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<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

 気象のメカニズムを無視して突如として発生した急転直下型低気圧の影響もさっぱりと抜け、豪雨に洗われきった都会の空気は今朝は無駄に清々しい。
「あぁぁぁぁ……」
けれども秋山悠はそんな晴天の下を、あまりはかばかしくない顔色で彷徨っていた。
「ネタ〜……」
またかよ。と諸氏の心中の突っ込みに弁明が許されるのならば、やはり話の流れと言う物は大切で、事件も応じた物でなければ使えない。
 ゲームの中盤でいきなり大ボスが降臨し、盛り上がる間もなく成長途中の主人公をさくっと殺ってしまっては面白味も何もない……喩えてみればそんなモノである。
 昨日出会した事件もほいほいと気軽に投入出来る類の代物でなく、出来れば別の作品に流用する為に熟成中、であればネタはあってもなきが如し。
「主人公があ〜来てこ〜するでしょう〜? で、彼女がこ〜来てこ〜いう思考に走ったワケだからぁ……ここでもう一つ絆を確かめる何かが起こらないと二人の関係が曖昧になっちゃうじゃないぃ……」
因みに次の〆切まで余裕はある……が、一度執筆モードにシフトしてしまえばその事しか考えられなくなるのは作家の職業病めいたモノだ。
 それに、いくら間際になってネタの不足にのたうっても、どんなに脅してすかしても、〆切は逃げてくれないのである。
 そんなワケで。
 見通しの立ってない執筆作業に遠くの〆切も明日の事、と予め苦しんでおく悠の姿勢は編集者にとっては有り難いだろうが、家族にとっては心配の種でしかない。
 それでも深夜の徘徊よりはまだ人目のある朝の散歩……と称するには些か影の濃い放浪の方がマシ、と、止め立てられた事のない息抜きの一環を、今朝も彼女の夫と通学前の娘達が暖かく送り出してくれた次第である。
 最も、彼女の災害吸引能力を知る知人達にすれば、そんな危険物をあまり気軽に野に放ってくれるなというのが本意らしいのだが。
 悠はまるで地面に答えが落ちているかのように、足先の少し向こうを見据えて競歩の勢いで無目的に、ただ一直線に進む。
「悠」
故に、名を呼び掛けられても気付けなかった……というよりも今の彼女は『秋山みゅう』であった。
 限界まで狭窄した視界はギリギリ思考と現実との境を保つのみ、街のざわめきに紛れた声に気を払ってなどいられない……と、五歩も進んだ所で、みゅうはふと悠に返った。
「ピュン・フー?」
くるりと体を返すように振り向けば、朝の空気に去り損なった暁闇の風情で黒い塊が、ひらと振った手の色味のなさと、陽光を弾く指輪の銀とで挨拶をする。
「よ。今幸せ?」
黒革のコートの重厚さと、顔に乗せた真円のサングラスとの怪しい風体はそのままに、それを凌駕して妙に清しい笑顔が眩しい……ピュン・フーが手前勝手なテロリズムに励行していたのは、ほんの昨日の話ではなかったろうか。
「何してるの、朝からこんな所で」
ピュン・フーが声をかけて来たのはオープンカフェの店先である。
「朝だから朝メシしてんの」
言って目の前に据えられたアイス・コーヒーのグラスを、指で弾いてチリンと鳴らす。
「コーヒーだけ? 朝食はしっかり摂らないと一日に必要なエネルギーが確保出来ないじゃない。ダメよ」
女性は子供を持つと万民に対して母親的になってしまうきらいがあるというが、悠も口調だけはそれに倣い……けれど一家の家計を担う代わり夫君が家事全般を担っている現状から、苦笑で以て窘めを一般論に止める。
「ハァイ」
そしてピュン・フーもそれを受け、不承不承ながらの子供めいた返事をして肩を揺らした。
「悠は朝メシ済んだ?」
「とっくにね」
そしてネタを求めて徘徊している悠の実情を汲んでか汲まずか、ピュン・フーは手にした雑誌の間に挟み込んでいた紙片をピ、と取って誘いに示して見せた。
「俺、今オフなんだよ……暇だったら一緒しねぇ?」
 印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影……の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
 しかもペアチケット。
「だからナンパはお断りだって!」
けれど返答は即決だった。
 半ば反射で即断した悠だが、その一瞬の間にも脳裏は目まぐるしいまでの思考が走っていた。
「……まあいいわ」
そして掌を返すに要した時間は僅か一秒。
「この前ネタを貰ったから、慰労してあげるわよ」
言っても、チケットは元よりピュン・フーの所有である……それを指で挟んで取り上げて、悠は些か恩着せがましく無為の徘徊に終始する筈だったその日の予定を確保した。


「いいわ……使えるわ……!」
ガシガシと叩き付ける勢いでひたすらメモを取る悠の一種異様な雰囲気は、他の見学者の追随を許さずに遠巻きにされている。
 そしてピュン・フーはと言えば
「悠、売店でノートの追加と、ついでに関連書籍買ってきてみたぜ」
パシリと化していた。
「なぁ、悠。それって携帯カメラとかで撮ったらダメなワケ?」
学名から分類、生態など興味を覚えたデータを片っ端からメモする悠に、ピュン・フーが文明の利器の使用を提案するが、とりつく島もなく却下される。
「ダメに決まってるでしょ。人の親として公許良俗を守らないワケにはいかないじゃない」
ネタの為に留置所の厄介になりたがった人間の言とは、とても思えない。
 而してその事実を知らないピュン・フーは素直な感心の眼差しを悠に向け、荷物からパンフレットを差し出す。
「あと、午後から裏方の見学ツアーみたいなのがあったから申し込んどいた」
「よくやったわピュン・フー! 意外に使えるわねあなた!」
そして慰労の筈が、すっかり取材と化している。
「私のマネージャーにならない? 給料は印税から歩合制だけど」
デフォルメ化されたペンギンが愛らしいワンポイントで表紙を飾るメモ帳を受け取り、悠は思わず勧誘してしまう。
「兼業なら考えなくもねーけど、俺も身体が空かない時はホント動けないからなぁ」
遠回しな辞退にねじ込もうとして、悠はふとピュン・フーが肩にかけた袋を気にしてひょいと背後を覗き込んだ。
「ナニそれ……」
口に通した紐を両側の下部に縫いつけて背負える形に、口を窄めるだけの単純な作りの布袋、水族館のロゴをプリントしたそれからぬいぐるみのペンギンの頭がにょっこりと覗いている。
 ヒナ特有の丸々とした頭部が愛らしい。
「ホラ、双子の嬢ちゃん? 達へのお土産」
以前の会話をしっかりと覚えていたピュン・フーは、悠の家族への気遣いの品を彼女に手渡した。
「……旦那のは?」
色違いのリボンを首に巻いたぬいぐるみを抱えつつ、悠は問う。
「晩酌するタイプだといいんだけどなー。まぁそのまま食ってもいけるらしいから」
と、取り出したのは妙に膨らんだスルメである。
 天日干しにする際、内側を膨らませて作るイカトックリと呼ばれる物である……中に熱燗を入れてまさしく徳利として使う。スルメの香りが酒に移り、使用後はそれ自体も美味しく頂ける、というアイデア商品だ。
 無駄なまでにそつのない気遣いを見せつけられて悠は、何を思ってか唐突、ピュン・フーにボディーブローを叩き込んだ。
 自分が大事な者を大切に扱われて嬉しくない人間はいない……悠の、とても激しい照れ隠しであった。


 悠の必殺の一撃で倒されたピュン・フーが、よろめいたついでに路順を示す看板に足を絡めて水槽に後頭部を強打し軽い脳震盪を起こしたのと、その衝撃でぱんぱんに膨らんだ水槽内のハリセンボンが自らの制御を失って水面近くに浮いたままになったのと、そんな軽微な事故が実は人的被害であった事を、水族館側は知らぬままである。
 医務室にての最高責任者に因るそれは丁重な謝罪すら、ちゃっかりと取材の機会に変えて、悠の機嫌はすこぶる良い……その仕事人の姿勢や天晴れ。
「うぅ……やっぱなんか瘤が出来てる……」
転んでもタダでは起きさせて貰えなかったピュン・フーが、医務室の空気を嫌って早々に退散したがった為、午後の見学ツアーまで大水槽前のソファに長くなっている次第である。
「ゴメンねぇ、ピュン・フー♪」
俯せ寝に唸るピュン・フーの後頭部に、ハンカチでくるんだ冷たい缶コーヒーを押し当てて即席の氷嚢代りにしながらも悠の声は浮き立っている。
「ショーが捌けたら特別にイルカのプールに入れてくれるって。もう少しの我慢だからね♪」
果たしてイルカに何を求めての言かは謎だが、それを言及する元気はあまりないらしく、ピュン・フーはのそりと起きあがった。
「ちょっとピュン・フー、もう少し横になってなさい。ツアーの間に水槽の上で転けたりなんかしたらジンベイザメの餌よ?」
因みにジンベイザメの主食はプランクトンだ。
「んー。なんかこっちのがキモチ良さそうかな、と」
言って両手を広げ、べたりと水槽の硝子に張り付いた。
「体温上がると気持ち悪いんだよな、俺」
じゅうぅぅ……と冷える擬音を口にしながら、頬まで硝子に押し当てている。
 子供っぽいその行動に苦笑はしても、人目を気にして諫める事はせず、悠は黒い背の向こうに視線をやった。
 奥深く広がる水槽の中……閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持の為の酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
 造られた世界。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
不意にそう、問い掛けの言葉をピュン・フーが口にした。
 硝子から身を離して、指で水槽を叩く……其処に波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、強化硝子は固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう……いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
少し斜めの角度に見える横顔の向こう、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔が揺れる波紋の影に縁取られる。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
振り返り、真紅の眼差しが悠に向けられた。
「悠、今幸せ?」
いつもの調子で何気なく、会う度に幾度も重ねられる問い。
 笑いを含んで重みのない、その言葉に悠は一つ息を吐いた。
「ピュン・フー。ちょっとここにお座りなさい」
膝を揃えてソファに座り、その隣を掌で叩いて呼ぶ悠に、ピュン・フーは素直に戻ってきた。
「……ってなんで正座なの」
「え、だって日本じゃ叱られる時はこうするんじゃねーの?」
生活の視線が低かった前時代でもあるまいし。
「なんで私が叱らなきゃなんないのよ。普通に座りなさいよ」
しっかりと革靴まで脱いでソファに上がっていたピュン・フーは、悠のお叱りを受けて普通に腰掛け直す。
「いやホラなんか響きがそんなカンジだったじゃん、今。俺も心当たりないとは言えないしなー」
具体的に言えば昨日の明確なテロ活動とか。
 それをすっかり意識の向こうにやってしまっていた悠は、自己申告に因ってその事実を思い出す。
「え? ああ、あんたが灰の件とか、他にも人を……ってのは判ってる」
「判ってんのに怒らねぇの? 止めたりとか」
楽しげに軽く眉を上げるピュン・フーの問いを、悠は苦笑で受け止めた。
「これでも人の親だし肯定なんて出来ないけど、でもあのおっさんと同じには思えないのよね」
人の命を手にかけた人間には見えない……悠には不思議とその罪の重さが見えず、けれどその振舞いの軽さの端々に悲しみが覗くように思う為か。
 まるで、涙をメイクしながら人の笑いを誘う道化のような。
「あんたが突拍子無さ過ぎるせいか……」
叙情的なイメージが浮かぶに、悠は自らの思考に鼻の頭に皺を寄せた。
「おっさんて、悠……ヒュー、まだ28……」
思い出し笑いの発作が込み上げるのを押さえるのに苦心してか、ピュン・フーは口元を歪ませつつも会話を繋げようと努力しているが、どうようもなく肩が震えている。
「年齢がどんなに若くても、枯れてたらおっさんよ、おっさん」
「枯れ……」
笑い出しそうなピュン・フーを、悠は斜視で黙らせると、首の後ろで髪を纏めるゴムを外した。
「能天気に生きてるだけに見えるかもしれないけど、私だって水槽の魚に自分を投影する事はあるわよ」
正面の水槽……その暗さに映り込む自分の鏡像を見ながら、癖のかかった髪を両手で纏め直す。
「三度の飯を食わないと人は生きていけない。それに縛られて……」
悠の肩には家族の生活がかかっている。
 必死になればなる程、追い詰められてそれが報われていると感じられるなくなる自分を感じるが、それでも自分ばかりがとは決して思わない。
 深夜、不意の眠りから醒めれば暖かいココアが机上に置いてあったり。朝の眩しさの中でふと、子供達の背丈が記憶よりも大きい事に気付いたり。昼の静けさの中、窓の外を楽しげな笑い声と足音が駆けていく……そんな出来事は焦りに張り詰めた神経だからこそ明瞭に捉えるのだろうか。
「でもだからこそ、それが生きているって事なのかも知れない……」
なぞる記憶に、悠は相好を緩ませてふと、肩にかかる重みに気付いた。
「……って、寝てるんかい!」
悠の肩に黒い髪を凭せかけて、ピュン・フーは寝息を立てていた。
 その頭を叩き落としてやろうかと思ったが、あまりに無防備な寝顔に悠は肩の力を抜く……閉じた瞼の色の薄さに、意外と睫が長い事に気付く。
「……可愛い顔しちゃって、この……」
徒心に頬をつつけば、む、と口元が引かれるが、すぐに浅く開いて眠りの息を吐き出す。
 それに不意に湧き上がった気持ちがなんだか懐かしいようで、悠は眠るピュン・フーの髪を幾度も撫でた。