうになる。
 この巨大な建物も、自分はやすやすと壊したのだ。
 そう思うと、なんだか愉快でたまらなかった。

 そうして歩いていくうちに、華蓮はふと妙なことに気がついた。
 つい先ほどから、突然車が多くなったのだ。
 正確には、多いというより、渋滞している感じである。
 とはいえ、この近くに渋滞が起きるような場所などないし、これまでにもこんな渋滞は見たことがない。
(どっかで、事故でもあったんかな)
 頭の片隅でそんなことを考えながら、華蓮は家路を急いだ。
 もうすぐ、あの交差点が見えてくる。
 今朝、信号に足止めされた、あの交差点が。
 ほら、この角を曲がればもうすぐそこに――。

 そこには、確かにあの交差点があった。

 だが。
 あの信号は、なぜか見あたらなかった。

(まさか)
 嫌な予感がする。
 あの交差点に近づいてはいけない。第六感がそう告げている。
 けれども、華蓮には足を止めることはできなかった。

 十メートルほど進んだところで、華蓮は自分の予感が正しかったことを知った。
 信号機は、根元付近から折れて、倒れていたのである。
 その横には、倒れてきた信号が当たったと思われる、天井が大きくへこんだ車が止まっている。

 どこかで見たような光景だった。

 そう。
 ついさっき、あのジオラマの街で見たような。

「偶然や。ただの偶然や」
 自分に、そう言い聞かせる。
 しかし、これが偶然でないことくらい、本当はわかっていた。
 自分の膝が笑っていることも、そして自分の顔から血の気が引いていっていることも。

 わかってはいても、認めるわけにはいかなかった。
 これは、偶然でなければならないのだ。
 さもなければ――。





 衝撃とともに、全てが揺れた。
 強い突風と激しい地震に、バランスを崩してその場に倒れ込む。
 起きあがろうとして顔を上げると、交差点の向こうに、二本の巨大な柱のようなものが見えた。 辺りのビルなど比べものにならないほどの高さまでのびている、黒っぽい柱。
 それが自分の脚であることは、もはや疑いようがなかった。

「嘘や」
 疑いようはなくとも、認めたくはない。いや、認められない。
「うちやない、うちやない!」
 そう叫ぶ華蓮の目の前で、柱の片方が急に持ち上がった。

 また衝撃。
 潰されたのは、ケンカした友達の家。
 わざわざ目をやらなくても、華蓮には何が起こっているかわかりすぎるほどにわかっていた。

 もともとは、自分の一言が原因だったのに。
 彼女に、いったい何と言って謝ったらいいんだろう?

 衝撃。
 今度は、きっとあのパン工場。

 確かに今日のパンはマズかったが、他のおいしいパンを作ってくれていたのも、あの工場である。
 あの工場がなくなったら、みんな昼食に何を買ったらいいのだろう?

 そして、しばしの静寂。
 おそらく、あの数学教師の家をつまみ上げているところだろう。

 そういえば、二ヶ月くらい前に、二人目の子供が生まれたと言っていたはずだ。
 その子供には何の罪もないのに、一体、なんであんなことを?

 壊れていく。何もかもが。
 壊れていく。他ならぬ、自分の手によって。

 先ほど感じたのが破壊と殺戮という行為に伴う快感の部分なら、今感じているのはその絞りかすの部分。
 罪悪感や後ろめたさに、アクセントとして恐怖をさらにプラスした、これ以上ないほど恐ろしく、おぞましい感覚。
 その感覚を少しでも軽減しようと、本能的にその場にうずくまり、耳をふさぎ、目を閉じて、外界からの情報を遮断しようとする。
 けれども、それも空しい抵抗だった。
 地面の激しい揺れが、断続的な破壊音が、逃げまどう人々の悲鳴が、そして自分の声と足音が、彼女の抵抗をあざ笑うかのように無遠慮に心の中に踏み込んでくる。
 そしてなにより、どんなに強く目をつぶっても、破壊されていく街の様子が、彼女にははっきりと見えていた。

 見えないふりなど、できようはずもない。
 自分は、この光景をすでに知っているから。
 自分が、やったことなのだから。





 気がつくと、自分でも訳のわからないことを叫んでいた。
 顔を上げたその目の前で、電車が振り回され、投げ飛ばされて、ビルをなぎ倒していく。
 その様子を見て、巨大な自分が心底楽しそうに笑っている。 

 そう。
 あの時は、自分がこんな目に遭うなんて思いもしなかった。
 目の前の彼女、いや、目の前の自分も、きっとそんなことはこれっぽっちも考えていないのだろう。
 けれども、彼女もいずれ知ることになるのだ。
 自分が一体何をしたのかを。自分が一体何を壊してしまったのかを。

「タダより高いものはない」という言葉が、ふと頭に浮かぶ。
 何の代償も払わず、ただ快楽だけを得られると思っていたのが甘かったのだ。
 全てが終わった後で、後払いだったと気づいても、もう手遅れなのに。

 巨大な自分が、こちらに向かって歩いてくる。
 近くにあるビルを、手当たり次第に叩き壊しながら。
 瓦礫が、椅子が、机が、人が、目の前の道路に落ちてくる。
 その様子を見ても、もはや怖いとも何とも思わなかった。
(かわいそうになぁ)
 目の前の自分に対して感じたのは、ただその気持ちだけ。
 もうすぐ、この街を壊し終えた彼女は、満足して家路につくだろう。
 そして、その途中で、こうして代償を払うことになる。
 だが、その彼女を踏みつぶしたもっと大きな自分も、さらにもっと大きな自分によって踏みつぶされることになるだろう。
 どこまでも続く悪夢。無限に広がる地獄絵図。
 でも、それももうすぐ終わる。少なくとも、今ここに立っている自分にとっては。

 巨大な足が、まるでスローモーションのように、ゆっくりと頭上に降りてくる。
「松山!」
 どこかで、誰かが呼んでいる。
 誰だろう? 聞いたことのある声だ。
「松山!」
 自分を責めているのだろうか?
 責められても仕方がないとは思う。
 だが、その罪深い自分も、もうすぐいなくなる。

 いつの間にか、隣にあの道化師が立っていた。
 道で蹴飛ばした空き缶に描かれていた、あの道化師が。
 笑っていた。こちらを向いて笑っていた。
 あの時は錯覚だったのかも知れないが、今は明らかに華蓮のことを笑っていた。





「ああああああぁぁぁっ!!」
 たまらずに大声を上げて……そこで、華蓮はふと我に返った。
 目に映ったのは、教室の黒板。
「……え……?」
 おそるおそる辺りを見渡すと、そこはいつもの教室だった。
 いつの間にかすっかり夕方になっており、教室に残っているのは、華蓮を除けば、掃除当番の生徒数人だけ。
 全員、ぽかんとした顔で華蓮の方を見つめている。
 やがて、その中の一人が、呆れたように口を開いた。
「ったく、呼んでも呼んでも全然起きねぇし、起きたと思ったらいきなり大声出すし、いったいどうしたんだよ?」
「うち……寝てたん?」
 おそるおそる尋ねてみると、彼は苦笑しながらこう答える。
「寝てたどころか、爆睡してたぜ。
 さっきの数学の授業はマジで眠かったけど、ホームルームまでぶっ通しで寝てたのはお前だけだよ」

 それを聞いて、華蓮は安堵の息をついた。
 全ては、夢の中の出来事だったのだ。
 学校もここにこうしてちゃんとあり、窓の外には見慣れた景色が広がっている。
 何も壊してはいない。誰も殺してはいない。
「そういうお前だって、ホームルームの途中まで寝てたくせに」
「うっせぇよ」
 いつものようなクラスメートのふざけ合いさえ、今日はなんだか眩しく見えた。

 ともあれ。
 普段通りの日常に戻ってきた以上、いつまでもこんな夢を引きずっていてもしょうがない。
 華蓮は急いで帰り支度をすませると、先ほどの男子生徒に軽く頭を下げた。
「すっかり掃除の邪魔してもうたみたいやな。堪忍な」
「いいから、わかったらさっさと帰れ」
 彼は冗談めかして手で追い払うような仕草をすると、その後で一言こうつけ加えた。
「それから、今日は早く寝ろよ。おせっかいかも知んねぇけど」
 その一言が、なぜだかとても嬉しかった。





 帰り道。
「何で、あないな夢見たんやろ」
 そうつぶやいて、華蓮は大きなため息をついた。

 確かに、今日はずいぶんと嫌なことが続いたし、ストレスがたまっていたこと自体は疑いようがない。
 けれども、だからといって、あんな夢を見なくてもいいだろう。
 そもそも、無意識の欲求が見せた夢にしては、あまりにも後味が悪すぎる。
 夢さえもがストレスのせいでねじ曲がったのか、それとも、心のどこかで本当にああなることを望んでいたのか。

「やめや、やめや! あんなんただの夢や」
 そうやって忘れようとはしてみるものの、忘れようとして簡単に忘れられるようなものでもなく、気分も視線も下を向く。

 そんな彼女の視界に、不意に、真っ赤な空き缶が飛び込んできた。
 道化師の顔が描かれている……見覚えのある缶だ。
(まさか)
 思わず、華蓮は足を止めた。
 間違いなく、夢の中で見たあの缶だった。
(この空き缶蹴飛ばしたら、どないなるんやろ)
 そんな疑問が、頭をよぎる。

 道化師の顔が、こちらを向いて笑ったような気がした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<<ライターより>>

 撓場秀武です。
 遅くなってしまいましたが、後編の方をお届けいたします。
 一言で言えば「『ウル○ラQ』みたいな感じ」を意識して書いてみたのですが、いかがでしたでしょうか。

 日常の中に突然非日常の世界が現れるという恐怖と、失って初めて気づく「当たり前」のはずのものの価値。
 その二つを中心として描写させていただきましたが、こんな感じでよろしかったでしょうか?
 もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。