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<東京怪談ノベル(シングル)>


二人分の時間


 ――プロローグ
 
 夜は優しいと思う。
 多くの人の眠りを支えている夜は、いるだけで優しいのだと思う。そうでなくては、たくさんの人が眠れなくなっているだろう。たぶん自分が優しい分だけ夜は優しくしてくれるのだ。そんなことを、眠れないとつらつら考えている。特に誰に話すわけでもないので、本当につらつら羊を数えるように考えている。
 眠れないときに羊を数えなさいと教わったのは、ここへきてからだった。
 お兄さんが、興信所のソファーでぼんやりと座っていた私を見て、隣に座ってくれた。冷たくなっていた両手を握りながら、お兄さんはそう言った。
 羊を数えるといい。まあ、気休めにしかならないけどな。
 私の場合、眠れなくても日常の生活に支障はない。特に頭がぼーっとすることもなく、普通に一日を過ごすことができる。ただ少しだけ、皆が夜に抱かれていた時間に独りぼっちだったことを思い出すと、寂しくなる。私は一人、羊と遊んでいたのだと小さく考える。羊さえもいなかったあの頃に比べれば、ずっとマシかもしれない。そんなこと、思いもしなかったから。
 今日は夜は他人行儀で、私は置きだしてキッチンでお湯を沸かした。
 この間雛太さんに会ったとき、眠れないときは羊と遊ぶんだと話をしたら、彼はなんだか複雑そうな顔をしてから、
「そういうときは、ホットミルクか、ココアを飲めよ」
 雛太さんはよく困った顔をする。私は、彼を困らせているのだろうかと心配になる。けれどそれを言うと彼はますます困った顔で頭をかくのだ。
「どうしてです?」
「人間内部からあったまるもんなんだ」
 だから私は、お兄さんと近くのコンビニまで行ったとき、ココアを一箱お兄さんに買ってもらった。
 ココアを今日、飲んでみようと思う。


 ――エピソード

 キッチンでお湯が沸くのを待っていた。
 飲み方はお兄さんに教わったので、わかっている。
 そうしたら階段が少し騒がしくなって、突然事務所内に大声が響き渡った。
「あー、気分悪ぃ、くそ」
 入ってきたのが雛太さんだとすぐにわかった。彼はよく夜中に興信所を訪れる。昼間訪れるより、よっぽど夜の方が多いかもしれない。大抵夜は一人で興信所のドアを開けて、一人でソファーで寝息を立てている。
「こんばんは」
 キッチンから顔を出して挨拶をすると、雛太さんはふらふらっと出入り口の前で踊った。
「こんばんはじゃねえよ、でけぇ声出すな」
 頭を押さえる動作をしながら、雛太さんは怒鳴った。
「いいかー、俺はこの間、ヤスキヨのヤスシに会ったんだぞ」
「ヤスキヨですか、マツキヨでなく?」
「キヨハラじゃねえよ、俺は巨人は嫌いなんだよ」
 私は雛太さんの近くまで行って、お酒を飲んでいるのだとようやくわかった。たまにお兄さんもこういう風になることがある。大抵は、機転の利く誰かの手によってうまく寝かしつけられてしまうけれど。男の人には、こういう風に酔っ払うことも大切らしい。
「大きい人でしょうか」
 ともかく、こういった方はお水を飲ませて、ソファーに横にすればいいのだ。
「誰が小さいって?」
 ソファーに座った雛太さんが、私の方を据わった目で睨んだ。私は目を瞬かせて、雛太さんとしばらく見つめ合っていた。
「誰が小さいって?」
 再び雛太さんが言う。小さいなんて、どこからでてきたのだろう。
「雛太さんは小さいですね」
 笑顔で返すと、雛太さんは立ち上がろうと両足をばたつかせた。
「小さくて悪いか、ああ俺はマッチョでもノッポでもねえよ、それが悪いか。今大学生です、どう考えても上には伸びませんよ」
「ゴムみたいに伸びるんですか」
「だから伸びないっつってんだろう」
 プッツン、と何かが切れたように雛太さんが眉間にシワを寄せて怒る。私は、とにかく雛太さんに水を持ってこようとその場を離れた。
「何がボーイズビーアンビシャスだ、小さくても五分の魂だ、なんじゃそら。ありえねえ、信じらんねえ、大志でもタカシでもなんでもいいさ。この際ヤスシでもいいさ。態度ばっかりでかくなりやがって、少しはもっと身長とかでかくなるとかしてみろ」
 雛太さんの独り言は面白い。
 内容はよくわからないが、キーワードは小さいだ。
 雛太さんは私をあちこちに連れて行ってくれる。夏祭りに連れて行ってもらって、その後一度秋の海へ遊びにも行ったし、この間は紅葉を見に日光まで車を出してくれた。
「紅葉っておいしいんですか」
 赤や黄色に染まった葉を眺めながら言うと、雛太さんは困った顔で頭をかいて帰りにサンマの定食を食べさせてくれた。魚の解体は本当に大変で、雛太さんのお皿のきれいなことったらなかった。私は一度もやったことがなかったので、なにがどうなっているのか全然わからなかった。頭と背骨と小骨、内臓は苦かったので残した。すると雛太さんが箸を出してきて
「ここが美味いんじゃねえか、まだまだお子様だな」
 そう言って内蔵を食べた。
 その横顔が苦そうに見えたのはなぜだろう。雛太さんだって、きっとあんまり美味しくないに違いない。
 お水を持って行くと、雛太さんはソファーに斜めになって座っていた。
「雛太さん、お水、お水飲んでください」
 雛太さんはゆっくり目を開けて、身体をまっすぐにした。それからグラスを私から受け取って、中身を飲み干した。
「うっぷ、ごちそうさん。俺、もう飲めないからな」
 雛太さんがまた横になりそうだったので、慌てて身体に手を添えて、ぐったりとしている雛太さんの上着を脱がせた。どう見ても窮屈そうだったから。
「お布団持ってきますね」
「飲めないっつってんだろ」
 私は自分の布団まで戻って、上掛けを一枚雛太さんにかけてあげた。
 彼はいつもの困った顔はしていない。夜に抱き止められた子供の顔をしている。どうして私は雛太さんを困らせてばかりいるのだろう、考えてみるけれど、まったく思い当たるところがない。
 カタン、カタンカタンとお湯が鳴って、自分がお湯を沸かしていたのに気が付いたので、慌ててキッチンへ戻った。
 一人で二人分のココアを作りながら、最近増えたお出かけやお食事のことを思い起こす。
 雛太さんがくるまで食事をしようとなんて思わなかったし、自分の部屋以外の風景が必要だなんて思いもしなかった。こうして誰かが酔っ払って帰ってくるなんて、思いもしなかった。それから、二人分のココアを入れて起きるのを待つことになるとも思わなかった。
「変な人」
 お兄さんは誰よりも変人だと思うけれど、雛太さんも負けてない。
 雛太さんは布団の中でもぞもぞと動いて、小さな声で言った。
「れ、い……こさ……ん」
「れいこさん。誰のことでしょう」
 あたたかいココアで手を温めながら、一口飲んでみるとココアは甘かった。
 
 
 ――エピローグ
 
 お兄さんがお仕事へでかけている間に、頼まれていたお買い物をすませて興信所へ帰ると、雛太さんがのそりと起き上がっていた。
「おはようございます」
「……大声出すんじゃねえ、頭に響く」
 雛太さんは低い声でうなった。
 頭を痛そうに抱えている。
「くそ、昨日吐かなかったなこりゃ」
 雛太さんは一人つぶやいて、ソファーに片手をついてゆっくり立ち上がった。
「お水ですか、お水なら汲んであげます」
「……うん、頼むよ。ただし、大声をあげるな」
 彼はそう言ってまたソファーへ座った。口を閉じて水を持っていくと、一度小さく会釈をして雛太さんはグラスを受け取った。
「あれしきの量で二日酔いとは、歳かな、俺も」
 私は昨晩のことを思い出して、小さな声で訊いた。
「れいこさんって、どちら様ですか」
 ひそひそ声で聞いたので、雛太さんには聞こえなかったらしい。彼は私の口許に耳を寄せた。
「れいこさんって、どちら様ですか」
 私がそう言うと、彼はげほっと水を吐き出した。
「きゃ、雛太さん大変です」
「鼻から水が出る……」
 雛太さんは手近のティッシュを引っ掴んで、鼻をかんだ。
 

 ――end


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】

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■         ライター通信          ■
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二人分の時間 ご依頼いただきましてありがとうございました。
零ちゃんの一人称ということで、自然に書けたかどうか不安です。
お眼鏡に適えば幸いです。

 ご意見、ご感想お気軽にお寄せください。
 
 文ふやか