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【夢紡樹】−ユメウタツムギ−
------<願う事>------------------------
いつもルーナは願う事があった。
辺り一面の満開の桜を見てみたいと。
しかしここ東京には、辺り一面見渡す限り満開の桜という場所は滅多にない。
確かにまとまって生えている所はあったが、それはルーナの望んでいる光景ではなかった。
自分の心の中に未だに忘れる事すら出来ず、くすぶり続けている想い。
もう一度あの風景を見てみたかった。
夢でも良い。
舞い散る桜を静かに眺めていたかった。
「この風花が桜の花びらであれば良いのにな」
ルーナはそう呟き、舞い落ちる雪を手に取る。
それはゆっくりとルーナの体温で溶け水になる。
しかしルーナの心の中にある塊は溶ける事がない。
ずっとルーナの中に留まり続けている。
------<夢の卵>------------------------
目的もなくただ歩を進めていたルーナだったが、目の前に『夢紡樹』という看板を見つける。
喫茶店、夢屋、人形店との表記も見受けられるがこんな場所にあっただろうかとルーナは首を傾げた。
あったかもしれないし、なかったかもしれない。
しかしそれは今はどうでも良い事の一つだ。
よく考えてみればずっと歩き続けて休みも取っていない。
丁度良いか、とルーナはそちらに足を向けた。
気にすることなく歩を進めたのは喉が渇いていたという事もそうだが、『夢屋』というのも気になったというのもあったからだった。
大きな湖の脇を通り抜け、巨木の下へとルーナは進む。
巨木の洞の中にその店はあるようだった。
ルーナはそのまま扉を開け、中へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
扉に付けられた呼び鈴が軽やかな音を立てたのに気づき、優雅に振り返った人物がいた。
ルーナと同じように銀色の髪を持つ青年。
お一人様ですか?、とその青年は尋ねながらルーナの元へとやってくる。
黒い布で目隠しをしているというのにその足に迷いはない。
口元に品の良い笑みを浮かべた青年に、ルーナが答えると、青年はルーナを奥の方にある席へと案内する。
「どうぞ」
椅子を引いてルーナに座るよう促す。
そこへ腰を下ろしたルーナに青年は恭しく礼をし、お決まりになりましたらお呼び下さいませ、と告げ去っていった。
メニューを眺めながらルーナはぼんやりと先ほど目にした『夢屋』の文字を思い出す。
ここはどう見ても喫茶店だった。
夢屋とはいったい何なのか。
ルーナは注文を決めると青年を呼んだ。
「お決まりになりましたか?」
「ケーキセットを頼む。それと‥‥」
ルーナが次に続けた言葉に青年は嬉しそうに微笑む。
「外の看板に『夢屋』の文字を見かけたが、それは一体どういう店なのだろうか」
「そのままでございます。ありとあらゆる夢を扱っておりまして、お好きな夢を見ていただくことが出来ますよ。今なら丁度、夢の卵を無料でプレゼントさせて頂いてます」
どういった夢をご希望ですか?、と尋ねられルーナは、一度躊躇いつつもはっきりとした口調で告げた。
「満開の桜の夢は見られるか?」
「えぇ、もちろん。望む夢をお見せ致しますよ」
少々お待ちください、と青年は奥へと入っていき手にバスケットを持ちルーナの元へとやってくる。
「改めまして。この店のマスターの貘と申します。そしてこれが夢の卵。お好きなものをお取りください。きっと望む夢が見れるでしょうから」
ルーナは頷き、バスケットの中から一つの卵を取り出す。
鶏の卵となんら変わりがないように思えたが、目の前の人物が嘘を言っているようには見えなかった。
バスケットの中からルーナが1つの卵を取りだしたのを確認すると、貘は言う。
「そちらの使い方ですが、ご自分が見たいと思う夢をどうぞ思い浮かべながら卵を軽く握ってください。たったそれだけです」
「それで夢が‥‥?」
「えぇ」
それではケーキセットの方はもう少しお待ちくださいませ、と貘はルーナの元から去っていった。
ルーナはテーブルの上でころころとその卵を弄ぶ。
見たい夢は、今朝も思っていた満開の桜の夢。
大切な人と大切な約束をしたあの時に戻りたい。
すぅっ、とルーナの瞼が急激に重くなる。
そしてそのままテーブルの上にルーナは卵を押さえたまま軽い寝息を立て始めた。
「おや、眠りに入ってしまわれましたか‥‥」
貘は眠りについてしまったルーナを眺め、ショールをルーナに掛けてやる。
そしてカウンターの向こうの人物に、目が覚めてからケーキセットを、と告げると静かにルーナを見守った。
------<夢の中>------------------------
ふっ、と浮くような感覚を覚え、ルーナは瞳を開けた。
自分自身の異変を確かめてみるが、何も可笑しい所はなかった。
白昼夢でも見ていたか、とルーナは辺りを見渡す。
そしてその時、漸く辺り一面が満開の桜で覆われている事に気づき、自分が今夢の中にいるのだという事を思い出した。
この世界は夢の世界。
そう、これはずっとルーナの求めていた光景だった。
回りは桜の花の色で埋め尽くされ、暗闇に燃え上がるように咲き誇る桜の木々。
風に乗って舞う花はルーナを取り囲み、そして戯れ去っていく。
何処を見ても桜がルーナを包み込んでいた。
「そうだ‥‥この光景‥‥」
ふと、ルーナは瞳を閉じ、遠い昔にした大切な約束を思い出す。
『桜の花が満開になる頃には帰ります』と。
確かにそう約束したはずなのに、結局はその約束をしたまま失踪し、ルーナは一度命を落としている。
遠い昔の出来事だ。
そしてそれは永遠に叶えられない約束。
ずっとずっと心の中に沈めてきた、それこそルーナの永遠の夢。
「桜の満開の時期には帰れなかった‥‥あの人の元へは‥‥」
失ってしまったものは大きくて、心を強く揺さぶる。
一緒にこの満開の桜が見たかった。
何故私は‥‥、とルーナは呟きかけるが、すぐに左右に首を振って瞳を開ける。
「綺麗だな‥‥」
一本の大きな桜の木の下に歩み寄ったルーナは、とんっ、とその背を桜の幹に押し当て上を見上げた。
まるで空が桜の花びらで埋まってしまっているように見えた。
ちらちらと舞い落ちる桜の花びらはルーナの手の上で溶ける事はない。
ただ降り積もり、蓄積されていく。
この満開の桜を見れば見るほど、あの時の約束が思い出され、そしてその思いは蓄積されていく。
いつまで経っても溶ける事のない想いの欠片。
いつまで経っても消えるのことのない夢の欠片。
いつまで経っても心の中に蓄積される約束の欠片。
結局は忘れる事など出来ないのだ。
大切な人と最期に交わした大切な約束を。
この舞う桜を見て、ルーナは強くその約束を胸に刻む。
ルーナの大切な夢として、その想いをもう一度深く刻む込む為に。
いつしかその夢が叶うかもしれないことを更に夢見るように。
舞い散る桜はゆらゆらとルーナの足下に花びらの絨毯を作っていく。
いつまでもルーナはその舞い散る桜を眺めていた。
ゆっくりと一つ一つの想いを散らし、蓄積されていく花びらたちを。
------<夢の終わり>------------------------
ゆっくりと意識が浮上する。
その時、丁度良いタイミングでルーナの目の前にケーキセットが届けられた。
「お目覚めですか?」
どうぞ、と貘がトレイからカップと皿をテーブルの上に乗せる。
起きたばかりだと寒いでしょうから膝掛けにどうぞ、と貘はルーナが返そうとしたショールをやんわりと断った。
「夢は如何でしたか?」
「‥‥‥貘殿には、どなたか大切な方がおられるか?」
質問を質問で返されるが、ルーナの問いに貘は躊躇うことなく頷いた。
「えぇ、おりますよ。でもその中の多くの方はもう生きてはおりませんけれど‥‥」
「そうか。‥‥私は‥‥‥」
ルーナは暫く躊躇うように、カップの中の液体を揺らす。
心の中の感情を上手く整理出来ないでいるのか、ただ口にするのが躊躇われるだけなのか。
そんなルーナの心情を思ってか、貘は急かすような事はせずにただルーナの事を見つめている。
そしてルーナが漸く口を開いた。
「私にも大切な人がいた‥‥‥後悔はしていないが、それでも時折、あの人を置いていってしまったことを悔やむんだ」
「約束‥‥でもされてましたか?」
「あぁ‥‥‥でも守れなかった。その人の前に現れる事も出来ない」
「そうでしたか」
暖まりますよ、と貘はルーナに優しく微笑み、カウンターから焼き上がったばかりのパイを置く。
「少し早いですけれどチェリーパイだそうです。桜はお好きですか?」
「あぁ。でもどうして?」
これがついていたもので、と貘は微笑んでテーブルの上にルーナの髪に付いた桜の花びらを摘み乗せる。
夢から持ってきてしまったんでしょうね、と貘は微笑みながらルーナの席を後にする。
残されたルーナは桜の花びらを摘み少しだけ淋しそうに微笑むと、軽い音を立てるパイを口に運んだ。
「いつか見れると良いですね、辺り一面満開の桜の花を」
ルーナが店を去る姿を見つめながら貘は小さく呟く。
鮮やかに咲き誇る満開の桜を夢に見たルーナに向けて。
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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
●3890/ノワ・ルーナ/女性/662歳/花籠屋
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■□■ライター通信■□■
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こんにちは、夕凪沙久夜です。
大変お待たせしてしまい申し訳ありません。
満開の桜の下でそれを静かに見上げるルーナさんはさぞかし綺麗だった事と思います。
勝手に趣味で夜桜にしてしまいましたが、気に入って頂ければ幸いです。
この度は素敵な夢を書かせて頂きアリガトウございました。
また機会がありましたらどうぞよろしくお願い致します。
ありがとうございました。
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