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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


■石の双子■

 そこにあったのは荒削りながらも、何かを訴える様なルビーの瞳を持つ石で作られた女性の像であった。
 女性像は高さ二十センチ程度で、充分手で持って歩くことが出来る程の大きさだ。
 それを手にしていた女性が像をマジマジと見て、溜息を吐いた。
 煙管を口に運ぶ気にすらならない。
 「まさかこのあたしが、毎晩夢に魘されるとは思ってもみなかったね」
 気怠げに椅子の背もたれへと身体を預けるその女性は、アンティークショップ・レンの店主、碧摩蓮(へきま れん)であった。
 二十代後半に見える彼女は、普段通り深くスリットの入ったチャイナドレスを着込み、参ったとばかりにまたもや溜息を吐いている。
 この石の像についての曰くを、勿論蓮は知っていた。
 知っていて手に入れて来たのだが、まさか自分がその曰くの一端を垣間見ることになるとは、思っていなかったのだが。
 実はこの像、本来であれば二つあったのだ。
 当然ながら蓮としても、二つ一緒に手に入れたかったのだが、片割れは見失って久しいと言うこともあり、取り敢えずこの片方を手に入れれば、きっともう片方も手にはいると言う予感があったからこうして手元に引き取ったのだ。
 「こうなると、予感もへったくれもありゃしない」
 毎夜毎夜見る夢は、何処か寂しげな洋館を舞台に繰り広げられる日常だった。寂しげと言っても、別段荒れ果てている訳ではなく、ただ人の気配が感じられないことから来る印象だ。
 その夢に出てくるのは二人だけ。
 黒い髪に青い瞳の少女と、栗色の髪に紅い瞳の少女だ。
 そしてご丁寧に、夢が覚めるその瞬間『お願い、私のところに帰って来て…』と少女が涙を流しつつ呟くのだ。姿を見ているのに、それが二人のうちどちらであるかは解らない。もしかすると、実は第三者がそこにいるかもしれないとも思えてくる。はっきりしないそのことも、何となく苛々とする要因の一つだ。
 仕方ない、と蓮は思う。
 「片割れを探してもらおうかねぇ…」



 ほとほと困り果てた…と言った調子の女性は、大きな溜息を吐き、その寝不足さ加減を十分に物語る顔を顰めた。通常であれば、その顔は自信に満ち、または妖しげな笑みに彩られている筈なのだ。
 だが今日は、燃える様な赤毛も残り火の様だし、またハイカラーのチャイナドレス脇、スリットから覗く足もまた、何処か張りがなかった。
 アンティークショップ・レンの女主人碧摩蓮は、彼を真剣な表情で見つめている。
 「大分参っている様ですねぇ」
 「だってねぇ、あんた。考えてもみな。曰く付きの古物を買い求めるあたしがだよ、その古物に悩まされるなんて、笑い話にもならないじゃないか」
 心配げな顔をしている青年に、蓮は珍しく真面目な調子で口を開いた。
 「セレスティ・カーニンガム。あんたに頼みがある」
 蓮からそうフルネームで呼ばれたのは、上質の絹の様な銀糸と、穏やかな海を想像させる青い瞳を持つ青年。その細腕に、リンスターの名を冠する財閥を引き受けている若き総帥だ。──もっとも、若く…と言うのは見た目で、実際は齢七○○を超えてはいたが。
 彼の本性は陸へと上がった人魚。
 そしてまた、別の顔は、この店の常連だった。
 「他ならぬ君の頼みです。伺いましょう」
 にっこり微笑んだセレスティの前に、とん、と石像が置かれた。
 「ここに一体の石像がある。この石像が、夜な夜なあたしの夢で泣くんだ」
 「ほう。それはそれは、難儀なことですねぇ」
 「……。あたしゃ寝不足だよ。全く。で、だ。この石像を泣きやませて欲しい」
 これだけで話が全て見える者がいたなら、セレスティは是非とも会いたいものだ。
 「少々お聞きしても宜しいですか?」
 「勿論」
 「この石像とは、お話出来るのでしょうか?」
 「出来たら難儀は減るだろうねえ」
 普通の人間なら、ここで巫山戯るなと言うところだろうが、セレスティは違った。
 「では何故泣いているのかは?」
 「なんだか帰ってきて欲しいんだそうだ」
 「何方がでしょうか」
 「解らないから困ってるんだよ。解りゃ、何とかしようもあるんだけどさ」
 「宜しければ、少々この石像をお借り出来ないでしょうか」
 「と言うことは、この依頼、受けてもらえるんだね?」
 「はい」
 「構わないよ。持ってとくれ。でも、魘されたからって、あたしのことは恨まないどくれよ。…まあ、あんたには言うまでもない、か」
 それには答えず、セレスティはにっこり笑って像を大切にそうに引き寄せた。



 「セレスティさま」
 蓮の元から暇を告げ、館に帰る車中のことだ。じっと像を見ていたセレスティに、運転手より声がかかった。
 「どうしました?」
 「あの、前方で何やら、……ヒッチハイクですか? 手を振っている御仁いらっしゃるのですが…」
 そう言われても、セレスティには視覚での認識は出来なかった。
 「止まりますか?」
 「そうですねぇ…」
 悠長にそう言うと言うことは、距離はまだあるのだろう。良く見えたと褒めたい気分だ。
 とまれ、イヤな予感はしない。
 「一旦止まって下さい」
 言いつつ窓を開けると、聞き覚えのある声が聞こえる。
 ああ、とセレスティの面に笑みが浮かんだ。
 「大丈夫です。私は彼を知っていますよ」
 「解りました」
 運転手がお手本の様なブレーキングで車を止めると、その手を振っていた者がゆっくり歩いてやって来て窓から顔を覗かせる。
 「そーすーーっい! おっ久しぶりーーー」
 そう言って顔を見せたのは、以前の依頼で一度会ったことのある青年だった。
 淡い茶の髪に同じく茶色の瞳。優雅で怠惰な容姿とは真逆の性格を持つ、三上美雪(みかみ よしゆき)と言うのが彼の名だ。
 「お久しぶりですねぇ。どうされました?」
 「うん? ああ、ジイさんの使い」
 「と言うことは、アンティークショップ・レンに?」
 「そうそう。ちょっと冷やかしってのもあるんだけどねぇ。自分が仕入れて来たもんに魘されてんだって? 笑っちゃうねぇ」
 言葉自体はどう聞いても嫌味なのだが、そのイントネーションには悪意がない。おそらく必要であれば、いくらでも毒の含んだ言葉を放つことの出来るだろう美雪だが、今回それをするつもりはないのだろう。あっけらかんと言い放つそれは、心底面白がっているのが解る。
 「もしやお使いの品物は、これでしょうか?」
 窓越しに石像を見せると、美雪の驚いている雰囲気が伝わった。
 「総帥とは、良くモノがバッティングするねぇ」
 しみじみと言う彼は、何処か探る様に像を見ている。
 「やはり」
 「それ、家に持って帰るんだよね?」
 「そのつもりですが」
 「乗って良い?」
 すっと車を指す美雪に、にっこり笑って頷き、セレスティが車を開ける様、運転手に指示を出す。美雪がドアの前から退くのを確認した様にそれが開かれる。セレスティが少し横にずれると、すっと流れる様な動作で美雪が乗り込んだ。
 「おじゃまー」
 ふっと良い香りが、セレスティの鼻腔を付く。
 「フレゴナールのレーヴアンディアンですか?」
 「正解」
 にやりと笑う。
 「この前は、つけておられませんでしたね?」
 「あの時は、うちのパートナーが持ってちゃってたの。なくなってたから、びっくりしちゃったよ。予備はちょうど発注中だったし」
 「それはそれは…。しかしそれは、女性用だと覚えがあるのですが」
 「えー、俺、そこらへんの女より綺麗だと思うんだけど」
 しれっと言ってしまえる根性が素晴らしいと、セレスティは思う。流石は鏡に囲まれて生活しているだけはある。
 「ま、良いや。で、その石像なんだけど、総帥はどうするつもりなの?」
 「依頼を受けましてね。この石像が、何か、もしくは誰かを探して欲しいと夢の中で泣くので、何とかして欲しいと。ですから、一度その夢とやらを見てみようと思いまして」
 「えー、良くそんなの見る気になるねぇ。イヤな目するかもしれないんだよ?」
 何処か面白がっている風な彼に、セレスティは微笑んで返す。
 「実際見てみませんと、印象がどの様なものであるかが解りませんからねぇ」
 「成程一理。あ、俺、このまま乗ってちゃっても良い訳?」
 「構いませんよ」
 寝室までご同行は勘弁だが、まあ途中まで送ると言うのでも良いだろう。別段、あの『異能者互助会』は、帰り道からは可成りずれる訳でもない。
 「んじゃさ、俺、その依頼手伝うよ」
 予想していた様で、予想していなかったその言葉を聞き、セレスティは目を見開き小首を傾げた。
 「だって、見てお終いって訳じゃないでしょー。総帥、もう一つ探すつもりなんでしょ? 手伝うよ。乗せてもらってるお礼。後、無駄足踏まずに済んだお礼。後一つは、……内緒」
 美雪の言葉は、この像のことを知っている様に聞こえる。
 「この像のことを、ご存じなのですか?」
 「うん。知ってる。一応うちのデータベースに入れてるしねぇ。でもここでは言わないよ。夢見るのに、先入観持つのと持たないのとでは、印象変わるでしょ?」
 その通りだ。だから蓮にも、曰くを聞かなかった。真っ白な状態で見てみるのが、一番良いとセレスティは思ったのだ。
 ね? とばかりに美雪が笑う。セレスティの思惑を読み取るその笑みに、思わず彼もまた笑みが漏れた。
 「そうですね。後で教えて頂くことにしましょうか」
 セレスティがそう言うと、何かを思い出したと言う風に美雪が口を開く。取り敢えず沈黙と言う言葉は、彼の辞書にはないらしい。
 「あ、そうそう。あの香炉、また持ち主変わったんだって。てか、あれから数度変わってるみたいだね」
 「おや、そうなのですか?」
 美雪から出たのは、彼と出会う要因になった依頼にあった香炉のことだ。
 何やら手にした者に、夢を見せる香炉で、なおかつ最終的にとあるものへと変化すると言った、半ば常識はずれな香炉だ。
 「うん。結局何だかんだあって、手放したんだってさ」
 にんまり笑う美雪を見て、何かしたのだろうかとセレスティは思ってしまう。あの持ち主が、そうそうに手放すとは思えなかったと言うのも、その理由の一つであるが。
 だがそれは口に出さずにおいた。
 「今度は盗まれなかった様ですねぇ…」
 「何度も盗まれちゃー、蓮ババもたまらんって」
 一瞬、セレスティは絶句する。周囲では、こんな言葉使いをする者はあまりいない。
 「蓮ババ……。それはもしや、碧摩蓮さんのことですか?」
 「もしやじゃなくて、そうだよん」
 しれっと言って除ける美雪は、にっこり笑ってセレスティを見ている。
 「三上さん」
 「いやーん、そんなジイさん呼ぶ時みたいな言い方止めてー。ユキちゃんって呼んで」
 「……美雪さん」
 「だーから、ユキちゃん」
 「………ユキさん」
 「うーーーーん、その辺で妥協するかー。でも、何時かはちゃんで呼んでね」
 運転手が珍しく笑いをこらえているのが感じられる。
 何となく未練たらたらと言った風の美雪を見て、思わず笑ってしまいそうになるセレスティだが、敢えて神妙な面持ちで口を開いた。
 「考えておきましょう。それでですね、ユキさん。妙齢のご婦人に向かって、その呼び方は失礼ですよ」
 「えー? だってあっちは性悪とか猛獣とか馬鹿とか、俺のこと呼ぶんだぜ? そんくらい言っても、バチはあたんないと思うけどなぁ」
 「ダメです。ちゃんと礼儀は守って下さい」
 「……。それ、あっちにも言ってくれるなら、我慢する」
 「解りました。私の方からも、ちゃんと言っておきましょう」
 「仕方ない。総帥の言うことだし。……あ、話が逸れたけど、香炉ね。もうそろそろ…らしいよ」
 「そろそろ…。もしや」
 「そ。最終形まで、あとちょっと」
 蓮からこっそり聞いたその話を思い浮かべる。
 その最終形がもたらす事象には、あまり興味は沸かなかったが、『最終形』自体には少々食指が動きそうだ。
 「きっとお美しいのでしょうねぇ…」
 「あれ。総帥、興味あるんだ」
 「器には、ですが」
 蓮から聞いた話を思い起こし、それを想像したセレスティはうっとりと夢見る様子でそう言った。
 「やっぱりそっちか」
 「はい」
 「だろうね。あれがくれるもんって、総帥には興味ないだろうねぇ」
 「出来れば、生まれる時に立ち会いたいものです」
 「うーん、じゃ、こっちで手に入る様に、手配しとくわ」
 「そんなことが?」
 「ってかね、ジイさんの目的って、あの最終形手に入れることなんだよね。あ、ちなみに言うと、総帥と同じであれがくれるものには興味ないんだよ」
 「では何故?」
 「野放しに出来ないから」
 きっぱりと美雪は言い切った。確かにセレスティも、あれがふらふらとしていることを考えてみると、あまり良い状況ではないだろうとは思う。
 「確か、あの時は道楽と仰っておりませんでしたか?」
 「道楽でもあるよ。でもねぇ。あの時、総帥はこの香炉のこと、知らなかったでしょ? 教えてとも言われなかったしねぇ。だから言わなかったんだよ」
 成程、蓮が性悪と言った意味が解る気がした。一癖も二癖もあるからこそ、そう形容したのだ。セレスティは怒るよりも逆に、感心してしまう。
 「成程。それはさておいて。香炉のことですが、つまりずっと手元に置いておくと言うことですか?」
 「まあね。だってさ、あれが最終形になったら、蓮バ……じゃなくて、蓮のところに置いておけるかどうかも解らないからね」
 確かにそうかもしれない。あそこにあるのは、曰く付きの古物だ。
 「ってか、あれは総帥んとこにあった方が、案外良いのかもしれないねぇ。総帥んちなら、広いし遊び相手も多そうだし。何より変な気を起こそうとするヤツはいなさそうだしねぇ」
 「まあ、確かに、私の館には、悪さをする様な者もおりませんけれども…」
 ある意味危ない人物はいるのだが、まさかあれ相手に何か妙な気を起こすことはないだろう。……と思う。……見目麗しい人にでもならない限り。
 「下手なヤツの手に渡ったら、偉いことになるからねぇ。あれ」
 「まあ、……そうかもしれませんねぇ……」
 セレスティは以前聞いた話を思い出し、偉いこととやらを想像してみた。
 ……あまり嬉しくない想像だ。
 セレスティが眉根を寄せたところで、高級リムジンがゆっくりと停車した。



 セレスティは、ぼんやりとした大地に立っていた。
 何故か身体が軽く、杖も必要ないし、はっきりと周囲が見えることが解る。
 『そうでした。私はあの石像がもたらす夢を、見ているのでしたね』
 夢を見ている自覚が、セレスティにはあった。けれど自覚があるからと言って、そこに干渉できるかどうかは別だろう。
 彼が目にしたのは、鉄錆のついたしっかり閉まっている門扉だった。
 その奥には道があり、両脇にはうっそうとした木々が茂っている。その先には、シンメトリーの作りをした洋館が見えた。
 取り敢えずは中に入ろうと、その門を目指し一歩踏み出そうとしたその時。
 いきなり目の前の情景が変わる。再度周囲を見回すと、そこは廊下であることが解る。とても長い廊下で、消失点まであった。確かにそこそこの広さを持っている洋館ではあったが、そんなに長い廊下がある館には見えなかった。だからこれは、おそらくこの夢を見せているものの心象なのだろうと、セレスティは思った。
 長い廊下には、両側に扉がある。光源もないのに、まるで日だまりの中にいる時の様な明るさが不思議だ。そう言った光だから、当然ながら不気味さはない。そこにあるのはただただ静寂だけ。
 いくつもある扉を見て、一つ一つ開けていくべきなのだろうかと悩んだが、先ほどいきなり転移したことも考え合わせると、どうやら己が思うとそこに移動する、もしくはこの夢を見せている人物の意に沿えば、そこへと進んでいくのだろうと思える。
 そしてセレスティの考えは、当たった。何時の間にか彼は扉の前に立っている。
 ゆっくりと音もなく開くそれ。
 その中には、セピア色に染まった三人の子供達がいた。
 半袖姿の二人の少女に半袖姿一人の少年。まだ十代にも手が届いていないのが解る。
 声は聞こえない。まるで無声映画の様だ。
 かたかたとフイルムが回っているのだろうかと言う錯覚。
 楽しそうに遊ぶ子供達。部屋には燦々とした日の光が降り注いでいる。すべてがセピアな風景の中、この光だけが鮮やかに色づいている。
 けれど何処か物悲しさがある。何故楽しげなこの光景に、悲しみを感じるのだろうかとセレスティは思ったが、すぐにその理由に気付いた。
 これは自分の気持ちではない。これを見せている何者かが、この風景を懐かしんでいるのだ。
 それに気付くと同時、扉は閉まっていた。やはり音はない。
 そして次に扉が開かれた時は、どうやら一つ次へと進んでいたらしい位置に立っており、また部屋の中の風景は違っていた。
 先ほどよりは、少し時は進行したのだろう。部屋の窓から降り注ぐ光が、少々柔らかくなっており、袖も長いものになっていた。
 どうやら今回は喧嘩をしている様で、少年が泣いている。わんわんと言った表現が当てはまるのだろうが、やはり声が聞こえない。何処か微笑ましいものを感じるのもまた、先ほどと同じ、この夢を見せている者の気持ちだ。
 次々扉が開かれ、セレスティはそのまま夢に運ばれる。
 何処か映画を見ている様な気もした。
 訪れることがないのかもしれないと思った、最後の扉だ。
 それがゆっくりと開かれる。
 そこだけ鮮やかに色づいており、初めてセレスティは、そこにいる少女が黒い髪と青い瞳、そして茶色の髪と赤い瞳を持ち、少年が茶色の髪と青い瞳を持つことを知った。三人の成長ぶりから、一番最初の扉にいた時からは、数年流れていると解る。
 黒い髪を持つ少女は、どうやら病気の様だ。その脇には、もう一人の少女と少年が付き添っていた。
 扉が閉まる。
 と、やはりセピア色の風景に戻り、初めて音が聞こえた。
 いや、声だ。
 眼前に俯いた背中が見えた。
 おそらく聞こえているのは、その者の声なのだろう。切実な色を帯びたその声は、こう言っている。
 『お願い、私のところに帰って来て…』



 まるでマジシャンの合図を受けた様に、セレスティは目覚めた。
 「……成程。こう言うものですか」
 二人と言っていたが、三人いるではないかと、セレスティはちょっと不満に思う。
 ゆっくりとベッドから身を起こすと、襟元をただした。少々行儀は悪いが、流石に服は着たままなのだ。解していた襟元は、何時もの様にきっちりとまとめられ、脱いだスーツの上着を手に取る。綺麗に磨かれた靴に足を通して、そのまま車椅子へと腰掛けた。
 あまり眠った気はしないが、まあ昼寝の時間になるのだから大したことでもないかと、セレスティは思う。目的の夢が一度で見れたことに満足して、美雪の待っている部屋へと、枕元に置いてあった像を持ち車椅子を操って行った。
 がちゃりと言う音を立て、執務室にもなる続き部屋へと入ると、美雪が廊下へと抜ける扉の横にある鏡をじっくり満足げに見ている。
 「あ、総帥。どうだった?」
 その様子を見られて照れる訳でもなく、にっこり振り返っているところを見ると、本当に鏡を見ることが好きなのだと思える。
 『私は、あまり自分の姿を見ても面白くはないのですけどねぇ…』
 思わず笑みが漏れてしまうと、美雪がどうかしたとばかりに小首を傾げる。
 「いえ、何でもありませんよ」
 客人用に設えたテーブルへと車椅子を進めると、美雪もまたそのテーブルへとやってくる。彼が座っていたところには、ティーカップとポットがあった。それを出した者の気遣いが感じられるところは、早々に冷えない様にと対策が取られていることだろう。
 セレスティはそれを知ると、満足を覚える。
 やはり彼は何時も細やかな気遣いを出来る者なのだと、彼の料理人を思い嬉しくなった。
 「で、夢は見れた?」
 「はい。一度で見ることが出来るものなのですねぇ」
 「まあね」
 「ユキさんは、ご覧になったことは?」
 「ないよ。でも、聞いたことはある」
 一体彼は、どんな風にしてこう言ったもののことを知るのだろうかと、セレスティは考える。確かに独自のネットワークを持っているのだろうことは、その彼の背景を鑑みるに想像に難くないのだが。まあ、今はそれを詮索することでもないと思い、セレスティはそのまま像に話題を戻す。
 「それにしても、魘されるほどのものではないのですが……。まあ、毎夜現れるなら、確かに睡眠時間は削られてしまうでしょうねぇ」
 「ああ、そりゃー大変だぁ。お肌が曲がり切っちゃってる蓮だからねぇ。睡眠時間なくなるなんて、深刻な問題だろうねぇ。総帥に泣きつく筈だよ」
 大笑いしている美雪を、おやまあと言った風に眺めると苦笑する。取り敢えず、あの不謹慎な言葉を発しなくなっただけでも良しとすべきだろう。
 「んじゃ、俺が話す番だね」
 先程の約束だ。
 彼はこの像の背景を知っている。
 「はい。お聞かせ願いますか?」



 そっと美雪が像を撫でている。
 何処か慈しむ様なその手つきを見て、セレスティはおやと思った。
 もしかすると、この像に何か関係があるのではないかと言う気がしたのだ。
 「この像はねぇ。とある姉妹を模して作られたんだよ。その姉妹ってのは、総帥が夢に見た二人ね。作ったのは、この姉妹の弟さ」
 それがもう一人の登場人物、あの少年だろうとセレスティは考える。
 「弟さんは、ご存命ですか?」
 「まさか。もう死んじゃったよ。だってねぇ、これ、百年ほど前に作られたもんなんだよ。出回り始めたのは、ここ十年ってとこだけどさ」
 肩を竦めて言う美雪を見て、セレスティは先程の思いを更に深めた。
 百年という月日は、おそらく自分と同じ長生種(メトラ)の血を引いているだろうと予測していた為、思いを深めるに何の障害にもならない。
 「そうですか…。あの夢では、どちらかが病に伏せっておられる様子でしたが…」
 「うん。妹の…えーと、この像に似せて作られた方ね、そっちが病気で死んじゃったんだよ。まだね、十五にもなってなかったなぁ…」
 じっくりと像を見る美雪に、セレスティは思っていることを聞いてみる。
 「ユキさん、その方々をご存じだったのですね?」
 「知ってるよ。仲良かったもん」
 実にあっさりと返った言葉に、やはりと言う思いを抱く。あの時驚いたのは、セレスティがこの像に絡んでいたことと、後もう一つ。おそらく久々にみる像が、以前彼が見たものと何処か変わっていたからだろう。
 確かめる様にしげしげと見ていたのは、そう言うことなのだろうと、セレスティは推察したのだ。
 「妹の方が死んじゃった後ね、姉の方も同じ病気で死んじゃってねぇ…」
 「それは…」
 お気の毒に…と言おうとして、セレスティは思いとどまった。
 ここでそんなことを言っても仕方ないのだ。同じく永い時を生きているから解ることだが、自分と同じく永きを生きていると人が先に死ぬのは仕方ない。またどんな亡くなり方をするのかも、それは様々であり、それを納得しないと今こうして生きていることは出来ないのだ。
 悲しみは勿論ある。
 けれどそれを引きずっている訳にもいかないと言うのも、同じく真実。
 悲しんでいると、死者もまた悲しむなどと陳腐なことは言わない。
 ただそれは、生き延びる為に必要であることなのだ。
 己の側を過ぎ去って行く人々には、色んなものを貰っている。それを、その彼らの存在を忘れないことこそが、もっとも大切であると思うのだ。
 名を忘れても、顔を忘れても、ただ大切だと思った者達が昔生きていた、それだけを忘れないだけで良いと。
 それが自分を、時の中に置き去りにしてしまわない方法だ。
 「やっぱり、総帥って好きだねぇ…。余計なこと言わないのが、大好き」
 くすりと笑う美雪に、セレスティもまた同じように笑ってみせる。
 「ま、そのお姉ちゃん達を思い出して、せめてこれからは一緒にいられる様にって石像を作ったと言う訳。瞳を二人の色にして、『石の双子』って名前つけてね。可愛いことするでしょー? でもね、本物の方が、可愛かったよ。石像と比べてね」
 がらりと口調を変えた美雪に肯く。その可愛いと言う弟に、セレスティの興味が行った。
 「その弟さんはどんな方だったのですか?」
 「弟くんもね、凄く可愛い子でねぇ、あの子が死んじゃった時、近くにいなかったからさ。お別れは出来なかったんだよね。……その時は、まさかこの像が外に出回るなんて思わなかった。ずっとあの家にいるもんだと思ってたんだよねぇ。こっちに戻って来た時、びっくりしちゃったよ。行方不明になっちゃってたからさ」
 「では今回初めてその行方を知ったと言うことですか?」
 「そう言う訳でもないんだな、これが」
 「では?」
 「うん。ここ十年くらいのことかなぁ。うちのネットワークにね、引っかかって来た訳よ」
 あまり良い噂でないのだろう。美雪の眉間に皺が寄っている。
 「『片割れを呼ぶ石像』ってのがね」
 「それがこの石像だと思ったんですね」
 頷くのを確認する。
 「何で片割れな訳? 何で呼んでる訳? って思っちゃったよ。一緒にいないの? ってね」
 「調べて行くと、それがこの一体…赤い瞳の像のことであると解った訳ですね? そしてそこからずっと赤い瞳の像を追うと共に、青い瞳の像の行方を追い、更に元々所有していた家族の情勢も追っていた、と言うことですね?」
 「正解」
 「それで、あまりに青い瞳の像が見つからない為、業を煮やしたと…」
 思考のトレースをしていくと、そう言う答えになるだろうとセレスティは考える。
 あまり気の長くはないだろう彼が、十年我慢したのはなかなか大変なことだったろうと思うと、美雪には悪いが少々可笑しくなってしまった。
 「俺はね、もう片方の行方を問いただそうと思ったんだ。どうにも、こっちのネットワークに引っかからないんだ。青い方がね。こんな可笑しなことはない。もしかすると、もうここの世にはないのかもしれないって、そう思う。手放したってことは、何かイヤなことがあったんだよ。この像に。生活に困ってる訳でもなかったんだし。だとしたら、これを持ってそいつのところに行けば、ボロ出してくれるだろってね。そう思ったんだよ」
 「成程。だから後もう一つは、内緒と言う訳ですか」
 先程出会った時の台詞を思い出した。
 「手伝うと言うより、自分の目的にあったことですものねぇ…」
 ちろりと美雪を見てやると、悪びれずに笑っている。
 「ごめんねぇ。総帥。ま、イイじゃん。総帥の目的ともあってるしさー」
 「ホントにまあ、君ときたら…」
 笑ってしまうしかない。
 イイ性格だ。
 まあ、セレスティとしても、こうして情報が入ったのだから、良いとしようと思うが。
 「帰ってきてと泣いているのは、どちらなのだとユキさんは思いますか?」
 「姉の方」
 つまりここにはない、青い瞳の像が赤い瞳の像に呼びかけていると言うことだ。それが強すぎる為、手元においた者達の夢にまで干渉しているのだろう。
 「何故です?」
 はっきりと言うからには、根拠があるのだろう。
 「妹が死んじゃった後、あの子の口癖だったから。『何で死んじゃったの? 一人にしないで。帰って来て。私のところに、帰って来て』ってね」
 どれほどの思いを込めて、そう言ったのだろう。
 短い生を駆け抜けた自分の妹を思い、未だ小さかった少女は。そしてまた、それを見るだけしか出来なかった更に小さな弟の気持ちも考えると、セレスティは早く会わせてやりたくなる。
 「では、元の所有者が現在住まっている場所は、お解りなのですね?」
 「勿論。何してるかも知ってるよ」
 「ほう…?」
 何処かバカにした様な顔をしているのは、一体何故だろう。
 その三人縁の者ならば、あまり悪い感情を持っていない様な気もするのだが…。
 もしかすると、手放したと言うことに拘っているのかもしれない。
 「弟くんの息子でね。とある学園の学長だよ。今でも教えてるみたいだねぇ。教育学ってのを。たいそう立派なことを言ってるらしいよー。『人は清廉潔白でなければならない』ってのが口癖みたいだねぇ。バッカじゃないのー。全くもう良いジジイなんだから、さっさと引退すれば良いのに。何処でもジイさんって元気だよねぇ。ホント、良い迷惑ー」
 成程。自分とはまるで反対のことを掲げているからのことなのだと理解したセレスティは、思わず吹き出してしまう。
 「あーあ、笑っちゃってるよ、総帥ってば。そんな変なこと言った? 俺」
 「いえいえ。それでもそんな方なら、さぞかしご立派な方なのでしょうねぇ。口先だけと言う訳では、ありませんでしょうに」
 「PTAから大人気みたいだねぇ…。なかなかのロマンスグレーとか言うヤツだし。正論って鎧着てるみたいな感じかなぁ」
 これは天敵な存在なのかも知れない、彼にとっては。
 「で、その学園の名はなんと言うのですか?」
 「新宮学院大学って言うんだよ」



 秘書にアポイントを取ってもらい、二人は赤い瞳の像を持って新宮学院大学へと赴いた。
 最近建て替えられたらしいそこは、何もかもが新しい香りがする。正門からどんと抜けるプロムナードの両脇には、現在クリスマス仕様のデコレーションが施されている。
 暗くなれば綺麗に明かりが灯り、人の目を楽しませるのだろうことが解る。
 二人ははっきり言って、人目を引きすぎていた。
 どちらか片方いても十分目立つだろうに、それが二人だ。すれ違う度に首をぐるりと捻るまでして二人を見ている。
 普通ならイヤになるだろうが、この二人は慣れたものだ。
 セレスティはその饒舌な視線を優雅な微笑みで受け流し、美雪はにっこりと愛想を振りまいている。
 「ユキさん、手を振ってはいけませんよ」
 何だか今にもコンサートでも開こうかと言う様な素振りの美雪に、セレスティはしっかりと釘を刺す。苦笑を漏らす美雪は、おそらく一人ならここで握手会くらいは開いたかもしれない。
 その苦笑を見つつ、先に言っておいて良かったとセレスティが思ったのは内緒だ。
 だが二人の微笑みも、そう長くは続かなかった。
 職員に第五応接室と言うところへと案内された二人は、そのまま学長を待っている。
 何処にでもある様な部屋だ。観葉植物が配され、中央には広いテーブルと周囲にはソファ。目の前には、客用にとお茶が出されているが。
 「……。総帥んとこのお茶は美味しかったなぁ…」
 「それはありがとうございます。煎れた彼もそう言ってもらえると、喜びますよ」
 『不味いよ、これ』と雄弁に言外に語る美雪の態度を見て、セレスティは苦笑する。
 ノックの音がし、ワンテンポずれてドアが開く。
 ゆっくりセレスティは立ち上がり、更に渋る美雪を何とか立たせて相手を見た。
 「お待たせ致しました。学長の海棠(かいどう)です」
 そう言って挨拶したのは、すでに頭髪は全て白くなっている老人だ。しかしながら、背筋はピンと伸び、矍鑠としているのが解る。威風堂々とは、彼の為にある言葉だと言われても納得が行く。彫りの深い顔立ちは、もしかするとゲルマンやアングロサクソンの血が入っているのかもしれない。
 そして、いかにも美雪が嫌いそうだと思ってしまった。
 「初めまして、私はセレスティ・カーニンガムと申します」
 笑顔を浮かべて挨拶した後、ちらりと横を見ると、美雪は眉間に皺を寄せている。
 が。
 瞬きの後、先程の顔は見間違いだろうかと思える笑顔を浮かべていた。
 「初めまして。三上美雪です。この度は、お忙しいところお時間を割いて頂き、ありがとうございます」
 唖然としているセレスティに、口角をつり上げることで笑って見せた。
 視線は、セレスティに任せると言っている。
 『仕方ありませんねぇ』
 「三上…美…雪、さん…?」
 何処か考える様にしている海棠に、セレスティは穏やかな面持ちで口を開く。
 「彼のことをご存じなのですか?」
 「あ、…いえ…。申し訳ありません。…本日は、父のことについてとお伺いしておりますが」
 何処か腑に落ちないと言った顔だ。けれどセレスティは気が付かない振りで、話を進める。
 「はい。海棠さんのお父様がお作りになったと言う石像について少々お聞きしたく、ご迷惑かとは存じましたがこちらへと参りました」
 「……。あれはこちらには御座いません。今は何処にあるのかも、存じません」
 『成程。やはり触れて欲しくはないお話の様ですねぇ』、そうセレスティは確信する。海棠の様子は、二人から視線をそらせて、思いっきり事情があるんですと表現していた。
 「……実は、石像の一体は、現在私の手元にあります」
 「…え……?」
 愕然とした面持ちで、視線がセレスティと美雪の顔を行ったり来たりとしている。先程感じられた余裕の様な物も、いきなり形を潜めていた。
 美雪は内心の計れない笑みを浮かべたままだ。
 セレスティは脇に置いてあるアタッシュケースから、その石像を取り出した。包んである布を丁寧に取り払うと、そっとテーブルの上へと置く。
 小さい悲鳴の様なものを聞いた気がする。
 そして。
 結果的に言えば、美雪が当初考えていたことは、功を奏した訳だ。
 そのことから、彼が可成り長期の間、この海棠と言う男のことを見ていたと言うことを、セレスティは感じた。
 短い間でここまで思う結果を出すと言うのも、難しいだろうと言うのがその理由だ。
 「解りました。…貴方方がこちらへいらした理由は…。それで、貴方の本当のお名前は何と仰るのですか?」
 黙ったままでいた美雪を見て、海棠が言う。
 セレスティには、何故海棠がそう聞いたかが良く解る。
 『彼が知っている三上美雪が、こんなに若い筈がない』からだ。
 先程からは一転し、小馬鹿にしているのを隠そうともしていない美雪が口を開いた。
 「本当も何も、俺は三上美雪って言うんだよ。偽名なんか使わないさ」
 「では……」
 何故? そう言いたいのだろう。
 けれど。
 「好奇心、猫をも殺す…と言う言葉を、ご存じですね?」
 柔らかな微笑みを浮かべ、セレスティはそう言った。詮索はされたくない。まあ、他の者からは、『貴方には言われたくない』と突っ込まれそうではあるが。
 唇を噛みしめて、小さく解りましたと呟いた。その姿は、最初に見せた矍鑠たる老人のそれではなく、本当に小さな、そしてか弱い老人だ。
 「この像は、父の伯母達をモチーフに、父が自らの手で作ったものです。幼くして病に倒れてしまった彼女らを、父は本当に愛しておりました」
 ぽつりと話し始める老人の言葉に、セレスティは耳を傾ける。
 彼の話す言葉に、嘘はない、そう感じた。
 「海を渡って日本と言う国へとやって来て、当初父ら家族は、とても苦労したそうです。幼いながらも、その苦労が解ったと申しておりました」
 顔つきからそうかもしれないとは思ったものの、そうであったのかとセレスティは今納得した。日本姓であるのは、元の姓を捨てたからだろう。
 「徐々に周囲ともうち解け、漸く見通しも着いた頃に病に倒れ、そこからまた苦労が始まったそうです」
 「何故です?」
 うち解けているのなら、周囲の協力も得られたであろうと思うのだ。
 しかし海棠は黙ったままだ。
 「……無知と無理解に晒された病気だったからだよ。総帥」
 口を開いた美雪のその言葉に、ふと思い当たる病名があった。
 今もなお、多くの偏見が持たれているそれかもしれないと、セレスティは思う。
 ただ言ったのは一言だ。
 「……そうですか」
 「父は……、とても嘆いておりました。一人亡くなり、そして後を追う様に、もう一人の姉もまた同じ病に倒れ…。逃げる様にそこを後にしたと言います」
 「今そこはどうなっているのですか?」
 「現在は私が手にしております。父の願いでしたから」
 解らない。
 願いであったからこそ、捨てた家を再度取り戻しているにも関わらず、この形見とも呼べる、そして父のおそらく一番の執心を集めている石像を忌避するのか。
 セレスティのその思いを察した様に、海棠が口を開いた。
 「私は父から、伯母達の話を聞いておりました。そして何時の間にか、自分が父で、その場にいた様な錯覚を覚える様になったのです。父の悲しみが、私の中にそのまま生まれていました」
 「では、その像を売ったのは、何故ですか?」
 再度思う。
 『何故?』と。
 「それは……。もう、私はこの像を持っていたくはなかったのです。この像が夜毎私を責めている様で…」
 顔を背けてしまった老人に、セレスティは聞いた。
 「もう一つの像は何処に?」
 「あれは……。私が壊してしまいました…。赤い瞳の像を売ってしまう前に」
 不意に隣にいる美雪の気配が異質なものへと変わる。
 「だから悲しそうだったんだ…。何でそんなことしたの?」
 平坦な声だ。けれどそれは暴発寸前の怒りを内包していると言うことを、セレスティは感じ取っていた。
 「……これは、事故でした。それからなのです。あの像が、夢で泣くのは…」
 「そりゃー自業自得ってもんでしょ。せっかく一緒にいたのに、君が壊したんだしさー。泣いて出られても文句言えないじゃん。それがイヤで売っ払っちゃったって、勝手だねぇ、ホント。こんなヤツが人に偉そーに物教えてる訳だ。教え子の程度も、知れるんじゃなーい? お前みたいな指一本残して棺桶に入ってる様なヤツ、生きてる意味ないねー。さっさとあの世でも言って、三人にごめんなさいしてきたら? おバカなヤツでごめんなさーいってね」
 怒濤の勢いで毒の矢を放つ美雪に、セレスティは待ったをかける。
 「ユキさん、もうその辺で…」
 ここで止めないと、延々美雪は海棠を責めそうだ。
 「総帥ってば、優しいんだから…」
 「私に任せたのは、ユキさんですよ」
 ちろりと見てやると、ばつの悪い顔をしてぽつりと呟く。
 「確かにそーだったよねぇ…」
 「その欠片すらも、もうないのですか?」
 何かいっぺんでもあれば、セレスティにはどうにか出来る。
 「いえ。あの父たちが育った館に埋めています。伯母の部屋の窓から見える場所に」
 せめてあの場所に帰れる様にと思ったのだろうか。セレスティには解らなかった。
 「頂いても宜しいですか?」
 「しかしあれはもう、壊れているのですよ」
 「構いません」
 セレスティはにっこりと笑う。
 彼には考えがあったのだ。
 「じゃあ、せめてもの罪滅ぼしってことで、このジイさんに掘り起こしてもらうとしようか」
 にっこり笑う美雪に、セレスティは溜息で返す。
 「ユキさん、君には敬老精神と言うものはないのでしょうか?」
 「えー、総帥。それは言っちゃーいけないことなんじゃない?」
 美雪が何をさして『いけない』と言っているのか、セレスティには良く解る。
 自分は元より、おそらく美雪の実年齢も、この目の前の老人より遙かに上だろう。敬老精神と言うのが、ただ単なる年齢のことを指して言うのなら、確かに自分達二人は、目の前の老人に庭を掘り起こしてもらうことになる。
 だが。
 「ユキさん、そう言うものではありませんよ」
 二人が何を言っているのか解らない海棠は、訝しげにこちらを見ていた。
 「あのねぇ、総帥。俺ね、自分が凄い、偉い、って思った人しか、敬わないことにしてるんだ」
 頑固だと思う。
 けれど、確かに美雪が頭を下げたいと思う人物でもないだろうことは、セレスティにも解った。この老人は弱いのだ。
 人であれば、弱さもあり、またその弱さは時として魅力にもなり得るものでもある。けれど自分のやってしまったことから、逃げてしまっているのだ。とても魅力にはならないだろう。今まで短い時間とは言え一緒にいた美雪の性格は、ある程度理解出来る。人には偉そうに蘊蓄を垂れているクセに、自身はやったことに責任も取らず、逃げると言うことに腹立たしさを覚えているのだろう。
 セレスティだとて、やはりこの海棠の行為は如何なものだろうとは思える。だがそこまで責める理由も見当たらない為、強く言おうとは思わないのだ。
 「ではこう致しましょう。君には、洋館へは来て頂きます。けれどそれは掘り出して貰うのではなく、きちんと壊した像に向かい合って貰う為です。掘り出すのは、……ユキさんにお願いしても、ダメでしょうねぇ…」
 「ごめんね、総帥。総帥のお願いやタメになることはしたいけど、このジイさんのタメになることは、絶対したくないのよ、俺」
 本当に頑固だ。いっそ清々しいまでに。
 元より、そう言い始めた時から美雪に期待はしていなかったセレスティは、考えていた案を提示する。
 「海棠さん、君の教え子にお願いできますか?」
 セレスティのその言葉に、美雪が目を見開いている。
 「うわーー、総帥。それ、俺よりキツイと思うけど」
 「最近の学生さんには、とても良い教訓になるかとは思いますよ」
 「総帥、解っててずらしてるでしょう…」
 引きつった顔を浮かべる美雪に、にっこり笑って返す。
 勿論、解っていてずれた答えを返しているのだ。
 海棠は、教え子の目の前で恥をかくことになる。
 今まで自分が口にし、そして教え子に教えていたことが、全て嘘の上になりたっていたと言うことになるのだから。
 だがそれが恥になると、一体何人の者が解るのだろうかとも、セレスティは思うのだ。
 更に、逃げるべきではないことからは、逃げてはならないと言うことも何人が知るだろうか。
 「ま、良いけどねぇ。で? どう? 多分、自分で掘った方が、マシな様な気もするけど」
 老人は迷いもせずに、はっきりと言う。
 「いえ、事情を話し、手を貸して貰うことに致します」



 後日。
 セレスティと美雪は、海棠と数名の学生と共に、その館へと向かった。
 掘り起こす学生達の反応は、不満そうな顔をしている者や、逆に神妙な顔をしている者と様々だった。
 セレスティは、それを背後でじっと美雪と共に見つめている。
 海棠の記憶は確かだった。
 いや、忘れたくとも忘れられなかったのだろう。
 大した時間もかからず、それは掘り起こされた。
 「あったっ!」
 何処かほっとした響きを含んだ声に、海棠が礼を言って受け取っている。
 「ユキさん。この像を持ち帰りますか?」
 不意に問いかけたセレスティに、怪訝な顔をしている。
 「君にとっては大切なものなのかと、思いましてね」
 ゆっくりと海棠がこちらへと向かうのが解った。
 「いや、良いよ。総帥が持ってて」
 「構わないのですか?」
 にっこり笑って美雪が言う。
 「俺としてはね、ちゃんと大切に像を持っていてくれる人なら、何処にあろうと全然構わないんだよ。彼女たちもそうだよ、きっと。でね、それが総帥のところなら、大歓迎さ」
 「それでは、私は君の期待を裏切る様な真似は、出来ないですねぇ」
 海棠がセレスティの名を呼ぶ。
 「大切に、致しますよ」
 大輪の薔薇の様にセレスティは笑い、もう片方の像を受け取った──。


Ende


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い


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          ライター通信
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こん●●んわ、斎木涼です。
納品がぎりぎりになってしまい、申し訳ありません。

 > セレスティ・カーニンガムさま

 何時もありがとう御座います(^-^)。
 そして『石の双子』へのご参加もありがとう御座いました。
 再度美雪と絡んで頂きましたが、どうでございましたでしょう。
 アホさ加減に呆れておられなければ宜しいのですが…。

 また、反則ですが、前回のシナリオノベルのことも少々…。
 実はあのケーキを選ぶのに数日かかったことは内緒の話です。ええ、一番根性を入れとりました(笑)。
 甘いものがお好きな様でございましたので、是非とも美味しそうなものを食べて頂きたく…。


 セレスティさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。