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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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■石の双子■
そこにあったのは荒削りながらも、何かを訴える様なルビーの瞳を持つ石で作られた女性の像であった。
女性像は高さ二十センチ程度で、充分手で持って歩くことが出来る程の大きさだ。
それを手にしていた女性が像をマジマジと見て、溜息を吐いた。
煙管を口に運ぶ気にすらならない。
「まさかこのあたしが、毎晩夢に魘されるとは思ってもみなかったね」
気怠げに椅子の背もたれへと身体を預けるその女性は、アンティークショップ・レンの店主、碧摩蓮(へきま れん)であった。
二十代後半に見える彼女は、普段通り深くスリットの入ったチャイナドレスを着込み、参ったとばかりにまたもや溜息を吐いている。
この石の像についての曰くを、勿論蓮は知っていた。
知っていて手に入れて来たのだが、まさか自分がその曰くの一端を垣間見ることになるとは、思っていなかったのだが。
実はこの像、本来であれば二つあったのだ。
当然ながら蓮としても、二つ一緒に手に入れたかったのだが、片割れは見失って久しいと言うこともあり、取り敢えずこの片方を手に入れれば、きっともう片方も手にはいると言う予感があったからこうして手元に引き取ったのだ。
「こうなると、予感もへったくれもありゃしない」
毎夜毎夜見る夢は、何処か寂しげな洋館を舞台に繰り広げられる日常だった。寂しげと言っても、別段荒れ果てている訳ではなく、ただ人の気配が感じられないことから来る印象だ。
その夢に出てくるのは二人だけ。
黒い髪に青い瞳の少女と、栗色の髪に紅い瞳の少女だ。
そしてご丁寧に、夢が覚めるその瞬間『お願い、私のところに帰って来て…』と少女が涙を流しつつ呟くのだ。姿を見ているのに、それが二人のうちどちらであるかは解らない。もしかすると、実は第三者がそこにいるかもしれないとも思えてくる。はっきりしないそのことも、何となく苛々とする要因の一つだ。
仕方ない、と蓮は思う。
「片割れを探してもらおうかねぇ…」
鮮やかな黒は、まるで熱砂を走る黒豹の毛皮。
清々しい青は、まるで高い秋空を思い起こす。
時折覗く銀は、まるで瞬く星空を感じさせる。
そんな色彩を纏った彼は、すっと真正面にある店を見上げた。
『アンティークショップ・レン』
誰しもが辿り着ける場所ではなく、けれど只人たり得ない者であれば、何時の間にやら導かれる場所だ。
そして彼──向坂愁(こうさか しゅう)は、その『アンティークショップ・レン』に浅からぬ縁がある。
愁は何時もの如く、その店の扉を開けると中へ一歩踏み出した。
「いらっしゃい。良く来たね」
涼やかな鈴と共に聞こえる声音は、何処か人を食った様な感がある。いや、もっと正確に言うと、何か腹に一物持っている様な雰囲気だ。
まあそれも何時ものことだと半ば達観している愁は、その声のする方向へと視線をやる。
「こんにちわ、碧摩さん」
愁がそう声をかけたのは、紅い髪を持ち、ハイカラーで大胆なスリットの入ったチャイナドレスを身につけた美貌の女性だ。名を碧摩蓮(へきま れん)と良い、このアンティークショップの女主人を張っている。
もっとも、愁はその美貌に興味がないし、扇情的なチャイナドレスに心動かされることもない。何故なら、彼には最愛の妻がいたからだ。
彼女以外の女性は、カボチャ以下に見えると言っても過言ではない。
それはさておき。
「碧摩さん、目の下に隈が出来てますよ」
「来ていきなりそれかい」
手にしていた煙管をとんと叩き、蓮は口元を引きつらせている。
言ってはいけないことだったと悟ったのは、この次の台詞を聞いてからだ。
勿論失言と言う意味ではなく。
「あんたにもそう言われるくらい、あたしもねぇ、少々疲れてるんだよ」
「……碧摩さんが?」
イヤな予感に、愁の眉根が寄せられる。ここに来たのは、何となくなのだがやはり何時もの如く、依頼を受ける羽目になるのだろうかと思う。面倒と言う訳でも、面白くないと言う訳でもないのだが、碧摩のこの様子を見るからに、何となくイヤな感じがするのだ。
「なんだい。あたしはか弱い女なんだよ。疲れることくらいあるさ」
「……少々不適切な言葉を聞いた様な気がしますけれど。碧摩さんをそこまで疲労させるものとは、一体なんなんですか?」
「喧嘩売ってんのかい? ……まあ良い」
蓮がじろりと睨みあげるも、はあと溜息を吐く。
別に愁は喧嘩を売っている訳ではなく、ただ素直に感想を述べただけなのだが、どうも何か違う様だ。何処か明後日の思考性を持っている──もしくはボケている──とは、漸く探し出すことの出来た弟からも言われるのだが、自覚がないので如何ともしがたい。
「この前、少々曰く付きの石像を買い込んだんだよ」
そう前置きをするのだが、この店に曰くのつかないものがあるのだろうかと愁は思うが、取り敢えずは黙って話を聞くことにした。
「その石像がねぇ…。毎晩夢に出てきてさ、……泣くんだよ」
「…何と言ってですか?」
「帰ってきてくれ…ってね」
煙管を一服し、蓮は詳細を話し始めた。
その夢は、それが夢であると解ると言う。けれど解ったからと言って、そこで起こっていることには干渉出来ず、ただ映画を見ているかの様に、その風景は蓮の眼前を流れて行く。
彼女が最初に見たのは、鉄錆のついたしっかり閉まっている門扉だ。
その奥には道があり、両脇にはうっそうとした木々が茂っている。その先には、シンメトリーの作りをした洋館が見えた。
中に入れないのかと思っていると、いきなり場面が変わって、館内部に入っている。
彼女が立っているのは、長い長い廊下だ。消失点が見える。確かにそこそこの広さを持っている洋館ではあったが、そんなに長い廊下がある館には見えなかった。だからこれは、おそらくこの夢を見せているものの心象なのだろう。
長い廊下には、両側に扉がある。光源もないのに、まるで日だまりの中にいる時の様な明るさが不思議だ。そう言った光だから、当然ながら不気味さはない。そこにあるのはただただ静寂だけ。
いくつもある扉を見て、一つ一つ開けていくべきなのだろうかと考え込んでしまう。
けれどそう悩むまでもなく、蓮は一つの扉の前に立っていた。
ゆっくりと音もなく開くそれ。
その中には、セピア色に染まった三人の子供達がいた。
半袖姿の二人の少女に半袖姿一人の少年。まだ十代にも手が届いていないのが解る。
声は聞こえない。無声映画の様だ。
かたかたとフイルムが回っているのだろうかと言う錯覚。
楽しそうに遊ぶ子供達。部屋には燦々とした日の光が降り注いでいる。すべてがセピアな風景の中、この光だけが鮮やかに色づいている。
けれど何処か寂しそうだと蓮は感じ、ふと気づいた。これは自分の気持ちではない。これを見せている何者かが、この風景を懐かしんでいるのだと悟った。
それに気付くと同時、扉は閉まっていた。やはり音はない。
そして次に扉が開かれた時は、どうやら一つ次へと進んでいたらしい位置に立っており、また部屋の中の風景は違っていた。
先ほどよりは、少し時は進行したのだろう。部屋の窓から降り注ぐ光が、少々柔らかくなっており、袖も長いものになっていた。
どうやら今回は喧嘩をしている様で、少年が泣いている。わんわんと言った表現が当てはまるのだろうが、やはり声が聞こえない。何処か微笑ましいものを感じるのもまた、先ほどと同じ、この夢を見せている者の気持ちだ。
次々扉が開かれ、蓮の位置もまた進んで行った。
訪れることがないのかもしれないと思った、最後の扉だ。
それがゆっくりと開かれる。
そこだけ鮮やかに色づいており、初めて蓮は、そこにいる少女が黒い髪と青い瞳、そして茶色の髪と赤い瞳を持ち、少年が茶色の髪と青い瞳を持つことを知った。三人の成長ぶりから、一番最初の扉にいた時からは、数年流れていると解る。
茶色の髪を持つ少女は、どうやら病気の様だ。その脇には、もう一人の少女と少年が付き添っていた。
扉が閉まる。
と、やはりセピア色の風景に戻り、初めて音が聞こえた。
いや、声だ。
眼前に俯いた背中が見えた。
おそらく聞こえているのは、その者の声なのだろう。切実な色を帯びたその声は、こう言っている。
『お願い、私のところに帰って来て…』
「成程ねぇ…。では、碧摩さんにそう告げているのは、黒髪の髪の少女なのでしょうか?」
愁はそう言うと、小首を傾げた。対する蓮の答えは、何とも頼りない。
「それがねぇ…。セピア色だろ? 判別つかないんだよねぇ。これが」
話の内容を総合するとそうなのだろうが、断言はしないでいる。
「セピアと言っても、色が濃いか薄いかで髪の色は判断出来そうですが。それにしても三人いますね」
蓮がバツの悪そうな顔をしつつ、こほんと咳払いをすると話し始めた。
「まあそうなのかもしれないけどねぇ…。並べば解るだろうけど、一人だからねぇ…。濃淡なんか解らないさ」
「取り敢えず、ここにあるのは赤い瞳の像なんですね」
「そうさ」
「では、夢の内容から推察すると、もしかしてもう一体の像があるのではないですか?」
「正解。これは元々、赤い瞳の像と青い瞳の像の二体でワンセットなんだよ。石の双子と呼ばれていたのさ」
「取り敢えず、今探すべきなのは、青い瞳の像ですね?」
「そう言うことになるか」
先ほどの話を聞いても、その様に思える。
愁は、青い瞳の像が未だ館にあるのではないかと思った。そこから帰ってきてくれと呼んでいるのだと。
何故ならここにあるのは赤い瞳の像だからだ。
そうすると泣いているのは青い瞳の像だが、では何故、赤い瞳の像は何も言わず、ここにない筈の青い瞳の像が蓮に告げるのか。
また赤い瞳の像が告げているのなら、何故『帰して』ではなく『帰ってきて』なのだろう。
それに蓮の夢の中に出てきた少年の存在だ。少年の像は、何故ないのだろうと思う。
「考えていたら、頭が痛くなりそうですね」
「だろ?」
その蓮の答えから、同じように考えていた様だと愁は感じる。
夢に魘されるだけが、蓮の隈の原因だけではない様だ。
「何にせよ、青い瞳の少女ですか…」
ぽつりとそう漏らすと、愁は暫し考え込んだ。
己もまた、その少女と同じ黒い髪と青い瞳を持っている。その上、以前は生き別れになっていた弟を捜してこの日本と言う国にやって来たのだ。弟は無事見つかったものの、探している時の切ない気持ちは、今でもまだ鮮明だった。
いると解っているのに会えないでいると言う気持ちは、愁にも痛いほど解るのだ。
「見つけてあげたいですね…」
その言葉は、心からのものだった。
「碧摩さん、この像の行方、僕が探しますよ」
「そう言ってくれるとありがたいね」
「この像の、前の持ち主だった方のことを教えてもらえますか?」
経緯を辿れば、あるいは元の場所に行き着くかも知れないと考えたのだ。
「前の持ち主だけじゃなく、その像の出所は確かだよ」
「本当ですか?」
まさかそんなにあっさり解るとは、思ってもみないことだった。
「ああ。東京の外れにある洋館さ」
そう言うと、住所まで教えてくれた。
「けどねぇ…。話はそんなに上手くないんだよ」
「…と言うからには、そこには、今誰も住んではいないんでしょうねぇ…」
にんまりと笑う蓮に、愁は大袈裟に溜息を吐いてみせる。
確かに出所が解っているなら、蓮が自分で買い取りに行かないのは可笑しいし、それ以前に二体でワンセットものなのだから、同時に買い取っているだろう。一体だけここにある状態である筈もないのだ。
「全く、碧摩さんは、いつもそうやって変なものばかり集めて来ては、人様に手間をかけるんですねぇ。生き甲斐ですか?」
「人を年寄りみたいに言うんじゃないよ」
まだまだ若いんだと、憤懣やるかたない調子で言う蓮に、愁はしれっとした顔で言い募る。勿論思ったことを言ったまでで、彼自身に悪気はない。
「まあ、お年寄りになると、まだまだ若いと主張するもんですけど…」
「その減らず口、縫って欲しいのかい?」
「そんなに怒ると、血圧が上がりますよ」
こめかみに青筋を立てつつ、蓮が言った。
「ああもうとにかく、あたしが不眠症になる前に、何とかしとくれ」
「参ったなぁ…」
周囲を見回すと、どうにも目的地からはほど遠いと知れる。
空模様はとても良い。晴天と言うよりピーカンだ。
なのに自分の状況は、曇天だった。
愁は方向音痴だ。天下無敵とまでは言わないが、微妙に。一応路線図で調べて来て、その通りに乗ったまでは良かった。けれど駅より出てからが不味かったのだ。
歩いて行ける距離だし、道が解らなくなれば人に聞けば良いと思ったのだが、その人がほとんど歩いていない。歩いていたとしても、そそくさと言ってしまう者ばかりだった。住宅地ではあるのだが、何だかとても醒めた雰囲気を持っていて、何だか声をかけるのを遠慮したくなってしまう。
静まりかえっているのは、住宅地であるから仕方ないのかもしれない。
全体的に古くて由緒正しい家が並んでいるのが、そう言った雰囲気を感じさせる要因でもあるだろう。
とまれ、ここで困った困ったと言っている訳にはいかない。
けれど駅まで戻ろうとしても、おそらく迷ってしまうこと請け合いだ。
少々目の前が暗くなってしまいそうだった。
「こんなとこで躓くなんて、ちょっと幸先悪いかな」
大切に布で包み込みんでいる石像は、アタッシュケースの中だ。それに視線をやると、こっそり溜息を吐く。
「ねえ、赤い瞳の石像さん。生まれたところを、教えてくれないかな?」
ぽつりとそう呟く愁の背後で、気配が動く。
くすんだ気配ではないのが解るが、何やら殺気がある様な気もしないではない。
背後を伺いつつ、愁はゆっくり移動する。
すると気配もまた、愁の後について動いているのが察せられた。
『何だろう…』
別段自分は、人の恨みを買う様なことをしていないのにと思う。
では何故?
愁はじっくりと考えてみた。
一番原因がありそうなのは、この手にある赤い瞳の像だが、これを愁が持っていることを知っているのは、あの碧摩蓮だけだ。後、調査に向かう際に、自分の妻と弟には連絡を入れている。
妻には『ごめんね、今日帰るの遅くなるかもしれないんだ。碧摩さんの好奇心には困っちゃうよねぇ。あ、でもちゃんと家で食べるからね。一緒にご飯食べるの、楽しみにしているよ』と、ラブラブな会話を、そして弟には『何だか可哀想な像があってね。二つ一緒だったのに、離ればなれになっちゃってねぇ。まるで僕たちみたいなんだ。何だか僕、日本に来たばかりの時のことを思い出したよ。お兄ちゃん、頑張って見つけてくるからっ』と言う兄バカなんだか弟バカなんだか解らないことを、それぞれ話していたのだ。
とまれ、その三人から漏れることはあり得ないだろう。
少なくとも仕事であると解っているのだから、それを吹聴する真似は誰もしまい。
とすると……。
と思った愁は、はたと気が付いた。
「僕、言ってるじゃないか…」
そう、先程の独り言だ。
確かにあの独り言の後、この気配ははっきりと現れたのだ。
しかしこれを狙うなら狙うで、その理由が解らない。
一応は素知らぬ振りをして歩き続けているのだが、何時までもこのままではいられないと言うことも、愁には解っている。住宅地をこれ以上巡ると、更にドツボに填る危険性がなきにしもあらず…と言う事情はさておき。
くそ度胸が座った。
ぐるりと反転すると、愁はすっと目を眇める。
「こそこそしてないで、出て来たらどうですか?」
暫しの沈黙だ。
ここで通行人がいなくて良かったと、愁は案外暢気に思っていた。誰かに見られでもしたら、少々恥ずかしいかもしれない。
ゆっくりと、先達て愁が曲がろうかどうしようかと迷っていた道から、男が姿を現した。
そこにいるのは短く刈り込んだ銀色の髪と、血の様に赤い瞳を持つがっしりとした体型の男だった。
「さっきから何故僕の後をつけているんですか?」
じっくりと観察してみるも、何故だろう。悪意がないと感じられる。
ただ困っている様な風であった。
「ちゃんと説明して貰えませんか? でないと警察を呼びますよ」
勿論はったりだ。本当に呼ぶつもりはなく、水戸黄門の印籠には落ちるだろうが、大抵の人間であれば警察言う言葉を聞けば、何らかの反応を見せる筈だと思った。
こすからいとは思うが、黙りを通している相手なのだから、愁にしても困ってしまうのだ。
優しげな風貌を出来る限り怖くして睨んだつもりだが、相手はまだ黙っている。
『困ったなぁ…』と心で呟いたところで、漸く相手が口を開いた。
「……。付けていて済まない。ただ、心配なだけだ」
「心配…?」
何を言い出すのだろうと、愁は思う。少なくとこの目の前の男は、見ず知らずの人間だ。そんな見ず知らずの人間から、心配される謂われなどない。
「お前は赤い瞳の像を持っているな?」
ここではいと言っても良いものか、愁は逡巡。
だが。
「持ってますけど?」
「それがどんなものかは知っているか?」
「……一応は」
「なら俺に渡せ」
愁の眉間に皺が寄る。
渡せと言われ、はいどうぞとは行かないくらい、普通は解るだろう。なのに平然と…と言うより、ほぼ無表情に言う。
「もしも貴方が僕の立場なら、どうぞと渡しますか?」
「渡さない…な」
男の口角があがる。それが笑ったのだと解ったのは、少々の時間が経ってからだ。
「まずは貴方の立場から、教えて頂けませんか? お話はそれからと言うことで」
「妥当な判断だな」
男は素直に頷いた。
「俺は、陽(よう)・コンラート。アカウントCの委託職員だ」
「アカウントC?」
初耳だ。そんな組織、もしくは企業名は聞いたこともない。
「ネットワーク内で起こる事件……、最近は妙なオカルトじみた話が多いが、そう言う事件を扱っている組織だ」
実はこれには、可成りの省略があるのだが、いかんせん愁に解る筈もない。
だが唯一一点の言葉で、愁は自分なりの結論を出した。
「つまり草間興信所のネットワーク版か」
ぽつりと一人ごち、すっと彼を見て更に問いを重ねる。
「あ、お聞きしたんですから、僕の方も…。僕は向坂愁です。それと、ネットワーク内の事件と仰ってますけれど、今回のこの赤い瞳の像に関して、何かネットで噂になっているんですか?」
もしもそうなら、調べていれば良かったと愁は思った。今回、蓮に聞けば大抵のことが解るだろうと思っていたから、わざわざ調べなかったのだ。まさかネットワークで話が上がっていたなんて、思っていなかった。
「いや。別口だ」
「別口?」
それ以上言う気はないらしく。彼は黙ったままだ。
『守秘義務ってやつかな?』、そう愁は思う。
しかし今回のこれに関わってくるなら、聞かなければならないだろう。
じっと見つめてやると、徐々に落ち着きをなくしていくのが解る。
『何か面白いかもしれない…』
愉快になってきた愁は、更にじっくり、そして何処か切なげ…と言うか、頼み込む様な視線を送ってやる。
彼は視線をあちらに反らして愁のそれから逃れ様とするが、更に力を込めて見つめてやると、憮然とした、けれど照れている様な風で一言。
「み、見るな」
思わず吹き出してしまう。
「笑うなっ」
そう言われてしまえば、ますます笑いたくなる。徐々に赤くなる顔を見て、ああやりすぎたかもしれないと考えた愁は、漸くわびの言葉──しかし愉快な反応があまりに楽しかった為、気持ちは大してこもっていない──を口にした。
「済みません。ちょっと…」
「……もう良い」
ぷいと横を向いているのだが、耳が赤い。
「えーとですね。コンラートさん? に…」
「長い。陽で良い」
貴方は短いですねと心で思いつつ、素直に従って呼び名を変える。
「えーと、陽さん。先程貴方は赤い瞳の像を渡せと仰いましたが、きちんと理由を聞かせてもらえないと、そんなことは出来ませんよ。これは僕のものではありませんから、はいどうぞと言う訳にもいかないんです」
それにどうしても、愁はこの片割れを見つけ出してやりたいのだ。
離れ離れが辛いのは、何よりも自分が良く解っている。
「……。知ってる。碧摩の店のものだろう?」
「ご存じでしたか」
「その像が碧摩のところにあると知って、あの店に行ったら、お前がここに向かったことを聞いた。碧摩とはうちの組織ぐるみのつきあいだ」
成程、だから彼はここにいたのかと、愁は漸く事情を察した。組織同士のつきあいなら、まあ蓮も話すだろう。
「碧摩にはこちらから話は通す」
「……でもダメです」
「何故だ?」
真剣に愁を見る瞳が、解らないと言っている。
「まずは理由を教えて下さい。でなければ、僕は絶対に従いません」
『理由を聞いても、従うかどうかは解らないけどね』と、心の中で付け加える。
仕方ないと、溜息を吐いた陽が話し始める。
「それは青い瞳の像と対になっている。それは知っているな?」
愁が頷くと、彼もまた頷いて続けた。
「像に填っている赤い石はルビー。そして青い石はアウイナイト」
愁の目が丸くなる。ルビーの大きさは、少なくとも二センチ以上はある。
すると対になる筈のアウイナイトもまた、大きさは同じと言うことだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい。こんなに大きなアウイナイトは…」
「そう。ないんだ。普通」
赤い石を見て、愁はルビーだと解った。そしてそれの対だから、てっきりサファイアだと思っていた。勿論ながら、ルビーやサファイアも高価ではあるが。アウイナイトはそれ以前の問題なのだ。
蓮はそんなことを言っていなかった。
おそらく彼女のことだ。その曰くにしか興味がなかったのだろう。
全く以て天晴れと言うしかない。
アウイナイト。
正式な鉱物名をアウインと言う。
1807年にフランスの鉱物学者アウインが、イタリアのヴェスビオ溶岩のゾンマ山にて発見し、彼にちなんでこの名が付けられた。
最近でこそ、ある程度名が知られ初めてはいるが、昔はほとんど知る人はいなかったものだ。何故なら、産出量が少ない上、この石は一番大きいもので0.1カラット〜0.4カラットが殆どで、それ以上大きなものは、まずないと言われている為、あまり出回ることがなかったのだ。
しかも、現在ではイタリアのゾンマ山とは別に、オーストラリアのタスマニア、ドイツのアイフェルとシュバルツバルトでしか採れない。基本的には、ドイツのアイフェルがもっとも産出量が多いのだ。
ちなみに0.1カラットと言えば、愁の小指の爪よりは小さい。0.1カラットで、百万近くはざら。もっとも百万程度の宝石ならいくらでもあるが、それはそう言った大きさのものがあるからこその話だ。
二センチ強ほどの大きさを持つアウイナイト。
あり得ない。
「ネットに流れているのは、このアウイナイトの存在だ」
「じゃあ、この赤い瞳の像も…」
これは対だ。
「解ったか? だから渡せと言っている。巻き込まれるぞ」
片割れが見つからなければ、いや見つかったとしても、この赤い瞳の像は狙われるだろう。その対と言う存在価値に置いて。
蓮は本当にやっかいごとが好きだなと、愁は思う。
だが。
「……イヤです」
陽の眉根が、何故だと歪む。
「僕の目的が、もう片方の少女像と、この少女像を会わせてあげることだからです」
「頑固だな」
「頑固と言われても構いません。そもそも、貴方はこの像を手にしてどうするつもりなんですか? 何処かに隠してしまうおつもりなんですか?」
「壊す」
きっぱりと言い切る彼に、愁も同じくはっきりとした口調で言い切った。
「……それを聞いて、ますます渡せません」
「…じゃあお前は、どうするつもりだ? この像が存在する限り、狙われるぞ」
「それは……」
どうしよう…と、愁は思う。狙われると言うことは、この像がまた離れてしまう可能性があるのだ。
かと言って、壊すのも同じだろうと愁は思った。
「この像達の曰くは、俺も知っている。互いを呼んで夢で泣くのは、彼女らの死後、共にいられる様にと、弟が少女を模して像を作り、魂を宿したから、離れると互いを呼んで泣くと言う話だ。像を壊し、解放してやるのも一つの方法だと、俺は思う」
成程。泣いているのは、ここにあるのが赤い瞳の像だから、赤い瞳の少女なのだ。互いを帰してと泣いている。離さないでと泣いている。そして少年の像がなかったのは、これを作ったのが彼だからだ。
そう考えて、ふと愁は気が付いた。
「今、なんて…?」
手にした際、残留思念に近いものは感じていたものの、それは像の力が弱っていただけなのだろうか。
魂が宿った像? 本当に? 愁の脳裏に一つの考えが浮かぶ。
これに宿っているのは、少女達の魂。像が作られ、魂が込められた。
ならば会わせてから、二人一緒にいられる様に、浄化してあげれば良い。二人手を取って、共に死後を暮らせる様に。
浄化と言うのとは少々違うのだろうが、この器から解放して魂だけの存在となっても、離れ離れになるよりは余程良いだろう。いや、器という枷がなくなり、更に自由に二人でいられるのかもしれない。
「? 像に魂が宿っているから、離れると泣くのだと言ったが?」
陽が怪訝な顔をする。
「解りました。像はお渡しします。ただし」
「何だ?」
「青い瞳の像を探してからです。僕は二人をずっと一緒にいられる様にしてあげたいんです。僕の思う通りにさせてくれたら、この像はお渡ししますよ」
蓮のことがちらりと脳裏を過ぎったが、仕方ないだろう。
彼女とて、面倒な連中には関わり合いを持ちたくはないと愁は考えた。
「……仕方ない。ではそれまで、俺がお前を守る」
きっぱりと言い切る彼に、『女の子じゃないんだけどなぁ…』とも思うのだが。
まあ腕力に自信がある訳ではない。
宜しくと言おうと思った矢先。
「……その代わりと言っては何だが。……俺はあまり考えることが得意ではない。だから何かあった時、宜しく頼む」
ぶっきらぼうなのは、ただ単に性格…いや、むしろ口べたなのだからだと解った。
愁は思わず可笑しくなる。
「ええ、解りました」
「え? 洋館にあるんですか? もう一つは」
「そうだ」
二人は歩いていた。
何処に行くのかを聞いてみると、陽はこの少女達が住んでいた洋館であると言う。そしてその洋館に、愁の探している石像があると聞いたのだ。
「……碧摩さん、いい加減だなぁ…」
愁は頭を抱える。
「碧摩は嘘は言ってない筈だ」
確かに碧摩は、そこにはもう誰も住んでいないと言っていた。
けれど。
「それって…、まさか」
「あいつもそこにあることは知らない」
取り敢えず会話は成り立つものの、この言葉遣いは何とかならないだろうかと愁は思ってしまう。
潤いと言うのとは違うのだろうが、もう少し会話に花が欲しい。
「じゃあ、何故陽さんは知ってるんですか?」
「俺が隠したからだ」
愁の歩く足が止まった。何だとばかりに陽が振り向くが、愁の身になってみれば、文句の一つも言いたくなるだろう。
まあ取り敢えず、最初の館にあるかもしれないと言う考えが間違っていなかったのは良しとしよう。
「そう言うことは、もっと早く言って下さい」
「悪かった。次からそうする」
愁が迷った洋館までの道だが、二人で歩くと案外あっさりとその姿を見せた。
どうやら愁が先程目的もなく歩き回っていた時に、その側にまで行っていたらしい。
「気付いていますか?」
愁は洋館が見え始めた頃から、背後に不穏な気配を感じていた為、それを陽に確認したのだ。そして当然とばかり、彼は頷いている。
「像が揃えば、出てくるぞ」
「……あまり嬉しい話じゃないですよね、それは。ちなみに相手は解っているんですか?」
陽が首を左右に振る。
「まあ、高価なものですから、誰が狙っても可笑しくはないですね。可成り無粋な人達ですけど」
互いを呼び合う像を、ただ単なる金銭的価値があるものとしか見ないと言う者達に、共感など全く出来ない愁だ。
そんな者達と向かい会うなんて言うのは、とってもイヤだなと思う。
しかし会わせてあげたいと言う目的の為には、それもまた仕方ないのだろう。
すでに門扉を飛び越え、向う側からそれを蹴り開いた陽の元へと歩いていく。
「こっちだ」
中に入るのかと思いきや、彼はぐるりと外側を回り、どうやら中庭であったらしい場所へと歩いて行った。
そう言えば、外側から見た様子は聞いていなかったなと、愁は思う。
少なくとも洋館の外観は荒れている訳でもないが、中庭は流石に荒れ放題になっている。樹木の多いそこだから、マメに手入れしないとこうなっても仕方のない話なのかもしれない。原生林とまではいかないが、伸び放題になっている枝や草が、そこかしこから出ており、歩くにはそれを避けて行かなければならなかった。
陽はそんな庭を躊躇わずに歩いて行く。
彼が足を止めたのは、とある部屋が良く見える場所だった。
やはりその場所も枝や草は伸びていたが、在りし日の風景はとても素晴らしかったのではないかと思える。
陽がある樫の木の根本へとしゃがみ込んでいた。側に落ちているなかなかがっしりとした枝を手に取ると、その場所を掘り始めた。
手伝った方が良いのかなと愁は思うが、陽の作業は早い。あっと言う間に穴が出来上がり、そこから箱が顔を覗かせた。
それを取り出し、何やら鍵を合わせて箱を開ける。その中から布で包まれ、更にその下を油紙の様なもので包まれていた像が姿を現した。
陽はそれを持つと、愁の前へと突きだした。取れと言うことなのだろう。
愁は手を伸ばし、それを受け取った。
二つの像を手にした時、残留思念程度の気しか残っていなかった赤い瞳の像の勢いが強くなった気がする。
瞬間。
「それを渡してもらおうか」
「やっぱり出たか…」
溜息混じりに呟く愁と、彼の前へ庇う様にして立ちふさがる陽。
「お前はそれを守っていろ」
殴り合いは流石にちょっと…と思う。下手に怪我をすれば、ヴァイオリニストとして致命的なことになるかもしれない。それは困るのだ。相手が魔であるか、もしくは攻撃してくれればな……と愁は考えた。
「そうさせて貰います」
すっと両袖から、何かを滑らせて手に握るのが見えた。
背後から見ていると、陽の気がぐんと強くなったのが感じられる。高揚しているのだと、愁は思った。
空気が唸る。
目の前の彼が腕を撓らせたのだ。
陽の手に握られていたのは、彼の腕の長さを持つ双状鞭。しかも刃が突いている。
『やる気満々ってとこかな』
何故か危機感は感じていない。
樫木を背後に立つ愁は、彼らの周りに半円を描いて立っている男達を視認した。十名オーバーと言うところだろう。これが多いと感じるのか、少ないと感じるのかが良く解らない。
じりじりと睨み合いを続けていた互いは、けれど陽が動いた瞬間、その沈黙を捨て去ることにした。
地味色のスーツに身を包んでいるまるで個性のない男達は、やはり攻撃方法にも個性がなかった。出してきたのはサイレンサー付きの銃で、それを突っ込んでくる陽に向かってぶっ放す。鞭一つでどうするのだろうと思っていた愁は、次の瞬間唖然とした。
「うわ……。嘘だろう」
鞭には刃が着いている。陽は鞭を一降りして、そのまとめて飛んできた銃弾を切り裂いたのだ。勿論、普通の人間なら、その弾が割れたと言うことなど解る筈もない。愁は唸る風に、先程とは違う音を聞いたのだ。音律の示す違い。そしてその後の彼の行動から、それが割れたことを知る。
そのまま陽の勢いは止まらず、まずは真正面にいる男を右から左へと袈裟懸けに薙いだ。返す手でその身近くに迫る男へと鞭を突きだす。
「これはすぐに終わるかなぁ」
乱戦の体を示している陽を見つつ、暢気にそう呟いた時だ。
殺気を左に感じた。
瞬時に張られる警戒心。
腕に像を抱いたまま、愁は向けられる殺気に意識を凝らし、やってくるだろうものを想像する。
来る──っ!
刹那。
彼の前に影が過ぎる。
一筋の風が前方へと啼いた。
「陽、さん?」
確か彼は、愁の真正面にいた筈。陽はそのまま弾丸を放った相手に向かって突進し、見事なフォームで顎を蹴り上げると、次いでその足を落として額を割る。容赦ないのは、更にその男に向かって顔を真一文字に鞭の刃で切り裂いたことだ。
「……。痛そう……」
次に右からの殺気。
愁と同時に陽が反応する。反応した瞬間、陽は助走も付けずに驚くべく脚力にてジャンプした。
距離があると察した陽が、左の鞭を宙を飛んだまま投げつける。
が。
間の抜けたサイレンサー仕様の銃が発する音がした。
「向坂っ!」
顔色一つ変えなかった陽が、初めて目を見開き愁を呼ぶ。
にっこり笑ってやり、愁が一言。
「大丈夫」
忽然と、愁に向かって放たれた銃弾が消える。
「なっ…」
陽が驚き愁を見る。彼の背後、そして愁の真正面では、右腕を押さえた男がぐらついた。
何が起こったのか解らぬままであろうが、陽は動けなくすると言う目的の為、そのまま男に突っ込むと戦闘不能へと導いた。
『もうあれは、本能なんだね』
陽の動きを見た愁は、そう感じた。
自分の鞭も取り戻し、更に残りをまとめて排除すべく彼は動く。
人数は殆ど残っていない上、先程の奇妙な現象を目の当たりにした男達は、とにかく目の前にいる、理解の及ぶ攻撃をしかける陽を排除することを選んだ様だ。
黒の合間に銀が見え隠れする。
だがそれも僅かな時間だ。
見る間に見通しの良くなったそこだが、地面と近い場所はむさいことになっている。
大地を包容と言えば、美しすぎるだろう光景は、端的に言ってしまえば叩きのめされた男達がへばっているのだ。
陽がゴミと化したそれを、襟首を捕まえ、あるいはどんな風に入れているのか解らない力で蹴りつけて、愁のいる樫木の元へと収集して来た。
「お疲れさま」
首を左右に振る。
「済まなかった」
「?」
落ち込んでいるのだろう。何故か愁にはそれが解る。でも何故だろう。
「お前の手を煩わせた」
そんなことかと、愁は思う。
一発の銃弾が、愁の元へと行ったことを済まなく思っているのだ。
何だか凄く、陽の思考が面白いと思う。
「僕だって男ですから。こう見えても、守るべき女性はちゃんと守ってるんです。だから自分の身だって、ちゃんと守りますよ」
じっと愁を見つめると、微かに俯いて首肯すると、のびている男達を蹴った。
その行動を見た愁が、思わず吹き出す。
男達を蹴ったのは、多分気持ちを切り替える為だろう。
耳を赤くしたままで、陽が彼らに向き直った。
「まとめてそこから見ていろ」
陽がそう言い、樫木へと彼らをまとめて縛り付ける。像が消滅するのだと言うことを、しっかり見せる為だ。後からないものを出せと言われても、困るからだろう。
もっとも、それで諦めてくれるかどうかは解らないが、口先だけでなくなったと言うよりはマシではあろう。
「何処でするつもりですか?」
愁のその言葉に、陽がまっすぐ指さす。
そこにあったのは、先に見た何処か少女趣味の部屋であった。
「あそこは、もしかすると…。彼女たちの部屋、ですか?」
陽は愁をじっと見、ゆっくりと頷いた。
「後はお前の番だ」
少女達の住まっていた部屋まで来ると、ぐるりとそこを見回す。
やはり館の中は、あまり荒れてはいなかった。もしかすると、誰かが定期的に掃除をしているのかもしれないと思える。少女達の部屋もまた、色褪せてはいるものの、それほど酷い状況ではない。恐らく蓮が夢で見た風景より、少しだけ時が経ったと言う程度だ。
愁は部屋に残っていたテーブルに、そっと像を置いた。
「さあ、出ておいで」
全てを浄化してしまう力を、こんな風に使うのは初めてだ。
愁は慎重に事を運ぶ。
像に宿る思いを浄化の様に押し出すのではなく、穏やかに昇華をさせるのだ。
二つの像を両の手のひらで包み込み、ゆっくりそっと、大切に気を流し込む。
像を巡る愁のその力は、まるで時の回廊を巡るかの様に、循環していた。
微かな声が、愁の心に流れ込んでくる。
その声は、囁き声から次第に大きくなって行った。
『ありがとうありがとうありがとう』
『わたしたちをめぐりあわせてくれて…』
『『ありがとう──』』
内に流れるそれは、徐々に外へと溢れ出す。
薄暗い室内に淡い光が舞い始め、そして更にその輝きは強くなる。
愁の周囲を巡る光は、まるで天上から落ちてくる天使の羽ばたきの様だ。
光を纏う像は、背後から羽が生まれる様に、何かが現れ始めた。
蝶の羽化を見る様に、それはゆっくりゆっくり外へと現れる。
「……。良かった」
愁が安堵の溜息を吐いた時。
それは完全に姿を現した。
光の輪郭は、すでに二人の少女の姿へと変わっていた。石像が対だと言われていた通り、その少女達の姿もまた同じだ。
互いが愁を挟んで向かい合う。
その姿は、何処か微笑んでいる様にも思えた。愁はその二人の少女に、優しい声で話し始めた。
「ねえ、二人はずっとこの像の中にいたいのかな?」
二人の少女は互いを見て、小首を傾げた。何か愁の解らないところで会話している様な風を感じつつ、彼はその二人の答えを待つ。
暫しの間。
『私は、私の元へと帰ってきてくれるだけで良いの。場所は関係ないの。私、一緒にいたいだけなの』
『私も同じ。二人で一緒にいたいだけ。何処ででも良いわ。一緒にいたい。いたいの…。ただそれだけ…』
その答えを聞き、愁はほっと胸を撫で下ろす。
「二人でいることが出来れば、ここから出ても良いのかな?」
同時にこくりと頷いた。
「じゃあ、本当に悪いんだけど、この像を壊して良い? 勿論、二人が一緒にいれる様に、ちゃんと僕が責任を持つよ」
人の欲の所為で、彼女たちにこんなことを言うのは辛かった。
けれどこの像に安心していられない限り、愁は言うしかなかったのだ。
戸惑いを見せた彼女たちは、しかし──。
『『貴方を信じるわ』』
そう答えた。
柔らかに笑っている。そう感じた。
愁は少しの安堵と、少しの切なさを胸にして、微かに二人へ微笑んだ。
「ありがとう」
ゆっくりと、二つの像を持つ愁の手が上がる。胸のあたりにまでに来た像を、彼はそっと抱きしめた。同時に少女二人が、愁の肩に乗る形になっている。
見る間に三人の身体は輝きに包まれ、先程よりも強い光が周囲に満ちていく。
人の視覚の限界値を超えようと言わんばかりの明るさだ。すでに中央にいる三人の姿は、その流れに包まれて視認すら出来ない。
彼ら中心に巻き起こる光の螺旋。浄化の光。
ゆっくりと巻き起こっていたそれは、勢いつき、激しい奔流と化していく。
何時もは散らしてしまうそれ。けれど今は、今だけはずっと一緒に離れずに。
まるで命の螺旋を描く様に、光が、天を、抜けた──。
あの光が唐突に消えた後、両手に像を抱え、何処か呆然とした風の愁が現れた。
すでにそこには、二人の少女の姿はない。
瞬き一つ。
「お前。凄いな…」
愁はその声に、この世に戻ってきた者の様に我に返った。
「そうですか?」
感心している陽に歩みよると、はいとばかりに像を渡す。
「どうぞ。像は渡しますよ。もう、木っ端みじんに壊してくれても良いですから」
にっこり笑って彼を見ると、ぱちくりと瞬きをしている。
渡されたそれを抱えても、未だ戸惑っている様だ。
「あ、ああ。そうだな」
じっとそれに視線を落とした彼は、ゆっくりと愁の方を見る。
「碧摩には、俺からちゃんと話す。お前に文句言って来たら、俺に言え」
成程、アフターケアのつもりなのだろう。
「ええ、その時はお願いしましょうか。ちゃんと叱ってやって下さいねぇ。彼女、本当に困ったちゃんですから」
頷いた陽は、下がっていろと愁を自分の背後へとやる。
彼が胸元から取り出したのは、一丁の銃だ。
普通の拳銃で壊せるものなのだろうかとも思うのだが、愁は黙って見ている。
陽が像を起き、すっと下がると狙いを定めた。
今まで聞いたことのない音がその部屋に響き渡ると同時、その像が氷に包まれる。
「これ…」
愁の言葉は、次に来る崩壊の音で最後まで続けることが出来なかった。
煌めく空気の結晶。まるで永久氷壁に反射する光の様だ。
それが全て収まった時。
像は、そこに最初からなかった様に、消えていた。
「終わった」
「では、帰りましょうか」
入って来た窓から出て行くと、すでに周囲は暗くなり始めていた。
木に縛り付けられたままの男達は、恨めしげに二人を見ているが、そんなことは愁の知ったことではない。
すたすたとその男達の元へと歩いていく陽を見つつ、あ、と愁が呟いた。
「あの……。陽さん。えーとですね……。申し訳ないんですけれど、駅まで送ってもらえますか?」
怪訝な顔で振り向く陽に、少々照れつつ口を開く。
「僕、方向音痴なんです…。実はここへ来る前も迷ってしまっていて…」
目が点になっている陽だが、次の瞬間、吹き出した。
「あ、酷いですねぇ。笑うなんて。もう、ほら、笑ってないで、送って下さいよ。僕の最愛の妻が待ってるんですからー」
早く、早く家に帰りたい。
そう最愛の人の待つ、あの家に──。
Ende
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2193 向坂・愁(こうさか・しゅう) 男性 24歳 ヴァイオリニスト
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ライター通信
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こん●●んわ、斎木涼です。
納品がぎりぎりになってしまい、申し訳ありません。
> 向坂愁さま
初めまして。この度は依頼に参加して頂きまして、ありがとうございます(^-^)。
向坂さまの背景とプレイングを拝見致しまして、青い瞳の像を探し出し、赤い瞳の像と一緒にいられる様にする、と言うことに重点を置いて書かせて頂きました。
離れ離れは辛いと言うお気持ちを、人一倍ご存じだとお見受け致しましたので…。
またうちのNPCがお邪魔になっていなければ…と思っております。
向坂さまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。
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