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<PCシナリオノベル(シングル)>


味方していない者は敵対している

 箕耶上総は体育館を見上げ、無言の気合いに拳を握って脇を締めた。
 その両手にはずしりと重量感のあるビニール袋が二つずつ……中には平たいプラスチックの弁当箱が10個ずつで計40の重みが、工事現場で鍛えた細そうにみえてしっかりとした筋肉で構成された両腕にかかっている。
 首から下げた証明書には、本日、市営体育館で開催されているスポーツ交流会のスタッフであるという身分が示されていた……その爽やかな催しの主旨から外れて、上総は何故か全身をモノクロで固めていた。
 黒ジーンズに身は白いが袖は黒いTシャツ、それにこれまた黒い帆布の肩掛けに大きな鞄を提げて、一応彼なりにそれらしく、バイト先の服務規程に倣ってみる……とはいえ所詮アルバイトである上総には規程の遵守は強いられてはいない。
 彼なりの拘りである。
 本当は革でキメたかったのだが、勤労青年に一点で5桁は軽く行ってしまう金額を服飾費にかける余裕はなく、そうでなくともブランドのサングラスを買った煽りで今月は更なる緊縮財政を強いられている。
 勧められるまま、ほとんど値段も見ずに購入を決めた(値切りはした)サングラスは、彼に贈る為の物だ。
 上総の中で日に日に存在を大きくしていく、ピュン・フーの為の品……それの入った鞄を上から押さえて上総は口元を引き結んだ。 
 ピュン・フーとの出逢いはいつも偶然で、再会がいつかも解らない。
 そんな状況でこのアルバイトの話が舞い込んだのは渡りに船としか言い様がない。
 本日のバイトの勤務場所は、なんと『IO2』の作戦現場。
 willies症候群がなりを潜めたかと思えば、今度は連続殺人事件が世間の関心事である。
 20代前後の若い世代、大なり小なりの記録を残したスポーツ選手が被害者である話題性、その身体の一部を持ち去られる猟奇性とに、怨恨か復讐か逆恨みかとマスコミがこぞって取り上げるのに警察もようやく重い腰を上げ、該当すると思しき者に警備が配される事となり…その水面下でどのような手が配されたかは常人に知る由も知る必要もないが、実際の警護にあたるは通称『IO2』、常識的に考えられない、有り得ないとされる超常現象を、一般人にとって有り得ないものとする為の超国家的組織だ。
 一連の事件に心霊テロ組織『虚無の境界』が絡むと践んだ『IO2』、その何やら大仰な組織が募集したアルバイトの勤務内容は現場雑務、採用条件は逃げ足の早い事……求人誌には決して掲載されないであろうその情報のリーク元は、何故だかビル建築現場の親方である。
 何でも先に『IO2』の人間を袋叩きにした後、上司に当たる人物が菓子折持参でそれは丁寧なお詫びと……口止めに現われたらしい。
 最も、事態に臨んだ人間は嫁入り前(?)の上総に悪い噂が立ってはいけないという配慮と、日本じゃなくても文明的な国家であれば処罰の対象となる私刑の共犯という確固たる事実に、外部にその事情を洩らしはしなかったのだが。
 それでなんとなく気が合ってしまった様子で、時々一緒に呑みに行くらしい……共通の話題が部下の心配とおかぁちゃんの尻に敷かれがちな事であるのは、当人達だけが知っていればそれでいい事である。
 同時に何やら囮の募集もあったようなのだが、そちらの必須条件である身を守れるような技能の持ち合わせがなかった為泣く泣く諦め、上総はコンクリ袋の代わりにバレーネット、モップを抱えて走り回る忙しい休日を送っていた。
 けれど、ピュン・フーに会えるか定かではない。
「運命の神様は味方してくれるやろか?」
運命論に神という概念を銜えて上総の呟き…その語呂の悪さに仏様は取捨選択に切り捨てる。
 そもそも、対象の人物がターゲットである確証もなく、都内のそこここで同じような作戦が展開されているらしいのだ。
 ピュン・フーが直接事態に関わっている可能性は高くない、と面接時に既に明確にされていた事なのだが、『虚無の境界』の関係者に接触出来れば、彼の居場所を聞く事が出来るかも知れない、そんな一縷の望みを上総はこの短期バイトにかけている。
 直接手渡し出来ればいいのだが、最悪、現われたのがピュン・フーでなかった場合は自分の携帯電話の番号を渡してなんとか連絡をつけて……と命の危険を顧みず、胸算用に忙しい上総である。
 ついでに家計に空いた穴の充てにも期待している……流石、変な組織なだけあって口止め料込みのペイは破格と言っていい。それでもしっかりと賃金交渉をして値段をつり上げるのは関西人としての礼儀で、上総は固定時給の他に労働力評価による歩合級も加算させていた。
 己の仕事っぷりに自信がなければとても出来ない交渉である。
 上総は両腕にかかる荷重をものとせず、腕を上げる動作の途中でビニール袋の重量を利用して持ち手を手首に移動させ、空いた両手でぺちぺちと頬を叩いた。
「お肌オッケー、充血もナシ、ヒゲのそり残しもあらへんな」
元々薄いのだが。
「よっしゃ、午後の仕事も頑張るでーッ!」
オー!と、何処か間違った気合いを入れ直して、上総は口ずさむ流行り歌のリズムに合わせたスキップで体育館へと向かった。


「ステラさ〜ん、メシ買うて来たでぇ〜」
「きゃ〜ん、待ってたワー♪ トッテモお腹空いてタノ〜」
体育館で行われていた試合も昼休憩に一段落、観客席で人気のないコートをつまらなさそうに揃えた足に頬杖を付いていた金髪緑眼の美女に向けてスチロール製の弁当箱を掲げて見せれば、歓喜の声が上総を迎えた。
 名をステラ・R・西尾という、黒のスーツに身を包んだ彼女も立派は『IO2』構成員だ。
「鮭弁でホンマよかったんかいなぁ?」
「ウン、サーモン大スキなノ♪ イタダキマース♪」
グラマラスな西洋の女性は、好き、という言葉を発するのに頓着なくニコニコと、その風貌には些か似合わないチープな出来合い弁当を滑らかな箸使いで幸せそうに口にする。
「上総、食べないノ?」
なんとなくそれを見詰めていた上総は、見上げた翠眼がぺちぺちと彼女の隣の椅子を叩いて勧めるのに甘えて横に座った。
「ステラ、主婦やのにお弁当とか作ったりせんの?」
何気なく振った話題に、ステラはグ、と喉にご飯を詰まらせた。
 上総が急いで差し出したお茶を飲み干し、豊満な胸をドンドンと叩いて食道の通りをよくすると、ステラはじとりと半眼で上総を見た。
「共働きノ主婦は忙しいモノなノ」
けれども、上総の職場に溢れるおば様方もパートとは言え共働きである……その彼女らが饗してくれる多彩なおかずでありがたく日々を生き繋いでいる上総にはさほどの難とも思えない、そんな思いがつい顔に出てしまったようだ。
「あんな四角い小さな箱に、ランチが詰まるハズないじゃない……リンゴがまるごと入らないなんてオカシイワ!」
チャレンジした事はあった模様で、ステラはその思い出を反芻してか手に握り込んだ割り箸をバキリと折った。
「私の得意料理はスープ系ナノニ、ゴハン一緒ニ詰めたらただのリゾットじゃないー!」
それでは米が汁気を存分に吸って、昼食時にはとんでもない事になりはしないだろうか。
「ジャムとマーガリンのサンドウィッチとリンゴで充分じゃない……あんナ、オモチャみたいなランチ作れないワ……」
食生活と文化の違いを覗かせてシクシクと椅子の背に懐くステラ……何やら傷に触れてしまった模様だ。
「ステラ、カンニン。ホラこれでも食べて元気出してぇや」
胡麻の散らされた白米の上に、上総の弁当から唐揚げを乗せればステラはそれをはむと食べる。
「チキンもオイシいワ。上総、アリガト♪」
食べ物であっさりと機嫌を直してくれたステラの、女性として大人な部分に冷や汗を拭わせて貰って上総は視線を前方に移して……慌ててポケットを探った。
「あ、コレ持っといてんか」
ステラに唐揚げ弁当を押しつけて、上総は七番目の銀色の巨大ヒーローの如く、ジュワッ!とかけ声と共にポケットから取り出したそれを目元に装着する。
「やほーピュン♪」
そして大きく手を振って、観客席の前を横切って黒い……革のロングコートの重量感を変わらずに身に纏う、青年に声をかけた。
 そのとっても元気なご挨拶に、呼び掛けられた青年は晒したままの赤い瞳を上総に向けた……嘗ては『IO2』に所属し、今は『虚無の境界』に与するという微妙な経歴の持ち主、ピュン・フーは口を開きかけて暫しの沈黙の後、ぷいと横を向く。
「そんなチョウチョのマスクしてるよーな知り合いは居ません」
顔の上半分に黒い蝶を羽ばたかせたお約束のボケに、しかとツッコミが入って上総は嬉しく叫ぶ。
「アァッ、しもた間違うた! コレちゃうやん〜ッ♪」
いそいそとマスクを外し、もう一方のポケットから取り出したサングラスにかけ直す。
「これでどないや、ピュン・フーッ!」
そう顔を上げれば笑みが輝かんばかりだ。
「……上総、今……」
弾ける笑顔にピュン・フーはいつもの言を吐こうとしたらしいが、口元を押さえて上総から顔を背けた。
「うん、いいや。なんか聞かなくてもすげぇよく解った気がすっから」
「えぇ〜、なんやねんピュン気になるやん。気色悪いやん。吐いたら楽になるで?」
とにかくネタを披露出来て気が済んだのか、上総はピュン・フーへ歩み寄った。
「似おとる?」
ちょいとサングラスの縁を上げて問えば苦笑が返る。
「てか、俺のじゃん」
その言い分の通り、その真円の色濃いサングラスは元々、ピュン・フーの所有である……サングラスと唇とを奪って逃げた現行犯はけれど悪びれず、鞄の中を漁って長方形の箱を取り出した。
「けど会えて良かったわー。実は今朝の夢にピュンが出て来たねんな、なんやえぇコトあるよな気がしとったけど、正夢やったなんてほんまラッキーやわぁ。あ、コレん代わりに新しいの買うたん。貰てくれる? つうかコレは返さんしな!」
立て板に水式に滔々と告げ、ラッピングされた箱をトンとピュン・フーの胸に押しつける。
 受け取ってピュン・フーは、シールで固定されたメッセージカードを開いて何気なく読み上げた。
「……『愛しの君へ』?」
「照れるやん、読み上げんとってーな! そや聞こう思っとったんや。ピュンの名前って漢字でどう書くん? 気になって眠れんかってん」
今朝夢に見たとか言わなかったか。
 しかしピュン・フーは律儀に答えてやる。
「適当に変化した呼び名だから、特に漢字を充てたりしてねーけど。大元になったのはコレ」
と、ピュン・フーは箱を小脇に抱えて上総の手を取った。
 その掌にするりと細い指が文字を書く……『蝙蝠』。
「……ゴメン、もっかい書いて?」
しかしその画数の多さに理解が追い付かず、申し訳なさげな上総の背に、遠慮がちな声がかかった。
「ゴメンなさい、そろそろいいかしラ?」
すっかり存在を忘れられていたステラが、何処かほのぼのとした交流を見守っていた……状況から見て、犯人と断定して然るべき敵対組織の人間を前にしているにしては随分と悠長である。
「お久しぶりネ、ピュン・フー。私も仲間に入れテネ?」
上総と自分の食事を脇に避けたステラが、にこりと笑ってピュン・フー、上総の順に見遣る……その手には彼女のほっそりとした手に似つかわしくない銃が握られていた。
「ピュン・フー、動かないでネ? 動いたら……上総がケガするワヨ?」
緑の視線に添う銃口は、何故か上総に向けられていた。
「なんや違うーッ!」
「違うだろがーッ!」
異句同意に叫んだ男二人の異論にステラはしゅんとなる。
「一度やってみたかったダケなのにィ」
手で銃をこねくり回していじけるステラに、只のネタかと上総はほっと胸を撫で下ろす。
「じゃ、捕まってくれなきャ、ステラ泣いチャウ」
今度は泣き落とし作戦か、軽く握った両拳を口元にあて上目使いに瞬きを繰り返すステラに、ピュン・フーは軽く笑った。
「そういうお強請りは西尾のおっさんにしろよステラ」
親しげにファーストネームで呼び捨てるピュン・フーに、上総は両者を交互に見た。
「だってダーリンてば、アナタを生きて捕まえるのは諦めなさいって言うんだモン……だから、ネ?」
強請る口調でステラはすいと再び銃口を上げた。
「ココで諦めればケガで済むから、ネェ、戻ってらっしゃい?」
ステラの混じりけのない本気を感じ取って、上総は咄嗟、ピュン・フーの前、盾になる位置に飛び出した。


 一瞬、冷たい霧に包み込まれて視界が白く染まった。
 それが晴れた次の瞬間、銃口を向けるステラの姿も、も観客席で各々食事に勤しんでいた人々の姿も消え失せていた。
 人の、命の気配が全くない。
 寸前までのそれとの違和感にたじろぐように歩を下げれば、背中が何かに当たって止まる。
「あ〜ぁ、上総ついてきちまいやんの」
「ピュン……ッ」
かけられた声への安堵に笑みで振り返れば、鎖骨の位置に筋を作る血の赤が眼を奪う。
「流石ステラ。いい腕してんなぁ」
撃ち抜かれたのは左の肩から首の付け根、頸動脈の位置を押さえる掌の間からも、血はだくだくと流れて色味の薄い肌を染める。
「そんなコト言うとる間やないやろッ?! 東京都庁ッ! イヤ救急車ッ!」
慌てて携帯を引っ張り出す上総だが、圏外の表示に携帯を放り投げる。
「役に立たへんやんかアホーっ!」
慌てふためく上総に喉の奥で笑い、ピュン・フーは痛みを感じさせない動作で傷ついた側の腕を上げた。
「心配すんなって。どうせ直ぐ塞がるよ」
あっけらかんとしたその口調のまま、ピュン・フーは上総に問う。
「で、そっちについたってこた、やっぱり俺に殺されてェの?」
その立ち位置を『IO2』に纏められたのが心外とばかりに、上総は口を尖らせた。
「変な組織に加担するつもりあらへんし。ピュン・フーに会うチャンスをゲット! しただけやも〜ん♪」
鳴らない口笛をピープーと嘯く上総の目的がはっきりとした動機にピュン・フーは笑いの息に謝罪を乗せた。
「そりゃ失礼……で、時給いいだろ彼処?」
「そりゃもう!」
振られた話題にうっかり乗ってしまった事に気付いて、上総は渋面になった。
「ピュン、俺で遊んどるやろ」
「ピュン・フーだっての」
律儀に訂正してピュン・フーは手すりに凭れる。
「あんまりここでサボってたら給料貰えねぇぞ上総。戻してやるから早く行きな」
その言葉を、上総は即座に否定した。
「イヤや」
対するピュン・フーは、その言にきょとんと目を見張る。
「ピュン・フーも一緒やないとヤや……俺と一緒に来れんのやったら……なぁ、俺の事連れてって?」
上総は言ってピュン・フーの革コートの襟を両手でしっかと握り締めた。
「傍に居たい……一緒に居たいんや。言うたやろ? 俺はピュン・フーが好きなんやって」
一般的な日本人のそれよりも薄い為、光に金めく瞳で真摯に見上げる。
 上総の告白を紅の瞳が受け止めて、僅か、目元が笑った。
「上総が俺と一緒に来るってのは、こういう事だぜ?」
言葉を区切りに眼差しが感情を欠いた。
 その冷徹な眼差しは一瞬にして上総の意を死の恐怖で呑み込み、行動を奪う……捕食者の目だ。
 腰から抱き寄せられ、肩口に埋められた顔に首筋を晒す形で押されてその意を悟る。
 体温の差に首筋に触れる唇の感触が妙に生々しい。
「ピュン……ッ」
制止とも懇願ともつかぬ思いに名が口を衝くが、舌が震えてそれ以上の言葉を紡げない。
 舌が肌をなぞって唇が唾液に湿る其処を甘く噛む。途端、痛みが弾けた。
 肌に深く、突き立てられた二本の牙の存在を明確に、其処から急激に流れ出す血……否、上総の生命、それ自体が失われて行く感覚に本能が警鐘を鳴らす。
 しかし同時に諦観がそれ以上の動きを、抵抗を封じて命が自らの脈動に合わせて流れ出すにまかせたまま、上総の意識は霞みがかって行く。
 ピュン・フーのコートの革を掴む手が、力を失って落ちた。
 そして不意に訪れた浮遊感に、走馬燈を見るというのは嘘やったんやと奇妙に現実に遠い感覚で、思ってもみなかった己の最期を享受しようとして上総はその体が床に横たえられた事に気付いた。
「ピ、ピュン……床袋の雑誌……処分しといて……」
霞む視界に黒く影として捉える人影にそう頼む。
「心配しなくても只の貧血だよ」
感動的では決してない、今際の上総の言葉に苦笑混じりな声が返って上総の髪を撫でる感覚。
「上総、可愛がってくれるおっちゃんとおばちゃんと着るモン食うモンも住むトコ全部、捨てて俺と来ても幸せじゃねーだろ?」
上総の想いをそうと捉えるピュン・フーの言葉に、上総は泣きそうになる。
「じゃぁな上総」
髪に触れる指が離れた。
 明滅する意識が眠りの闇に引かれる……せめてもう一度、再会の約束が欲しいという願いは言葉にならず、また彼が何かを言っているのかも最後まで聞き取る事が出来ずに、上総は意識を手放した。