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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


伝説の男


 ――プロローグ

 草間・武彦は海岸を犬の死体をずるずると引きずっている少年に会っていた。
 その少年は夕日に照らされて頬が光っていた。涙が流れているのだ。草間は少年に声をかけたが、彼は振り向かず前を向いて去って行った。
 ……男は黙っていくもんかもしれないな。
 草間は少年の背中にそんなことを思った……りしてみた。
 そうなのだ、男は背中で語らなくてはならない。と、ハードボイルド小説を立ち読みしてきた草間・武彦は思うわけである。
 煙草を買う金を握り締めて、ついレジに並びそうになったが、煙草一箱分の銭ではとても買えないことに気付き戻してきたところだ。哀愁漂う男の背中……ではあっただろう。本を諦める草間の背中は。
 ふんふふん。しかし草間はそのシーンだけで満足だった。ハードボイルドの真髄を極めたような気さえしていた。
 そして興信所のドアを開けた。
「ただいま」
「ただいまか、懐かしい響きだな」
 草間はゆっくり顔を上げる。そこには、ずいぶんと見ていなかった兄の姿があった。兄の声は低く、そして何かを含んでいるようだ。
「あ、兄貴っ」
 年子なので背格好も髪型も眼鏡もほとんど変わらない。
「よお、武富士元気にしてたか」
 兄はそう言った。
 キッチンからお茶を持って出てきた零が驚いた声をあげる。
「やっぱりお兄さんのお兄さんでしたか」
「俺はディテクターだ、そう呼んでくれ」
「はい。ディテクターさんですね」
「兄貴、俺の名前はタケヒコだ」
 ディテクターはからからと笑った。
「わかってるぜ、武富士」
「……だぁかぁらぁ!」
 草間がいきり立つ。
「俺は兄貴のなんでも屋じゃない。ご都合主義で頼られても困るんだよ、うちだって苦しいんだ」
「何を言ってるんだ。男なら望まれたそのときにそうなれ」
「意味わかんないしっ」
 零が二人の間に入る。そしてソファーを指差した。
「お兄さんお客さんです」
「あ、すいません、奥さんですね。今回のご用件は……不倫調査とのことでしたが。――そういうわけだから、兄貴帰ってくれ」
「まだ金をもらっていないじゃないか。それに、俺達は八人っきりの兄弟だろう、水臭いことを言うな」
「いません、俺達に八人も兄弟はいません」
 ディテクターは依頼人に対して渋い横顔で言った。
「ははは、こいつちょっと妄想癖があるんだ」
「それはあんただよ!」
 
 
 ――エピソード
 
 ディテクターとシュライン・エマは初対面ではない。
 一度……そう一度、ディテクターとシュラインは会っている。草間興信所の前で、そのときディテクターは頭から血を流していた。そしてシュラインを見て興信所を見上げ、少しだけ苦笑をしたように見えた。
「あんた、ここの人か」
 ディテクターは草間・武彦のものとそっくりな声でそう言った。
 声色はそっくりなのに、トーンがまるで違ったのを覚えている。真っ直ぐにこちらを見ているのに、どうしてだか見つめ合っている感じもしなかった。ディテクターはゆっくり道路に視線を落とした。シュラインもつられて目を落とすと、彼の足元には血のついた仔犬がまとわりついていた。
 シュラインは驚いて声をあげた。
 ディテクターは少しだけ笑って言った。
「大丈夫だ、こいつには俺の血がついちまっただけさ」
 彼はそう言って頭の傷に手を伸ばした。着ているトレンチコートもあちこち血で汚れている。
 大丈夫ですか、と言った。
 それから、中に入って治療をしていってください、病院にも連絡しますと伝えた。
 しかしディテクターは今度は困った顔をした。足元の仔犬を少し乱暴に蹴って、胸ポケットから煙草を取り出した。一本取りながら、シュラインを横目にする。
「悪いが俺は動物が嫌いなんだ。こいつ、預かってくれないか」
 かまいませんが、あなた怪我をしているじゃないですか。シュラインは言った。
 ディテクターは肩をすくめてみせた。他にもう言うことはないのか、彼はそのままきびすを返した。
「武彦さんには会っていかないんですか」
 ディテクターは答えずに歩き出し、そして少しだけ振り返った。
 シュラインとディテクターの目が合う。そして彼は、ふっと笑った。サングラスの奥の瞳をほんの少しだけ細めて、手を振ることもせず彼は再び歩き出した。その姿はいつのまにか雑踏に紛れてしまった。
 とどのつまりディテクターという男は、草間・武彦がハードボイルドに憧れるきっかけになったような男らしいということである。
 の……筈なのだが……。
 そのディテクターはどうやら草間に金を借りに来た様子だ。
「京子さん、お江戸でござるを録り忘れないようにしてくれ」
 ディテクターはシュラインを真面目に振り返ってそう言った。
「えーと……お兄さん、私は」
「俺はディテクターと呼んでくれ」
 きりりと締めた口許で、ディテクターはシュラインへそう言った。シュラインは髪を撫でて、腕組をしたままディテクターを呆れた顔で見ていた。
 隣に立っていた雪森・雛太が小さな声でつぶやく。
「弟が弟なら兄は兄か……」
 それではさすがの草間もかわいそうだ。
「それと京子さん、半熟タマゴが食べたいんだが、まだかな」
 ディテクターが言う。雛太とシュラインは目を合わせて、草間・武彦にそっくりなディテクターをまじまじと見つめた。
「今」
「半熟タマゴとおっしゃいました?」
 意味ありげな沈黙が流れ、ディテクターは表情を崩さずシュラインを見ていた。外でカラスがカーカー鳴いている。流しっぱなしのテレビからはマツケンサンバが流れている。だが誰もつられてステップを踏むことはない。
「おっちゃん」
 雛太は哀れな眼差しで草間を見た。草間は、口をすぼめてなんとも言えない表情だ。
「お兄さん、いえ、ディテクターさんは半熟タマゴを好まれるのね」
「昔からうちは半熟と決めてある。なあ、武富士」
 ディテクターが草間を振り返る。草間は机の前に立ち尽くしたまま、両手を広げて、いっそマツケンサンバを踊りださんばかりの状態だ。
「じ、実は……聞いてくれ。あ、兄貴も、みんなも……、実は俺達兄弟が生き別れになった事件のせいで、俺は半熟タマゴを食べられなく……」
 草間が至極真剣な顔で語り出したにも関わらず、残念ながら誰一人聞いていなかった。
 雛太は零を連れて依頼人奥・智寿子の前に草間を無視して座っていたし、依頼人の前のソファーへ歩いていこうとするディテクターをシュラインは止めていた。
「俺達が共産主義独裁政権の中国から亡命を試みたあの日。兄貴覚えているだろう。俺達の船は難破して、なんと兄貴はバチカン市国に俺は埼玉に流れ着いた……」
 うわ言のように言葉を発する草間に、シュラインが気の毒そうに突っ込んだ。
「どちらにも海はないわよ」
 だが、草間の途方もない言い訳がどうやって半熟タマゴに絡んでくるのか気になるところではある。
「なんでもいいから、武彦さんも奥さんのお話を聞いてください」
 ディテクターを部屋の隅へ追いやりながら、シュラインは言った。草間はもごもごと口を動かしていたが、やがて諦めて雛太の隣に座った。


 奥・智寿子は平凡な話しをした。
 夫奥・正人の帰りがだんだん遅くなり、そして今は失踪してしまっていること。失踪前は、どこかそわそわしていて、いつも落ち着かず、夫婦仲は冷めていたこと。
 草間はいつものようにもっともらしい顔をして事情を聞いていた。たまに、雛太がいらんことを突っ込みそうになる度に、彼の足をぎゅうぎゅう踏みつけながらだ。
「では……不倫調査というよりは、人探しでよろしいですか」
 草間は聞いた。雛太がぼそりとつぶやく。
「探さねえ方がお互い幸せだったりして」
 雛太が舌を出した。草間がきっと睨みつける。その隣の零が不思議そうに言った。
「ちょっと道に迷ってらっしゃるだけかもしれませんよ。ほら、お魚くわえたドラ猫を追いかけていたり」
 智寿子はその言葉を聞いて、じっと身を竦めた。驚いて草間と雛太が智寿子を見ると、彼女はハンドバックからハンカチを出して、目頭を拭いチーンと鼻をかんだ。
「……あの人は、こう言いました」
「はあ……」
「俺はジャパニーズじゃない、お前の焼き魚だってジャパニーズじゃないんだ!」
「はい?」
 意味がわからないすぎて、きょとんとしてしまった。
 雛太がその台詞を繰り返す。
「まず旦那さんは日本人じゃなくて、焼き魚の鮭かなんかはノルウェー産とかそういうオチか」
「いいえ! 北海道産の紅鮭です」
 智寿子が凄い剣幕で否定したので、雛太はコクリコクリとうなずいて自分の案を取り下げた。
 ところで正人は日本人じゃないんでしょうか、という疑問は残しつつ。
 草間はその辺の意味の分からないところはうまく割愛して、深くうなずいた。
「人探しのご依頼ですね、わかりました」
 怪奇でなければなんでもよいのだ。草間という男は。
 
 
 シュラインがドアの前でディテクターの話を聞いて、依頼人の元へ行こうとするのを足止めしていると、勢いよくドアが開いた。そしてそこには、ブレザーを着た高校生が立っている。シュラインは呆気に取られたまま、訊ねた。
「どちら、さまですか」
「ここ、草間興信所ですよね!」
「ええ、そうよ」
 彼はぺこりと頭を下げて、にっこりと笑った。
「おれ葉室・穂積って言います。そこんところで、ここの所長さんの名刺入れを拾ったんです」
 穂積は短髪の活発そうな顔をした少年だった。彼はディテクターに向かって名刺入れを差し出し、羨望の眼差しでディテクターを見上げた。
「おれ探偵に憧れてるんです」
 シュラインは穂積を制そうとして片手をあげた。しかし、その前にディテクターが発言していた。
「探偵になんか憧れるもんじゃない」
 穂積から顔を背けるようにして、ディテクターはサングラスをあげた。
「ろくな男はいないからな」
 シュラインとディテクターは今までおやつのアンパンとお夕飯の話をしていたので(因みに、ディテクターが飯はまだかと舌の根が乾かぬうちに聞くのだ。それを回避するとアンパンの話題になるという次第である)ディテクターの、哀愁漂うモードについていけず、訝しげに顔を歪めていた。
 穂積はそんなことは露とも知らず、両手を握り締めている。
「くうううっ、かぁっこいいなあ!」
 いや、たしかにそうしているディテクターは草間・武彦に比べれば遥かに格好がついているのだが、そういう問題なのだろうか。
 シュラインが考えあぐねていると、ディテクターは言った。
「京子さん、おやつのアンパンだが本当に一個食べてしまってもいいかな」
 なぜだかシュラインに話しかけるときは、ディテクターはよぼよぼしているように見える。
 ボケ方から言っても、ボケ老人を髣髴とさせる。
 ボケ老人……とハードボイルド? 意味がわからない。シュラインは頭を抱えたまま、草間を振り返った。草間は依頼人を立たせていて依頼は終わったようである。
「あのお……」
 開いているドアから声がした。顔をあげると、そこには『日比野・まさみ』と書かれたタスキをかけた男が立っていた。見るからに、政治家だろう。そういえば総選挙も近い。彼は鷹揚そうに顔を笑わせて、ぺこりと頭を下げた。
「自民党の日比野・真己です」
 彼はそう言って中へ入ってきた。
 穂積が日比野を見て興奮している。
「うわー! すごい、本物の政治家さんだあ」
 日比野は高校生の穂積をちらりと見てから、軽く微笑んですぐにシュラインに手を差し出した。シュラインもぎこちなく笑って手を握る。それから日比野はディテクターに手を差し出した。
「クリントンさん、がんばってくれ」
「大統領選には出ません」
 ディテクターと日比野はそんなやり取りをした。日比野はずんずん中へ進んで行って、草間と智寿子に手を差し出した。雛太は横目で見ただけで手は差し出さなかった。穂積への対応を見ても、どうやら選挙権のない人間には興味がないらしい。
「それでは、一票をよろしくおねがいします」
 日比野は全員に爽やかな声でそう言って、興信所を出て行った。
「……つーか、俺今めっちゃバカにされませんでした?」
 雛太が立ち上がったまま、両手を握り締めてつぶやいた。
 穂積はディテクターを見上げて言った。
「ねえ、探偵の話を聞かせてください。お願いします」
 ソファーの前に立っていた草間も気付いた様子で、怪訝そうな顔をしながら寄ってきた。
「探偵は俺だ。兄貴はただのフーテン……」
 しかし穂積には届いていない。雛太が零に言う。
「おっちゃんはこういう運命なんだよ」
「はあ……? 探偵ではないお兄さんは一体なんなんでしょう」
 そんな二人はさておき、ディテクターは穂積をまっすぐ見据えて語り出した。
「俺が物心をついたとき既に、俺達の両親はいなかった。大したことじゃない。組織の抗争に巻き込まれたんだ。俺達は彼等から逃れる為に武富士の手を引いて街を出た。俺は平気だったさ、親父とお袋が俺達を守ろうとしたのを知っていたからな。だが、武富士は違う。なにもわからない弟を連れて、街を彷徨うのは辛かったよ。こいつにはまだ両親のぬくもりが必要だったんだ。知っていた、しかし現実は無情にも俺達に襲い掛かった」
 おおおっと穂積が目に涙を溜めている。
 雛太も驚いたように草間とディテクターを見比べていた。シュラインは考え込むように宙を睨んでいる。
「兄貴」
「なあ、武富士。あのときお前は、よく泣いたっけ」
「俺達年子じゃないか」
「お袋の残したオルゴールが壊れたとき、あのときは……」
 ふっとディテクターが窓の外を見る。
 室内では智寿子がまた泣いていた。どうやら飲み込まれやすい性質らしい。なんと雛太も、気の毒そうにディテクターと草間の背中を見ている。
 そこへ、ぴぴぴぴと電子音が鳴った。ディテクターは迷わずコートのポケットから携帯電話を取り出し、普通の声で出た。
「もしもし」
 そして、やけに明るい声に変わった。
「あ、母さん? どうしたんだよ、電話なんか。元気元気、そっちこそ寒いけど風邪なんかひいてない? 俺は元気でやってるよ。こないだ米十キロありがとう。ホント助かったよ。せっかくだからさカレー作って。あははは、そりゃーお米きたらカレーだろ。いやいや昔とは違う大人なカレーを作ったって、バーモントじゃなくてねじっくりことこと煮込んだカレー使ってさ。父さんにかわる? いいよ、こないだもメールもらったし。そうそう、今武富士のところにいるんだけど。え? 誰かって? ひでぇなあ、武富士だよ。代わろうか? いい? そうわかった。じゃあ正月には帰るから。オセチそんなに気張るなよ」
 ピッ。
 ディテクターは素知らぬ顔で携帯電話をポケットにしまい、真面目な顔で全員を見渡した。
「網走に入った親父は冤罪だったんんだ。もちろん、お袋だってそれを信じて……」
 てりゃぁと雛太がとび蹴りを繰り出す。突然のことだったので、ディテクターはもろに腰に食らって倒れかけた。が、ハードボイルドの名にかけてか踏み止まった。
 草間が兄を指差しながら言う。
「つか母さん俺に米送ってくれたことなんかないじゃん!」
「そもそも覚えてもらってるのか怪しかったわね、あの電話の内容じゃ」
 雛太はパンパンと手を叩きながらディテクターを睨んでいる。
「ううう、なんて哀しいお話なんでしょう。お父様が冤罪だなんて」
 智寿子は流れる涙をハンカチで拭うのに忙しい。しらけた顔で草間もシュラインも雛太も智寿子をじっとりと眺めていた。その反対側で、穂積が言う。
「荒野の荒くれ者相手に、一人きりで立ち向かうなんて」
「いや誰もそんなこと言ってねえよ」
 雛太が冷静に突っ込んだ。
 そしてなんと一番まとめて欲しくないディテクターが、呆れるような顔で言った。
「ともかく奥さんの、いや、奥さんの奥さんの家に行かなくては事件は解決せんな。武富士、これが俺達兄弟のはじめての共同作業になる。感慨深いじゃないか。お前のおしめを変えた日々が懐かしいぜ」
「だから俺達年子だから」
 ディテクターは草間の言うことなど聞いてもおらず、シュラインを見つめてこの間もらったもみじ饅頭の話題を振っていた。


 奥・智寿子の家は白い壁で赤い屋根の冗談のような家だった。子供もいないのに庭には小さなブランコがある。
「ご立派なお宅ですなあ」
 呆れ半分に草間は言った。
 雛太もシュラインも同じように家を見上げていた。穂積だけ、また目をきらきらさせている。
「うわー!『あなた』に出てくるみたいな家だね。レンガの暖炉もあるのかなあ」
 しかしディテクターは違っていた。
「……これは……まさか……」
 ディテクターが鋭い声をあげたので、草間がそちらを見ると、ディテクターは猫避けのペットボトルを睨んで驚愕していた。兄の途方もなく意味の分からない頭の中を想像してみようかとも思ったが、あまりにバカバカしいので草間はやめた。
 智寿子が玄関を開ける。
「どうぞ、探偵さん」
 なぜか智寿子はディテクターへその言葉を向けている。草間はワナワナしながら、口を開こうとした。
 隣のシュラインが忠告する。
「無駄よ」
 追い討ちをかけるように穂積が言った。
「いいなあ、武富士さん、あんなお兄さんがいて」
 にこにこと屈託のない顔で笑った穂積の胸倉を掴んで、草間は眉間に深いしわを刻みながら言った。
「タケヒコだ!」
「ともかくこんな寒空の下はどうだ、さっさと家ん中入ろうぜ」
 雛太ははあと白い息をついた。智寿子がさささっと中へ促す。全員ゾロゾロと大きな智寿子の家に入った。広い玄関を抜けてリビングへ入り、智寿子はお茶とお菓子の用意をしにキッチンへ入って行った。
「私気になってることがあるの」
 シュラインが深緑色のソファーに手をついたまま、正面に座っている草間に訊いた。
「ディテクターさんって、本当の名前は……」
 ドウン! 突然銃声がして、口を開こうとした草間の頬から血が流れた。リビングの入り口に立った影を背負った男が、ごつい拳銃を構えていた。
「な……なま、え?」
「かぁっこいいっ!」
 シュラインが唖然とつぶやく横で、穂積がくううと両手を握り締めている。
「いや、冷静に考えろ。あれのどこがかっこいいんだ」
 雛太が勘違いしている穂積の肩を叩いた。
「だって拳銃だよ! かっこいいじゃん」
 細かいことを教えてやろうと雛太が穂積に向き直ると、大声がした。
「雛っち! 京子さん」
「……つか、なんで俺があの野郎に雛っち呼ばれにゃならんのだ」
 しかし、ともかくディテクターの大声がしたのだ。呼ばれたシュラインは仕方なく腰をあげて、放心している草間をつついた。キッチンから智寿子がお茶を運んでくる。
「えーと、探偵が何か見つけたようですので……」
「はい?」
 要領を得ない智寿子を連れて、全員でディテクターを探すと、ディテクターは二階へあがった三部屋の中の一部屋にいた。そこはどうやら正人の書斎らしかった。まるでワイドショーでよく取り上げられている、片付けられない人間の家のごとく散らかっている書斎の真ん中に、ディテクターが立っていた。
「こ、こんなに散らかっていませんでした」
 智寿子が引きつりながら言う。
 ディテクターは少し遠い目をした。
「えーと、さっき侵入者が散らかして」
「えーとじゃねえだろうが。お前が散らかしたんだろうが!」
 雛太がいよいよ我慢ならなくなったのか、拳銃の発砲を恐れて草間を盾にしながら言う。
「そんなことはどうでもいい。見ろ、武富士。これはCIAの暗号だ」
「……兄貴。あんたの妄想に付き合ってる暇はないんだよ」
「バカを言うな。いいか、俺は今から重大なことを言う」
 ディテクターは智寿子へ近付いて行き、そして膝を折った。全員きょとんとしてディテクターの奇行を見守っている。そしてディテクターは言った。
「奥さん。いや、奥さんの奥さん。あなたはU国の皇女なんです」
 雛太がおいおいとディテクターの肩を叩くと、ディテクターはいつも以上に鋭い眼差しで雛太を睨み返し、そして言った。
「雛っち、頭が高い。このお方は、U国女王になられる方だ」
 雛太は恫喝にびびって草間の後ろに隠れている。シュラインがトントンと頭を叩きながら、冷静に言った。
「どうして、皇女さまがこんなところに?」
「どうやらCIAが匿っていたらしい。そして、奥さん……いや奥さんの旦那さんは、CIA保有の生物兵器のサンプルを持って逃走をしたんだ。もしこれが露見すればアメリカの沽券に関わる。旦那さんはだから帰ってこられない、そして……奥さんの奥さん、あなたも大変な危機に陥っていいるのだ」
 草間が途方に暮れて言った。
「んな、アホな……」
「俺はな武富士。この皇女をU国に無事に届ける任務を受けたんだ。今U国は王位継承問題で揉めている……その上、生物兵器問題でCIAもこの奥さんの奥さんを疑っているのだ。U国を牛耳ろうと企む人間、そしてCIAかれ奥さんの奥さんを守り、無事U国へ送り届けるのが俺の仕事なんだよ」
 嘘八百もここまでくると凄まじい。ためしにCIAの暗号とやらの手紙を読んでみると、なんと十五も違う女の子との文通の記録であった。正人の誘いは尽くスルーされており、なんとも涙ぐましい。
 一人、穂積だけが感動している。
「そんなことが現実にあるなんて!」
 ないない。
 と、思ったらもう一人感動している人物がいた。
「私が皇女だったなんて!」
 だから、ないないったら。
 智寿子である。智寿子は一見すると、四十近いおばさんだが身ぎれいにしている女性だ。四十近い状態で皇女とか言われて信じる方がどうかしていると思う。
 シュラインと雛太はいい加減嫌になって、ふらふらと窓に近付いた。
「窓に近付くな! 狙撃されるぞ」
 そこを鋭く一喝される。シュラインと雛太は力なく目を合わせた。
 もうディテクターは止まらない。
「ここにいたら危ない。逃げましょう」
 ディテクターは皇女……らしいおばさん智寿子を連れて、状態を低くしそっと家を出た。まさか依頼人と頭のおかしい人を二人揃って見送るわけにもいかず、草間達もその後を追う。ディテクターは玄関を半分開け、中から数発発砲した。
 外では誰かが演説をしている声がする。
「あら……、また日比野さんだわ」
 ディテクターは素早く智寿子の手を引いて行く。どこへ向かって発砲したのだろうなどと考えながら、四人はディテクターを追った。するとディテクターはすごい勢いで日比野真己が演説しているワゴンに突っ込んで行った。
「……お、おいおい」
 そして日比野の演説など気にもせず、勝手にワゴンを動かして草間達の前に車を停めた。
「乗れ武富士。行くぞ」
 行きたくないです。
 しかし、そういうわけにもいかない。全員は日比野を見上げつつ、仕方なく後部座席に乗り込んだ。
 ワゴンはもの凄いスピードで走り出した。
 
 
 日比野は考えていた。
 この状態のまま、演説を続けた方がいいのか。悪いのか。
 ワゴンジャックをされたなんて、ある意味話題沸騰ではある。これで、落ちるのか受かるのかが問題だ。職を失うのはごめんだったので、なんとかして受からなくてはならない。ワゴンの手すりに捕まりながら、どちらかというと選挙で落ちるというよりワゴンから落ちる方の確率の方が高そうだだと考えた。
 いやいや、それもごめんこうむりたい。
 しかし日比野の意図に反して、ワゴンはここは高速道路かというスピードで走っている。スピード違反の切符を切られるのは運転手だろうが、乗っている自分の心証も悪くなるだろうかと考える。それは困る。


「日比野さん大丈夫かしらね……」
 見えもしない上を見上げながらシュラインは言った。このスピードでは大丈夫どころではないだろう。
「俺達が大丈夫かよ」
 雛太が疲れ切った顔で答える。しかし隣の穂積はわくわくが止まらないようだ。
「すごい。俺、感動して夜眠れないかも」
「疲れてよく眠れると思うぜ……」
 ハンドルを握っているディテクターがバックミラーで後ろを見やった。そして、大きな舌打ちをした。それから草間を睨む。
「アイフル」
「金融機関名で呼ぶのやめてくれよ」
「もし、俺が帰らなかったら、この人を頼む」
 ディテクターはそう言った。
 後ろからはファンファンというサイレンが追いかけてきている。おそらく警察だろう。色々な意味で警察だって追いかけたくなる。
「そんな、兄さん……」
 草間もどうやら兄ディテクターの壊れた世界に取り込まれたようだ。
 そしてディテクターはおもむろに車を停め、一人外へ出て行った。草間が大きく振り返る。パトカーが何台も停まっている。このあと、どうなるのか……。
 と、思ったらくるっと振り返ってディテクターは逃げ出してきた。助手席のドアを開けて智寿子を引きずり出し、草間ではなくシュラインへ向けて言う。
「さあ、京子さんも!」
 草間にはまるで興味がない様子だった。そしてシュラインを強引に連れ出して逃亡劇がはじまる。
「あ、姉御!」
「エマ!」
「探偵さん!」
 残された男三人の反応は様々である。シュラインはさらわれるようにして去って行った。
 そういえば、ワゴンの上にも一人残された男がいたが。
 
 
 パトカーからなんとか逃げ出した三人は、ディテクターを探していた。後姿を見失った筈はないのだが、忽然と姿を消してしまったのだ。京子さん……もといシュラインの姿もない。この際シュラインさえ連れて行かれていなければ完全無視を決め込むところだというのに、まったくなんということだろう。
「あの、クソ兄貴ぃ」
「おっちゃん、兄弟の勘とかでわかんねえのかよ!」
 雛太が肩で息をしながら無茶なことを言う。草間は口を尖らせる。
「アホか。んなことできたら世界びっくり人間大賞出とるわ」
 とにかく三人にこれからの道しるべはないのだ。
「あ、あんなところに!」
 穂積が遠くを指差している。二人は顔を見合わせてから、ゆっくりと指の先を追った。
 そこには……、暴れ馬が、いた。
 上にディテクターと智寿子とシュラインが乗っていると確認した途端、まず駆け出した草間が見事に蹴り上げられ、逃げ出した雛太は踏まれ、そして穂積は後ろ足で蹴飛ばされた。
「ハイヨー、シルバー!」
 残念馬は茶色だった。
 ディテクターは馬に女性を二人乗せ、暴れ馬を乗りこなして(こなせるのならなぜ三人が被害に遭ったのか甚だ疑問である)颯爽と去って行った。


 ――エピローグ
 
 草間の身体のあちこちに湿布やバンソウコウを貼り終え、シュラインは雛太の手当てに移った。雛太も打ち身がひどい。
「……それにしても、お兄さんどうしてお金に困ってるの?」
 雛太が「いてて」と声をあげるのを聞きながら、シュラインは草間に訊いた。
 草間は眼鏡をかけ、半裸のまま煙草に火をつける。
「貯金箱だとかに弱いんだ」
 穂積は存外平気な顔でテレビを見ながら、先ほど買ってきた今川焼きを食べている。
「貯金箱に弱い?」
 シュラインは雛太の傷をポンと叩いて言った。
「貯金しちゃうの? お金あるんじゃない」
「いや、そうじゃない。昔から、そういうものに弱いんだ」
「なんじゃそら」
 雛太も半裸のまま、テーブルに置いてある今川焼きに手を伸ばす。
「募金箱を見るとな。財布の中身を全部、入れちまうんだ」
「……世界平和の為に?」
「いや、反射的に」
 軽い沈黙が訪れる。テレビはワイドショーを映していた。ワイドショーは外国を映している。そして、そこには奥・智寿子が映っていた。
「ねえ、奥さんだよ! うわー!」
 全員テレビに注目する。しかし、すぐに場面は切り替わった。そこには日比野・真己が映っていた。うそ臭い笑顔で、だるまに目を入れている。そして、万歳三唱をする。
「奥さんって、どこの」
 雛太が今川焼きをもぐもぐ口に入れながら言った。
「え? だから、あの奥さんだって」
 シュラインは手を洗いにキッチンへ立って、ソファーに座ってから今川焼きに手を伸ばした。
「日比野さん、当選したのね。なんだか、肩の荷が下りたわ」
 草間が立ってきて、今川焼きに手を伸ばす。
 真相は闇の中だ。
 
 
 ――end
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】
【4188/葉室・穂積(はむろ・ほづみ)/男性/17/高校生】
【4318/日比野・真己(ひびの・まさみ)/男性/49/衆議員議員】

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■         ライター通信          ■
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 伝説の男 にご参加ありがとうございます。
 コメディということでしたが、笑っていただけましたでしょうか。心配です。
 
 ご意見ご感想お気軽にお寄せ下さい。
 
 文ふやか