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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

 黒い車体は滑らかな動きで左へと寄り、前方に緩やかな重みを感じさせて停車した。
 運転手を勤める赤毛の青年は、無言で車外に出ると、歩道に出る左側の扉を開く。
「どうぞ、義雅様」
促されて義雅はふ、と眠りから覚めた風情で閉じていた眼を開いた。
「ありがとう」
短く礼を述べて車を降り、義雅は秘書を兼ねる護衛の青年の物言いたげな様子を察して微笑を浮かべる。
「心配してくれているのかな?」
「ご冗談を」
間髪のない素っ気なさで、青年はドアを閉めた。
「心配はしていませんが、へまだけはなさらないように。後の仕事に障りが出ます」
「本当にお前は照れ屋だね」
いけしゃあしゃあとした義雅の厚かましい主観を真顔で受け流し、青年はす、と行礼を取る。
「くれぐれもお気をつけて」
その声を受けて、義雅は歩道を横切って目的の場に足を向ける。
 都内有数の敷地を持つ公園……薄暮を理由にするには人の姿の無さ過ぎる、その場へと足を踏み入れた。


 敷地は広いが、式神を使った俯瞰に既に目的の場所は明らかとして、義雅は遊歩道に沿って迷いのない足取りで進む。
 風は絶え、空気は冷えて沈み、水を蹴るが如く重い感触を持って足に絡んだ。
「どうにも……これは」
公園に足を踏み入れる、道と敷地の境は確かに結界が存在していた。
 人を寄せぬ為の物、と判じたのに間違いはないが、それ以前にこの空間に生きる者の気配が消失している。
 確かに空は開けているが、その夕景の朱はじわりと血が滲むようで、吐く息すらも籠もるような閉塞感の中に一筋だけ、涼たる空気の流れがある……それは義雅の歩む先、影絵のような人の立ち姿から発せられていた。
「……おや」
その姿はとうに式神の目で確認していたが、今初めてその存在を知ったように義雅はその人影に呼び掛けた。
「今晩は」
「……その声は」
祈りの仕草で頭を垂れていた人影は顎を上げる。
「元気そうで何よりだね、ヒュー・エリクソン」
名を呼び掛ければ、『虚無の境界』に属する神父は穏やかな微笑みを上らせた。
「義雅さんでしたか。貴方もご壮健そうで何よりです……我等に幸いを賜る天なる主、父なる神、貴方の恩寵に感謝致します」
そう胸に祈りの十字を切る。
「だけど彼は元気がないようだけれど」
ついと、神父の背後、離れた位置に目線をやれば其処にもまた影が一つ。
「彼?」
首を傾げて暫く考え込みんで漸く、ヒューは義雅の言わんと欲する所に思い至る。
「あぁ、アレですか」
まるで物のように評して、ヒューはそちらに……見えぬというのに見るように瞼を閉ざしたままで顔を向けた。
 横顔を見せて立つ、黒い姿。
 強すぎる黒に闇にすら沈まぬ輪郭を持つ、黒革のコートは義雅の贈った物だ。
 今も風景に馴染まないその事で自らを保つようにして、ピュン・フーは陽に焼けぬ白い横顔を見せていた。
 その顔にいつものサングラスはなく、眠るように閉じた瞼は白いあまりに青いようで、表情の無さに併せて病的な印象を抱く。
「レギオン、という言葉をご存知でしょうか」
ヒューの不意の問い掛けに、義雅は促す沈黙で答える。
「霊鬼兵、というものは人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
そこでひとつ息を吐き、ヒューは微笑みを深めた…物の姿を捉えぬ眼が開き、湖水の如き深さの青が夢を追うように朧な視線を漂わせる。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を……免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
「アレは数多の死霊を宿して、今は、その名をレギオンと」
レギオンと。
 その呼び名に反応したかの如く、ピュン・フーがふ、と閉じた瞼を開いた。
「ピュン・フー」
それにすかさず、義雅は自らが親しく知る名で呼び掛ければ、ゆっくりと目を瞬かせてこちらを見る。
「……義雅、じゃん」
紅い眼差しに義雅を認めて、掠れたような声がそれでも僅かに笑いを含む。
「今、幸せ?」
問われても答えずに、義雅はピュン・フーに向かって歩を進めた……脇を抜ける、彼をヒューは黙したまま、その肩が触れるかの位置で静かに声を発した。
「かつて神の子は、六千の悪霊に憑かれて苦しむ男に救いを与えられました……貴方にもそれが可能でしょうか?」
それを求めるのか、求めぬのか、判然としない言葉に一呼吸の間だけ、義雅は足を止めた。
「人を救えるのは、人だけだと思っているよ」
求めるのは神のみ、自らにすら救いを見出さない神父に痛烈な皮肉を投げて、義雅はその存在を意識の外に追いやった。


 ぼんやりとした視線が定まらぬのか、ピュン・フーは目を細めるようにして、義雅を見る。
「重そうだね……これは君の趣味なのかな?」
「重いって……コレ? そうでもねぇけど」
言って彼は両手を掲げて見せた。
 その両の手首の間を繋ぐ、銀の鎖がしゃらと鳴る。
 即物的に、そして抽象的に彼を繋ぐ、その銀を見て義雅は否定に首を振った。
「趣味だったら、邪魔はしなかったけれど」
 その身の内に。
 未だ彼が正気を保っているのが不思議な程の数の、死霊が込められているのを見て取った。
 その邪気や狂気はその歪んだ魂の欲するままに血を欲し、憎しみを撒き散らすべく、己等を制する殻を、即ち宿主であるピュン・フーの魂を内側から引き裂こうとしている。
「無理にでも攫うべきだったか」
義雅はす、と手を伸ばしてピュン・フーの頬に触れた。
 手に冷たさを感じ取って次に指先を首筋に下ろせば、異様な熱を宿して巡る血に早い脈を感じ取る。
「攫って、どうすんの?」
僅かに首を傾けるが、触れる指を厭うてではなく触れ易いように、その配慮を見せて笑うピュン・フーに義雅も微笑んだ。
「君は可愛いからね。愛らしい仕草で楽しませて貰うのも一興かなと」
「そんなら猫でも飼えよ」
軽口を叩くピュン・フーに応じる。
「猫が好きなら飼ってあげよう。好きなのを選ぶといい」
「俺が選んでどうすんだよ」
僅かな苦みに右の口の端を引き上げて、ピュン・フーは細く長い息を吐き出した。
「あぁ、もう」
嘆じる語調を洩らして、ピュン・フーは強く眉根を寄せる。
「ホント……義雅、聞き分けねぇなぁ」
ぐ、と上げられた腕がその左胸の位置の服を掴む。
 布地に放射状に寄る皺に込められた力が、詰まる息のその痛みを思わせて、ピュン・フーは腰を折った。
「殺されたくないなら、逃げろって……」
 その丸めた背、黒革のコートがベキバキと、異様な音で自体が生あるモノのように迫り出す。
「……ッ、……!」
急激な変化に苦痛の息が洩れる。
 まるで何かが羽化、するように、一目で異常だと知れるように巨大な、一対の皮翼がピュン・フーの背に拡がった。
 その皮翼、骨の間に滑らかな天鵞絨を思わせる質感の皮膜が、禍めいて形を変え続ける模様に波打つ…それは、現世に届かぬ怨嗟を叫び続ける、死霊。
『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ……!』
叩き付けられる悪意、ただならぬ狂気は、皮翼が主の意思に関係のない、それどころか筋肉や骨を全く無視して好き勝手に狂惑めいた動きの内から響いた。
 皮翼から、それを支える背から流れる血が身体を伝って瞬く間、その黒にじとりと暗い赤が沁み渡る。
「……君の望みが本当に私を殺す事だったのなら殺されてあげても良かったのだけれどね」
その変化に動じる事なく。至近に更に巨大に映る皮翼を仰いで義雅は上部から雨のように滴る血の雫を差し出した掌に受けた。
「けれど君は私の命が欲しかったわけじゃないだろう」
軽く易く請け負われる死の確約と同じだけ、要も不要も感じさせない幸いの問いかけ。
 幾度も繰り返される、自らの裡にあるべきを他者に求めるその問いに、義雅は頷いてやる事すらせぬままであったのふと思う。
 しかし、それは自らの意の所在が確かであるが故、無難な同意を示すという選択肢は過去にも未来にも義雅は持ち合わせない。
「……私は人を救えるのは、本人自身だけだと思っているよ」
先に神父に述べたと同じ意見に一般論的な響きはなく、自らの言葉で義雅はピュン・フーに告げてシュ、と首元のネクタイを解いた。
 そのまま手を放して地に蟠る、細い布の動きに気を引かれてか、皮翼の重さと苦痛とに前に身体を傾けたままであったピュン・フーがぎこちなく顔を上げた……その眼に今や瞳は存在せず、ただ均一な真紅が眼窩を満たしている。
 意思を感じさせないその眼差しに、義雅は背広の前を開き、下に着込んだYシャツの釦をぷちぷちと外していく。
「解放が救いになるのなら」
その血肉を得る為に、死霊達に支配を奪われた肉体は幾百という念、それを等しく共通とする死を、苦痛を恐怖を、更に求めて動く。
「私の胸を突くといい」
外気に肌を、その胸を晒して義雅は動きの鈍いピュン・フーの手を……五指の爪は既に硬質に鋭利に伸び、充分な殺傷力を持つそれを左胸、心臓の位置へと誘った。
 ピュン・フーに表情はない。
 いつもの笑みも意思も、身を責める苦痛すら感じさせずに表情を欠き、それ故にか迷う事なく導かれるまま、ピュン・フーは手先を窄めるようにして爪の先を併せ、まるで紙のように義雅の肌を裂く。
 リ……、と何処かで籠もるような鈴の音がした。
 抵抗を感じさせない動きでゆっくりと切っ先が進むままに義雅の胸を抉ってぐ、と指の根本までが埋まる……不思議と、血は溢れない。
 リリリ、と小刻みに鈴の音が震える。
 その動きに義雅は静かに目を閉じ、ピュン・フーの肩を抱くようにして一歩、自ら踏み出した。
 キン!と、甲高い音を一度立て、鈴の、その音が絶えると同時に、ピュン・フーが動きを止めた。
 一度目を、閉じて再び開いたその目に瞳が戻り、ピュン・フーは義雅の胸に埋めた手を引き抜く……と同時に、その口中から溢れた血が滴り落ちる。
「……ちゃんと持っていてくれたんだね」
義雅は仄かに笑って、両の手を広げる形で抱いたピュン・フーの肩を放す。
 ピュン・フーが、自らの爪で裂いたシャツの黒い生地の合間、その左胸に走る疵痕が覗く……その心臓の位置、義雅の胸にあるべき深く赤黒く穿たれた傷が、血を溢れさせる。
 そしてピュン・フーの身に着けた黒革のコート、左胸の上部、裏に隠されたポケットからするりと携帯が滑り落ちる。
 銀のシンプルなそれに、着けられていたのは小さな人形……ピュン・フー自身を模したそれは左の胸に大きく穴を開け、詰められた綿と一緒に真っ二つに割れた銀色の鈴を覗かせて、持ち主の足下に拡がる血だまりに浸った。