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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

 あぁ、もうホントに自分はどうしたものだ、と大上隆之介は心中の嘆きにこっそりと息を吐いた。
 傍らで共に歩く彼女は、先週の合コンで知り合った相手。
 話題も豊富でノリも良く、明るく笑う表情がかなりイイ感じ。
 顔としてはその時の中では中位のランクだが、飛び抜けた美人が同席していた為に他のヤローがそちらに殺到して、隆之介ばかりが彼女の魅力を堪能出来た次第だ。
 どだい、自分の外観が良いという自覚のある人間は、他者が重きを見る箇所が内面でないのをよく知る為か、その価値に他人から見た自分の印象ばかりを重視して、己を持たない者が多い気がする。
 隆之介にすればなんて無防備な、と思う。
 目立つという事は、応じて補食の対象になり易いという事だ……自衛には己をこそ、しっかりと保たなければならないだろうに。最も自分を意識しすぎて、不必要に警戒をされるのは頂けないが。
 その認識で言えば、この彼女はでかなりの上玉だ。
 聞き上手で話し上手。敵か味方か、見定める力に長けて他者の悪意を逸らして生き延びる巧者。あぁ、この出逢いこそ運命か、今度こそホンモノか、と期待に胸を躍らせつつメールアドレスを交換して、次の約束を取り付けて。
 本当に楽しみにして今日という日を迎えたというのに。
 自分はどうしたというのだ……予約したレストランの夕食も、観てきた映画の感動も、すべてうっちゃって空気に混じる血の、淡い香りが気にかかる。
 この東京で、血の匂いなんて今更だというのに。
 外敵の居ない街。同族以外を淘汰してそして、ヒトに残された敵は同じヒト。
 誰かが誰かをその手で言葉で傷つけて、傷つけた方も傷つけられた方も、その傷の治し方を知らずに膿んだ傷を後生大事に抱えて生きていくのだ。
 あぁ、本当に、俺らしくもない。
 押さえきれない逡巡に気付いたのか、頭一つ分は低い彼女が心配そうな表情で顔を向けてきた。
「隆之介クン? どしたの?」
こちらに気付いて問い掛ける口調も柔らかく、この娘は声も可愛いなと思いながら。
「……ゴメン、急用思い出した」
急に生じる用件で思い出す間もないから急用というのだ。心の中で曖昧すぎて苦しい自らの言い訳に突っ込みを入れながら、隆之介はちゃっかりと彼女の肩に回していた手を放した。
「……そう、じゃぁまた今度」
ただ二度会っただけの相手は怒りを向ける価値もないのか。
 あっさりと言って僅かに笑った表情の、その目が笑っていない事に今度がないのを思い知り、隆之介は心中に滂沱の涙を流す。
「じゃあね」
隆之介からの別れを許さずに、そのまま去っていく彼女に未練に手を伸ばしかけるが、用事が済むまで待ってて欲しいなどとは自分勝手を申し出た身にはあまりと言えばあまりで。
 隆之介はくすん、と小さく鼻を鳴らして手を下ろすと、傍らの木立が空を背景に作り出す闇を見上げる。
 まるで血で染めたような。不吉な色の月が視線の先に浮かんでいた。


 夕景が赤を深める程に、血の香が増すように思えて……否、それは確かにその香を増して、足を踏み入れた公園の敷地内、ねとりと空気に溶けて絡んで一層手足の動きを鈍く感じさせる。
「アラ?」
その声と共に思わぬ姿を見つけて、隆之介はパッと顔を輝かせた。
「ステラちゃん!」
金髪翠眼、あまりのモデルばりのプロポーションに遠目でもシルエットだけでそれと解る西洋の麗人は、明るく楽しく気だても良く。時折見せる幼いような仕草がその豊満な肢体とまたミスマッチで魅力を増す……知人の伝手で知り合った彼女は、国際結婚にフル・ネームをステラ・R・西尾という、既に他人の運命だったのだが。
「お久しぶりネ♪ その後文通は続いてイテ?」
先に『IO2』の依頼で以てあるスポーツ選手の囮に扮した折、親しくなった兄弟姉妹との連絡を言っているようだ。
「おぅ、あぁいうのは男から止めたら沽券に関わるしな♪ アイツ等が飽きるまでは付き合って……イヤ、末のチビが隆之介お兄ちゃん大好き♪ って書けるようになるまでは頑張る!」
とんでもなく気の長い若紫計画である。
 そんな男の浪漫は想像の圏外なのか、ステラはふふと肩を竦めて笑った。
「それはイイわネ。チビちゃん達も喜ぶワ」
主として連絡係を努めていた、ステラの推薦で囮に選抜されたのは、周囲の黒服の会話でなんとなくそうと知れた。
 彼女もその夫君も、『IO2』の関係者である……その彼女がこの、血の香りの濃い場に居合わせた符丁を、ただの偶然とするにはあまりに出来すぎている。
「ステラちゃんはダンナさんとデート?」
それでも敢えて違う方向から攻める隆之介に、ステラはその面差しを伏せた。
「ウン……ホントは今日デートだったんだケド……オ仕事入って振ラレチャッタ……」
しゅんとしょげるステラの姿が寸前の自分と重なり、隆之介は不覚にも目頭が熱くなる。
「解る! 解るぜステラちゃん、ツライよなそーゆーの! イヤ俺もマジで今日のデート楽しみにしてたからそのツラさすっげよく解る! 分かち合おう! さぁステラちゃん俺の胸で存分に泣……」
「ウウン、ダンナ様の胸のがイイカラ」
ぽっと頬を染めたステラに、盛り上がりをすっぱりと一刀両断にされて広げた腕の行き場を無くす隆之介。
「それはまたでイイから隆之介、ここの公園今から演習に使うのヨ……危ないカラ出てテ。ネ?」
両手を併せて拝む仕草で、ステラは隆之介に退去を促す。
 対する隆之介は、くんと鼻を鳴らした。
「演習って、実戦の間違いじゃねーのステラちゃん」
均一な血の匂いに嗅覚が麻痺しそうなものだが、その濃度を徐々に増して行くのにどうしてもその香を嗅ぎ取ってしまう。
「しかも、ピュン・フー居るだろ。ここに」
そう、この香はピュン・フーの……嗅いだ事のない筈の血の香りがする。
「……バレてるなら仕方ナイわネ」
上に向けた掌を竦めた肩の位置まで上げて、お手上げ、と態度で示して見せ、ステラはその動きに併せて眉を上げた。
「もう少シ、行った所に広場があるノ、其処ニ……」
後ろを示そうとしたステラは其処で動きを止め、隆之介に横顔を見せる位置で視線を止める。
「レギオンがこちらを気にするので、見に来てみれば」
そうという声の、言葉の意味には語弊がある。
 靴音とは別にコツコツと歩道を突く、白杖はその眼を光を持たぬそれを示していた。
 その名と姿とには、隆之介も覚えがあった……地下鉄の構内、地の底で神への祈りを捧げた神父。
 尊ぶべき御名に於いて。
 呪いを振りまいた男。
「アラ、お久しぶりネ。ヒュー・エリクソン」
既知の親しさに明るい声で、そしてそれと知るが故の警戒をフル・ネームで呼び掛ける事で示してステラは女の顔で微笑んだ。
 その蠱惑とも言える表情は、見えぬが故……と、同時にその聖職者である相手への挑戦なのだろう。
「本当に。お久しぶりですね、ステラ・ロスチャイルド」
穏やかにそして慈愛の情を込めて、再会の喜びにヒューは胸の前で十字を切った。


「ピュン・フーは?」
そして隆之介は挨拶も交わさずにヒューに問いを向けた。
「ピュン・フー?」
問い掛けた名を繰り返して首を傾げる、ヒューの態とらしいような仕草に隆之介は苛立ちを覚える。
「一緒じゃねぇなら、何処に居るのか教えろよ」
ガツ、と踵で地面を蹴り、怒りを地に流す。
「その声は……隆之介さんでしたか」
記憶を手繰る、僅かな沈黙で声の主を判じてヒューは隆之介に、正確には隆之介の声の方向に微笑みかけた。
「お久しぶりです。その後、傷の具合は如何ですか?」
労しげに眉を顰めたその問いには答えず、隆之介は再び問う。
「ピュン・フーは?」
隆之介に会話の意がないと判じて、ヒューは短い溜息を吐いて答える。
「ピュン・フーという名の者はもう、存在しません……レギオン、という言葉をご存知でしょうか」
耳慣れない単語の意味を、隆之介が持たぬと見てヒューはそのまま言葉を続けた。
「霊鬼兵、というものは人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
そこでひとつ息を吐き、ヒューは微笑みを深めた…物の姿を捉えぬ眼が開き、湖水の如き深さの青が夢を追うように朧な視線を漂わせる。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を……免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
「アレは数多の死霊を宿して、今は、その名をレギオンと」
微笑みを変えぬヒューに、隆之介はカツ、と足音を鳴らして歩を進めた。
「救えねぇな……」
喉の奥、声を絞り出すようにして、隆之介は固めた拳を力任せに振るった。
 ヒューの頬骨にかち合った拳にガツと固く重い音と、肘から肩へと打撃の衝撃とが突き抜ける。
「そうやってお高く他人を見下し、哀れんでる奴に誰かを救うことなんかできやしねぇ!」
怒りに振るわれた拳の強さに、ヒューは地に叩き付けられるように倒れた。
 目の見えぬ、弱者に感情をぶつけた後味の悪さが、急速に隆之介の沸点を下げるが、それを過ちとは思わず……怒りの奥底に在る悲しみを自覚する。
「……そうやって誰かを救う振りする事で、自分が救われたいだけだろ?」
ヒューを見下ろしての言に、神父は倒れた身を肘で支えて起こすと切れた口の端に滲む赤に指先で触れる。
「主は仰せになりました……誰かが右の頬を打つのなら、左の頬も差し出しなさいと」
神父はそう仄かに笑んだ……その笑みの、質は普段のそれと全く変わらない。
「どうぞ、それで貴方の気が済むというのなら存分に」
この上なく、信仰に忠実な神父の言葉に、隆之介は鋭く舌打ちをした。
 同じ言葉を操っていても通じない、会話が成り立たない、こんな空虚さは隆之介の手に余る。
「……私には誰も救う力はありませんよ、隆之介さん。人間を救うのは神の御手、その御心のみ」
そうかと思えば隆之介を言の意を易く汲む……最も、その内容は何処までも平行線の価値観に、決して交わる事はないのだろうけれど。
「かつて神の子は、六千の悪霊に憑かれて苦しむ男に救いを与えられました……貴方にもそれが可能でしょうか?」
可能性、を示唆して立ち上がったヒューは、ステラが示そうとした方向に、白い杖の先を伸ばした。
 その先。
 血の色を群雲の如くまとわりつかせた、一対の皮翼の姿を見る……異様な巨きさを根本で支える黒い塊が、人と見て取り、隆之介は駆けだした。


『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ…!』
渦を巻く怨念が、最も手近な生者である隆之介に襲いかかるが、それを一顧だにせず隆之介はひたと地面に踞る姿にのみ眼差しを据えた。
 蓬髪の生首が飛びかかるのを腕で払い退け、身を損なった姿で地を這いずる死霊を踏み付けるようにして先を急ぐ。
 悪意に対しての半ば無意識の反応が、隆之介の身を護る……常人ならば不可能である常識から外れたそれを、自らが為しているという自覚に欠けるのが今は幸いしていた。
「ピュン・フー!」
名を呼ぶが、皮翼を負った影は動かずにその生死すら危ぶまれて隆之介は駆ける足に力を込める。
 障害を避けつつ全速力で駆けた勢いは、目標の負う皮翼の大きさに遠近感を見誤って危うく、膝でをピュン・フーの頭部を蹴り込みそうになって慌てて膝を落として難を逃れた。
「ピュン・フー!」
肩を掴んで揺さぶろうとしたが、それだけで頭上に拡がる皮翼がぐらりと傾ぐのに、力を込めるに止める。
 掴んだ手に伝わる熱は細い呼吸に揺れて、ピュン・フーがまだその生を手放していない事実に僅か安堵を覚える間に、ぐ、と掴んだ肩に力が籠もった。
「……ア、レ?」
掠れた声が洩れて、ぎこちない動きに顔がこちらに向けられる。
「隆之介、じゃん……え〜と……あ、そうか。隆之介、もう死んでた?」
「死んでねえ!」
ぼんやりとした問い掛けにすかさず、変わらぬ突っ込みを入れつつ、その姿に眉を顰めた。
 いつでもその顔に乗せていた真円のサングラスはなく、背に巨大な皮翼は黒革のコートを破って歪に天に伸び、間に張る皮膜は絶えず、意に適わぬ動きで脈打つ。
「ならなんで……まだこんなトコに、居るんだ?」
「言ったろ? 運命を見つけるまでは東京を離れるわけにはいかないって」
常ならぬその重みを支えるだけで大儀そうな、身体をせめてと肩に頭を乗せてやれば少しなりと楽なのか一つ息を吐く。
「それにしてもひでぇ格好だな……」
足下に溜まる血は全てその皮翼から滴り、身体を伝って蟠る。
「あぁ、悪ぃ……服、汚れ……」
そういえば今日のデートの為に買ったシャツだった事に思い至って、隆之介は思わず後悔するが、脳裏に浮かんだ金額は頭一つ打ち振って追い出す。
「結局ピュンピュンはどうしたかったんだ? 幸せになりたい? なりたくない?」
触れれば殊の外、濃い死臭が鼻を衝いた。
 それも道理か。裡にざわめくようにして、他者の気配が凝るのを感じる。それ等が全て怨嗟を呑んだ死人のそれだとすればその身にかかる負担はあまりにも大きいだろう。
「誰かを幸せにしたい? したくない?」
隆之介の問いに答える声はない。
 肩に凭れた額の感触と、浅く苦しげに繰り返される呼吸の音ばかりが大きい。
「……俺には本当は幸せになりたい癖に、態と不幸になりたがってるように見えるぜ?」
痛みを呑み込むようにして笑うピュン・フーからはいつでも、生々しいような血の香りがした……疵痕を腐らせない為に乾かない傷を自ら爪を立てて裂き、鮮やかな肉を覗かせるように。
 そして、死期を察した獣が自ら群れを離れるようにして、見詰めているのだ、人を、その幸せを。
「……もういいだろ?」
硬質な輝きで伸びた爪で裂いたのか、無惨に千切れたシャツの胸元が覗く……隆之介はその左の胸、爛れたような肌に走る疵痕を見た。
「そろそろ楽になれよ」
何をどうすれば、今のこの苦しみから救えるのかは、半ば本能で察していた。
 手遅れな傷を負った者の、苦しみを長引かせない方法を慈悲と呼ぶかどうかは知らない。
 それは人間ならば無手で為せる技でないのは、知っている。
 けれどそれを成し得るかどうかという疑問すら、隆之介の思考にはなかった。
 僅かに顎を上げれば月が見える……満ちきった真円は変わらぬ赤だが、それを捉える隆之介の瞳を黄金に染め変えるのは天空高くを駆ける澄んだ銀の光だ。
 肘を引く動作に続いて俊敏に。
 痛んだ肉に突き入れられた手は、深くピュン・フーの胸を抉ってそして、背までを貫いた。