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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

 スーパーのおばちゃん達からは花束を貰った。
 工事現場のおっちゃん達からは選別を頂いた。
 職場のアイドルこと箕耶上総の唐突過ぎる引退……もとい、辞職を惜しむ声、引き止める声は多かったが、堅固な意志で以て彼はきっぱりと人情を振り切った。
 家財道具と床袋に隠してあった雑誌なぞも売り払い、最低限の衣料品と生活用品を詰めた鞄を手に、通帳と印鑑の貴重品はシークレットポケットに入れて腹に、ほとんど身一つで解約した部屋を出る。
 合い鍵をポストの中に落とし込んで、上総は上京してからずっと世話になっていた住まいを見上げた……古い木造のアパートは、家族の居ない上総にも、ぬくもりを感じさせてくれる我が家であった。
「……あんがとさんでした!」
大きな声で扉に向かって一礼し、上総はくるりと踵を返し、全てを処分して身軽になった彼は朝の光の中でふ、と口元を緩めた。
「ふっふっふ……ふわーっはっはっはっは!」
押さえ切れぬ笑いに肩を揺らす、上総……それは徐々に高まるテンションに応じて悪役ちっくな笑いに昇華して不意にぴたりと止まった。
「見とれやピュン!」
喉を仰け反らせて、程よく白い雲の配分された青い空を見上げた上総は、くわっと朝日を透かして金めく茶の瞳を見開いた。
「俺の本気を……なめるなよ?!」
喧嘩腰な行動だが、全てを捨てて好いた相手の元へと馳せ参じる、何処か演歌調な実行力を示しつつ、上総は青空を背景に浮かぶ想い人の面影に、挑発的にビシリと中指を突き立てた。


「んまァ、そんなコトがあったのネ……」
公園の入り口、車止めに腰を掛け、膝を揃えたステラ・R・西尾の声に、上総は口いっぱいにゴハンを頬張りながら頷く。
 夕食と言うには少し早い時刻だが昼食に呼ぶには遅すぎる……そして朝食というには以ての他だが、それが本日初めての食事だという上総のその食いっぷりに良さにか、はたまたあまりに飢えた様子に哀れんでか、他者に対して警戒色の強い『IO2』の構成員達がそっとお茶を置いて行ったり、飴を供えて行ってくれたりしている……それは果たして人徳と言っていいものか。
「そうなんや……それからピュンの姿求めて東奔西走、何に金が要るか知らん思て、一日五食を二食に減らし、公園の水飲み場で渇きを癒して、地下鉄で雨風を凌ぎ、にゃんことめざしを取りおうて……」
「苦労したのネ、上総……」
最後の一例は人としてどうかと思われるが、ステラにしみじみとその労苦を労われて、上総はすん、と鼻を鳴らした。
「そうなんや……ここでステラに会えなんだら、ほんまどないしよかと思た……」
頂き物の弁当をキレイに平らげ、「ごちそうさま」と上総は律儀に手を合わせる。
「そういうワケなんや。ピュンの事やったらなんでもえぇさかい、教えてぇな」
割り箸を親指と人差し指の間に挟んで、食事に向けた手をそのままに頭を深く下げた上総にステラは慌てて周囲を見回すが、態とらしいまでの慌ただしさで目を逸らし、『IO2』構成員達はそれぞれの仕事に散って行く。
「エート……スリーサイズとカ……?」
頬に指をあてててへ、と笑うステラに上総はねじ込んだ。
「そんなん触ったから知っとる! そうやのうてピュン・フーの居場所! 住所! プリィズギヴミィ!」
「……触って解るモノなノ?」
きょとんと問うステラの言に、上総は左右をささっと見回すと彼女にぼしょぼしょと耳打ちした。
「スゴイわ、正解ヨ!」
惜しみない賛辞の拍手に自慢げに鼻を高くした上総だが、はっと我に返る。
「ちゃう! やからピュン・フーに会いたいゆーとんねん、俺!」
「……会ってどうするの?」
静かな語調でそれ問われて、上総はぐりんと視線を明後日の方向に向けた。
「会うたら言うてやるんや……」
決意を示して両脇で固めた拳に力が籠もる。
「俺の幸せ第一位はピュンと居る事や言うてるやろーが! 勝手に『幸せじゃない』なんて決めんといて?! なんやアレか、ピュンは俺を不幸にして楽しいんかいな?! なァ?!」
そんな激しく意見を求められても困るだろうが、理解を得られぬ苛立ちに迸る上総の感情を、ステラは見惚れるような笑顔で受け止めた。
「上総は、ピュン・フーが好きなのネ」
改めて真っ正面からそう、とても嬉しげに確認されたら何やら照れる。
 頬を赤らめて、上総はこっくりと大きく頷いた。
 その様に、翠の瞳を一度瞬かせたステラは車止めから腰を浮かせ、立ち上がる。
「奇遇ネ、上総」
起伏に富んだ隆起を際立たせるボディスーツにその肢体を包んだ活動的な姿で、彼女はす、と公園の奥に指を向けた。
「私もアノ子、大好きなノ」
ステラが動作で示した意味を、改めて問う必要はない。
「あんがと、ステラ!」
短い謝辞に、上総は示された方向に駆けだした。


 ステラが示した道先。
 薄暮に染まり始めた空気の直中に立つ、黒い影を認めて上総は迷わずそれに飛びついた。
「ピュンーッ!」
力の限りに抱き倒し、倒れた相手の腹部に馬乗りになってぽかぽかと可愛い音を立ててその胸を叩く。
「ヒドイやんかズルイやんか! 一緒におりたいゆうたのに自分だけ逃げるやなんて、ピュンは俺ンコトキライ……」
「イヤ、好きだけど?」
しかし声は頭上から聞こえて、上総はん?、と首を巡らせた。
少し離れた位置に立ち、顔だけをこちらに向けたピュン・フーの紅の眼差しにばちりと目が合う……無言で身体の下を見れば、其処には黒い神父服を纏った西洋人、ヒュー・エリクソンの姿が。
「うわぁっ! 何やねん、えっちっ!」
間違った見解と認識を叫んで、どうみても加害者は上総が飛び退くに、懸かる重量から漸く解放された盲目の神父はけほりと軽く咳き込んで、芝生に肘をついて上体を支え起こした。
「その声は、上総さんでしょうか……お久しぶりです」
苦情より何より先ず挨拶、ある意味天晴れと言えるヒューの呼び掛けに、上総は「カンニン」と短く謝罪して神父を引き立てた。
「ありがとうございます」
芝生に転がってついた草を払っての謝意は、けれどその目の前の人間が消失して不発に終わっている事に、視力を持たぬ彼はしばし気付かない……上総はヒューを立たせると同時にピュン・フーの元へかっ飛んだ為だ。
「ピュン、どないしたん、なんやえらい疲れとるみたいやで? まぁ弱っとん風情も色っぽてえぇけど」
案じながらも、探し続けた末の再会の喜びは一入で、もし上総に尻尾があれば犬科のそれを千切れそうに振っていよう様を容易に想像させる喜びの発露に、ピュン・フーは口元を引いて笑む。
「元気だなぁ、上総。今幸せ?」
いつもの問いに、上総は上半身を使ってそれは大きく頷いた。
「めっちゃ幸せ! ピュンに会えた!」
弾ける笑顔に圧倒されたか、ピュン・フーが半歩を足を引いてよろめく身体の均衡を取る。
「……そりゃ良かった」
そうと言う、微笑みはいつものものだが、上総の目にはピュン・フーの平素から白い肌が更に色を失って青白いようで、その体調が気にかかる。
「ピュン……ほんましんどそうやで? ちょっと横になった方がようない? 俺、どっかから新聞拾うて来るわ。や、バカにしたモンでもないでアレ、結構ぬくいんや……」
最近の都市型サバイバルな生活に実体験の重みに自信を伴う新聞紙の活用法をオススメしながら、上総はピュン・フーの手を取った。
 その掌に伝わる熱は、ひたと硬質ないつもの冷たさを予想していた分熱い程で、上総はその手を思わず引く……その両腕を戒める、形に張られた銀鎖がしゃらと軽い音で上総の動きを妨げた。
「ピュン、やっぱ熱いで! 急いで病院……ッ」
慌てる上総に、すっかり存在を忘れられたヒューが声をかけた。
「それは病ではないですから、癒える事はありませんよ」
忠告めいた断言に、上総は反発する。
「病気やないワケないやん! いっつもピュンもっと体温低いのに!」
焦りにぐいとピュン・フーの手を引けば、その力に抗する事が出来ずにピュン・フーがつんのめって前に足を踏み出して危うく、諸共に転びそうになった様が見えた訳ではないだろうが、ヒューは聞き分けのない上総に教師の如き口調で語り始めた。
「霊鬼兵、というものは人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
そこでひとつ息を吐き、ヒューは微笑みを深めた…物の姿を捉えぬ眼が開き、湖水の如き深さの青が夢を追うように朧な視線を漂わせる。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を……免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
「じきにそれはレギオンと呼ばれる存在となります」
告げられる真実に、上総はピュン・フーを見る……物問いたげなその眼差しを受けて、ピュン・フーはそれが事実である事を肯定して、僅かに笑みの質を苦い物に変えた。
「上総、今ならまだ大丈夫だから、さ。早く行きな」
今なら。時間を経る程にその身を蝕まれるのだと認めて促すピュン・フーに、上総は激昂して声を限りに否定した。
「イヤや! 行かん!」
言葉ははねつける勢いで、しかし腕は大切な物を抱えるようにしてピュン・フーに伸び、抱き締める。
「俺の事が嫌いやとか、一緒に居て欲しくないとか……ピュンがそう思うてるなら……そう言うて? そうやないなら……俺の為とか言うて遠ざけんといてぇな」
願いを口にすれば泣きそうで、ピュン・フーの肩口に顔を埋めて懇願する。
「……嫌いだよ」
「嘘や。さっき好きやて言うた」
ピュン・フーの困ったような言い様に本気は見えないが、与えられた言の痛みに声が震える。
「一緒に居て欲しいとか思わねぇし」
「……ピュン・フー……」
容赦なく、上総を遠ざけようとするピュン・フーに、上総は唇を強く噛みしめた。
「それとも、もう死にたい?」
ピュン・フーが笑いを含んで与えた残酷な選択肢に、上総は目を閉じた。
「えぇよ」
そして、同意する。
「仕事も全部辞めて来たし、アパートも引き払って来てん。ピュン・フーとおられるんやったら……ピュンにやったら命くれたってもえぇわ」
決して諦めには聞こえない声と意志の強さで、上総は自らの命を差し出した。
「ホント、上総……聞き分けねぇなぁ」
ピュン・フーが楽しげな笑いで喉を鳴らすのに、上総は釣られて微笑む。
「せや、聞き分けないし、諦めも悪いんや、やから……」
続けようとした言葉は、不意に頽れたピュン・フーの重さに引かれて膝を折る動きに途絶えた。
「ピュン……ッ?!」
背に回した手の下、コートの内側がゴボリと泡立つような感触が幾つも弾けて、ベキバキと、異様な音で自体が生あるモノのように迫り出す。
 急激な変化に、上総の手は弾くように解かれた。
 まるで何かが羽化、するように、常の倍以上はある、一対の皮翼がピュン・フーの背に拡がる。
 その皮翼、骨の間に滑らかな天鵞絨を思わせる質感の皮膜が、禍めいて形を変え続ける模様に波打つ…それは、現世に届かぬ怨嗟を叫び続ける、死霊。
『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ……!』
叩き付けられる悪意、ただならぬ狂気は、皮翼が主の意思に関係のない、それどころか筋肉や骨を全く無視して好き勝手に狂惑めいた動きの内から響いた。
 皮翼から、それを支える背から流れる血は、彼の足下に影の如き濃さで、地に吸われる事なくわだかまる。
「な、んやのん、コレ……?!」
皮翼の動きに飛んだ血が頬に落ちかかり、そのぬるりとした感触を指で確かめて上総は、存在しない、在るはずのない死者の魂の叫びに圧迫感と、恐怖を感じて歯を食いしばった。
「……ツ、ゥ………ッ!」
あまりに混じりけのない悪意に晒されて竦む身体は、けれどピュン・フーが洩らした苦痛の声に自由を取り戻した。
「ピュン、しっかりしぃッ!」
上総は、皮翼を支える骨が隆起して手を回す事すら難しいその背を再び抱き締めようと懸命に腕を伸ばす。
 皮翼から伝わる、溢れる血はその上総の意に反して掌を滑らせて、肩口で倒れそうなピュン・フーを支えるに精一杯だ。
 閉じた瞼は更に色を無くし、その下に隠れた瞳の紅さなど嘘のように青白い。
「ピュン、俺の血も肉も全部くれたる。せやから…なぁ、しっかりしてぇな。死ぬなんて、許さへんよ」
懸命な呼び掛けにも答えないピュン・フーの呼吸が、徐々に不規則に弱まって行くのを彼の血を浴びながら感じ取る。
 ギリ、とピュン・フーが強く唇を噛みしめた。
 その犬歯、異様な長さで伸び始めたそれが唇を裂いて作る新たな流れに、上総は口付けて舐め取り、口の端に、頬に、こめかみに、幾度も口付けを落とす。
「……死ぬなんて、許さへん」
上総は、膝を血だまりに沈め、ピュン・フーの首筋に強く歯を立てて噛みついた。
 口の中に錆びた味が拡がるのに、間違いなく、上総の与えた痛みで首に走った緊張を感じ取ってニヤリと笑い、首の後ろで纏めていた髪を解いた。
 拡がって肩に落ちかかる脱色を繰り返した髪をぐいと引いて首筋を晒す。
 ピュン・フーと共に在る事が彼の餌になるという事であっても、それが彼の渇きを苦しみを癒す為なら構わない。
「ピュン・フー、ここ、覚えとるやろ」
それは先に彼が上総に残した痕……如何にしてか、傷口自体は塞がっていたのだが、首筋に二点、キスマークのような鬱血だけが残っている。
 薄くなってこそいるが、未だ残るそれを示して上総は挑発的に命を晒す。
「えぇよ、ピュンに全部上げる」
自分の命を吸い尽くしてそれでも、彼の命が絶えてしまうならば仕方ない……上総は自らに可能な限りを尽くそうとピュン・フーに呼び掛ける。
「俺の命はピュンやからあげるねん。他の誰にもやらんさかい……な?」
ピュン・フーの首筋に、上総がつけたばかりの歯形はもう見えないが、僅かに残る血を舌で舐め取って今度は柔らかく甘く噛むのに、ピュン・フーの、手が背に添えられるのを感じた。
 確かに意思ある、その手に上総は微笑んで首筋にかかる髪を払って肌を見せ、抱き締めるような背に回されるピュン・フーの動きに答えて、形にならずとも強くその背を抱こうとして自分も両手を伸ばしてふと、肩から後ろに引く力に引き剥がされる身体を訝しく思う間もなく。
 上総の瞳はその一瞬を捉えた。
 背に回した手、上総の肩を後ろから引いて身を離させたその手とは別の指を、鋭利な厚みを持って硬質な爪を、ピュン・フーが自らの胸に突き立てる、その様を。