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<東京怪談・PCゲームノベル>


 気がつけば、異世界

 <1>
 陽は傾き、空は茜色。
 昼と夜とが束の間の逢瀬を楽しむ時間。黄昏時とも逢魔が時とも呼ばれるこの時間帯は、微妙に違う世界にまぎれこんだり、人ではないものに出会ったりと何か不思議なことが起こるといわれているが、現代における大抵の人間にとっては節目を感じさせるものでしかない。
 ああ、今日も一日が終わろうとしている、と。
 実際には一日はこれで終わりというわけではなくて、ベッドに横になるまでにはまだまだいろいろとやることはある。制服を着ている自分にとっては学校という枠のなかでの一日が、スーツを着ているサラリーマンには会社という枠のなかでの一日が終わろうとしているに過ぎない。人によってはそれが逆であったりもする場合もあるのだが、とりあえずみなもの場合は、夕刻は始まりの時間ではなく、終わりの時間ということになっている。
 一日の回想を交えつつ、家に帰ったら何をしようかということをなんとなく考えながら歩道を歩いていると、小さな何かが目の端で揺れた。
「……蛍?」
 小さな淡い光。だが、蛍ではないようだ。最初はひとつだったそれは次第に数を増して行く。ぽわりと浮かぶそれは綺麗ではあるものの、やはり得体は知れない。足を止め、見つめていると淡い光は強い光へと変わり、その眩しさに一瞬、瞼を閉じる。
「……」
 光が消えたあと、ゆっくりと瞼を開く。夕刻の空はどこへやら、そこは見知らぬ建物のなか。冷厳な空気が漂うそこには、自分を取り囲むように十数人の人間がいる。その顔はどこか知っているような、知らないような……しかし、確実に知っている顔もあった。
 それは、いいとして。
 自分は外にいて、帰宅を急いで……は、いなかったものの、それでも家に帰ろうとはしていた。それなのに、一瞬にして見知らぬ建物のなかにいて、人々の注目を集めている。
「あ……の……」
 戸惑うみなもの前へ、集団のなかからひとりの男が進み出た。どこか清廉な印象を与える礼服を身に着けているから、神聖な職についているものなのかもしれない。その男はみなもの視線を受けとめ、小さく息をついた。
 そして。
「ようこそ、伝説の勇者さま。今度こそ、滅びに瀕したこの世界を救ってくださいませ」
 恭しく、しかし、はっきりとした口調でそう言った。
  ◇  ◇  ◇
「えーと、あの、伝説の……勇者……ですか?」
 みなもは天井を見やり、床を見やり、最後に男を見やる。そして、男が口にしたなかで、最も気になる言葉を繰り返す。
「はい。我々はこの世界を救うことができる勇者を異世界より召喚する儀式を行いました。大成功です」
 いや、よかった、本当に……と男はにこやかに答え、続けた。
「そして、あなたがその勇者さまというわけなのです」
「……あたしですか?」
 みなもは自分を指差し、小首を傾げる。とりあえず、自分は海原みなも(十三歳)中学生のつもりだ。肩書きは中学生であって、伝説の勇者ではない。
「はい!」
 男は自信たっぷりに頷いた。
「本当にあたしが世界を救う勇者なんですか? あの、こう言ってはなんですけど……あたし、ただの中学生で……」
 伝説の勇者として世界を救ったことはあるが、それはゲームのなかのおはなし。それに攻略本のお世話になったりすることもある。
「あなたで間違いはありません。ねぇ、皆さん」
 男は背後を振り返り、同意を求める。そこにいたみなもが知る面々は男の言葉に同意する。頷いたり、間違いないと口にしたり、とりあえず否定の言葉は聞こえなかった。
「……仮装パーティというか、あたしを化かそうとしているわけじゃないんですよね?」
 そこにはアンティークショップの女主人である蓮をはじめとして、草間興信所の草間、そして、零、アトラスの碇や三下、雫の姿もある。ただ、その服装はみなもが知っている彼らのものではなく、やたらファンタジックとでも言えばいいのだろうか、ゲームに出てくるような魔法使いや戦士といったものを想像させるものだった。だから、そんなふうにも考えたくなる。
「我々にそのような余裕はございません。異世界よりの勇者の召喚は、本来ならば、禁じ手。まさに最後の手段なのですから。異世界の勇者さまにもいろいろとご都合があるかと思います。それこそ、本来の、勇者さまが住まう世界では勇者さまが不在ということで魔物が暴れまくり、魔王が復活などという大変な事態が起こってしまうやもしれません。我々としても一刻も早く勇者さまを本来の世界へお返しして差し上げたいのですが……」
「あ、いえ、あたし、もとの世界では勇者とか呼ばれていないですから……」
 みなもは苦笑いを浮かべながら違う違うと横に手を振った。それに、魔王って……。
「おや、違うのですか?」
 そうです、違いますとみなもはこくこくと頷いた。
「そうなのですか……私たちの世界では勇者さまですから、てっきり他の世界でも勇者さまなのだと……と、それはともかくとして、勇者さま、どうかよろしくお願いします。世界を救ってくださいませ」
 男は真剣な表情で頭を下げてくる。みなもは戸惑う表情ながらも、頷いた。本当に困っていることがわかってしまった。こうなっては、もう、やるしかない。自分がどこまでやれるかわからないが、とにかく、やれるところまではやってみよう、そう決めた。
「わかりました」
「勇者さま……!」
 みなもはこくりと頷いた。そう期待を寄せられるとやはり戸惑いの笑みを浮かべずにはいられないけれど。
「えっと、その……とりあえず、がんばってみます。でも、あたし……剣を使ってどうこうっていうのはやったことがなくて……大丈夫でしょうか……」
 日々、いろいろなことに巻きこまれたり、首を突っ込んだりしているから、不可思議な何かと対面することは他の人に比べればやや多いかもしれない。展開上、意志の違いから戦うという選択肢を取らざるを得ないときもある。この世界はその場の雰囲気や服装から読み取るに、みなもが暮らす東京とは違い、中世を思わせるファンタジーな世界観を持っているらしいとわかるのだが、生憎と剣を持って戦ったことなどない。勇者というものは、やはりゲームにあるようにばったばったと魔物をなぎ倒しつつ、魔王に挑んだりするものなのだろう。だが、自信は、はっきりいって……ない。
「大丈夫です。あなたは伝説の勇者さま。伝説がそう物語っているから大丈夫です」
「そういうものなんでしょうか……」
 確かにゲームのなかではたくさんの伝説が語られ、それに基づいたいろいろなミラクル(?)が起きているかなとみなもはうーんと唸りつつも曖昧に納得した。
「そういうものです。では、具体的なおはなしをさせていただきます。この神殿の奥には強大な力を秘めた水晶が安置されていまして、その強大な魔力と聖なる輝きで魔物の活動を抑制しておりました。ところが、それをある魔道士に奪われてしまいまして……」
 男は深いため息をつき、続けた。
「我々が勇者さまにお願いしたいことは、魔道士に奪われました水晶を取り戻し、神殿の台座に戻していただく……ということです。そうすることで、魔物の力は弱められ、勇者さまをもとにいた世界に戻すことも……ああ、大切なことを伝え忘れていましたね。実は、勇者さまをお呼びするために力を使い果たしてしまいまして……再び、異世界と異世界を繋ぐ扉を開くには、水晶の力が必要不可欠であり、平たく申し上げますと、水晶なくして勇者さまをもとの世界に送り返すことはできないというわけでして……」
「そうなんですか……でも、そうですよね」
 世界を救わずに返してくれるわけはないかとみなもは妙に納得をした。もはや自分とこの世界は運命共同体、一蓮托生というわけらしい。
「それで、奪われた水晶というのはどこにあるのかわかっているんですか?」
「はい。魔道士はとある場所に水晶を隠し、配下の魔物に守らせているという情報を手に入れました。石像がやたらと多い滅ぼされた学院都市、もしくは迷宮のように入りくんだもののけが住まう城、さもなくば眠りを妨げられた死者がさまよう王家墳墓……」
「ちょっと待ってください。水晶はひとつではなくて、たくさんあるんですか?」
 ひとつだと思っていたのに、男の口から語られた場所はひとつではない。みなもが慌てて訊ねると、男は首を横に振った。
「いえ、ひとつです。ですが、情報が曖昧で」
「三つのうち、ひとつがアタリというわけなんですね。そうですよね、情報のかく乱は常套手段です……たぶん」
 みなもは難しい顔でうんうんと頷いた。必要なものがここにあるよと言われて行ってみれば、それは間違いで敵の罠だった……という展開はよくあることだ。
「にゃん」
 不意に猫の声がした。みなもがきょろきょろと辺りを見まわすと、いつのまにか足元に中型の黒い猫がいる。猫はみなもを見あげ、再び、にゃんと小さな口を開けた。その猫の首には見事な装飾が施された首環があった。
「ああ、紹介が遅れておりました。その猫は勇者さまにつき従う守護聖獣と呼ばれるものです。その首につけている環がその証でございます。数日前より、突如、この神殿に姿を現しまして」
「にゃーん」
 猫は長い尻尾をゆらりゆらりと揺らしながらみなもを見あげる。黒い毛並みは艶やかで光の加減で青く輝く。ただの猫ではない何かを感じさせた。
「伝説によれば、守護獣は勇者さまの旅に同行し、その力になるということですので、どうか旅にお連れくださいませ」
「よろしくね、猫さん」
 みなもは屈み、猫の頭をそっと撫でた。
「にゃんにゃん。……」
 猫はみなもの挨拶に答えるようになくと、何かを訴えかけるようにじっとその青い瞳でみなもを見つめる。
「ん、なぁに? どうしたの?」
「にゃう。にゃんにゃん、にゃおーん」
「? ごめんなさい、ちょっとわからないみたい……」
 この世界では勇者であれど、さすがに猫の言葉まではわからなかったようだ。勇者と守護聖獣、もしかしたら意志疎通も……と思ったが、無理だった。何かを訴えかけていることだけはわかるが、それ以上はわからない。
「……みゃう」
 猫はがっくりと首を折り、ため息をつく。その仕草がなんだか妙に人間らしく見え、みなもはくすりと笑った。
 
 <2>
 呼びだされた神殿のある町から北へ進んだ場所にあるという、やたら石像が多いという滅ぼされた学院都市へと向かう。みなもの腰のあたりまであろうかという草が多い繁る草原のなかに通ったレンガの街道は、普段はそれなりに行き交う人も多いのだろう。敷き詰められたレンガは擦り減っている。だが、今はすれ違う者もいない。
 その街道を簡素な皮鎧を装備したみなもと猫が行く。
 旅立ちにあたり、その服装ではなんだから好きなものを選んでくださいと言われたものの、たくさんの武器や防具があったところで、性能もわからなければ使い方もいまいちわからない。防具に関しては自分よりは詳しいだろうと思われるその世界の住人に動きやすいものを見繕ってもらい、武器に関しては大剣やら死神を思わせる巨大なカマやら鞭、弓矢とあらゆるものが揃っていたものの、そのなかから隅の方で誰に目を当てられることなく転がっていた小さな短剣を選んだ。勇者さま、そんなものでよいのですかと驚かれたが、自分に使えそうなものはそれくらいしかない。
 みなもにとって重要だったのは、武器や防具よりも水の有無、そしてその水を使えるのかどうかということ。みなもにとっての水は防具であり、武器でもある。自分がいた世界よりも、この世界の水の方がより活発(?)であるらしく、強い力を感じさせたが、問題なくその力を発揮することができそうだった。とりあえず、水だけは持てる限り、持って行くことにして、町をあとにした。
 水晶があるといわれている三つの場所のうち、学院都市を選んだことはもののけや死霊がさまようという他の場所よりは少しはマシなのでは……という気持ちがなくもなかったが、理由の大半はどこへ行くかを決めかねていた際に、猫がやたらと学院都市という言葉に反応したことにある。
「青い空……」
 馨る風は都会のそれではなく、清々しい森のそれ。空の色は、青。つい先ほど、黄昏時の空を見あげたはずなのに。
 黄昏時には微妙に違う世界に迷い込んだりするそうだが……微妙どころか全然違う、迷い込むというより、呼び出されている……みなもは青い空を眩しげに見あげ、目を細めた。
「にゃーん?」
 みなもの隣をてくてくと歩く猫が不思議そうに小首を傾げる。
「猫さんの言葉がわかったらよかったのに」
「にゃう〜」
 猫は少し困ったような声でないた。そのあと、不意にぴんとその髭がはった。耳がぴくぴくと動き、鼻先がひくひくと動く。
 がさり。
「!」
 草が明らかに風に反した動きを見せた。みなもは咄嗟に身を屈め、ゆっくりと動きを見せた草から離れるように移動する。そして、自らの身体を草のなかへと隠し、息をひそめた。猫も同じように身を隠し、息をひそめている。
「……」
 何かが草をなぎ倒しつつ、歩いているのがわかる。人だとは思えない。おそらく、水晶の抑制を失い、暴れまくっているという魔物と呼ばれるそれの一種なのだろう。顔を合わせたところで、こんにちはという挨拶ですむとは思えなかったので、隠れてやり過ごす。戦闘は可能な限り、避ける。これが今回の合言葉。
 しばらく息をひそめていると、気配が去った。みなもと猫はほっと安堵の息をつく。そのタイミングがあまりにも一緒だったので気づいた途端にくすりと笑ってしまった。
「勇者なら戦うところなのかもしれないけど……」
 できるなら、怪我をすることも、怪我をさせることも避けたい。それはやはり勇者らしくはないのだろうなと思いつつも、呟く。
「にゃうにゃう」
 猫はそんなことはないというように首を横に振った。
「……戦わなくてもいい?」
「にゃん」
 こくり。猫は深く頷いた。
「猫さん……」
 自分は勇者らしくないかもしれない。その勇者らしくない自分の守護聖獣だからなのか、猫も平和主義ということはないが、戦闘は回避する方向の思想を持つらしい。だが、少しだけ安心した。他人が望む勇者ではなく、自分は自分らしい勇者であればいいのかもしれない、と。
  ◇  ◇  ◇
 ひたすら北へと歩き、やがて見えてきたものは双子の塔を両側に従えた城のような館とそれを中心にして広がる町並みだった。
「あれが学院都市……」
 男の話では、学院都市はその名のとおり、巨大な魔法研究施設である学院を中心に広がった都市で、以前は栄えていたが、今となってはかつての威光をうかがい知ることができないほどに荒廃し、静寂に支配されているという。魔法の暴走により住民がすべて石と化したとも、魔女に呪いをかけられたとも、魔王に滅ぼされたともいわれているが、真偽のほどはわからないという。
 ひたすら魔物との接触を避けながら学院都市へと向かい、足を踏み入れる。話に聞いているとおり、町は静寂に包まれていた。通りのあちこちに妙に精巧に造られた石像が転がっている。もし、石化が魔法によるものであったのなら、それは一瞬にして、恐怖も苦痛も味わうことなく行われたのかもしれない。石像は生活の雰囲気を残し、ある者は歩いた状態で、またある者は数人で立ち話をしている状態で、それぞれ荒廃した町を彩るオブジェと化している。
 もとは人なのか、それとも誰かが精巧に造った石像なのか……できれば、後者であって欲しいけれど、でも……みなもは町を眺め、ため息をついたあとに水筒を取り出した。とにかく水筒をたくさん用意したため、勇者さまは喉が渇きやすい人なんですねとなんだか勘違いをされてしまったが、これは飲むためのものではない。まとうためのものだ。
 ここからが、本番だから。
 みなもは水筒のふたをあけると宙にばらまくように水を放った。その水は意志があるかのようなうねりを見せたあと、薄い膜状となり、みなもの身体を包み込む。
 準備は完了。
 水の羽衣を羽織り、みなもは荒廃した町の大通りを歩き出す。水晶を奪った魔道士は、配下の魔物に奪った水晶を守らせているという話だから、この場所に水晶があるとすれば間違いなく、魔物はひそんでいるということになる。不意な襲撃にあってもすぐに対処できるように、慎重に、注意深く歩いて行くと、やがて公園のような場所に出た。町の中心に近い場所にある広場は、かつては住まう者の憩いの場所だったのかもしれない。長椅子や翼を携えた女神を模した噴水があり、そこかしこにある石像も心なしか寛いでいるような表情であるような気がした。しかし、今、そこで動いているものはなく、唯一、噴水だけが誰が見るわけでもないのに機能していたが、それが余計に光景を物悲しいものにしてしまっている。
「……にゃーん」
 女神像を見あげていると、猫がみなものそばを離れて歩き出した。少し先へと進み、振り返り、小さくなく。みなもにはそれがついて来いと言っているように見えた。噴水を離れ、猫に導かれるままに進んで行く。猫はやがて双子の塔を従えた城のような建物の門の前で立ち止まった。
「にゃん」
「この先に……?」
 そこには門にはかつて木製の大きな扉があったのかもしれない。だが、朽ちて久しいらしく、僅かな残骸をその場に留めるだけだった。みなもは門の向こうを覗き見る。……動いているものは、ない。この状況では動いているものを見つける方が危険であるので、とりあえずは安心した。
「にゃう……」
 いつになく神妙な声でないた猫は、門をくぐり、そこに広がる前庭を駆け抜け、建物の扉の前へと駆ける。
 目の前の建物……おそらく学院なのだろうが、そのなかに水晶が隠されているに違いない。みなもは決意も新たに猫のあとを追いかけ、建物の扉に手をかける。その扉は朽ちているということはなく、だからといって鍵がかかっていることもなく、少しばかり軋んだ音をたてながら開いた。
「失礼します……」
 誰もいないとはわかっていても、やはり余所の家(?)であるから、小さな声でそんな挨拶もしてしまう。扉の影に隠れるように内部の様子をうかがってみると、広いホール、そしてホールの床に映るステンドグラスの影が目に付いた。光を受けたステンドグラスは床にその模様を描き出す。内部は荒廃していることはなかったが、やはり人の気配を感じることはなかった。
 危険がないことを確認してから、みなもは猫とともにホールへ足を踏み入れた。ホールの左と右には回廊があり、奥には左右にわかれる階段がある。
「にゃおん」
 猫はそこが見知った場所であるかのように、迷うことなく左の回廊を選んだ。逆らうこともないので、みなもは案内されるままに猫に従う。そして、ふと伝説では守護聖獣は勇者に従うものだという話だったが、実際には勇者が守護聖獣に従うのではないかと思う。とはいえ、それに不満はないのだが。
 左の回廊は別館へと続いているらしい。そのまま進もうとすると、自然と右側面の壁にある大きな一枚の鏡が目につく。みなもは深く気にすることなく、鏡を見つめた。そこに鏡があるから、自然と目がいった、ただそれだけのこと。
 だが。
「……え?」
 鏡には自分がふたり映っていた。
 
 <3>
 もう一度、よく確認する。
 あわせ鏡というわけではないから、通常、自分はひとりしか映らないはず。しかし、そこには自分がふたり映っている。ひとりは、自分と同じく水の羽衣をまとい、怪訝な顔をしている。もうひとりは、黄金色のティアラ、装飾が施された胸鎧、見た目にも神々しい品々を装備し、不思議そうに小首を傾げている。
「……猫さん?」
 そんなもうひとりの自分が立っている場所には猫がいる。猫は不思議そうに小首を傾げながら自分を見つめている。そう、鏡のなかのもうひとりの自分と同じように。
「猫さん……猫さんって……」
 鏡と猫とを見比べていると、猫も鏡に気がついたのかそちらへと視線をやる。そして、鏡と向かいあうと、近づき、その鏡面を撫でる。鏡に映るみなもも同じように鏡に向かいあい、鏡面を撫でている。猫はどこにも映っていなかった。
「にゃう……」
 猫はどこか切なげな声でないた。
「猫さん……。あたし……」
 みなもは猫と鏡のなかの自分とを見比べた。呼び出された場所には、見知った顔があったから、この世界に自分が存在してもおかしくはないのかもしれない。だが、考えもしなかった。
「……」
 そのまま鏡の前に佇んでいると、やがてふたりのみなもの姿は消え、みなもが召喚された神殿が映った。そこにはみなもとみなもに事情を説明した男の姿がある。鏡のなかのふたりは何か言葉を交わしているのだが、その言葉までは聞こえない。みなもは黄金色のティアラ、胸鎧、そして、猫が身につけている環を受け取った。
 場面が変化する。
 受け取ったものを装備したみなもは聖堂のような場所で額に水晶を戴いた土くれの巨人と戦っている。戦いは熾烈を極めたようだが、最後には勝利した。みなもは肩で息をしながら、土くれの巨人が額に戴いていた水晶を手にしようとする。だが、その手を止め、再び、剣を構えた。新たに何者かが現れたのかもしれない。その表情は険しい。
 場面はまたも変化する。
 みなもは魔道士風の身なりをした男と戦っている。水晶を奪ったのは魔道士と聞いていいるから、もしかしたらそれなのかもしれない。激しい戦いを展開したのだろう、双方ともに今にも倒れそうな状態でありながら、それでも闘志を失わない。最終的にはみなもが勝利をおさめ、魔道士は床へと崩れた。みなもは今度こそ水晶を手にしようとする。だが、倒れた魔道士が顔をあげ、何かを呟き、みなもを指差した。途端、みなもは苦しみだし、倒れこむ。そして、その姿は猫のそれへと変わり果て、それに気がついたみなもはしばらく悩んでいるような様子を見せたあと、近くに転がっていた環に首を通し……そこで鏡はふたりのみなもを映し出す状態へと戻った。
「今の光景は……」
「にゃーん……」
 猫はこくりと頷いた。決意も新たな表情で鏡を離れ、回廊を進み出す。
「にゃん!」
 この先に水晶があるのだろう。すでに奪った魔道士も配下たる魔物もいない。もうひとりのみなもが苦闘の末に倒しているのだから。
 みなもはよかったような、よくないような複雑な気持ちを抱えたまま猫とともに回廊を進み、扉の前までやってきた。戦わずに済むことは喜ばしいが、しかし、猫に変えられてしまったもうひとりの自分のことを思うと……。もとに戻る方法があるならいいが、もし、なかったら?
「にゃん?」
 しかし、猫はそんなみなもの気持ちには気づかないようで、扉を開けないの?というように小首を傾げている。
「あ、今、開けます。……」
 みなもは扉に手をかけ、押し開けた。激しい戦闘が繰り広げられたことを裏付ける光景が広がっていた。壁は半壊し、聖堂は荒れ果てた状態でそこにある。鏡の見せた光景が確かであるならば、水晶は瓦礫のどこかに転がっていることになるのだが……。
「どこかしら? 猫さん、あたしはあっちを探します」
「にゃんにゃん」
 猫はそれなら自分はこっちを探すというように身軽に瓦礫を飛び越える。探索し、もうひとりのみなもが装備していたティアラや胸鎧、剣を見つけたものの、水晶は見つからない。
「この装備がここに落ちているということは……」
 みなもは鏡が見せた光景を思い出しながら水晶が落ちていそうな場所を推測し、歩き出す。確か、あのあたりで土くれの巨人と戦っていたはず……とその場所に視線を移すと鏡が見せたものとそっくりである土くれの巨人がそこにあった。その額には水晶もある。
「あ! 猫さん! 水晶、ありました! ……あれ?」
 どうして鏡が見せた光景のままに土くれの巨人の額に水晶があるのだろう。猫に呼びかけたあとでみなもははっとする。倒されたはずなのに……。
「にゃん? にゃーん!」
 猫はみなも以上に驚いている。そうかもしれない。自らの手で倒したはずのものが、傷ひとつ受けていないような状態でそこにあるのだから。
「……」
 土くれの巨人は動かない。だが、それは一定の距離を置いているからなのでは……と思えてならない。近づかなければ危険はなさそうだが、しかし、近づかなければ水晶を手にすることはできない。
 主たる魔道士はすでにいないわけだから、もしかしたら動かないかも……でも、主なきあとも忠実に命令をこなしそうな気もしなくもない……みなもはそんなことを考えながら、それでも土くれの巨人へと慎重に近づいた。念のため、水の羽衣は水の鎧へと強化しておくことを忘れない。
 相手の一挙一動も見逃さない、そんな慎重な行動でみなもは土くれの巨人へと近づいていく。みなもの身長の二倍以上である土くれの巨人はぴくりとも動かない。足元に近づいても動かなかった。
「……」
 手を伸ばしただけでは水晶には届かない。みなもは仕方なく土くれの巨人の身体をよじのぼる。それでも、土くれの巨人に動きだす気配はない。でも、水晶に触れたらそれもどうなのか……みなもは躊躇いつつも水晶に手を伸ばした。
 途端。
 土くれの巨人の腕が動き、みなもをその拳で殴りかかろうとする。
「!」
 そんな気がしていたみなもはその一撃をどうにか避けた。そして、慌てて土くれの巨人から離れる。
 土くれの巨人は完全に動き出し、水晶に触れようとしたみなもを敵だと認めたらしく、迷うことなくみなもへと迫る。拳を振りあげ、振りおろす。もちろん、その一撃を受けたくはないから、みなもは避ける。
 ドゴォォォン。
 その音だけでその一撃の重さを知ることができる。生身の人間には、おそらくその一撃が致命的、受けたら最後だろう。巨体であるせいか、動きが緩慢であることが唯一の救いだろうか。
 土くれの巨人の一撃が振るわれるたびに、聖堂が揺れる。水の鎧による反撃を考えるも、このままでは聖堂が崩れるかもしれないという危機感に襲われたみなもは崩れた壁の隙間から外へと向かう。標的をみなもに定めている土くれの巨人は素直に壁を打ち抜き、あとを追いかけて来た。
 相手の大きさを考えると用意してきた水だけでは足りないかもしれない。みなもは水筒に手をかけながら考える。そして、その手を止め、前庭を駆け抜けると門を抜け、学院をあとにする。向かうは、噴水のあった広場。そこには水が溢れていた。
「これで!」
 走りながらみなもは水筒のふたを開き、中身の水を宙へと投げる。水は意志があるかのように噴水へと向かう。その水面にみなもの水が触れた途端、隆起した水面が鋭い水の刃となり土くれの巨人を襲う。たくさんの水の刃に刻まれた土くれの巨人はその場に崩れ落ちた。
「……やった……?」
 しかし、ほっと息をついている間に土くれの巨人はもとの姿へと戻っていった。何事もなかったかのように額に水晶を戴き、みなもにその太い腕の一撃を見舞おうとする。
「!」
 結局のところ、身体は土くれだから、何をしようと短時間でもとに戻ってしまうのかもしれない。こういう場合は……命令系統、つまりは核となる部分をどうにかする……みなもはうんと頷き、水晶を見つめた。
 この場合の核は、おそらくあの水晶だろう。あれ以外は土くれだった。あの水晶が媒体となって土くれの巨人を構成しているに違いない。
 水を鋭い槍へと変え、みなもは土くれの巨人の額に輝く水晶を狙った。急所は隠されているということもないので、狙いは外れることなく、見事に命中する。
 水晶は水の槍の一撃で砕け、破片は光を受けてきらきらと輝いた。巨体は崩れ落ち、ただの土塊となっている。
「やった……でも、待って……」
 取り戻すべきは、水晶。だが、その水晶は見事なくらい大小様々なかたちに砕け散っている。しかし、砕けたからこそ、土くれの巨人を倒すことができたとも言える。
「……」
 砕けた水晶と土塊を前にしたみなもに言葉は、ない。
  ◇  ◇  ◇
「ありがとうございます、勇者さま。これでこの世界は平和を取り戻しました」
 砕けた水晶を手に神殿へと戻ると感謝の言葉で出迎えられた。
「あの……砕けてしまったんですけど……」
「気になさらないでください。砕けたところで力を失うことはありません。かけらの大小により力が分散されるかもしれませんが……同じ場所にかけらごと置いておけば問題はありません。今までどおり、神殿の聖なる力を高め、魔物を抑制してくれることでしょう」
 男はにこやかにそう答えた。みなもはほっと胸を撫でおろす。
 これで勇者としての役目はおしまい……しかし、みなもにはひとつだけ引っかかっていることがあった。
 猫のことだ。
「あの……猫さんのことなんですけど……」
「守護聖獣がどうかしましたか?」
「猫さん……その、どう言ったらいいのか……あたしなんですけど……」
 みなもは鏡が見せた光景を話して聞かせた。
「そうでしたか……。実は、勇者さまは魔道士を倒すための旅に出たのです。そう、その勇者こそが、この世界でのあなたです。伝説では勇者が現れると守護聖獣も姿を現すことになっているのですが、何故か守護聖獣は現れませんでした。だからといって現れるのを待っているわけにもいかず、旅の途中で出会うかもしれないからと守護聖獣の環を手に勇者さまは旅立たれました。そして、魔道士は現れなくなったものの、勇者さまは帰らず……かわりに、この猫が現れ、私たちは最後の手段、異世界の勇者さまをお呼びすることにしたのです」
 そして、伝説にあるとおり、守護聖獣に導かれたあなたは世界を救いましたと男は続ける。
「……猫さんはもとの姿に戻ることができますか?」
「それは、今の時点ではなんとも……しかし、我々がなんとしても探し出しましょう。それが我々が勇者さまにできるせめてものことです。では、名残は惜しいですが、勇者さまを本来在るべき世界へとお送りしましょう。勇者さまの手を必要としている人々がいるでしょうし」
 男の言葉に反応し、背後に控えいた者たちが頷き、小さく言葉を呟きはじめる。その言葉が進むに連れ、みなもの周囲に淡く小さな光がぽわりぽわりと浮かびだす。
「勇者さま、お元気で」
 男はみなもの右手を掴み、何かを握らせた。なんだろうとみなもが手のひらを覗くとそこには水晶のかけらがある。
「これは……」
「よいのです。勇者さまに幸多からんことを。……なに、ひとつくらい、わかりませんよ」
 男はこそりと囁き、みなもから離れた。
「にゃーん」
「猫さん……もとの姿に戻れることを祈ってます」
 さようなら、もうひとりのあたし。
 そして、周囲の光景が一転し、東京の町並みが戻ってきた。……いや、戻って来たのは町並みではなく、自分になるのか……みなもは空を見あげる。
 黄昏時の空。
「……」
 落ちついて周囲を見まわしてみると、自分はまったく同じ場所、同じ時間に戻ったらしく、何事もなかったかのように人々は自分を避けて通りすぎて行く。
 本当に何事もなかったかのようだから、そのとおり、何もなかったかのように、それこそ夢だったようにも思えてくる。
 だが、夢ではない証拠は手のひらのなか、そして心のなかにある。
「さて、と……」
 みなもは水晶のかけらを握り締め、歩き出した。
 ……何事もなかったかのように。
 
 −完−


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13歳/中学生】

(以上、受注順)

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■         ライター通信          ■
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依頼を受けてくださってありがとうございます。
納品が遅れてしまい、申し訳ありません。

相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。口調ちがうよ、こういうとき、こう行動するよ等がありましたら、遠慮なく仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。

こんにちは、海原さま。
いつもお世話になっております。このところファンレターのお返しができていませんが、いつもありがたく頂戴しております。海原さまと猫さんの旅、短い旅ではありましたが楽しんでいただけたら是幸いです。

願わくば、この事件が思い出の1ページとなりますように。