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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


縺れた記憶

【T】

 ウィリアム・コート、フレイ・アストラスの二人は何気なくいつものように草間興信所のドアを開けたつもりだった。
 お互いにどちらからともなく特別なことなど何もないと思っていた。
 それがドアを開けた刹那に、何かがいつもと違っていた。
 草間興信所に不可思議な依頼が舞い込むのはいつものこと。だからそれを特別訝るつもりはない。けれどこれまで見てきたどの依頼人が持つ雰囲気よりも独特の茫漠とした気配を宿しながらもひどく落ち着いた依頼人が所内の空気といつもとは違うものにしているのは確かだった。簡素な応接セットに腰を落ち着けて、声を荒げるわけでもなければ切々と何かを訴えるでもなく依頼人は所長である草間武彦と言葉を交わしていた。静かな横顔からは何も読み取ることができない。ウィリアムは僅かに間を置いて小さな声で挨拶の言葉を紡いだ。大きな声を出せば、何かが決定的に壊れてしまうような気がしたからだ。
「丁度いいところに来た」
 煙草を挟んだ右手を軽く上げて武彦が云う。依頼を解決するために自分で動こうとしないこの所長は、いつものように興信所を訪れた都合の良い相手に仕事を依頼するつもりらしい。
「ちょっと話しだけでも聞いてもらえないか?」
「依頼人さんですか?」
 フレイが訊ねたが、訊ねることをしなくても明らかである。けれど故か言葉にして訊ねなければいけないような気がした。そう思わせる何かが依頼人にはあった。
「ここに来るくらいだから、そうだろうな」
 云って武彦は短くなった煙草を飽和状態の灰皿に押し付ける。そして自分にはもう既に関係がないとでもいうように、手元にあった書類を読むわけでもないだろうに手に取ると二人と依頼人からすっと視線をそらす。そうなればもう話しを聞く以外に二人にできることはなかった。武彦が新しい煙草に火を点ける音がする。二人はそれを耳に感じながら、はなるべく音をたてないように依頼人の青年の前に腰を下ろした。総ての音がやけに大きく響く気がした。
「初めまして。ウィリアム・コートです」
「フレイ・アストラスです」
 言葉が上手く見つけられずとりあえず自己紹介をする二人に青年は笑って手短に名前を答えた。柔らかな口調とは裏腹に何か残忍のものが滲む声が響いて、ウィリアムは沈黙を恐れるように言葉を続ける。
「一体、何があったのでしょうか?」
「もし、あなた方に自分のものではない記憶がまるで自分のもののように存在するとしたらどうなさいますか?」
 青年が云う。まるで謎かけ。けれどここでは決して珍しいことではない。記憶にない記憶。たとえ現実にはあまりないことだとしても、どこか現実とは遊離したようなこの興信所では決して珍しいことではないと思ってウィリアムは云う。
「私にはそうしたものはありませんので、正直よくわかりません。でももしあなたにそうしたものがあるのだとしたら、どうなさるおつもりですか?」
「確かめたいと思います。何もない日常の記憶が本当なのか、殺人の記憶が本当なのか」
 青年ははっきりとした口調で云う。切れ長の目がまっすぐに二人の姿を捉えて、否と云わせない。手伝うことを強要しているわけではない。ただ興味を惹かれ、離れられなくなるような双眸だった。
「それは僕たちにお手伝いできることでしょうか?」
 フレイが言うと青年は肯定の意味を込めた笑みを浮かべた。
「あなた方の記憶があなた方のものとして確かなものならお手伝いして頂けると思います」
 理知的な口調。それでいてどこか幻惑を語るような滑らかなそれは魅力的だった。
「私の云う誰のものかもわからない記憶が殺人に関するものだとしても、宜しければですが」
 青年の口から零れ落ちる言葉は、殺人という血生臭いものだとしても何故かとても綺麗な響きでもって辺りに広がり、二人はそれぞれに無意識のうちに肯定の意味をこめて小さく頷いていた。


【U】


「表沙汰になっているということはないと思います。少なくとも私が知る限りでは」
 殺人が事件として世間に流される無機質な情報に還元されているのかと問うたウィリアムに青年は静かにそう答えた。
 この青年は不思議なくらいに落ち着いている。本当に殺人に関する記憶を持っているのかと疑いたくなるくらいに落ち着いて、それに対する罪悪感や後ろめたさなどというものも感じられない。口からこぼれる言葉総てが明確な答えだった。青年の言葉は一つ一つが明確で、記憶が誰のものかも判然としないということさえもそのまま受け止めれば真実になるのではないと思わせる確かさがあった。
 けれど青年自身が許さない。どんなに言葉がそれを真実だと証明しようとも、その所有者である青年だけは自身が持つ記憶を疑い続けていた。
「では、殺人の事実はまだあなたの記憶のなかにしかないということなのでしょうか?」
「多分、そうだと思います」
 初めて不確かな言葉が青年の唇から漏れる。多分、その言葉は青年の唇から漏れる言葉には相応しくない言葉に思えた。記憶が不確かでも、青年の語る言葉一つ一つはとても確信に満ちて、どんなに柔らかな響きを持っていたとしても疑う余地などどこにもなかった。だから初めて音になった不確かな言葉はとても鮮明だった。
「記憶を辿って行くことができますか?その、殺人の事実を確かめるために」
 フレイの言葉に青年が頷く。
「自分でもまだ確かめたことはありませんが、大丈夫でしょう」
 言葉が事実を捉えて響く。そこに偽りの気配は微塵もない。だから捉えどこの無い恐怖を感じる。きっとこの言葉を信じて、そのままに記憶を辿っていけばきっと屍体や血痕、もしくは犯人自身といった生々しいものに辿りつくことが予感できて、その予感は確信に近い強さを持っていた。
「行ってみますか?」
 ウィリアムは云って語尾を滲ませる。どこかで頷かないでほしいとどこかで思っている。けれど真実を知りたいとも思う。触れてはいけないものだから触れてみたいと思う好奇心がそうさせるのか、ウィリアムは青年が否定してくれることを望みながらどこかで肯定されることを望んでいた。
「そうですね。あなた方が見届けてくれるのならば」
 云って青年はゆっくりとソファーから腰を上げた。そして既に青年を眼中に置くことをやめた武彦に小さく挨拶をすると、二人を促すように微笑む。その微笑に抗う術はなかった。


【V】


 平凡な日常だけを信じていればいいのに、何故疑問を持ったのだろうか。そんなことを考えながら、ウィリアムは青年の後に続く。
「あの、過程の話しですけどいつもの自分とは全く違う記憶って、何か映画や小説の内容が反映されているということはありませんか?……そんな話もないわけではないと聞いたことがあるのですが……」
 フレイの言葉にウィリアムが何を云っているのだという目を向けてくるのがわかって、フレイは慌てて言葉を続ける。
「……ということはないですよね」
 笑ってその場を誤魔化そうとするフレイに青年は莫迦にするでもなく、その言葉をしっかりと受け止めたような笑顔と共に答えた。
「最初はそんなことも考えなかったわけではありません。でも、こんなにも鮮明に記憶に焼きつく記憶が誰かの作り事の一部だとは思えません」
 三人は街の中に張り巡らされた道の途中に立っている。そのなかを青年の言葉に従って移動する。都市の片隅を浚うようにして、人目を避けるように入り組んだ都市の路地のなかを彷徨う。けれど二人に不思議と不安はなかった。青年の言葉も足取りもとても確かなもので、その後ろをついていけば確かなものに巡り会える筈だという確信が生まれた。奇妙な恐れは姿を消して、きっと記憶がある以上、そこにもまた確かな意味があるのだと思うようになっていた。たとえ青年自身の記憶ではないとしても、その記憶を青年に植え付けた誰かは覚えていてもらいたいという意思を持ってそうしたのではないかと思わせる何かがあった。
「初対面のあなた方にこんな話をするのはどうかと思いますが、殺意は確かにあったんです」
 薄暗い路地。陽はまだ高い位置を維持しているというのに、ビルとビルの狭間は薄暗い。そのなかで唯一確かなものとして響くのは青年の声だけだ。
「殺さなければならなかった。他に術はなかった。それだけは確かなんです」
「それは本当にあなたの記憶ですか?」
 根本的な問いをウィリアムが発する。フレイがどうしてそんな問いをと云いたげな視線を向ける。けれどウィリアムはそんなことにはおかまいなしに言葉を続けた。
「殺人者の記憶がもしもあなたにとって近いしい人の記憶なのではないかと思ったんです。身近な人が人を殺してしまった。けれどあなたはその事実を信じることができなかった。だから、その事実を歪める記憶を作り上げてしまったのではないでしょうか?」
 ウィリアムの言葉に青年の瞳が揺らいだ気がした。フレイは足元を崩される人を目の当たりにしていると思う。薄暗い路地のそのなかで、何かが音を立てて崩れて行く風景を見ている。
 何かを思案するよう青年がこめかみをおさえる。苦痛に耐えるよう眉間に寄せられる皺。その姿は自分のなかにある記憶を一つ一つ確かめて、本来の形を再生させようとしているかのように見えた。
 ひどく切実な姿だった。
 だから二人は声をかけることができなかった。
 ただ黙って青年が現実をどのように受け入れるか、それを待つ以外にできることは何もない。
 一つ、青年の頬を涙が伝う。
 そして静かに顔を上げた青年は笑うこともなく、ただ痛みを堪えるような顔をして云った。
「秘密にし続けておくことを許してくれませんか?」
 希うような声が二人の胸を打つ。
「……そっとこのまま、何もなかったのだということにしておいては頂けませんか?」
「本当にそれが最良の選択だとお思いですか?」
 ウィリアムが問う。
「今、表沙汰になっていないのなら、彼女にとってそれが一番のことなのではないかと思います。総てを捨てることに意味があるとは思えない……人を殺してしまったとしても、そこにはそれぞれの理由があります。罪には罰を、とそう仰られるかもしれませんが、でもそれが総てでしょうか?」
「総てではないと思います」
 云うフレイに青年は縋るような視線を向けた。
「けれど、黙っていることが一番の幸せだとも思うことはできません」
 傷ついたような瞳をして青年が俯く。
「もし……本当にあなたがその人を大切に思うのなら、一度会ってみるのもいいのではないでしょうか?」
「会ったところで上手くいくことでもないんじゃ……」
 ウィリアムの言葉をフレイは笑顔でかわす。
「僕は心理学やそういうことにはあまり詳しくありませんけど……懺悔のお手伝いなら多少はできます。本当のやさしさで、その方の本当の幸せを願うなら会ってみるのもいいのではないでしょうか?あなたがその記憶を思い出し始めたのもきっと神の意思ではないかと思います」
「神なんてそんなもの信じていません。そんなものが本当にいたら、彼女は人を殺す必要なんてなかったんです」
 血を吐くような言葉だった。けれどウィリアムはその言葉にこのままにしていけないような予感を感じる。放置してはいけない。一度関わりを持ってしまったのだから、このままにしておくことはできないのだと、そう強く思ったのだ。
「秘密にしておくこと、それが本当のあなたのやさしさですか?」
 青年はその言葉にしばらく逡巡するような気配を見せた後、ゆっくりと頸を横に振った。


【W】


 路地裏を歩いていた時よりも迷いの気配を濃くして青年は二人を案内する。ぽつりぽつりと呟かれる言葉は殺人の光景を語ったが、それはもう青年のものではないものとして語られていた。ただ大切な存在が人を殺さなければならなくなった現実を嘆いていた。そしてその罪を肩代わりしてやりたいと思っているであろうことが明白だった。
 三人が歩くのはひっそりとした住宅街。アパートが多く建ち並び、どこか閑散としている。
「ここです」
 足を止めて青年が見上げた階段。鉄製のそれは古びて、繋がるアパートも今にも崩れてしまいそうな古めかしさだった。
「……彼女に会う前に一つだけわかっておいてもらいたいことがあります」
「なんでしょう?」
「僕たちに理解できることであればお話下さい」
 促す二人に青年は階段を見上げて云った。
「僕も共犯者です。彼女の父親を彼女と二人で殺したんです。その場にいなかったとしても、知っていたのに止めることができなかった……それは共犯者として十分でしょう?」
「そうですね……」
 細く息を吐くようにしてフレイが云う。青年は笑っただけだった。その笑顔に二人はきっとその一言を肯定してもらいたいだけだったのだと思う。だからそれ以上のことを問うことなく、前を歩く青年の後に続いた。
 短い階段は瞬く間に終わる。青年が慣れた手つきで古いドアをノックする。程なくして内側からドアが開かれ、目の下に濃いクマを描いたやつれた女性が顔を出した。
「……通報したのね」
 低い声が響く。女性の目はフレイとウィリアムの姿を捉えていた。
「ねぇ……裏切ったんでしょ?」
 青年は何も答えなかった。黙って、女性を見つめている。
 ウィリアムは迂闊に手を出すことはできないと思った。自分の犯罪を隠すためにこちらに刃を向けてこないとも限らない。
「もう……一人殺すのも二人殺すのも一緒よね……。あいつの屍体も見つかっていないし、きっとあの路地裏の廃ビルのなかで腐ってるわ。ふふ……ざまぁみろ。―――でもまさか、あなたが裏切るとは思っても見なかったなぁ」
 不意にドアが開いた。飛び出してくる女性の手には包丁が握られている。ウィリアムはしまったと思う。思わずフレイを庇うよう一歩前に足を踏み出していたが、女性の動きを封じるには間に合わないことは明白だった。
 止められない。
 けれどウィリアムが、そしてフレイが思っていたような事態は辛うじて避けられていた。
 青年の手によって。
「変な人……」
 女性が呟く。
 灰色のコンクリートの上にぱたぱたと血が落ちる。
「少しでいいから、話をしよう」
 青年は振りかざされた包丁の刃をしっかりと握り締めて、笑って云った。女性の総てを受け入れ、受け止めようとする笑みだった。
「どうして今になって止めようとするの。もう何人殺したって一緒なのに……」
「それは違うと思います」
 ウィリアムの背後からフレイが云った。女性がゆっくりとフレイの姿を捉える。
「何が違うのかは彼ときちんと話をすればわかると思います。僕たちに云えることは彼が通報したわけではないということだけです」
 その場に女性がくず折れる。それ抱きとめたのは誰でもない青年だった。
「ありがとうございます。……きっともう、大丈夫だと思います」
「本当に?」
 ウィリアムの言葉に青年はしっかりと頷いた。
「私はただ彼女を守りたかったんでしょう。けれど守ることができなかった。だから……記憶をいつの間にか自分で改竄してしまっていたんです。でも、もう大丈夫です。何をすべきかを見つけることができました。本当にありがとうございました。きちんと彼女にとって最良の方法を話そうと思います」
 静かな泣き声が響いていた。女性の細い声が、恨み言の隙間から感謝の言葉を漏らす。それは誰でもない青年への言葉であった。
 二人はそれを聞きながらもう何も手伝えることはないことを知った。
「もう行こうか」
 ウィリアムに促されるようにしてフレイはその場を離れる。
 もう記憶が混乱するようなことにはならないだろうと、確かなものなど何も無いのに二人は信じていた。
 それは青年の目がまっすぐに現実と、彼女の存在を捉えていたからだ。
 きっと彼にとって彼女は誰よりも大切な、愛しい存在だったのだろう。
 言葉にしなくてもわかる。
 そうした穏やかな愛情が彼女を抱きとめる青年の手にはあった。



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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【4804/ウィリアム・コート/男性/28/我流カウンセラー】

【4443/フレイ・アストラス/男性/20/フリーター兼退魔士】


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         ライター通信          
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初めまして。沓澤佳純と申します。
頂いたプレイングをきちんと生かせているかが少々気がかりですが、
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。