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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


[貸し切り温泉どっと混む 草間興信所慰安旅行]

------<オープニング>--------------------------------------

 無数のチラシがデスクの上に広げられていた。
 エアコンが低く唸りながら、埃っぽい乾いた空気を吐き出している。草間興信所の雑居ビル同様年季の入ったエアコンでは、事務所の中は余り暖まらない。
「決められないなら、目を瞑ってこう」
 デスクの正面に立った零が、目を瞑って手を振り上げる。
 バン、と適当にチラシの上に手を置いた。
「選ぶのは」
 そろりと目を開き、草間に微笑みかけた。
 年末ぎりぎりまで大入り満員仕事の嵐状態だった草間興信所は、年が明けるとひたりと暇になる。一年のあれこれを年末に駆け込みで解決したい人間が増えるからだ。自然、年始は人々の気持ちも改まり、暫くは閑古鳥が鳴く。
 毎年一月の上旬は草間興信所の半分開店冬休みだ。そして。
 遅い時間に出勤し、朝一番のメールチェックをするたびに舞い込む「慰安旅行はいつごろ?」という催促メールが本日めでたく百件を越えた。
 今年は例年よりも随分早い。草間はデスクを立ち、零に命じた。
 駅前の旅行代理店を梯子して、ありったけの格安温泉旅行のパンフレットをもってこい、と。
 そして出揃ったのがこのチラシの山である。ありったけと命じたものの、これだけ並ぶと壮観で、一つ一つ吟味する意欲は霧散してしまった。
「よし零、一年の計は元旦にあり」
「もう三が日はとっくに過ぎました」
 草間は腕まくりして、ずいと椅子から立ち上がった。チラシをかき混ぜ、力強く目を瞑る。
 テーブルの上に拳を叩きつけた。
 
 × × ×
 
 静謐な山奥の秘湯。格安貸切温泉宿。
 草間が選び出したチラシは、東北地方の一角にある山の中の宿だった。送迎バス有り、宿泊人数は少なめで、大人数の場合は必然的に貸切になる。おまけに新潟地震の煽りをくらい、キャンセル相次ぎ格安提供。
 今年は貰った。草間武彦は送迎バスの後部座席でにやりと笑った。覚悟していたよりも、随分と安く上がる計算になる。
 下見兼先行隊と称し、草間は一日早く旅館を訪れていた。最寄の駅から、細い山道を送迎バスに揺られて25分ばかり。木々が鬱蒼と茂る山の中は暗く、秘湯の「秘」を感じさせる。
 山の頂すぐそばに、目的の旅館はあった。山の中に潜り込むようにして建っている。草間興信所とは桁の違う年季の入り方で、古いものに余り興味の無い草間は「雰囲気出るねぇ」と思う程度だ。
 旅館の脇まで山肌が迫ってきている。すぐ脇に、注連縄をぶら下げた暗い洞窟があった。
「どこが温泉でしょう」
「旅館の裏ッ側か、あっちの方だろ。ここから見えたら猥褻物陳列罪でこう」
 物珍しそうに言った零に、草間は手首を揃えて差し出す。
「お縄、ですね」
 静かな声が響いた。
 草間はうんうんと大きく頷きながら、声の方を振り返る。
 不思議な形に髪を結い上げ、質素な着流しを纏った青年が、すぐ側に立っていた。
「ようこそ、旅館ミフナシロへ。歓迎いたします、草間武彦探偵」
 きりりとした美しい瞳をした青年だった。肌は真っ白く、頬はややこけているが生命力と清清しさを感じさせる。
「私が旅館の主です。タマフミ、と申します」
 青年が名乗ると、旅館の入り口からぞろぞろと人が出てきた。一様に、タマフミと同じ着流しを着ている。
「来るときに調べたんですけど、このミフナシロは土着宗教の総本山だそうですよ」
 零が草間の耳に唇を寄せて囁く。
「彼は、その宗教の生き神様だそうです。未来予知ができるとかできないとか。面白いところを選びましたね」
「……調べたなら先に言え」
 草間は低く呟き返す。
「慰安なんだ、騒ぎはゴメンだ。多少のポルターガイストくらいなら目を瞑るぞ。いいな、知らんぷりだ」
 きっぱりと言い切る。
 タマフミが草間たちに手を伸ばした。
「ご案内します。そうそう、温泉はあの奥にも一つあります。洞窟の奥に、発光苔に包まれた湯泉。秘湯でしょう」
 ずらりと並んだ従業員らしき人々が、一斉に頭を下げる。ゆるゆると、潮が引くように道を空けた。

------<GAME START>--------------------------------------

 旅館ミフナシロは、巨大な吹き抜けを四角く包むような形の建物だった。
 吹き抜けの上は薄暗くてよく見えない。ぐるりと特太の注連縄が渡り、上階のどこかの窓が開いているのか、風を受けて紙が揺れている。
 入り口を入ってすぐの場所は祭壇のようになっており、草間は神社の本殿か何かに迷い込んだような気にさせられた。
 館内は僅かに風が流れており、時折白檀の香りが混じる。零の言った「総本山」という言葉はハッタリではなかったようだ。土着宗教などと言うから、精々占い師の真似事でもしているのだろうと思ったが、これは格が違う。
 なるほど総本山と呼ぶに相応しい風格があった。
「立派な建物ね」
 上着を脱いで腕にかけたシュライン・エマが呟いた。足下に置いた荷物を、従業員らしい着流しの男女が無言で運んでいく。
「武彦さん、ホントに予算合ってる? カード持ってきてる?」
 草間の腕を突いて囁いてくる。武彦は壮観すぎる室内に圧倒されながら、顎を捻った。
「チラシを零が持ってる」
「零ちゃん、チラシ見せて」
 シュラインが零に向かって手を出した。
 下調べは自分と零だけで十分だから、一日休んで支度をしたらいい。草間はそう言ったのだが、「どうせみんなが来てからじゃゆっくりできないもの」とついてきたのだ。シュラインの慰安も兼ねているとはいえ、あれこれ手伝って貰うことになるのは目に見えているので、草間は大人しく頷いた。確かに、自分と零の面倒だけ見ていればいいという方がシュラインには気楽だろう。
「合ってるわね、金額。誤植だったら暴れちゃうから」
 シュラインはチラシを丁寧に折りたたみ、上着のポケットにし押し込んだ。
「それでは、ミフナシロの説明を」
 会話が終わったのを見て取り、タマフミが言う。
 ミフナシロにある温泉は、合計三つ。入り口脇から入る、洞窟内の温泉。館内にも異なる湯泉の大浴場と露天風呂が一つずつ。洞窟の中のみ混浴で、露天風呂は地酒の熱燗を持ち込める。宴会場と客室は上階、全て和室。
 ミフナシロで組んでくれた慰安旅行のタイムスケジュールを手渡され、草間は眼鏡を直してそれを覗き込んだ。
 山を下らなければミフナシロ以外何もない。慰安ということで、日々東奔西走しているエージェント達には旅館に籠もってまったりして欲しいという草間の希望を完璧に叶えてくれるシチュエーションだ。風呂が三つも在れば、食っちゃ寝して風呂に入ってで俗世の垢がすっきり取れそうだった。
 タマフミの案内で回った限り、設備はどれも手が掛かっている。とてもではないが、草間達の予算で泊まれるとは思えない旅館だった。
「温泉が三つもあるなんて、楽しみね」
 シュラインが零とにこにこ話し合っている。特に洞窟内にある温泉は不老長寿の秘湯と呼ばれているというから、女性には堪えられない魅力なのだろう。
 ぐるりと館内を回り終え、一旦客室に戻ることにする。扉の前でシュラインたちと別れ、草間は部屋のドアを開けた。
 夕暮れ時の室内は薄暗い。窓に通じる障子がぴったりと閉ざされているため、殆どのものがシルエットしか見えなかった。
 手探りで室内灯のスイッチを探しながら、部屋の中に上がり込む。
 何かに蹴躓いた。
「痛てっ」
 ごろんと畳の上に転がり、草間は擦った鼻をさする。
 暖かくて柔らかい物が、手に触れた。
 ぎょっとして飛び起きる。手が、電灯の紐に触れた。
 ぐいとそれを引く。
 足下に、人影があった。
「のわあっ!?」
 草間は驚いて跳び退く。一組だけ用意された布団の上に、見覚えのある女性が横たわっていた。
 豊満な身体に浴衣を引っかけ、挑発的に着崩している。豊かに盛り上がる胸の谷間どころか、乳首までが見えそうなほど襟元を広げていた。
 大きく割った裾からは張り切った艶めかしい脚が覗いている。ほんのりと上気した肌に、僅かに水気を含む赤い髪。
 ジュジュ・ミュージーであった。
「待ってたヨー、武彦ォ〜。ヘイ、カモーン・ベイビー」
 歌うように言う。濡れた唇が開かれ、指先だけで草間を手招く。
「ヘヴンにゴーするネ」
「しねえっ!」
 草間は慌てて立ち上がり、ずり落ちた眼鏡を直す。
 ジュジュが手を伸ばし、草間の脚をがっちりと掴んだ。そのまま、引き倒す。
 布団の上に引きずられ、草間は悲鳴を上げた。
「お前ッ、今回のメンバーに入ってないだろう!」
「実費参加、ネ」
 ジュジュは草間の上に馬乗りになり、シャツのボタンを外していく。草間は手足をばたつかせた。
 新宿に探偵事務所もどきを構える一癖も二癖もある女性だ。草間興信所が一風変わった探偵事務所だとするならば、ジュジュは裏側に近い探偵事務所を経営している。
 何が気に入ったのか、軟弱ジリ貧変わり者を自称する草間に首ったけ、らしい。
 ジュジュが身を屈める。たわわに実った乳房が、服の上から草間の胸を押した。
「た、助けてー! 犯されるー!」
 迫り来るジュジュの唇から逃れようと、草間は顔を背ける。据え膳食わぬは男の恥だが、これは後が怖い。
 まさに唇を奪われようとした瞬間、勢いよくドアが開かれた。
「どうしたの!? 武彦さん!」
「お兄さん、大丈夫ですか!?」
 勢い込んでシュラインと零が入ってくる。
 ジュジュが小さく舌打ちした。
「ちょっとちょっと、離れなさい」
 駆け寄ってきたシュラインがジュジュを引きはがす。ジュジュは唇を尖らせ、小さく悪態を吐いた。
「何もされてません?」
 零が草間の横に座り込んで問いかける。草間はボタンを直し、ズボンの皺を伸ばしてから頷いた。
「貸し切りじゃなかったの?」
 シュラインが一瞬ジュジュと目を合わせ、草間を睨んだ。
「貸し切りだよ、ウチの」
「じゃあどうして彼女がいるの?」
 眉を顰めて言う。草間は自分が疑われていると思い当たり、慌てて首を振った。
「最初、下見に来なくていいって言ったのは、もしかして?」
 微笑みながらシュラインが言う。目が全く笑っていない。
「誤解だ! 来たら居たんだ。オレは何も知らない! 断じて何も知らんッ」
「ミーは実費参加ネ。武彦を守りに来たヨ。ユーは何も知らない。武彦が危ないかもしれないネー。オーケィ?」
「ノーよ」
 シュラインがキッパリと言う。
「これは草間興信所の慰安旅行ですけど?」
「細かいコト気にするとコジワ増えるデース」
 ジュジュがぺろりと舌を出した。シュラインがぴくりと眉を引きつらせる。
「落ち着け、そこ」
 草間はようやく気を取り直し、二人を宥める。
「危ないってどういうことだ?」
 二人共に座るように手で示す。零が座布団を四枚持ってきて、全員の尻の下に敷いた。
「ココ、一般ピーポーが泊まれる場所違うネ」
 草間に擦り寄ろうとするジュジュをシュラインが押し止める。ジュジュは頬を膨らませ、大きく膝を崩して説明し始めた。
 ここミフナシロは、政財界及び裏社会ではかなり有名な場所であるという。一流企業の経営者達が、先見の力を持つ生き神・タマフミを頼ることは少なくない。経済界で占い師が活躍することは珍しくないが、ミフナシロの託宣は占いなどではなく完全な予知であるという。一月中も草間興信所が借り切る期間以外は、ほぼ全てお忍びでタマフミに挨拶に来る人間で埋まるという。
 政財界の大物達が通う場所であるだけに、宿は毎回貸し切りになる。そう聞けば、この変わった造りにも納得がいくというものだ。
 ジュジュは草間興信所が出した慰安旅行の通達を盗み見て、心配になってやって来たのだという。到着時刻は草間達が来るよりも二時間ほど早かったらしい。
「武彦が出せる金額じゃなーいネ。何かあるヨー」
「そんな凄いところだったなんて」
 零とシュラインが驚いて呟く。ジュジュが唇を歪めて笑った。
「簡単に掴める情報チガーウよ」
「ミスタ・タマフミ怪しすぎるネ。昨日ココ泊まったの前の前? の総理大臣デース。その後武彦? オウ、ヘンなカンジィ」
「ヘンか?」
「変よ」
 ぴしゃりとシュラインがはねつける。草間はかりかりと頭を掻いた。
「ラッキー♪ じゃ、ダメか?」
「もう、武彦さんたら」
「ダイジョーブね〜。ミーが武彦をガードするヨー」
 ジュジュが投げキッスを草間に飛ばしてくる。シュラインが立ち上がった。
「でも、見当つかないから様子見しかないかもね。ジュジュさん、女性の部屋はあっち。移動するわよ」
 ジュジュの首根っこをひっつかみ、草間に手を振った。
「じゃあまた、お夕飯の時に」
 
 × × ×
 
 送迎バスが到着したのは、予定時刻より大分遅れた午後二時頃だった。夜更けに降った雪が、ミフナシロの前庭を白く覆っていた。
 タラップに二枚の板が渡される。白い息を吐きながら入り口に立った草間の目に最初に入ってきたのは、車椅子に乗ったセレスティ・カーニンガムの姿だった。
 車椅子を押しているのは龍ヶ崎常澄。いつも連れている羊の悪魔・饕餮はセレスティの膝の上で小さくなっている。
「わーこっちも雪が積もってる! 雪合戦しようよ、ちーくん」
 その後ろで三春風太が白い息を吐いている。常澄は「後で」とにべもない。
「よう、お揃いで」
 草間は片手を上げて一同に手を振る。
 黒いロングコートを着込んだ鬼丸鵺、その後ろには片目に眼帯をした男が従っている。鵺の家庭教師をしている魏幇禍だ。
 最後に、白いロングコートを着た大男と、その肩に載せられた小柄な少女が続く。大男がリィン・セルフィス、肩の上の少女が海原みあお。
 これで、草間興信所の慰安旅行参加者は全員揃ったことになる。
「悪路で少し酔いましたね。ありがとう、常澄君」
 セレスティが鷹揚に呟く。草間は車止めまで下りていき、再度一同に挨拶した。
「山奥だからしょうがない。その分静かだ」
 草間とセレスティが話している間に、従業員が車椅子用の板を渡し架ける。
 みあおとリィン、風太がすでに雪合戦を始めている。リィンの背中には白い立派な翼が生えたままだ。正月前、クリスマス頃の仕事の時に生えたものだが、まだそのままらしい。
「いい旅館そうじゃない! 張り込んだね、おやびん」
 鵺がボア付のコートのポケットに手を突っ込んだまま言う。
「あの洞窟の奥が温泉だ。楽しみにしてろよ」
「え! ならすぐ行きたい! 部屋どこ? 準備する」
 鵺がぱちんと手を叩き、従っている幇禍の袖を引っ張った。
「お荷物お預かりします。お部屋はこちら」
 音も立てずに近づいてきた従業員が、鵺と幇禍の荷物を受け取る。
「外寒いぞ! そこも中入れ」
 草間は雪をぶつけ合っている三人に声を掛ける。
「リィン! 置いてくぞ!」
 常澄がリィンに声を掛ける。セレスティの車椅子を押した。
「何か冷たくないか? 相棒だろ」
「年末からプチ喧嘩中」
 常澄はしれっと答える。草間は肩を竦めた。
 恐らく常澄が一方的に喧嘩をしているのだろう。リィンには完全にいつも通りに見える。
 わらわらと従業員が三人に近づき、それぞれの荷物を持って中に入るよう促す。みあおと風太が手を赤くして走ってきた。
「あっちじゃまだこんなに積もってないもんね」
 赤くなった手に息を吹きかけ、みあおと風太が笑いかけてきた。
「これから温泉なんだろ? 冷えておいた方が楽しくないか」
 まだ遊び足りない様子のリィンが言う。こちらは寒さもどんと来いなのか、至って自然体だ。寒さにすでに背を丸め始めている草間との違いは、筋肉量だろうか。
「中にお前が好きそうなカンジの人がいるから、とりあえず入れ」
 草間は冷えてきた手を擦り合わせ、リィンの背中を押す。
 一同が旅館内に入ると、扉がぴったりと閉められた。
「いらっしゃい、みあおちゃん。鵺ちゃん。遠かったでしょう」
 寒いからと室内で待っていたシュラインが、一同を歓待する。女性部屋へと連れて行った。
「野郎はこっち」
 草間は親指を立てて案内する。
 階段を上って一階上がるだけなのだが、途中でリィンが引っかかった。タマフミを見つけたのである。
 下の階で采配を振るっていたタマフミを見つけて「サムライ!」と歓声を上げた。それを聞いて、全員が興味を引かれて吹き抜けの方に進んでしまったのだ。
 一階部分の祭壇前で、タマフミが従業員に指示を出している。リィンの声を聞いて、顔を上げた。
「チョンマゲだ!」
 手を叩いて喜ぶリィン。吹き抜けの柵に掴まって一階を見下ろした風太も感心してタマフミを見ている。
 そういえば、リィンは時代劇が大好きなのだった。草間は思い出して額を叩いた。
「気にしないで先に行こう」
 常澄が言い、車椅子を押す。廊下を進んだすぐ先が、男性部屋だった。女性部屋以外の仕切りを取り払い、広々とした空間に六人が泊まれるようになっている。
「草間さん」
 車椅子から立ち上がったセレスティが静かに言った。
「ミフナシロと先見・タマフミについてはご存知でしょうか」
「政財界お頼みの占い師、だろ?」
「そうなんだ」
 常澄が感心したように言う。
「一般の方に門戸を開くタイプの場所ではなかったと記憶しています」
「らしいな。チラシ見て選んだんだが、通常そういうやり方はしないんだろう?」
「私の知人も何人か、お世話になっているようです。平安頃から、ミフナシロとタマフミは秘密裏に存在していたと言うことですよ。代替わりをするものなのか、はて。何もないといいですね」
「杞憂だといいねぇ」
 草間は気楽を装って言う。室内には荷物が運び込まれており、大きな座卓が出ていた。茶菓子とお茶が用意されている。
「それじゃまず、風呂に入るかね」

 × × ×
 
 洞窟内は薄暗く、暖かかった。
 注連縄を潜り、奥へ進む。なだらかに下る道は先に進むに連れて徐々に明るくなっていく。
「湯泉の回りにここでしか見られない発光苔が繁殖しています。身体に害はありませんが、毟ったりはされないように」
 小さな提灯を持って進むタマフミが説明する。五十メートルも歩くと、湯泉が見えた。
 発光苔の中央部が、かなりの広範囲でえぐれていた。館内の大浴場にも劣らぬ規模で湯が溜まっている。中央部の水面が少し盛り上がっており、そこから湯が湧いているようだ。発光苔に包まれた空間が続き、溢れた湯は苔を濡らしてあちこちの亀裂へと吸い込まれている。
 天然温泉かけ流しというだけでも豪勢な話だが、ここまで壮観な物は初めてだった。
「こりゃ、不老長寿ぐらいの効果はありそうだな」
「凄いっ!」
 鵺と風太とリィン、みあおが歓声を上げる。他人の視線などお構いなしに服を脱ぎだした。
「お嬢さん、あの、羞じらいをもってですね」
 幇禍が慌ててタオルを広げて鵺の身体を包む。
「せめてこの中で」
「男性陣あっち向いて! リィンさん、そこで脱がないで! 女の子がいるんだから!」
「武彦は見てもイイネー。ウェルカム」
 草間は耳を塞いで女性陣に背を向ける。セレスティが「賑やかですね」と微笑んだ。
「タオル巻くのは邪道よ〜。シュラインさんも、水着はだめ!」
 みあおの元気な声が響く。続いてシュラインの「みあおちゃん、脱がせちゃダメだってば、あ、やめて」という甘やかな声が聞こえてくる。
 振り向こうかと考えた時、後頭部にブラシが飛んできた。
「こっち向くなって言ってるでしょう!」
「向いてないだろ」
 草間は後頭部を擦って唸る。隣で常澄が肩を竦め、服を脱ぎ始めた。
「もうイイヨーこっちむ・い・て、ダーリン」
 ジュジュが鼻に掛かった声で言う。振り返ると、女性陣は全員服を脱ぎ、身体にタオルを巻き付けていた。
「やれやれ」
 幇禍が上着を脱ぎながらこっちへやって来る。片手には鵺の服をきれいに畳んで抱えていた。
 常澄が腰にタオルを一枚巻いた恰好でセレスティの脱衣を手伝っている。その足下に置かれた木製の洗面器が、もぞりと動いた。
 タオルと石鹸の下から、饕餮がひょこりと鼻を出す。鼻先をひくひくさせ、タオルの下からもぞもぞと這い出そうとした。
 草間とセレスティ、幇禍が服を脱いでいる間に、発光苔の上でリィンとみあお、風太と鵺が準備体操を始めた。
 ここはプールサイドでは、ない。
 発光苔の絨毯の隅に、タマフミがきちっと正座をしていた。
 ミフナシロの従業員の殆どは部外者と会話をしないため、客あしらいは全てタマフミがこなすという。
 セレスティと幇禍が腰にタオルを巻き終えた頃、みあおたちが歓声を上げて湯船に飛込んだ。湯がはね上がり、発光苔を濡らしていく。
 歓声を上げて泳ぎまくる四人を、常澄と幇禍が困ったような顔をして眺めていた。
「余り熱くないですね。ありがたいことです」
 優雅な仕草で湯船に手を浸したセレスティが、うっすらと微笑む。発光苔の柔らかい光で、全員の肌が白くぬめり輝いて見えた。
 湯泉の中程を、白く塗った太鼓橋が横切っている。風太と鵺がその下を潜って遊んでいる。
 橋を越えた向こうに、更に通路が続いていた。その途中に注連縄を巡らした鳥居があり、さらに奥は闇に閉ざされて見えなくなっている。
「あれは何ですか?」
 湯に浸かった常澄が、奥を指差してタマフミに声を掛けた。
「本来ならばあそこの奥をミフナシロと呼びます」
 タマフミが答える。洞窟内に、静かで美しい声が木霊していく。
「あの奥は我々の聖なる地。泥を大量に含んだ熱い泉が湧いていて、その泥の中から、仲間が生まれてくるのです」
「仲間?」
 セレスティが一瞬目を光らせる。草間は両腕を広げて湯の中で身体を伸ばした。
「我々は人ににて人に在らざる存在。泥より生まれる擬人と呼ばれるもの。何故擬人が生まれるかは私も知らないが、いにしえよりこうして暮らしています。現世の人々が強い感情にとらわれた時、時を超えて擬人が生まれるという話です」
「ミフナシロの者が人ではないという話は聞いていました。真実だったのですね」
 セレスティが頷く。
「感情が形を成したものが擬人です。私は擬人たちを守り、消えていくまで見守る存在。身体の中に宝石を含んで生まれる擬人をタマフミと呼びます」
 タマフミは自分の胸に手をやる。幇禍が納得したように目を細めた。
「あなたを見たことがあるような気がします」
「私もあなたに出会ったことがある気がする。これが覚えているのだろうか」
 タマフミが胸に触れたまま言う。
「私の使命は擬人を守り、居場所を守ること。ミフナシロにいるものは全て擬人です。殆ど同じ顔に見えるでしょう」
「では、噂の予知能力も本物なのでしょうか」
「はい」
 セレスティの問いにタマフミが頷いた。
「いずれ、日本支社の人間が頼るかも知れません。その時はお願いしますね」
「リンスター財閥系列の方がいらしたら、歓迎しましょう」
 セレスティが静かに自分の回りの湯を掻き回した。
「人の素性もご存知なのですね」
 タマフミは「調べれば」と答えた。
「それにしても、タマフミさん一人でお客さんの相手なんて大変ね」
 草間の横に寄ってきたシュラインが感想を漏らす。ジュジュも草間の脇に近より、ぐいと腕を組んだ。
「……両手に花」
 草間はげんなりとして呟く。美女二人に侍られるのは楽しいが、二人の剣呑な雰囲気が頂けない。
「ならもうちょっと楽しそうな顔しろよ!」
 リィンがクロールで草間の前を泳ぎ過ぎながら、言う。器用だ。
「美女が草間に取られてるんじゃつまらない。何か呼び出せよ」
 途中でぴたりと泳ぐのをやめて立ち上がり、下半身を隠しもせずに常澄達の方へ歩いてくる。
「そうだよ、呼ぼうよ! ねえねえちーくん、悪魔さん出して出して! ボクいろんな悪魔さんと一緒にお風呂したいな。ほら、すらりんとかぶろぶんとかうずたんとかとか〜!
おせっちはねこさんだからお風呂きらいかなぁ? 炬燵があったらいいよね。あるかな」
 リィンの提案を喜んで、風太も常澄に寄ってくる。常澄の腕を引っ張り、ねだりに入った。
「めけくんだけなんて寂しいでしょう?」
 風太が手を伸ばし、桶に入ったまま水面に浮いていた饕餮を撫でる。桶をくるりと回した。
 くるくると回る桶の中で饕餮がよたよたと動き回る。
「美女がいいぞ!」
「うずたんがいいなぁ〜〜」
 風太とリィンが常澄を挟んで言う。常澄が小声で「うるさいってば」と呟いた。
「女の子はここにもいるよっ」
 みあおが湯をまき散らして手を挙げる。
「うーん。お嬢ちゃんは十年後が楽しみ、だな」
 リィンがくりくりとみあおの頭を撫でる。
「今だっておいろけ出せるもん」
 みあおが憤慨して言う。
 身体に巻いたタオルと、するりと解いて胸元を見せた。
「ノーノー。そんなアッサリ見せたらオイロケ違うネ〜」
 ジュジュが舌を鳴らし、人差し指を左右に振ってみせる。
「オイロケはこうやるのよ。アハーン、武彦ォ〜カモォン」
 ジュジュがタオルを僅かに引き下げ、両腕で思い切り胸を寄せる。立ち上がり、草間の目の前に屈み込む。草間の顎を、尖った爪の先で引っ掻くように撫でた。
「むう〜」
 みあおが頬を膨らませる。セレスティが宥めるように「色気は大人になれば自然に出ますから」と微笑みかけた。
「常澄! やっぱり美女が要るぜ。胸が大きいのがいい!」
「ねーねー、悪魔さん呼んでよ〜」
 リィンと風太が再び常澄に絡み始める。
「ユーには出来ないデショ」
 ジュジュがにたりとシュラインに笑いかける。草間の腕に巻き付いていたシュラインの腕に、力が籠もった。
「武彦さんてこんなフェロモンむんむんなのがいいのかしらァ?」
「いや……別に……どっちでもいいというかな……」
「負け惜しみネ」
 ジュジュが仰け反り、胸を大きく揺らす。
「ああはならなくていいですが、お嬢さんももう少し女性としての自覚が欲しいですね」
「えー」
 遠巻きにジュジュたちを眺めていた幇禍が、鵺に言う。鵺は面倒くさそうに腕組みした。
「口うるさいようですが、今は無防備すぎます」
 たしなめるように幇禍が言う。鵺はうーんと唸って湯で顔を洗った。
「あー、もう! 煩いッ!」
 常澄が怒声を上げ、びしゃりと水面を叩いた。
 風太とリィンに執拗に絡まれ、いい加減頭に来たらしい。
「召還、ブラックウーズ!」
 空中にさっと魔法陣を描く。風太の上に、一抱えもある巨大なスライムが落ちてきた。
 表面に顔のような穴が空いており、口に見える穴から「ォォオォォ」と呻き声を上げている。
 ねだるほどいいものには見えなかった。
「リィン!」
 手を伸ばし、今度はリィンの羽根をひっ掴む。
 額と額がくっつきそうなほど顔を寄せ、引きつった笑顔で言った。
「羽根このままなのと、美女、どっちがいい?」
「……羽根を戻して下さい」
 剣幕に押され、リィンが小声で呟く。
「よし」
 常澄はリィンの羽根から手を離す。口の中でぶつぶつ呪文を唱え、ばちーんとリィンの背中を叩いた。
 発光苔のおぼろな光に溶けるように、リィンの翼が消滅する。
「これでやっと服がマトモに着れるぜ! オレには服なんて飾り、必要ないけどな! フン」
 リィンはぱたぱたと背中を叩き、ふんぞり返って「満足だぜー」と大変不満げに叫んだ。
「自分で選んだんだろ。文句言うんじゃない」
 常澄が冷たく言い放つ。桶の中から鼻先を出して湯を舐めていた饕餮を引っ張り出し、湯に浸けた。
「セレスティさん、慰安になってるかね、これ」
 両腕をジュジュとシュラインに奪われたまま、草間は疲れた声で問うてみる。
「賑やかで楽しいですよ。皆さんリラックスしているようですから、いいんじゃないでしょうか」
 セレスティの穏和で美しい微笑みが、救いに思えた。
 気休めかどうかは、考えないことにする。
 
 × × ×
 
 大きく振りかぶったラケットを避け、オレンジ色のボールが宙を待った。
 一瞬、時が止まったような気がした。否、驚くほどゆっくり時が流れたように思った、が正しいかもしれない。
 オレンジ色の玉がくるくると回転しながらラケットのすぐ脇を通り過ぎていく。
 
 カツーン
 
 ピンポン玉が床に落ちる音が、やけに響いて聞こえた。
 
「ゲームセット。鬼丸鵺さんの勝ちですね」
 セレスティの穏やかな声が響く。
 草間はその場にがっくりと膝を折った。
 ミフナシロの遊戯室の中にある卓球台の前である。大差を付けて草間に勝利した鵺が、歓声を上げた。
 不老長寿の温泉でたっぷりと身体を暖め、タマフミの用意してくれた細い縦ストライプの浴衣に身を包んだ一同は、旅館の方に戻ってきていた。鵺と幇禍は持参のハトヤ温泉の浴衣を着ている。
 浴衣の袖をくるくると肩まで巻き上げた鵺は、これまた持参したラケットを両手に挟んでガッツポーズを取っている。
 帰り道、鵺が卓球台を発見したのだ。そのまま遊戯室に移動して、温泉旅行のお遊びピンポン、羽根突き同様適当に十点先取で勝利と−−大人の余裕で対峙して。
 負けた。
「中学校の頃はクラスで一番強い男・草間武彦君と呼ばれたんだぞ!」
「過去の栄光に縋るのはみっともないわよ」
 拳を握りしめて負け惜しみを言った草間を、シュラインがたしなめる。
「そんなコトより、ミーと勝負ネ! シュラインさァん?」
 横合いから赤いラケットが飛んでくる。シュラインがそれを受け止めた。
 浴衣の前を大きくくつろげ、袖をまくり上げたジュジュが仁王立ちしている。ラケットでシュラインを差した。
「勝った方が今夜武彦とメイクラブ。オーケィ?」
「武彦さんとメイクラブする予定なんてないけど、売られた喧嘩は買うわ」
「では私がジャッジをしましょうか」
 車椅子を自分で動かし、セレスティが隣の卓球台に移動する。
「オレはサムライと対戦したいぜ」
 ラケットを握って自分の番を待っていたリィンがタマフミを指差す。遊戯室の一角に腰を下ろしていたタマフミが、困ったように首を傾げた。
「あたしも!」
「お嬢さん、あまりご無理を言っては」
 名乗りを上げた鵺を幇禍がたしなめる。鵺が首を振った。
「幇禍君とは後で」
「じゃあオレが審判やるよ。誰と誰が対戦するの?」
 常澄がリィンの暴走を心配したのか、名乗り出てネットの脇に立つ。タマフミがゆっくりと首を振った。
「私には勝てませんよ。楽しくないでしょう、勝てない勝負は」
「予知ってヤツかい? サムライ。先のことが判ったって、身体がおいつかなきゃ勝てないぜ」
 リィンがにやりと笑う。
「オレのスピードは並じゃないぜ? 予知が出来たからって必ず勝てるとは思わないな」
「おやおや」
 一瞬むっとした顔をしたタマフミが、ゆらりと立ち上がった。
「仕方ありません。お相手しましょうか。草間探偵とダブルスで、ハンデということで」
「オレがハンデかよ」
「じゃあリィンさんのところにあたし付くね」
 鵺がうきうきと言う。草間は隣で熾烈なラッシュを繰り返しているシュラインとジュジュを眺め、肩を竦めてタマフミの横についた。
「勝とうか。私の指示の通りに動いてくれるね」
「オレ一応客だぜ? お任せしますけどね」
 草間はラケットを握りなおす。常澄がさっと手を上げた。
 タマフミが目を閉じてラケットを構える。鵺がサーブを打った。
 目を閉じたまま、タマフミがラケットを振る。
「草間さん、右に半歩。五つ数えてラケットを振る」
「へいへい」
 草間は言われた通りに半歩移動する。
 リィンが力任せにラケットを振る。
「勝負だぜ! サムライ!」
「タマフミです。サムライではありません」
 草間のラケットを狙ったように、見事にピンポン玉が飛んでくる。軽く振るだけで、リィンのスマッシュを弾き返すことが出来た。
「ぬあっ草間のくせに!」
「くせにって何だ」
 タマフミの指示通りに動きながら、草間はリィンに舌を出す。
「余裕で勝てる気がしてきたぜ」
「十分後を教えてあげよう」
 目を開き、タマフミがリィンと鵺を指差した。
「私と草間探偵の完全勝利。リィンさんは地団太を踏んで悔しがり、鵺さんはそれなりに楽しむ。残念だったね」
「その予知、外す」
 リィンが中指をおっ立てる。鵺は親指を立て、ぐいと床を示した。
 
 
「つまんないね」
 遊戯室の隅っこでビリヤードの玉を手で転がしていた風太が、向かいで玉を並べていたみあおに話しかける。
 三角形に並べたボールに向けて、風太は手玉を転がす。
 硬い音を立てて、ボールが三角形の頭に当たる。三角形がゆらりと揺れただけで、ボールは止まった。
「お土産屋さん、ないかな」
「探しに行こうか」
 みあおが三角形を崩して首を傾げる。風太は頷き、みあおに手を差し伸べた。
 
 
「ガッデム!]
 リィンはラケットを卓球台に叩きつけて叫んだ。
「鬼丸さん&リィンのコールド負け」
 常澄が宣言する。リィンが地団太を踏んだ。
「あ、タマフミさんの言ったとおりだ」
 鵺がリィンを見て呟く。タマフミがラケットを卓球台に置いた。
「私の予知は外れません」
「あっちはどっちが一点先取するんだ?」
 草間はラケットで肩を叩きながら、右手側でラケットを振っているシュラインとジュジュを示す。セレスティが静かに見守っているが、いまだ互いに一点も取れていない。狙いすましたように相手の玉を打ち返し、拾う。二人とも顔を上気させ、胸元まで汗を滴らせている。大した集中力だった。
「息ぴったり」
 感心したように常澄が言う。
「セレスティさんは目が離せませんね」
「疲れてきましたよ」
 目だけ動かしてセレスティが言う。幇禍に微笑みかけた。
「代わりましょう」
 幇禍がシュラインとジュジュの方に向き直る。
「予知は?」
「聞かない方が面白いでしょう。こういうのは」
 タマフミはそう言って二人を眺めた。
 
 
 胡散臭い土産物を並べた小さな売店の中に、モヒカン頭の店員が座っていた。
 赤茶けた髪を逆立て、口元を黒い布で覆っている。眉毛を剃り落としており、一昔か二昔前のヤンキーといった感じだ。
「ここに客が来るなんて珍しいじゃねえか」
 低い声で言い、レジの奥からじろりと風太とみあおを睨んだ。
 売店には、珍しさの無い土産系お菓子類が全国津々浦々揃って並べてある。ミフナシロ製に思えるものは一つも無い。その他、浅草の土産物屋に並んでいそうな胡散臭い法被と陣羽織に日本刀のオモチャ、粗雑なチョンマゲのカツラなどがおいてある。
 埃は丁寧に払われているが、余り動かされた形跡が無い。
 店中に閑古鳥が詰まっているような雰囲気だった。
「ここは何のお店?」
「売店」
 みあおの問いかけに、店員の男が答える。ミフナシロの従業員は誰も彼も似たような顔をしているが、彼は違うらしい。タマフミと彼だけが人間っぽさを感じさせた。
「風太君、このお菓子。名古屋のういろうだよ。オレンジ味」
「こっちは京都銘菓って書いてある」
「迷っちゃうね」
「お勧めは浅草名物人形焼だ。一番人気がねえ」
 店員が目を細めて言う。風太は迷った末、少しでも雰囲気が出たほうがいいと考えて温泉饅頭を選んだ。みあおは温泉と書いてあるお菓子を四つ、地方別で購入する。
「お兄さん、名前は?」
「ツバザキっつーんだ」
 店員はぶっきらぼうに答える。立ち上がると、腕に荒縄と鎖を巻きつけているのが見えた。
「ここの人はみんな同じ顔なのに、お兄さんだけ違うんだね」
「オレとタマフミは何か違うのよ。つまんねー店だろ。ここじゃねえところに行ったって証明を売る店だ。嘘の塊よ」
「賑やかで面白いよ」
 風太はもう一度売店を見回して言う。
「お兄さんの中にも宝石が入ってるの?」
「オレの中にあるのは鋼って話だぜ」
 ツバザキはビニール袋にお土産を入れ、みあおと風太に渡してくれる。
 入り口が不意に賑やかになった。振り返ると、卓球が終わったのか遊戯室にいた草間興信所慰安旅行ご一行の面々が店を覗き込んでいる。
 シュラインとジュジュは、息を荒くして汗をかいていた。
「チョンマゲカツラだ! あ、マヅケンサンバのキラキラ着物だ!」
 鵺とリィンが歓声を上げて店に入ってくる。
「お邪魔をしようか、ツバザキ」
 タマフミが暖簾をくぐって入ってくる。オレンジジュースを二つ買うと、とって返してシュラインとジュジュに渡した。
「ユーも中々ヤルネ〜」
「あ、あなたも、中々のもんだわよ」
 二人はオレンジジュースを一気に飲み干し、口を拭って言った。
「チョンマゲだぜ、常澄! かぶれよ」
「かぶらない」
 かつらをかぶせようとしてくるリィンに抵抗して常澄が逃げてくる。
「浅草の露店街のようですね。おや新撰組の羽織が」
「ここの土産物は置いていないのですか?」
 ゆっくりと入ってきたセレスティと幇禍が呟く。
「ここの物は何もねえぜ。ほいほい言いふらされちゃ困るんでね。隠し里らしいだろ」
 ツバザキがレジ台に肩肘を突いて言う。
「面白いモノも何もねえぜ。集めてくるヤツのセンスが最低だからな」
「ナイスセンスだぜ!]
 リィンがレジに突進して言う。背後からそっと寄った鵺が、幇禍と常澄に支えてもらって頭の上にチョンマゲを乗せた。
「ホント!?」
 レジから背の低い従業員が顔を出す。浴衣にフードをつけており、それで鼻のすぐ上までを隠している。表情が判るのは口元だけだった。
「僕が仕入れ担当なんだ。初めて褒めてもらったよ。お兄さん、かつらがとっても似合うよ」
「ん?」
 リィンは頭の上に手をやり、チョンマゲが乗っていることを確認する。
「外の人がここに来るなんて久しぶりだね」
 従業員の少年がツバザキに話しかける。ツバザキは壁にかかっている時計を眺めながら、「ああ」と気の無い返事をした。
「あれ、ツバザキさん、これ本当にちゃんと千円札?」
 レジの中に投げ込んであった新札を発見して首を傾げる。天井の明かりに透かした。
「お札が新しくなったんだよ。きれいになったの」
 風太がレジに近寄り、少年に自分の財布を開いてみせる。二千円札、五千円札、一万円札を並べた。
「カラフルだー! 細かい絵だね。これって芸術的っていうのかな? おお、キラキラする! 素晴らしいね」
 少年が感激してお札を眺める。風太と少年の間にタマフミが割って入った。
「彼はいいけれど、他の者にはお金を見せないようにね。彼らには金銭感覚がないんだ」
「ただの紙だと思って丸めちまうかもな。ところでタマフミ、さっきオカマが来たぜ。宴会の開始まであと十分しかねえ。早く行ったらどうだ」
「おや。しまったね」
 タマフミはぽんと手を叩き、くるりと踵を返した。
「皆さん、そろそろお部屋に戻りましょうか。宴会の時間になりますから」

 × × ×
 
 テーブルの上に金属製の平たいボウルが載っていた。
 幇禍がボウルを持ち上げ、中には何も入っていないことを示す。そして、そのボウルにぴったり合いそうなステンレスの蓋も中身を見せた。空気抜きのためか、中心部が少し膨らんで穴が開いている。
 次々と運ばれてくる料理が、目の前の膳に置かれていく。三十人ほどの人間が宴会を出来そうな広い座敷が、草間興信所の面々で埋められていた。
 一段高くなった舞台に長テーブルが一台出され、その上で幇禍がマジックショーを開催していた。
 気に入った肴を皿の上に乗せた鵺、風太、みあおが舞台にかぶりつきで手品を眺めている。気の利いた口上一つないが、幇禍は淡々と手順を進めていく。
「料理も美味しいですね」
 セレスティが優雅に正座をして箸を動かしている。味は変わっているが、身体にはよさそうだった。一部の料理に虫が使われていることを除けば。
 一緒に運ばれた地酒も美味で、草間はそれをちまちまと舐めながら幇禍のマジックショーを眺めていた。
「お酌するヨー、武彦ォ」
 徳利を片手に、頬を上気させたジュジュが寄ってくる。
「オレそんなに飲め……」
 草間が首を振りかけると、ジュジュが太腿の上に手を置いた。
「ちょっとでいいなら口移しでサービス、サービスぅ」
 ジュジュがぐっと徳利に口をつけ、草間に顔を近づけてくる。
「あんまり飲みすぎないでね、武彦さん」
 シュラインがジュジュの肩をがしっと掴んで押しとどめた。
 舞台のほうで歓声が上がる。幇禍が手品を成功させたらしい。草間もつられて手を叩いた。
 舞台のすぐ側からけたたましい笑い声が聞こえる。首をひねると、徳利とお猪口を両手に持った常澄が、ひっくり返りそうになって大笑いしている。
 その目の前には、チョンマゲかつらを装備してきんきらきんの着物を羽織ったリィンが立っている。その奇抜な姿に気づき、風太と鵺、みあおもやんやと手を叩いた。
「お化粧してあげるから、そのままマヅケンサンバやりましょうよ。リィンさん」
 シュラインも笑ってリィンを手招く。バッグを引き寄せた。
 リィンの顔を手早く白塗りにし、リップライナーで目元に赤くラインを引く。
「曲の用意が出来ました」
 用意のいい幇禍がテープレコーダーを舞台の隅に置く。マイク片手にリィンがマヅケンサンバを歌いだした。
 常澄が顔を真っ赤にして笑い転げる。セレスティがぱちぱちと手を叩いた。
 その間にカラオケが用意される。常澄と風太が額をつき合わせて曲を選んだ。
 選曲はグッドモーニング娘。
 コーラスの部分で饕餮がメェメェと鳴き喚いた。
「可愛いっ! めけめけさん可愛い!」
 鵺が大笑いしながら手を叩く。その手にはしっかりとぐい飲みが握られている。
「子供に酒はまずいだろ」
 腰をあげようとした草間に、ジュジュがしなだれかかった。
「酔っちゃったァ〜」
「嘘つけっ」
「介抱してほしいネ」
 ジュジュは草間の胸に頬を摺り寄せ、浴衣の中に手を忍び込ませてくる。草間は慌ててその手を掴んだ。
「シュライン、頼む」
「はいはい」
 シュラインが立ち上がり、鵺から酒を取り上げた。
「お酒はドラッグと一緒なんだから、小さいうちから飲んだらダメなの」
 よしよしと鵺の頭を撫でる。酒を幇禍に手渡した。
「いいじゃん! 飲ませてよ。ほどほどにするからさァ」
 鵺が幇禍にしなだれかかる。幇禍はきっぱりと首を振った。
 けらけらと笑いながら、常澄が風太に酒を勧める。自分は徳利に直接口をつけ、美味い美味いと笑顔を浮かべる。
「暑ッついネ〜!」
 ジュジュが伸び上がり、浴衣の帯を解きだす。幇禍がみあおを抱いてやってきた。
「常澄君が一口飲ませたので、眠ってしまったようです。どうしましょう」
「部屋連れてくか」
 従業員の一人がやってきて、小声で「お布団に運んでおきます」とみあおを抱いていってしまった。
 ジュジュがするすると浴衣を脱ぎだす。肩が露になったところで、リィンが口笛を吹いた。
「こら! 盛り上げるな!」
 草間はリィンを叱り飛ばす。そして、リィンもキンキラの着物を脱ぎかけているのを見て青くなる。
「おやおや」
「平然としてないで下さいよっ」
 ちまちまと杯を舐めていたセレスティの落ち着いた感想に、草間は慌てて立ち上がる。
 保護者の常澄を探すと、舞台の前で饕餮をまくらに横になっていた。その横で、風太が杯を干している。
「脱ぐなっお前ら飲み過ぎだ!」
 草間はジュジュの帯を結びなおし、リィンに服を押し付ける。
「起きろ、常澄! 面倒見てくれ」
「んぁあ?」
 常澄が目を擦りながら起き上がる。リィンに向かって饕餮を投げつけた。
「齧られたくなかったら服着ろ」
「今日怖いぜ、お前」
 頬を饕餮に舐め回され、リィンが仕方なくパンツを履き始める。
 騒ぎの隙を縫って、鵺が草間の杯からこっそりと酒を飲む。皿の上に残っていた干物を齧った。
 シュラインはジュジュを組み敷いて帯を堅結びにする。風太は酒で水芸を始め、幇禍は鵺から酒を取り上げるのに躍起になる。
 一人静かに地酒を楽しんでいたセレスティの視界の隅で、従業員がこっそりと動くのが見えた。
 表情は変えず、従業員の動きを盗み見る。タマフミの耳に何か吹き込んでいるようだ。タマフミの顔が一瞬固くなる。目だけで宴会場を見回し、誰も自分を見ていないことを確認すると、静かに立ち上がった。
 そのまま宴会場から出て行く。
 セレスティはそっと杯を置いた。杖を引き寄せ、ひっそりと席を立つ。
 廊下に出ると、タマフミとツバザキ、従業員が三人ほど話をしていた。
 

 「皆は草間探偵たちを守るように。気取られてはならない。外へは私とツバザキが出よう。やるべきことをきちんとやりなさい」
 タマフミが静かに告げる。擬人三人が、こくりと頷いて音も無く駆けていった。
「おめえの予知はどう出てんのよ」
「見えない」
 ツバザキの問いに、タマフミは唇を噛んだ。
「珍しいこって」
「移ろいやすい未来は見えない。天狗の数が多いな。向こうもそろそろ本気で来るか」
「痛い目見せてやるだけよ」
 ツバザキが腰に下げた鎖鎌をじゃらりと鳴らす。
「何かありましたか」
 セレスティは穏やかに声をかけた。
 タマフミとツバザキがセレスティを振り返る。
「何か、危機的状況に陥っているように見受けられますが」
「あなた方の安全は確保するつもりです」
 タマフミはセレスティにそう答える。セレスティは首をかしげた。
「何かありましたか」
 幇禍がふすまを開けて顔を出す。
「妙な気配が近づいていますが、何でしょうか。一つや二つじゃなさそうです」
「天狗だよ」
 ツバザキがあっさりと手の内を明かした。
「あの温泉はオレたちにも必要なもんだがな。山の天狗どももヨダレが出るほど欲しいモンってわけでよ。冬場になると天狗が攻めてくる」
「昔から、あの湯泉を天狗は奪いたいのです。ずっと狙われていますが、ミフナシロを渡すということは擬人が滅びるということだ。渡せない」
 タマフミが首を振り、溜息を吐く。
「天狗も数が減っている。不老長寿の湯に女を浸けて丈夫な子供を作らせたい。攻撃は激しくなっているが、ここを渡すわけにはいかない」
 タマフミは一度目を瞑り、しっかりとセレスティ、幇禍を見つめた。
「ここは守ります。あなたたちは、中に」
「困っている方が居るというのに、中で酒盛りというのも性に合いませんので」
 セレスティは杖を突いて一歩踏み出した。
「酔い覚ましにお手伝いしましょう。出るのはお二人だけなのでしょう?」

 × × ×
 
 冷たい夜風が吹いていた。
 篝火を持った従業員が、音も無く走り回っている。彼らの動きは体重を感じさせず、黒い影が動いているだけに見える。
 セレスティは杖につかまったまま、空を見上げた。
 空気がざわついていて、肌に何かの気配がちくちく刺さってくる。沢山の群れがこちらへやってくるのを感じた。
「おめえらも揃いも揃って物好きだな。死んだらどうすんだ、温泉旅行で」
 鎖鎌の鎖をちゃりちゃり鳴らしながら、ツバザキが言う。鵺は手に持った面を眺めながら首を傾げた。
「死なないよ。これだけいるし」
「お嬢様は私が守ります。出来ればお部屋で草間さんたちと静かにしていていただきたいのですが」
「ヤダ」
 幇禍の申し出を鵺があっさり却下する。
 セレスティや幇禍の会話を聞きつけ、鵺と常澄も千鳥足で参加を表明したのだ。幇禍が草間を説得し、ジュジュとシュライン、みあおと酔いつぶれた風太を頼み、残りのものでここに出てきたのだ。
「ちょっと気持ち悪くなってきた」
 常澄がよろけてリィンに寄りかかる。リィンが常澄の背中を撫でた。
「中に居たほうがいいかもしれませんよ」
 セレスティが常澄の顔を覗き込む。常澄がひらひらと手を振って笑った。
「だいじょーぶ、大丈夫!」
「ご無理はなさらず。危なくなったらすぐに引いて下さい」
 タマフミが水を常澄に差し出す。
「ここは我々が死守します」
「ンな辛気臭ぇ宣言すんじゃねえよ。来るぜ」
 ツバザキが鎖鎌を抜く。鋭い音を立てて鎌を振った。
 篝火の向こうに、黒い影が見え始める。大型の蝙蝠か野鳥のように見えた。
「あれが天狗ですか」
 セレスティが影を見やって言う。
 影は薄く広がり、ミフナシロ全体を覆うように接近してくる。
 従業員の持ってきた日本刀を、タマフミがすらりと抜いた。
「今回来ているのは木っ端天狗が百匹ほど。一体は強くはないが数が多いと面倒です」
「夜通し守り抜きゃァ天狗は帰ってく。やつら朝日が苦手だからな」
 常澄が自分の頬をぱしんと叩いた。
「それじゃ、気合入れ直すか」
 篝火に刺さっていた薪を一本引き抜き、地面に魔方陣を書いた。
「大量に召還するから、取り漏らしは頼んだよ」
 赤くなった頬を擦り、印を結ぶ。
「召還 神獣ヤタガラス、妖精セタンタ、魔獣スパルタ、地霊ティターン、幻魔クーフーリン、鬼女ヤクシニー!」
 地面に描かれた魔方陣から、次々と悪魔が姿を現す。最後のヤクシニーが這い出したところで、常澄が膝を突いた。
「これでどーだあっ! 全員衝撃効かないぞ」
「ご苦労様です」
 セレスティが常澄の頭を撫でる。
「先行くぜ。あんがとよ、坊主」
 身を低くしてツバザキが迸る。
「助太刀感謝します。前線は我らで。ミフナシロを守って下さい」
 日本刀を横に構えたタマフミが、一同に腰を折って礼をする。
「行きます」
 草履の裏を軋らせ、雪の中を走り出した。
 ツバザキの鎌が大きく伸びて空を切り裂く。幼稚園児ほどの身長の天狗たちが、翼を切り裂かれて次々と落下する。
 タマフミの刀とツバザキの鎌が、小さな天狗たちを次々と切り裂いていく。鎌が奪われかけると、飛来したヤタガラスが天狗を突き回した。
 二人の背中を守るように、悪魔たちが展開する。魔方陣の中心で、常澄は荒い息を吐きながら意識を集中する。
 防御網を突破した天狗が、一羽二羽と洞窟に向かって飛来した。
「させるかよ」
 巨大な剣が宙を舞う。網を抜けてきた天狗が大剣にたたき落とされた。
「後方支援はオレの仕事じゃないんだけどな。今回は特別だぜ」
 大きく弧を描いて戻ってきた剣を受け止め、リィンがホルスターから拳銃を抜く。
 飛来する天狗を次々に撃ち落とした。
 前方の防衛線を潜り抜けてきた木っ端天狗が、ぱらぱらと洞窟目指して飛んでくる。
「ちょっと耳、塞いで」
 鵺がリィンの背中を突付く。幇禍が常澄に耳栓をした。
 懐から面を取り出し、被る。
「六匹、七匹、八匹……こんなもんかな」
 すう、と仮面の下で息を吸い込んだ。
 耳を塞いだリインの目の前で、木っ端天狗の身体がびくびくと痙攣する。ばたばたと地面へ落下した。
「ヒュウ! グレイトだぜ、お嬢ちゃん」
 リィンが口笛を吹く。耳から手を離した。
 前方で、鎖鎌を振り回すツバザキと日本刀を振り回すタマフミの気合の声が聞こえてくる。暗雲のように広がる黒い天狗の群れの間に、常澄が召還した悪魔たちの姿が垣間見えた。
「念のために結界を張りましょうか。水を持ってきなさい、出来るだけ多く。さあ」
 洞窟の壁に凭れるように立っていたセレスティが、篝火の周りに立っていた従業員に言う。どれも同じ顔をした擬人は、首をかしげてセレスティを見やった。
「タマフミさんだけを戦わせるのがあなたたちの考えですか? 何もかも彼一人が考えてくれたらいいということですか? あなたたちが人ではなくても、彼への心があるなら動きなさい」
 セレスティが静かに言い放つ。擬人たちは顔を見合わせた。
 何度か瞬きし、それから篝火の脇から離れる。
 洞窟の奥へと走っていった。
 
 じりじりと押されるようにして、タマフミや悪魔たちが洞窟に近づいてきた。
「数が多いと面倒ってこった」
「消耗戦になったな」
 日本刀の血脂を袖で拭い、タマフミが言う。
「残念だが朝日は昇らない」
「全員片付ければいいんだろ」
 近づいてくる天狗を次々と打ち落としたリィンが、銃声の合間に言う。
「あなたの予知ではどう出ていますか」
 温泉からくみ上げてきた水で結界を巡らしたセレスティが問う。タマフミが、曲げた指を眉間に近づけて目を閉じた。
「あなたたちに感謝をしましょう。一時間後には天狗の居ない空が見える」
 タマフミがふと笑みを漏らした。
「これで全てが腑に落ちました。草間さんを泊めた理由が」
「利用するつもりが無かったとは言いません」
 セレスティの問いに、タマフミはあっさりと頷く。
「いつか手を借りることが出来たらいい、と思っていました。予知は草間探偵と縁を繋げば開けると出た。今夜天狗の襲撃があることを知っていたわけではありません。ここで私が消えてしまっても、未来はあるとは出ていた」
「沢山背負い込んで何も言わずに消えるのは思いやりとは違うと思いますよ」
 幇禍が目を伏せて言う。
「草間さんを頼りなさい。見捨てる人ではないから」
 セレスティが頷く。タマフミが一瞬、指先で目元を押さえた。
「感謝します。ありがとう」

 × × ×

 目を開くと、枕元に黒っぽいスライムが屹立していた。
 風太は寝ぼけ眼を擦り、スライムを見上げる。黒紫の身体に、穴を穿っただけのような口と目が開いている。
 大きな口がもぐもぐと動く。唸り声のようなうめき声のような低い声が響いた。
「うずたん……」
 風太は起き上がり、ブラックウーズにしがみつく。ぺとりぬとりとした感触が、風太の頬と掌に伝わった。
 ぐるりと部屋を見回すと、足元で常澄とリィンが折り重なって眠っていた。少し離れたところに、セレスティと幇禍が座っている。部屋の明かりはつけず、窓を開け放ってお茶を啜っている。
「おはよう、風太君」
 こちらに気づいたセレスティが微笑みかけてくる。
「常澄君たちは眠ったところだから、起こさないであげておくれ」
「はぁい」
 風太は目を擦り、ブラックウーズを撫でた。
 よろよろと起き上がる。常澄に勧められた日本酒が効いているのか、少しくらくらした。
 ブラックウーズに尻を支えられ、何とか立ち上がる。
 一歩踏み出したところでよろけて、どでんと常澄の上に倒れこんだ。
「ぐえっ」
 常澄がうめき声を上げる。目を開いた。
「なんだよ〜!」
「ごめぇん」
 風太はじたばたと起き上がろうとする。
 その上に、ブラックウーズが乗り上げてきた。
「ぎゃー!」
「重いよ〜うずたん〜!」
「な、何だァ?」
 すぐ横でじたばたと暴れられ、リィンが起き上がる。
「大丈夫か? 二人とも」
 ブラックウーズをひょいと持ち上げ、部屋の隅に投げた。
「な、なんとか。今眠りかけたとこだったのに」
 常澄が言う。風太はがばっと起き上がった。
「もう〜だめだよ、うずたん」
「ダメなのは風太のほうだろ!」
 髪を掻き回しながら常澄が言う。部屋の隅をごろごろと転がり、ブラックウーズが戻ってきた。
「寝不足なの? ちーくん」
「うん」
 風太が問いかけると、常澄がこっくりと頷いた。
「なんか逆に疲れたな。風太はどう?」
「僕?」
 風太は近寄ってきたブラックウーズに寄りかかった。
「楽しかったかも。ちーくん、帰りはおせっち、出してよ」
「やだ」
 常澄がばたんと布団の上に横になった。
「ちぇー、ちーくんの意地悪」
 風太は唇を尖らせ、ブラックウーズを力いっぱい抱き上げる。
 どでんと常澄の上に置いた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 草間興信所の事務員】
【4017 / 龍ヶ崎・常澄 / 男性 / 21歳 / 悪魔召喚士、悪魔の館館長】
【2164 / 三春・風太 / 男性 / 17歳 / 高校生】
【4221 / リィン・セルフィス / 男性 / 27歳 / ハンター】
【0585 / ジュジュ・ミュージー / 女性 / 21歳 / デーモン使いの何でも屋(特に暗殺)】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1415 / 海原・みあお / 女性 / 13歳 / 小学生】
【2414 / 鬼丸・鵺 / 女性 / 13歳 / 中学生/面打師】
【3342 / 魏・幇禍 / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】

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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございました!
担当ライターの和泉更紗です。

「どっと混む」ということで、今回は非常に沢山の方に御参加頂きました。
エンディングのみ、PC様ごとに個別となっております。
ご興味ありましたら、他の参加PC様の納品も確認してみて下さい。