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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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オルゴールの踊り子
【T】
ふらりと、なんの目的もなしに訪れる。そういうことが似合う店というのは少なからず存在する。特別な目的もなく、店の雰囲気をなんとなく肌で感じながら、何気なく陳列される品物を眺める。それだけのことを愉しむことができる店。そういうものは商売っ気がないから良い。セレスティ・カーニンガムが今、ドアを開けたアンティークショップ・レンはきっとそうした部類の店だった。店主の碧摩蓮は常のようにやる気があるのかないのか判然としない態度でカウンターに腰を落ち着けている。どこか雑然として、それでいて独特の秩序を守る店内は今日もいつかの古めかしい時代の香りを仄かに漂わせながらひっそりとした雰囲気のなかに落ちている。
ただ一つ違うことがあるとすれば、いつもなら音楽など聞こえもしない店内に慎ましやかな旋律が響いていることだろう。
涼やかな旋律。軽やかに、慎ましやかに一つ一つの金属を軽く弾き上げるような繊細な音だ。
セレスティはその音の根源を求めるように店内に視線を巡らせる。それぞれの場所に腰を落ち着ける無数の品々。どれもこれもが沈黙を守り、音を紡ぐのはただ一つ。カウンターの上あった。
開かれた蓋。そこから顔を覗かせる精巧な作りの人形がその音楽にあわせて、緩やかにダンスを踊る。たおやかに巡る腕、優雅な曲線を描く脚、どこか遠くを見つめた青色の双眸、そして背中まで届く流れるような金色の巻き毛。オルゴールの装飾品の一つにしてはそれはあまりに美しく、まるで誰かの生き写しであるかのような滑らかさを持ち合わせていた。蓋の内側にはどこかの舞台をモチーフにした装飾が施され、鏡が空間を深くする。
「そちらの品物を見せてもらってもよろしいですか?」
云うセレスティに蓮がすっとオルゴールをカウンターの端から中央へと移動させた。
青色の双眸を持つ人形と向き合うと、ふと何かを訴えかけられたような気がした。オルゴールの持つ雰囲気がセレスティに手に取ることを許さない。
「壊れてるんだよ。本当はね」
触れることができずにいるセレスティの雰囲気を察したのか蓮がぽつりと云った。その横顔はオルゴールから響く音の一つ一つが絡み合い、音階を描いて紡がれる音楽を聞くでもなく聞いているようだった。オルゴールだけが自分の秩序で音楽を紡ぎ続けている。螺子は壊れて、本当ならば鳴らない筈の音楽が零れる。静かに夜の底で響くかのようなそのどこか物悲しい旋律は耳に優しく馴染んだ。これまで聞いたことのない旋律は遠い異国を思わせる優雅な調べで、しかしどこか果敢無げに空中に霧散していく。
セレスティは何をするでもなくしばらくの間、何もせずにただその音楽に耳を傾けていた。言葉で問う必要はないと思えた。もしオルゴールが何かを望むのだとしたら、それは自ずと言葉になるのではないかと思わせるものがその旋律には確かに存在した。希う、そうした切実なものが感じられる旋律と音だった。
「ここに地終わり、海始まる」
不意に蓮が云う。
「この意味がわかるかい?そのオルゴールの裏にあったものでさ、遠い異国の岬にある碑に刻まれた碑文なんだ」
怠惰な風を装ったまま、それでもセレスティをまっすぐに見て云う蓮にセレスティはゆっくりと頸を横に振った。
すると 不意に細い声が旋律の隙間を縫うようにして響く。
『できることなら、もう一度あの舞台に立ちたかった……』
二人の視線がオルゴールの人形へと注がれる。
『どこか遠くへなんて大それたことは望みません。ただ、もう一度あの人の命だった劇場の舞台に立ちたい……それだけよ』
「それは私にできることでしょうか?」
セレスティの問いに静かな答え。
『たとえ閉鎖されてしまったとしても、劇場はまだ変わることなくあの場所に建っていると思うの。私はただ、そこに立ちたいだけ』
「協力させて頂けますか?」
その言葉に無機質な人形の青い目が淡く、笑った気がした。
【U】
人形は静かに言葉を綴り続けた。遠い昔の記憶を手繰り寄せるようにして、しかし目の前で見ているものを語るように。
音楽は奏でられ続ける。
セレスティは音楽の隙間に響く細い声に耳を傾ける。
ただ一つを希う声は果敢無くもまっすぐだった。
ただ舞台を愛し、踊ることを愛していた人なのだと思う。そして同時に舞台を演出していた演出家を深く愛していたのだと。ただそこに目に見える形としての関係があったのかは判然としない。人形はただまっすぐに愛を語り、それはただそれだけだった。
不意にセレスティは疑問に思う。
このオルゴールが作られたその時から既にバレリーナはそこにいたのであろうかと。一体どのような経緯でもって作られたオルゴールなのだろうか。
「失礼ですが、触れさせて頂いてもかまいませんか?」
セレスティの問いにカウンターに頬杖をついていた蓮が顔を上げたが、自分に向けられた問いではないと気付いたのかすぐに視線を外した
『かまわないわ』
応えにありがとうございます、と一言答え、セレスティはそっとオルゴールに触れた。
どこかひんやりとした感覚。実体がないのではないかと思わせる曖昧な存在感。けれどその向こうには確かに過去が存在しているのがわかった。過去という名の情報。それは不可思議な温度を持って、緩やかにセレスティの手を伝い意識にそこにあるものを教える。
遠く切ない物語を見るような心地がした。
触れてはいけない二人だけの秘密に触れてしまったような罪悪感が脳裏をよぎる。
密やかな愛情。
慎ましやかな恋情。
決して互いを苦しめあうことなく、ただそこにあるということ、それだけでお互いの存在を認め合う。
なんて密やかな恋をした人なのだろうかと思った。
オルゴールのなかに見た過去はあまりに果敢無く、それでいて希望に満ちていた。ただまっすぐに自らの意思を貫いた演出家とその演出家を信頼していたバレリーナ。国籍も違う、言葉も違う、それでも二人は誰よりも強い信頼によって結ばれていた。
『幼い頃からずっと私は旅をしていたの……国から国へとただひたすらに渡り歩くだけの生活だったわ』
セレスティが見る過去に言葉が重なる。
『安住の地なんてそんなものは決して手に入らないと思っていた。けれど、あの人はそれを私にくれたのよ』
演出家の傍でまだ少女の面差し仄かに残す女性が笑う、そんなヴィジョンを目の当たりにしたような気がした。
彼女はオルゴールが作られた当初はまだそこにはいなかったのだと知る。
『あの人と共に在った日々は本当に幸せだったわ』
オルゴールの製作を依頼したのは演出家だった。演出家の処女作が上演される記念にと、そんな表向きの言葉と共にいくつか製作した一つ。ただここにあるオルゴールにはそれらとは違うものが一つだけあった。
踊る人形のモデル。
彫りこまれた文章。
遠い異国の地にある碑に刻まれた碑文。
ここに地終わり、海始まる。
その碑文はただ一つだけ、演出家自身の手によってバレリーナに手渡されたそれだけに刻まれていた。そしてバレリーナの姿を模した人形を与えられたものもまたそれただ一つだった。
『日本へ来て、家族を失った私をあの人だけが救ってくれたの。踊る場所をくれた。それが私にとって居場所だったから、とっても嬉しかった』
店内に響く音楽に胸が締め付けられるようだった。
孤独を癒すために出逢った二人のあまりにも悲劇的な運命。
『愛してくれたわ。私もあの人も決して言葉にはしなかったけれど、それでもお互いにただ同じ舞台を共有できる、それだけで幸せだった。ただ一緒に同じ舞台を作ることができればそれでよかったのよ。―――でも、私はあの人を独りにしてしまったの。家族を失ったあの人に、また喪失を教えてしまったのよ……ひどい話だわ』
セレスティが手を離すか離さないかの刹那に触れたものはあまりに冷たい孤独の記憶。
『躰を失ってからずっとここにいたけれど、彼にはわかってもらえなかった。私たちは舞台がなければ駄目だったの……それしかなかったから、それ以上のことは望まなかったから、私たちが共にあるためには舞台は必要不可欠だったのよ。だからあの人のためにもう一度だけ、あの人の舞台に立ちたいの』
バレリーナの死。
演出家の狂気。
触れた冷たい記憶のなかではただ、孤独の深さだけが鮮明だ。
『私はただのバレリーナであの人は演出家だった。だからそれ以上の関係は望んではならなかったの。互いにわかっていたわ。だからずっといつまでも同じ舞台で生きていこうとどちらからともなく決めたの、言葉を交わすこともなく。それでも幸せだった。突然別れることになるなんて、幸せすぎて気付けないほどに本当に幸せだったのよ』
言葉が途切れる。
音楽だけが店内に満ちる。
果敢無い旋律は哀しい音楽。
「行きましょうか。もし君がその場所を覚えているというのなら。君の愛したその人が作った舞台へ」
重く圧し掛かる過去から伝わる哀しみの重圧に負けないようセレスティが言葉を綴ると、細い声が本当かと問う。
「えぇ。もし君が心からそれを望むのならお連れ致します」
『ありがとう』
声が哀しげに響く理由はオルゴールのなかにあった。
別離は深く二人を現実のなかで引き離し、どんなに傍にあっても結ばれることはないのだという現実を突きつけたのだ。
すぐ傍にいたというのに二人は深い孤独に引き裂かれたまま、離れてしまった。
まるでそれが当然であるかのようにして。
【V】
結婚という形では結ばれなかった二人。
ただ舞台を共有するというそれだけに幸福を見ていた二人。
その二人を現実はいとも容易く引き裂いた。
バレリーナの唐突な死。それに耐え切れず狂気の海に身を沈めた演出家。彼はいつもオルゴールを抱きしめていた。そこに愛する彼女がいることにも気付かないまま、ただ喪失を嘆いていた。彼女はそれをすぐ近くで見つめ続け、そして演出家の最後も見届けた。
それから二人は本当の意味で引き裂かれたのだった。
演出家は冷たい土の下へと埋葬され、バレリーナはオルゴールと共に人の手を渡り歩くことになる。一箇所に留まることを義務付けられた演出家とは裏腹に生前旅を続けていたその時と同じようにして人の手を渡り歩くことになったオルゴールのバレリーナ。
それがアンティークショップ・レンに辿り着いたのは偶然が引き起こした奇跡なのかもしれないとセレスティは思う。
今セレスティはバレリーナの言葉そのままに足を運んだ劇場の前に来ていた。
それは本当に小さなものだった。時間の流れのなかでそこかしこが老朽化していることは明らかだった。それでもいつかの美しい姿を思わせるには十分な風格があった。すらりと高い建物であることは確かだったが決して豪華な建物ではない。今はすっかり廃墟となって、硝子の一部は割られていたりしたが、壊れて外れかかっていながらも滑らかなアーチを描く扉の形や、演目を知らせるためのポスターを張り出すための掲示板などには一つ一つ繊細な細工が施されていた。当時は白で統一されていたのだろう色彩は今はくすみ、薄汚れてしまっている。壁には蔦が這い、完全な修繕は不可能だと見てとれた。
「ここですか?」
そっとオルゴールの蓋を開けて訊ねると顔を覗かせた人形は朽ちた建物を青色の双眸に映すことができたのか、
『間違いないわ』
との応え。その声を合図にセレスティは壊れた扉を越えて、奥へと進んだ。そこはホールと呼ぶには小さく、そして今はすっかり荒れて眼も当てられない落書きが壁に描かれていたりする。オルゴールは沈黙していた。だからセレスティも黙って慎重に歩を進めた。客席に続くドアはかろうじて止め具に支えられていたが、少しでも力をこめるといとも容易く外れてしまいそうだった。そっとそれを押し開き、客席が並ぶそこへと足を踏み入れる。床に敷かれた絨毯は捲れ上がり、椅子もボロボロでそこかしこからスプリングが飛び出している。
それでもオルゴールから声が響くことはない。
きっとただ一点。
舞台だけを見ているのだろう。
セレスティにはその理由がよくわかった。
舞台だけがまるで聖域を守るような静寂に包まれて、これまでの道のりの荒れ方が嘘であったかのような美しさを保ってそこにあった。幾重にも重ねられた薄手の布地。奥行きがあり、天井が高い舞台はまるで幻惑を見るような心地にさせる。
それを前に何をすればいいのかは明らかだった。
手の中に大切に抱えたオルゴールが旋律を紡ぎ始める。
人形が踊る。
だからセレスティはそれをそっと舞台の端に載せた。
すると不意に舞台が仄かに明かりを受けて、輝く。凍てる湖の光景か、それとも透明な空を見せようとでもしているのか薄い青の世界が目の前に広がる。高い位置から吊られた重なりあういくつもの薄い布地が幻を演出するかのように影を描き、時に滑らかに波打つ。音楽が細く響く。
総てがそこで踊る者のために用意されていることは明らかだった。
軽やかの跳躍。真っ直ぐに伸びる滑らかなラインを描く長い両手と両足を使って、金の巻き毛の少女とも女性ともつかない美しい者が幻を描くように踊る。最も幸福な者であることを伝えようとするかのような笑顔と共に、まとう衣装の柔らかなレースをなびかせて。青色の双眸はただ一点に向けたまま、ひどくやさしい。
そこに誰がいるのかは明らかだった。
きっと彼女が愛した人がいるのだ。
この劇場の支配人であり演出家であった彼女の最愛の人がいるのだろう。
たとえ人並みの幸せを得ることができずとも、深く愛したその人が確かにここにはいるのだ。
彼女が一番に愛したその人の一部は今もまだここに息づいている。
だから彼女はあんなにも軽やかに、自由に踊ることができるのだ。
一人、軽やかに音楽に躰を預けて、作られた空間の一部になることができる。
空間は彼女の存在を躊躇うことなく当然のことのように受け止める。
―――ここに地終わり、海始まる。
不意に蓮が云った言葉が蘇る。
オルゴールに刻まれた碑文。
彼らはどこまでも遠くへ、現実を離れた場所で幸せになりたかったのかもしれない。舞台というただ一つを愛しながら、それを共有することを確かめあいながら無限を信じようとしたのではないかとセレスティは思う。
永遠は約束したその刹那に失われてしまうものだ。
けれど二人はきっとそれをどこまでも信じていきたいのだと願っていたのだろう。
限りある大地。
その向こうに果てを滲ませる海。
二人は海の向こうへ、果ての向こうへ行こうとしていたのかもしれない。
今後、二人が離れることは決してないのだとセレスティは思った。
戻ってきた。
二人は再び出会う。
演出家の一番愛したものが残るこの場所で。
バレリーナの一番輝くことができるこの場所で。
彼女がここでもう一度踊りたいと云った言葉に理由はきっと彼の最後を思ってのことだろう。
孤独を嘆く演出家にいつまでも傍にいるのだと、証明したかったのだ。
そして同時に自分もまたいつまでも傍にいたいのだと願っていたのだろう。
「それほどまでに愛していますか?」
音楽を壊さないよう小さな声で云うセレスティに答えが響く。
『とても愛しているわ。どこまでも一緒に行けると今までずっと信じていられたんだもの……』
言葉がオルゴールの底に刻まれた碑文の答えを連れて来る。
肉体を離れても、二人は今も互いの存在を傍に感じ続けているのだろう。
たとえ誰にもそれが理解されることがないとしても、それが世界のなかで真実にならないとしても。
舞台の一部になった演出家。
その上で踊り子が踊る。
演出家は今もやさしく、慈しむような色を与えて彼女の最も美しい姿をそこにあらわし続ける。
これからもずっとそれは続いていくのだろう。
いつかこの劇場が朽ち果てようとも、彼らにとってはここが唯一の劇場だ。
そして彼女はいつまでもその目にこの舞台を見続けるだろう。
形が失われても記憶は残る。
時に残酷なものを突きつけるそれが、セレスティには今ひどくやさしいものに思えた。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】
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ライター通信
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いつもお世話になっております。沓澤佳純です。
この度のご参加ありがとうございます。
プレイングをうまく生かすことができなかったことが気がかりなのですが、
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
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