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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

 夕暮れの人混みの中にその姿を見つけた時に。
 秋山悠は恥も外聞もない大音声で、方角的にたまたま夕陽に向かって叫んだ。
「私の涙を返せーッ!」
その声を食らった人々……主に帰宅途中のサラリーマンのお父さん方だったのだが、それとは一拍奇妙に遅れて足を止めた、その黒い影に向けて悠は猛進した。
「ちょっとピュン・フー! 無事なら無事でちゃんと報告しなさいよ、生死不明っていうのが一番気になるのよ、てゆーか肉片だけ残すから絶対死んだと思っ……」
言葉の荒さの割りに労る手で、その肩に手に触れて悠は、身体の前に垂らされた腕を……その両の手を取った。
「……あるわね」
片腕と血だまりだけを残してピュン・フーが姿を消して、時を経ている。
 人混みに黒い姿を見れば目で追ってしまう、癖がすっかり染み付いていたが故に出会えた僥倖だが、立派にこうしてついている腕を見ると、あの残された腕はトリックだったのかと案じた分だけ腹立たしさが込み上げて、悠はピュン・フーの胸を手の甲で叩いた。
「何よ、余計な心配しちゃったじゃないホントにもう!」
手首のスナップを効かせた鋭い突っ込みに、ピュン・フーは上体を揺るがせると、軽く咳き込んで二、三度瞬きをした。
「……アレ? 悠?」
「そうよ、そういえばサングラスはどうしたの?」
調子の外れた反応と、剥き身の赤に力がないようで、悠は案じてその瞳を覗き込む……とろりと何処か眠たそうな目は、夢と現の境に感覚自体が遠くに在る、独特のそれを思わせる。
「どうしたのよ、ホント。具合でも悪いの?」
訝しげな悠の問いに、ピュン・フーは前髪を掻き上げた……その両の手首を繋ぐ、鎖がしゃらと鳴るのに悠は目を見張った。
 まさしく戒めの。
 装身具としては無骨なそれは、自由を奪う長さしかない。
「……うん、まぁ。調子はあんま良いとは言えねぇけど」
髪を掻き上げた手が下りる、際にピュン・フーの手が強く、自らの左胸の位置を掴む。
「……休めば治るし」
声のトーンが常より低いのは、自称する調子の悪さを思えば当然かも知れないが……その手があまりに強く生地を握り締めるのに痛みが見えて、悠はピュン・フーの手に自らの掌を重ねた。
「ちょっと、ホントに大丈夫なの? ……薬が切れかけてるんじゃない?」
触れればその体温はあまりにも低く、ぞくりと背が泡立つ程だ。
「……薬。アァ、アレ、もうなくても平気」
薬とはピュン・フーを人たらしめる為の物であるのだという……先に『IO2』関係者に親しい者が出来た際、聞き出した情報である。
 それが不要であると吐息で笑って、ピュン・フーは大儀そうに道端の植え込みの縁石に腰を下ろした。
 不調も明らかなその様子に、悠は傍らに膝を付く。
「……人と待ち合わせしてっから」
遠回しな制止に、悠は首を横に振った。
「ねぇ。すっっっこごく差し出がましいのは解ってるけど。診て貰うワケには行かないの? その……『IO2』のお医者さんとか」
「そんでバラバラにされるのは頂けないなぁ、まだ」
何かさらっと空恐ろしい言質を吐かれたような気がして、悠は我が耳を疑う。
「な、悠。今幸せ?」
その思考に被さって、挨拶代りのようないつもの問い掛けが向けられる。
 幸せを問う、その時の眼の色を悠は初めて正面から至近で見た。
 色を深めた瞳の赤は紅に濃く、不吉に染まった月を思わせるが、それは奇妙なまでに静かだ。
「……私は」
「立ちなさい、レギオン」
悠の言葉を遮って高所から降る声に、悠は弾かれたように、ピュン・フーは億劫そうな動きでその声の主を見た。
「……ヒュー・エリクソン」
姿を認めてその名を口に上らせれば、盲目の神父はコツ、と手にした白杖を突いて一歩、足を踏み出した。
「その声は、悠さんでしたか……覚えていて下さったのですね、光栄です」
そう胸の前で十字を切る、敬虔なる神の僕にしてテロリストであるヒューに、悠は見えないと解っているからこそ思い切りよくあっかんべ、をして見せた。


 場所を移そうというヒューの誘いに、ピュン・フーが腰を上げたので仕方なく悠も倣う。
 道に則していたのは都内有数の敷地を誇る公園。その広場の芝生を踏みしめる、さくさくとした足の音と、ヒューの口上を悠は聞く。
「霊鬼兵、というものは人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
そこでひとつ息を吐き、ヒューは微笑みを深めた…物の姿を捉えぬ眼が開き、湖水の如き深さの青が夢を追うように朧な視線を漂わせる。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を……免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
 説明を求めたのは自分だが、あまりにも一方的な価値観……しかもそれを正義と信じて疑わないのは、多面的な人間の精神性を否定するようで頂けない。
 悠は軽い頭痛を覚えて、眼鏡をずらしてこめかみを揉みほぐしながら、手にしたメモを閉じた。
 最早、ネタとして扱う気にすらならない。悠にして言わしめる程だから余程だ……最も、忘れようにも忘れられないアクの強さに備忘の必要すらないというだけかも知れないが。
「まぁ、使う事があればよく吟味するとして」
窺い知れぬ他者の思考こそが最上のネタの一つである、と思っている悠である……偏った思想も無碍にせず、心中に消化してみる試みを明言して、無言で後から着くピュン・フーを振り返った。
「……こうなるんじゃないかって思ってた」
足を止めたヒューに倣うピュン・フーに、悠との距離が一歩分縮まる。
「薬が無いと生きていけないあんたがIO2から離れた先にハッピーエンドを描くほど、私も能天気な作家じゃない」
まるで眠るように眼を伏せて、彼女の言葉に反応しないピュン・フーの頬に、悠は手を伸ばした。
 陶器のような冷たさが、ひたりと悠の体温を奪う。
「あんたはその体にされた時から、人の罪と罰まで背負わされたのね」
他の命を消費しなければ繋げられない命と、身の内に死を宿して。
 生と死、最も対局にありながら背中併せであるべき運命を、定めを歪めて内包するその痛みは如何ばかりかと思う。
「でもだからこそ」
指先で頬の線をたどった指をふ、と放す。
 それにだけピュン・フーの睫が震えた気がして、注視する悠の背に、何処までも穏やかなヒューの声がかけられる。
「無駄ですよ悠さん、コレの自我はもうそろそろ消えています……あるとすればその身の内に詰め込んだ幾千という魂の怨嗟のみ」
其処で何かのリミッターが外れたかのように、悠のテンションがヒートアップした。
「だからこそ、あんたに笑ってほしいのよ!」
どっぱーん、と悠がその背に波飛沫を負ったのは因みに効果ではない……芝生の向こう、遊歩道の中心地に在る噴水の弁が老朽化にはじけ飛んで、際限なく水を噴き上げた為だ。
「ええ、ネタが欲しさの暴走の数々、あんたが笑やオッケー! 悪霊が怖くて災難体質もホラー作家もやってられますかっての!」
その勢いに任せてドン、と胸を拳で叩けば、ピュン・フーがごほりと咳を吐き出す。
「全部引き受けてやるわよ! 私の専属災難になりなさい!」
最早勧誘ではなく断定である。
 その強引さが功を奏したのか、ピュン・フーが笑いの形に口元を引いた。
「……っとに、すっげ無茶言う……」
しかしそれに安堵する間はなく、吐き出された吐息の熱さに悠は目を見開いた
「何度も逃げろって言ってんに……聞き分けねぇなぁ」
そして脈絡のない言に、ゆっくりとピュン・フーはその場に膝をついた。
 まるで祈るように、頭を垂れる様に恐る恐る名を呼ぶ。
「ピュン・フー……?」
「ヒュー」
ピュン・フーは悠にではなく、その背の向こうに立つ神父に呼び掛ける。
「悠、家族が居んだ……せめてここでは死なせないでやってくれな」
「お前に言われるまでもありません」
否定的に断言して、ヒューはその湖水の如き蒼の眼を開いた。
「彼女がこの場に居合わせたのも、主の御心によるものでしょう……ならば私は見届けなければなりません」
「ちょっとちょっと! 本人無視して訳の解らない会話をしないでよ……ッ!」
はぎれっこにされた悠の当然の焦りに、両者は共に答えず……否、ピュン・フーは答えられない。
 土を掴む、手に力が込められ、丸めた背、黒革のコートがベキバキと、異様な音で自体が生あるモノのように迫り出す。
 急激な変化はまるで何かが羽化、するように、一目で異常だと知れるように巨大な、一対の皮翼が背に拡がった。
 その皮翼、骨の間に滑らかな天鵞絨を思わせる質感の皮膜が、禍めいて形を変え続ける模様に波打つ…それは、現世に届かぬ怨嗟を叫び続ける、死霊。
『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ……!』
叩き付けられる悪意、ただならぬ狂気は、皮翼が主の意思に関係のない、それどころか筋肉や骨を全く無視して好き勝手に狂惑めいた動きの内から響いた。
 皮翼から、それを支える背から流れる血は、彼の足下に影の如き濃さで、地に吸われる事なくわだかまる。
「……ッ、……!」
暴力的な変化に息を詰め、胸元を強く握り締めるピュン・フーの爪が硬質の輝きで以て有り得ざる長さに伸びる。
 本人の意思に依る変化でないのは確かで、爪はその肌を抉って鮮血を滴らせ、その痛みの色に悠はかけようとした声を呑み込んだ。
「始まりましたね」
音からそう判じたのか、ヒューは見えぬ眼差しを中空に漂わせる。
「ってうわっ! やっぱりこいつら結構怖っ!」
ピュン・フーは人間ではない、その意味を頭では理解してはいたが、実際に目の当たりにしたのは初めてで悠は思わず一歩下がる……しかしその異形としての姿より、その身に宿って生きとし生ける全てに叩き付けられる憎悪こそが……人の成れの果てこそが恐ろしい。
「でもこういう時は、背中を見せたら終りって私も書いたことある!」
恐怖を軽口で誤魔化す事で自らを鼓舞し、悠は細い楕円レンズの眼鏡を引き抜いて投げ捨てた。
「進め!」
そして異常に上がったテンションに、悠は片拳を振り上げた。
「というか、食らえ! 10年ぶりの……ッ!」
軽い助走に地を蹴って、悠は標的……この場合はピュン・フーに向かって飛びついた。
「悠さん、危険で……」
その覇気に感じ取る何かがあったのか、制止しようとしたヒューは運悪く足下にあった悠の眼鏡を踏み付けてバランスを崩す。
 悠を聖別する事で、死霊の害が適わぬようにしようと図っていたヒューの手から小瓶ごと、込められた聖水が転げ落ちた。
 それに思わず十字を切るヒューの足下に押し寄せるのは、遠くで破裂した噴水の水……敷地を埋めて溢れんばかりの。
 水が、一つの存在として神の威光を授かった。
 そしてそれは人を害して悪魔の類と見なされる死霊に、覿面の効果を見せた。
 未だ形を得ず、ピュン・フーの肉体が持つ特製を得るに到っていなかったそれ等は滔々と流れる水が発する光から逃れ得ず、次々と怨嗟と無念の叫びを上げながら宿りかけていた血肉と共に溶け崩れる……繰り広げられている阿鼻叫喚を物ともせずに、悠は飛びつきついでに自らのそれを押しつけて、ピュン・フーの唇を奪っていた。