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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


失われし魔狼の楽園【後編】

●プロローグ


 深夜の銀座ミラージュ・ヒルズ。
   それは月の狼たちに占拠された超高層ビルディング。

 完全に満ちた月の輝きを受けて一人の女が貯水槽の上に立っている。
 硝子の搭の屋上で狼の巫女が見つめるは、真円を象る黄金の月。
 滅びようとしている大地からの使者たちはただ、自分たちの世界を取り戻そうとしてるだけ――――。


 狼の巫女は月に語りかけるように見上げた。
「石の森に生きる人間たちは我等を滅ぼそうとする自身も知らない‥‥」
 ‥‥だが、大地を殺しながら無駄に増殖を続けていると知っている。
 大地の息吹である風を腐らせ、
 魔の雨を降らせながら、
 緑と獣と滅ぼしながら、
 世界と空と生命を
 得体の知れない澱みへと向かわせる。
 それでも尚、己が愚行をいまだ自身で正せない‥‥そのような者達に復讐の牙がつきたてられて一体なにがいけないのだろう。

「あなた方が営んできたように今度はそちらが滅びていくだけの話。これが自然の摂理ではなくて何だというのかしら」

 月の森を再生させるための秘儀―――《森化陣》がミラージュ・ヒルズの地下深くに敷設された。満月の光の魔力を受けて、森化陣は最高の効力を発揮し、都市という人の穢れに塗れた地上をあるがままの緑と自然の大地へと帰す。
 そして、月の魔狼。
 全として個、個として全の巨大な怪物は満月の夜、最高の魔獣としてその牙を不遜な侵入者の首に突き立てようと虎視眈々と狙っている。
 それは、滅び去ろうとしている大地の守護者としての狼の誇りゆえか。


 巫女たちが目指すのは、東京を作り変えて都市に生きる人々の生活を奪い、滅ぼそうとする――魔の狼たちの楽園。

 月の森という楽園を守るために、魔狼たちは石の森を滅ぼそうと決意した。


●月の狼は暗黒で踊る

「なるほど。先刻の攻撃はどうやら様子見らしいな」
 戦力を探っているつもりでこちらが戦力を探られていたか、と苦笑しながら草間武彦は新しい煙草に火をつける。
 銀座ミラージュ・ヒルズの中央セントラルホールで落ち合った武彦たちだが、無数の狼に襲われていた。
 月の魔狼――月の光によりネットワークの怪物と化した狼が武彦たちをとり囲み、白銀のような、黄金のような、淡い輝きで包まれた狼たちはその月の光によって意識を共有して、すでに群れを超えた有機的つながりを得た一個の巨大な怪物と化している。

 飛びかかって来た狼たちを《気》の輝きが吹き飛ばした。

「チッ、さっきの巫女さんの送ってきたビジョンと同じ気を上から感じるな。本体はどうやら屋上にいやがるようだ」
 そう言って頭上を見上げた気法拳士、 雪ノ下 正風(ゆきのした・まさかぜ) に、自然体で和風の雰囲気をもつ女性がうなづいた。
「地下からは別の気脈も流れているようですから‥‥先程狼の巫女がおっしゃられていた言葉からすると、きっとこちらが東京を森に変えてしまう魔術なのね。屋上と地下に分かれることになるかと思うのですが‥‥いかがいたしましょう?」
 かわいらしくその女性、神霊治癒師の 天薙 さくら(あまなぎ・さくら) は提案した。武彦はその場にいる一同を見渡す。
 ――――鎌鼬三番手の 鈴森 鎮(すずもり・しず) 、闇の世界を生業とする退魔師 神崎 こずえ(かんざき・こずえ) 、異世界より来訪した太陽神 蒼王 海浬(そうおう・かいり) 、そして草間興信所事務員の シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 。
「そんなこと決まってるよ! あの巫女に一言いってやらなくっちゃ気がおさまらないっ――な、わんこ!?」
 鎮は当然とばかりに足元の「わんこ」こと子狼のフュリースに呼びかけた。フュリースは尻尾をふりながら鎮を見上げた。
「わんこもそうだって言ってる!」
 以心伝心、目と目で通じ合う仲のようだ。
 一方でこずえが深刻な表情で銃を構えた。
「あたしはこんな場所で死ぬ気はないから‥‥東京が森に沈むのを阻止して、あいつの元に帰ってみせるわ‥‥」
「そうね。みんなで無事に帰らないと――」
 と答えたのはシュラインだが、その表情には不謹慎ながら無理に笑いをこらえているようにも見えた。
「どうしたの?」
「ええ、ごめんなさい。でもねやっぱり‥‥そんなにも可愛い姿でいわれると、つい――」
 銃を構えるこずえの頭から生えた可愛らしい狼耳を見た。
「‥‥そ、そんなにあたしには似合わない‥‥?」
「そうじゃないけれど、深刻なことを言っているのに、耳はピクッて動いたり可愛かったりすると、反応には困っちゃうでしょ?」
 苦笑しながら自分の狼耳をシュラインは摘んでみせた。
「とりあえずはこの狼化が進む前に決着をつけたいわね」
「やれやれ、随分と余裕があるな。うらやましい限りだ」
 海浬が取り澄ました表情で狼の攻撃を受け流す。
「とは言え俺もこの《耳》は何とかしたいか。それに――」
 冷静な口調でつぶやき、海浬が一呼吸をおいた。そしていつもの如才ない作り笑いを浮かべた。
「この時間ならそろそろ《あいつら》も到着する頃だろうさ」


 狼の巫女は水をすくうように光の満月へと手をかざす。
 ピクン、とその細い指先が震えた。
「‥‥‥‥来る――新しい力が、みっつ。それも強い――――」

                             ○

 突然、後方にひかえた魔狼の一体が咆哮をあげた。
 月に向かってあらぬ方角へと威嚇している。
 ――――ガシャァァァン。
 ホールの一角の高い場所にある窓が割れて、二つの影が舞い降りた。

 月光を受けて佇むは、銀瞳銀髪の美しい青年と、セミロングの銀髪をなびかせた愛らしい少女。

 美しき人狼、 月霞 紫銀(つきかすみ・しぎん) と巫女見習いの少女、 月偲 立花(つきしのぶ・りっか) は月光を反射する割れた窓ガラスの破片の輝きの中、周囲を圧倒的な存在感で威圧する。
「どうやら舞台には間に合ったようだ、立花‥‥」
「うん! 月の光が騒いでいたわけだよっ」
 突然姿を現した紫銀と立花に反応したのは、海浬だった。当然のように軽く手を上げる。
「全く、随分と来るのが遅かったな」
「待たせたようだな。そちらも苦戦しているようだが」

 紫銀はファッション界では『霞の月下人』と呼ばれるほどのファッションモデルにして、銀毛の人狼である。今は人の姿をとっているが、人狼の長を父に持ち、母が人間だったために後継者の地位を剥奪されて一族を追い出されたが、長の地位に興味もなく自由気ままに生きている。
 その隣に立っている立花は、人狼の巫女の血を引いた少女だ。胎児の時に富士樹海の霊力等のせいで能力が変化し、そのために母狼共々一族を追い出された少女は、放浪の果てに誕生した。
 ‥‥出産後、母狼は死に‥‥一人残った立花を紫銀が拾ったのである。

「ここで二手に分かれる。狼たちはヤツラの目的からいって地下の魔術陣を守ろうと優先するだろう。だから、俺は地下組の最後尾について守りにつく。いいな」
 視線でシュラインに合図する武彦。シュラインが了解する。
「武彦さんこそ気をつけてね。彼女‥‥狼の巫女は私たちに任せて。黙って力を行使せずに、何故人の姿をとり私たちの前に現れたでしょ? どこかにまだ、私たちとの共存を考える部分が多少でも残っているのか、世界ひっくりかえす‥‥その事に何らかの罪悪感があるのか、何も知らないまま死んでいくよりはとの配慮なのか‥‥とにかく、ただ彼女の計画を阻止しただけじゃ本当の解決とは思えないから」
「そうだ! 任せろよな!」
「くぅ〜ん」
「交渉次第ではまだ道はある。だから」
 鎮とフュリース、そして紫銀も答えた。屋上に向かう前に、紫銀が立ち止まり海浬へと振り返る。
「立花は海浬、あなたに頼もう。その身の守護を。立花の力はこの陣を止めるために必ず必要になる」
「ああ‥‥その依頼、引き受けよう」
 一斉に全員が屋上組と地下組の二手にわかれて走り出した。
 しかし、一つだけどちらにも入らず、その場に立ち止まる影がある。
「よォし、役者は揃ったようだな。だったらこの場は俺に任せて、あんたらは屋上と地下に早く向かえ!!」
 叫んでたった一人で狼の群れへと突っ込んでいくのは正風だった。
「正風さん――!?」
「彼の言う通り任せろ! 俺たちは自分のなすべきことをなす、それが優先だ」
「わかってるじゃないか。察しがいいな」
 正風は疾風怒濤の勢いで敵の群れへと駆け出していくと、武彦の読み通り地下組を止めよう追う月の魔狼の群れをたった一人でせき止めるべく、地下に向かう通路の入り口で立ちはだかる。
 金色のオーラを纏った拳で狼を突いた。しかし、突き刺した腕に魔狼の一匹が噛みついた。鋭い白牙がずぶりと肉に食い込み溢れだす鮮血――。一瞬の隙だが、それは致命的な隙だ。狼は隙を見逃さない。続いて空いた腕と脚にも狼が喰らいつく。
「なるほど、お前らの目的と筋は通っている‥‥」
 ニヤリと笑うと、狼を身体の一振りで払いのけると今度は脚で蹴りあげた。
「が、冗談じゃねえ!! 生存競争で負けてられっかッ!!」

 ――――――破ァッ!!!!

 たった一呼吸のみで膨大な気を練り上げる正風。
 彼の周囲でうねり激しく渦まく気のオーラはまるで巨大な龍。いくつもの首を持った渦まく龍となり、全ての首をもたげて天を喰らわんと欲する。
 群体の魔狼に囲まれながらも龍は小揺るぎもせずに、その中央で己こそが世の全ての盟主であるかのように睥睨する。
 月の光で機械のように無駄のない動きの狼たちに対して、圧倒的な気の力で応じる。多くの魔狼に噛みつかれ、返り血を浴びたり、逆に食いついて血肉を食らったりと修羅のごとく戦い仲間を追わせないための盾となる。
 前後上下から四方同時に飛び掛ってくる狼たちを気の放出で吹き飛ばした。が、放出を終えたタイムラグを狼の第2陣が襲い掛かり、正風の四肢に牙が深く食い込んだ。
「ぐあッ!!」
 食いついた狼は瞬間、月の輝きを群れから送られ強化される。気の力でもそう簡単に吹き飛ばせそうにない――
 ――――流石に、こいつはヤバイか‥‥‥‥。
 ギャイン!!
 狼の悲鳴、続いてギャインギャインと狼たちが弾かれていく。

 空間から溶け出したように一人の少年が立っていた。

 張り詰めた空気の中でBUのような学生服という場違いな姿で悠然と現れ、クールな視線をむける。
「例えどのような状況だろうと……俺は俺の仕事をするだけの話だ」
 と、冷淡に告げた。
 だが無数の狼たちの攻撃的な瞳が、彼が何者かを見定めようとしている。少年は無関心に答える。
「敵でも味方でもない‥‥ただその場に移ろい留まり、影のようにおぼろげに生きるだけの単なる人間だ、気にするな」
 安宅 莞爾(あたか・かんじ) ――フォーマーカンパニーマン。
 巨大企業が自分の手を汚さないために雇う影の仕事人であり、恐るべき被造物計画で造られた強化人間――――それこそが彼の肩書き。意味や理由などと最も対極に生きる男だ。
 背を向けたまま莞爾が言った。
「俺が敵を撹乱する。俺がジャミングを用いてすぐに誰にも知覚出来なくなるようになれば敵も味方も自分すらも、ありとあらゆるモノを欺けるだろう。例え攻撃を喰らおうとそんな自分をも欺いて敵を油断させるだけだ。混乱でネットワークの乱れに乗じてあんたが攻撃しろ」
 答えも聞かずに、莞爾はジャミングを発動させた。


●滅びゆくもの、残りゆくもの

 地下空間は膨大な月の気の力が静かに蓄えられていた。

 無気味なほどの静けさに満ちた暗闇の中、淡い月の光の輝きがいくつも現れては消える。
「わあ、きれいだね‥‥ピカピカの光がほたるみたい!」
 無邪気に喜んで立花は光を捕まえようと追いかけ回す。
 最下層。ここが《森化の陣》の中心部である。
 天薙さくらが周囲を観察しながら言った。
「森化陣をただ破壊するのは、危険と考えるべきでしょう。大規模な魔術を行うための陣だけに、それを破壊しようとした場合、暴走する可能性が極めて高いと‥‥そこで、森化陣の魔力を還元する事を試みますわ」
「うぅん‥‥どういうことなんだろ」
 じっと見つめる立花に微笑みを返す。
「辺り一面の魔力が月の魔力ですから、微力ながらも『日(日輪)』の神力で処しますね。私の治癒能力の根源は『日』の力に通じますから」
「『日』の力って?」
「はい。立花さんに陣の中央で精神を解放していただき、月の魔力を地に導く様に還元させます。暴走しそうな魔力を癒しの力に転換させますから」
 立花は人狼の巫女の血を引いている。強い力を持つ者の能力を見抜くというその存在自体が、月の狼たちの光の力と他の霊的力を互干渉させる交換機の役割を果たせるのだ。
 入念に準備されて蓄えられた月の魔力に影響を与えるには、個人で操る魔力では素のまま対処するには危険すぎる膨大な量だ。だからこそ立花の存在が重要になる。相互の異なる魔力を安定的に互干渉させる《触媒》が立花なのだ。
「うん! 立花の力、つかっていいよ!」
 海浬に甘えるようにしてべったりとくっつき立花は笑った。
 立花は蒼王海里と共に地下へ行き、能力を使って力の焦点を見つけて、狼の術の破壊に協力する。それだけのことだと聞いている。海里にべったりでソールと共に大人たちの言う通りにこの場所にきたのだ。
 立花はソールといっしょに《森化の陣》の中心に立った。
 ソールとは紅い毛に包まれた龍に似た海浬の聖獣だ。自由奔放で人懐っこい性格をしている。
 一瞬、月の魔力がざわめいたように感じた。

 月の狼たちは食い止められているようで追いかけている気配はない。後方では武彦が正風の守りを突破した少数の狼を止めている。
 遠くから戦闘の音がかすかに聞こえる。
 粛々と森化の陣を阻止が進められている。
 破滅が近い。
 もうすぐ、ひとつの種族が静かに滅びようとしていて。
 その場の誰もこの予感には触れない。
 誰もがそれを感じているのかもしれない‥‥。

「わかったっ! 立花はここに立ってるだけでいいんだね!」
「ええ、お願いしますね」
 ふと、無性にさみしさを感じた。
 これが、ナニカの滅びに立ち会うということ。
 それは欺瞞。
 自分たちが手にかけ、滅ぼすのだから。
「この最下層に満ちている月の魔力全てを立花さんの身体を拠り代に、私の日の力で別の無害なエネルギーに変えてしまうわけです‥‥ただ、この膨大な量の魔力ですから初めの術の始動が難しいかと‥‥スイッチを入れる火種のように、別所の大きな魔力があるとよいのですが」
 神崎こずえが言った。
「あたしが森化陣を壊すわ‥‥!」
 彼女も陣の中心に立つ。
「これって『自然を大切にすればいい』とか、そういう次元の問題じゃないんだよね‥‥今の人間が生きてる環境を護ろうとすれば、どうしても他の生き物を苦しめる事になるんだから。この戦いは絶対に『正しい事』じゃない‥‥それでも、あたしは『人間』として足掻くしかない。これだっていつかは自分達の首を締める事になるかもしれなくて‥‥」
「でも、着火に相当する力がこずえさんにはあって?」
「――――『闇の種』の力を使う。これは持久力がないから、いざとなったら最後の手段‥‥と考えてたんだけどね」
 『闇の種』という物質がある。
 ある妖魔がこずえの体内に植えた物で、彼女の闘争心や欲望といった負の感情をエネルギーに変えて蓄積する。だが強力な反面、使用時に体へかかる負担は大きく、エネルギーも一気に消費される。
 さくらは、どこかかなしげだった。
「そう‥‥その力なら十分のようですね。でも‥‥」
 さくらの言葉を遮るように、蒼王海浬は言葉をはさんだ。

「俺は人間の敵ではないが、味方でもない。ただ紫銀の依頼に従い立花を守るだけだ。‥‥だから一つ警告しておこう」

 基本的には海浬はこれ以上どちらの味方もするつもりはない。
 やや人間びいきではあるが、異世界の住人である彼はあくまで中立の立場だ。
 だからこそ解かることが一つある。
「狼たちの言い分もまた事実だ。また森化陣が成功したからといって、長い目で見ればそれを人以外の存在が被害と受け止めるだろうか」
 陣の中央まで歩み寄ると、立花の無邪気に自分を見上げる笑顔を見つめて、その頭をいとおしそうになでる海浬。
「だから俺は傍観者だ。手を貸すことはありえない。そして、陣を破壊するものとは――――直接、狼たちを滅ぼすその手を血で染める罪深きものだ」
 彼が何をいいたいのかがわかる。
 あるいは、わかってはいけなかったのかもしれない。
「人は弱くて愚かで、矛盾に満ちた生き物だ。本当にそれだけなら自分の心などとおに冷え切っていたが、そうでなく、何かを愛しくも想うことのできる存在だろう。だからこそ、己が犯す罪を自覚しながら行えるのか、俺には疑問だ」
 さくらもやさしげな瞳でこずえを見つめた。
「‥‥一度滅びたものは戻りません。過去も取り戻す事は出来ません。いずれ自らも何者かに滅ぼされる事になり、繰り返しの連鎖になります。過去を忘れなさいと申しません‥‥ですが人とは、過去を忘れられるものでもありませんから‥‥」
 無理に陣の崩壊を発動させる役目を進んで負う必要などない。
 拒絶する権利もあるのだ、と。
 そう彼女は教え諭してくれている。
 こずえが拒絶を下手を貸さなかったならば、さくらはそれなりの手段を講じるだろうが‥‥つまりそれは誰かが負う罪を桜が負うだけのことに他ならない。
 目を閉じると、梢は軽く顔をふってさくらの配慮を断った。
 これは、自分の決めてしまった決意だから、他の人に譲れないのだ。
 誰かに甘えるような生き方はしない。
 それは、こずえがあの日に決めた大切な誓いだから。
 立花だけが純粋な瞳でこの場を観ている。
 数年後、大人になった彼女はこのときのことをどう想うのだろうか。
「ねえ、こずえ。このあと狼さんたち、どうなるの?」
 こずえは崩れた笑みを見せ、顔を背けた。
 時間がやけに長く感じる。
 これが、滅びを間近にひかえた世界か。
 こずえは黙って俯いた。
「ああ‥‥やっぱり‥‥こういう戦いはいやだな‥‥」
 解かっている。
 月の狼たちを、月の森を滅ぼすのはあたしだ。
 例え、どれだけ理由があったとしても、全員の中の一人だったとしても、これだけは決して否定できない厳然としたゲンジツ。止めることが出来たのに、止めずに最後に手をかける自分というジジツ。
 それでもワカラナイ。
 これが、本当に正しい選択なのかを。

 戦いが終わったら、あいつに電話をしよう。

 彼も仕事中はあたしと同じで電源を切ってるけど、それが終わればつながるようになるはずだから‥‥。

「ねえ、あなたの‥‥声を聞きたいよ‥‥」


 こずえは、『闇の種』の力を発動させた――――。


                             ○

 シュライン・エマ、鈴森鎮、月霞紫銀の三人が月下の屋上にいる。
 月の狼の巫女である少女は無言で3人の能力者たちを睨みつけている。これは憎しみと、怨念と、呪詛の込められた呪いの瞳だ。
 シュラインは呪いを受け入れて、それでも彼女の前に立った。
 少女の魔力は明らかに落ちている。
 それは、地下に敷かれた魔術陣が破壊されたのだと、その場にいた誰もがわかっていた。

 ――――月の狼たちは、滅びるのだ。

「こんな風に力を溜め込んで一気に変えるんでなく、じんわり、確実に浸透させていくってやり方は出来ないのかしら?」
「残るのはあなた方、石の森の民のようね。さぞかし気持ちがいいでしょう? 敗者を前にして何が言いたいのかしら」
「‥‥力押ししたならまたいつか反対に反動が帰ってくるものだと思うの」
「それが何か? 反動? 私たちが間違っていたというの! 言えるの!?」
「森だって適度に切ったり等してないと森自体が年を取ってしまう。木々で地面に生える草花は枯れ、木の実等を食べる熊等の動物達のバランスも崩れるでしょう‥‥生き残るのは貴方達だけね」
「あなた達も滅ぼされる側に立てばわかるわ。自分達だけでも生き残りたいという気持ちが。いずれ、何十年、何百年経てばあなた達もいずれなにかに滅ぼされる‥‥その時によくまで憶えておきなさい。自分達が犯してきた業の深さを――!!」
 もう心は通じないのかもしれない。
 滅ぼす側と滅ぼされる側という彼岸の対話。
 全ての言の葉は冷たい屋上の風に流されて、月の光に吸い込まれていく。
「そうね。人はやり過ぎる‥‥それについては同感だけれど」
 それでも説得を、意思をつなげようと試みる。それがシュラインの戦いであり、彼女が武彦に約束したことでもあるからだ。滅ぼすだけでは何も終わらない。勝利とは程遠い偽りの勝利にはさせない、と。
 だから言葉を紡ぎつづける。
 この世に、無駄な行為なんてない。巫女は憎悪しているが理性はまだある。だからまだ通じる。少しでもお互いが救われる道がある――――。
 その時、紫銀が静かに白銀の瞳をむけた。
「富士樹海に私の元いた人狼の一族が住む場所がある。そこには外界と接する付近に人狼が住んでいるが、その奥にまた別の空いている土地がある」
「なにをおっしゃているのかしら」
「霊的な場としても強く、霊的な一族にとっては快適なはずだ。人狼が人間が奥に入って来ないようにも約束しよう」
「それは、私達に――――」
「ああ。移住をしてはどうか、と勧めているつもりだ」
 巫女の瞳が一瞬、揺れた。
 しかし、それは倍した憎悪となって跳ね返った。
「私達がこのまま石の森の一族に破れるとお思いですか!? この戦いは我等がためだけの戦いではない――石の森は、人は、このまま野放しにしたいがままを許せば、他の物をも次々と貪欲に滅ぼしてゆくでしょう‥‥誰かが止めねばならないのです!! 例え、滅ぶことになろうとも――!!」
「提案は受け入れてもらえないの、か‥‥」
「人はやりすぎたのです。それを思い知らさなければならない、これが我等の宿命であり、生きてきた意味だったの、で‥‥す‥‥」
 それは最早滑稽なセリフだ。
 滅びを前にして、意味付けることで、何かから逃れようとしている。傍から見ていて余りにもそんなあからさまに解かることが本人にだけはわかっていないようで、どうしようもなくただ哀しかった。
「でも、まだ考える余地が――」
 その時、突然に、狼の巫女は動きを止めた。
 わずかに残っていた彼女のまとう月の光が、最後の残滓を残して消えようとしているのだ。
 彼女の中で何かが崩れようとしている。
 心が壊れる瞬間が見ていてわかった。
 逆転の可能性すらない。
 そんな可能性など初めからなかったのだけれど、光を完全に失ったら奇跡をすがることも出来なくなるから。
 魔術陣は彼女と繋がっていて、巫女の存在そのものとも連動している。儀式の消滅は自分の消滅。でも、自分が滅びることは怖くない。ただ、このまま負けて、同胞の滅びを止められない無力な自分が怖かった。
 終わったとはいえ、敗れたとはいえ、その月の光だけが少女を支えていて、最後の支えまでもが世界は残酷にも奪おうとしている。この世を支配している法則とは敗者に対してはこの上なく無慈悲で残酷だ。
 月の光が巫女から完全に消えた。
 一塵のかけらすらその手にはない。
「いやあ!! 私たちは、私たちは負けない!! 滅びたくない‥‥!! 滅びたくない!! ‥‥神さまぁッ‥‥!!」
 巫女は壊れたように泣き叫んだ。仲間を守ろうとした神々しいまでの強さも、気高いまでに美しかった戦う意志も、人間を滅ぼしてまで生き残ろうとした憎悪もない。そこには哀れな滅びゆく獣のひとりでしかない惨めな姿を晒す少女がいるだけ。
 助けてください、見捨てないでください、神さま――と壊れたオモチャのように抜け殻の少女は繰り返す。
 少女に駆け寄ったのは鎮だった。
 壊れたように泣き叫ぶ彼女を抱き上げた。少女は、動きを止めた。鎮の側にいた子狼に気がついたのだ。その目にかすかにだが正気の光が宿る。
「‥‥気がつか、なかった‥‥あなたは‥‥太陽の、狼‥‥」
「大丈夫かよ! しっかりしろってこの馬鹿!!」
 正気を取り戻した彼女の様子に、鎮は内心ほっとした。
「滅びるとかいうなよ! 滅ぼすとかも、そんなことのために俺たちは生きてるんじゃないんだ!」
「もう、私たちは終わります‥‥この世界に生を受け、仲間と命を育んで‥‥そして消える‥‥ここで、月の一族は失われるのです‥‥」
 月の光を失って、少女はこの世界からも消えようとしていた。それを自覚していたのだろう。本人の瞳は悲しいくらいに穏やかだ。
 彼女が消えないように、意識を呼び起こすように鎮は怒鳴りつける。怒りでもいい。憎しみでもいい。でも、このまま消えてしまうことだけは許せない。
 だから、鎮はできる限り慣れない挑発を必死に怒鳴りつけた。
「じゃあもっと、堂々と挑みやがれ! 隠れて隠して、『気付く人間にだけ』喧嘩売るなんざ、大口の真神の子孫とも思えねーや! 自分が正しいと思うなら正面切って人間に喧嘩売れ! 生きて、生き続けて最後まで戦いやがれよ!!!」
 巫女だった少女に人間に堂々と喧嘩を売って来いと挑発する。戦うことは哀しいが、戦いで滅びる誰かを見取ることはもっと哀しい。それが、例え、激しく憎むべき敵だったとしても。
 あるいは、そんな感傷は勝者の驕りかもしれない。勝利によって敗者を貶めることに快感を見出す勝者もいるかもしれない。でも、それらは少なくとも鎮とは無縁の感情だった。
「恐竜だって滅びたんだ。狼だって俺らだって人間だって地球そのものだって、滅ぶ時は滅ぶ。それが《自然》。生き延びようとするなら、変わらないと駄目なんだ。――だから、お前も生き延びてみろよ。何かに変わってでもいいから、また人間を叱ってくれよ」
 どうしてだろう。
 人間を滅ぼそうとしていた憎むべき敵なのに、彼らが滅びようとしていると無性に悲しい。やるせない気持ちしか湧き上がらなかった。
「無茶を‥‥言わないでください‥‥。私たちが滅びるのは、自然の摂理‥‥そして、ここで戦う道を選び、滅びる私たちを私は、誇りたい‥‥」
 と、そこまで言って、気づいたように苦笑し、巫女は瞳を閉じた。
「‥‥ああ、わたし‥‥言っていることが、矛盾していますね‥‥」
「‥‥馬鹿野郎、そんな下らない誇りなんて捨てちまえよ」
 一瞬だけ鎮に微笑むと、彼女は紫銀に声だけで呼びかけた。
「銀の人狼‥‥あなたにお願いが、あります‥‥」
「ああ、聞こう」
 倒れた状態で、夜空の月を見上げながら彼女が呟く。
「普通の狼として、生き残った同胞がいます‥‥そのものたちには、先程の富士樹海の件、何卒お願いします‥‥」
「――――約束しよう。私の名に賭けて」
 シュラインは髪をかき上げて背をむける。
「‥‥人はしぶといもの。生き残った人達がまた風を腐らせ、魔の雨を降らせ‥‥そんな事をまた最初から繰り返していってしまうと思うの‥‥」

「だから、今、自然との共存考えそれらに力注いでる人との状態をゼロに戻してしまわないで‥‥」

 と、どこにいるとも知れない天上の神さまへと切に願ったその時に、少女はこの世界から完全に消えた。




 安宅莞爾がまた一匹の狼を退ける。
 もはや彼らに月の光の力はない。
 しかし、狼たちは力を失い、単なる獣に成り下がろうと挑み続けた。
「あんたらが持って生まれた幽世の力を如何に持とうと、恐るべき被造物として扱われた俺に挑んでも何の意味を為さない‥‥」
 と莞爾は冷酷に告げるまでだ。
 最早狼は傷つけずに捕獲するよう連絡を受けている。力の差は歴然だ。それでも莞爾は一切手を抜かない。誇りを賭けて挑んでくるものたちへのそれが礼儀だ。
「報酬が楽しみだな‥‥」
 どこか哀しげに莞爾は呟いた。

 全ての狼を気絶させて動きを封じると、彼はその場にいた他の奴等を欺くかのように影に消えた。




●エピローグ〜狼は嘆きの運命を忌む

 あの事件が無事解決してから後日、一同は正風の入院する病室に集まっていた。正風は全身包帯姿になりながら病室で陽気に笑っていた。
「これにて一件落着、いやぁ朝日が眩しいぜ♪」
 と言った瞬間、狼男へと変身人狼の能力を身につけてしまい、ぽんっと狼になってしまう。
「な、なんじゃこりゃぁっ!!」
 と太陽に高く吠える。
 シュラインが不思議そうに首をかしげる。
「あら? 狼化‥‥私たちはもうみんな無事に戻ったけれど?」
 どうも個人差があるようだ。


 笑い声がこだまする病室から、ふと、太陽の眩しい青空を見上げた。
 時々、あの満月の美しい夜を思い出す。
 魂を魅了するような月の光と、とても悲しい一族との戦いを。
 狼たちは紫銀のいう富士樹海の奥地で放された。その後の動向はしらない。慎ましく幸せに暮らしてくれているといいなと思う。
 この世にあるものはいつか、全て滅びを迎える。
 人も、いつか滅びるのだろう。
 だけど、せめて今は笑っていたい。


 青い突き抜けるような空を見上げながら心からそう思った。









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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0391/雪ノ下 正風(ゆきのした・まさかぜ)/男性/22歳/オカルト作家】
【2336/天薙 さくら(あまなぎ・さくら)/女性/43歳/主婦・神霊治癒師兼退魔師】
【2320/鈴森 鎮(すずもり・しず)/男性/497歳/鎌鼬参番手】
【3012/月霞 紫銀(つきかすみ・しぎん)/男性/20歳/モデル兼、美大講師】
【3092/月偲 立花(つきしのぶ・りっか)/女性/8歳/巫女見習い兼、武器庫】
【3206/神崎 こずえ(かんざき・こずえ)/女性/16歳/退魔師】
【3893/安宅 莞爾(あたか・かんじ)/男性/18歳/フォーマーカンパニーマン】
【4345/蒼王 海浬(そうおう・かいり)/男性/25歳/マネージャー 来訪者】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、雛川 遊です。
 シナリオにご参加いただきありがとうございました。ノベルの作成が今回も遅くなってしまいました‥‥本当に申し訳ありません‥‥。
 また一部プレイングについては、読み替えがすぎる部分もありかもしれませんが今回のノベルの主旨に沿ったものだとご理解いただけるようお願いします。もっとシナリオ傾向などで書いておくべきでしたと反省しています。

 それでは、あなたに剣と翼と狼の導きがあらんことを祈りつつ。