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【peace】
庭先でメーテルが吼えていた。
ここ掘れワンワン遊びの催促をされているのだな、と思った。
彼はたまにそういう遊びをする。そういう遊びとは「ここほれワンワン」遊びだ。とにかく小さな庭のあちらこちらでここを掘ってみろ、と吼える。何処でそんな物を覚えてきたかは分からないが、彼はこの遊びを気に入っている。
キャスル・テイオウは足の爪を切っていた手を止め、縁側から庭へと視線を投げた。メーテルが雑草の生い茂った庭の一角でけたたましく吼えている。爪きりを置き、その場へ駆けつける。塀の傍に投げ捨ててあったスコップを拾い上げ、メーテルの足元を掘り出した。
いつだったか彼に、どうしてこんな遊びをするのだと聞いてみたことがある。すると彼は答えた。
「何か……金目の物とか出てきたら嬉しいじゃん」
確かに嬉しいだろうと思った。出てこないだろうとは思っているが、出て来たらきっと嬉しい。
「つまり俺は、そういう小さな可能性に似た喜びを、与えてやってるわけよ。希望だね。希望。人間、希望を失くしちゃおしまいさ」
なるほどそうかも知れないと思った。
メーテルがキラキラと黒い瞳を輝かせ、キャスルが掘り起こしていく穴の中を覗き込む。
しかし今日も、結局庭からは何も出てこなかった。
三春風太は驚くようなスローテンポで話をする。彼が話しをすると蜂蜜をたっぷりとかけたマフィンを齧ったかのような甘さが辺りに広がる。それは時に鬱陶しくもあるのだが、今日はそれを心地良いと感じていた。
「お前さあ。それでホットドッグ屋はどうなんよ?」
「どうってえ?」
薄く浮かぶ雲を見上げながら、雪森雛太は言った。
「上手くいってンの?」
「ぼーちぼちかなあ」
「ボチボチってお前が言うと、お前の為に作られた言葉なんかって気がしてくる」
風太は何がおかしいのかふふふと口の中で小さく笑った。
「おにいさあんって感じだねえ」
「は?」
「心配してくれてんのお〜?」
「まあなあ。お前って奴は、何をしててもトロイからな。だいたい客に殴られたりしないわけ? そういう喋り方で」
「殴られないよぉ」
「俺なら殴ってンな」
「そんなカリカリした人はホットドッグ屋には来ないよ〜」
そう言われるとそういう気もした。
ホットドッグといえば暢気に食べるイメージがある。風太が接客しても問題はないのかも知れない。
「雛っちこそどうなの〜? 最近」
「最近? うーん、別に……普通?」
「ふうん」
「まあ、強いて言うなら草間興信所でコキ使われてるって感じかな」
「いいなあ」
「良かないだろ〜」
「いいよ。何か。秘密の香りがするんだもん!」
「そんなに秘密の香りがいいなら今度興信所に居る居候を紹介してやんよ。秘密の香りたっぷりだぜ」
「うそお! 嬉しい〜」
またふふふと口の中で風太が笑う。
その柔らかく甘い声に雛太はつられて唇を吊り上げた。
先に彼等に気付いたのは、メーテルだった。
「おい、あれってさ」
心の中に語り掛けられ、キャスルは遠くへと視線を飛ばす。金髪の少年と黒髪の少年を見つけた。キャスルがその姿に気付いた瞬間、少年達もキャスルに気付いたようだった。
二人で肩を叩き合い、何かしら話込み、それから徐に金髪の少年が大声を上げる。
「おおおおおお!」
二人が駆け寄ってくる。
「おわあああ! ナマキャスじゃーーん! ひさしぶりぶり」
名は確か、雛太と言ったか。
キャスルは折り目正しく頭を下げた。
「こんにちは」
「わぁぁすごーいおっきーい! なまきゃすさんかぁっこいい!」
金髪の少年がキラキラとした目を向ける。
「ああ、これね。俺のダチで風太っての」
「風太でえす」
身を乗り出した風太は「ねえ。体、触ってもい〜い?」と幼児のように問いかけてきた。
「え、ええ」
思わず口ごもってしまう。少年は好きだし本当はとても嬉しくて堪らないのだが、人に囲まれることに慣れてなかった。何せ悪役俳優なのだ。それに見合う風貌と体躯をしている。殆んどの人が役柄とキャスル本人を同一化し、近づいてこない。
だからこういう時、キャスルは必要以上に緊張してしまう。
嬉しくて堪らない、その分だけ緊張してしまう。
風太は「わあああああい!」と跳ね上がった声を上げると、キャスルの腕に飛び掛ってきた。
「かっこいいいいい! おおきいいいい!」
「だろお。すげえよな。何食ったらそんなに大きくなれンのか問い詰めたいくらいだよ」
「いやはや」
「雛太くんすごーーーい。どうして? キャスルさんの知り合いなのぉ?」
「うん。まあ、依頼でちょっとな」
「すごおおおおおおおおおおおおおおおおい!」
「おー。そういえば俺、アンタの新番組見たぜー! ゴールデンじゃん、ゴールデン! アンタも出世したじゃん!」
そうは言っても、それは三分にも満たない出演だった。しかし見ていてくれていた人が居るのだと思うと、嬉しくなってしまう。
「ありがとうございます〜」
お礼を言って頭を下げようとしたら、纏わりついていた風太の頭に顎をぶつけてしまった。
「あああ、ごめんなさい」
「キャスルさんの顎にさわっちゃったあ〜。ちょ、ちょっともっと打ってみて貰えますかあ〜?」
「ええ?」
「あのゴールデンで見せた技! かけて! かけて!」
「こいつさあ。もうそりゃあビデオ録っちゃうわで大変だったんだわー。お、メーテルも。元気かあ?」
雛太がその場に蹲り、メーテルの首をちょこちょことかいた。メーテルはクウンと可愛げのある声を出したが、心の中で「気安く触ってんじゃねーよ」と文句を垂れキャスルに訴えた。
それが聞こえてしまったらどうしようかと思いながら、キャスルは恐々と風太に技をかける。乱暴にしたら骨の一本や二本、皮の一枚や二枚折れてしまうのではないかと思うような華奢な腕を掴む。
「うわああ。イテテテテテテ。すげええ!」
風太は嬉しいのか嬉しく無いのか良く分からないようなことを言った。
「で? 何? 今日は散歩?」
「ええ、ちょっと。ここ掘れワンワン遊びの」
「ここ掘れワンワン遊び?」
「あ、ああ。いえ」
技と解きながらキャスルは言葉を濁した。
「うわああ。何それえ! それって何だか秘密のかおりがするよ〜?」
精一杯緩くかけたつもりだったが、風太は目尻に涙を浮かべ、それでも満面の笑顔を浮かべながらピョンピョンとキャスルの回りを飛び跳ねた。
目尻に溜まった涙のわけは、痛かったからだろうか。あるいは感激の涙だったりしたらどうしようと、少し、自惚れる。
「それやってみよおおおおお!」
「え、いえ。大した遊びでは」
「いいじゃん。やらせてやれば? 人数が居た方がいっぱい掘れるっしょ」
メーテルがキャスルを振り返る。
「ま。まあ」
「で? どういう遊びなわけ、それは?」
「メーテルが……吼えるので、そこを掘るという、遊びです」
「うわあああああい! 面白そう!」
眠そうな目には似合わないガッツポーズを作った風太は、膝を折りその場に蹲った。
「メーテルちゃん? ボク風太。宜しくね〜」
歯を突き出すようにして、笑顔を作る。それから彼はメーテルをひょいと抱き上げた。
「んじゃあ。レッツラゴーといくべ」
楽しいのか楽しくないのか、雛太はどうでも良さそうにキャスルに言った。
昔から宝探しは好きだった。
そもそも宝といえば金目の物であるし、そこに少しだけ漂うギャンブル感も男のロマンという気がしないでもない。小学校の頃、プールの授業で水中に投げられた赤や黄色のプラスチックの石ころを必死になって探した。あれも宝探しだろう。今になって思えばどうしてそんなものと思うが、幼い頃はあの石ころが魅力的に見えてならなかった。
雛太はメーテルが吼えるあっちやこっちやでキャンキャンと吼えるままに、生活用品店で買ったスコップを地面へと立てた。
その間は自分でも驚くほど気分が高揚していた。何が出てくる。何が出るかな。
結局きっと何も出ないのだが、その気分は中々面白い。
足を踏み入れた人気のない公園では、風太とキャスルの二人も真剣になって穴掘りをしていた。メーテルも次はこっちだ、次はあっちだと走り回っている。
結局何も出てこなかった地面を埋めて立ち上がった雛太は、その光景を見てふと平和だな、と思った。
それは、嘲笑でも不快でもなく、緩やかな熱を持って雛太の心に染み渡った。
何時間、いや何十分の間かも知れない。辺りは薄っすらと日が暮れ始め、黄色く光っていた。
「なあんにも出ないねえ」
滑り台の上に風太が大きく両手を広げ寝転がる。
「すみません。変なことに巻き込んじゃって」
怖い顔に精一杯の苦笑を浮かべて、キャスルが頭をかく。その姿がどうにも平和で、雛太は思わず笑ってしまいそうになる。
大の男三人が。公園で何をやってんだ。
それはとてもとても温かい反省だった。
「こういうこともあるさ、とメーテルが逆切れしています」
申し訳なさそうにキャスルが言う。
「いいよ。楽しかったし」
「そうだねえ。こういうの、なあんか楽しいよねえ」
ほのぼのと言った、風太の甘い声がとってもこの場に似合っている気がした。
「ま。こういうこともなきゃいけないんじゃない?」
平和を噛み締める、小さな瞬間みたいなの。
そしてそれが希望に変わり、明日へと繋がる。そんな、柄でもないことを少し考えた。
「あー!」
爽快を滲ませた声をあげ、雛太はその場に寝転がった。
空が、キレイだった。
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