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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


ラプンツェル



――ラプンツェル ラプンツェル お前の髪の毛たらしておくれ――



「ご覧ください。私達は今、バブ・イルの傍まで来ています。ここに来るまでに、数人のスタッフと、多くの協力者を失いました」
 映りの悪い映像の中、疲弊しきった表情の男が、ぼそぼそと呟くように告げている。
男の目は奇妙にギラついていて、どこか正気を失ったかのようなその表情で、ひっきりなしに周りの様子を見やっている。
 映像の奥には不思議な塔が映されている。しかしその周りは、確かに見慣れた東京の風景なのだ。
「突如、姿を見せた奇妙な塔を、我々はバブ・イルと名付けました。人間の慢心が建立し、そして神の怒りの元崩壊したという、バベルの塔を冠した名前をもったあの塔は、しかし、いまだに我々の立ち入りを拒んでいるのです」
 男はぼそぼそとそう続ける。
と、突然男は声を張り上げ、塔の上を指差して声を発した。
「あ、あれ、あれをご覧ください! じ、上空に、あ、あ、ああれは悪魔! しかも女の子を抱きかかえています!!」
 カメラが塔の上空を映す。
時折ざらつくその画面に、緑色の大きな竜が映っている。銀色の爪には、ぐったりとした様相の少女を抱えているようだ。

 ぷつり。テレビの電源が落とされた。

「あなた方は、悪魔の存在を信じていますか?」
 
 三上事務所を訪れた男は開口一番にそう発して、両目をついと細めてみせた。
 中田は、さすがに神妙な顔で低く唸り、助けを乞うような目を三上可南子に向ける。
「わしらにとって、信じる信じないよりも前に、日常的な事実であるからのう」
 三上は男の顔を見据えてそう答え、電源の落とされたテレビを横目でちらと見やる。
その答えに満足したのかどうかは定かでないが、男は三上の紫色の目を見つめて小さく頷いた。
「……一般的には、これまで悪魔などという存在は、認識されない、空想の中だけのものでした。……しかし、あの塔。あのバブ・イルが突如都心に現れてから、それは現実のものとなってしまった」
 そう告げてから次の言葉を思案しているのか、男は睫毛を伏せて口を閉じる。
「……しかしわたしにとっては、空想のものなどではなかった。……悪魔も、妖も、なにもかも。……わたしはその意識に触れ、時にはその恩恵を受けていたのです」
「と、いうと、魔術に関わる者ということかのう?」
 三上が問うと、男はわずかに首を横に振り、重々しく口を開けた。
「わたしは……ネクロマンシーに興味を持ち、ある時不意に、死者の魂を呼び出す術を覚えたのです。……わたしの娘の体を必要とするものでしたが」
 低く唸るようにそう答えつつも、男の目は伏せられたまま。
三上は中田の顔を確かめ、小さなため息を一つ洩らした後に、身を乗り出して問いを続けた。
「今回ここに来た理由は、それに関わることかのう? ……正直なところ、あの塔が現れてからというもの、依頼やらなにやらてんやわんやでの。そのほとんどが、塔の周りを囲うあの屍体に関するものじゃが」
「……さきほど見ていただいた映像に映っていた、あの少女。あれはわたしの娘なのです」
 ようやく顔を持ち上げた男は、三上の問いに対してそう答え、さらに言葉を続ける。
「わた、わたしの娘を、あの塔から取り戻してほしいのです。あ、あの子がいないと、わた、わたしの術は完成しない。どうか、どうか娘を」
 座っていたソファから立ちあがり、テーブルに乗りあがって、男は三上の腕を掴んだ。
その表情は正気のものではなかったが、三上はただ小さく首を傾げるばかり。
「まあまあ、落ちついてください」
 中田が横から腕を伸ばし、三上の腕から男を引き剥がす。
無理矢理にソファに男を沈めてから男の後ろに回り、すぐに押さえこむことが出来る体勢を取ってから、中田はそっと頭を撫でた。
「では、依頼は、あの塔から娘さんを連れ戻すという事で、よいのじゃな」
 声のトーンを揺るがせることもなく、三上は淡々とそう告げた。
男は大きく頷く。
「あの塔には、何がいるのかも解らぬ。周りには屍体がうごめき、塔に近付く者を屠っていると聞く。危険がつきまとい、謎もつきまとう。それでもあの塔に行け、というのじゃな」
 男は、迷うことなく頷いた。
「……了解した。それでは早速、行ってくれそうな者に声をかけるとしよう」
 三上は大きなため息を一つついた後、中田に目をやり、依頼を受けてくれそうな者を考えだした。


 +
 

 改めて見上げるバブ・イルは、時折吹きぬけていく風の声の以外には、音一つない、まさに静謐といった空気に包まれている。
バブ・イルを取り囲む包囲網をすり抜けて、外部とは断絶された地区に足を踏み入れる。
「……包囲網の外と、さほど変わり映えのない風景なんですね」
 乾いた風に長い銀髪をなびかせて、セレスティ・カーニンガムがついと目を細めた。
「もっと殺伐としているのかと思ったけれど、……そうでもないんだね」
 セレスティの言葉に頷いたのは蒼王翼。
翼はセレスティの後ろをゆっくりと進みながら、思ったよりも荒れていない街並に視線を向けた。
街を覆う空は澄み渡った青色をたたえているし、さほど崩れてもいないビルなどは、見様によっては、ただ沈黙しているようにしか思えない。
「でも、やはりいますね」
 ステッキを持ち替えながらセレスティが翼を見やる。
「……そうだね。風が、僕に教えてくれる」
 翼は足を止めて睫毛を伏せると、吹きぬけていく風の声に耳を寄せた。
女があげるか細い叫び声のような音が、ビルの隙間をぬっていく。
その音が告げる言葉を確かめると、翼は悠然と笑みを浮かべて睫毛を持ち上げた。
「あのビルの角の向こうに、屍人の群れがある。……あと数分ではちあうけれど、どうしようか?」
「そうですね……出来れば穏便に済ませたいところです」
 肩をすくめて小さく笑い、翼が示した指の先に目を向ける。
セレスティの表情は、微塵の恐れも感じさせない、いつもと同じ華やかな笑みのままだった。


  +


 屍人を風で切り裂き、三雲冴波はついと視線を背後に向けた。
後方では、青白い炎に囲まれた少年が、焼失していく屍人の塵を目で追っている。
「……それ、大犬座?」
 三雲が問うと、少年は面倒くさげに視線をおろし、三雲の視線を受け止めた。
「あなた、星座に詳しいんですか?」
「詳しくはないけれど、大犬座って有名どころでしょ? 名が知られているものくらいなら、私も少しはね」
 三雲は、少年――梅黒龍の問いかけに対して肩をすくめてみせる。
「それよりも、急ごうか。……三上さんの話だと、私達の他にあと三人、あそこに向かっているらしいけれど」
 風に舞う長い髪を片手で押さえつけ、三雲は黒龍からバブ・イルへと視線をズラした。

 人々の高慢などの象徴とされるバベルの塔。
バベルとはバビロンの英語名であり、バビロンはバブ・イルともされる。その意味は神の門。
神の怒りを受けて破壊されたというバベルの塔の名前を、この塔に冠したのは、誰であったのだろうか。
「バブ・イルか」
 独り言を呟くと、三雲はリュックからカメラを取り出して、塔とそれを囲む風景を数枚収めた。
「写真を撮るなんて、随分余裕なんですね。カメラマンか何か?」
 眼鏡を指の腹で押し上げながら歩いてきた黒龍が、三雲に一瞥を向ける。
「いいえ、……今回のあの依頼人が、ちょっと気に入らなくてね。この惨状を見せてやろうと思ったのよ」
 カメラを再びリュックにしまうと、三雲はかすかな笑みを口の端に浮かべ、黒龍を見た。
黒龍は「ああ……」と頷き、理知的な光を帯びた黒い瞳をすうと細める。
「確かにね。正直、そんなに娘が大事なら、自分でここに来ればいいのにって思ったよ」
「大事なのは娘か、それとも道具なのかね」
 黒龍の言葉に対して鼻先で笑ってみせると、三雲は再び近くなってきた屍人の群れに目を向けた。
「……ボクも同じ事を考えてたよ。……でもそれは、事務所に戻ってから確認すればいいことだ」
 細めた瞳を三日月に歪め、黒龍は小さく頷く。
その手には、光り輝く球体が浮かび出していた。


  +


「いやァ、すっかり出遅れてしまいましタ」
 軽く頭を掻きながら、デリク・オーロフは人気のない街の中を歩き進めていく。
そこかしこに停められたままの車に、食料などがそのままの状態で置かれているコンビニ。
転がっている缶ジュースを拾い上げて蓋を開け、匂いを確かめてみる。
「……生きている人間ではないカラ、こういうものは食さないんデスねェ」
 眼鏡の奥の青を緩め、笑みを浮かべた。
生温い缶コーヒーは腐敗などといった気配もなく、むしろ美味そうな香りでデリクの鼻先をくすぐった。
 バブ・イルが現れてから、二週間ほどが経っただろうか。
腐敗するような食料であるならまだしも、こういった缶に入ったものならば、まだ余裕で食することも出来るだろう。
 デリクは缶をさかさまにして、中身を全て道路に振りまいた。
そうしながら、ふと視線を持ち上げて、間近に見えるバブ・イルの塔を確かめる。
「……神の門、デスか」
 くつりと笑って、カラになった缶を後ろ手に放り投げた。
缶は無機質な音を立ててアスファルトにぶつかり、カラコロと転がっていく。
その音に引き寄せられたのか、気が付けば、デリクの周りには数体の屍人が群れをなしていた。
「はて、やれやれデスね……私は何の取り柄もない、ただの英語講師デスよー」
 のらりくらりと笑ってみせるが、屍人達には通じない。
デリクは「やれやれ」と小さなため息をこぼすと、魔法陣が刻まれた掌を片方だけ小さく挙げて、ぱちんと指を鳴らした。
その動きに従うように、デリクの足元に浮かぶ漆黒の影から、人ならざる者が姿を見せる。
現れた古き魔物はデリクのささやきに応え、低い地鳴りに似た咆哮をあげた。


 +


 五人がそれぞれに三上事務所に呼び出され、それぞれに言われた事は、一つの依頼だった。
「塔の中がどのような構造をしておるかなど、検討もつかぬ。周りに屍人がいるという事は明確であるのじゃが、中に立ち入って、そこに何がおるのか、さっぱりじゃ」
 しかしそれでも、頂上にいるだろう少女を連れ戻すように、と、三上事務所の所長である三上可南子はため息をついた。
「いらぬ危惧だとは承知しておるが……皆、ちゃんと戻ってくるようにの」


 +


「なるほど、中はこうなっているのですね」
 公的な記録では、まだ誰も足を踏み入れたことのないバブ・イルに、セレスティはいつもと変わらぬ、紳士然とした歩幅で立ち入った。
片手に持つステッキが、塔の内部に金属音に似た響きを反響させる。
――見渡すかぎり、円筒状になっているらしい。
何もない殺風景な風景が、ただ広がっているだけだ。
「バベルの塔は八階からなっていたとされますが、この塔もやはり、八階層なのでしょうか」
 一通り見まわすと、セレスティは入り口に立ったままの翼に目をやった。
翼は手にしていた剣を鞘に戻すと、それまで氷のようだった青い瞳をゆるりと緩め、小さな笑みを浮かべて口を開ける。
「そうだね。……バベルは三階以上に昇ることが出来たのは、神に選ばれた神官のみだったとされるけれど、……僕達は、そのさらに上を目指さなくてはいけないんだ」
「神の門、その頂上に居るのは、果たして神なのでしょうか。あるいは、悪魔なのでしょうか」
 絹のような光沢を放つ銀髪をふわりとなびかせ、セレスティは不意に神妙な表情を作ってみせる。
翼は少しの間考えていたが、やがてゆっくりと口を開け、睫毛を持ち上げた。
「どちらでも」
「どっちでも同じ事だと思うけど」
 翼の言葉に唱和するように、女の声が響いた。
セレスティが声の主を確かめる。そこには、三雲と黒龍の姿があった。
「神だろうが悪魔だろうが、根本は何も変わらないさ。絶大な力を誇っている者は、悪魔だろうが神だろうが区別なく扱われるもんさ」
 三雲は朗々とそう告げて、壁の端にあった螺旋怪談を指差した。
「行ってみりゃ分かる話さ。……だろう?」
「まったくもって同感デス」
 虚空から聞こえた男の声が、三雲の言葉に賛同した。
しかしそこは、何もない、ただの空間だ。
黒龍が目を細めて告げる。
「何者だ?」
 発すると同時に、掌の中に輝く球体が形をなしていく。その球体がアンドロメダ座を構築しだしていくと、それまでただの空であった場所が、ぐにゃりと大きく揺らいで口を開いた。
それはまるで、空間の中に裂け目が作り出されたような、不思議な光景だった。
空間が切り裂け、その中から姿を見せたのは、人懐こい笑みをたたえた金髪の男であった。
「すいマセん、ちょっと出遅れてしまったものデスから、皆さんに追いつくために、チョット近道をしてしまいまシタ」
 男はそう告げてニコニコと笑い、全身をすっかり虚空から抜け出させると、やはり裂け目を閉めるような手つきで、開いた空間を元に戻した。
「三上さんから依頼を受けた方ですか?」
 セレスティが訊ねる。その声音は穏やかであるが、澄んだ水の色を映した瞳は、辛辣な表情を滲ませている。
金髪の男――デリクはその問いに笑みで返すと、肩をすくめておどけてみせた。
「今日は英語の講義があったノで、時間に遅れてしまいまシタ」
「ふぅん……まあ、いいさ。そんなことより、とっとと先を急ぐとしよう」
 三雲はデリクの言葉になど関心を向けるでもなく、塔の天井に目を向けて前髪をかきあげた。
「……そうだね。今は少しでも早く対象を見つけ、連れ戻すことが大切だ。……けれど、妙なんだ」
 三雲に賛同を述べた翼だったが、ふと首を傾げて目を閉じる。
「妙だ、とは?」
 黒龍が問う。
「僕は、さっきから何度も風に訊ねているんだ。少女が無事かどうか、と」
「風はどこにでも吹いているからね。……私も、同様の事を、風に訊ねているよ」
 三雲が頷いた。
翼はゆっくりと睫毛を持ち上げると、周りにいる四人の視線を順に見据え、そして最後に三雲を見つめた。
「風は、僕に、少女の存在がこの塔の頂上にあることを知らせてくれた。……しかし、」
「その命の息吹の有無を、伝えてはこない。……だろう?」 
 三雲がそう返すと、翼は言葉なく頷いた。
「……と、いうコトは?」
 デリクが訊ねる。
それまで思案していたセレスティが口を挟んだ。
「娘、という割には、随分と肉親の情が薄いと思っていたのです。……血縁のない娘……例えば仮に、娘と呼ぶ少女そのものが、依頼人の術による産物であるとしたら」
 思案しつつ、周りを確かめる。
「――――ともかく、対象を連れ戻せば分かる話です。問題はこの塔をどうやって昇っていくか、ですが」
 黒龍が眼鏡を指の腹で押し上げ、告げた。
「僕は風を用いて一気に上空へ昇ることが出来る。セレスティさんは水を使役するし、僕はセレスティさんと組んで、風と水のエレベーターを構築するよ」
 翼の言葉に、セレスティがふと微笑みを浮かべる。
「私も、風の流れを読んで、上昇することが出来る。ならこっちは、彼と組んでいくことにするよ」
 三雲が、黒龍に視線を向けた。
「ひとまず、あの階段で上にあがってみませんカ? 伝承上のバベルの塔と同じであれバ、三階までハ普通にのぼれるハズですし? 後々のためになるかもしれませんシ、内部構造は大雑把にでも把握しておく必要があるト思うのデスよ」
 デリクが笑う。笑いながら階段を指差すと、その階段を、ひしめきあいながら、屍人の群れが現れた。
「昇る手段をどうするかは別として、……キリがありませんねぇ」
 セレスティが首を傾げ、柔らかな笑みを作る。
「彼らに悪意があるか否か分かりませんが、多くの人間を襲い、殺してきたのは事実ですね」
 セレスティはそう告げてゆっくりと片腕を持ち上げ、小声で何事かを呟いた。
と、そこかしこから集められた水がセレスティの周りで円を描き、ゆったりと廻転し始める。
「そうだね。その罪は償わなくてはいけない。……それに、死してなお動くなんていうのは、そんなものは、彼らも望んではいないかもしれない」
 脇に抱え持っていた鞘から剣を抜き取る翼の眼光は、鋭利な氷の刃のようだ。
黒龍の周囲にはすでにアンドロメダ座が美しい輝きを結んでいる。
「正義はこちらにある」
 確信をもって紡ぐその言葉を受けて、三雲が片腕を揮った。
「神だろうが悪魔だろうが、知ったことじゃない。あいつらは罪もない人達を屠ってきた。……今度はあいつらが失せる番だ」
 眼前に近付く屍人の群れを睨み据える三雲の手には、日本刀のように湾曲した、美しい細身の刀が握られていた。
「私はただの英語講師なんデスがねぇ」
 デリクはそう言って笑い、眼鏡の位置を正して首を鳴らした。
怪しく笑うその廻りには、土星の4番の魔法陣が、青白く浮かびあがっている。


  +


 屍人の群れをたちどころに退けた彼らは、内部の構造を確かめておきたいと主張するデリクをその場に残し、真っ直ぐ塔の頂を目指した。

 翼はセレスティの手をとり、ダンスを踊るかのような挙動で、ふわりと宙に浮かび上がった。
「私が頂上に向かう階段を創りましょう」
 翼が手に取った方ではない手を伸べて、セレスティがすうとその指を動かすと、虚空に氷の段が形を成した。
二人はそれを悠々とのぼっていく。
「私達も行くよ」
 宙をのぼっていく二人を見上げつつ、三雲がそう発した。
その体はすでに風に巻かれ、地から足を離して立っている。
それを見やって、黒龍は小さなため息を洩らした。
「ボクはボクの力で行けるから平気ですよ」
 そう言うと、黒龍の背に、白く大きな翼が伸びた。
「――白鳥座の翼かい?」
 三雲が口の端をにやりと歪める。
黒龍は言葉を返すでもなく、ただ、一つだけ瞬きをしてみせると、一息にふわりと飛び立った。


 +


 四人と別れたデリクは、がらんと静まりかえった塔の中、一人静かに進んでいた。
階段は細長く、螺旋状だ。
足場も悪く、ひどくごつごつとしている。
デリクはそれを一段一段確かめながらのぼり、のぼるごとに広がる広間の隅々までを、見渡して確かめた。
 一階と同様に、二階と三階も、飾り一つない、ただっ広い広間――空間だ。
そして、案の定。
「……やはり、三階から上へ続く階段は、用意されていないのデスね」
 喉の奥で笑う。
階段は三階までで止まっており、あとは上へのぼっていく術もない。
デリクは口許を片手で押さえ、こみあげてくる笑いを押し隠すようにしながら、広間の端にある、大きな窓に目を向けた。
吹きぬけになった窓からは、外を流れて行く風が、生ぬるいような空気を運んできている。
デリクはその窓へとゆっくりと歩み寄り、窓枠に足をかけて片手を振った。
その手に合わせ、空間がぐにゃりと歪み曲がる。
デリクのその手は、紙を切り裂くカッターのように、空を切り裂いたのだ。
裂け目は彼を受け入れると、再び閉じて、何事もなかったかのように修復された。


 +


 塔の頂上は、いくつかの窓――窓とはいっても、土壁に穴を開けただけのものだが――があり、封がなされるでもなく、ただ空虚に風が吹いているだけだった。
各々の手段でそこに辿りついた五人は、窓に足をかけて中に立ち入り、広がった異空間に言葉を失った。
 そこは他の階とは異なり、華美な調度品などで綺麗に飾られていたのだ。
殺風景なばかりの床には赤い絨毯が敷かれ、壁には名画とされる画がいくつも飾られている。
飾られた調度品は、花瓶も水差しも、黄金で出来ている。
グラスは美しく彫りこまれ、中には葡萄色の液体が、ゆらゆらと揺れて、影を落としている。
「……あそこを見てください」
 初めに口を開けたのは黒龍だった。
黒龍が真っ直ぐに示したその場所に、一人の少女が座っていた。
椅子に座るでなく、床にぺたりと座っている少女の周りを、芳しい香りを放つ花々が取り囲んでいる。
ふわふわとした黒髪は肩より少し長い程度。透けるような白い肌に、白いワンピースをまとっている。
年の頃は十代半ばといったところだろうか。
「生きて、いるのか?」
 三雲がそう呟いたのも、無理はない。

 少女は、そこにいながらも、ただ、虚なばかりだったのだ。
まるで魂のこもらぬ人形が、そこに置かれてあるだけのように。

「……キミは、あのドラゴンがここに連れてきた子ですか?」
 訊ねつつ一歩歩み、セレスティはふと笑みを消して、少女の向こうに目を向けた。
ほとんど物を映さぬその眼差しが、まばらな漆黒の闇を映す。
闇は束の間低く笑った後に、悠々とした口調で、言葉を告げた。
(はからずも、ぬしどもの一人が、言い得て妙なることを口にしておったな)
 それは低音の唸り声であったが、その言葉は、五人の脳に、直接響いてくるものだった。
(力あるものは、それだけで神と呼ばれるのだと)
 緑色のドラゴンは三つの頭を持っている。その内の真ん中の顔だけが人間に似ているが、それは時折ニタニタと笑うばかりで、言葉をなそうとしない。
「72柱、ブネだね」
 三雲が問うと、ドラゴンはくぐもった声で笑い、頭をそれぞれ交互に動かした。
(そのような名ももっている)
 悪魔はそう答え、ひどく生臭い息を吐き出した。
息は石つぶてをいくつか掘り起こし、五人をめがけて飛ばされた。
しかしそれは黒龍が創り出した盾座によって遮断され、五人の体に触れることもないままに、粉となって風に散る。
(ぬしども、この巫女を求めてここまで来たか)
 悪魔の顔の一つがニイと笑う。
「巫女だって?」
 翼が一歩踏みこんだ。
悪魔は翼に目を向けると、ふむと呟き、頷いた。
(いかにも、闇の皇女。この乙女は愚鈍なる男が生み出した、稀有なる巫女。この虚ろな言葉で、死者は元より、魔界の者をも呼び出すのだよ)
「……生み出した、と言いましたカ?」
 それまで口を閉ざしたままでいたデリクが、そう訊ねて自分の頬を軽く撫でた。
(……いかにも)
「名前も身分もある魔であるあなたが、その子をさらい、ここに連れてきた理由は?」
 セレスティが問うと、ドラゴンはわずかに身を動かして、その長い尾で、少女を護るかのように包みこんだ。
(水を統べる男。ぬしは戯れに心を動かしたことはないか)
 ドラゴンはセレスティの問いに応えることはなく、ただそう告げた。
「戯れのために人を屠ってきたのだと?」
 黒龍の声が、かすかな怒気を浮かべる。
しかし悪魔は動じることもなく、静かに黒龍を見下ろすのだった。
(我等はぬしどもが悪魔と呼ぶ者。我等にぬしどもの正義は通じぬ)
「――――一つだけ、確認したいのデスが」
 デリクが黒龍の前に、ついと踊り出た。
「私には、あなたは自分の戯れノために、その少女をさらったとは、思えまセン。……もしかしたら、あの屍人は、そしてこの塔は、あの男が招いた悲劇なのではないデスか?」
 悪魔は答えようとはせず、代わりに高く咆哮し、大きな翼を広げてそれを羽ばたかせた。
(思うのだが、野ぢしゃの姫を、かのラプンツェルを捕えていたのは、果たしてまことに塔の魔女であったと思うかね)
 羽ばたかせながら、悪魔はそう問いた。
「――――それは」
 三雲が口を開けた時、悪魔の姿は、もうどこにも居なかった。


 +


「そうか、悪魔は去ったのじゃな」
 
 三上事務所に戻った五人を迎えた三上可南子は、彼らが連れ戻した少女を庇い抱き締めながら、低く呟くようにそう告げた。

「屍人はいまだあらわれますし、バブ・イルも消える気配もありませんけれど」
 セレスティが首をすくめた。
「ふむ。……間もなく依頼人がここに着くじゃろう。依頼人に娘を戻し、それで今回の依頼は完結じゃ」
「それなんですけれど、ボクの意見を少し述べてもいいですか」
 黒龍が三上に目を向ける。
三上が頷くと、黒龍は眼鏡を指の腹で押し上げて、ゆっくりと口を開けた。
「その子を依頼人に戻していいものかどうか、正直いって悩んでいます。……どうもそれは、ボクの正義に反するような気がするのです」
 呟くようなその声に、三雲が首を傾げる。
「私も同意。あの悪魔は確かにネクロマンシーに通じているとされるけれど、それなら、あの悪魔が消えた時点で、塔も屍人も失せているはずだと思うんだよ」
「……これは僕の言い分だけれど、あの魔には、この子をどうにかしようという悪意が無かったように思うンだ」
 三雲の言い分を受け、翼がそう継げた。
ふむと頷く三上は、ちらと少女の顔を見やり、その視線をそのまま壁時計へと向ける。
「……もう来る頃じゃ」
「いいえ、もう来ているようデスよ」
 デリクが後ろ手に事務所のドアを指差した。
同時に開いたドアの向こう、依頼人のあの男が立っていた。
男は三上が庇っている少女を見とめると、真っ直ぐに歩きだし、晴れやかな笑みを満面に浮かべる。
「おおおぉぉ、あ、ありがとうご、ございま……」
 絞り出すような声でそう告げながら、男は少女の腕を取るために、ゆっくりと片腕を持ち上げた。
「あの、少しいいでしょうか」
 セレスティが男を引きとめようとしたが、男はそれを振りきって、少女に腕を伸ばす。
――しかし男のその指は、どれだけ伸ばしても、少女の腕に触れることは出来なかった。
「すいませんが、私達の質問が終わるまでハ、その子に触れることは出来まセン」
 デリクが緑茶をすすりながら口を開ける。
男はそれでも少女に腕を伸ばしていたが、やがて狂ったように声を張り上げ、頭を描きむしって膝をついた。
その声に反応したのか、それまで言葉も表情もなかった少女の顔に、みるみる感情が溢れだした。
「ひ、ヒィィィ、ヤ、ヤアアァァア!」
 暴れ出した少女を抱きとめる三上を見やり、三雲がカメラを男の前に差し伸べる。
「今回のこの惨状が、あんたのその術とやらのせいで起こった、とは断言できないんだけれどもね」
 デジカメに残された数枚もの記録を展開させながら、三雲は毅然とした視線を男に向けた。
「……あんた、これからもまだ術とやらの研究を続ける気かい?」
 男は答えようとはしなかった。何度も何度も、届かない少女を求めているばかり。
すでに発狂しているのかもしれない男に、黒龍は近寄った。
「天秤座を象徴しているのは、正義の女神アストライア。……ほら、ボクの手を見てください」
 男の肩がびくりと震え、すでに正常ではない眼差しで、黒龍の手を確かめる。
男が自分の声に反応したのを知ると、黒龍は手の中の天秤をゆっくりと揺らしながら言葉を続けた。
「今ボクが手に持っている天秤は、あなたが娘を犠牲にして術を完成させる、ボクの正義に反する行いをしている場合、あなたの命を絶ち切ります」
 男の視線と、その場に居合わせている全ての者の視線が、揺れ動く天秤に注がれる。
「あなたはこの天秤の皿に己の命を乗せられるか」 
 黒龍がそう言葉を紡いだ時には、男は頭を抱えて膝をつき、訳のわからない事を叫びながら、天井を仰ぐばかりだった。


 +

「結局、バブ・イルは残ったのう」
 三上可南子はそうぼやき、湯呑の中の冷えた緑茶を睨みつけた。
「屍人は消えたようですね」
 セレスティが笑みを浮かべる。

 依頼人の男が盲信していた自身の術は、結果的には、特異体質であった娘を用いて、この世とこの世ではない世界との扉を開くというものだった。
彼の蘇生術や召還術というものは、世界の理を少しづつ歪めていくことで生じる、賭博のような危険性をはらんでいたのだ。
その歪みは結果的に太古の物を寄せ――もっとも、バブ・イルが、かつてバビロンに在ったという塔と同じものであるかは、定かでないが――、男の未熟な術は無作為に死者を呼び起こし、今回の惨事を招いたのだと、結論づけられた。
もちろんこの結論は五人が弾きだしたものであり、世情的には、どのように結論づけられるかは、不明だが。

「蘇生術を行使していた術者がああなってしまっては、術も解けてしまうでしょうからネ」
 中田から緑茶のおかわりを受け取りながら、デリクが目を細ませた。
三上は無言で頷いて、思案顔の三雲の顔に目を向ける。
三雲は三上の視線に気付くと、ふと顔を持ち上げて、
「……それはそうとして、あの悪魔が言っていた事……あの少女をラプンツェルに喩えたのは、あれはただ単に、塔に閉じ込められていたからという、理由のためだけだろうか?」
 呟くように発せられたその問いかけに、その場の全員が黙した。
しばらくしてから黒龍が口を開き、三雲に視線をあてて答えた。
「ラプンツェルは、魔女の畑にあった野ぢしゃ……レタスを盗み食った母親の罪の代償として、魔女によって取り上げられて塔に閉じ込められた姫の事ですよね」
「そうですね」
 セレスティが頷く。
「しかしラプンツェルは、決して無碍な待遇を受けていたわけではない。むしろ魔女は姫を大事に大事に育てた、というね」
 翼が継げた。
「……罪の代償として、か」
 三雲はそう呟いたきり、再び口を閉ざしてしまった。
「――あの少女は、今ハどうしてるんデスか?」
 湯呑をテーブルに置いて、デリクが三上に訊ねかけた。
三上はデリクの視線に目を合わせ、かすかに首を傾げて答える。
「父親がああなってしまった以上、その元においておくわけにもいかぬだろうとの事でな。今は亡くなった母親の妹が引き取っているとの事じゃ」
「――――そうですか」
 セレスティが柔らかな笑みを浮かべた。


 +

 ラプンツェルは塔から外界へと出た後に、愛しい王子との再会を果たし、その後は幸福な時間を謳歌することとなる。


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 消え残ったバブ・イルは、その後も数日人々の目にさらされ続けていたが、三日の後、現れた時と同様に、突然姿を消してしまった。
しばらく世情を賑わせていたオカルト世論は、バブ・イルは一般の目から失せただけの事であり、霊的に鋭敏な者の目には確とあり続けているのだと主張したが。
しかしやがてはその熱も途絶え、立ち消えた。

 今はただ、新たな主を待つ陽炎の塔が、浅い眠りを貪るばかり。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2863 / 蒼王・翼 / 女性 / 16 / F1レーサー 闇の皇女】
【3432 / デリク・オーロフ / 男性 / 31 / 魔術師】
【3506 / 梅・黒龍 / 男性 / 15 / 中学生】
【4424 / 三雲・冴波 / 女性 / 27 / 事務員】


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■         ライター通信          ■
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この度は依頼にご参加いただけまして、まことにありがとうございます。
もっと早くお届けしようとは思ったのですが……どうにもこうにも。

依頼人に対する見方が皆様同じでしたので、私としてはとても書きやすかったです。
依頼の結果は成功です。ありがとうございました。

相関、口調など、なにかございましたら、ご遠慮なくお申し付けください。
このノベルが少しでもお気に召していただけることを願いつつ。

>蒼王・翼 様

お久しぶりです。またお声をいただけて、発注画面を確認しました時に、嬉しい悲鳴をあげてしまったというのは、ここだけの秘密です(笑)。
今回は翼様を王子様のイメージで書かせていただきました。
いえ、皇女であるというのは分かっているのですが、今回は私の勝手なイメージが投影されてしまったといいますか……。

今回はありがとうございました。
また依頼やシチュノベなどでお会いできることを、楽しみにさせていただきます。