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<東京怪談・PCゲームノベル>


■アトラスの日に■


■彼女の事情■

 蔵木みさとはいつでも、なるべく人気のないところか、アトラス編集部での待ち合わせを望んだ。真昼の雑踏を避けることで、彼女は視線と光から逃げつづけている。もっとも、彼女が人々の視線を集めてしまうのは、雨が降っていなくても、季節が真夏であっても、黒のレインコートにゴム長靴という奇異な風貌であるからなのだ。
 ――どうしてだろう。
 風太はもちろん、彼女のその生き様に疑問を抱いている。なぜ、いつも会えるのは暗い日か、日暮れ以降なのか。レインコートには何の意味があるのか。そもそも、どういったいきさつで、彼女はリチャード・レイの保護下に置かれることになったのだろう。
 ――……。
 彼女が光の世から逃げつづけているのなら、山岡風太は彼女の真実から――彼女から逃げていた。彼女の真実を『秘密』と思い、彼は一心不乱に逃げている。


 すがすがしい夢を見た朝、風太は予定通りの時間に目覚め、すぐに出かける支度を始めた。みさとと会う約束をしているのだ。
 こういう日に限って寝坊する風太だが、今日はへまをやらなかった。明日のデートではどこに行って、何を話そうか――今度こそ、明日こそ――いろいろ考えているうちに、風太は昨晩、いつもよりも早めに眠りに落ちていた。
 みさとを夢の中で見た気がする。

「彼女はたくさん、隠し事をしてる。きっと俺もだ。俺と彼女は、世間話とか、仕事の話とか、『いまの話』をするだけなんだ――どうやって育ってきたかとか、どうやって生きてきたかとか、どうしてここにいるのだとか、お互いに何にも知らない」
「そんなの、たぶん、どうでもいいことだよ。知らなくたって、いいことだよ。知らないほうが、いいことだって……。……でも、覚悟が出来てるなら、思い切って聞いてみたらいいじゃない。それで兄貴が引いたり、向こうが離れてったり、そんなことになるんだったら、二人はそれまでの関係……ってことだよ」

 いつかの、妹との会話も脳裏に戻ってきていた。


 約束の場所は、やはり暗がりの中だった。それも、利用客の少ない地下鉄の駅の中だ。
 風太がみさとに会うのは、二年参り以来だった。正月に(正確には大晦日に)会った彼女は、振袖だった。黒い振袖を着て、嬉しそうに笑っていた彼女は――今日も、嬉しそうに笑って挨拶してきた。
 今日はもちろん振袖ではなく、いつもの黒いレインコート姿だったが、風太の目には振袖で笑う彼女の姿が見えていた。
「こんにちは! 1月って、時間が過ぎるのが早いですね。何だか昨日風太さんと神社に行ったみたいな気がします」
「そうだなあ、世間はばたばたしてるからね。俺は大学がずっと休みで、ちょっと暇だったよ。もっとアトラス行って稼げばよかったかな」
「陸號さんのことで、先生、忙しくて……1月はイギリスと日本、行ったり来たりしてました」
「大変だね」
「もう慣れました。スケジュールより、先生のうっかりの後始末のほうが大変かもしれないです」
 みさとは舌を出さんばかりのしてやったり顔で、意地悪な微笑を浮かべた。あまりみさとが見せることのなかった顔だ。本当に、保護者レイとの生活には慣れているらしい。
 つられて似たような笑みを浮かべてから、風太はみさとを促した。
「今日はみさとちゃんの散歩日和だよ。夕方みたいに曇ってるんだ」
「そうですか! よかったぁ。今日はどこに行くんですか?」
「まあ、とりあえず、お昼食べようよ。近くに美味しいピザレストランあるらしいから」
「はい!」
 ポク、ポク、ポクポクポク、
 地下鉄の湿った空気の中に、乾いたゴム長靴の音は、確かに響いた。
 だが風太は、どうしても、みさとという人間の息吹や気配を、こんなにもすぐ近くにいるというのに――感じ取ることが出来なかった。


「振袖――似合ってたね」
「ど、どうもありがとうございます。でもちょっと窮屈だったなぁ」
「参拝するときは人が多くて窮屈そうだったね。……なに、お願いした?」
「あっ……えーと、ひみつです……」
「そっか、まあ、普通そうだよなぁ」
「風太さんは?」
「俺は、たくさん」
「あ」
「なに?」
「あたし、ふたつお願いしちゃってました。……先生のうっかりが減りますようにって」
「あははは! ……で、もうひとつは?」
「う、ひ、ひみつです」


 いつしか、日は沈んでいたし、みさとが保護者のもとに帰る時刻になっていた。どこをどう歩いてきたか、風太はよく思い出せない。ともかく、ふたりは、人気のない公園の、冬の並木道を歩いていた。葉のない木立は寂しげで、風太に昨晩から今朝にかけての決意を思い起こさせる。
 楽しい時間が過ぎていく中、忘れがちになっていた覚悟。
 それは、真実を知ることだ。彼女を本当の昼間に世界に連れていくには、彼女を追いかけなくてはならない。
 山岡風太は彼女が、
 好きだ。

「ね、みさとちゃん」
 しかし、こんなところで、こんなときに、
 こんな何でもないようなときに、
 言うべきなのだろうか、
 否か、
「はい?」
 ああ、彼女も、立ち止まってしまった。
 もうあとには戻れない。

「……みさとちゃん。俺は、君のことを全然知らない。踏み出して『今』が壊れるのが怖くて、聞こうとはしてこなかったんだ――だけど、もう、決めた。
もう怖がらないよ。
『今』を守るだけじゃなくって、君と『未来』を作っていきたいんだ。
俺は君が……みさとちゃんが好きなんだ」

 みさとは金の瞳を見開いた。その顔は青褪めたままだった。
 彼女はぱくぱくと何かを言いかけたのだが、その口からこぼれたのは小さな「あ」というものだけで――彼女は、風太のそばから逃げ出した。
 逃げていった、
 彼女は逃げていく。
「みさとちゃん! 待っ――」
 待って、逃げないで。
 風太は言葉を飲み込み、伸ばした手をのろのろと下げた。
 彼女はいま、たくさんのものから逃げている……
 だが、未来の彼女は、どうだろう。明日も明後日も一時間後も、未来にはちがいない。
 ――俺は逃げない。だからいつまでも『ここ』で待つよ。俺は、『今』を生きてるんだ。


 風太がリチャード・レイに呼び出されたのは、公園でみさとに逃げられて終わったデートの日から、2日ばかり経ってからのことだった。たまたまバイトでアトラス編集部に来ていた彼を、レイが妙に怖い顔で手招きしたのだった。
「ミサトさんを泣かせましたね」
「あっ……」
 恨み節さえ含んだレイの第一声に、風太は顔を赤くし、うつむいて頭を掻くしかなかった。口ごもる風太だったが、レイは短い溜息をついて、態度を改めた。
 真顔に拍車がかかっていた。
 彼は手にしていた分厚いファイルを風太に手渡してきた。2003年に作成されたものらしい――すべて、英語で書かれている。
「ミサトさんのすべてがここに記されています。英文ですが、ヤマオカさんなら読めるでしょう」
「……!」
「これをあなたに託すのは、ミサトさんの希望によるものです」
「……」
「これを読んだ上で、ミサトさんと会うかどうか……それは、ヤマオカさんにお任せします。しかし、ヤマオカさん。進んでしまえば、もうもどれないということをご理解いただけますか。……彼女は……そう、こうしてわたしのレポートにまとめられてしまうような秘密を抱えているのです」
「……」
「彼女はあなたの答えがいかなるものであっても、受け入れる覚悟を決めたようです。――わたしは、お二人を応援していますけれどね」
 レイはようやく、小さく微笑んだ。
 言葉という言葉をなくして立ち尽くす風太の手を、レイは軽く握って、立ち去った。彼の声は、いつもと変わらず、耳に快いものであった。
 風太は、ファイルを掴む手が緊張のあまり真っ白になっていることに気がついた。

 彼女の未来は、深淵につづいている。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2147/山岡・風太/男/21/私立第三須賀杜爾区大学の3回生】

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               ライター通信
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 モロクっちです。いつも本当にどうもありがとうございます!

 言った――――――――ッ!!

 あー、書いていて何だかとても恥ずかしかったですよ。愛の告白なんて……「そなたに焦がれている!」やら「きみの両親の仇をとろうとしたのだよ!」(告白だったのか)やら、そんなアブノーマルなものしか書いてない状態ですから、本当に、苦労しました(笑)。

 さて、風太さんの未来やいかに。