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<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

 ノックの音は二回、一枚板のそれとは違ってベニヤを組み合わせた安価な扉は内の空洞を示して少々情けない音がする。
 久我義雅は音の方向、部屋にただ一つの出入り口を見遣ってしばし待つ。
 其処でもう一度、来訪の意を告げる合図が繰り返されて漸く、義雅は気付いた。
「あぁ、そうか」
供の者が居ないのだから、扉は自分で開けないといけない。
 バスローブを纏った姿で、義雅は施錠を外すと外開きの扉を押し開いた。
 ギ、ギィ……と安宿とはいえ手入れの成された扉が軋んだ音を立てる筈もなく、そう心中に効果音を付加してしまったのは、扉の外に立つ人物の表情に表れこそしていないが低温の怒りを察知してだ。
「義雅様……」
名を呼ぶ声は怒りと同じ低さで、意図的に照明の押さえられた廊下、眼前に立つ青年の赤い前髪が目元にかける影の色が妙に濃い。
「ありがとう、ご苦労だったね」
お小言を喰らう前にすかさず謝意を述べれば、青年は諦めの息を深く深く吐き出すと紙袋を軽く掲げて示した。
「……お着替えはこちらに。身に着けていらした物は持ち帰りますので」
紙袋を手に、義雅の横を抜けようと足を踏み出す……事は出来ず、体重を前に以降させかけだけで止まる。
「……義雅様?」
動かない主への訝しい問いかけに、義雅は手を差し出した。
「今はあの子がシャワーを使っていてね。何故だかここの浴室は硝子張りだし、私の身内とはいえお前が見るのは少々礼儀に反するだろう?」
秘書と護衛を兼任する有能な青年は、家人の手のない出先でいつもの如く、主の身の回りを整えようとしたそれを制された理由に絶句する。
「……義雅様」
指で目の間を揉みつつ、青年は紙袋の持ち手を強く握り込んだ。
 意見を聞くまでは渡さないつもりらしい。
「何かな?」
強硬に意志を表示する構えを取った部下に、義雅は先を促す。
「遊びも大概になさって下さい」
直球ながら最もなお叱りと共に、青年は紙袋を差し出した。
「お名前を出せば深夜でも宿泊先に困る事もないでしょうに、このようなホテルをご利用になるのはお戯れが過ぎます」
しかし問題の焦点は別にあったようだ……そう、青年の曰く所の『このような』ホテル、モーテル。
 日本では俗に、ラブホテルと呼ばれてそのような目的に使用が特化しているが、海外ではごくごく普通の宿泊施設として利用されている事を明示して置きたい。
「ピュン・フーと遊んでいたら深夜になってしまったものでね。手近な場所で休めるように彼が連れてきてくれたんだよ」
弁明とも説明ともつかない義雅の言に、青年は大仰に溜息を付く。
「……遊びの相手もお選び下さい。異形と深く関わる危険を知らなかったとは言わせませんよ」
陰陽師の旧家である久我の総領として、あまり風聞も良ろしくない……それも今更だが。
 義雅は紙袋を受け取って、青年のお叱りから拾った一語に反論した。
「別に何もしていないよ」
深く、の意味は現況から鑑みればどのような意味にでも取れるが、この場合の両者の認識は共通していたようである。
「私としては興味があったんだけどね。誘っても上手にかわされてしまったよ……ここでも私に寝台を譲って、自分はさっさとソファで眠ってしまったしね」
残念、とさしてそうとも思っていない口調で付け加えた義雅を青年は暫しじっと見つめて、諦めの息を吐き、ポケットから小さな袋を取り出した。
「……申しつけられた品も、こちらに。出来はよろしいかと」
「ありがとう。手間をかけたね」
それも受け取った義雅に、青年が一応の確認をする。
「本日もお戻り頂けないのでしょうか」
「そうだね、彼ともう少し遊んでから帰るよ。後はいつものように頼むよ」
依頼の形の命に青年が一礼する間に扉を閉め、義雅が室内へと戻れば備え付けのタオルで頭をがしがしと拭くピュン・フーと鉢合わせた。
「ピュン・フー、コートの着心地はどうかな?」
革のパンツは身に着けているが、以外の腕や上半身から湯に上気する肌を晒したまま、肩に引っかけただけのコートをバタバタと開閉して、籠もる熱を逃がそうとするように示す。
「めっちゃサイズぴったり。サンキュな義雅」
 流石に入浴時までサングラスを着ける事はないのか、晒された赤がダイレクトに笑みかける。
「あ、赤毛のにーちゃん来てたんだ」
義雅が手にした紙袋を見て察するピュン・フーに、けれど義雅はにこにこと笑って応えない。
「ちゃんと着てくれるなんて嬉しいよ。私の心も届いたと言う事かな?」
そう満足げにピュン・フーの肌……その左胸、ざくりと大きく走る疵痕に触れる。
「義雅、会話の流れって知ってる?」
げんなりとしたピュン・フーの言葉に、その胸をさわさわと撫でていた義雅ははたと顔を上げた。
「そうそう、着替えと一緒に持ってきて貰ったんだよ。次に会えたらこれをあげようと思っててね」
「だからさぁ……」
諦めの悪いピュン・フーの手を取り、上に向けさせた掌に先の紙袋の中身をコロンと出す。
 それは小さなマスコット人形である。
 薄い肌色、赤いビーズの瞳、前髪以外は短い黒髪に、円いサングラスとちゃんと革を使ったのロングコート……デフォルメ化した三頭身が誰を模しているかは一目瞭然である。
 中に鈴を縫い込んであるのか、振れば微かに籠もった音がチリリと鳴った。
「部下に作らせたら二つ作ってくれてね。一つあげよう」
にぎにぎとピュン・フーの手に握らせる……ストラップとしての使用を目してか、頭頂部から赤い組紐が輪を作っている。
「義雅……」
その細工の細かさは賛嘆に値する。それもあの赤毛の青年の手に因るとなれば感心しきりなのだが、ピュン・フーとしては一つ大きな引っかかりに口元をへの字に曲げた。
 因みに肖像権の侵害とかそういう小さな事ではない。
「コレ、ストラップにつけてたら俺、すっげぇナルシストじゃん」
彼が難渋を示すに最も過ぎる理由であった。


 モーテルを引き払って24時間営業のファミレスで朝食も取り終わり人心地付いてさて、という時に。
「今日は一日暇なのだけれど、何処か遊びに行きたい所はないかな?」
などと言い出した義雅のお強請りに、ピュン・フーが取り出したるは一枚のチケットである。
 印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影……の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
 しかもペアチケット。
 ヲトナの遊び場としてチョイスするのにどうよ?という感はあれど、どちらかといえばピュン・フーは義雅の反応を面白がっている風がある。
「どーよ、今人気のデートスポット。あの赤毛のにーちゃんと行ってくれば?」
「彼は今日は仕事でね」
義雅の尻ぬぐいの為、などという秘められた真実はお首にも出さず、義雅は示されたチケットを手に取ってつくづくと眺めた。
「水場と陰気が強いというけれどもね」
陰陽師物言いに、ピュン・フーは義雅が手にしたチケットの上部に指をかけ、僅かに撓ませる。
「でも水族館だぜ? 死んでる水ならアレだけど新鮮さにかけちゃこの上ねーだろーしさ。ンな気にする必要ねんじゃねーの」
義雅の何気ない発言をよく解らない自信で請け負って、ピュン・フーはチケットを指で弾く。
 厚みのあるそれが揺れるのに、義雅はふむ、と頷くと引こうとしたピュン・フーの指を掴んだ……何故か小指。
「なら一緒に行こうか」
ピュン・フーの発言の何処をどうとってその結論を導き出したのかは謎だが、義雅はその指をしっかりと握って微笑んだ。
「私が幸せかどうか教えてあげるよ」
「痛ェってば、義雅、ちょ、待……っ!」
そのまま席を立ち、心は既に水族館に向かっているのか、ピュン・フーの小指を握ったまま颯爽と歩き出す義雅……小さい力で大きなダメージを与える護身術の基礎、知ってか知らずかそれとも態とか、小指を関節と逆に逸らすのも立派な技の一つである。
 ピュン・フーは反論と抵抗を封じられて、本日の義雅の遊び相手として強制連行と相成った。


 ふわりふわりと。
 水の中に浮かぶというより漂う風情で、クラゲが泳いでいる。
 上方からの照明に透明な体を薄く光るようにして傘を開閉する様を、水槽に顔を近付けて黙々と見つめている義雅を、一歩離れた位置で見ていたピュン・フーは静かに問うた。
「……義雅、それ面白ェ?」
答えてこっくりと頷く久我家当主。
 その遣り取りは既に数十回、水槽毎に交わされているといっても過言ではない。
 黙々と、淡々と、展示された魚類生態のつぶさに見て取ろうとでもいうようにじっくりと丹念に注視する為、順路を巡るに人の倍以上の時間はかかっている……が、ピュン・フーはその義雅を面白がって見ている為、軋轢は生じ得ない。
「クラゲが動物だと初めて知ったよ」
「え、嘘!?」
しみじみとした義雅の言に、ピュン・フーは水槽下に示されたプレートに顔を近付けた……水槽を際立たせる為の通路の暗さに文字が読み取りにくいのだろうが、それでもサングラスを外そうとしないのは如何なる拘りか。
 因みに義雅もピュン・フーを面白がっている……かなり。
「ホントだ、無脊椎動物だってよ……でも鉢虫類? 虫?」
「クラゲを刺胞動物に分類する為だけの呼称ではないかな」
説明書きに首を傾げるピュン・フーは、けれど納得しかねる様子だ。
「どっちにしろ、こんなのが動物だっつっても信じらんねぇ」
しきりに首を捻っている、そんなピュン・フーの心情など知る筈もなく、クラゲの群れは寒天質の体に光を含みながら相変わらず漂っている。
「おかげでまた一つ賢くなったね……中華料理に使われるキクラゲはキノコだというのは知ってるかい?」
「義雅、俺の事バカにしてねぇ?」
両者共に気が済んだのか、そんな会話を交しながら漸く移動するに薄暗い通路を抜けた。
 途端、視界が開ける。
 その蒼の領域に踏み出す一瞬、見上げずに居られない、透明な圧力が其処に在った。
 水族館の大水槽、その青に透過された光線が、魚影が過ぎる影を揺らめかせる。
 奥深く広がる水槽の中……閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持の為の酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
「ほう」
薄暗く狭い通路からの空間から解放される、その不意の変化を狙いとしているなら、目の付け所がいい。胎内巡りめいた演出に、義雅は感心の想いを吐息に似た声に集約する。
 ふと隣に立つ青年に視線を向ければ、真っ直ぐに水槽を見上げる横顔が見える……口元はいつものように僅か笑ったように引き上げられているが、サングラスの脇から覗く瞳の紅は何処か真摯な色に深みを持つ。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
体重を意識させない歩みで進む、指が水槽を叩く……其処に波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、強化硝子は固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう……いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔に波紋の影が揺れた。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
肩越しに振り返り、眼差しが義雅に向けられた。
「義雅、今幸せ?」
いつもの調子で何気なく、会う度に幾度も重ねられる問い。
 答えを待って足を止めたピュン・フーの隣に立ち、義雅は笑いを含んで答えた。
「今の君には判らないよ」
横顔に注がれる視線を眼差しで捉えて、義雅は微笑んだ。
「私の生きる理由もね」
しばしの沈黙の後、ピュン・フーは軽く眉を上げて口を曲げた。
「やっぱ義雅、俺の事バカとか思ってねぇ?」
はぐらかしめいた答えから、自らの内に行き着いた解にピュン・フーが不満を示して見せるのに、義雅は深めた笑みに目を細め、眩しいようにして彼を見る。
「気に障ったかな。ならお詫びに何でも好きな物を買ってあげよう……おねだりして御覧?」
「……否定はしねぇのな」
重々しいピュン・フーの言に、義雅はにっこりと笑って見せた。