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<PCシナリオノベル(シングル)>


『不滅の森』


 それは本当ならただの普通の休日の朝であった。
 いつもよりも遅く起きて、早くして亡くした両親の仏壇に蝋燭と線香を立てて、
 妻が病院に行く前に用意していってくれた朝食を食べて、
 食べながら怒られる相手が居ないから悠々と朝刊を一緒に読む。
 そしていつもなら妻が夕方に帰ってくるまでにまた寝たり、ゲームをやったり、医学書を読んだり、散歩したりして、それで夕飯を作って、妻の帰りを待つ…
 そう、そういういつもと一緒の休日を彼は送るはずであったのだ。
 ――――朝刊に載ったその小さな記事を見るまでは。
「これは…まさか、そんな、そういう事なのか? 母が死んだ事と関係があるのか?」
 彼は愕然とした。
 その新聞に載っていた記事とは、中学生五人が行方不明となっているというものであった。
 それで、彼は思い出したのだ。
 20年前の彼の母親の最後を。
 そう、彼の母親は妻と同じ看護士であった。
 この記事に書かれている、失踪した中学生五人が行ったらしいとされている【鳴陽之見精神病院】に勤めていた。
 そして20年前、【鳴陽之見精神病院】の前で通り魔に遭って、殺されてしまっている。その犯人はまだ捕まってはいない。
 既に時効だ。
 だが、20年前のその事件の犯人とそれが何か関係があるとは普通は考えられない。
 だけど彼はそう直感してしまった。
 母親の事件とこの中学生五人の失踪は何か関係があると。
 重なるのは【鳴陽之見精神病院】という場所だけだ。
 母親はその【鳴陽之見精神病院】の前で殺され、
 中学生五人は夜に【鳴陽之見精神病院】へ行くと友人たちに言って(親には嘘を吐いていたらしい)、そしておそらくはそこへ行って行方不明となった。
 ―――――【鳴陽之見精神病院】、そう、確かにそれが重要なのだ。
 そう、彼は読んでしまったから。母親が通り魔に殺されるそのつい最近まで書いていた日記を。
 【鳴陽之見精神病院】、実はそれは今は彼の叔父が、そして母親の事件が起きた時は彼の祖父がやっている病院であった。
 彼の母親はそこで看護士をやっていた訳で、それでその日記には、【鳴陽之見精神病院】の致命的なスキャンダルが書かれていたのだ。
 彼はこの日記を、つい先日、母親が死んでからずっと面倒を見てくれた母方の叔父から渡された。叔父は不治の病にかかり、亡くなる直前に彼にその母親の日記を渡してくれたのだ。
 叔父は疑いを持っていたが、しかしそれをずっと胸に抱え、日記も隠していた。亡くなる直前にそれを渡したのも復讐とかそういうのを願ったのではなく、ただ30歳になった自分にそういう事実があった事を、母親の身に起こった事を教えてくれるつもりで、渡してくれたのだと想う。
 だから彼は、どうするつもりもなかったのだが、しかしこうして中学生五人の行方不明事件が起こった今、彼はとてつもなく自分が大きな勘違いをしていたのではないのかと想い始めたのだ。
 そう、ひょっとしたら、この中学生五人の行方不明事件も、母親の日記に書かれた患者が関係しているのではないのか?
 ―――――彼はそう想い始めたのだった。



 ――――――――――――――――――
【Begin Story】
【噂】

 それはこの付近では誰もが知っているが決して口にはしない噂。
 そう、噂だ。
 あくまで噂。
 その噂の中に出てくる【鳴陽之見精神病院】のスタッフはそれを噂としておきたかった。
 そう、あくまでただの噂、と。
 冗談ではなかった。そんな事が真実であってはならなかった。
 何故なら彼らはとある秘密をその内部に隠しこんでいるのだから。
 それは病院のためだ。
 そして病院に入院している患者の家族のためだ。
 だから【鳴陽之見精神病院】の院長はそれを噂とした。
 しかしそれをただの根も葉もない噂としながらも、スタッフには絶対に病院の前を夜に通ってはいけないという規則を守らせた。



 +++


「なあなあ、こんな噂を知ってる?」
「ん、どんな?」
「この学校にもさ、怪談の噂があるんだよ」
「ああ、学校の七不思議、って奴?」
「学校の怪談ね」
「怪談ってか、あれはさ、ラブコメ映画じゃねー?」
「って、それ、映画の話になってるじゃん」
「んー、で、話がずれた。戻すぞ?」
「おお。この学校の七不思議、それは何でも、この学校のプールで死んだ生徒が新たな犠牲者を求めて、泳いでいる生徒の足を、って…おい、聞けよ」
「聞けよ、って言われても、それってよくある話じゃん。そうそう。だいたい学校の七不思議…怪談は大抵が同じだよな」
「そうそう、プールで死んだ生徒の手が溺れさせるとか、音楽室の壁に飾られた音楽家の肖像画の目が動く、もしくは勝手にピアノが鳴り出す。科学室の踊る骸骨。学校がある土地は昔はお墓だったから、校舎の下には人骨が埋まってる、とかって」
「ああ、そのお墓云々は戦争後に学校が急激に増えて、それで土地がなくなって、しょうがなくお墓を使ったんだろう。それでその怪談はそこから来たって」
「んー、なんかもう怖い話って言っても身の毛もよだつような話ってのは無いよな」
「学校じゃ、ラブコメなんちゃってホラーが精一杯だよな」
「って、だからそれは映画の話」
「そういえば杉沢村はどうなったんだろうな?」
「杉沢村?」
「そうそう、前にテレビ番組で取り上げられて、それでいっきに週刊誌やネットで話題になったじゃん」
「ってか、よく覚えてるな」
「まーね」
 四人が気だるそうに話していると、そこにもうひとり、やって来た。
「なになに、何の話?」
「あー、怖い話」
「学校の怪談は怖くないって話」
「そして映画の話」
「「「それはおまえだけ」」」
 四人はけらけらと笑って、そしてやって来た彼は顔に笑みを浮かべて言った。
「怖い話ね。んじゃ、こんな噂話は知ってる? 学校から坂をずっと登ったところに在る【鳴陽之見精神病院】の前を夜通ったら、【切り裂き道化師】に殺されちゃうんだよ」
 四人の表情が変わった。
「うぉ、マジで?」
「しかもなんだか精神病院ってのがまた」
「面白そうだな」
「何で知ってるんだよ?」
「ん、俺が通っていた小学校はこの中学校の隣だろう。他の学区から来た奴は知らないだろうけど、俺が通ってた小学校と、この中学校では結構有名なんだぜ」
「へぇー、そうなんだ」
「部活が始まったりすれば、先輩とかにも教えてもらえると想う」
「それでそれは本当な訳?」
「さあ。でもさ、俺が通ってた小学校もそしてこの中学校も夕方には強制的に帰らされる。そして地元民も夜はそこを通らない。これだけで信憑性は高くない?」
「確かにな。あの森にもいい噂は聞かないしさ」
「俺、あの森で人が死んだっていう噂を聞いたことあるぜ」
「なあ、春の肝試し大会と行こうか?」
 五人は顔を見合わせあって、ごくりと生唾を飲んだ。
 校庭に植えられた桜はただ、狂ったように咲き乱れ、花びらを舞い散らせていた。



 ――――――――――――――――――
【調査開始】


「ほぉう、ここが件の病院であり、そして坂ですか」
 平日の昼間、セレスティ・カーニンガムは、【鳴陽之見精神病院】の前に立った。
 ただ真っ白い正方形の建物だ。創立30年という事であるが、建物自体はまだ新しく感じられた。
「なんだかお豆腐のような建物でしね?」
 セレスティの肩に座るスノードロップは素直に感想を口にする。
「お豆腐、ですか。なるほど、真っ白で、正方形の造りをしていますから、確かにそう見えるかもしれませんね」
 くすくすと笑いながらセレスティは、心の中で呟く。
 ―――――私にはなんだか墓石のように見えるのですが…。
 仮にもその建物は病院だ。だからそんな言葉は口にはしないが。
「それで今回はどうやって、調査するんでしか?」
 背中の羽根を羽ばたかせて顔の前に飛んできた妖精にセレスティはこくりと頷く。
「そうですね、夜まで待って、夜になったらスノーにこの病院の前を歩いていただきましょうか。そうすれば【切り裂き道化師】の方から私たちの前に来ていただけますからね」
 右手の人差し指立ててにこりと笑ったセレスティにスノードロップはひぃーっと悲鳴をあげた。
「くっくっく。嘘ですよ、スノー」
 口元に軽く握った拳をあててくすくすと上品に笑うセレスティにスノードロップはぷぅーっと頬を膨らませる。
「うぅ、良かったでし」
「でもまあ、夜までに何の情報も得られなかったら、スノーにはがんばって噂を実行してもらいましょうか?」


 【鳴陽之見精神病院】の前を夜通ったら、【切り裂き道化師】に殺される


「よ、夜までにがんばって事件を解決しちゃいましょうでし」
 顔をくしゃっと歪めて、切羽詰ったような早口でそう言うスノードロップにセレスティは笑いながらこくりと頷いた。
「そうですね、スノー。では、がんばって事件を解決しましょう」
「はいでし」
 びしぃっと右手を勢いよく伸ばして頷くスノードロップ。しかしその後で彼女は小首を傾げさせた。
「うきゅ。でも、どうやって、事件を調査するんでしか?」
 ぐるりと会話を一回転させてそれにどうやら気付いていない妖精にセレスティはまたくすくすと笑った。
 小さく小首を傾げるスノードロップ。
 セレスティはふむと頷いて、その薄く形のいい唇をすらすらと動かした。
「病院の前を通ったら、と何やら現れる為にプロセスを踏んでいるように思えます。つまりそれが怪現象を引き起こすキーなのでしょうが、では何故、病院の前を夜に通ったらその人物は道化師に殺されてしまうのでしょうね?」
「ほへぇ、わかんないでし」
 スノードロップは腕組みをして小首を傾げる。
「ふむ。では、その道化師が何者であるか、それはどうですか、スノー?」
「むむ。それもわかんないでし」
 ふるふると小首を傾げるスノードロップ。
 セレスティはその妖精から、病院の傍らに存在する森へと視線を移した。
「そう、今回の事象で注意しなければならないのは【切り裂き道化師】。果たしてその存在とは何でしょうか? そしておそらくはそれに関係する物があるのは【鳴陽之見精神病院】ではなく、森でしょう」
「それは何ででしか?」
「この世には原因があって、結果があるのです。ならば、【切り裂き道化師】という存在が生まれるに至ってもその原因というものが必ずや存在するはずです。では、その原因とは何でしょうか?」
 そう、【鳴陽之見精神病院】の前を夜通ったら、【切り裂き道化師】に殺される、という噂はどうやら相当に有名であったらしい。であるから学生たちも噂を実行したのだし。そしてその噂と同等に地域住民から嫌われ、色んな話を囁かれるのが森だ。
「草間武彦も言っていましたしね。森にも良い噂は聞かない、と。曰く、精神病院の患者があの森で死んだやら何やら、と。その人物と【切り裂き道化師】とに何か関係があるのでは?」
「では森を調べるのでしか?」
「そうですね。【切り裂き道化師】は森に居るのかもしれません」
 ――――だとすれば、森に入るのは多大な危険を孕んでくるわけだが、まあ、それは望むところ。
 セレスティはスノードロップと共に森に侵入した。



 ――――――――――――――――――
【井戸】


 鬱蒼と木々が生い茂る森は昼間でも薄暗く、そしてとても静かだった。
 それでも自然界において無音という現象は無く、時折、周りの薄暗い闇からは死霊の叫び声のような奇怪な鳥の鳴き声や羽音などが響き渡っていた。
「な、なんだか不気味でしね…」
「おや、びくついているのですか?」
「でしよ。この森は何だか怖いでし。草木もお喋りしていませんでしし」
「なるほどね。では、ビンゴですかね。この森に【切り裂き道化師】がいると」
 その名前がセレスティの口から発せられた時、周りの木々がざわりとざわめいた。風も無いのにだ。
「これが何よりもの証拠ですね。スノー、ちなみに周りの木々たちに【切り裂き道化師】についての情報を聞いていただけますか?」
 と、セレスティが言うと、スノードロップがふるふると涙目で顔を横に振った。
「めめめめめめ滅相もないでし。怖くって聞けないでしよ〜」
「やれやれ、それは残念ですね。さすがに私も木々と喋る事はできませんし。でも、生きている人間とならば話は別ですがね」
 くすりと悪戯っぽく笑いながらセレスティは囁くように呟き、青色の瞳を悠然と動かしてみせる。
「ほへぇ?」そしてスノードロップもセレスティが見た方向に視線をやって、固まった。どんぐり眼を大きく見開いて、ついでに口も大きく開けて。
 ――――そして………
「でしぃぃぃぃーーーー」
 スノードロップはセレスティの服にくっついた。
 セレスティの視線の先、そこには背の高い草が生えていて、そしてその背の高い草の隙間から誰かがこちらを覗いているのだ。
 ―――――それは何者で、何故故に?
「キミならば一週間前の中学生たちの事を知っているのですかね?」
 セレスティは指を鳴らす。転瞬、森の大地が含む水が噴き出し、それは水の蛇となって、背の高い草の陰に居る者の方へと素早く移動していった。
 そしてそれに一拍遅れて、
「ぎゃぁー」
 と、悲鳴があがる。
 水の蛇はひとりの男をセレスティの下へと引っ張り寄せてきた。
 そして裏返った声でぎゃぁーぎゃぁーと喚き散らす彼にセレスティは涼やかに微笑みながら言った。
「さあ、私の質問に答えていただきますよ」



 +++


 彼は妻の携帯電話に少し出かけてくる。帰りはいつになるかわからないが、心配するな、とメールを送っておくと、出発した。
 向った先はもちろん、【鳴陽之見精神病院】だ。
 今は叔父がこの病院を祖父から受け継いで経営しているが、しかし甥である彼はその叔父とは親交は無い。
 もともと彼の父と母は、父方の親族の反対を押し切り結婚した。だが、彼が7歳の時に父親は病気で他界し、10歳の時に母親も通り魔に殺された。
 そして彼は母方の叔父に引き取られ、幸いにも叔父に愛情を持って育てられた。
 それで彼は医者となり、父と同じように看護士をしていた妻と結婚して、幸せな家庭を築き、幸せに暮していたのだが、
「こうなったのも因果か」
 と、彼は奇怪な非日常に自分が足を踏み入れる事になったのを納得していた。
 そして彼は叔父を訪ねるふりをして病院関係者に件の中学生五人の行方不明事件の情報を聞きまわり、看護士からとある患者を紹介された。
 結果から言えばそれは当たりであった。
 確かにその患者は中学生五人の行方不明事件を見ていた。そしてその患者が語った犯人の姿は彼を絶句させた。それはありえなかったからだ。
 ――――故に病院スタッフはそれを警察に報せなかった。報せていたとしても警察がそれを信じるはずはないのだが。
 そして彼は森へと入った。
 昼間でもその森は薄暗く、そして時折聞こえてくる鳥の鳴き声はとても奇怪であった。
 と、ふいに彼は誰かの話し声を聞いた。果たしてそれは………
「女…いや、男と妖精?」
 背の高い草の陰から彼は覗いていたのだが、ふいに男の方と目が合った。その瞬間に彼の体は動かなくなった。
 そして驚くべき事が起こったのだ。
 男の足下から水が噴き出したかと想うと、それは蛇の形を成して、彼の方へとやって来て、それで男の前に引っ張り出されて………
「さあ、私の質問に答えていただきますよ」
 と、男に言われた。それはものすごく静かで穏やかな声で故に彼に恐怖を感じさせたが、しかしだからこそ、その男と妖精が道化師側でないのがわかった。
「あなたは?」
 彼はありったけの力を注ぎ込んで、それだけの言葉を紡いだ。
 すると向こうはにこりと紳士的に微笑んだ。
「これは失礼しました。私はセレスティ・カーニンガムと申します。そしてこちらの妖精はスノードロップ。私たちは一週間前に起こった中学生五人の行方不明事件について調べています。それでキミは?」
 セレスティ・カーニンガムは穏やかにそう言った。
 彼も頷く。
「私は西島健吾。やはり私もここにその中学生五人を探しに来ました。いや、正確的に言うと【切り裂き道化師】を」
「ほぉう」
 興味深そうにセレスティは声を出し、そして西島は語り始めた。
「かつて私の母は【鳴陽之見精神病院】で看護士として働いていました。その時の事を母は日記で残していたのですが、その母の日記に【鳴陽之見精神病院】にとってスキャンダルとなる事が書かれていて、それが起きてちょうど2週間後に私の母は通り魔に殺されたんです」
「スキャンダル、ですか?」
「ええ。これを、読んでください」
 西島は背負っていたバックパックから古い大学ノートを取り出した。



 S59年 4月18日 雨

 今日、2週間前から行方不明となっていた患者が発見された。
 発見されたのは病院の隣にある森の真ん中に位置する井戸だった。
 井戸の中で彼女は薄笑いを浮かべ、目を見開いたまま餓死していたらしい。
 彼女の遺体を引き上げた男性看護士の話では、井戸の内側には呪いの言葉が書き込まれていたらしい。
 彼女は私を呪いながら死んでいったのであろうか?
 でもしょうがないと想う。呪われても当然だ。
 なぜなら私は息子を女手一つで育てていくために院長たちの命令に逆らえなかったのだから。
 院長たちは道化師の人形を抱きながらいつも病院を徘徊して唄を歌っている彼女を気味悪がって、それで彼女を私に病室に隔離させた。
 私は忘れられない。病室のドアを乱暴に叩きながら私に裏切り者と言った彼女の言葉が。そうだ、私は彼女にとって裏切り者なのだ。
 だけど彼女は信じてくれないだろうが、私は彼女の歌う少し音程の外れた歌が大好きだった。
 あの歌声を聞くと、がんばろうという気になれた。
 私と彼女は友人だったのだ。
 だけど私は自分と息子の生活の為に彼女を………
 そのせめてもの償いのつもりだった。彼女の病室の鍵を開けたのは。
 でもそのせいで彼女は森をさ迷い歩いて、井戸に落ちて、死んでしまった。
 コロシタノハワタシダ・・・。
 私が、私が、私が、私が殺した。彼女を殺した。
 どうすれば私は彼女に償いができるのであろうか?
 そればかりを考えてしまう。だけど院長たちは………
 ――――彼女が病室から脱走し、井戸で死んだという事実を裏に隠してしまった………。彼女に親類が居ない事を良い事に…。
 私が彼女の為にできる事は、本当の事を………



 ―――――日記はそれが最後だった。



「やれやれですね」
 セレスティはぱたんと大学ノートを閉じる。
「これが本当なら、キミの母親を20年前に殺したのはおそらくは院長たちでしょう。しかし、キミがここに居るという事は、この森にも確かに何かがあるという事ですよね?」
「ええ。入院患者が教えてくれたんです。その入院患者は夜、病室を抜け出して、屋上から中学生五人が攫われるのを見たと。【切り裂き道化師】に」
 セレスティは溜息を吐いた。
「どうにも厄介ですね。おそらくはここら辺で実しやかに囁かれる、【鳴陽之見精神病院】の前を夜通ったら、【切り裂き道化師】に殺される、という都市伝説はキミの母親の事件が元となって発生した噂でしょう。そう、それはただの噂でしかなかった。キミの母親を通り魔に見せかけて殺害したのは、キミの祖父もしくは叔父でしょうからね。病院のスキャンダルを嫌った。ならば今回現れた【切り裂き道化師】とは?」
 問うセレスティに西島は首を横に振った。
「わかりません」
「取りあえずは、行ってみましょう。その井戸とやらへ」
 そしてセレスティたちは井戸へと向かった。
 その井戸からは霊感の無い西島でも薄ら寒く感じられ、嘔吐感がこみ上げてきた。
 井戸から湧き出すのは水ではなく、恨みや怨念、死への恐怖。だがそれらが向けられている先は…
「なるほど、どうやら、私たちがこの事件に絡むには、タヌキが動き出すまで待たなければならないのかもしれませんね」
 セレスティは静かにそう言いながら、病院の方へと視線を向けた。



 ――――――――――――――――――
【因果応報】


「まったく、どういう事だ、これは」
 鳴陽之見精神病院の院長はデスクに握り締めた拳を叩き落した。
 彼は明らかに甥である西島健吾がこのタイミングで病院にやって来た事に苛立ちを覚えていた。
 20年前に西島健吾の母親を殺したのは彼であった。病院を守るために。
 そしてその彼が犯した殺人事件と患者の事件とが組み合わさって、いつの間にか【鳴陽之見精神病院】の前を夜通ったら、【切り裂き道化師】に殺される、という冗談ではない噂が起こってしまった。
 だが、それから20年が経った時、さらに予想だにしなかった事が起きた。中学生五人がその噂を実行して、行方不明となったのだ。
 20年前、彼は殺人までしてこの病院を守った。しかしそれが無駄に終わるかもしれない事が起ころうとしているのだ。
「何者だ? 一体何者が、こんな真似を。それに健吾、貴様は何を知って、何を想って…」
 彼はぐぅっと下唇を噛み締めた。破れた唇から血が溢れ出したが、それにも構わずに。



 +++


 夜、彼はそこへ来た。
 この20年間、決して通らなかった病院の前に。
「ぞっとしないな、本当に」
 呟く彼。
 ぞくっ、と生暖かい風が彼の頬を撫でていく。気持ち悪い、奇怪な夜。
「ふん、やはり何も起こらないじゃないか」
 彼はせせら笑うように言った。
 やはりあれは噂であったのだ、ただの。
 どうせ、行方不明となった男子中学生五人は、今時の馬鹿なガキなのだろう。勇気と馬鹿の違いもわからずに携帯電話の出会い系サイトか何かでトラブルに見舞われたとか………。
 彼は夜の闇の中でけたけたと笑った。
 そして彼は急にぴたぁ、と笑いを止めると、アスファルトを蹴りつけた。
「馬鹿馬鹿しい」
 彼は身を翻し、帰ろうとした。だが、その彼の耳に聞こえたのだ。


 きぃー。きぃー。きぃー。


 井戸をから水を組み上げる時にする、貨車が軋む様な音が。
 冗談じゃなかった。
 普通じゃなかった。
 そんな音がこんな場所でするわけが無い。
 では、何故それが聞こえた? それが聞こえたとは、どういう事なのだ?
 それを懸命に考える頬を汗が伝う、一筋の。
 誰かがいつの間にか後ろに、居る。
 彼は振り返りたくなかった。しかし体が自然に振り返ってしまう。
 そしてそこに居たのは…
「き、ききききき切り裂き道化師」
 腰を抜かし座り込む彼に【切り裂き道化師】は持っていた短剣を振り上げる。にやりと真っ青なルージュが塗られた唇の片隅を吊り上げて。
 切り裂け道化師は、道化のメイクがされた顔にものすごく奇怪な表情を浮かべている。薄笑い、それはそういう表情なのだが、だからこそ物凄く奇怪だ………
 ―――――そしてそれは嫌になるぐらいに20年前のあの日から、彼がうなされ続けてきた夢に出てくるあの井戸の中で餓死した患者のそれと重なった。


 いや、重なるのではない、同一人物なのだ…


「す、すまなかった。許してくれ。許してく、頼む。頼むから許してくれ。俺には子どもも妻もいるんだ、頼む。生きたい、生きたいんだ、俺は」
 腰を抜かしその場に座り込んだ彼は、そう言った。
 しかし【切り裂き道化師】はただにんまりと酷薄に微笑むのみ。
「20年前、彼女は何て言っていた? 今のおまえのように言っていなかった? 20年間、私は待ったのだ。おまえが20年前の彼女と同じように子を持つのを。10歳になる子を持つのを。彼女と同じ10歳の子の親となるのを。それで私はおまえを殺すつもりでいた。それが私の親友である彼女への償い。おまえの業ぅ。だからそれを抱いて地獄へと落ちろ、私と共にこの外道がぁーーーー」
 【切り裂き道化師】は振り上げていた短刀を下ろさんとするが、しかしその彼女の前にその時、彼を守らんとする水の壁ができあがった。
 そして、
「そこまでにしていただきましょうか?」
 ただただ流水のような静かでクールな声が響き渡った。



 ――――――――――――――――――
【想い】


「そこまでにしていただきましょうか?」
 セレスティ・カーニンガムは【切り裂き道化師】を見据えながら静かに言葉を紡いだ。
「何だ、おまえは?」
 敵意も露に【切り裂き道化師】が言う。
 セレスティはクールに鼻を鳴らした。
「おっと、これは失礼。自己紹介がまだでしたね。私はセレスティ・カーニンガム。キミにそこの彼を殺させないためにやって参りました」
「なぁ」
 道化のメイクが施された顔に驚きの表情が浮かぶ。
「何を、おまえはァ。何も知らないでぇ」
 そして【切り裂き道化師】は短刀を煌かせてセレスティに踊りかかった。
 彼は水の刃でそれを打ち流すが、しかし【切り裂き道化師】のスピードは速いし、怒りで我を失っているが故か、力も衰える事は無さそうだ。
「ちぃ。これは少し厄介でしょうかね? ならば、散りなさい、水の刃よ」
 厄介、そういう言葉を口にしながらも、まったく追い込まれているような様子は微塵も無く涼しげな表情を浮かべながらセレスティが水の剣の切っ先を【切り裂き道化師】へと向けた瞬間に、水の刀身は飛び散って、さしずめそれは水の花びらの嵐となって、【切り裂き道化師】を襲った。
「ちぃぃぃ。何なんだ、おまえはぁ?」
 たまらずに後ろへと飛ぶ【切り裂き道化師】。
 間合いを充分に取ったセレスティはしかし、そこで水の刃を消し去った。彼は無手だ。
 そのセレスティの行動に、片眉の端を上げた【切り裂き道化師】は、
「何なんだ、おまえは…」
 と、茫然と呟いた。
 そしてセレスティはそんな彼女に優しく言う。
「私はキミを倒しに来た訳でも、またはこの男を助けに来た訳でもない。私はただキミを止めに来ただけです。キミが親友の無念を晴らすために来たのなら、それならキミは己が手でこの男を殺すよりもまず先に、彼、西島健吾氏の言葉を聞くべきではありませんか?」
 セレスティが身を横にどけると、彼の陰から西島健吾が現れた。
「彼はキミがこの男を殺す理由の一つである病院のために殺された彼女の息子です」
 【切り裂き道化師】の顔に衝撃が走り、そして道化のメイクとして描かれた涙のマークの上を、彼女の涙が伝った。
「ごめん、なさい。ごめんなさい、許して。私の為に、私の為にあなたのお母さんは、ごめんなさい。ごめんなさい」
 その場に泣き崩れて、謝り出した【切り裂き道化師】に西島健吾は走りよって、首を横に振った。
「関係無い。あなたの事は関係無い。それよりも、あなたの方こそ、母を許してくれるのですか? 母はずっと悔やんでいた。私のためにあなたを病室に閉じ込めてしまった事を。あなたが事故死してしまう原因を作り出してしまった事を。あなたはそれを許してくれますか? 母の事を」
 彼女もまた、首を横に振った。
「私は恵子を恨んだ事は一度も無かった。私の方こそ忘れた事は無かった。あの日、私が病室に閉じ込められた日、恵子は泣いていた。何度も謝ってくれた。私は知っていた、彼女がしょうがなくって、それをやっている事を。だから私は、扉を叩いて、彼女を罵った。彼女が罪悪感を持たぬように。私の事なんてもう思い出さないように。嫌うように。だけど私は間違えた、方法を。どうしようもなく。彼女はずっと自分を責めて…。あの日、扉の鍵が開いていたのは、彼女のやってくれた事だとわかっていた。だから私は彼女を救うために病院から逃げ出して、だけど私は井戸に落ちてしまって…。それで私はまた運命を恨んだ。彼女に私を閉じ込めさせた奴らを罵った。だって、ここで私が死ねばまた彼女が、恵子が自分を責めるから!!! だから私は生きたかったんだ。だけど私は死んでしまって…。
 …………そして井戸で自縛霊となっていた私は風の噂に聞いた。恵子が通り魔によって殺されたと。だけど霊となった私にはわかっていた。すべてが病院の奴らの仕業だと。だから私は悪魔と契約したのだ。
 恵子を殺した者が恵子と同じ10歳の子どもの親となった時、私は【切り裂き道化師】という怪異となって、そいつを殺す、とぉ!!!」
「なるほど、あの噂はその下地であった訳ですか…」
 セレスティは嘆息した。そしてセレスティは西島を見る。
「では、やはり叔父が母を殺した…」
「嘘だぁ。嘘だ、健吾。私はおまえの母親を殺してなどいない。おまえは、叔父である私よりもそんな化け物どもの言う事を」そう彼が必死に自己弁護していた時、ぶんとほんの一瞬だけ、辺りにノイズが響き渡り、そして彼らの前に20年前の光景が再現された。3D映画のように。



「私は訴えます、警察に」
「馬鹿な事を言うな」
「やめて、離して」
「えーい、このくそ女がぁ」
「ぎゃぁー」
「バカめ。訴えるなんて言うから…」
「イヤだ、死にたく、ない…けんごぉ」



 20年前、まだ28歳である彼が恵子を殺した光景が何度も繰り返し、空間に浮かび上がる。
 健吾は叔父を見た。
 叔父は頭を抱えて、がくがくと震えている。この期に及んで、まだ「嘘だ」と繰り返している。
 その光景に健吾は涙を流し、
「くぅそぉーーー」
 短刀を振り上げて【切り裂き道化師】は彼に襲いかかろうとした。だけど、
「待ってぇ。待って…」
 西島が泣き叫んだ。そして彼は涙に濡れた細い声で言う。
「憎しみは憎しみしか呼ばない。あなたが彼を殺したら、その子はあなたを憎む。私がその男を心の奥底から恨んでいるように。だけど私はこれもわかっている。自分から親を奪われる悲しみは。だから私は…私は…、ここでもうやめにしたいと想う。きっと、母もそれを許してくれると想うから…」
 西島のその言葉にセレスティは【切り裂き道化師】の前に立ちはだかった。その手には水の剣がある。
「彼はそう言っている。だから私は、もしもキミがこの男を殺そうと言うのなら、私はそれを全力で阻止します。キミを滅します。さあ、それでキミはどうしますか?」
 短刀を【切り裂き道化師】は捨てた。
 そして彼女は小さく溜息を吐く。
「あなたがそう言うのなら、それを恵子の意志とする。私はその男を殺さない。だけど…


 心はもらっていくぃ!!!!


 それが悪魔との契約をかわした私の意志で、復讐だから」
 そして【切り裂き道化師】は夜の闇から浮き上がった悪魔のマントに隔されるようにして、一瞬で消え去って、後に残されたのは、精神を壊した、彼であった。
 ………。



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


 行方不明になっていた中学生五人は無事に帰ってきた。
 行方不明になっていた間の記憶は無かったらしい。
 ………。
「なるほどな、あの噂にはそういう真実が隠れていたのか」
「ええ。【切り裂き道化師】の噂は死んだ彼女が友人の惨劇を下地にして人々にばらまいた。そうやって人々の潜在意識に【切り裂き道化師】への恐怖を植え付ける事で、彼女はこの20年間存在してきたのでしょう。ただただ友人である恵子の仇を取るために。友情のためにね」
「恐ろしい事だな」
「そうですか? 私は【切り裂き道化師】よりも、私欲のためならば同胞をも平気で殺す人間の方が恐ろしいですがね」
「確かにな」
「しかしそういう人間もいれば、哀れなぐらいに儚く健気な人間も存在する。だからこそ私は人間を愛おしく思うのです」
 頷く草間武彦にセレスティは小さく微笑むと、紅茶が入ったティーカップを口に運び、喉から胸に落ちたその温かみに満足そうに頷いた。


 ++ライターより++


 こんにちは、セレスティ・カーニンガムさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 今回のお話はバトル系のお話になるかと思いきや、このような展開になりました。
 ホラーを意識してある部分は怖さを、メッセージ性のある部分は何かを感じていただけたら、幸いです。^^


 幽霊…今回のお話では【切り裂き道化師】ですが、元々はやっぱり人間だった訳ですよね。
 人間であったのなら、その存在にも過去には生活とかそういうドラマがある訳で、そういったモノを物語の中で描写することで、そのキャラクターに色を付けられるような気がして、それでノベルのキーとなるキャラクターの人間であった頃を描写するのが好きなようです。^^
 また人間であった頃の、他の人間との繋がり、時にはPCさまとの繋がりを描く事で、お話も広がりますし。
 そういう繋がりを考えるのがまた面白くって。^^
 それもまた楽しみの一つだったりするのです。^^



 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 本当にありがとうございました。
 失礼します。