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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


彷徨いの死神

 さがしものをはじめてから、どのくらいの時間が過ぎただろう。
 自分の命と同じ――いや、自分の命よりも大切なもの。
 ひと目見て、分かるだろうか…時折、そんな不安にかられてしまう。
「…大丈夫…きっと、大丈夫…」
 しゃらん――鈴の音よりも微かで高い音が、その小さな呟きをかき消すように、響き渡った。

*****

「――様から御見舞いの花が届いています。何処に置きましょうか」
「まあまあまあまあ、ありがたい事。後で別の場所に飾るから、テーブルの上に置いてちょうだい。そう言えばあの人も足を痛めていると聞いたのだけど、大丈夫なのかしら?」
「ええ、まだ車椅子から離れられないようですけれど、見舞いに来れないのを随分と残念がっていましたよ」
 色とりどりのアレンジメントの花籠を受け取った女性が花の間に顔を埋めて匂いを嗅ぎ、
「…本当。こんな場所にいると、私までが消毒薬のにおいしかしなくなってしまってねえ…」
 しみじみと呟いた女性へにこりと営業スマイルを浮かべた青年、田中裕介は、挨拶をし終えてその女性の病室から出て行った。
 ――今日の仕事は、花の配達。義母から渡された、綺麗に飾った花々の行き先を見て納得した事を思い出し、今日最後の配達を終えて、裕介は軽くなった手と心のまま、すたすたと歩いて行く。
 病院は、ほとんどの者にとってあまり居心地の良い場所ではない。それは、どんなに運営する側が心を配ってもどうしようも無い部分だろう。
 病院と言う以上、人が忌避するもの…病気や怪我、そしてその先にある死を排除するのは不可能なのだから。
 だから裕介も仕事を終えた以上、留まっている理由も無いと足を早め。
 その人物に、気が付いた。
 しゃらん…。
 気付いたのは、その音故か。
 それとも、その異様さ故だろうか。
 ――音は、鎖から発せられていた。微かに身じろぎする度に、銀色の、装飾ではなく束縛の為の、鈍い色に輝く鎖が、見た目からは考えられない程繊細な音を立てている。
 そして。
 どう見ても枷としか思えない、鎖の先にある輪が、『彼女』の首と両手足首に嵌められていた。
「――っ」
 黒々とした髪は、廊下から病室の窓を見つめている。だから、その目は見えないのだが、裕介がその存在を認知した途端、ぞくりと、止めようのない感情が這い上がって来た。
 それは――恐怖に似た感情。
「あ、あのっ」
 気付けば、ひっくり返りそうな声を無理やり押さえつけて、一歩足を踏み出しながらその女性へと声をかけていた。
「……」
 すいと裕介の声に振り返った、その赤い瞳に目を奪われる。
 裕介と言葉を交わすつもりは無いのか、無言のまま裕介とすれ違い、
「…もって2日…」
 しゃらん…。
 見た目に相応しい、澄んだ声と、綺麗な金属音にばっと後ろを振り返る。
 ――が、もうその時にはその女性の姿は無く。一瞬前までの畏れも消え去っていた。
「何だったんだ?」
 途端、戻ってくる日常の雰囲気にほっと息を付きつつ、確か個室だったよな、と思いながらその病室をひょいと覗き込んだ裕介の表情が強張った。
 窓から見える病室の中は、カーテンで仕切られてはいたが、忙しそうに出入りを繰り返す看護婦の隙間から見えた、少女の姿…その全身から吹き上げている『淫の気』を感じ取って。

*****

 数日前に意識不明となり、担ぎ込まれた少女は、意識を取り戻す事無く昏々と眠り続けている。
 その頬はこけ、骨まで透けてみえそうに細くなった腕や足がパジャマから頼りなげに覗くのを、ぎり、と唇を噛んで見つめる裕介。
 あれから看護婦や医者に話を聞いた、次の日。とにかく思いつく限りの用意をした裕介は、医者や看護師の巡回の隙を縫って病室内に侵入していた。
 あの後、医者や看護師から聞いた所では、身体のどこにも異常は見られず、だが、どんな手当てをしても衰弱を止められず、半ばさじを投げた形だった。今ではとにかく栄養だけでも付けさせようと、栄養剤の点滴だけが命をようよう繋いでいるのだと言う。
「そりゃ、わからないだろうな…まさか淫魔が取り憑いてます、なんて診断出来るわけがない」
 昨日出会った『彼女』と同じく、帰る間際に少女の顔を見た裕介が、もって2日と判断し、淫魔を退治するために再びこの病院を訪れたのだが…正直言って自信があるわけではない。
 だが、今やらなければ、明日にはこの少女の命が危ないのだから、と自分に言い聞かせ、まずは淫魔を少女から切り離すための呪符を取り出し、聞きかじった術式を用いて退魔の儀式を行い始めた。

 だが――

「そう上手くはいかないか…切り離しさえすれば、後は切り裂くだけなんだが」
 もとより修行を積んだ呪符の使い手ではない裕介の事、どこかで呪文か順番か仕草を間違えたのだろう。いや…もしかしたら、呪符に込める気が足らなかったのかもしれない。
 少女の身体に取り憑いた淫魔は、思っていたよりもずっと大きな存在だった。個室の半分程を占めても、その身体はまだ少女から離れきる事が出来ず。淫魔は裕介を嘲笑うかのように、未だ繋がったままの身体を介して再び少女の中へと潜り込もうとする。
「う……ア…や…」
 意識を失っている筈の少女が必死で抗う様子さえも、嬉しそうに。
 これが大人だったら、衰弱はするだろうがそう簡単には死ななかったかもしれない。または、悪夢を見るだけで済んだかもしれない。だが、年端も行かない相手を標的と定めた『それ』は、少女の生命力そのものに喰らい付き、今も、最後の最後、少女自身が自らの命を手放すまでをその邪悪な目で見詰め続けている――。
「いい加減――彼女から、離れろ!」
 裕介とて、この、何人の命を啜ったか分からない存在にまともに襲い掛かられてはたまったものではない。だからそれなりに距離を取りつつの応戦になるのだが…それでも、肥大した相手の裾に触れられるだけでもどっと疲労感が押し寄せて来る。このままでは、と思った刹那。
「…動かないで…」
 しゃらん、と耳元で金属の擦れ合う音がし、どこから入って来たのか、その強大な存在感を露にしながら、女性が手に持っていた大鎌を、裕介と少女ごと振り回した。

 ――――――――!!!!

 金属音にも似た、それは悲鳴だったのだろう。
 通り抜けた刃は、不思議なことに裕介にも少女にもなんら損害を与える事無く、少女の身体に取り憑いていた淫魔のみを切り裂き、霧散させたのだった。
「………」
 ふう――そんな小さな声を上げて、今度はすやすやと、弱々しいながらもきちんとした寝息を立て始めた少女へほっとした顔を向け、
「そうだ、名前――」
 何者なのか訊ねようと思いつつ振り返った時には、その女性の姿は個室内のどこにも見当たらなかった。

*****

「や」
「………」
 彼女を見つけたのは、偶然と言うしかない。
 何となくいつもの道を曲がり、ふと興味を引かれたルートを通って街へ出た、その場所に彼女は佇んでいた。
 さり気なく手を上げつつ声をかけた裕介を、最初見た時よりは幾分か柔らかな気配を持った女性が不思議そうに見る。
「この間はありがとう。助かったよ」
「……いえ…」
 あの後、こそこそと病院を抜け出した裕介だったが、数日経った昨日、別の用事でその病院へ立ち寄った時には、その少女は何日かぶりに意識を取り戻し、すっかり衰えた身体を元の状態に取り戻すためにリハビリ中なのだと聞いた。
「…そうでしたか…」
 良かったとも何とも言わなかったが、それでもふと彼女の目が柔らかくなる。
「この近くに俺の店があるんだ。この間の礼と言う事でお茶でもご馳走させてくれないかな」
 その言葉に、怪訝そうな顔をする彼女。
「…死神に関わっても良い事などありませんよ…」
 ゆっくりと首を振りつつ断りを入れるその女性に、
「いいからいいから。それに、良い事はもう起きたよ。…あの子を助けてくれた。俺1人じゃどうしようもなかったからな…えーと、名前は?
 どうあっても裕介が譲らないと見て取ったのか、小さく溜息を付きつつ、
「…メルディナ…」
「メルディナか、了解。…こっちだ。紅茶がいい?それともコーヒー?」
 死神と自らを名乗ったと言うのに、あの『鎌』を見せたと言うのに、まるでその辺で出会った友人に対するような気さくさにほんの少し呆れたような表情を浮かべつつ、メルディナは裕介の後に付いて行く。
 しゃらん。
 その動きにつられて、またメルディナの身体――正確にはその枷から伸びている鎖が、小さく音を立てた。


-END-