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永久(とわ)の花園
◆0◆
月下荘に居候の身である遠見原・涼介は、夕飯まで時間をつぶそうかと散歩をしていた。
つい、さっきまでは。
都会のど真ん中にはあるまじき光景が、目の前に広がっていた。綺麗を通り越してどぎつい印象を受ける、そこは花園であった。チューリップやパンジー、百合、バラ、水仙、彼が知る限り、ありとあらゆる花が、まるで互いの美しさを競い合うように咲き誇っていた。日の光が優しく照らす。季節は存在しないようだった。
「これはまた……良い趣味だね」
感想を述べ、涼介はひとつだけ、あることに気付いた。こんなにたくさんの花が咲いているのに、ここには匂いが存在しない。
永遠に続くかと思われる花畑で、二つだけ、花の咲いていない場所があった。見渡す限りの花畑の中を蛇行して伸びる川と、レンガを敷いた道だ。一本道のようだが、歩いていったところでこの花園の出口には繋がっていなさそうである。
このまま、一生ここから出られないかもしれない。
漠然とした不安が、涼介を包んだ。
「そうしたら、くーちゃんがせっかく作ってくれた料理が食べられないね」
きっと怒るだろうな、と嘯いてみる。それでもこの状況が変わるわけではない。
耳を澄ませると、誰かの話し声が聞こえてきた。ひとり言のようだ。
どうやら、涼介以外にもこの空間に呼ばれたものがいるらしい。
◆1◆
「――おや」
デリク・オーロフは、のんびりとそんな声をあげた。瞬き一つの間に、風景がずいぶんと変わってしまっている。
見た目や手触りは本物なのに、どこか造花を集めただけのような雰囲気のある花畑だ。
「匂いがないから、でしょうネ」
これだけの花が咲いていながら、まるで無菌室にでもいるようだ。目を閉じれば、誰もそこが花畑だとは思わないだろう。さらに、風も吹いていないようだ。咲き誇る花が微動だにしていない。
この空間自体は、見たところ害はなさそうだ。しかし、みたところ出口とおぼしきものは見当たらず、それに準じたもの――怪しげな地下への階段、魔方陣、空に浮かぶブラックホール、四次元に繋がっていそうなピンクのドア――もないようである。
けれど、別のものをみつけた。
「ご同類、のようですネ」
向こうも、デリクの存在に気付いたようだ。助かった、とでもいいたげな笑顔で近づいてくる。けれどあいにくとこちらもなにも分かってはいないのだが。
◆2◆
こんな所にまきこまれてしまった少年の名前は、涼介というそうだ。見た目は14,5歳なのだがどこか大人びた印象がある。
「デリクさんは魔術師なんですか」
「そうデスよ」
「それなら、こんな所からもすぐに出られますね」
「魔術師が万能というわけではないのデスが……」
「お腹、減りましたね」
「そうデスね」
他に話すこともなく、世間話をしながらレンガ道を歩いていく。室温を完全調整された部屋にいるような気分だ。寒くもなければ暑くもない。快適なはずなのに、居心地が悪く感じてしまう。
「デリクさんはどうしてここに?」
「私は、ただケーキを買いに歩いていただけデスよ。ここに行きたいと望んでいたわけではありません。あなたはどうしてですか?」
「ボクもよく分からないです。家に帰ろうとしていただけなのに」
二人の目的になにか共通点があれば、出口への手がかりにもなるのではないかと考えてもいたのだが、どうやら違うらしい。
「涼介クンは、何才なんデスか?」
「デリクさんは何才ですか?」
「私はもう三十路を過ぎましたネェ、そういえば……」
「それじゃあ、デリクさんよりは年下です」
どういう意味だ。にこにこしているが、意外と食えないやつかもしれない。デリクが疑いの目を向けると、まるでそれをひらりとかわすかのように涼介は石畳にしゃがみこんだ。近くに咲いていた黄色い花に一目惚れしたらしい。
「これを持って帰れば、夕食に少し遅れても許してくれるかもしれないですね」
匂いのしない花を摘もうとする涼介に、デリクは鋭く静止の声をかけた。
「こちらの世界のものをむやみにいじらないほうがいいデスよ。何が起こるか分かりませんからネ」
デリクの声にビクッと肩を震わせたものの、涼介はおとなしく手を引いた。この空間を作った者がこちらを傷つけるのが目的ならば、あらゆるところにトラップがしかけられていてもおかしくない。けれど、ここには同時になくてはならないものがある。
「出口の手がかりになるようなものが、あるんですよね、きっと」
涼介が、デリクの考えを読んだかのように口を開いた。
「その筈デス。例えばこちらに術者がいて我々に危害を加えようとしていたとしても、それならばなおさら出口が必要になりマス」
「こっちに閉じ込めることだけが相手の目的だったとしても?」
「我々魔術師というものは、常に最悪の場合を考えていることが多いんデスよ。中にいる人物には到底分からないような方法で、外へ出る鍵を隠している可能性が――」
魔術師の頭の中で、何かがひらめいた。
◆3◆
「鍵」となる「花」。
その二つのキーワードに、デリクは覚えがあった。思わず口元に笑みが浮かぶ。
「なるほど、聖ペテロの草ですか」
この花園を作り出したのが誰かは知らないが、またずいぶんと粋なことをしてくれたものだ。
「涼介クン、探してもらいたいものがあるのデスが」
「なんですか? まさか……」
デリクの視線の先を見て、涼介の頬が少し引きつった。果てしなく広がる花園を見ながら探し物があるなんて言われれば、誰だってそんな顔になるだろう。
「ピンク色の可愛らしい花デス。おそらくこの中に生えていると思うのデスが……」
「ピンク色の……って言われても。なんていう名前の花ですか?」
「そうですね。たしか英語ではプリムローズという名前なのですが」
「花にはあまり詳しくなくて。――これは?」
涼介が、手近にあったピンク色の花を指差した。その花は確かにピンク色はしていたが、可愛いというには色が不気味だった。ピンクに、ほぼ黒といっていい色で模様が入っているのである。デリクは首を振る。これを可愛いと思うのならば、りょうすけの感覚は常人とはだいぶ違う。
「抽象的過ぎますよ」
涼介は少しむっとしたらしく、デリクを非難する。デリクはそういえば、と人差し指を立て、
「日本名では桜草とも呼ぶそうデスね」
「桜草、ですか? それが、ここから出るための鍵になるんですか?」
デリクはうなずいて、自らも花を見渡した。
「プリムローズは、一年の最初に咲く花と言われていマス。ヨーロッパでは、春を呼ぶ鍵とされていまシタ。今でもイギリスではプリムローズ・デイが休日として存在していマスよ。花は数あれど、鍵と関連の深そうなものはこれくらいしか思いつきませんからネ」
全く呆れた仕掛けだ。一体誰がどんな意図でこんな異世界を作ったのだろう。こんなに花が溢れていながら、全く生きたものの気配を感じさせない。造花の中で、花探しだ。
「見つけたら呼んでくださいネ」
◆4◆
終わりの見えない作業に飽きを感じ始めていた頃、涼介が声をあげた。
「もしかして、この花ですか?」
小川のほとりに、可愛いピンク色の花が咲いている。例によって匂いはないようだ。けれど、それがデリクの記憶にあるプリムローズと同じものであることは疑いない。
「これを……どうすれば良いんでしょう?」
聞かれても困る。この空間には極端にヒントが少ないのだ。この花を見つけ出しただけでも奇跡に近い。
この空間には風も吹いていない。空は雲一つなく晴れているのに息苦しく感じるのはそのせいだろう。それなのに、デリクの目にはその花が微かに揺れているように見えた。
「涼介君、少しソレから離れてもらえマスか?」
二人が動いたせいで空気が揺れ、それが花に伝わったというのならば問題はない。しかし、そうでないのだとしたら。
二人は少しの間息を詰めて花を凝視した。自らの動きという動きを極力止めて、全神経を目に集中させた。
二人の眼前で、花は微かに揺れた。デリクはホッと息をつく。
「この花が欲しているのは、光でも水でもなく――風、ということデスか」
「風、ですか?」
「そうデス。植物が成長するために必要なのは、土と、光、闇、水。そして、匂いや種、胞子を遠くへ飛ばすための風デス。光が火と同義とすれば――ここには、風という元素(エレメント)が欠けているということになるのデスよ」
何かが欠けた世界。絶えず動くものがなかったのだ。
「じゃあ、この花に風をあげれば良いってことですね?」
「そうデスね。風といいマスか……息吹を」
デリクの言葉に、石畳の道にひざまづいた涼介は花に向かってそっと息を吹きかけた。
◆5◆
そういえば、この「鍵」を見つけた後にどうなるか、よく分かっていなかったような。デリクがそれに思い当たった直後、まるで誰かに殴られたような衝撃を右肩に感じた。思わずよろける。
「なっ、なんですかこれ……っ」
しゃがみこんでいた涼介も、しりもちを突いて叫ぶ。
「どうやら、この異界から出られる合図のようデスよ」
ただの衝撃としてしか感じられなかったものが、すごい突風だとわかった。ただの風ではない。濃厚に花の香りの混ざった風だったのだ。足を踏ん張って前後左右から襲ってくる風に耐える。
「あっ……」
「どうしました、涼介クン」
「花が風で……っ」
この猛烈な風に、一面に咲いていた花の花弁が空に舞っていく。この花園の端から、二人のいる桜草を中心として、穏やかだった青空へと吸い込まれていく。おかしなことに、花弁が散ったあとの地面には茎や土が残っていない。真っ暗だ。
「桜草も、飛んでいっちゃいますよ!」
涼介が手で覆うようにして花を守る。風がますます強くなった。デリクはやむを得ず石畳に膝をついた。吹き荒れる風は冷たくはない。むしろ、ほんのりとした温かさを伴っているのだが、やはりずっと立って耐えるのは辛かった。花弁がひらりと頬にあたって、すぐに宙へと舞いあがり吸い込まれていく。
涼介が意地になって花を体全体で覆うように守っている。けれど、風はそんな隙間にもたやすく入り込む。デリクには、風もまた躍起になって桜草を吹き飛ばそうとしているように感じた。激しい風と濃密な花の香りが、まるで意思を持っているかのような執拗さで二人の回りを駆け巡っている。
そもそも、この花はこの空間から出るための鍵だったはずだ。ずっと持っているだけでは、用を為さない。
「涼介クン、手を……離しても大丈夫デスよ。桜草――聖ペテロの草を…鍵として、渡さなくテは」
目もくらむような風と花弁にさえぎられそうになりつつも、なんとか涼介に告げ、花から体を離させる。
それから起こったことはほんの一瞬だった。
けれど、目に焼きつく一瞬だった。
「うわっ……」
涼介が反射的に目を手で覆うのが見えた。辺りをバラバラに吹いていた風が、一気に桜草をめがけて吹き荒れたのだ。からだをもみくちゃにされそうになりながら花びらの行方を必死に目で追った。他の花弁と違い桜草のそれはきらきらと輝く光になって四方八方に舞い散ったかと思うと、不意に一点に集まった。眩しすぎる光に、とうとうデリクも目を瞑ってしまった。
◆6◆
車のクラクションが聞こえた。
「す、すごい風でしたね……」
雑踏のざわめきが心地よく鼓膜を揺らし、排気ガスのすすけた空気が体に入っていくのを感じ、ゆっくりと目を開ける。
そこに一面の花畑はなかった。見なれていたはずの、東京の路地の一角だ。目指す洋菓子店へはもうすぐである。空には光を集めて作られた天体――太陽が照っている。
「さっきのはなんだったんでしょう……」
聞かれても困る。それよりもまず立ちあがることが先決だ。荒れ狂う強風に耐えるためにとしゃがんだ格好のまま、こちらの世界へ戻されてしまったのである。人の視線が少し痛い。
向かいから歩いてくる女性が、連れに話しかけているのが聞こえた。風はこの東京でも吹き荒れたようだ。
「すごい風だったね、今の」
「ホント、髪ぐしゃぐしゃだよ。でも、春って感じだよね」
楽しげに談笑しながら歩いていく。そう言えば、日本にはそんなものもあった。
「春といえば、日本では風なんデスね」
女性を見送りながら微笑んでいるデリクに、涼介が怪訝な視線を向ける。と、腕時計に目をやって「やばい」と呟いた。
「どうしまシタか?」
「時間ですよ。もうこんな時間じゃないですか。早く帰らないと」
腕時計を覗き見ると、確かにそろそろ帰路についていないとおかしい時間だ。
「私も早くケーキを買わないト。――といっても、もう売りきれてしまっている可能性が濃厚デスが……」
家で待たせている者が激怒する姿が思い浮かび、デリクは肩をすくめた。
「売りきれるほど人気のケーキなんですか? どんなケーキ?」
どうやら食べ物に目がないらしい涼介の好奇心に、デリクは記憶をたどる。
「たしか、苺やラズベリー、旬のフルーツをふんだんに使用したタルトで――」
その名は「brezza primaverile」――春風だった。
Fin.
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3432 / デリク・オーロフ / 男 / 31 / 魔術師】
【NPC / 遠見原・涼介 / 男 / 27 / 中学生?】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、月村ツバサと申します。
期日を過ぎてしまい申し訳ありません。
プレイングがしっかりしている上に奥が深く、いろいろと勉強させていただきました。
少しでもお気に召していただければ幸いです。
2005/03/04
月村ツバサ
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