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<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に

 秋山悠は、小さな楕円のレンズにディスプレイの光を映し込んで思わず呟いた。
「なにこのメール」
無題、無記名。あろうことか送信先のメールアドレスの項目までが皆無の実に器用なhtml形式のメールは、本文にただ一文……というには長い『International OccultCriminal Investigator Organization』が記載されていた。
 マウスでポイントをその文字の上に置くと、リンクを示して下線が現われる。
「『IO2』から極秘情報のリークって……」
日中仕事場に籠もっての執筆作業の孤独に耐える為か、自然、独り言が多くなる悠である……作家稼業は時に禅の苦行にも似る。
「この前邪魔したから責任取れってこと?」
ディスプレイに問い掛けた所で返答はないのだが、ほとんど黒に近い色味の紺を背景に浮かぶ白文字の主張に、悠はふーん、と興味薄げに顎を上げた。
「まあいいわ」
カカッと小気味よいダブルクリックで迷いなく、悠はリンク先へと飛んだ。
「最高のホラーが書けるなら死んでも構わない!」
PNを秋山みゅうと称し、中高生向けホラー・ミステリー作家として家族の生計を担う悠、その心意気や天晴れ。
「……脱稿後ならね」
でもなかった。
「……いや、印税入って家族旅行とローン完済後なら……ま、そのうちね」
作家としてのそれと、女としての生き様を秤にかけて全く同等に、バランスの良い悠である。
 そして彼女はPDF形式で展開した情報に、ネタを求めて目を通し始めた。


 先週末位からか、ニュースが報じ続ける謎の神経症…何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
 ある地下鉄の沿線に添うように発症し、少なからぬ死傷者を出すその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないまま、willies症候群と名付けられる。
『IO2』からの情報は、話題の件を対象とした物だ。
 路線図に添うように赤い複数の点、簡単だが的確に纏められた現場の状況に合わせて、一つの証言を記載していた。
 それは数多の被害者の中で、被害者に成り得なかったたった一人の女性の証言であった。
「きっとあの神父様のおかげで無事だったんです」
地下鉄の路線、その前に立ち止まる金髪の青年、どこから見ても立派な異国人に声をかけようと思ったのは、彼が杖を持っていたからに他ならないと、彼女は言う…その色は白。それが意味する所を知らぬ者は居まい。
 路線図の剥げかかった点字に指を走らせる彼だが、心ない者がガムを貼り付けていた為に読む事が出来ずにいたのを、彼女は丁寧に路線の説明をしたのだ。
 そして、日本語に堪能な彼は物見えぬ目に涙を浮かべてこう言った。
「親切な者は幸いである、彼等はそれ以上の物を与えられる…と主は仰られました。光に似た貴方の尊い心に添う物を私は何も持ってはおりません、せめて」
言いながら、懐内から小さな小瓶を取り出しキュ、とそれを開くと片掌の内に包み込み、二本の指で瓶の口を押さえるようにして、彼女に向かって十字を切った。
 僅かに開いた口から雫が彼女の額に飛沫として降りかかる…放置自転車とちらしとゴミ、そんな物の中でも行われるのが神聖な儀式だと、宗教に詳しくはない彼女にも分かった。
「神の祝福が、貴方の上にありますように」
彼女の髪に置かれた手の温かさに涙腺が緩み、泣きだしてしまった彼女が落ち着くまで、神父は穏やかに待っていてくれた。
 申し訳ながる彼女に、彼は別れ際に告げたのだという。
「『死の灰』にお気をつけなさい」
と。
 そして、willies症候群の流行…その皮切りとなったのは、彼女が勤務する事務所の入った雑居ビルから。
 そしてそれは、神父に説明した地下鉄の沿線添いであった。
「あの方はきっとそれをご存知で教えて下さったんだと思います……そしてきっと何らかの関わりを持っていらっしゃると」
出来るなら、彼に力を貸してあげて欲しい、と彼女はそう話しを締めくくった。
 そして、情報の最後、「『虚無の境界』というテロ組織の関与が推測される」という一文が添えられていた。
「とか言っても、ねぇ?」
陽光の下、うんと大きく背伸びをして、悠は久方ぶりの昼の空気を胸に吸い込んだ。
「そんないつ何時起こるか解らない事件を追える程、作家は暇じゃないのよね」
自宅から一歩外に出れば、犯罪天災心霊現象、災難と呼べるそれに洩れなく出会す悠のポリシーは行き当たりばったりである。
 予め何が起こるか解っているネタには、イマイチ食指が動かない。
 そして今朝方、月一の連載分を脱稿して漸く迎えた久方ぶりの休息に、買い物目的で外出したとなれば勤労意欲が遠のいてもいた仕方あるまい。
 今日は新宿まで出てデパート巡り。そして夕刻に夫君と娘達と外で待ち合わせての外食、と秋山家では家族デートと称する行事が控えて、悠はしばし母と妻の立場を満喫する予定なのだ。
「秋山みゅうは今日はオヤスミ!」
それでも修羅場の癖が抜けずに空に向かって決意を叫ぶ、悠はちょっと通行人の邪魔である。
 しかしながら、それを許さないのが、悠の悠たる所以であろうか……叫んで気の済んだ悠がさて、と気分を切り替えて足を向けようとした地下鉄入り口から、野太い悲鳴が複数の足音と共に近付いて来るのである。
「ナニナニ?! 強盗?! 通り魔?!」
休みといいつつも、その性分から手放せないで居るメモとペン、そして眼鏡を素早く装着して、彼女は秋山悠から秋山みゅうへの変貌を遂げた。
 が、事態は彼女の予想を上回って恐ろしいモノだった。
 出入り口から必死の形相でまず飛び出して来たのはバーコードを風に靡かせる中年サラリーマン。次いでガテン系、二人三脚に息もぴったりと合った年若いカップル……彼等は結婚してもきっと上手く行くだろう。都会に暮らすに珍しくない雑多な人々の群れ、その誰もが恐怖の面持ちで地下街を飛び出して即座、蜘蛛の子を散らすように逃げていく様は圧巻である。
 その様子を出口の脇に控えて克明に見て取り、そして何やらメモにも記しつつ、悠は高まる期待に胸を高鳴らせた。
 人々が逃走しているというのなら、それを追っている存在が居る……その確信に悠は、逃げ惑う人影が切れたその間を好機と見て、ひょいと通路を覗き込んだ。
「キィヤアァァッ!」
怪鳥の如き叫びを上げて、闇雲に腕を振り回しながら走ってくるその様に、ホラーに関して百戦錬磨の悠も思わず凍り付く。
 真っ黒に焼いた肌。目の回りに白い縁取り。白くてらてらとグロスに光る唇。
 既に絶滅したかと思われた所謂『ガングロ』と呼ばれる種族が、恐怖の体現として其処にいた。
 しかも群で。
 こんなのに焦点の合わない目で、わけのわからない叫びと共に追って来られたら、誰でも怖い。チョー怖い。
 悠は悲鳴を呑み込んで咄嗟、出来るだけ身幅を狭く身を低く、彼女等の進行を妨げぬようにそして視界に入らぬよう、外側の壁に背をつけてやり過ごす。
 バラバラと乱れた足音が過ぎていくのにほっと胸を撫で下ろして、悠はそっとその後ろ姿を見送った。
 何故か彼女等が三々五々、愛用と思しきメイク道具を手にしているのかは全くの謎だが……果たして捕獲されれば如何様な目に遭うのか、ちょっと怖い物見たさに後を追おうかと考えて、悠は己のあまりに危険な思想をふるふると首を横に振って払った。
 とにかくは、恐怖に追われて人気の絶えた街路に誰もが無事逃げ延びてくれ、とグ、と親指を立てて人々への激励に変え、悠は通路に足を踏み入れた。
 踊り場の壁に僅かに反響してか、会話の声が耳に届いた為である。
 足音を意識して、爪先立ちに一段一段を慎重に下りる悠は、程遠くない位置に少なくとも二人の人間が居る事を近付くほどに内容の捉えられる会話から察する。
「主の御意志をお前如きに理解を求めはしません」
涼やかな声が、辛辣な言を淡々と吐く。
「ヒュー、アレ最低。今までの中で一番最低。つか、俺でも怖かった」
心の底からげんなりとしてボソボソと生気に欠ける、その片方の声は何処か聞き覚えのある……?
「コラ、ピュン・フー!」
「うわ、ビックリしたぁ!」
死角となる影から飛び出すと同時、その名を疾呼すれば、床にしゃがみ込んでいた青年が弾かれたように飛び上がった。
「なんだ、悠かよ……驚かせんなよ全く……」
左の胸を強く押さえる五指にはデザインの違う銀のリング、黒いロングコートの重量感に輪郭を更に強めた黒尽くめの形も変わらず、ピュン・フーは飛び上がった勢いにずれた真円のサングラスを元の位置に戻した。
「今幸せ?」
心臓がバクバクしていても、その挨拶は変わらないらしい。
「さっきのアレ、アンタ達の仕業? 何したのどうやったの教えなさい明瞭に! そして克明に!」
メモを片手に殺気立つ悠をどうどうと両手で制して、ピュン・フーは傍らに立つもう一人を振り返る。
「て、言ってんだけどどうするヒュー?」
その言葉には応じず、相手はピュン・フーの影に立つ位置から一歩、横に移動した。
 彼も、ピュン・フーと同じく着衣を黒で統一している。
 が、歴然としてその質に差があるのは、彼が纏うのは神に仕えるを示すそれである事だ……黒を背景に手にした杖の白さが目を引く。
「興味がおありでしたら、ご説明致しましょう。私は、ヒュー・エリクソンと申します……お名前をお伺いしても?」
金の髪を短く刈った神父が目を開く……湖水を湛えたような蒼が焦点の無さに夢を見ているような印象を受ける。
「秋山みゅう、作家よ。えーと、あなた、『虚無の境界』の関係者でしょ? 『IO2』から情報来てるから、そこら辺の説明しなくていいわ。必要な事だけ喋って頂戴、きりきりと!」
なんともな悠の言い分だが、ヒューは穏やかに頷いた。
「ならば、willies症候群と呼ばれるこの行為の意味をお教えすればよろしいのでしょうか?」
「そうよ」
意味なく偉そうな悠である。が、気にした様子もなく神父は少し目を伏せた。
「……救いの為と言って、貴方は信じるでしょうか?」
 長い睫が影を落として瞳の色が深まる……何処か祈りを捧げる風情で、彼は口を開いた。
「人は何れ神の御手に帰ります…けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか……中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
ヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューは蓋を開いた。
 それが人だったというにはあまりに小さく、そして冷たく白い。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する……けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
 謂われのない恐怖で心の内から蝕む、救い。
 その恩恵を、現代の人々にもと、彼は言う。
「……ナルホドね」
ペンを走らせて黙々と、ヒューの言を書き取っていた悠は、話の区切りにパタリとメモを閉じた。
「お役に立てましたでしょうか?」
にこりと笑うヒューに、しかし悠は盛大に鼻の上に皺を寄せた。
「……なんかむかついてきた」
腰に手を当て、苛立ちに指で腰骨を叩く。
「あの娘たちが厚化粧で馬鹿で、仮にエロ好きだったとしたって、神様の設計ミスでしょ? そんなのあんたの宗派の中でやってなさいよ!」
中指を立てなかったのは、相手が聖職者である事に配慮したというよりは、見えない相手にしても仕方のないゼスチャーである為だ。
「主のなさる事に間違いはありません……神の恩恵を受ければその過ちを受け入れる事も出来るでしょう」
ヒューは胸の前に十字を切った。
「貴方にも、差し上げましょう」
 神への呼びかけから、静かな斉唱が始まる。
「ピュンちゃん!」
二人の遣り取りを傍で黙って眺めていたピュン・フーは、すっかり門外漢のつもりで会話の外に居た所を、悠に不意の呼び掛けを食らって自らを指差した。
「え? 俺? ……って悠、ピュンとフーを分けて呼ぶなよ。揃えて一つの名前だからな、ピュンちゃんとかフーくんも不可」
何やら呼び名に対しての拘りを滔々と語る間に、悠はヒューに歩み寄った。
「今あたしは、この済ましたおっさんをこうしてやらなきゃ気がすまないんだから!」
止める暇もなく、悠は小箱と聖書を片手ずつに両手の塞がった盲人の神父が、聖句を紡ぐ口の脇に小指を引っかけて両側に引っ張った。
「……憐れみによって、御許に召された同胞の亡骸を今御手に委ね、土を土に、灰を灰に、塵を塵にかへひひゃひゅ……?」
唐突なそれにもなんとか祈りの言葉を続けるヒューを、流石と感心していいものか。
「それで殺すんなら殺してみなさいよ!」
半ば自棄、に悠が叫んだ、と同時にピッシャーン!と激しい音を立てて雷が落ちた。
 季節、そして時刻外れな夕立が、その年記録的な豪雨で膨大な雨粒を都市にたたき落とした瞬間だった。
 急激すぎる気圧の変化に雨は同時に風を呼び、折悪しく詰まっていた水路から溢れた水は必然、地下通路へと流れ込んで、突然足首をひたひたと埋める水に驚いた悠が手近な神父に悲鳴を上げて抱き付くに、視界を欠いて現状を正確に把握出来ない彼はその衝撃に手にした小箱を取り落として、箱は水の流れに遠くあっと言う間に運び去られて行く……何処かで送電線が切れたのか、通路を照らす蛍光灯がふつふつと最後の瞬きに切れて漆黒とまではいかない闇の中。
「おっさん……、ヒュー、おっさんて悠……ッ!」
ピュン・フーの爆笑だけがヤケに大きく響いていた。