コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


花守りの屋敷

【壱】

 初瀬日和がアトラス編集部のドアを開けると辺りに散らばっていた視線が集中するのがわかった。それに微笑みで答えると、その視線が築いた林を貫くように真っ直ぐな碇麗香の声が響いた。
「ちょうどいいところに来てくれたわ」
 碇の言葉に日和は小さく頸を傾げる。自分のデスクから手招きをする碇に誘われるように近づいていくと、初めから碇の前に立っていた三下忠雄がすっと横に移る。
「事情をしったうえで来てくれてるんだと思うけど、改めて云うわ。確認の意味もこめてね。―――さんしたくんの手伝いをしてもらいたいんだけど、大丈夫かしら?」
「私にできることであればお手伝いさせてもらいたいと思いますけど、どういったご依頼ですか?」
 日和の言葉に碇が明るい笑みを見せて事情を説明し始める。
 花に寄生された人間とそれを守るように屋敷に引き篭もっている植物学者がいるそうなのである。碇の目的は花に寄生されて生きる人間がいるのかどうかというところに集中しているようだったが、日和はなぜ植物学者はそのようにして引き篭もるような生活をしているのかという方が気にかかった。その屋敷は郊外に忘れ去られたようにぽつんと建っているのだそうだ。住宅地ではないせいでもあって大袈裟な事件などにはなっていないが、近所では誘拐されてきた人間を監禁しているのだというような事件性をまとう噂が広がり始めているのだという。しかし誘拐という方面に碇の興味関心は向いていなかった。多少の好奇心は感じられるものの、依頼の中心にあるものはもし本当に花に寄生されて生きている人間がいるのなら、それを取材してきてもらいたいというものである。
「勿論責任者はさんしたくんだから何かがあった時はこちらでそれ相応の対処をさせてもらうつもりなんだけど、どうかしら?」
「わかりました。お引き受けします」
 にっこりと微笑んだ日和に碇は頼んだわと軽やかに云って、日和の隣で躰を小さくしている三下を一喝した。
「協力してくれる人が見つかったんだから、早く行ってらっしゃい!」
 その声にびくりと躰を震わせて、三下はのろのろと取材に出かける準備をするために自分のデスクへと戻っていった。


【弐】


 編集部を出て、三下の運転する車で向かった先は郊外も本当に外れのほうにあたる都会にしては田舎じみた場所だった。緑も多く、排気ガスで咽喉が痛くなることもない。空の青さも透明に近く、流れていく雲は純白だ。三下は怯えた様子でハンドルを握っている。日和はそんな三下を気にすることもなくウィンドウの向こうに広がる景色を眺めながら、何が植物学者の心を惹くのだろうかと考えていた。
 花に寄生された人間が好きなのか。それとも人間に寄生する花が好きなのか。碇の言葉からは判然としない。花が好きなのか、寄生された人間が好きなのか、それによって事情は随分変わってくるだろう。それに花に寄生されている者の健康状態はどんなものなのであろうか。人に寄生する花など滅多にお目にかかることはできない。もし健康状態を脅かすようなものであるようなものであったなら、放っておくことはできないだろう。それに誘拐されたかもしれないという言葉も気にかかった。もしそれが本当ならば警察沙汰になることもありえないことではない。できれば穏便に済ませたいものだと考えているうちに、三下が車を停めた。
 長く伸びたアスファルトにコーティングされた道路の突端に佇む家がある。家と呼ぶには大きすぎる建物だ。そのわりにはセキュリティは完全ではないようで、豪奢な門扉は開け放たれたままである。郵便受けから顔を覗かせている郵便物は暫く放置されたままであることを無言のうちに伝えていた。
「本当に、行くんですか?」
 三下が問う。日和は小さな笑みと共に頷いて、
「はい。碇さんと約束いたしましたし、ここまで来て引き返すわけにもいきませんから」
と云うと渋る三下を他所に車を降りた。
 外の空気は冷たい。しかし不快で無機質な冷たさとは違って、確かに四季の移り変わりを伝える心地良い冷たさを感じることができる。緑の匂いと秋から冬に移り変わる途中の淋しさをまとう空気が鼻先をかすめる。微かな風に日和の長い黒髪が艶やかに揺れて、それに導かれるような格好で三下が後ろをついていく。
 開け放たれたままの門扉の辺りを見回してドアチャイムのようなものは見当たらない。真っ直ぐに玄関に続く砂利道の向こうにドアが見えて、きっとドアチャイムはそこにあるだろうと思った日和は躊躇うことなく門を潜った。三下も日和の後に続くが、勝手に入っていいものなのかどうかを考えているようで度々後ろを振り返っている。日和の足取りは滑らかだった。砂利の敷き詰められた小道を歩く足音が規則正しく響く。それを乱すのは三下の足音だ。
 手入れを怠っているのか雑然とした玄関前に立って、ドアのわきに設えられたドアチャイムに指を伸ばす。三下はもう何も云わない。辺りをきょろきょろと見回しているだけである。インターホンではないせいですぐには応えはない。もう一度押してみようかと思ったその刹那、不意にドアの内側から声が響いた。
「どなたですか?」
 男性のものだ。低くもなく高くもない、穏やかなしっとりとした声音である。
「珍しい花をお持ちだとお聞きしたので取材をさせて頂こうと思って伺ったのですが、今お時間は大丈夫でしょうか?」
 口を開かない三下の代わりに日和が云うとドアの向こうでしばし逡巡する気配がする。
「その話しはどちらからお聞きになったのでしょう?」
 ドアの向こうから問われて日和は三下に視線を向ける。すると小さな声で編集部にメールでとの答え。きっとこの声量ではドアの向こうには届かないだろうと思って日和は同じ言葉を繰り返す。
「新聞社や雑誌社お得意のたれこみというやつですね」
 嘲るような調子で云われて、日和は追い返されるかもしれないと思った。けれどそんな不安はすぐさま打ち消されて、硬く閉ざされていた玄関のドアが開いた。
「まずお話だけでも聞かせて頂けますか?花を見せるかどうかはその後に決めさせて頂こうと思います」
 特別これといった特徴のない男が立っている。洗いざらしの白いシャツに黒のスラックス姿で、印象的なものなど一つもない。
「ありがとうございます」
 云って日和が小さく頭を下げると、それにつられるような格好で三下もぎこちなく頭を下げた。男性は三下を付き人か何かだと認識したのか、日和を家の奥へと促した。三下はついてくるだけである。
 二人が通された場所は殺風景なリビングルームだった。慎ましやかな応接セットが部屋の中央に設えられている。男性に云われるがままにソファーに腰を下ろすと、微かにスプリングが軋んだが決して座り心地が悪いものではない。一度姿を消した男性は程無くして、コーヒーが注がれたカップを二つトレーにのせて戻ってくると、肩を並べて座る三下と日和の前に一つずつカップを置いた。
「何から話せばいいでしょう?」
 男性が問う。
「植物学者でいらっしゃるとお聞きしました。それは本当ですか?」
 日和がカップに手を伸ばすこともなく問うと男性は頷く。
「大学は疾うに辞めましたが、研究は続けておりますから学者の端くれくらいではあるといっても差し支えないでしょう」
「何故お辞めになったのですか?」
「花のためです。あなた方が取材にいらした花は放っておくことができないもので、非常に手のかかるものであるからそれ以外の仕事をしていては枯らしてしまうことになるので。幸いなことに両親が残してくれた莫大な遺産もありましたし、其の花の研究に一生を捧げようと思い、辞めたのです」
「そんなに珍しい花なのですか?」
 男性が大きく頷く。
「新種の花かもしれません。まだ研究の途中で何一つとして明らかにはなっておりませんが、珍しいものであることは確かです。一度そんな花があるといった噂を耳にしたこともありますが、長く植物に携わってきても目にしたのは初めてですから」
 すっと背を伸ばして丁寧な口調で話す男性は自分の状況が異常なことだとは全く思っていないようだった。
「周囲で誘拐された人が監禁されているといった噂が流れていることはご存知ですか?」
 男性は微笑む。
「なんと云われてもかまいません。私は私がやりたいことをやっています。相手は妻です。意識もない彼女の面倒をみているだけですから警察沙汰になろうとも、私が犯罪者になることはありませんよ」
「奥さん……?」
「唯一の家族です。最愛の」
 云った男性の表情が僅かに曇る。そして思案するような間を置いて言葉を続けた。
「すれ違いの生活でしたから、以前の関係は破綻していたかもしれません。けれど私は彼女が大切でしたし、今こうなってみて改めて彼女が大切だという気持ちを再確認しました」
 男性は興味や好奇心だけで花を大切にしているわけではないのだと日和は思った。妻を、唯一の最愛の人を大切に思うあまり外側から総てを切り落として、手元に残ったものだけを一生をかけて守るつもりでいるのだと。
「奥さんと会わせてもらえますか?」
 日和が云うと男性はそれまでまっすぐに日和を見ていた視線を逸らし、思案するように窓の向こうへと顔を向ける。沈黙が生まれて、室内を満たしていくような気がした。
 そんな沈黙がどれだけ長く続いたことだろう。小さな声で男性が云った。
「……決して気味悪がらないでやって下さい。花に寄生されて意識がなくとも心はあります。お会いして頂くのはかまいませんが、人として接してもらいたいのです。約束して頂けますか?」
 希うような男性の口調に、日和はしっかりと頷いた。


【参】


 無駄に怯えて傷つけてしまうかもしれないという三下をリビングルームに残して、日和は男性と連れ立って二階へと続く階段を昇った。廊下の突端にあるドアを開けて、もう一階上に続く階段の手前で躊躇うように男性が足を止める。
「本当に、気味悪がらないで下さいますか?」
 男性の問いに日和ははっきりと頷き返す。
 すると男性はそうした日和の態度を信じたとでもいうかのように、目の前の階段を昇り始める。日和も後からついていく。二人の足音だけが狭い階段に響いて、それが停止すると再びドアがあった。男性はゆっくりとそれを開ける。
 するとそこは温室だった。エアコンディションは最適に維持され、差し込む陽光に満たされて温かい。
 しかし温室には似つかわしくない生活用品がそこかしこにあった。そのなかでも一番目を引くのはベッドだ。痩せた女性が静かに横たわっている。白いベッドの植えに黒髪が扇を描くように広がって、それを彩るように青みがかったピンク色の花が咲いている。腕を包む長袖のシャツから緑色の茎が覗いて、人間でありながらどこか異質な気配がした。
「コルチカム……」
 無意識のうちに日和が呟く。
「確かに似ていますが、まるで違う植物です」
 呟いて男性はそっと静かに、まるで慈しむような仕草で女性の髪を撫ぜた。そして独語のように言葉を紡ぐ。
「私たちは花を通じて知り合いました。彼女も私も花が好きで、それで付き合うようになって、当然のように結婚しました。しかし私が研究職についてから、いつの間にかすれ違うようになっていました。もう、二度と修復できないくらいに。きっと研究に没頭するばかりの私をどこかで憎んでいたことでしょう。淋しかったとも思います。けれど彼女が本当はどう思っていたかはわかりません。―――それでも愛していました。彼女以外の妻があることなんて考えられないくらい深く愛していたんです」
 日和はかける言葉を見つけることもできずに、ただ男性を見つめていた。彼の視線は妻に注がれたままで、それはひどくやさしい。
「彼女はもう私の手を借りずには生きていくことができません。この寄生した植物は、多かれ少なかれ彼女の生命維持機能に影響しているようです。花が枯れれば彼女は死ぬでしょう。はっきりしたことがわかりませんから、もしかすると花が枯れる前に彼女が死んでしまうことがあるかもしれません。それでも、私は彼女がここで生きていてくれる限り守り続けたいんです。我儘だということは十分に承知しています。身勝手だと思われてもかまいません。いつ目覚めるのかもわからない彼女の傍に少しでも長くいることで、彼女の淋しさが癒されるというのなら世間の目など怖くないのです」
 こうすることが彼なりの贖罪なのだろうかと日和は思う。
 どんなに愛情を注いでも返されるものは何もない。再度自分を見つめてくれることがあるのかどうかもわからない最愛の人に思いを寄せ、まるで過去の幸福な日々を甦らせようとしているかのようでさえある。
「これから先の私の人生は彼女のためにあるようなものです」
 甘い香りが辺りに満ちて、思考の中枢がぼんやりとしてくる。
 もしかしたら自分も男性と同じ境遇に立たされたら、同じ選択をしてしまうかもしれないと日和は思う。たとえそれが絶望的な選択だとしても、すぐ傍に最愛の人がいてくれるというのならそれに甘んじてしまうかもしれないと。
「誰にも渡したくないんですね」
 そう云う日和の言葉に男性が答える。
「誰にも渡したくありませんし、誰の目にも触れさせたくありません」
 男性の言葉はどこか淋しかった。日和にはその理由がわかる気がした。どんなに愛していても、相手が目覚めることがなければ言葉を交わすこともできない。ささやかな視線のやり取りさえもすることがかなわないのだ。きっと男性はそうした自分の歯痒さのようなものから、妻の淋しさを知ったのではないだろうか。思ったけれど、言葉にして訊ねるようなことはしなかった。そっとしておいてやりたいと思ったからだ。
 男性が妻を見つめる目はあまりにも切ない。
 この調査を引き受けようという話を打ち明けた時、日和が大切だと思うその人は随分と心配してくれた。間違っても寄生されて帰ってくるようなことにはなるなと、何度も念を押した強い声を思い出す。
 言葉で確かめる。
 そこにあることを、その存在を。
 日和は思って言葉を綴った。
「私にも大切な人がいます。もしもあなたと同じような状況になったら、私も同じことをしてしまうかもしれない。でも今は、ちゃんとお互いを見つめあうことができるから……」
「そういうささやかなことを大切にして下さい」
 その言葉はまるで自分がそうすることができなかったがゆえに、受けた罰を悔いるような響きでもって日和の鼓膜を震わせた。
「失礼します」
 そう云うことがやっとだった。
 逃げるように温室を出て、日和は彼に会いたいと思った。


【肆】

 帰りの車中で日和は考えていた。
 男性が最後に呟いた言葉の意味。
 そして男性が抱いているであろう後悔の念について。
 ささやかなことを大切にして下さい。
 きっと男性は妻という最愛の人を失うかもしれないということに直面してようやくそのことに気づいたのだろう。遅すぎたのかもしれない。けれど、彼女が目覚めない限りはもう少しだけ希望を持っていてもいいのではないかと思う。目覚めることがあるのかどうかもわからない妻の傍にいること。今はそれしかできることがなくとも、いつか目覚めるようなことがあれば、そこから二人でやり直すこともできるだろう。
「三下さん。もし、大切な人を失うかもしれないということに気づいたらどうしますか?」
 ずっと黙っていた日和に不意に訊ねられたことに動揺したのか、三下がしどろもどろに答える。
「後悔します。そして、多分、できれば失わなくてすむように、すると思います」
「そうですよね……」
 答えた日和は小さく笑った。
 失うことほど怖いものはない。もう二度と同じ者として傍にいてくれなくなることほど辛く、残酷な現実はないのだ。それに耐えながらこれから先あの二人はどのようにして生きていくのだろう。そしてもし女性が死んでしまったとしたら、その後、あの男性はどうするつもりでいるのだろうか。考えれば考えるほど結末は哀しみに直結する。
 彼に会いたいと思うのはきっと、そんな哀しみから逃れたいからなのかもしれない。
 確かに、そこにいることを確かめたい。
 そして自分が彼に大切だと思われているということを確かめたい。
 人を大切に思う気持ちほど脆弱なものはない。ささいなことですれ違う気持ちを介して結びつくことしかできない関係は、美しいけれど脆く果敢無いものだ。
「会いたい……」
 日和は三下にも聞こえないほど小さな声でそう呟いた。



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


【3524/初瀬日和/女性/16/高校生】


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


この度はご参加ありがとうございます。沓澤佳純です。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します